新保あさひ ≪a small world≫

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名古屋芸術大学卒業・修了制作展にて (その2)

新保あさひ ≪a small world≫

展示室には、児童公園にある遊具に似た「ブランコ」、「シーソー」、「砂場」が並んでいる。公園で見かける遊具は、赤、青、黄など、はっきりした色で塗られているが、作品はいずれも、薄い灰色で塗られている。

≪pendulums(振り子たち)≫を見ると、横並びではなく、縦並びになっている。2人で遊ぶと、ぶつかってしまいそうだ。

左から ≪pendulums(振り子たち)≫、≪see/saw(見る/見えた)≫、≪a small world(小さな世界)≫

≪a small world(小さな世界)≫を見ると、中に小石のようなものが散らばり、小さな砂山もある。小石のようなものは、床のあちこちにも散らばっている。しかし、砂遊びに使う小さなスコップやバケツのようなものはない。

左 ≪a small world(小さな世界)≫、手前 ≪see/saw(見る/見えた)≫、奥 ≪pendulums(振り子たち)≫

≪see/saw(見る/見えた)≫は、一方が上がれば他方は下がり、お互いに見える景色は異なる。この「シーソー」には、持ち手がなく、片足の壊れた平均台のようだ。

これらの遊具は、どうやって遊ぶのだろう。どれを見ても、公園で聞こえてくる子供たちの歓声が聞こえそうな気配はない。

作家によれば、これらの作品は遊具の模型ではなく、「他者の存在」、「視点や立場の相違」、「無意識からの気づき」のメタファーになっている。ぶつかりそうなブランコから「他者の存在」を知り、持ち手のないシーソーから「視点や立場の相違」を知り、砂だけの砂場から「無意識からの気づき」を得る。

また、あいまいな色使いも「自分には薄い灰色に見えるが、他者には薄い水色(紫色)に見える」ことへの気づきを導くための仕掛けだそうだ。子供の遊具のような見た目とは異なり、とても思索的な作品だった。

杉山

吉田一真 ≪道を横断する≫

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京都の岡崎公園で展覧会を見た後、京都駅近くに移転した京都市立芸術大学の作品展に立ち寄った。驚いたことに、この大学では卒業予定者だけでなく、全学生が作品展示を行うようだ。終了時間に追われながら、多くの展示を見た中で印象に残った作品を紹介する。

京都市立芸術大学作品展にて(その1)

吉田一真 ≪道を横断する≫

展示会場の方向から「ガラガラ」と大きな音が聞こえてくる。近所で工事中かと思うほどの音量だ。その音を道案内にして、建物の間を奥へ奥へと進む。

作品は、人間が入れる大きさの黒い回し車(超大型のハムスターホイール)。響き渡っていたのは、作家がハムスターのように回し車を回転させる音だ。

≪道を横断する≫

回し車の横のモニターをみると、地図アプリのストリートビューが映し出されている。その中央あたりに赤色と灰色に塗られたホイールがあり、作家がランニングをすると画面のホイールも回転し、地図がスクロールされてゆく。表示されているエリアは、琵琶湖の東側あたり。テレビゲームの勇者のパーティーが行進するように、ホイールは滋賀県の中を進んでいく。時折、作家がランニングを中断し、回し車の奥のパソコンに向かい、何か作業をしている姿が気になった。なにかしら作品の調整だろうか。

≪道を横断する≫(部分)

作家に教えてもらい、モニターの下側のQRコードをスマホで読み込んだ。すると、スマホの画面にも地図アプリが表示され、その場所の風景にちなんで詠まれた俳句が添えられていた。とても風流な仕掛けになっている。

昔、東北を巡り、有名な「おくのほそ道」を残した俳人は、紙に筆で俳句をしたため、徒歩で移動した。一方、現代の俳人は、パソコンで俳句をしたため、デジタル地図で移動する。それぞれの「横断」の対比が、とてもユーモラスに表現されている。

杉山

立花光 ≪無人配達≫

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京都市立芸術大学作品展にて (その2)

立花光 ≪無人配達≫

白い台に乗せられた茶色の段ボール箱が、展示室にまばらに置かれている。箱の大きさは大小様々。中央あたりに直径3cmくらいの穴が開けられていて、その穴から箱の中をのぞく仕掛けになっている。

