大西珠江 ≪ワタシヲ流ルル君≫、≪時を集めて≫

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京都市立芸術大学作品展にて (その3)

大西珠江 ≪ワタシヲ流ルル君≫、≪時を集めて≫

展示室の床に、表面がデコボコで、白い楕円形の筒と、割れたお椀の欠片のようなものが置かれている。奥の壁面には、同じような素材の端切れのようなものが掛けられている。

手前の筒は、作品名を≪ワタシヲ流ルル君≫という。これを見て、不思議に思ったのは、陶の地肌から横に伸びた氷柱のような透明な部分。その形状から、持ち手ではないし、装飾としても一体感がない。いったい、作家の制作の興味、問題意識はどの辺にあるのだろうか。

手前 ≪ワタシヲ流ルル君≫

奥側の横に寝かせた筒の作品名は、≪時を集めて≫という。この筒にも、細くて透明な棘のような部分がある。開いた筒の口の前に立つと、長い棘が触手のように思われ、深海魚が大きく口を開け、触手で獲物をおびき寄せている場面を連想した。

≪時を集めて≫

作家によれば、作品は陶とガラスで作られていて、焼成は2度行う。陶の部分は釉薬をかけずに焼成し、2度目の焼成で陶の内側に置いたガラスが溶け、ひび割れから垂れてくると、氷柱や触手のようになる。この制作方法は、焼成を止めるタイミングが難しく、何度も実験を重ねたそうだ。

この作家は、陶芸作品で釉薬として使われるガラスを、まるで異なる扱い方で土と組み合わせる。そうすることで、土は土、ガラスはガラスとして存在を主張する作品ができる。

作家のテーマは、ガラスと土の素材としての関わり方を、どのように作品として見せるか、というあたりにあるらしい。伸びた氷柱や触手の先に、どのような新しい展開があり、次回はどのような作品を見せてくれるか、とても楽しみだ。

杉山

山本千愛 ≪線の上をあるく≫

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例年、この時期は各地の芸術大学、美術大学で「卒業制作展」、「修了制作展」が開催され、見た目もコンセプトも奇抜な作品を鑑賞する機会に恵まれる。
名古屋市美術館の話題からは離れるが、最近見た「卒業制作展」、「修了制作展」の作品の中から、特に目を引いた作品を、数回に分けて紹介したい。普段の美術展とは様相の違う世界を楽しんでいただければ幸いだ。

東京藝術大学卒業・修了作品展にて

山本千愛 ≪線の上をあるく≫ (2020年代/東アジアのアーティスト/往路)

展示されているものは、大判のモノクロ写真、長さ3mくらいの木材、ビデオモニターなどで構成されたインスタレーション。モノクロ写真の横には、地図が添えられ、地図の上に打たれたピンの間に糸が張られている。

展示風景

モニターに映された映像を見ると、作者と思われる人物が、長い木材を引きずり、ひたすら歩いている。長い木材の持ち手と反対側(地面に接する側)に、カメラを取り付け、歩く人物の後姿を記録するパフォーマンスだ。地図の地名を見ると、日本以外にドイツ、オーストリア、中国でパフォーマンスを実施したようだ。しばらく見ていて、左側の一番上のモノクロ写真に目が止まった。何かの壁に長い木材を立てかけた様子が映っている。

展示風景

実は、この壁は観光用に残された「ベルリンの壁」の一部で、その下の森の中のランニングコースの風景は撤去された「ベルリンの壁」の跡地らしい。この高さ3mくらいの壁は、壊された後も多様な社会問題の影を象徴する存在として、人々の記憶に残っている。

美術作家と言えば、アトリエでキャンバスに向き合うか、粘土や木材のかたまりと力比べをするイメージを思い浮かべがちだが、本作の作家は文字通り「我が道を往く」スタイルで軽妙に国境をまたぎ、世界の今を体験して見せている。展示会場に置かれた他の絵画や彫刻の間に混ざり、軽やかで、とても面白い作品だ。

それにしても、長い木材を引きずりながら街中を歩いていると、不思議がられたり、不審がられたりして、「何をしているのか」と止められたりしないのだろうか。作家によると、そのような時は「私は作家です」と、あいさつするそうだ。この儀式が、この作家の身分証らしい。

杉山

映画「Viva Niki タロット・ガーデンへの道」(2024年制作 日本映画)

