展覧会見てある記 豊田市美術館「エッシャー 不思議のヒミツ」  

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 2024.07.24 投稿

豊田市美術館(以下「豊田市美」)で開催中の「エッシャー 不思議のヒミツ」(以下「本展」)に行ってきました。以下は本展のレボートと感想です。

◆本展の会場構成

 本展の会場は1階の展示室6~8。受付で観覧券を受け取ると、展示室8に案内されます。

〇1章 デビューとイタリア Debut and Italy

1章の展示は、初期の作品とイタリア滞在時に制作した作品です。エッシャーは「だまし絵のグラフィックデザイナー」と思っていたのですが、1章の作品を見て「エッシャーはすぐれた技量の版画家だ!」と強く感じました。当たりすぎる感想ですね。

1章前半=初期の作品のうち《イースターの花》(1921)の連作は、精細な図柄を彫った、白と黒のコントラストが鮮やかな木版画です。ただ、120mm×90mmという小さな画面(ハガキは148mm×100mm)なので、近づかないと細かいところまではよく見えません。《エンブレマータ》(1931)の連作になると、少し大きく(180mm×140mm)なります。

1章後半=イタリア滞在中に制作した作品は、明るい部分と暗い部分のコントラストをうまく使った大判の風景画です。《サン・ミケーレ・デイ・フリゾーニ聖堂(ローマ)》(1932)は、近景のサン・ミケーレ・デイ・フリゾーニ聖堂を多くの線を使って黒く描き、遠景のサン・ピエトロ大聖堂を細い線を使って白く描いています。このように彫り方を変えることで、遠近感が際立っています。435mm×491mmというA2(420mm×594mm)に近い画面なので、遠くの小さな建物もはっきり見えます。風光明媚な村を描いた《スカンノの街路、アプルッツィ地方》(1930)も近景の黒い人物から遠景の山頂までの黒から白までの階調描き分けにより、奥行きと遠近感を強く感じる作品です。少し大きな画面(627mm×431mm)で、見応えがあります。

〇2章 テセレーション(敷き詰め)Tessellations

「エッシャー」と聞いて思い浮かべるのは、2章以降の作品です。2章のタイトル「テセレーション」は、幾何学においては「タイル張り」(出典:タイル張り – Wikipedia)とも呼ぶようです。

《平面の正則分割1》(1957)は、画面を分割して1~12の番号を付け番号順に、①分割されていない平面、②平行四辺形に分割、③市松模様の平面へと変化し、最後の⑫では白いトビウオと黒い鳥を敷き詰めた画面になっています。番号順に眺めると、変化が面白くて見飽きません。《平面の正則分割Ⅵ》(1957)では、画面の一番上は1匹のトカゲですが、画面下に向かうに従って、同じ形を繰り返しつつ、次第に縮小し、数を増やしながら、最後は小さな黒と白の三角形の組み合わせになります。

《太陽と月》(1948)は、貼り付ける絵が違う作品で、おまけに多色刷りという作品でした。《蛇》(1969)は、エッシャー最後の作品で、最も完成度が高いそうです。

〇3章 メタモルフォーゼ(変容)metamorphosis

《昼と夜》(1938)は、昼の景色と夜の景色を一つの画面に描き、しかも昼から夜へ、夜から昼への変化も描いた有名な作品です。会場には、細部までよく観察できるように、大きく引き延ばした画像を展示しています。大画面だと少し離れ、時間をかけてじっくり眺めることが出来るので、良いですね。

〇4章 空間の構造 The structure of space

一番目を引いたのは《写像球体を持つ手》(1935)。左手で支えた球体の中に、エッシャーを取り巻く世界が全て写っているという不思議な作品です。入場者がこの作品の中に没入した写真を撮影できるコーナーもありました。表と裏が繋がっている世界を描いた《メビウスの輪Ⅱ(1963)》も面白い作品です。

〇5章 幾何学的なパラドックス(逆説)Geometric paradoxes

平面的な袖から陰影を施した立体的な手首が出てきて、平明的な袖を描くという《描く手》(1948)は、いわゆる「だまし絵」です。4章を象徴する作品だと思いました。我々が絵を見ると、陰影の付け方や大きさの違い、色彩の濃淡から、明るい方が上で暗い方が下、大きなものは近い、小さなものは遠い、濃い方が近く、淡い方が遠い、などと無意識に判断して頭の中で立体像を作り上げます。陰影を施した手首は「立体」と判断できますが、輪郭線だけで描いた袖はペチャンコです。このような人間の認識の「癖」を逆手にとって、不思議な世界を描くのが「だまし絵」です。そして、私たちは「だまし絵」にだまされることが大好きです。

