読書ノート「東洋美術逍遥」(17)橋本麻里(週刊文春2021年6月17日号)

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◆ 国宝 聖林寺十一面観音菩薩立像

今回の「東洋美術逍遥」では、東京国立博物館で開催される特別展「国宝 聖林寺十一面観音 ―三輪山信仰のみほとけ」(6/22~9/12)に出品の十一面観音菩薩立像(以下「十一面観音」)を取り上げています。記事は桜井市の三輪山に対する信仰の起源から始まり「三輪山の麓に鎮座する大神神社(おおみわじんじゃ)は、山に鎮まる神霊を遥拝するのが第一義で、神体を祀る本殿を持たない。」と書き。十一面観音については「大神神社の神宮寺である大御輪寺(だいごりんじ)に祀られていたものが、明治初年の神仏分離令によって、聖林寺に移された」と書いています。ここまで読んで、令和元年12月1日に参加した協力会・秋のツアーを思い出しました。

◆ 協力会・秋のツアーでは

 秋のツアーでは、聖林寺・観音堂に安置されている十一面観音を拝観しました。聖林寺の解説では「廃仏毀釈の時、大神神社に附属して建てられた大御輪寺から聖林寺に移された。岡倉天心とフェノロサに発見され、当初は本堂に安置していたが、大正時代に観音堂を建設して移設。乾漆像で、天平時代に渡来人がつくった」とのことでした。

 聖林寺の建物は、坂道と石段を上がった所にあり、秋のツアー最大の難所でした。また、石段を登り切ると北に、卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳が見えたのが印象的でした。

◆ NHK総合「歴史秘話ヒストリア」でも

十一面観音については、2021年2月10日放送の「歴史秘話ヒストリア」でも「1300年 奇跡のリレー 国宝 聖林寺十一面観音」というタイトルで、廃仏毀釈を逃れて聖林寺に避難してきた話や、明治20年に岡倉天心の案内でフェノロサが聖林寺を訪れ、秘仏だった十一面観音がその姿を現した話、十一面観音に感動したフェノロサが、火事などの非常時に外に運び出せる可動式の厨子を聖林寺に寄進したという話などが、再現ドラマで放送されました。秋のツアーで聞いた話ではありますが、ドラマ仕立てで見ると、臨場感が違いました。

◆ 神と仏の緩やかな共存時代の美

 「東洋美術逍遥」のタイトルは「神と仏の緩やかな共存時代の美」です。記事は「日本古来の神祇信仰と、大陸からもたらされた仏教とが出会い、混淆していく現象を、神仏習合という。早い時期には、神々が仏教に帰依し、修業することを求めていると考え、そのための場として神社の境内などに神宮寺を建立、社僧が仏事をもって神に奉仕するようになった」と書いています。この「緩やかな共存」を断ち切ったのが「神仏分離令」を拡大解釈した「廃仏毀釈」です。

ネットで調べたところ、十一面観音は聖林寺に逃れることができましたが、廃仏毀釈によって大御輪寺の本堂は大直禰子神社の社殿に転用されたとのことです。NHK総合で放送中の「晴天を衝け」の中に水戸の天狗党が出てきますが、幕末から明治初めにかけての混乱の中では、様々な悲劇があったのですね。

 Ron.

愛知県美術館「トライアローグ」展 ミニツアー

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協力会のミニツアーが再開しました。2020年2月16日の豊田市美術館「岡﨑乾二郎展」以来ですから、約1年4か月ぶりです。コロナ禍での再開とあって、ギャラリートーク無し、解説会と自由観覧のみ、という形です。少し寂しいですが、再開できたことだけでも、何よりの幸せです。

参加者は18名。愛知県美術館12階のアートスペースA(一番広い会議室)で、40分間にわたり、副田一穂さん(以下「副田さん」)の解説を聴きました。

◆ゲルハルト・リヒターの作品を800万円ほどで購入

解説会の冒頭で示されたのは、今回出品の愛知県美術館・横浜美術館・富山県美術館の所蔵作品の制作年を縦軸、所蔵年を横軸にしたチャートです。副田さんが言うには「このチャートで美術館の作品収集姿勢が分かります。富山県美術館の所蔵作品は、チャートの下の方に集中しています。これは、作品が描かれた頃、まだ評価が固まった頃に所蔵しているということです。今回出品されているゲルハルト・リヒターの《オランジェリー》は1982年制作ですが、収蔵したのは1984年。描いたほぼ直後に収蔵したということです。当時、800万円ほどで購入したとのことですが、今なら億円単位になるでしょう。一方、愛知県美術館の収蔵作品は、チャートの上の方、つまり、評価の固まったものを収蔵しています。横浜美術館は、バランスよく所蔵しています。」とのことでした。