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.10.28 投稿

伏見ミリオン座で上映中の映画「Viva Niki タロット・ガーデンへの道」(原題:Viva Niki The Spirit of Niki de Saint Phalle、以下「映画」)を見てきました。映画は、カラフルで大きな女性像=ナナで有名なニキ・ド・サンファル(1930-2002、以下「ニキ」)が20年以上かけてイタリア・トスカーナの森に作った、巨大な彫刻庭園タロット・ガーデン(Tarot Garden)を主題に、ニキの画業を紹介するドキュメント映画です。

監督・撮影・脚本は写真家の松本路子(みちこ)、ナレーションは小泉今日子。映画の公式ホームページは次の通りです。 Viva Niki タロット・ガーデンへの道 公式ホームページ

◆映画の内容

① 導入部

最初に上空から撮影した森が登場し、続いてアントニ・ガウディの「グエル公園」を思わせる柱や彫刻(というよりも構造物)のある庭=タロット・ガーデンが出現します。

② ニキと監督の出会い

 監督がニキと出会ったのは1981年。1枚の肖像写真を撮影する予定でしたが、監督はニキの家でタロット・ガーデンの構想を聞き、以来、ニキの写真を撮影し続けることになります。

③ 3人のナナ

続いて紹介されるのは、1974年にドイツ・ハノーファー(Hannover)に設置された《3人のナナ》。ポリエステル製の彫刻で「カロリーナ」「シャルロッテ」「ゾフィー」の3体です。「1974年当時は、設置反対の声が渦巻き、設置賛成の声と激しく衝突していた」と紹介され、続いて、ハノーファー市民にすっかり受け入れられている現在の様子が映し出されました。

④ ニキが「ナナ」を生み出すまで

 ニキは富豪の家に生まれますが、彼女の誕生間もなく世界恐慌で家は没落。ニキは20代で精神疾患を発症し、アートセラピーとして絵を描き始めます。そして、1961~62年にニキが発表した作品は「ナナ」ではなく「射撃絵画」。石膏のレリーフを銃で撃ち、その衝撃で石膏の中に埋め込まれた絵具がレリーフを様々な色に装飾するという作品です。1963-64年には《薔薇色の出産》など女性の苦悩を表現した作品を発表。1960年代になって、友人の妊婦姿にインスピレーションを受けた「ナナ」シリーズの制作が始まった、と紹介されます。

⑤ 巨大化した「ナナ」は構造物に

 1966年には、ストックホルム近代美術館から依頼された企画で、《ホン》という高さ6m、長さ26mの体内を巡るインスタレーションを発表。続いて、ベルギーの富豪からの依頼で高さ6.4m、長さ33.4mのプレイハウス《ドラゴン》を制作。《ドラゴン》の2階には寝室があり、そこから滑り台で外に出ることが出来ます。監督は「《ドラゴン》の寝室で宿泊した」と語っています。

1983年には、フランス・パリのポンピドゥー・センター隣のストラヴィンスキー広場の池に、公私のパートナーである彫刻家のジャン・ティンゲリーと共同で16個の彫刻噴水《ストラヴィンスキーの泉》を制作。監督は、野外での写真撮影を嫌うニキに頼み込んで《ストラヴィンスキーの泉》を背景にしたニキを撮影します。

⑥ 日本で見ることができる「ナナ」

 日本でも多数の「ナナ」が展示されています。映画が紹介したのは香川県のベネッセアートサイト直島の《ベンチ》《猫》《ラクダ》等とベネッセホールディングス東京本部の《恋する大鳥》《蛇の樹》の外、箱根・彫刻の森美術館の《ミス・ブラック・パワー》などでした。

⑦ 上野千鶴子がニキの作品を分析

 映画には上野千鶴子が登場し、「射撃絵画」や《薔薇色の出産》などを見て、ニキは神経症を患っていると分析。その原因については、ニキが自分の著書に12歳の時に父親から性的虐待を受けたことが原因と書いていることを紹介。70歳近くになって、ようやくカミングアウトしたことについて、衝撃の重さ・苦しみについて語っています。

⑧ 「タロット・ガーデン」の制作

 ニキはアントニ・ガウディのグエル公園を見て、自分でも同じような公園を実現したいと思っていました。イタリアのトスカーナの森に土地を見つけ、1978年からタロット・カードの22枚の札を彫刻作品にした公園の整備に着手し、20年の歳月をかけて1998年から一般公開していることが紹介されます。