 《物見の塔》(1958)に描かれた三階建ての塔は、一見すると不思議な要素はありません。しかし、よく見ると平行になっていると思われた二階と三階は90度ねじれています。二階と三階をつなぐ柱も変です。三階手前側の角(かど)に繋がっていた柱は、二階になると奥の角(かど)に繋がり、柱は斜めになっています。《物見の塔》は大きく引き延ばした画像も展示されています。大画面だとねじれ具合がよく分かります。《滝》(1961)は、本展の垂れ幕に使われていました。

・蓮實重彦『伯爵夫人』にも登場するドロステ社のココア缶(1904年デザイン)

 5章ではエッシャーがデザインしたドロステ社のココア缶も展示。それは、2016年に第29回三島由紀夫賞を受賞した蓮實重彦『伯爵夫人』の中に出て来たココア缶でした。

〈(略)伯爵夫人が語り始めたのは、和蘭陀(オランダ)製のココアの話だった。(略)あの缶に謎めいた微笑を浮かべてこちらを見ているコルネット姿の尼僧が描かれていますが、誰もが知っているように、その尼僧が手にしている盆の上のココア缶にも同じ角張った白いコルネット姿の尼僧が描かれているので、この図柄はひとまわりずつ小さくなりながらどこまでも切れ目なく続くかと思われがちです。(略)〉(出典:『伯爵夫人』蓮實重彦 新潮文庫 平成31年1月1日発行 p.83)

 小説では、切れ目なく続く無限連鎖は尼僧の視線が断ちきっている、尼僧が見つめているのは戦争以外の何ものでもない、と伯爵夫人が語る場面が続きます。そして、ココア缶はその後、何度も登場。なお、『伯爵夫人』は周りに人がいない所で、こっそりとお読みください。

〇6章 依頼を受けて制作した作品

6章では、依頼を受けて制作した蔵書票、グリーティングカード、切手などを展示しています。

◆展示室6、7

 展示室6は「鏡の迷路」を展示。小さな部屋ですが、中に入ると、かなり戸惑いました。どちらに進んだらよいか、すぐには判断できないのです。

展示室7では、床と垂直に立っているつもりなのに倒れそうになり、人の身長が違って見える「相対的な部屋?」(別の名前かも)を展示しています。

展示室6、7は、いずれも遊園地のアトラクションのような仕掛けで、とても楽しめます。子どもの入場者が多いと、長い行列ができるかもしれませんね。

◆展示室5(2階、コレクション展)

 コレクション展を開催している2階・展示室5でもエッシャー《方形の極限》(1964)と「《方形の極限》の版木(1956)」を展示しています。テセレーション(敷き詰め)の作品で、同じパターンが4回繰り返されるため、版木は作品を四つに割った三角形。赤色印刷用・黒色印刷用の2種を展示しています。版木も展示しているので、本展が「面白い」と思ったら、コレクション展も併せて見ると良いでしょう。

◆最後に

 当日は平日の午前中でしたが「入場者が多い」と感じました。本展の2章以降は「タイルの敷き詰め」や「だまし絵」のような作品が並ぶので「肩の力を抜いて楽しめのではないか」と期待して来場する人が多いのでしょう。作品を鑑賞する以外に、「試してみましょう」という質問に答えることで「人間の認識の癖」を知ることが出来る体験型のパネルで遊ぶこともできます。とはいえ、一番の収穫は、1章の展示で「すぐれた技量の版画家・エッシャー」を知ることができたことです。

Ron

展覧会見てある記「挑む女たち~芥川沙織を中心に~」豊橋市美術博物館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.07.15 投稿

先日、豊橋市美術博物館(以下「豊橋市美」)で開催中の美術展示Ⅱ「挑む女たち~芥川沙織を中心に~」を見てきました。先ず、豊橋市美までのアクセス、次に美術展示Ⅱの概要について書き、最後に、同時開催の「豊橋鉄道100年 市電と渥美線」にも触れます。

