展覧会見てある記 豊田市美術館「ゲルハルト・リヒター」展

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

スマホに、豊田市美術館(以下「豊田市美」)で開催中の「ゲルハルト・リヒター」展(以下「本展」)のニュースが二つ飛び込んできました。ひとつは、WEB版の「芸術手帖」(2022.10.15付、URL=https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/26164)で、もうひとつは「号外NET豊田市」(2022.10.18付、URL =https://toyota.goguynet.jp/2022/10/18/toyotasibijutukann-geruhaito-rihita/)です。どちらのニュースにも画像が掲載されていますが、「号外NET」は展示室内の内覧会出席者と学芸員を写した写真を掲載。それを見ていたら、じっとしてはいられなくなり、豊田市美に行ってきました。

◆本展の顔は赤ちゃん・4つの展示室を使う大規模なもの

 豊田市美に向かう坂を登っていくと「ゲルハルト・リヒター」の文字と赤ちゃんの絵が見えます。玄関を抜け、長い廊下を進むと、1階・展示室8の入り口に「ゲルハルト・リヒター」と書かれていました。

 受付を済ませ、16ページもある作品リストを手にすると、実に優れものでした。作品リストだけでなく、展示作品の概要が付記された会場マップと、4ページにわたる「リヒター作品を読み解くためのキーワード」(以下「キーワード」)までも載っています。会場マップによると、本展は1階・展示室8に加え、2階・展示室1、3階・展示室2-3の、計4室を使った大規模な展覧会でした。

◆1階・展示室8

・第1エリア

 1階・展示室8は、大きく4つのエリアで構成されています。

第1エリアは細長い部屋で、最初の作品は《モーターボート(第1ヴァージョン》1965、広告写真を拡大した油彩画=「フォト・ペインティング」です。キーワードの解説には「リヒターは写真に隷属するように絵画を描くことから画家としてのキャリアをやり直したのでした。しかしそういう迂回を経ることによって、逆説的に描くべき対象をどのように選ぶかが重要になっていくのです」と書いてありました。

この「写真に隷属するように絵画を描く」ことについて、日本経済新聞(2022.6.25)の展覧会評は「画家自身の意図や癖をできる限り排除した手法」と表現していました。

 2番目の《グレイの縞模様》1968は抽象画。3番目の《8人の女性見習看護師(写真ヴァージョン)》1966/1972は、殺人事件の報道写真を元にしたフォト・ペインティングの複製写真を写真作品として制作したもの。「フォト・エディション」というようです。キーワードの解説には「絵画の代替という役割もありながら、その多くは寸法、トリミング、色彩、額装方法など、さまざまな仕方でオリジナルとことなっています」と書いてありました。一見すると何の変哲もない作品ですが、「殺人事件の報道写真」と聞くと、インパクトがあります。フォト・ペインティングの解説後半の「描くべき対象をどのように選ぶかが重要になっていく」というのは、このことだと思いました。

 入口の近くには赤色の鏡《鏡、血のような赤》1991も展示。「ガラスと鏡」というキーワードの解説には「置かれた場所やその時々によってあらゆるイメージを映し出す」と書いてありました。確かに、展示室に置かれた鏡に映りこんだものを見ていると、「これも作品だ」と思うようになります。

 第1エリアの一番奥では14分32秒の映像作品を上映。その手前に展示の《アブストラクト・ペインティング》1992は、アルミニウムの上に描かれた作品でした。所々にアルミニウムの地金が見えます。アルミニウムと油絵具の相性について家に帰って調べたら「塗装は困難。表面処理が必要。地金が温度変化で伸び縮みするので絵の具に亀裂が生じることがある」等、おそろしいことが書かれていました。

・第2エリア

 第2エリアは二つの区画で構成。最初の作品《黒・赤・金》1999は、左から黒・赤・金という配色。ドイツの国旗(上から黒・赤・金)と同じ色です。作品解説には「ドイツ連邦議会議事堂エントランスホールのモニュメントの習作」と書いてありました。リヒターは国家的作品を任された「大作家」なのですね。

 《黒・赤・金》の左は《アブストラクト・ペインティング》1999で、その左には、豊田市美の玄関で見た赤ちゃんがいました。《モーリッツ》2000/2001/2009という作品で、解説には「1995年に生まれた長男が8カ月の時の写真をもとに2000年に仕上げ、2001年、2009年に加筆」と書いてあります。何を加筆したのか、解説だけではわかりませんが、作品表面の黒い刷毛目は加筆されたものだろうと思われます。