 再び、冒頭のシーンが現れ、グエル公園のように見えたのはタロット・ガーデンのNo.4 The Emperor だったと分かります。斜めの柱があり、構造物の表面はカラフルな陶板や鏡、色ガラスで覆われています。この外、No.1 The Magician、No.10 The Wheel of Fortune、No.3 The Empressを始めとする主な作品を紹介。なかでも、The Empress(女帝)は乳房の内部が住居になっており、ニキが7年間アトリエ兼住居として使用。監督は1985年5月に建築現場を訪問しました。

現在、タロット・ガーデンの公開は4月から10月の午後の5時間限り。世界中から、年間10万人が来場しています。閉館期間は、古くなった陶板を外して貼り付け直す等、彫刻の補修をしていますので、管理スタッフの休む間は無いとのことです。

⑨ アメリカ・サンディエゴへの移住・晩年の作品

ニキはポリエステルで作品を制作していたため、長年にわたって呼吸器疾患に悩まされていました。1993年に、温暖な気候のアメリカ・カリフォルニア州のサンディエゴに移住して療養。移住した頃は毎日酸素ボンベのお世話になっていましたが、症状が落ち着いた晩年には、カリフォルニア州エスコンディードで、彫刻庭園《カリフィア女王の魔法の輪(Queen Califia’s Magical Circle)》やドイツ・ハノーファーのヘレンハウゼン王宮庭園のグロッテ(洞窟)の修復・再設計等に取り組み、2002年にサンディエゴで永眠しました。

◆最後に

ニキ・ド・サンフィルの作品は、協力会のツアーで見学した彫刻の森美術館の《ミス・ブラック・パワー》を見ただけで、作家のニキについては全く知識がありませんでした。

この映画では、ニキがファッションモデルだったことや、正規の芸術教育を受けたことが無く、統合失調症のアートセラピーで絵を描き始めたこと、アントニ・ガウディのグエル公園を見て《タロット・ガーデン》の制作を思い立ち、20年という歳月をかけて一般公開を行ったことなど、ニキの生涯と作品について広く知ることが出来ました。

映画に登場する作品はカラフルで見ごたえのあるものばかりです。早めにご覧になることをお勧めします。

Ron.

展覧会見てある記「瀬戸染付 -軌跡そして美と技-」瀬戸市美術館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.10.08 投稿

瀬戸市美術館(以下「瀬戸市美」)で開催中の「磁祖加藤民吉没後200年事業 国際芸術祭「あいち」地域展開事業連携企画 瀬戸市市制95周年記念 瀬戸市美術館特別企画展 瀬戸染付 - 軌跡そして美と技 -」(以下「本展」)を見てきました。以下は、その概要と感想などです。

◆本展の構成

本展は、青色の顔料で絵付けした「染付」の生産が瀬戸で始まってから、昭和中期に至るまでの作品を三つの時代に分けて展示。皇居の宮殿を飾る「大盆栽」用の「盆鉢」の特別展示も開催しています。

本展は、加藤民吉の作とされる《染付山水図大花瓶》を1階ロビーに展示。通常の順路とは違い、1階・第2展示室から第1章が始まり、第2章と第3章の一部は1階・第1展示室に展示。第3章の残りは2階・第4展示室から第3展示室にかけて展示。特別展示の第4章は第3展示室を使用しています。

◆第1章 瀬戸染付の始まり-初期瀬戸染付(1階・第2展示室)

本展の解説によれば、瀬戸で染付の生産が始まったのは1801年。磁祖とされる加藤民吉が九州で磁器製造の技術を習得したのが1804年から1807年。最初の展示品《染付山水図水指》は享和年間(1801~04)制作です。解説は「素地の白さや呉須の青色は、技術的な改善の余地がある」としています。それが、文化年間(1804~18)制作の《染付山水人物図桐葉型皿》では、素地の白さ呉須の青色のいずれも鮮やかです。文政9年(1826)頃に制作の《染付竹図水指》では、更に技術的な進展が見られます。

この外に目を惹かれたのは《染付馬図水指》です。磁器以外に、陶器の染付があることを知りました。

◆第2章 瀬戸染付の発展-川本治兵衛・川本半助を中心に(1階・第1展示室)

第2章は、江戸時代後期から幕末にかけて制作された作品を展示。目を惹かれたのは《染付雲鶴文火入(一対)》で、鶴を青、雲を金色で描いています。「火入」について、解説は「煙草盆の中に組み入れる道具で、煙草に火をつける火種を入れておく器」としています。茶道における火入の使い方を調べると、次のとおりでした(URL: 水の茶の湯の徒然 火入の灰型 (fc2.com))。

