「みんなのミュシャ」関連の番組・書籍など

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◆「みんなのミュシャ」名古屋展のチラシに印刷された少女

 あいちトリエンナーレで賑わっている名古屋市美術館に「みんなのミュシャ」(2020.4.25~6.28)のチラシが置いてありました。会期などが印刷されたチラシの表面には、衣装をなびかせる少女が、裏面には夢見るような表情の少女が描かれています。表面の作品はアルフォンス・ミュシャ《舞踏―連作(四芸術)より》(部分)、裏面は《モナコ・モンテカルロ》(部分)。どちらもピンナップしたくなる作品です。

◆「新美の巨人たち」(2019.9.7)「今日の一枚」は《モナコ・モンテカルロ》でした

9月7日放送のテレビ愛知「新美の巨人たち」、「今日の一枚」はアルフォンス・ミュシャが制作した鉄道会社のポスター《モナコ・モンテカルロ》(1897)でした。当日朝刊のテレビ欄には「鉄道のポスターなのに列車を描かない深い訳」という説明が付いていました。

番組で旅人・要潤さんが向かったのは、東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム。美術館に向かう途中「要潤さんは、ミュシャの《黄道十二宮》(1896)を持っています」と紹介され、「ミュシャの作品とは知らず、きれいだったから買いました」と答えていました。

《モナコ・モンテカルロ》は展示の後半にあり、「ミュシャの黄金期、37歳の時の作品。モナコ公国の中心地モンテカルロを紹介するPLM鉄道のポスターで右下には小さく、往復チケット、周遊チケット、家族旅行チケット、16時間の豪華鉄道旅行、と印刷されています」「また、この絵には仕掛けがあり、第一は美女を囲む花輪で、それはキリストの光輪。人物を円で囲むことで、その人物に格調の高さと神々しさが生まれる」との解説がありました。第二の仕掛けは緻密な描きこみで、「ミュシャと同時代のロートレックはポスターを芸術の域に引き上げた画家で、単純化した構図を少ない色数で描いています。それに対し、ミュシャが描いたポスターの克明な描写は、当時としては異例の表現でした」との解説。第三の仕掛けは「視線の誘導」で「《モナコ・モンテカルロ》では左下の花輪から延びる茎で少女の顔へ、次に少女が見ている ”MONACO・MONTE-CARLO” という文字に視線が導かれます」と、解説がありました。

番組では、この「ミュシャのスタイル」を借りて、作家の「べつやくれい」さんが《うどんを祝福する要潤》(2019)を制作するというシーンもあります。出来上がった作品は、番組のホームページが紹介しているとおり、格調高く神々しいものです。べつやくれいさんは「ミュシャの描きこみはすごい」と話していました。

 また、広告の専門家・箭内道彦さん(東京芸術大学)が登場して「少女の背景にコート・ダジュールの海岸線とカジノが描かれているが、よく見ないと分からない。ミュシャは、直接的な描写ではなく、暗喩で『気分』を描いた。『そうだ 京都 行こう』を先取りしたポスターとも言える。花輪は汽車の車輪、茎は鉄道線路で、鉄道旅行の楽しさを伝えているという説明が一般的だが、花輪はルーレットなのでは等、いろんな読み方ができる。ミュシャの真似はできそうで、できなさそうで、できる」という解説がありました。

 以上のほか「黒田清輝が日本にミュシャを紹介。その教えを受けて三越呉服店のポスターを描いた杉浦非水(すぎうら・ひすい)を始めとして、日本のグラフィック・デザインはミュシャの影響を受けてきた」という説明もありました。番組のURLは、下記のとおりです。 https://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/index.html?trgt=20190907

◆「みんなのミュシャ Special」(カドカワエンタメムック)2019.7.29 株式会社KADOKAWA発行 現在、書店の店頭には数種類の「みんなのミュシャ」関連書籍が並んでおり、たまたま手に取ったのが、この本です。「ぶらぶら美術・博物館 プレミアムアートブック/特別編集」という副題のとおり、山田五郎が「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ-線の魔術」を解説した本です。おぎやはぎも登場します。展覧会の構成に合わせた作品紹介に加えて「展覧会に展示されるマンガ家プロフィール」「ミュシャと世界・美術のヒストリー」「ミュシャにまつわるキーワード」「山田五郎×みうらじゅん対談」など、肩の凝らない記事ばかりです。表紙が《ヒヤシンス姫》、表紙裏の広告が《黄道十二宮》、中表紙が《ジスモンダ》、見開きページが《舞踏―連作(四芸術)より》(部分)と《モナコ・モンテカルロ》(部分)という構成。ミュシャのポスター・装飾パネルというと、この5作が代表作ということなのでしょうか。