◆豊橋市美までのアクセス

JR豊橋駅・名鉄豊橋駅から豊橋市美までは「市電」の愛称で親しまれている豊橋鉄道東田(あずまだ)本線(市内線)(以下「市電」)に乗車し、「市役所前」で下車するのが便利です。市電は7分~8分間隔で発車。「市役所前」は「駅前」から4つ目、発車から約7分で到着します。「市役所前」から豊橋市美までの所要時間は約5分です。市電乗り場は豊橋駅2階から続くペデストリアンデッキの下。電車マークのある階段を降りれば、市電「駅前」の乗り場です。運賃は均一料金で大人200円。ICカード(MANACA又はTOICA)なら、運賃箱のIC読み取り機にタッチするだけでOK。歩くことが好きな人でしたら、徒歩約25分~30分で行けます。

◆美術展示Ⅱ「挑む女たち~芥川紗織を中心に~」(1階 展示室4 入場無料)

会場の展示室4は、豊橋市美1階の一番奥。5人の作家による14点の絵画と芥川沙織関係の資料を展示しています。絵画の内訳は、三岸節子が3点、朝倉摂が2点、芥川沙織が5点、丸木俊が1点、高畑郁子が3点、計14点です。三岸節子の作品のうち赤い屋根の家を描いた《グアデイスの家》(1988)を見て、名古屋市美術館所蔵の《雷がくる》(1979)を思い出しました。

芥川沙織の《女・顔Ⅰ》《女・顔Ⅱ》(いずれも1954)には「当初描いた主題は、自らの苦悩や葛藤を反映したかのような女性像が多い」という解説が、《民話より》(1955)には「大きなハサミを振り上げ、毛に覆われた脚を持つたくましい蟹の姿が現れる」という解説が、《天を突きあげるククノチ》(1955)には「茨城に伝わる樹木神」が付いていました。《作品D》(1955)は植物のようにも、女性のようにも見えます。

なお、芥川沙織の作品の図版は、下記のURLに掲載されています。

URL: 展示作品詳細−豊橋市美術博物館 | 芥川(間所)紗織 生誕100年 特設サイト (saori-100th-anniversary.com)

〇ミュージアム展示ガイド「ポケット学芸員」について

 展示室4の入口には、ミュージアム展示ガイド「ポケット学芸員」のダウンロード方法、操作方法の掲示がありました。QRコード(App Store用、Google Play用の2種)を読み取るか、スマホやパソコンで「ポケット学芸員」と入力・検索すれば、アプリをダウンロードできます。ポケット学芸員の操作方法ですが、アプリを起動して、①「関東地方」「中部地方」等の地域を選択、②表示された中から希望の施設を選択、③施設のプロフィールが表示されるので、「リスト」を選ぶと展示物のリストを表示、④「ダウンロード」を選ぶと施設の情報がスマホにダウンロードされます(24時間後に消去)。作品解説を読むときに便利なアプリです。

◆「豊橋鉄道100年 市電と渥美線」(2階 展示室7~9,展示コーナー 観覧料 一般500円)

現在、市電と渥美線を運営している豊橋鉄道株式会社が「豊橋電気軌道株式会社」として創立したのが大正13(1924)年3月7日。豊橋で路面電車(市電)が開業したのは、大正14(1925)年7月14日。豊橋と田原を結ぶ渥美線が、渥美電鉄株式会社により高師~豊島間が開通したのが大正13(1924)年5月、新豊橋~三河田原が全通したのが大正14(1925)年5月1日。市電と渥美線の歴史をたどり、豊橋鉄道株式会100年の歩みを振り返る展覧会が「豊橋鉄道100年 市電と渥美線」です。観覧券売り場は、2階エレベータ前。

〇市電について

展示品で目を引いたのは「豊橋市新市街地図」です。現在、豊橋市美のある豊橋公園一帯は、歩兵第18聯隊と練兵場、射撃場で、市電の「市役所前」は「営門前」でした。市電を降りて豊橋市美に向かう途中に通過する門は、歩兵第18聯隊の営門だったのです。営門には哨舎(歩哨が24時間常駐した場所)跡が残っています。

〇渥美線について

展示品で目を引いたのは「空中ヨリ見タル高師[絵葉書] 昭和初年」です。写っていたのは、騎兵25,26聯隊、教導学校(下士官の養成所)、憲兵分隊、旧第15師団司令部所在地。陸軍第15師団は明治38(1905)年から大正14(1925)年まで渥美郡高師村(現在は豊橋市)に駐留していた師団です。芥川沙織は大正13(1924)年5月24日渥美郡高師村生まれ。芥川沙織が生まれた当時の渥美郡高師村は、陸軍第15師団の駐留地だったのです。なお、「挑む女たち~芥川沙織を中心に~」の作品リストは「沙織は軍に所属していた父親の赴任先である豊橋に生まれました」と記載しています。

Ron.