鮮やかな瑠璃色の手桶《瑠璃釉貼花彫牡丹獅子文手桶》は、獅子と牡丹が浮き彫りのように盛り上がっています。技術の高さを感じました。

銅版転写で模様を描いた《銅版染付丸窓絵大植木鉢》の解説は「同じ模様を施すことが出来ることが銅版転写の利点であるが、当時の銅版転写は手描きと比べて、決して効率のよいものではなかったと言われている」というものでした。調べると、銅版に彫った模様を紙に印刷し、その紙を素地に貼り付けて転写したようです(URL: やきものの技法・印版・銅版絵付け・銅版転写【うまか陶】 (umakato.jp))。

《磁胎蒔絵鶴図蓋付碗》は、染付の蓋付碗に蒔絵を施した作品です。解説は「やきものと分かった時に、驚きとそれに対する話題を誘う器である」と書いていました。

◆第3章 瀬戸染付の飛躍-国内外で際立つその美と技

〇1階・第1展示室

第3章は、明治から昭和中期までの作品を展示しています。1階・第1展示室の作品では、青磁と染付の技法を融合させた《青磁染付窓絵草花図花瓶》が目を惹きました。展示は、更に2階へ続きます。

〇2階・第4展示室

第4展示室入口近くに展示の《染付桜花文台鉢》は、鉢の内・外すべてに桜花文が散らされた清楚な作品でした。余白の割合が大きいので素地の白と模様の青が引き立て合って、鮮やかに見えます。

その次の《釉下彩唐草虫文花瓶》には「釉下彩で蝶やバッタのなどの昆虫が描かれている。(略)後に流行するアール・ヌーヴォーの作品に影響を与えた可能性のある図柄」という解説が付いています。なお、釉下彩については、次の解説があります(URL:釉下彩作品 – E ミュージアム大阪 (emosaka.com))。

第2章には蒔絵を施した作品がありましたが、第3章には染付を七宝で装飾した作品がありました。《磁胎七宝花唐草文花瓶》です。解説は「明治時代初期に盛んに生産されたが、明治10年代(1877~86)後半にはほとんどその姿を消した」「海外からの里帰り品である」と書いていました。

「高浮彫」と言えば宮川香山が有名ですが、本展でも高浮彫を展示しています。《染付高浮彫花鳳凰図花瓶》です。

〇2階・第3展示室

写真の《釉下彩花鳥図花瓶(一対)》は、青だけでなくピンク、黄色、茶色も使われた華やかな作品です。これも「海外からの里帰り品」です。

◆第4章 特別展示 皇室の盆器(2階・第3展示室)

第4章は、季節ごとに宮殿の大空間を飾る「大盆栽」に使用された「盆器」7点を展示しています。盆栽に使う鉢は「盆栽鉢」ですが、宮内庁では、それを「盆器」と呼ぶそうです。

鮮やかな瑠璃色の《瑠璃釉貼花彫葵文水盤》が展示室の中央に展示されています。「高浮彫」も施されています。隣で鑑賞していた来場者が、「よく見ると、釉薬を掛け残した白い点がある。でも、大型なのでこれくらいのキズは問題にならない。この部屋で見るべきものは《瑠璃釉貼花粟穂雀文六角大植木鉢(一対)》の右側の鉢。何のキズもない完璧な作品ですよ」と教えて下さいました。

展示室には、宮内庁の盆栽を管理している「宮内庁大道(おおみち)庭園」の写真が掲載されていました。管理用なので、いずれも地味な盆器ですが、 宮内庁のホームページを見ると、皇居に盆栽を飾る時は季節にふさわしい盆器に植え替えて展示しているようです。

以下、URLを2つご紹介します。

① URL: 新年春飾り作成 – 宮内庁 (kunaicho.go.jp)

② URL: 宮殿を飾る盆栽(春飾り) – 宮内庁 (kunaicho.go.jp)

◆最後に

本展公式サイトのURLは、下記のとおりです。

URL: 公益財団法人 瀬戸市文化振興財団 (seto-cul.jp)

なお、当日は時間が無くて寄れませんでしたが、本展の帰りには「瀬戸蔵ミュージアム」(URL: 瀬戸蔵ミュージアム | 瀬戸市 (city.seto.aichi.jp))もご覧になることをお勧めします。陶磁器の製造工程や瀬戸焼の歴史の展示などがあります。

Ron.