なお、「ミュシャと世界・美術のヒストリー」を読むと、ミュシャは1928年、68歳の時にプラハ市に移り、《スラブ叙事詩》全20点をプラハ市に寄贈することを発表。1939年、78歳の時にドイツがチェコスロバキア共和国に侵攻した際、ゲシュタポに拘束され、5日間の尋問ののち釈放されるが健康状態が悪化し、7月14日、プラハで死去(注1)、ということが分かります。

注1:ゲシュタポが拘束したのは「ムハ(注2:ミュシャはフランス語の読み方。チェコ語ではムハ)の絵画は退廃的で、チェコの民族自決を促す危険なものというのが理由だった。そのため、ナチスの占領中は、彼の作品を展示することがいっさい禁止された」(「図説 プラハ 塔と黄金と革命の都市」ふくろうの本 2011年1月30日発行 著者 片野 優・須貝典子 発行所 河出書房新社 より)

◆Bunkamuraザ・ミュージアムのホームページ

内容は、PR動画のほかに「みどころ」「章解説」などです。

「みどころ」では、「みどころ3 こんなところにもミュシャの影響が?」のアルフォンス・ミュシャ《ジョブ》(1896)と、その色を変えたロック・コンサートのポスター(1966)の比較や、「みどころ4 文芸誌のデザインからマンガまで――日本で生き続ける“ミュシャ”」のアルフォンス・ミュシャ《黄道十二宮》(1896)と藤島武二『みだれ髪』(与謝野晶子)の表紙との比較が面白いと思いました。

「章解説」は、Section1からSection5までの各章ごとの解説です。なお、《モナコ・モンテカルロ》の図版はSection5で紹介しています。Section5には、また「ミュシャは近代の女性たちの内面と身体を表現するアイコンとして、この国の文化史の中にある」という文がありました。展覧会ホームページのURLは、下記のとおりです。 https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_mucha/

◆最後に 「みんなのミュシャ」が名古屋市美術館に巡回するのは、2020年4月25日(土)~6月28日(日)と半年以上も先のことですが、東京展開催中ということもあり、展覧会の情報は書籍やインターネット等であふれていますので御紹介いたしました。

なお、BS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」では、去る8月13日(火)にBunkamuraザ・ミュージアムの「みんなのミュシャ」を紹介ずみです。とはいえ、できれば来年の名古屋展開催時には名古屋地区で「ぶらぶら美術・博物館」の再放送を実現していただきたいですね。

Ron.

あいちトリエンナーレ2019の新聞記事について

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先日の合同鑑賞会で学芸員さんから「トリエンナーレについて、肝心の作品の話はどこかに行ってしまいました」という嘆き節を聞きましたが、ようやく「作品の話」を書いた新聞記事を二つ見ることが出来ました。

一つ目の新聞記事は、8月29日(木)から31日(土)まで中日新聞朝刊「Culture」欄に連載された「見る歩く あいちトリエンナーレ」の上(以下「C上」)、中(以下「C中」)、下(以下「C下」)です。C上は作家・高山羽根子さんが登場する谷口大河記者の署名記事、C中は元名古屋ボストン美術館館長・馬場駿吉さんが登場する栗山真寛記者の署名記事、C下は評論家・藤田直哉さんが登場する中村陽子記者の署名記事。二つ目は、8月31日(土)日本経済新聞「文化」欄の窪田直子・編集委員による署名記事(以下「日経」)です。 項目別に、二つの記事をまとめてみました。

◆ジェンダーバランス(トリエンナーレ参加アーティストの男女比率)について

 ジェンダーバランスについては合同鑑賞会でも話がありましたが、日経では「今回、芸術祭の芸術監督を務めたジャーナリストの津田大介氏の強い意向で、参加アーティストの男女比率が同数になった。美術館長などの主要職、大型芸術祭の出品作家の多くをいまだ男性が占める状況に一石を投じたといえる」と、好評価でした。C上でも「『一つの試みとして興味深い』と高山さん。美大で日本画を学んでいたころを振り返り『結婚や出産、育児で創作を離れる人、キャリアが中断される人はいるが、芸術分野に限らず、それを経験したからこそできる仕事もあるはず。(男性偏重を解消する)ジェンダーバランスは、そういった人も能力を評価されるチャンス』と話す」と、今回の対応に賛同しています。  確かに、合同鑑賞会で見たN01 碓井ゆう(注:アルファベットと数字は公式ガイドマップの通し番号。以下同じ)やN07 青木美紅の作品は女性ならではのものです。また、女性作家が多いことで「多様性が増している」と感じました。合同鑑賞会に参加した人は誰でも、同じような感想を持ったのではないかと思います。