部屋の中ほどにある大きめの箱の中をのぞいてみると、既視感のある、不思議な世界が垣間見えた。順番に他の箱の中も見て回ると、見える景色はそれぞれ異なるが、どれもどこかで見たような光景だった。

展示風景

箱の中の入っているのは、エレベーターや倉庫、階段など、私たちが日常的に通り過ぎる場所をリアルに再現したミニチュア模型だ。模型のサイズが小さいので、とても遠くから眺めているような距離感がある。なかには、作家が通う大学内の施設の模型もあるそうだ。

箱の外側には、いわゆる宅配荷物に貼る荷札が残っている。また、段ボールの表面にも配達中の汚れや、つぶれた跡があるので、てっきり自分あてに届いた荷物の箱を再利用しているのかと思ったが、箱も立派な作品。真新しい段ボールから、ミニチュア模型の大きさにあわせて切り出し、新規に制作しているそうだ。汚れや、つぶれた跡も再現されたものと聞くと、そのリアルさに驚く。

左から ≪無人配達_エレベーター#01≫、≪無人配達_通路#01≫、≪無人配達_通路#03≫

≪無人配達≫というタイトルに込めた制作の意図を作家に聞いたところ、「違和感」という答えがあった。普段、何もないドアの前や、宅配ボックスの中に、突然、段ボール箱が届くことで景色が違って見える感覚を表現しているそうだ。

その答えを聞き、それまで感じていたモヤモヤがすっきりした。箱の中をのぞいた時の驚き、箱の外の汚れを手作りしていると知った時の驚き、どちらも「違和感」そのものだった。

杉山

大西珠江 ≪ワタシヲ流ルル君≫、≪時を集めて≫

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京都市立芸術大学作品展にて (その3)

大西珠江 ≪ワタシヲ流ルル君≫、≪時を集めて≫

展示室の床に、表面がデコボコで、白い楕円形の筒と、割れたお椀の欠片のようなものが置かれている。奥の壁面には、同じような素材の端切れのようなものが掛けられている。

手前の筒は、作品名を≪ワタシヲ流ルル君≫という。これを見て、不思議に思ったのは、陶の地肌から横に伸びた氷柱のような透明な部分。その形状から、持ち手ではないし、装飾としても一体感がない。いったい、作家の制作の興味、問題意識はどの辺にあるのだろうか。

手前 ≪ワタシヲ流ルル君≫

奥側の横に寝かせた筒の作品名は、≪時を集めて≫という。この筒にも、細くて透明な棘のような部分がある。開いた筒の口の前に立つと、長い棘が触手のように思われ、深海魚が大きく口を開け、触手で獲物をおびき寄せている場面を連想した。

≪時を集めて≫

作家によれば、作品は陶とガラスで作られていて、焼成は2度行う。陶の部分は釉薬をかけずに焼成し、2度目の焼成で陶の内側に置いたガラスが溶け、ひび割れから垂れてくると、氷柱や触手のようになる。この制作方法は、焼成を止めるタイミングが難しく、何度も実験を重ねたそうだ。

この作家は、陶芸作品で釉薬として使われるガラスを、まるで異なる扱い方で土と組み合わせる。そうすることで、土は土、ガラスはガラスとして存在を主張する作品ができる。

作家のテーマは、ガラスと土の素材としての関わり方を、どのように作品として見せるか、というあたりにあるらしい。伸びた氷柱や触手の先に、どのような新しい展開があり、次回はどのような作品を見せてくれるか、とても楽しみだ。

杉山

山本千愛 ≪線の上をあるく≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members
例年、この時期は各地の芸術大学、美術大学で「卒業制作展」、「修了制作展」が開催され、見た目もコンセプトも奇抜な作品を鑑賞する機会に恵まれる。
名古屋市美術館の話題からは離れるが、最近見た「卒業制作展」、「修了制作展」の作品の中から、特に目を引いた作品を、数回に分けて紹介したい。普段の美術展とは様相の違う世界を楽しんでいただければ幸いだ。

東京藝術大学卒業・修了作品展にて

山本千愛 ≪線の上をあるく≫ (2020年代/東アジアのアーティスト/往路)