展覧会見てある記「芥川(間所)沙織 生誕100年記念」名古屋市美術館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.07.07 投稿

先日、名古屋市美術館(以下「名古屋市美」)の常設展示室で開催中の「名品コレクション展Ⅱ」(以下「本展」)を見てきました。本展で目を引いたのは「生誕100年記念 芥川(間所)沙織プロジェクトについて」というパネルに書かれた内容です。

その内容を要約すると、芥川(間所)沙織(1924-66)は愛知県出身の画家で、前衛美術の分野で活躍。名古屋市美では、全長6mを超える代表作《古事記より》(1957)や晩年の油彩《朱とモーヴA》(1963)など計6点を所蔵。一昨年、ご遺族の代表者から「生誕100年に当たる2024年を芥川(間所)沙織の作品を多くの方に見ていただきたい一年にしたいと考えている」との相談を受け、名古屋市美も協力することになった。愛知県では、豊橋市美術博物館(会期:6.8~7.21)刈谷市美術館(会期:6.8~7.21)も予定している、というものでした。

◆芥川(間所)紗織 生誕100年 特設サイトの概要

 「芥川(間所)紗織 生誕100年」の活動については、下記URLで特設サイトが開設されています。芥川(間所)紗織の経歴、活動に参加している美術館と展覧会・出品作品が掲載されていますので、ご一読ください。

URL: 芥川(間所)紗織 生誕100年 特設サイト (saori-100th-anniversary.com)

◆コレクション解析学 芥川(間所)紗織《古事記より》

常設展示室の入口には「コレクション解析学」(名古屋市美のコレクションから1点を選び、学芸員が紹介する講座)についての掲示がありました。掲示の内容は、講座の日時は2024.08.31(土)14:00~、演題は「生みの苦しみ、怒り、悲しみ」、講師は清家三智学芸員、というものです。

◆現代の美術 生誕100年記念 芥川(間所)沙織と150年代

「現代の美術」の解説パネルを読んで、1950年代に活躍した作家の活動について、よく分かりました。その内容は、下記「解説リーフレット」URLで検索できます。芥川(間所)沙織の作品は、下記「作品展示詳細」URLでご覧ください。芥川(間所)沙織の作品を除くと、小山田二郎の油彩と荒川修作の最初期オブジェが目を引きました。

〇解説リーフレット

 URL:Microsoft Word – ¶9 H_8-UM iêüÕìÃÈ_2024 ³ìa.docx (city.nagoya.jp)

〇作品展示詳細:名古屋市美術館

URL: 展示作品詳細−名古屋市美術館 | 芥川(間所)紗織 生誕100年 特設サイト (saori-100th-anniversary.com)

◆県内美術館で展示の芥川(間所)沙織作品

豊橋市美術博物館と刈谷市美術館で展示の芥川(間所)沙織作品は、以下のとおりです。いずれの美術館の展覧会もコレクション展ですから観覧は無料です。興味を持ったら、各館に足をお運びください。

〇作品展示詳細:豊橋市美術博物館

URL: 展示作品詳細−豊橋市美術博物館 | 芥川(間所)紗織 生誕100年 特設サイト (saori-100th-anniversary.com)

〇作品展示詳細:刈谷市美術館

URL: 展示作品詳細−刈谷市美術館 | 芥川(間所)紗織 生誕100年 特設サイト (saori-100th-anniversary.com)

Ron.

映画「アンゼルム“傷ついた世界”の芸術家」(2023年制作 ドイツ映画)

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2025.06.24 投稿

伏見ミリオン座で上映中の映画「アンゼルム“傷ついた世界”の芸術家」(以下「映画」)を見てきました。映画は、戦後ドイツを代表する芸術家であり、ドイツの暗黒の歴史を主題とする作品で知られたアンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer)の生涯と現在の状況を追った、ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)監督のドキュメンタリーです。名古屋市美術館の常設展にアンゼルム・キーファー《シベリアの王女》(1988)が展示されていますが、最近まで作家に対して興味は湧きませんでした。しかし、「2025年3月下旬から6月下旬まで、世界遺産・二条城でアンゼルム・キーファーの個展が開催される」というニュース(注1)を目にしたり、東京で開催中の個展の展覧会評(注2)を読んで、キーファーに対する興味が湧き、伏見ミリオン座まで足を運ぶことにしました。

なお、以下の内容はネタバレを含みますので、ご注意ください。

注1:アンゼルム・キーファーの大規模個展、二条城で開催へ|美術手帖 (bijutsutecho.com)