◆「表現の不自由展・その後」の中止について

 日経では「芸術祭のテーマは『情の時代』。『情報によってあおられた“感情”に翻弄された人々が世界中で分断を起こしている』との危機感から津田氏が選んだ。『表現の不自由展・その後』の中止は、図らずもその分断の深さを露呈してしまった。テロ予告や脅迫ともとれるファクスや電話が殺到し『不自由展』が打ち切られたことに対して、芸術祭の出品作家72人(注:正しくは、声明発表時12人。その後、田中功起氏が加わり13人)が声明を発表した。一部の作家は自作の展示を中止、あるいは内容を変更して抗議の意思を表明。自主運営スペースを開設して公開ディスカッションなどを企画する動きもある。他者への共感をもって排外主義にあらがう作品のメッセージは、この一件を契機にかえって強固になったように感じる」と、多くのスペースを割き、「共生・分断 世相映す芸術祭」という大見出しに加え「『不自由展』中止の余波続く」という小見出しをつけています。

 C上では「(注:高山さんは)小説家として『表現の不自由展・その後』の中止の問題も考えずにはいられない。『賛否のどちらが正解で、もう一方が不正解とは簡単に言えない。間で困惑する人の目線も絶えず考えていきたい』(略)人の心のグラデーションを表現した書き手として『どちらか一方ではなく、間で踏みとどまって、その上で考えるのが大切だと思う』と語った」と書いています。また、C下ではトリエンナーレに対する評価について「藤田さんは『とりわけジャーナリスティックな方向で特色を出し、成功してきた印象がありますね』と語る。現代社会で起きている問題を映し出す作品が、一番の見どころだったとの指摘だ」とした上で、不自由展の中止について「藤田さんは『世界の芸術祭を見れば、政治色の強い、議論を巻き起こすアートも、珍しくありません』と解説する。(略)『不自由展の企画は、その後の経緯を含めて、社会の分断を可視化する作品と見ることもできます。ただ個人的には、その一歩先、対立を超える知恵も、表現してもらいたかったなぁ』」と書いていました。

 いずれの記事も「間で踏みとどまって」(C上)、「対立を超える知恵」(C下)など、その言葉からは「共生」(日経の見出し)を望んでいる姿勢が感じられました。ただ、9月1日(日)中日新聞の記事は「とはいえ再開には、困難もつきまとう。このままの状態では、政治家や匿名の抗議の再燃は避けられない。電話対応や警備体制の変更など、新たな工夫が必要になる」と、厳しい見方をしています。

◆ジェンダー(社会的、文化的に形成される男女の差異)をテーマにした作品について

◎N04 モニカ・メイヤー「The Clothesline」

 日経では、「現在は、内容を変更して展示中」という説明文の写真を付け、「『痴漢被害を父に相談したらジョークで返されショックを受けた』『小2の時、女はサッカーをやるなと男子に蹴られた』メキシコのモニカ・メイヤーによる観客参加型のプロジェクトを展示する一室では、こんな体験が書かれたメモ用紙に鑑賞者たちが見入っていた」と紹介していました。

◎S08 キュンチョメ

 四間道・円頓寺会場の幸円ビルに展示している作品で、C下は「藤田さんは『ぜひ見ておきたい』と、男女二組ユニット『キュンチョメ』が出品するビルに足を向けた。性同一性障害の当事者へのインタビューを中心にした映像作品。『性別の境界を超えることの難しさを分かりやすく伝える快作ですね』と満足そうだ」と紹介していました。日経でも、多くのスペースを割いて紹介しています。