展示されているものは、大判のモノクロ写真、長さ3mくらいの木材、ビデオモニターなどで構成されたインスタレーション。モノクロ写真の横には、地図が添えられ、地図の上に打たれたピンの間に糸が張られている。

展示風景

モニターに映された映像を見ると、作者と思われる人物が、長い木材を引きずり、ひたすら歩いている。長い木材の持ち手と反対側(地面に接する側)に、カメラを取り付け、歩く人物の後姿を記録するパフォーマンスだ。地図の地名を見ると、日本以外にドイツ、オーストリア、中国でパフォーマンスを実施したようだ。しばらく見ていて、左側の一番上のモノクロ写真に目が止まった。何かの壁に長い木材を立てかけた様子が映っている。

展示風景

実は、この壁は観光用に残された「ベルリンの壁」の一部で、その下の森の中のランニングコースの風景は撤去された「ベルリンの壁」の跡地らしい。この高さ3mくらいの壁は、壊された後も多様な社会問題の影を象徴する存在として、人々の記憶に残っている。

美術作家と言えば、アトリエでキャンバスに向き合うか、粘土や木材のかたまりと力比べをするイメージを思い浮かべがちだが、本作の作家は文字通り「我が道を往く」スタイルで軽妙に国境をまたぎ、世界の今を体験して見せている。展示会場に置かれた他の絵画や彫刻の間に混ざり、軽やかで、とても面白い作品だ。

それにしても、長い木材を引きずりながら街中を歩いていると、不思議がられたり、不審がられたりして、「何をしているのか」と止められたりしないのだろうか。作家によると、そのような時は「私は作家です」と、あいさつするそうだ。この儀式が、この作家の身分証らしい。

杉山

映画「Viva Niki タロット・ガーデンへの道」(2024年制作 日本映画)

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.10.28 投稿

伏見ミリオン座で上映中の映画「Viva Niki タロット・ガーデンへの道」(原題:Viva Niki The Spirit of Niki de Saint Phalle、以下「映画」)を見てきました。映画は、カラフルで大きな女性像=ナナで有名なニキ・ド・サンファル(1930-2002、以下「ニキ」)が20年以上かけてイタリア・トスカーナの森に作った、巨大な彫刻庭園タロット・ガーデン(Tarot Garden)を主題に、ニキの画業を紹介するドキュメント映画です。

監督・撮影・脚本は写真家の松本路子(みちこ)、ナレーションは小泉今日子。映画の公式ホームページは次の通りです。 Viva Niki タロット・ガーデンへの道 公式ホームページ

◆映画の内容

① 導入部

最初に上空から撮影した森が登場し、続いてアントニ・ガウディの「グエル公園」を思わせる柱や彫刻(というよりも構造物)のある庭=タロット・ガーデンが出現します。

② ニキと監督の出会い

 監督がニキと出会ったのは1981年。1枚の肖像写真を撮影する予定でしたが、監督はニキの家でタロット・ガーデンの構想を聞き、以来、ニキの写真を撮影し続けることになります。

③ 3人のナナ

続いて紹介されるのは、1974年にドイツ・ハノーファー(Hannover)に設置された《3人のナナ》。ポリエステル製の彫刻で「カロリーナ」「シャルロッテ」「ゾフィー」の3体です。「1974年当時は、設置反対の声が渦巻き、設置賛成の声と激しく衝突していた」と紹介され、続いて、ハノーファー市民にすっかり受け入れられている現在の様子が映し出されました。

④ ニキが「ナナ」を生み出すまで

 ニキは富豪の家に生まれますが、彼女の誕生間もなく世界恐慌で家は没落。ニキは20代で精神疾患を発症し、アートセラピーとして絵を描き始めます。そして、1961~62年にニキが発表した作品は「ナナ」ではなく「射撃絵画」。石膏のレリーフを銃で撃ち、その衝撃で石膏の中に埋め込まれた絵具がレリーフを様々な色に装飾するという作品です。1963-64年には《薔薇色の出産》など女性の苦悩を表現した作品を発表。1960年代になって、友人の妊婦姿にインスピレーションを受けた「ナナ」シリーズの制作が始まった、と紹介されます。