◆三点並んだポール・デルヴォー

愛知県美術館と聞いて真っ先に思い浮かべる作品のひとつに、三人の裸婦が歩いている、ポール・デルヴォーの《こだま》があります。「トライアローグ」は三館の共同企画なので、ポール・デルヴォーの作品が三点並んでいて、壮観です。副田さんは「三点のなかでは、《こだま》が一番小さいけれど、一番良いと思う」と話していましたが、同感ですね。

◆ゆったりと鑑賞

コロナ禍という事情から、「押すな、押すな」という風景とはまったく違う、落ち着いた雰囲気のなかで、作品と向き合うことができました。マスクを着用し、人との距離も保っているので、とても静かです。

◆最後に

 コロナ第4波の襲来で、5月は蟄居を強いられました。久々の美術館巡りですが、20世紀西洋美術コレクションと向き合えて、生気が蘇った感じがしました。展覧会は6月27日(日)まで、お勧めですよ。

           Ron.

読書ノート 「もっと知りたい やきもの」 柏木麻里 著  株式会社東京美術 発行

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◆特別展「海を渡った古伊万里~ウィーン、ロースドルフ城の悲劇」の記憶を呼び戻すために見つけた本

以前に、愛知県陶磁美術館で開催中の特別展「海を渡った古伊万里~ウィーン、ロースドルフ城の悲劇~」(以下「古伊万里展」)のブログを投稿した後、4月29日と5月8日の二回、中日新聞に古伊万里展の記事が掲載されました。この記事に触発され「古伊万里展の記憶を呼び戻したい」との思いが強くなり、近所の図書館で見つけてきたのが本書(アート・ビギナーズ・コレクション「もっと知りたい やきもの」柏木麻里 著 2020年10月25日発行 発行所 株式会社東京美術)です。書名のとおり初心者にも分かりやすい文章で、図版も豊富なので楽しく読むことができました。本書は縄文時代から昭和の陶芸までを通して説明していますが、今回は伊万里焼に焦点を絞ってみます。

◆染付

白磁にコバルト顔料で青い文様を描いた「染付」について、本書は以下のように書いています。

<14世紀に国際色豊かな中国・元朝で誕生した青花(染付の中国名)は、中東産のコバルト顔料を使い、白磁の釉下に鮮麗な青い文様を描いた。その青の輝きは世界を魅了し、東アジア、欧州、イスラム圏などへ輸出され、各地に青い絵のやきものを芽吹かせる。(略)伊万里染付磁器は、江戸時代初期の1610年代、朝鮮人陶工の手によって、九州・佐賀県有田の古唐津を焼いた窯から誕生した。(略)1640年代頃までの染付を初期伊万里と呼び、口径に比べて極端に小さい高台径など、器形に古唐津と同じ朝鮮のルーツを示しながら、その目指した様式は、桃山茶人の好んだ中国・景徳鎮窯の青花であった。17世紀中頃になると、明朝から清朝への王朝交代期の動乱から逃れて来た中国人陶工たちによって、技術も様式も一気に中国風へ舵を切る。そして磁胎、染付の技ともに洗練をきわめた17世紀末期、伊万里染付には和様の形と文様が花開いてゆく。(p.18)>

古伊万里展では「1.日本磁器の誕生、そして発展」のコーナー(以下「1.」)で、初期伊万里と中国の技術が入った後の染付を並べていました。初期伊万里は、上記のとおり小さな高台でしたが「朝鮮のルーツを示していた」ということなのですね。なお、「NHK美の壺 古伊万里 染付(2006.09.25発行)」によれば、初期伊万里の技術だと「高台を小さくしておかなければ(窯の中で焼いたとき、高温でやきものが柔らかくなると)底がずぼっと落っこちてしまう。(同書p.18)」そうです。