展覧会見てある記「民藝 MINGEI」名古屋市美術館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.10.07 投稿

名古屋市市美術館(以下「市美」)で開催中の「民藝  MINGEI 美は暮らしのなかにある」(以下「本展」)を見てきました。以下は、その概要と感想などですが、本展監修者の森谷美保氏(以下「森谷さん」)の講演会「暮らしのなかの民藝」(10.05開催)の内容も加えています。

◆第Ⅰ章 1941生活展―柳宗悦によるライフスタイル提案

本展は通常と異なり、市美の2階が入口です。受付を済ませて展示室に入ると、柳宗悦邸の書斎・食堂を再現した空間が広がっています。テーブルや食器棚、ビューロー(蓋を開けると机になる戸棚)に皿やティーカップ、燭台、硯などを並べて、柳宗悦のライフスタイルを提案していました。

同じような展示方法は2023年春、2024年春にジェイアール名古屋タカシマヤで開催された北欧デザイン展で見て「新鮮な展示方法だな」と感心しましたが、森谷さんによれば、柳宗悦は1941(昭和16)年に日本民藝館で実施していたのです。本展はその時の再現とのこと。「1941年の時、入館者は椅子に座ることも出来た」そうです。

当時の写真は本展公式サイト(以下「公式サイト」 URL: みどころ|『民藝 MINGEI — 美は暮らしのなかにある』公式サイト (exhibit.jp))に掲載されているので、興味があれば検索してください。

本展はロープ越しに展示品を見ることになります。細部を観察したい方は単眼鏡をご持参ください。

上記写真は展示の一部です。黄色いガレナ釉鉢はバーナード・リーチの一番弟子・マイケル・カーデューの作品。六角鉢は沖縄の壺屋焼、陶製のレンゲは島根県・布志名焼、ティーセット(つる付のポットと砂糖入れ)とティーカップは濱田庄司の、青い角鉢は河井寛次郎の作品です。森谷さんによれば「民藝は、民衆的工藝品の略。無名の工人がつくり、一般民衆が日常で用いる器、衣類、品物」とのこと。この定義を徹底すると、マイケル・カーデュー、濱田庄司、河井寛次郎といった個人作家の作品は「民藝」か、否か、微妙なものがありますが、柳宗悦は個人作家の作品を排除せずに収集したということですね。

◆第Ⅱ章 暮らしのなかの民藝―新しいデザイン

第Ⅱ章は「衣」「食」「住」「沖縄」の4つのパートに分かれています。

〇Ⅱ-1 「衣」を装う

先ず目を惹くのが「刺子稽古着」(江戸時代)です。近寄らないと分かりませんが、細かい刺し子が施されています。近藤勇や土方歳三も、このような稽古着を着て剣術修業に励んでいたのでしょう。《剣酢漿草大紋山道模様被布(けん かたばみ だいもん やまみちもよう かつぎ)》について森谷さんは「草花を刺繍した古い着物を染め直したもの」と紹介。染め直した箇所をご確認ください。有松絞の浴衣もあります。

〇Ⅱ-2 「食」を彩る

先ず目を惹くのが、佐賀県・有田焼の湯呑2点と猪口。猪口は公式サイトに画像があります。滋賀・信楽焼の《焼締黒流茶壺》も見応えがあります。焼締は釉薬を掛けない陶器ですが、この壺は部分的に掛けられた釉薬が、見る者に強い印象を与えます。愛知県・瀬戸焼の《呉須鉄絵撫子文石皿》は、名古屋展サイト(URL: 特別展 「民藝 MINGEI-美は暮らしのなかにある」 | 展覧会 | 名古屋市美術館 (city.nagoya.jp))に画像があります。10月6日放送のNHK・Eテレ「美の壺」(絵皿)でも瀬戸焼の石皿(絵は柳の葉:本展のⅢ-topicでも同様の皿を展示)を紹介。石のように丈夫だから「石皿」と呼ばれ、台所や煮物屋の店先で使われていた日常使いの皿です。石皿を生産している様子も放映されました。皿の真ん中で緑と黒に色分けされた鳥取県・牛ノ戸焼《緑黒釉掛分皿》(公式サイトに画像あり)も印象的です。朝鮮半島で作られた《蠟石製薬煎》は、森谷さんが「見ておくべき」と推奨の展示品です。