注2:ガラス箱の中の小宇宙と性。アンゼルム・キーファー「Opus Magnum」展(ファーガス・マカフリー 東京)レビュー(評:香川檀)|Tokyo Art Beat

◆映画の内容

① 導入部

最初に登場するのは、顔のない女性像です。近代的な純白のドレスを固めて立体的にした作品で、映画では「古代の女性」と説明していました。やがて女性像は2体に増えます。ひとつは天球儀の顔を、ひとつは白い塔の模型の顔を持っていました。その後、温室のような建物の中に無数の女性像が登場します。ネットを検索すると、この女性像はアンゼルム・キーファー大規模個展のレポート(注3)に登場していました。

注3:アンゼルム・キーファーの大規模個展「Fallen Angels」がフィレンツェのストロッツィ宮で開催中。出展作品と見どころを現地レポート!|Tokyo Art Beat

② キーファーの巨大なアトリエ(フランス・バルジャック)と現在のキーファーの姿

 映画は、巨大な工場のようなアトリエの中を自転車で移動するキーファーや巨大な作品を運ぶキーファーの姿に切り替わります。

③ 自伝的な再現映像

写っているのは《悪い子たちの部屋》を描いている子ども。映画の予告記事(注4)によれば、子役は監督ヴィム・ヴェンダースの孫甥(兄弟姉妹の孫)アントン・ヴェダース(Anton Wenders)とのことです。

注4:ヴィム・ヴェンダースが映すドキュメンタリー映画『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』 – ファッションプレス (fashion-press.net)

④ P.CとM.H

 P.Cは両親をホロコーストで亡くし、自身も収容所から奇跡的に助け出された詩人パウル・ツェラン(Paul Celan)を指し、M.Hはドイツの著名な哲学者マルティン・ハイデガー(Maltin Heidegger)を指します。映画では、ハイデガーの脳が毒キノコによる癌に侵されて崩れ去る動画が流れます。1967年7月25日、パウル・ツェランは哲学者に会いに行きますが「哲学者は過去に口を閉ざした」とナレーションが入りました。

⑤ 現在のキーファーの制作風景

 映画には藁を燃やすキーファーが登場。ぼろ布と藁にアルコールをかけ、バーナーで燃やしてから水をかけるという姿や、巨大な油絵の具を塗る姿もあります。

⑥ 青年期のキーファーの再現映像

 再現映像に登場するのはキーファーの息子、ダニエル・キーファー(Daniel Kiefer)です。パノラマカメラ(違っているかもしれませんが、画面サイズが6cm×12cmのLinhof Technorama 612PCⅡと思われます)で枯れた向日葵を撮影するキーファーが写ります。キーファーはアトリエに戻り、巨大なキャンバスに向日葵の写真を投影して、作品を制作。

⑦ ヨーゼフ・ボイスの特別クラスを受講する青年・キーファー

 キーファーはヨーゼフ・ボイスに手紙を出し、フォルクスワーゲンに荷物を積み込んでデュッセルドルフに向かいます。当時の動画が流れ、キーファーがヨーゼフ・ボイスの特別クラスに招かれたことが分かりました。

⑧ 「ネオ・ファシスト」と非難されるキーファー

 青年期のキーファーは、ナチスが崇拝した人物の肖像画をビエンナーレに出品。この作品によって、キーファーが「ネオ・ファシスト」として非難される騒動が発生。キーファーは、自分が描いたヘルダーリンについて「彼の祖国はギリシア。ナチスはヘルダーリンを悪用しただけ。私は、反ファシスト」と反論します。

⑨ ナチス式の敬礼をした自分の姿を撮影

1968年から1969年にかけて、キーファーは世界各地の有名なスポットを背景にナチス式敬礼をしている自身の姿を写真に収め、物議を醸します。キーファーは「過去を思い出すためにナチス式敬礼の写真を撮影した。ナチス式敬礼をしていた時代を忘れないために写真を撮影しただけだ」と反論します。

⑩ 1992年、キーファーは南仏・バルジャックにアトリエを移す

バルジャックのアトリエの広大な敷地と、巨大な工場のようなアトリエを始めとする、多くの建物が映し出されます。以下、様々な映像が出てくるので、波乗りを楽しむように見ていました。なかでも目を引いたのはベッドが並んだ「革命の女たち」(注5)と、錆びた飛行機、錆びた潜水艦が写る場面でした。

注5:革命の女たち / アンゼルム・キーファー (セゾン現代美術館) | リセットする / To Reset (placestoreset.com)