◆古九谷と柿右衛門

 古伊万里展では、染付の次に渋めの緑、紫、黄色の色絵が展示されていました。この色絵を、本書は「古九谷」と呼び、以下のように書いています。

<古九谷と柿右衛門は姉妹である。どちらも染付に次いで登場した伊万里の色絵様式で、1640年代、中国の技術を導入して最初に誕生したのが古九谷であった。濃厚に輝く色彩で寛文小袖など、同時代のファッションに通じる意匠を描き、大名家などの国内富裕層を魅了した。柿右衛門様式は古九谷の意匠を受け継ぎながら1650年代に萌芽、17世紀末に完成する。「濁し手(にごしで)」と呼ばれる素地は鉄分による青みを取り除き、やわらかな純白を得た。そこに赤や黄、緑色などの清明な色絵具で、美しい余白をとって文様を描く。古九谷と柿右衛門の大きな違いは、その享受者にある。国内向けの古九谷に対して、柿右衛門は主に欧州の王侯貴族向けに作られた。(略)古九谷に国内の美意識が窺えるように、柿右衛門様式は、欧州貴族の好みに合わせて洗練をとげてゆく。(p.20)>

 柿右衛門の展示は「1.」ではなく、「2.世界を魅了した『古伊万里』」のコーナーでした。

◆鍋島

 鍋島について、本書は以下のように書いています。

<鍋島は伊万里陶磁器の中でも、将軍に献上するために作られた特別な一群である。(略)将軍家や御三家への例年献上が始まるのは17世紀半ばのこと。1690年秋には、日本磁器の最高峰といえる質に達する。元禄期に五代将軍・徳川綱吉による大名屋敷への御成(訪問)が盛んに行われ、将軍の器として、上質磁器への需要が高まったことが要因と考えられている。献上内容の大部分を大小の皿が占め、大きさも三寸、五寸、七寸、一尺と決められていた。(略)五節句など、旧暦の季節行事をモチーフとした意匠も多い。染付で文様の輪郭をとり、その中を清澄な色で染める繊細優美な色絵は、八代将軍・徳川吉宗の時代に奢侈とみなされるようになる。以後、色絵を加えない染付と青磁釉のみの装飾になるが、そこにもまた涼やかで高雅な世界が生まれる。藩窯は、幕藩体制が終焉を迎える19世紀後半まで続いた。(p.22)>

 古伊万里展では「1.」の最後が鍋島で、同じデザインの皿が、色絵と染付のセットで展示されていました。色絵の皿が染付の皿に変わったのは、上記のような事情があったのですね。著者は染付を「涼やかで高雅」と表現していますが、私も展示を見て、同じような感想を持ちました。

◆金欄手

 金襴手は古伊万里展のなかで一番豪華な展示でしたが、本書は以下のように書いています。

<絢爛豪華――金襴手ほどこの言葉のふさわしい日本のやきものはないだろう。柿右衛門に続いて欧州貴族を虜にしたのが、金彩を惜しみなく使った金襴手様式である。(略)重みのある色彩美は、柿右衛門様式の対極をゆく。それは、明清交代期に欧州市場を失い、17世紀末に巻き返してきた中国磁器との競争に勝利するために作られた、量産向けの新機軸であった。金襴手は欧州の城館を飾る人気商品となり、伊万里の後を追う中国の景徳鎮窯、さらに欧州各国の窯が続々と模倣するほどの影響力を誇った。金糸の入る織物を連想させる「金襴手」の名は当時から使われている。国内向けの製品もあり、好景気に沸く元禄文化の担い手となった裕福な商人たちが、贈答や宴席用に華麗な金襴手を好んだからである。欧州向けの多くが美人画や屏風など、いかにも日本風の意匠であるのに対して、国内向けの特に上質な「型物」と呼ばれる鉢には、華麗な色彩を幾何学文様の中に織り込んだ、緻密な作風が多い。18世紀中頃になると、中国との価格競争に敗れた伊万里は、ついに輸出磁器の舞台を降りる。金襴手は、輸出伊万里が最後に咲かせた大輪の花であった。(p.24)>

 古伊万里展では、愛知県陶磁美術館だけの展示ですが「輸出の終焉~国内向け製品」というコーナーがありました。展示されていた「国内向け製品」の記憶は大分薄れてきましたが「緻密な作風が多い」という印象は残っています。

◆世界を駆ける伝言ゲーム

 古伊万里展の第二部には、「3 城内に伝えられた西洋陶器」というコーナーがあり、オランダ、オーストリア、イギリス、デンマーク、ドイツの陶磁が展示され、古伊万里のデザインが少しずつ変化していくのを面白く見た記憶があります。この点について、本書は以下のように書いています。