 第2エリア・二番目の区画には、写真に油絵具で彩色した「オイル・オン・フォト」が多数並んでいます。キーワードの解説には「絵画と写真、再現性と抽象性が拮抗しあうという点で、小さいながらもリヒターの創作の核心を端的に示してくれます」と書いてありました。オイル・オン・フォトの中で《1998年2月14日 14.2.98》1998は、本展の紹介記事でよく見た作品です。赤ちゃんを抱く母親を撮った写真なので、目を引くのでしょうか。

・第3エリア

 第3エリアは、部屋の中心に《8枚のガラス》2012が置かれ、その周囲の壁にカラーチャート《4900の色彩》2007と、《ストリップ》2013~2016と《アラジン》2010が展示され、最もカラフルな空間になっています。カラフルな作品に取り囲まれているので、《8枚のガラス》に映り込んだ画像もカラフルです。

 「カラーチャー」について、キーワードの解説には「既製品の色見本の色彩を偶然にしたがって配する」ものと書かれ、「ストリップ」については「ある一枚の《アブストラクト・ペインティング》をスキャンしたデジタル画像」を分割して再構成したものと書かれ、「アラジン」については「一種のガラス絵」と書かれていました。アラジンはガラスの裏から描くので、鮮やかな色彩を楽しめます。

・第4エリア

 第4エリアには本展で一番注目されている作品が並んでいます。第3エリアから見て正面には《ビルケナウ》2014を配置。《ビルケナウ》に向き合うように《ビルケナウ(写真ヴァージョン)》2015~2019を配置しています。

また、《ビルケナウ》に向かって左の壁には《ビルケナウ》の元になった《1944年夏にアウシュヴィッツ強制収容所でゾンダーコマンダー(特別労働班)によって撮影された写真》を配置、右手の壁には《グレイの鏡》2019を配置しています。《グレイの鏡》に向き合うと、他の3つの作品だけでなく、展示室内の来場者も同時に見ることができます。よく練られた作品配置だと感心しました。

 なお、《ビルケナウ》は、フォト・ペインティングの手法で元になった写真を描いていますが、それは塗りつぶされ、見ることはできません。フォト・ペインティングの解説に「描くべき対象をどのように選ぶかが重要になっていくのです」と書いてありましたが、《ビルケナウ》でも重要なことは、「描く対象にアウシュビッツ強制収容所で撮影された写真を選んだ」ということになるのでしょうか。

◆2階・展示室1~3階・展示室2-3

 2階・展示室1ではアブストラクト・ペインティングを展示、3階・展示室2では2021年に制作したドローイングを、展示室3ではアブストラクト・ペインティングに加えて、2022年に制作した水彩絵の具によるドローイングのフォト・エディション《ムード》2022を展示していました。《ムード》は豊田市美だけの特別出品とのことです。

◆コレクション展 反射と反転 (展示室4-5)

 3階・展示室4と2階・展示室5で開催中のコレクション展では、リヒターと同じように鏡を使った作品を展示していました。プリンキー・パレルモ《無題(セロニアス・モンクに捧げる)》1973と、ミケランジェロ・ピストレット《窃視者(M・ピストレットとV・ピサーニ)》1962,72の、2点です。

◆未生(みしょう)の美 ― 技能五輪の技 (1階・ギャラリー)

 1階・ギャラリーでは、技能五輪の出場者が旋盤やフライス盤などで加工した製品や製品の写真などを展示する「未生(みしょう)の美 - 技能五輪の技」も開催しています(11月27日(日)まで)。

◆観覧料について

 本展の当日券は大人1枚1,600円ですが、オンライン・チケットなら1,500円(購入は豊田市美のホームページから)。受付でスマホまたはプリントアウトしたチケット情報を見せれば入場できるようです。思い切って年間パスポート(3,000円)を購入すると、豊田市美で開催される展覧会を1年間、観覧できます。

Ron.