⑪ ヴェネツィアの宮殿を歩くキーファー

映画が終わる少し前に、ヴェネツィアの宮殿の回廊を歩くキーファーと縄梯子から降りて来る少年のキーファーが登場します。どうやら、2022年にヴェネツィアのドゥカーレ宮殿で開催した個展の会場で撮影した画像のようです。天井は宮殿のままですが壁面はキーファーの巨大な作品で覆われていました。2025年に二条城で開催される展覧会がどんな内容になるのかな、と思いを巡らしながら、この場面を見ていました。

⑫ 映画の終結部

映画の終結部で印象に残ったのは、第二次世界大戦後の瓦礫(がれき)の中で遊ぶ子どもたち、枯れた向日葵を天秤の代わりに持って綱渡りをするキーファー、10歳のキーファーと現在のキーファーが並んで森の中を歩く姿、導入部に登場した女性像、金属の翼を持った彫像でした。なお、「金属翼を持った彫像」など、ブログで紹介した内容の一部は、映画の公式HP(注6)で閲覧できます。

注6:映画『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』公式HP (unpfilm.com)

Ron.

映画評を読む「ヴィム・ヴェンダース監督インタビュー」Tokyo Art Beat

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.06.27 投稿

◆記事との出会い

6月26日にスマホを見ていたら、「ヴィム・ヴェンダース監督インタビュー」という記事が出てきました。伏見リオン座で上映中の映画「アンゼルム“傷ついた世界”の芸術家」関連の記事で、公開日は6月20日でした。なお、記事のURLは、次のとおりです。

URL: ヴィム・ヴェンダース監督インタビュー。アンゼルム・キーファーに迫るドキュメンタリー映画『アンゼルム』に込められた女性観や制作意図を聞く|Tokyo Art Beat

◆アンゼルム・キーファーのアトリエ、敷地は何と35ha

「映画は見たし、ブログも書いたし」と思いながら記事を読んでいたら、次の文章に引き付けられました。それは、ヴィム・ヴェンダース監督が語った「映画製作の転機」です。

転機は2019年。キーファーから電話を受けたヴェンダースは、キーファーが居を構えていたフランスのバルジャック村へと向かった。そこには35haに及ぶ広大な土地にキーファーのアトリエがあり、「その風景とともにある彼の作品群を見て、いまなら映画が作れると思いました」(ヴェンダース)

35haといえば、熱田神宮(19ha)の1.8倍、名城公園(80ha)の半分弱(44%)。映画では敷地の広さに圧倒されましたが、35haなら納得です。

◆映画に出て来る女性像に関するやりとりも

記事では、Tokyo Art Beat のインタビューアー・福島夏子氏と監督が次のようなやりとりをしています。

Q:本作はバルジャック村に佇(たたず)む、キーファー作の女性を模(かたど)った立体作品《古代の女性》を映したシーンから始まります。女性の身体とその不在を扱った本作から、この映画を始めた理由はなんでしょうか? これ以降も、同じく女性をモチーフにした作品《革命の女たち》への言及もあります。(略)

A:アンゼルムの作品のなかに、女性という存在が強くあるからです。南仏のバルジャックにいると、森の中や彼が屋外に作り上げたギャラリーなど、至る所にその存在を感じます。(略)彼女たちはこの映画のなかでつねに存在しているし、最後にはもう一度登場することからもわかる通り、私にとって彼女たちは仲間であり、ある種の協働者です。私は彼女たちに声を与えていたのだと思っています。(略)作中で彼女たちが発する言葉がはっきりと聞こえることはほとんどないですが(略)彼女たちのささやきがこの映画に女性の美しい存在を加えていると感じています。

 映画では顔のない女性像=《古代の女性》がとても印象的でしたが、福島夏子氏も同じ思いだったと分かりました。彼女は《革命の女たち》にも目を引かれたようですね。

 記事は「2025年春には京都・二条城での新作個展が予定されている」とも書いています。2025年春の展覧会が楽しみですね。

Ron.