<ドイツのマイセン窯、フランスのシャンティ―窯、イギリスのウースター窯などの多くの窯で、柿右衛門を写しながら磁器生産が開始され、成長してゆく。この一連の動きには、ちょうど伝言ゲームのように、柿右衛門意匠が少しずつ変化してゆくという楽しいおまけがついていた。柿右衛門の定番意匠「粟鶉文(あわうずらもん)」をみてみよう。17世紀末に輸出を再開し、欧州市場の奪還を狙う中国・景徳鎮の皿には、粟の穂の上にバッタが描き加えられ、中国草虫画(そうちゅうが)の伝統を感じさせる。そしてオランダ・デルフト窯の粟鶉文ときたらクレヨンでぐいぐい描いた童画のように、素朴な雰囲気に大変身。スタート地点の柿右衛門の、典雅な雰囲気は一体どこへ行ったのだろう。(p.70)>

(おまけ)志野と織部

 愛知県陶磁美術館では常設展も見ました。2階の展示室で見た織部と鼠志野が特に印象的でしたが、志野・織部について、本書は以下のように書いています。

<志野と織部も美濃窯で焼かれた。16世紀末に現れた志野は、日本で最初に作られた白いやきものであった。中国白磁への永い憧れの末に、長石釉によって、ふわりと淡雪のような、日本の温かい白を生みだした。志野茶碗を手にとると、見た目の温かさの一方で、どっしりとした石のような冷たさがあり、その意外性も魅力である。釉下に鉄絵で文様を描くことも、大きな革新であった。(略) 志野に少し遅れて生まれたのが、鼠志野である。まず鉄釉をかけ、文様の部分を搔き落としてから、長石釉をかける。すると文様は白く、その余の部分は長石釉の白とあいまって、青味がかった美しい鼠色となる。織部は17世紀初めから作られ、わずか十年ほどの間に、時代を塗りかえる新機軸を打ち立てた。円形を基準とするそれまでの規格を打ち破り、扇面形、誰が袖形、千鳥形など多彩な形のうつわを、艶めく緑釉で飾った。千利休の高弟である武将茶人、古田織部の名に由来するが、織部本人が直接関わったかどうかは不明である。(p.15)>

 また、本書p.5には「作り手がデザインを決定したのではなく、誰が使ったのか、誰に向けて作られたのかという享受者の文化が、やきもののデザインには大きな影響力をもっていた」という文章があります。本書p.26の「平安京以来の都には、志野・織部の注文主であった富豪たちが暮らし」ていた、という文章と合せると、志野・織部のパトロンは京の豪商たちであり、彼らの文化が志野・織部のデザインに大きな影響力をもっていた、と考えることができます。

 Ron.

展覧会見てある記 「HAPPY YELLOW」豊橋市美術博物館

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豊橋市美術博物館の1階・特別展示室で開催中のコレクション展「令和3年度第1期“HAPPY YELLOW”」を見てきました。令和2年度のテーマ「赤」「白」「青」に続く、4回目の「色」をテーマにした展示です。解説では、黄色のイメージについて「やさしさ」や「あたたかさ」と書いています。また、“HAPPY YELLOW”については「黄色を効果的に用いた作品」に「ささやかな幸福感を見出していただければ幸いです」と書いていました。14点の作品が展示されていますが、うち7点について感想などを書いてみます。

◎入口の作品は

 展示室の入口に展示の木村忠太《樹の下で》(1976)には、黄色の画面に4本の縦線や緑の点、白い長方形などが描かれています。題名から推測すると4本の縦線は二本の樹の幹で緑の点は森、白い長方形はトラックの箱型荷台かな。そうすると、トラックの左に描かれているのは乗用車で、青く塗られた所は道路のように見えます。奥行きの無い、子供が描いたような絵ですが、画家の記憶にあるイメージは確実に表現していると思いました。

◎女性の存在感が圧倒的な《男女》

 中村正義《男女》(1963)は、名古屋市美術館も同時期の制作で、同じ題名の作品を所蔵しています。名古屋市美術館所蔵の作品は横長で、男女同じサイズの顔が並んでいますが、コレクション展に出品されているのは縦長で、画面中央に日本髪・和服の女性が大きく描かれ、男性は画面右の僅かな余白に身を潜めるような感じで立っています。「原始女性は太陽であった」という言葉を思い起こさせる作品でした。

◎パウル・クレー? ジョアン・ミロ?