なお、名古屋会場の「食」の展示について、森谷さんは「6つの巡回先で一番」と評価していました。

〇Ⅱ-topic 気候風土が育んだ暮らしー沖縄

Ⅱ章 topicから、会場は1階に移動。先ず出会うのは、《白掛燭台》《笠》《クバ団扇》など。目を惹いたのは紅型2点です。沖縄県・壺屋焼の《焼締按瓶》《白掛呉須唐草文蓋付碗》も見ものです。

〇Ⅱ-3 「食」を彩る

《灰ならし》《手箒》《芯切鋏》などの生活道具が並ぶ中で目を惹くのは、鉄製の《桐文行燈》。森谷さんは、浜松市で1931年に日本民藝美術館を開館した浜松市の収集家・高林兵衛宅の所蔵品と解説。

◆第Ⅲ章 ひろがる民藝―これまでとこれから

〇Ⅲ-1 『世界の民藝』―新たな民藝の世界

第Ⅲ章は「『世界の民藝』-新たな民藝の世界」「民藝の産地-作り手といま」及び「topic」の3つのパートに分かれています。パート1には、ペルーの人形やギリシアの踊り衣装などを展示しています。

〇Ⅲ-2 民藝の産地―作り手といま

パート2は、大分県・小鹿田(おんた)焼、兵庫県・丹波布、岩手県・鳥越竹細工、富山県・八尾和紙、岡山県・倉敷ガラスの5つの産地と製品を紹介。小鹿田焼で目を惹くのは《鉄釉黒黄流文字入せんべい壺》。壺には「せんべい入」の文字があります。焼きたてのせんべいを入れていたのでしょうか。

5つの産地、それぞれに現行品と映像を展示したコーナーがあります。公式サイトの「ホーム」をクリックすると動画があります。公式サイトの「スペシャル」(URL: MINGEI Guide_HP DL (exhibit.jp))をクリックすると、5つの産地の「民藝ガイド」をダウンロードできます。

この外、大津絵《大黒外法の相撲》も見逃せません。

〇Ⅲ-topic  Mixed MINGEI Style by MOGI

Topicは、現代の民藝を配置したインスタレーションです。写真はその一部で、瀬戸焼の石皿、牛ノ戸焼の皿、柳宗悦の長男・柳宗理(本名:やなぎ・むねみち、インダストリアル・デザイナーとしては、やなぎ・そうり、と読む)がデザインしたバタフライスツール(天童木工製)が写っています。柳宗理は、父親に反発してインダストリアル・デザイナーの道に進みましたが、後年は日本民藝館の館長を務めています。

◆最後に

受付に作品リストが見当たらなかったので、作品リストを持たずに本展を鑑賞しました。第Ⅰ章には写真付きの作品リストが掲示されていますが、紙の作品リストが欲しい方は、下記のURLからダウンロードできます。

※ 作品リストのURL: af8c8d21534b199770a809c2459bee99.pdf (city.nagoya.jp)

〇補足

地下1階・常設展示室3では、民藝運動に参加した棟方志功作の西枇杷島町小田井・渡河山西方寺襖絵を展示しています。前回の展示は1993年ですから31年ぶりのお目見えなので、必見です。

Ron.

展覧会見てある記「生誕130年 荒川豊蔵展」岐阜県現代陶芸美術館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

岐阜県現代陶芸美術館(以下「美術館」)で開催中(11/17まで)の「生誕130年 荒川豊蔵展」(以下「本展」)に行ってきました。利用したのは土・日・祝日だけ運行する「ききょうバス」です。多治見駅南口発の発車時刻は午前中が9:10、10:10、11:10の3本。美術館までは25分ほど。美術館発・多治見駅南口行きの発車時刻は、午前中が9:40、10:40、11:40の3本。午後は13:40からです。

当日、バスが美術館に到着したのは5分遅れの10:40。13:40発のバスだと3時間後なので、11:40発に乗ることを決めました。帰りのバス発車時刻まで、1時間しかありません。

バス停から美術館までは5分ほど。シデコブシ自生地を跨ぐ橋を歩くとトンネルの入口に差し掛かり、トンネルを抜けて、ようやく美術館の全貌が現れました。本展の会場は、美術館に入ってすぐの場所です。観覧料は一般1,000円。以下は本展の内容紹介、感想などです。

◆Ⅰ. プロローグ 人間国宝 荒川豊蔵(人間国宝に指定された昭和30年前後以降の作品を展示)