◆国籍や文化の差異をテーマにした作品について

◎N03 藤井 光

 日経では写真付きで「展示室内では、ふんどし・鉢巻き姿で水につかって身を清め、整列行進する男たちが映るモノクロ映像と、彼らの動作をまねる外国人の集団のカラー映像が流れる。戦前の日本が統治下の台湾に設置した『国民道場』に着想した新作だ。(略)外国人労働者の受け入れが今後拡大する日本では、文化の異なる他者との共生は大きな課題だ。日本社会への同調を強いるのではなく、多様な存在を包容できるか。同じ動作を繰り返す無表情の外国人男女の映像は、そんな問いを突きつける」と、多くのスペースを割いて紹介していました。C下でも「この人が出しているなら行ってみよう」という作家として紹介しています。

◎A11 田中 功起

 日経では「(略)映像に登場するのはボリビア、朝鮮半島、バングラディシュ、ブラジル出身の親を持つ4人の男女。(略)わずかな外見上の違いなどから好奇の目にさらされたりした生い立ちを淡々と語り合う。『日本には、日本人は単一民族であるという幻想がある』と田中は作品の解説に記す。日本人像が多様化している現実に。社会は追いついていないのである」と紹介していました。C下でも「この人が出しているなら行ってみよう」という作家として紹介しています。

◎A04 レジーナ・ホセ・ガリンド

 日経の記事は「県内のラテン系の労働者たちと映像を撮った」と短めですが、文化の異なる他者を扱った作品の最初に紹介されています。「共生・分断」という切り口に合致した作品、という評価でしょうか。

◎S03 梁志和・黄志恆

 C下では「展示作品の手前に、祖国(注:香港)のデモ弾圧に対する声明を張り出している」と説明し、「中部地域は、製造業に従事する外国人も多く、世界の都市と、移民や差別の問題で通じ合える可能性がある。そこに芸術で迫るという方向性は、間違っていないように思いますよ」という藤田さんの意見を掲載していました。

◆豊田市駅周辺の作品について

◎T02 小田原のどか「→(1923-1951)」

 C上では新豊田駅近くの作品を、「空白の台座 気づき促す」と、大見出しを付け「造形物は、屋外彫刻の台座を模している。戦前、同じ形の台座が、東京・三宅坂にあり、馬に乗った軍人の像が飾られていた。だが、この作品には、本来なら彫刻が置かれているはずの部分に何もない。(略)戦後、日本では、あちこちにあった軍人の像に代わって、『平和』と冠した裸婦像の彫刻が増えた。三宅坂の台座には『平和の群像』と題し、三人の裸婦像が飾られた。これが全国の裸婦像の先駆けとされる。彫刻とはいえ、女性の裸が街頭に乱立していった歴史を鋭く見つめているのだ。高山さんは『背景を知るといろんなことを考える。例えば少年漫画雑誌の表紙を飾る水着の女性、女性の体をほめる「曲線美」という言葉。否定的な違和感ではないが、なぜだろうという気づきがある』と話す。台座は空白だからこそ『多くの人に気づきを促すはず』」と、台座の写真も付けて紹介しています。  私がこの作品を見て分かったことは「戦後、裸婦像が軍人の像と入れ替わった」という事実だけでした。高山さんの言葉によって「背景を知って、いろんなことを考える必要があるのだ」と気づかされました。

◎T03 和田 唯奈(しんかぞく)「レンタルあかちゃん」

 これもC上です。「赤ちゃんが描かれた絵を手に、物語性の高い絵が飾られた『レンタルあかちゃん』の会場を巡る」という説明文の写真を付け、「会場内の手紙などから、子に込めた願いを知る仕掛けになっており、女性の体と切り離せない出産、役割とされてきた育児について考えさせられる。体験した高山さんは『ポップさとの対比が面白いですね。物語を自分の手で完成させた感じがした。赤ちゃんの絵も複数の種類があり、誰かと一緒に回ると楽しい作品』と笑った」と紹介しています。  この作品、私が豊田市に行ったときは時間切れでパス。記事を読み、その時パスしたことが悔やまれました。

◆パフォーミングアーツについて

◎A01ab、N11 ドラ・ガルシア 「THE ROMEOS」

 C中では「ガルシアさんは壇上に並んだ九人のロミオたちに質問を投げかけていく(略)馬場さんは『自己と他者の境界をあいまいにするような作品。かつて寺山修司が劇場から街へ出ていったよう』と思い起こす」と紹介していました。また、不自由展の中止については「ガルシアさんは抗議の意思として、展示を一時中止したが、ロミオたちは継続して活動している」と書いています。

◎A63 劇団うりんこ+三浦 基+クワクボリョウタ「幸福はだれにくる」

 C中では「トリエンナーレは国際的であると同時に、愛知で開催する意味合いを考える上で、地元の劇団がこのような作品を上演したことを(注:馬場さんは)喜ぶ」と書いていました。

Ron.