 星野眞吾《地図による作品》(1953)は、黒い画面に黄色を基調にした菱形が幾つも描かれ、その上に赤や黒の線を重ねた作品です。菱形を見ているとパウル・クレーの作品を連想し、篆書のような赤や黒の線はジョアン・ミロを連想させます。「地下鉄の路線図からイメージを得た」という解説が付いていました。

◎アプリコット・イエローの家

 荻須高徳《黄色い家》(1984)の主題は、こげ茶の屋根の二階建の家。二階の壁は白色一階はオレンジ色です。一瞬「オレンジ色でも黄色?」と思ったのですが、よく見るとアプリコット・イエロー=黄赤色の壁でした。黄色が表す範囲は広いのですね。一階の窓越しに見える棚には籠が置かれ、パンのようなものが入っています。

◎ディック・ブルーナの絵本のような

笠井誠一《室内(観葉植物のある)》(1986)は、クリーム・イエローの壁に囲まれた、灰色の床のアトリエに置かれた白い丸テーブルと観葉植物、うす茶色のイーゼルとこげ茶色の額縁を描いた作品。いずれも、太い褐色のシンプルな輪郭線で囲まれています。ディック・ブルーナの絵本を思わせますが、絵本とは違って原色ではなく、柔らかな色彩で塗られているので穏やかな気持ちになる作品です。

◎砂漠? 砂浜?

大場厚《雲》(1975)は、画面上部7分の1ほどが空で、その他の大部分は黄色く塗られています。砂漠なのか、砂浜なのか分かりません。画面右下には、カトレアを挿したコップが描かれています。不思議なのは、このコップが空中に浮いているように見えることです。花と風景は別々の世界に存在しているのでしょうね。

◎スーパーリアルなのに感じる「作り物感」

上田薫《玉子にスプーンA》(1986)は、殻の上部を取った半熟玉子にスプーンを突き刺したところを描いた作品です。スプーンはピカピカに磨かれているので、凹面鏡のように周囲の様子を写しています。展示室に駆け込んできた幼児が、この絵を見て「写真だ!」と叫び、追いかけてきた母親から「静かにしなさい」と注意されていました。黄身のトロっとした触感や殻の割れ目、スプーンの光沢など、まさにスーパーリアリズムです。ただ、写真と違って「作り物感」があるのは何故でしょうか。写真だとスプーンに撮影者も写り込みますが、この作品に撮影者は写っていません。とはいえ、撮影者の写り込みが描かれた作品を想像しても「作り物感」は残ります。なぜなのでしょう?絵に不純物が描かれていないからでしょうか?

◎最後に

 4月25日(日)付の日本経済新聞「美術館常設展 広がる世界」という記事は、美術館常設展の魅力について以下のように書いています。

〈常設展の入場料はたいがい数百円程度。人気企画展のように人の頭越しでなく、ピカソやモネの名画とも対面できる。(略)美術品は年齢を重ねるごとに見え方も変わる。その時々の気分や時代の状況で印象が異なることもある。(略)いつでもそこにあるのがコレクションの魅力。人生に伴走してくれる(略)そんな「人生の伴走者」を見つけに、行ってみませんか、常設展へ。〉

なお、“HAPPY YELLOW”の会期は7月11日(日)まで。入場無料です。

Ron.

展覧会見てある記  特別展「海を渡った古伊万里」 愛知県陶磁美術館

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昨年放送のNHK・Eテレ「日曜美術館・アートシーン」(12/06)や「週刊文春」(12/17号)で紹介された展覧会が、瀬戸市の愛知県陶磁美術館(以下「陶磁美術館」)で開催されています。展覧会名は、特別展「海を渡った古伊万里 ~ウィーン、ロースドルフ城の悲劇~」(以下「本展」)。陶磁美術館で受付を済ませて第1展示室に進むと、入口に一対の壺が展示されていました。壺は水を入れる円柱状の内筒と、亀甲の透かしが入り色絵で装飾された外筒の二重構造。展示されている二つの壺のうち、奥の壺は外筒の一部が欠けて内筒が見える状態で「部分修復」という説明がありました。なお、破損した断面は素地で薄く覆い、滑らかになっています。本展のみどころの一つは「破片を接合して修復した作品」ということをアピールする展示でした。

第Ⅰ部 日本磁器誕生の地―有田(第1展示室)

本展の第1部は古伊万里の歩み。「古伊万里」の範囲は人により違いがあるようですが、本展では「明治期も含める」としています。以下、「作品リスト」に従って見ていきます。

1.日本磁器の誕生、そして発展 

1 染付磁器

染付(そめつけ)というのは、素焼きした白い磁器に呉須(コバルトを含んだ鉱物)で文様を描き釉薬をかけて焼成した磁器。青花(せいか)とも呼ばれ、青味のある素地に浮かぶ青い線が爽やかです。中国・景徳鎮で焼かれたものは祥瑞(しょんずい)とも呼ばれます。