本展は8章で構成。荒川豊蔵(以下「豊蔵」)が作陶した陶磁器だけでなく、豊蔵が描いた絵や豊蔵が収集した尾形乾山作の角皿や陶片を金継ぎした茶碗も展示しているので見飽きません。

Ⅰ章で目を惹くのがピンク(薄紅色)に発色した茶釜型の水指《志野山の絵水指》です。可愛らしい形の水指で、山の絵が描かれています。Ⅰ章にはこの外にも同名の水指が、白と赤の2点出品されています。何れも円筒形でした。そのうち、白い水指は本展チラシ(以下「チラシ」)の裏に図版が載っています。

「志野」の茶碗では、薄紅色の《志野茶垸 銘氷梅》(作品リストの表記は「茶垸」)が見逃せません。茶碗に掛かった釉薬が縮れて膨れ、割れ目が生じています。解説は「梅花皮(かいらぎ)状に縮れた志野釉を氷の割れ目にみたて、そこに梅の花が浮かび上がっている」と表現しています。この茶碗の図版は本展のプレスリリース(URL: ARAKAWA_Toyozo_Release (cpm-gifu.jp))やチラシの表に掲載されています。この外《志野茶垸 銘朝暘》(チラシ裏に図版)も薄紅色で、梅花皮がきれいに入っています。同じ茶碗でも《志野鶴絵茶垸》は灰色の地に大きく白鶴を描いており、その肌は梅花皮ではなく、ミカンの皮のようにツルッとしています。解説には「俵屋宗達・画、本阿弥光悦・書の『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』に描かれた鶴を思わせる」とありました。

一方、「瀬戸黒」の作品は茶碗と花入です。このうち《瀬戸黒茶垸》には釉薬を掛けた時の指の跡があります。

Ⅰ章には、じっくり見たい作品が多数あります。本展の解説は簡潔で分かりやすく、作品を焼成した窯の表記もあり親切で有難いのですが、解説を一つひとつ丁寧に読んでいると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。観覧時間が限られている場合は、ご注意ください。

◆Ⅱ. 東山窯と星岡窯 - やきものに風情があるのを知る(志野陶片を発見する以前の作品を展示)

Ⅱ章の展示は、日本画家を雇い、瀬戸から取り寄せた素地(素焼きの磁器)に上絵付(釉薬の表面に色絵を描くこと)させたデミタスカップや、京都・伏見の宮永東山窯に勤めていた当時の豊蔵が絵付けした染付(素地に呉須(酸化コバルト)で絵を描き、釉を掛けて焼成すると描いた絵が藍色に発色する)、北大路魯山人の鎌倉・星岡窯に勤めていた当時の豊蔵が絵付けした染付などです。

豊蔵は絵に自信があったこと、豊蔵が手がけていたのは売れ筋の磁器だったことが分かりました。

◆Ⅲ. 荒川豊蔵の陶芸(志野陶片の発見、大萱牟田洞窯の築窯及び乾比根会の結成等に関連する展示)

Ⅲ章の見どころは、名古屋の旅館で北大路魯山人と豊蔵が志野筍絵茶碗を眺める姿を描いた額《古志野発見端緒の図》と、美濃の山で陶片を探す姿を描いた六曲一双の屏風《古志野陶片発見の図・月照陶片歓触の図》です。志野陶片発見の約50年後に豊蔵が描いた作品ですが、当時の興奮が伝わってきます。

豊蔵は志野陶片を発見した後、昭和8年に岐阜県可児郡久々利村大萱(現、可児市)に窯を作りますが失敗。翌年、40m移動した地に「大萱窯」を築き直し、初窯を焚きます。そのためか、Ⅲ章に展示されているのは昭和10年以降の作品です。腰の張った筒形の《瀬戸黒茶碗 銘寒鴉》(チラシ裏に図版)等が展示されていました。この外、「秋のツアー」のお知らせに掲載されていた《黄瀬戸破竹花入》(図版はプレスリリースとチラシ裏に掲載)もⅠ章に展示されています。解説には「華道家の勅使河原蒼風と写真家の土門拳がこの花入に松を生け、撮影した」とあります。確かに前衛的な生け花にはぴったりですが、裂けた花入れに松をどのように生けたのか、とても気になりました。(水を入れた竹筒などを花入れの中に置いて、花を生けたようです)