⑤ 巨大化した「ナナ」は構造物に

 1966年には、ストックホルム近代美術館から依頼された企画で、《ホン》という高さ6m、長さ26mの体内を巡るインスタレーションを発表。続いて、ベルギーの富豪からの依頼で高さ6.4m、長さ33.4mのプレイハウス《ドラゴン》を制作。《ドラゴン》の2階には寝室があり、そこから滑り台で外に出ることが出来ます。監督は「《ドラゴン》の寝室で宿泊した」と語っています。

1983年には、フランス・パリのポンピドゥー・センター隣のストラヴィンスキー広場の池に、公私のパートナーである彫刻家のジャン・ティンゲリーと共同で16個の彫刻噴水《ストラヴィンスキーの泉》を制作。監督は、野外での写真撮影を嫌うニキに頼み込んで《ストラヴィンスキーの泉》を背景にしたニキを撮影します。

⑥ 日本で見ることができる「ナナ」

 日本でも多数の「ナナ」が展示されています。映画が紹介したのは香川県のベネッセアートサイト直島の《ベンチ》《猫》《ラクダ》等とベネッセホールディングス東京本部の《恋する大鳥》《蛇の樹》の外、箱根・彫刻の森美術館の《ミス・ブラック・パワー》などでした。

⑦ 上野千鶴子がニキの作品を分析

 映画には上野千鶴子が登場し、「射撃絵画」や《薔薇色の出産》などを見て、ニキは神経症を患っていると分析。その原因については、ニキが自分の著書に12歳の時に父親から性的虐待を受けたことが原因と書いていることを紹介。70歳近くになって、ようやくカミングアウトしたことについて、衝撃の重さ・苦しみについて語っています。

⑧ 「タロット・ガーデン」の制作

 ニキはアントニ・ガウディのグエル公園を見て、自分でも同じような公園を実現したいと思っていました。イタリアのトスカーナの森に土地を見つけ、1978年からタロット・カードの22枚の札を彫刻作品にした公園の整備に着手し、20年の歳月をかけて1998年から一般公開していることが紹介されます。

 再び、冒頭のシーンが現れ、グエル公園のように見えたのはタロット・ガーデンのNo.4 The Emperor だったと分かります。斜めの柱があり、構造物の表面はカラフルな陶板や鏡、色ガラスで覆われています。この外、No.1 The Magician、No.10 The Wheel of Fortune、No.3 The Empressを始めとする主な作品を紹介。なかでも、The Empress(女帝)は乳房の内部が住居になっており、ニキが7年間アトリエ兼住居として使用。監督は1985年5月に建築現場を訪問しました。

現在、タロット・ガーデンの公開は4月から10月の午後の5時間限り。世界中から、年間10万人が来場しています。閉館期間は、古くなった陶板を外して貼り付け直す等、彫刻の補修をしていますので、管理スタッフの休む間は無いとのことです。

⑨ アメリカ・サンディエゴへの移住・晩年の作品

ニキはポリエステルで作品を制作していたため、長年にわたって呼吸器疾患に悩まされていました。1993年に、温暖な気候のアメリカ・カリフォルニア州のサンディエゴに移住して療養。移住した頃は毎日酸素ボンベのお世話になっていましたが、症状が落ち着いた晩年には、カリフォルニア州エスコンディードで、彫刻庭園《カリフィア女王の魔法の輪(Queen Califia’s Magical Circle)》やドイツ・ハノーファーのヘレンハウゼン王宮庭園のグロッテ(洞窟)の修復・再設計等に取り組み、2002年にサンディエゴで永眠しました。

◆最後に

ニキ・ド・サンフィルの作品は、協力会のツアーで見学した彫刻の森美術館の《ミス・ブラック・パワー》を見ただけで、作家のニキについては全く知識がありませんでした。

この映画では、ニキがファッションモデルだったことや、正規の芸術教育を受けたことが無く、統合失調症のアートセラピーで絵を描き始めたこと、アントニ・ガウディのグエル公園を見て《タロット・ガーデン》の制作を思い立ち、20年という歳月をかけて一般公開を行ったことなど、ニキの生涯と作品について広く知ることが出来ました。

映画に登場する作品はカラフルで見ごたえのあるものばかりです。早めにご覧になることをお勧めします。

Ron.

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