展覧会見てある記「春陽会誕生100年 それぞれの闘い」碧南市藤井達吉現代美術館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.06.20 投稿

中日新聞6月4日・6日の県内版に碧南市藤井達吉現代美術館(以下「美術館」)で開催中の「春陽会誕生100年 それぞれの闘い 岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ」(以下「本展」)の出品作品紹介記事が掲載されました。4日の紹介記事は岸田劉生「童女図(麗子立像)」(1923)について「岸田のいう『グロテスクな美』が見る者に強い印象をあたえます」と書き、6日の紹介記事は大澤鉦一郎「少女海水浴」(1932)について「緻密に計算された画面構成が、画の面白みを引き立てます」書いていました。

この記事に促され、直ぐに美術館へ行きましたが、会期中に展示替えがあって、後期展示(6.18~7.7)の作品も多数あると分かりました。そこで、後期展示の開始を待って、再度、美術館に足を運びました。以下は、前期展示・後期展示を合わせての報告・感想です。

◆1階ロビーには

美術館に入った時、1階ロビーに開設された ”PHOTO STOP” が目に留まりました。壁に、大きく引き延ばした木村荘八《私のラバさん》(1934)が貼られ、その前に看板が立っています。ここで記念写真を撮影したら、スポットライトを浴びて、ステージに立っているような気分になるでしょうね。ただ、当日は平日の午前中。来館者は高齢の夫婦が中心なので、記念撮影に興じている人は居ませんでした。

◆2階の展示

本展の入口は2階です。踊り場と2階ロビーには本展チラシの表と)同じデザインのパネルが掲げられています。踊り場のパネルの絵は岡鹿之助《窓》(1949)、2階ロビーのパネルの絵は中川一政《向日葵》(1982)でした。

〇第Ⅰ章 始動:第3の洋画団体誕生(展示室1)

第Ⅰ章の解説には、春陽会は帝国美術院、二科会に拮抗する第3の洋画団体として1922年(大正11)に誕生。会員は小杉放菴、森田恒友、梅原龍三郎始め7名、客員は岸田劉生、木村荘八、中川一政始め8名で、1923年4月に第1回展が開催された、と書かれていました。

展示室に入ると、春陽会設立趣意書と春陽会発足の記念写真、絵葉書が展示され、最初の作品は小杉放菴《双馬図》(1925)。淡い色彩の作品で、日本画のような趣があります。その反対側の壁に展示されているのは萬鐵五郎《高麗山の見える砂丘》(1923頃)、カラフルな作品です。萬鐵五郎の作品は第Ⅱ章にも5点展示しています。このほか、面白いと感じたのは、竹ざるに入った鰯3匹を描いた、小林徳三郎《鰯》(1925頃)。竹ざるが光を放っているのです。岸田劉生の作品は《童女図(麗子立像)》始め8点。豊田市美術館所蔵の《鯰坊主》(1922)や椿を描いた作品などの油彩だけでなく、絹本着色の《白狗図》(1923)も見ることができました。梅原龍三郎はヌード2点の外に風景画もありました(前期《榛名湖》(1924)、後期《カンヌ》(1921))。

第Ⅰ章の最後に、一宮市三岸節子記念美術館所蔵の三岸節子《自画像》(1925)に出会いました。隣は三岸好太郎《少女》(1924)という組み合わせです。

〇第Ⅱ章 展開:それぞれの日本、それぞれの道(展示室1~2)

第Ⅱ章の解説には、岸田劉生が春陽会を去ったこと、三岸好太郎らの若手が研鑽を積んだこと、萬鉄五郎が亡くなったことなどが書かれていました。

第Ⅱ章も、最初の展示は小杉放菴の作品2点。うち、《羅摩物語》(1928)の服装はインド風。調べると「ラーマーヤナ」の一場面のようです。萬鉄五郎の作品は、墨絵の《わかれ道》(1922頃)の外、《荒れ模様》(1923)とヌード3点。うち、《羅布かづく人》(1925)の顔は、どういう訳か「のっぺらぼう」でした。萬鉄五郎のヌードは、いずれも「美しく描こう」とは思っていないところが注目すべき点です。第Ⅱ章前半では外に、ピエロを描いた三岸好太郎《少年道化》(1929)に目が留まりました。

第Ⅱ章後半の作品は、展示室2に展示されています。ロビーの記念撮影コーナーで見た《私のラバさん》は展示室2に展示。同じ作者の《パンの会》(1924)にはレストランでの宴会風景を描いたと思われ、芸者2人の前で三味線を弾く男の姿が目を引きます。中日新聞が紹介した《少女海水浴》は1m×1.5m程の大画面でした。3点とも面白い作品です。

〇第Ⅲ章 独創:不穏のなかで(展示室2)