読書ノート 『芸術新潮』2022年8月号

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

7月25日に発売された『芸術新潮』2022年8月号。ガブリエル・シャネルの特集以外にも、第2特集の「こけし」、「ゲルハルト・リヒター展」展覧会評など、内容が豊かでした。以下、概要をご紹介します。

◆特集「シャネルという革命」

現在開催中の「ガブリエル・シャネル展」は、7月17日付日本経済新聞や7月24日AM9:45放送のEテレ「日曜美術館」の「アートシーン」でも取り上げていましたが、『芸術新潮』の特集は何と63ページで、グラビアも豊富です。そのままで単行本になる本格的なものでした。とても全部は紹介できませんので「リトル・ブラック・ドレス」関連に絞ります。(p.〇は『芸術新潮』のページ数を示す)

〇CULMN 1 モダン・パリのクチュリエたち

ポール・ポワレがデザインしたコルセットの要らないドレスについて「ポワレが真に女性の解放者だったかといえば、そうではない。(略)1910年に発表した先のすぼまったホッブル・スカートは、まったくもって動きづらいものだった」として、シャネルが「その芝居がかったデザインを痛烈に批判している。ポワレにとってモードは舞台同様、芸術だったが、シャネルにとってのモードは決して芸術などではなかった」と書いています。(p.37)ポワレは、機能性よりも「見た目」を重視したということですね。

〇Ⅲ 1926- リトル・ブラック・ドレスの衝撃

 記事の最初で、ポール・ポワレが黒い服を着たシャネルに「誰を悼んでいるのかね?」と皮肉ったところ、シャネルは「貴方ですよ、ムッシュー」と答えたという逸話を紹介。「真偽のほどはあやしいが、シャネルによるラディカルなモードの変革を苦苦しく眺めていたポワレと、そのポワレのデザインを強い意志をもって葬り去ろうとしていたシャネルの姿勢を物語るものとして、大変よくできている」と締めくくっています。

また、展覧会監修者のひとり、ガリエラ宮パリ市立モード美術館館長・ミレン・アルシャリュスは「ひとくちにリトル・ブラック・ドレスといっても素材やデザインはさまざまで、刺繍やレースが用いられたものもあります。ただし、シンプルなシルエットと着心地のよさ、このふたつについては、シャネルは絶対に妥協しませんでした。自由で活動的な女性のためのシャネルの服は、キャリアの最初期からアメリカで人気がありました」と、解説しています。(p.54)

ほかに面白いと思ったのは、1953年にシャネルが14年ぶりに復帰した理由は「クリスチャン・ディオールが許せない」という鹿島茂と原田マハの対談。(p.64)ディオールのコルセットで絞ったウェストとひらひらしたスカートにショックを受け、シャネルは「この状況をどうにかしなければという焦燥感に駆られた」という、ミレン・アルシャリュス館長の解説もありました。(p.67)

◆第2特集 ひそやかに熱く。 東北が生んだ宝もの、こけし再発見

 東京ステーションギャラリーで開催中の展覧会「東北へのまなざし 1930-1945」の関連記事です。「ミロ展」に出品された、ミロ所蔵の「こけし」が気になっていたので、グッド・タイミングの特集でした。

 記事によれば「こけしは、江戸時代後期に東北地方の木地師(ロクロを使って木工品を製造する職人)が、湯治場の土産物玩具として作り始めたとされる。(略)しかし、大正期にはブリキやセルロイドの玩具に押され、一気に衰退する」ものの、こけし蒐集家の活動によって「大人の蒐集品として注目を集め」1930~45年頃「第一次こけしブーム」が巻き起こった、というのです。(p.77~79)なお、ミロにこけしを贈った旅行家のゴメスが「渡辺喜平作の土湯系こけし」を90銭で購入したのは1941年9月です(展覧会図録による)。

特集②「みちのく こけし分布MAP」によれば「土湯系(福島県)こけし」の特徴は「胴は細く頭は小さめ」(p.80)ですが、ミロ所蔵のこけしは「胴は細い」ものの「頭は大きめ」。特集③では木地屋「湊屋」の三代目・浅之助作とされる「頭の大きな」土湯系こけしを「珍品」として紹介しています。(p.82)

◆ぐるぐるきょろきょろ展覧会記 第26回  文 小田原のどか(p.116) 

 「ゲルハルト・リヒター展」について書いていますが《ビルケナウ》の取り扱いについて苦労しているように見受けられました。展覧会が「決められた順路はなく、始まりも終わりも、クライマックスもない」展示となったのはなぜか。「手がかりは作家の代表作《ビルケナウ》にある」という言葉が印象的です。

Ron.