最初の《染付唐獅子文大皿》(1630~40年代)は素地がくすんでおり、発色も良く言えば「味がある」もの。裏面には文様がなく、小さな高台です。次の《染付山水唐草文輪花大皿》(1640‐50年代)になると中国の技術が入って、青の発色が鮮やかになっています。皿の縁も型を使って高く折り紙のようになり、裏にも文様が描かれています。高台は大きくなり、ハリで支えた三点の跡があります。中国からの技術導入により、見違えるほどに出来映えが良くなっていました。

2 色絵磁器の誕生

色絵は、五彩手(ごさいで)赤絵、錦手、金襴手(きんらんで)とも呼ばれ、釉薬の上から色を塗って焼き付けたものです。最初の《色絵松唐人文輪花大皿》(1640年代)は、中国・明末の色絵祥瑞(祥瑞の上に色を塗って焼き付けたもの)に倣った作品とのこと。絢爛豪華とはいえないものの、色がつくと華やかです。《色絵牡丹鳥文大皿》(1650年代)は素地に青味があるためか、渋めの緑、紫、黄色の色絵です。

3 食のうつわ

ロクロ成形しただけの器は円形ですが、ここに展示されているのは丸みを帯びた六角皿や、細長い八角皿、花びらのような形の皿などの変形皿です。ロクロで成形した粘土板を型に乗せ、縁を切りとって成形した製品とのことでした。型に乗せて、凹凸を付けた皿もあります。

4 鍋島藩窯のデザイン

 徳川家への献上品として、1650年代に始まった最高級品です。《色絵有職文皿》(1660‐70年代)は、細密に描かれた花模様に埋めつくされ、黄、赤、緑、青の発色も鮮やかな皿です。《色絵棕櫚葉文皿・染付棕櫚葉文皿》(色絵:1690‐1720年代、染付:1700-30年代)は、同じデザインの色絵と染付のセット。色絵は華やかで、青色だけの染め付けには爽やかさがあります。色絵と染付、それぞれの良さを感じることができるセットです。また、素地の色も、色絵は赤色の発色を良くするために乳白色ですが、染付だと釉薬の関係で青味があります。

陶磁美術館のコレクションも、2点を追加出品していました。さすが、陶磁器の美術館です。

2.世界を魅了した古伊万里

2 柿右衛門様式

リストの順番は「2」ですが、並んでいる順番は「柿右衛門様式」の方が先です。染付のような青味のある素地ではなく、「濁し手(にごしで)」という、温かみのある乳白色の素地が特徴です。素地に青味があると、赤色が沈んでしまいますが、素地が濁し手だと赤色の発色が鮮やかです。このコーナーには《色絵松竹梅岩鳥文輪花皿》(1670‐90年代)のように、余白を生かした繊細な図柄の作品が並んでいるほか、女性像や狛犬もありました。陶磁美術館のコレクションは、3点が追加出品されています。

1 宮廷を彩った花瓶と壺、華やかな皿

宮廷の展示風景を再現した展示が見ものです。展示ケースの中に金襴手の壺や皿が並び、壮観です。また、このコーナーには陶磁美術館のコレクションが16点追加出品されています。ただ、全てが宮廷の展示風景が再現された中に並んでいる訳ではなく、オランダ東インド会社のロゴ(VOC)がデザインされた大皿やオランダ・デルフト焼の盤など、別個に展示されている作品もあります。とはいえ、陶磁美術館のコレクションを多数追加しているので、再現された宮廷コレクションの展示風景の豪華さは、半端ではありません。

3 瀟洒な器たちーーコーヒー、紅茶、チョコレート

 有田焼のポットや取っ手の無いカップとソーサーのセット等と並んでドイツ・マイセン窯やイギリス・ウースター窯、フランス・セーヴル窯の皿や取っ手のあるカップとソーサーのセット等も展示されています。

コーナー 輸出の終息~国内向け製品

 1684年以降に清朝が陶磁器の輸出を再開すると、古伊万里は景徳鎮窯の製品との価格競争に敗北して、輸出量が減ったため、18世紀中ごろに海外貿易は終息し、有田は実用品の生産に方向転換したとのことでした。なお、このコーナーの展示品5点は、全て陶磁美術館のコレクションによる追加出品です。

3.万国博覧会と有田焼

1 幕末、明治初期の輸出品

終息していた海外貿易が復活するのは1840年代です。有田の豪商・久富家が始め、1856年には田代家が引き継ぎ、1867年のパリ万博には幕府とは別に薩摩藩・佐賀藩が共同で出品。パリ万博を契機に有田焼が再び脚光を浴びるようになります。1869年にはドイツ人の科学者、ゴットフリート・ワグネルが有田に招かれ、①呉須に替わるコバルト顔料の使用、②釉薬の研究、③石炭窯の開発を伝えています。