第Ⅲ章の解説には、石井鶴三、木村荘八、中川一政が挿絵で活躍した、と書かれています。

展示は、倉田三郎《春陽会構図》(1937)から始まります。描かれた人物の名前を記した図も付いているので、しばらくの間、描かれた人物と名前との照合作業に追われました。第Ⅰ章、第Ⅱ章でも登場した小杉放菴は日本画の《松下人》(1935)を展示。「挿絵」では資料として書籍(「人生劇場」、「宮本武蔵挿絵集」、木村荘八が口絵を描いた「明治一代女」「墨東奇譚」)と「墨東奇譚」の予告記事を展示しています。中川一政による尾崎士郎著「人生劇場」の挿絵は4点。小説「人生劇場」については、三州吉良(現:西尾市吉良町)出身で早稲田大学に入学した青成瓢吉の青春とその後を描いたという以上は知らない、ということを再認識しました。石井鶴三による吉川英治著「宮本武蔵」の挿絵も4点。ここでは、佐々木小次郎、沢庵和尚、お通といった登場人物が分かるだけで、どの場面を描いたのかは不明のままでした。木村荘八による永井荷風著「墨東綺譚」の挿絵は9点。前期・後期で総入れ替えです。うち、前期の《挿絵9》(1937)だけは、玉の井の部屋にいる主人公とお雪を描いたと分かりましたが、残念ながら、他の挿絵が描いた場面については見当がつきませんでした。

長谷川潔の版画と藤田藤四郎の版画にも目を引かれました。

〇第Ⅳ章 展望:巨星たちと新たなる流れ(その1:中川一政と岡鹿之助=多目的室)

第Ⅳ章の展示は主に戦後の作品です。多目的室では、中川一政と岡鹿之助の作品を展示。本展チラシの表(おもて)に使われた作品は、いずれも多目的室に展示されています。二人の作家の作品だけで一室を占領していますが、作風が対照的なので楽しく鑑賞できました。

◆1階の展示

〇第Ⅳ章 展望:巨星たちと新たなる流れ(その2:建築家アントニン・レーモンドと若手の作家=展示室3)

 1階・展示室3の入口には、春陽会展示会場で展示設営するアントニン・レーモンドの写真と彼の作品《題不詳[コンポジション]》(1959)が展示されていました。その内訳は、具象的な作品と抽象的な作品が半々。具象的な作品では、北岡文雄《雪の犀川》(1977:後期展示)の白と青の対比が美しく、水谷清《絵を描く女》(1953)に描かれた女性画家のインパクトが強烈でした。関頼武《失楽園》(制昨年不詳)はピカソの絵のように見えました。また、藤井令太郎《アッカドの椅子(Ⅱ)》(1957)は、首なしの彫刻と椅子が向かい合った構図で、デ・キリコの「形而上絵画」の影響を受けているように感じました。

◆補足:アントニン・レーモンドについて

・フランク・ロイド・ライトとの関係

アントニン・レーモンドは、植松三千里の小説「帝国ホテル建築物語」(PHP文庫)にも登場しています。彼は1919年末に、フランス人のデザイナー・ノエミ夫人とともに来日し、帝国ホテルの建設に携わっているフランク・ロイド・ライトの助手になります。レーモンドの仕事は、ライトが描く無数のスケッチをもとに図面を引くことでした。レーモンドが引いた図面の中から、ロイドが気に入ったものを選ぶのですが、1922年にレーモンドは独立します(Wikipediaでも1922年独立ですが、本展の解説は「来日の翌年(=1920年)独立」と書いています)。小説の中でレーモンドは「今のままでは、僕はクリエイティブなことが何もできないし、やり直しが果てしなく続いて、もう疲れました」と言い、作者は「レーモンドは命じられたことに自分の独自性を加えなければ、気が済まない。そこがライトの気に障るのだ」と付け加えています。

一方、フランク・ロイド・ライトは帝国ホテルの完成を見ることなく、1922年に帰国。再び日本の地を踏むことはありませんでした。

・南山大学との関係

アントニン・レーモンドは第二次世界大戦後に再度来日し、南山大学の総合計画(1964)と同大学の神言神学院(1966)も手がけています。(出典は、下記のとおり)

 アントニン・レーモンド – Wikipedia

 建築家 アントニン・レーモンド|南山大学 (nanzan-u.ac.jp)

 【南山大学】アントニン・レーモンド特設サイト (nanzan-u.ac.jp)

◆追加情報

碧南市藤井達吉現代美術館HP(本展チラシ、作品リスト、主な作品の図版を掲載)のURLは次のとおり。

春陽会誕生100年 それぞれの闘い 岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ/碧南市 (hekinan.lg.jp)

Ron.

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