セルビアとその隣国の公用語など

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 先日開催された「あいちトリエンナーレ2019合同鑑賞会」の名古屋市美術館会場で、セルビア人作家・カタリーナ・ズィディエーラーの作品《Shaum》の解説を聞いていたら、最近読んだ本の一節を思い出しました。それは「フランス革命に端を発して、ヨーロッパで国民国家が主流になると、オスマン帝国からの分離運動が発生した。ところが言語や歴史から「国民」を分けることはバルカン半島では困難だった。(略)現在でもこの地域における第一外国語はドイツ語であり、共通言語でもあった。バルカン半島は、正教徒、カトリック、イスラム混住地域であり、言語地図も複雑であった。そのうち正教徒でありセルボ・クロアチア語を喋るセルビア人は、最有力人口ブロックであった。」(文春新書「第一次世界大戦はなぜ始まったのか」 別宮 暖朗 著 2014年7月20日発行 p.89)という所です。このうち「第一外国語はドイツ語であり、共通言語でもあった」という部分を読んで「本当?」と疑っていたのですが、作品の解説を聞き「書いてあったことは、嘘ではない」と信じることにしました。

◆セルビアの国名と公用語

Wikipediaで調べるとセルビアの国名と公用語は以下の通りです。文末に地図を添付しておきます。

◎セルビア共和国(セルビア・モンテネグロの解体により 2006年6月5日独立)  セルビア語では、Република Србија(キリル文字) Republika Srbija(ラテン文字) (Serbia は英語の表記。セルビア語では、Србија(キリル文字)又は、Srbija(ラテン文字) 公用語:セルビア語

◎ヴォイヴォディナ自治州(旧自治州設置 1945年9月1日、現行自治憲法施行 2010年1月1日 ) セルビア語では、Autonomna Pokrajina Vojvodina(ラテン文字) 公用語:セルビア語、ハンガリー語、スロバキア語、パンノニア・ルシン語、ルーマニア語、クロアチア語 (ヴォイヴォディナは多民族混住の地であり、26を超える少数民族が居住しています)

◎コソボ共和国(2008年2月17日独立宣言。セルビア、ロシア、中国などは独立を承認していません) アルバニア語では、Republika e Kosovës セルビア語では、Република Косово(キリル文字) 公用語:アルバニア語、セルビア語 独立に至る経緯:1995年にボスニア紛争が終了すると、セルビア共和国内のコソボ自治州で多数を占めるアルバニア人が武装闘争を開始。1998年、セルビアはコソボに大部隊を展開。1999年、NATO軍がユーゴスラビアへ空爆を行う。2000年、コソボからセルビア軍が撤退すると、NATO軍主体の部隊と国連暫定統治機構がコソボに駐留を始める。(この項の出典は、「プロの添乗員と行く クロアチア・スロベニア世界遺産と歴史の旅」武村洋子著 発行所 株式会社 彩図社 2015年8月11日発行 p.95~96)

◆セルビアの主な隣国と公用語

◎クロアチア共和国(1991年6月25日 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立) クロアチア語では、Republika Hrvatska(クロアチア語はラテン文字を使用) (Croatia は英語の表記。クロアチア語では、Hrvatska) 公用語:クロアチア語(セルビア語とほぼ同じ。両者を「セルボ・クロアチア語」と分類する場合もあります)

◎モンテネグロ(セルビア・モンテネグロの解体により 2006年6月5日独立) モンテネグロ語では、Црна Гора(キリル文字) Crna Gora(ラテン文字) (Montegegro はヴェネト語=イタリアのヴェネツィア等で話されている言語。Crna Gora、Montenegro のいずれも、意味は「黒い山」です) 公用語:モンテネグロ語(セルビア語の方言)、アルバニア語、セルビア語、ボスニア語、クロアチア語

◎ボスニア・ヘルツェゴビナ(1991年に内戦が始まり、1995年12月14日に3勢力妥協・内戦終結) ボスニア語・クロアチア語では、Bosna i Hercegovina セルビア語では、Босна и Херцеговина 公用語:ボスニア語、セルビア語、クロアチア語 ボスニア・ヘルツェゴビナは、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国で構成する連邦国家です。

・ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦 Federacija Bosne i Hercegovine(ボスニア語・クロアチア語)Федерација Босне и Херцеговине(セルビア語) 公用語:ボスニア語、クロアチア語、セルビア語 ボスニア・ヘルツェゴビナの主要3民族のうち、ボシュニャク人(イスラム教に改宗した南スラブ人)とクロア  チア人を主体とする共和国です。

・スルプスカ共和国 Република Српска(セルビア語) Српска は、ラテン文字では Srpska で「セルビア人」という意味。直訳すると「セルビア人共和国」です。 公用語:セルビア語、クロアチア語、ボスニア語 ボスニア・ヘルツェゴビナの主要3民族のうち、セルビア人を主体とする共和国です。

◆多言語・多民族混住世界での共存ということ

旧ユーゴスラビアを表現する「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」という言葉があります。この中で「4つの言語」は、スロヴェニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語。「5つの民族」は、スロヴェニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人です。しかし、セルビアとその隣国の公用語だけでもボスニア語、アルバニア語などが加わって4つではおさまらず、民族にはボシュニャク人やアルバニア人、ハンガリー人、ルーマニア人などが加わります。旧ユーゴスラビアは、日本人には想像できないほどの多言語・多民族混住の国家でした。

この文の最初で引用した「第一次世界大戦はなぜ始まったのか」には、「フランス革命に端を発して、ヨーロッパで国民国家が主流になると、オスマン帝国からの分離運動が発生した。言語や歴史から「国民」を分けることはバルカン半島では困難だった」という箇所があります。「国民国家」という考え方がバルカン半島における争いを生んだ、というのです。第一次世界大戦は、ボスニア・ヘルツェゴビナで起きたサラエボ事件が引き金になって、オーストリア・ハンガリー帝国がセルビアに侵攻したことで始まりましたし、1990年代になると旧ユーゴスラビアでは、「民族主義」を掲げたボスニア紛争やコソボ紛争が起きました。 20万人以上の犠牲者を出したボスニア紛争について、「戦火のサラエボ100年史『民族浄化』もう一つの真実」 著者 梅原季哉 発行所 朝日新聞出版 2015年8月25日発行)には「それまでチトーの強烈な指導力の下で抑えつけられていた、民族主義感情が頭をもたげ始め(p.115)」たことが、その伏線にあると書かれていました。

また、同書の著者は「終章」263ページから265ページにかけて、次のとおり意見を述べています。 民族の違いを理由に、敵味方の線を引き、敵対する者を排除しようという考え方は、確かに20世紀のボスニアで何度も繰り返された悲劇の原点だ。90年代の内戦ですっかり用語として定着してしまった「民族浄化」(エスニック・クレンジング)の動きはまさにその典型といえる。その背後では、ほかの民族を標的として憎悪や恐怖心をあおる民族主義思想を、集団幻想としてばらまき、その憎悪をもとに自分たちの権勢を築き上げようとした政治家たちの存在があった。(略)ボスニアの歴史、特にサラエボの人々が積み重ねてきた系譜の中では、そうした民族の違いよりも、人間性という普遍に目を向け、文化や宗教が異なる人々との共存をはかってきた寛容の伝統も受け継がれてきたのだ。そのことを軽視してはならない。(引用終わり)

 ここに書かれた「文化や宗教が異なる人々との共存をはかってきた寛容の伝統」というのは、セルビアから遠く離れた日本に住む、現在の我々にとっても大事なことだと思います。

Ron.

セルビア共和国とその隣国

展覧会見てある記「豊田市美術館コレクション展」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 8月25日開催の協力会行事「あいちトリエンナーレ豊田市美術館会場ミニツアー」に参加した時、受付時刻まで時間があったので豊田市美術館2階で開催中のコレクション展を見てきました。

クリムト展開催中ということから、コレクション展ではクリムトと並んで近代オーストリアを代表する画家、エゴン・シーレとオスカー・ココシュカの作品を展示していました。エゴン・シーレはクリムトを師と仰いだ天才画家、クリムトと同じ年に死去しています。一方、オスカー・ココシュカは「ウィーン工房」に参加したものの「ウィーン分離派」には参加していません。彼は、クリムト展に肖像画が出品されているアルマ・マーラーと恋に落ち、破局したことでも知られています。