Ⅲ章には大萱窯以外に、宮永東山窯で作陶した色絵《古九谷風石庭の図平鉢》(チラシ裏に図版)等も展示されています。解説は「個展の出品には大萱の作品だけ足りないので、宮永東山窯で焼かせてもらった」というもの。古巣とはいえ、豊蔵に焼成を許した宮永東山は太っ腹ですね。宮永東山は豊蔵を信頼していたのでしょう。

以上の外、三重県の財界人・陶芸家の川喜多半泥子(かわきた はんでいし:以下「半泥子」)と豊蔵との関係も見どころです。豊蔵が津市・千歳山の半泥子を訪ねた時の礼状《半泥子宛書簡(千歳山訪間の礼状)》、半泥子・豊蔵・三輪休和(萩焼)・金重陶陽(備前焼)の4人で作陶連盟乾比根会(からひねかい)を結成した時の様子を描いた《陶匠友誼図》、豊蔵の陶房を訪れる人の掟として半泥子が書いた《出入帖(宿帖)》を展示しています。書簡の内容や出入帖の「8か条の掟」の内容は本展の解説に書いてあるので「一見の価値あり」です。

(注)「半泥子」は、16代続く名家の当主が道楽で家を傾けることの無いよう、南禅寺の禅師が命名した号。「半ば泥(なず)みて、半ば泥まず」を意味し「半分泥だらけになりながら没頭しても、半分は冷静に己を見つめよ」という教えです。(出典のURL:【探訪】ろくろのまわるまま−究極の素人・川喜田半泥子(三重県津市、石水博物館)キュレーター・嘉納礼奈 – 美術展ナビ (artexhibition.jp)

◆Ⅳ. 暮らしとともに - 水月窯と大萱窯の食器(戦後、多治見市虎渓山に豊蔵が作った水月窯関係の展示)

戦後、豊蔵は一般家庭向けの器を生産するため、多治見市虎渓山に磁器の焼成や、量産、染付、色絵の制作も可能な水月窯を作ります(水月窯の詳細は、平成22年に多治見市文化財保護センターで開催された企画展「水月窯と荒川豊蔵」のパンフレット(URL: suigetutoyozopamp.pdf (tajimi.lg.jp))をご覧ください)。

目を惹いたのは、豊蔵が考案した《梅花文汲出》です。水月窯のベストセラーで、昭和20年代の製品と昭和30年代の製品を展示しています。なお、「汲出(くみだし)」は湯呑よりも浅く、口が広い茶器。上記パンフレットによれば、《梅花文汲出》は粉引(こひき:素地に白い土で化粧を施し、その後、釉薬を掛けて焼成した陶器)です。

◆Ⅴ. 描く、愉しむ(水月窯で可能になった染付や色絵の作品と絵画などを展示)

水月窯では染付、色絵が焼けるので、絵が得意な豊蔵は文人画風の絵を描いた《染付閑居作陶之図四方皿》(チラシ表に図版)や《色絵灌園便図四方飾皿》(チラシ裏に図版)のような飾皿、《壺に桃花流水之図》(チラシ裏に図版)のような絵画を多数制作したようです。

◆Ⅵ.  交友 - 芸術家との共作、五窯歴遊(唐津、萩、備前、丹波、信楽で作陶した作品等を展示)

川合玉堂や前田青邨と共作したやきものの外、萩焼、唐津焼、備前焼、丹波焼、信楽焼の窯元で作陶した作品を展示しています。とはいえ、やきものの特徴がはっきりと分かるのは、釉薬を掛けずに1200度~1300度の高温で焼き締めた備前焼くらいでした。名古屋市美術館で開催予定の「民藝 MINGEI」に地方のやきものが出品されるので、それぞれの特徴をつかもうと思います。

◆Ⅶ. 収集品にみる荒川豊蔵の眼と作品へのひろがり(豊蔵が収集した尾形乾山の角皿などを展示)

出土した陶片を金継ぎした《織部呼継茶碗》は見ものです。解説には「豊蔵は、訪ねてきた随筆家の白洲正子にこの茶碗で茶をふるまっている。飲み干して呼び継ぎに気づいた白洲は衝撃を受けて、のちに随筆『よびつぎの文化』を執筆した」と書いてあります。尾形乾山の角皿も見逃せません。

◆Ⅷ. エピローグ

手控帖、写生・作陶道具などを展示しています。

◆ 最後に

今回の鑑賞時間は、移動時間を除くと実質50分ほどでしたから、一通り駆け足で見てから入口に戻り、「これは」と思った作品に絞って、じっくり眺めました。

Ron.

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