2 香蘭社の創業

1876年のフィラデルフィア万博に向けて1875年に「合本組織香蘭社」が創業します。香蘭社が製造した《色絵丸文大花瓶》(1875-79)等は、デザインを古伊万里に倣っているものの、精緻な文様と鮮やかな発色には近代の息吹を感じました。

3 コラム 古伊万里、西洋へ (通路)

以上で、第1展示室の展示は終わり、第8展示室に通じる通路には有田焼の瓶を改造したランプ台や時計などが展示されていました。

第Ⅱ部 海を渡った古伊万里の悲劇―ウィーン、ロースドルフ城(第8展示室)

2.ロースドルフ城の悲劇 破壊された陶磁コレクション 

 第2部は第二次世界大戦後、ウィーンのロースドルフ城を接収した旧ソ連軍が破壊した陶磁器コレクションの破片、修復品、破壊を免れたコレクションを展示しています。作品リストでは2番目ですが、第8展示室に入って最初に目に飛び込むのは、破壊された陶片と、修復された白磁の壺2点です。壺はいずれも20世紀初期のマイセン窯とのこと。修復の跡が分からないような出来でした。

1.ウィーン、ロースドルフ城のコレクション

1 城内に伝えられた日本陶磁

最初に展示されていたのは、周りに透かしの輪違い文がある皿が3点。ところが、そのうち一つは破壊されて、周囲の透かし文が無くなり無残な姿になっていました。また、1750年代から1830年代までの陶磁は作品リストに見当たりません。第Ⅰ部のコーナー「輸出の終息」に書かれているように「1684年以降に清朝が陶磁器の輸出を再開すると、古伊万里は景徳鎮窯の製品との価格競争に敗北」したためだと思われます。

2 城内に伝えられた中国陶磁 

ロースドルフ城のコレクションでは中国・景徳鎮の陶磁の割合が一番大きいとのことです。また、出品リストの陶磁は、景徳鎮窯が輸出を再開し日本陶磁との価格競争に勝利した17世紀後半以降のものでした。

3 城内に伝えられた西洋陶磁

展示を見て、ウィーンの宮廷を彩った陶磁器は、中国・日本だけでなく、オーストリア・ウィーン窯、イギリス・ウェジウッド窯、デンマーク・コペンハーゲン窯、ドイツ・マイセン窯など多岐に渡っていたことが分かりました。中国・日本の意匠をもとにした製品でも、それぞれに個性があるので見飽きません。

4 伝世品に見られる文様の交流史 

 景徳鎮窯で焼いた器をオランダで絵付けした《五彩花鳥文鉢(組み上げ修復)》(18世紀後半)や古伊万里の金襴手を真似た《色絵唐獅子牡丹文様蓋付壺》(19世紀)など、文様の東西交流がわかる展示でした。

3.「破壊」から「再生」へ  蘇った陶片 

陶片を組み上げて元の壺や皿を修復する工程がパネルと動画で紹介されていました。修復された陶磁器も一緒に展示されています。陶磁器の破片は、割れた時に少し変形するので、ズレなく接合するのはかなり難しいようです。繊細で根気のいる仕事によって修復された陶磁器を見ると、感動してしまいますね。

最後に 

予想以上に充実した展覧会でした。陶磁美術館のコレクションも多数出品されているので、展示に奥行きが出ているように感じます。陶磁美術館は常設展示も充実しており、世界の陶磁器や人間国宝が制作した陶磁器を鑑賞できます。常設展を見ると、江戸時代には瀬戸でも青花や色絵の磁器を生産していたことが分かります。ベトナムの《青花草花文盤》(15‐16世紀)もありました。お勧めの展覧会です。

Ron.