読書ノート 「シャネルの真実」 山口昌子(しょうこ)著 新潮文庫 2008年4月1日 発行

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2022.07.08付中日新聞の「Cultre」欄に、豊田市美術館で開催中の「交歓するモダン」の記事が載っていました。記事の「コルセットが不要なドレスが出現」「大戦の影響で女性が主力になった」という言葉に刺激され、Little Black Dressについて「もう少し掘り下げたい」と思い、本書を手に取りました。

◆本書の成り立ちと内容

本書の著者は執筆当時、産経新聞パリ支局長。「あとがき」によると、産経新聞の大型企画「20世紀特派員」の枠組みで1997年6月2日から7月18まで「皆殺しの天使」(シャネルが、コルセットなどの服装面のみならず、19世紀的なものをすべて葬ったという意味)の題名で連載。加筆して「シャネルの真実」と改題し、2002年4月に人文書院から刊行。2008年に新潮文庫として刊行後、2016年から講談社+α文庫が刊行。私は新潮文庫を古本で購入しましたが、講談社+α文庫なら、新刊が買えます。

本書は、綿密な取材に基づいて、シャネルの生い立ちから晩年までを書いています。第3章で米国のモード誌『ハーバーズ・バザール』1916年11月号がシャネのドレスを取り上げたことに触れ、1917年に同誌が《シャネルを一枚も持っていない女性は、取り返しがつかないほど流行遅れである》と述べたことも書いていますが、ずばりLittle Black Dressについて記しているのは、第4章の「モードの革命 小さな黒い服とショルダーバッグ」(本書p.210~p.220)です。以下、その主な内容を記します。

◆1926年10月1日付『Vogue』米国版が、Little Black Dressを紹介

本書は「『Vogue』がシャネルのLittle Black Dressを“シャネル・フォード”と呼びイラスト付きで紹介」と書いています。ネットで、”Chanels original Little Black ‘Ford’ Dress”と表示された画像を発見しました。

●画像:”Chanels original Little black ‘Ford’ Dress”と表示された、長袖ドレスの写真とイラスト

URL: chanels-little-blackford-dress-1926.jpg (569×624) (glamourdaze.com)

Vogue は読者に「フォードの大衆車が同じ型だからといって、買うのをためらう人がいるだろうか」と問いかけ、シャネルのLittle black dressの品質と大衆性を、‘Ford’ Dressという言葉で表現したのです。

●画像:Little black dressには、袖の無いものもある

URL: z17702365IH,Coco-Chanel-i-jej-projekty.jpg (700×700) (im-g.pl)

◆Little black dressの革新性とは

本書は、Little black dressの革新性を「第一に(略)喪服のイメージしかなかった黒を単色でまとめた点である。(略)第二に、誰にでも着られるという大衆性だった。(略)それは同時に第三者のコピーが可能だ、という点にもつながる。その点でシャネルは20世紀が(略)大量生産、消費社会の到来であることをいちはやく見抜いていたことになる」と、書いています。本書が「コルセット不要」を「Little black dressの革新性」に入れていないのは「既に、ポール・ポワレのドレスがコルセット不要だったから」だと思います。

Little black dressが広く流行したのは、他者にコピーされたからです。本書は「シャネルは他のデザイナーたちと異なってコピーを恐れず、《私は自分のつくり出したアイデアが他人によって実現されたときのほうがうれしくさえある》とさえ断言している」と書いています。シャネルは「たとえ他人にコピーされても、自分の作品は売れる」と、自らの才能に自信を持っていたのですね。

◆シャネルとは対照的に、戦後フランスファッションの主役だったポール・ポワレは転落

豊田市美術館「交歓するモダン」では、「戦後フランスファッションの展開」の展示で一番目立つ場所にあったのは、ポール・ポワレ《デイ・ドレス「ブルトンヌ」》でした。1925年に開催された「アール・デコ展」でもポワレが主役。本書は「この時、ポワレがシャネル出品の黒のサテンや黒のジョーゼットのシンプルな作品を見て、「貧困主義」と皮肉ったことはよく知られている。しかし、この言葉は後世には結局、ポワレの敗北宣言として流布されることになる」と、書いています。「貧困主義」の意味するところは、よく分かりませんが「シンプルで装飾の少ない服は貧乏くさい」という指摘なら、ポワレは「時代のニーズを把握できなかった人物」ということになります。Little black dressが流行したのは、「大戦の影響で女性が主力になった」ことによりシンプルで着やすい服が求められたからだと、私は思います。ポワレは「アール・デコ展」の12年後、1937年に破産の憂き目を見て、1944年に極貧の中で死去。本書は「彼自身は最後まで、なぜ、自分がシャネルに敗北したのか、正確には理解できなかったかもしれない」と、書いています。

Ron.