なお、豊田市美術館のホームページはコレクション展の目玉としてブランクーシの彫刻《雄鶏》と下村観山《美人と舎利》を紹介しています。

クリムト展の会場は満員でしたが、コレクション展の会場はゆったりとしていました。豊田市美術館の「クリムト展」や「あいちトリエンナーレ」を鑑賞する時は、併せてコレクション展も見ましょう。

◆オスカー・ココシュカ関連の記事がありました

2019.08.25付の日本経済新聞「The STYLE/Art」に掲載された河野孝の「ナチスの略奪(上)」という記事には「1939年6月30日、スイスの観光地ルツェルンのホテルで大規模な美術品の展覧会が開かれた。(略)売り出されたのは、ブラック、ゴッホ、ピカソ、クレー、マティス、ココシュカなど現代の巨匠による絵画と彫刻だった。主に「退廃芸術」としてナチスが没収した作品だった」と書いてありました。

今年の4月に公開されたドキュメンタリー映画「ヒトラーVS.ピカソ」も触れていましたが、ナチスによって「退廃芸術」とされたココシュカの作品は美術館などから没収・売却された、ということです。

今年の美術展ではグスタフ・クリムトとエゴン・シーレが脚光を浴びていますが、併せてオスカー・ココシュカにも目を向けたいですね。豊田市美術館だけでなく、愛知県美術館も作品を収蔵しています。

Ron.

展覧会見てある記 「空間に線を引く 彫刻とデッサン展」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「空間に線を引く 彫刻とデッサン展」(以下「本展」) に行ってきました。戦前の彫刻家・橋本平八と19人の戦後作家の彫刻・デッサンを出品する展覧会で、会場入口は2階です。

◆プロローグ 橋本平八から現代へ 会場に入ると橋本平八の彫刻《片山増吉翁寿像》と彼のデッサンが展示され、その奥に戸谷成雄の彫刻《襞の塊Ⅴ》《襞の塊Ⅵ》とデッサンが展示されています。《襞の塊》は「ひだのかたまり」と読むようで、丸くて大きなレタスを思わせる作品でした。次の部屋のケース内にも橋本平八の彫刻《成女身》とデッサンが展示されており、プロローグは表題どおり「橋本平八の具象彫刻から現代の抽象彫刻へ」という展示内容です。

◆第1章 具象Part1 プロローグの次のブロックには入口近くに柳原義達のブロンズ像とデッサン、ケース内に舟越保武の石像とデッサン、出口近くに佐藤忠良のブロンズ像とデッサンがあります。三人の作品を比べることが出来るので、それぞれの肌触りの違い(もちろん、直接触れることは出来ませんが)がよく分かります。また、舟越保武の作品は、次男・舟越桂、三男・舟越直木の作品が本展に出品されていることもあり、特に印象的でした。

◆第2章 抽象Part1 抽象彫刻になると、会場の雰囲気が一変します。形だけでなく素材も鉄、石膏、ワックスなど様々な物が使われ「なんでももあり」の賑やかな展示でした。なかでも、原裕治の彫刻《マンデリオンの舟Ⅱ》は「どんな道具で削ったのか」不思議な作品で、図録によると、グラインダーで削ったようです。彼のデッサン《けもの道Ⅰ》《けもの道Ⅱ》には、平面の作品なのに周りから木々が襲ってくる感覚を覚えました。また、若林奮の彫刻では犬が顔を出している作品が数点出品されています。彼のデッサンには設計図のような雰囲気を漂わせるものが数点ありました。

◆第3章 抽象Part2 舟越直木の彫刻《Serampore》ではクモを、《The Ace of Heart》ではホウズキを連想しました。彼のデッサン《マグダラのマリア》には、平面なのに彫刻のような雰囲気があります。また、大森博之《昼休み》は、二つのイチジクが寄り添っているような作品。彼のデッサンは色・形ともに「異様な過激さ」を発散していました。2階会場の最後は青木野枝のデッサンと彫刻の展示。展示室で《野外作品のためのプランドローイング》を見て踊り場に出ると、このプランをもとにした彫刻《雲谷(もや)2018-2》がありました。なお、この作品は写真撮影OKです。1階に降りると、ロビーに長谷川さちの彫刻《mirror》と、そのデッサンが展示されています。入口側の展示室に入ると床に椅子が4脚あったので思わず座ろうとしたら、「作品です」と係員さんの制止を受けました。説明のプレートを見たら多和圭三の彫刻《無題》。皆さん、くれぐれもご注意ください。