展覧会見てある記 「ランス美術館コレクション」名古屋市美術館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

ランス美術館のコレクションが再び名古屋市美術館にやってきました。約3年半前、2017.10/7~12/3に名古屋市とランス市の姉妹都市提携を記念して開催された「ランス美術館展」(以下「前回展」)は藤田嗣治の作品をメインに、17世紀から20世紀までの作品が出品されていましたが、今回の「ランス美術館コレクション」のテーマは「風景画のはじまり コローから印象派まで」。年代でいえば前回展の第2章「革命の中から近代の幕開けを告げる」と第3章「モデルニテ(注:近代性)をめぐって」に該当しますが、前回展とダブるのはブーダン《ベルク、船の帰還》(姉妹都市提携記念特別作品)とシスレー《カーディフの停泊地》(第3章)の2点だけ。爽やかな気分になる作品が並び、文字どおり「コローから印象派まで」の流れがわかる展覧会です。

◆1 コローと19世紀風景画の先駆者たち

受付を済ませ、記念撮影ができるエントランスを抜けると5点の風景画が並ぶ小部屋です。解説によれば、風景は歴史画の背景として描かれていましたが、19世紀になると戸外に出て目の前の風景を描くようになり「風景画」が独立したとのこと。この部屋には「風景画の先駆者たち」の作品が出品されていました。

◆1の続き カミーユ・コローの作品が16点

小部屋を出て左に進むと、カミーユ・コローの作品が16点も並ぶ本展のメイン展示室。最初の作品は噴水と立木が作るトンネルの向こうに大聖堂のドームが見える《ヴィラ・メディチの噴水盤》。噴水と立木が真っ暗なので、自然と大聖堂のドームに目が引き付けられます。順路に沿って進むと4点目の《川を渡る》から、右上に空を描いた作品が続きます。青い壁の特等席に飾られているのは《イタリアのダンス》、中日新聞で紹介されていましたね。この作品の空は、真ん中のやや上でした。さらに進むと《突風》から空が左上に移り、最後の《地中海沿岸の思い出》まで、同じ構図の作品が続きます。展示の仕方が工夫されていて、面白いです。

◆2 バルビゾン派

コローに続くのは、バルビゾン派の作品。最初はジュール・デュプレ《風車》。地平線が真ん中よりも下なので、空が広く、雲の淡い感じが爽快です。地面に描かれた2台の風車、牛、アヒルなど、どれもバランスよく配置されているので、絵に安定感と動きがあります。アンリ=ジョセフ・アルビニー《ヨンヌの思い出、サン=プリヴェからブレノーへの道》は、青い空と白い雲が印象的で、点景の女性がアクセントになっていました。穏やかな風景に心が和みます。印象主義を思わせる画面の明るさが、心地よい良いです。

◆3 画家=版画家の誕生

ドービニーの版画は三重県立美術館のドービニー展(2019.9/10-11/4)でも見ましたが、ほかの画家の作品もエッチングによる細密描写なので、写真みたいです。サイズが小さくてモノクロで地味なのですが、油絵のような雰囲気は出ているので、コレクターは作品を手に持ち、眺めて楽しんだのでしょうか。

展示室の最後に油絵の絵の具の進化が展示されていました。①中世からルネサンスまでは、絵を描く都度、顔料と油を練り合わせ、②17世紀には練り合わせた絵の具を豚の膀胱に入れ、③1828年には注射器の形をした絵の具の容器が発明され、④1841年に錫製のチューブが発明され、1860年代にはかなり普及したとのことです。 

◆4 ウジェーヌ・ブーダン

2階の展示はブーダンの作品7点から始まります。最初に《ベルク、出航》と《ベルク、船の帰還》が並んでいますが、《船の帰還》が朝なのか夕方なのか判然としません。出航した船に照明設備が見当たらないので、昼間に漁をして夕方に帰還したのではないか、と考えたのですが、それで良かったでしょうか?

赤い壁の特等席に飾られた作品は中日新聞で紹介された《水飲み場の牛の群れ》。この作品以外は全て海の風景で、順路に沿って進むと少しずつ明るい絵になり、最後の《上げ潮》は印象主義の絵のような明るさです。

◆5 印象主義の展開

 最初の作品フェリックス・ジェム《コンスタンティノープル(イスタンブール)》は、ブーダンの作品と同じ雰囲気。順路に沿って進むうちに「いかにも印象主義の作品」と分かる、カミーユ・ピサロ《ルーヴル美術館》にたどり着きます。この部屋の展示も、工夫していますね。

◆地階では

地階では、特別展「アートとめぐる はるの旅」を開催していました。ここでも風景画を展示していますが、「ランス美術館コレクション」の出品作とは、感じが違います。「どこが違うのか」と問われてもうまく表現できないのが、もどかしいです。エッチングの作品もあります。面白いのは、同じ版を使い、陽画と陰画の両方を刷っている浅野弥衛の作品。エッチングの版を凸版として印刷すると、真っ黒な画面の中から彫った線が白く浮き出て「写真のネガ」のようになるのですね。

         Ron.

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