ボテロ展、「山田五郎 おとなの教養講座」は必見

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

来る7月17日(日)午後4時から「ボテロ展 ふくよかな魔法」の協力会向け解説会が開催されます。

協力会から届いたチラシを見ると、人も、動物も、花も、楽器も、何もかもが「ぽっちゃり」。「コロンビアの巨匠 待望の“大”絵画展」という文字も躍っています。

「ぽっちゃりとした絵を描く人、という以外の知識が全く無い」とつぶやいたところ、ある人が「それだけ分かっていれば、十分」と慰めてくれました。それでも、「何か予備知識を得たい」と思っていたところ、出会ったのが、フェルナンド・ボテロを取り上げたyoutube動画「山田五郎 おとなの教養講座」です。

動画の冒頭で「案件=ボテロ展のプロモーションを含む動画」だと、種明かしをしています。出品作品の写真も多数出てきて、必見の動画だと思いますよ。

なお、URLは下記のとおり。

(1570) 【ボテロ】なぜモナ・リザをふくよかに!?コロンビアの巨匠の深い意図【パロディじゃない!】 – YouTube

 ネタバレになってしまうので動画の内容を詳しく書くことはできませんが、ボテロの作品は「パロディ」などではなく「古典をリスペクトして真剣に制作したものだ」ということが分かりました。 Ron

「ゲルハルト・リヒター展」に関するノート

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

6月25日付日本経済新聞文化欄で岩本文枝記者による「ゲルハルト・リヒター展」の展覧会評を読んだ翌日、名古屋市美術館に出かけると、ミュージアムショップに「ゲルハルト・リヒター展」を特集した「美術手帖」が何冊も並んでいました。巡回先は豊田市美術館ですが「名古屋市美術館のショップとしても無視できない」ということですね。また、youtubeを検索すると、数多くの「ゲルハルト・リヒター展」関連の動画がアップされています。展示風景を見ることや、展覧会の感想を語り合う声、2020年に公開された映画「ある芸術家の数奇な運命」の感想などを聞くことも出来ます。2022.06.30には「美術展ナビ」の「ゲルハルト・リヒター展」の特集も掲載され、家にいながら展覧会情報を得ることができました。以下は、検索した中で、気になった記事です。

◆『美術展ナビ』 「ゲルハルト・リヒター展」絵画の可能性とものを認識する原理を追求 2022.06.30

URL: https://artexhibition.jp/topics/news/20220630-AEJ863199/

・鏡を生かした展示

展示室の写真と文章を交えながらのレポート。最初の写真は《ビルケナウ》の展示室。向かって右が《ビルケナウ》2014、左が《ビルケナウ(写真バージョン)》2014、正面は《グレイの鏡》2019。《グレイの鏡》は灰色に塗った鏡で、左右の作品だけでなく、観客と《ビルケナウ》の元になった4枚の写真も写り込んでいます。『美術展ナビ』は「リヒター自身が日本側と直接ディスカッションを行い、構成を考えた」と書いています。《ビルケナウ》が鏡の写り込みを生かした展示構成になっているのも、リヒター自身のアイデアに基づくものなのでしょう。なお、《鏡》1968の写真にも《4009の色彩》2007が写り込んでいました。

・《ビルケナウ》について

高さ2.6m、幅2mの巨大な4点の油彩画《ビルケナウ》については「この絵の下には、収容所内で密かに撮影された写真のイメージが描かれています。鑑賞者は直接そのイメージを目にすることはできません。よって自ずと知識や記憶、想像力を働かせ、絵具の下に隠れたイメージを思い描くことになります」と書いています。何か肩透かしを食らった気分になりますが、日本経済新聞は「リヒターは1960年代以降、ホロコーストという主題に何度か取り組もうとし、その深刻さゆえに断念してきた。ようやく到達した本作によって芸術的課題から『自由になった』と語る」と書き、この作品の手法を認めているようです。

・フォト・ペインティング

 『美術展ナビ』は「リヒターの代名詞ともいえるフォト・ペインティングやアブストラクト・ペインティングから、肖像画やオイル・オン・フォト、そして最新のドローイングまで、その画業を通覧するにふさわしい内容となっています」と書き、フォト・ペインティングとして赤ちゃんを描いた《モーリッツ》と、ピンクのセーター女の子を描いた《エラ》(本展のチラシに使用)の写真を掲載しています。