青木野枝 雲谷2018-2

◆第4章 具象Part2 1階・入口側展示室には、舟越桂と高垣勝康の彫刻・デッサンが展示されています。舟越桂の作品は年代順に展示されているので、作風が変化していった経過がよく分かります。高垣勝康の彫刻は「具象」ですが「モデルに似せよう」という訳ではない「抽象的な具象彫刻」とでもいうべき作品でした。 1階・奥の展示室には、三沢厚彦と棚田康司の彫刻・デッサンが展示されています。どちらも写真撮影OKで、なかでも三沢厚彦の彫刻《Cat2014-06》は子どもたちの人気を集めていました。

三沢厚彦 Cat2014-06
棚田康司 少女

◆最後に  「彫刻とデッサン展」という展覧会名のとおり多数のデッサンが展示されているのですが、彫刻に目を奪われてデッサンを素通りしがちだったのが悔やまれます。展示は前期(8/10~9/1)と後期(9/3~9/23)に分かれているので、後期ではデッサンをじっくり鑑賞しようと思います。 なお、協力会では9月15日(日)午後2時から「空間に線を引く 彫刻とデッサン展」のミニツアーを予定しています。詳細は協力会ホームページをご覧ください。  

Ron.

「キスリング エコール・ド・パリの煌き」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

岡崎市美術博物館で開催中の「キスリング エコール・ド・パリの煌き=フランス語の展覧会名は ”Grande figure de l’Ecole de Paris” 」(以下「本展」) に行ってきました。名鉄・東岡崎からバスで約25分。終点の一つ前のバス停で降車、美術館の玄関を入り、エスカレーターで可成り下ったところに展示室がありました。

◆キスリングの位置づけは 本展は「キスリング、エコール・ド・パリの主役」「アメリカ亡命時代」「フランスへの帰還と南仏時代」の三部構成。といっても、出品作の大半は「キスリング、エコール・ド・パリの主役」です。なお「主役」は “figure majeure” 、展覧会名は ”Grande figure” ですから、キスリングはエコール・ド・パリの「主役」「大人物」という位置づけなのです。

◆キスリングはオーストリア=ハンガリー二重帝国生まれ 展示室のパネルによると、キスリングは1891年、ポーランドのクラクフ生まれ。当時のクラクフはオーストリア=ハンガリー二重帝国の領土でしたから「キスリングはグスタフ・クリムトと同じ国の生まれ」ということになります。

◆キスリング夫人の写真・絵画 出品作の大半は女性の肖像画ですが、花などの静物画や風景画もあります。面白かったのは《女の肖像》です。名古屋市美術館所蔵の《ルネ・キスリング夫人の肖像》と、ほぼ同じポーズでした。ただ、残念ながら《ルネ・キスリング夫人の肖像》は本展に出品されていません……。ルネといえば入り口近くに《サン=トロぺでの昼寝(キスリングとルネ)》が展示され、隣にはキスリングとルネが一緒に写っている写真もありました。

◆アンリ・ルソーの影響も NHK日曜美術館のアートシーン(2019.6.23放送)で紹介された《ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル》は大型の作品で、隣にはキスリングがモデルを抱きしめている写真もありました。「背景の植物はアンリ・ルソーを思わせる」という趣旨の解説があり、キスリングはルソーの影響を受けていることを知りました。

◆「キキのコーナー」も モンパルナスのキキといえば、藤田嗣治《寝室の裸婦キキ(ジュイ布のある裸婦)》のモデルですが、キスリングもキキを好んだようです。本展には「キキのコーナー」が設けられ、《モンパルナスのキキ》《長椅子の女》に加え「特別出品」としてマン・レイが撮影した写真《ヴェールをかぶったキキ》(岡崎市美術博物館所蔵)が展示されていました。3点の中では《長椅子の女》が、目力が強くて印象的でした。

◆藤田嗣治との交流 「モンパルナスのプリンス」と呼ばれ、エコール・ド・パリの画家たちの中心にいたキスリングは「パリの寵児」と呼ばれた藤田嗣治とも交流があり、本展では二人が写った写真や二人のエピソードが紹介されています。

◆最後に  バスの本数が少ないのが難点ですが、エコール・ド・パリの愛好家にはお勧めの展覧会です。(駐車場は広いです)フォーヴィスム風の作品やキュビスム風の作品もあるほか、ティツィアーノ《ウルビーノのヴィーナス》を思わせる作品もあります。  Ron.

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