 写真を絵画に写し取った作品が、ボケやブレなどを書き加えているとはいえ、なぜ高い価格で買われるのか不思議ですが「リヒターがフォト・ペインティングで作家としての評価を得た」ことは事実です。

 残念ながら知識不足のため、これ以上掘り下げることはできませんでした。「IMA LIVING WITH RHOTOGRAPHY」というサイトに「東京国立近代美術館 『ゲルハルト・リヒター展』より 写真と絵画、どちらが客観か主観か」という、東京国立近代美術館主任研究員・桝田倫広さんへのインタビュー記事(URL: https://imaonline.jp/articles/archive/20220527gerhard-richter/#page-1)が掲載されていますので、ご覧ください。

◆「ゲルハルト・リヒター展」の動画

 検索ワードを「youtube ゲルハルト・リヒター展 / Gerhard Richter – 東京国立近代美術館」と打ち込んで検索したところ、3分51秒の動画と2分12秒の動画がヒットしました。いずれも開幕早々に撮影した動画のようで、短い時間で展覧会の雰囲気をつかむことができます。

Ron.

ガブリエル・シャネルの「リトル・ブラック・ドレス」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

◆ 豊田市美術館で見たシャネルのドレスと同じようなドレスを「美術展ナビ」で発見

豊田市美術館「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」で見た、ガブリエル・シャネル(1883-1971)《イヴニング・ドレス》(1927年頃)が気になり、ネットで検索したところ「美術展ナビ」で同じようなドレスを発見しました。記事は、「ガブリエル・シャネル展」(三菱一号館美術館)の特集(URL: https://artexhibition.jp/topics/news/20220627-AEJ858090/)で、ドレスの説明は《イヴニング・ドレス》(1920年代後半)というもの。「美術展ナビ」の記事には「1920年代から30年代にかけて、ツーピースのスーツや単色のドレスが登場。過剰な飾り気がなく、柔らかでシンプルな造形は『リトル・ブラック・ドレス』など、シャネルの『マニュフェスト』の重要な要素として定着していきます」と書かれていました。

◆ 「リトル・ブラック・ドレス」とは何か? その革新性は?

リトル・ブラック・ドレス(Little black dress)については「ココ・シャネルの歴史的な業績とは何か」に分かりやすい説明がありました。(URL: https://histori-ai.net/archives/1522

記事の要点は、以下のとおりです

・1926年、アメリカのファッション誌「VOGUE」で紹介されて、一躍世界中に広まった

現在の目で見ると「女性用の普通の黒いワンピース」だが、以下の革新性があった

・コルセットをしていない

コルセットの着用によって多くのヨーロッパの貴婦人は行動の自由を制限された生活を送った。そんな中で、シャネルはコルセット不要なドレスを発表して社会に受け入れられた

・黒一色のみ

当時、黒一色の服は「喪服」か「黒の組織」のメンバーの一員を意味した。その様な中でシャネルは黒一色のドレスを発表。このドレスの爆発的な普及により黒を喪服以外での通常のファッションカラーとして世間一般に認知させることに成功した

・スカートの丈が膝丈

当時は、裾が床に触れるほど長く、レースやフリルがついたドレスが一般的。シャネルは簡素で筒状の「裾が膝丈まで」という非常にシンプルなデザインで新しい女性像を提案。女性が歩きやすい、動きやすい、活動しやすいことを前提としたデザインされたドレスだった

◆ ネット記事「実は『新』定番だった リトル・ブラック・ドレスの歴史」 より

 URL:http://www.fragmentsmag.com/2015/10/little-black-dress-history/

 見出しのネット記事には「1929年に米国に起こった大恐慌の頃は、質素倹約の時代。それが逆に追い風になり、リトル・ブラック・ドレスは定着。女性の「定番」となっていくのです」と書かれていました。

また、1961年に公開された「ティファニーで朝食を」で、黒のシックなドレスを身にまとったオードリー・ヘップバーンと、そのドレスをデザインしたユベール・ド・ジバンシィが「リトル・ブラック・ドレスを1960年代のファッションアイコンに育てた」とも書いています。

◆最後に

 「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」に展示されていたガブリエル・シャネルの《イヴニング・ドレス》。気になった訳は「歴史的な作品だったから」でした。

Ron.

error: Content is protected !!