展覧会見てある記「レアリスムの視線」岡崎市美術博物館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.02.09 投稿

岡崎市美術博物館(以下「美術館」)で開催中の「レアリスム視線―戦後具象美術と抽象美術」(以下「本展」)を見てきました。以下は、本展の概要と感想などです。

◆本展紹介Videoの概要

美術館1階の受付で観覧券を購入している時、ドビュッシーの音楽が聞こえてきました。振り返ると、音楽の出所は、ロビーのモニター。モニターに映っていたのは、本展の紹介Videoでした。食い入るように画面を見ている人がいたので、その後ろに座り、モニターを眺めることにしました。

Videoによれば、本展の場合の「レアリスム」は、日本語訳の「写実主義」よりも広く「具象表現だけではなく、現実を追求して内側の芸術性を追求していく抽象表現も含む」というのです。

〇第1章 戦後具象美術画壇と時代の証人者たち

具象表現では、主にベルナール・ビュッフェと彼が参加した「オム・テモワン(時代の証人者)」に焦点を当て、同時代に開催された「時代の証人画家」展に参加したピカソや藤田嗣治なども紹介する、との解説でした。ベルナール・ビュッフェの作品は2022年に寄贈を受けたもので、「本展がお披露目」とのことです。また、アルベルト・ジャコメッティ《鼻》(図版:本展チラシに記載)についての解説もあり、異常なまでに長く伸びた鼻が目を引きますが、作者にとっては「見えるまま」の表現、とのことでした。

〇第2章 アンフォルメル美術

抽象美術では「アンフォルメル」と、この運動と関係した「具体美術協会」を取り上げています。抽象美術には、モンドリアンに代表される「冷たい抽象」と「熱い抽象」の2つの潮流があり、「アンフォルメル」「具体美術協会」は「熱い抽象」。堂本尚郎《絵画》(図版:美術館ホーページに記載)については「手術後、麻酔から覚めるときに体験した“ホワイトアウト”の感覚を表現」との解説がありました。

〇第3章 シュルレアリスム運動

「シュルレアリスム」については、「無意識を表面化」したもの。2024年は、アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表してから100周年のメモリアル・イヤーと紹介。クルト・セリグマン《メムノンと蝶》(図版:美術館ホーページに記載)について「メムノンはギリシア神話に出てくる英雄の名前。すべてが捻じれているが、現実に向きあい、現実を表現したもの」との解説がありました。「蝶はどこ?」と思ったのですが、種明かしはありません。ひょっとしたら、蝶は成虫ではなく蛹なのかな?

〇第4章 日本の様相

名古屋の前衛芸術を志向する「匹亞会(ひつあかい)」を紹介。「匹亞」とは、「次代を担うもの」という造語とのことでした。また、堀尾実《フォトモンタージュ》(図版:本展チラシに記載)ついての解説がありましたが、名古屋市美術館所蔵なのに、これまで見たことがなかったので、とても興味深く聴くことができました。解説で取り上げたのは6点組のうち仏像の写真。写真をいくつかのパーツに切り離し、隙間を空けて台紙に貼り付けた作品です。作品の鑑賞者は解体されたパーツの隙間を埋めて、頭の中で元のイメージを作り上げようとします。そして、そこから生まれる違和感こそが「作者の狙い」のようです。

〇バック・グラウンド・ミュージック

Videoは約15分間。本展の概要を分かりやすくまとめているので、鑑賞の助けになりました。Videoの最後に音楽の曲名が紹介され、ドビュッシー作曲の「アラベスク第1番」と「夢」だと分かりました。

◆第1章 戦後具象美術画壇と時代の証人者たち

最初に展示されているのは、ベルナール・ビュフェのドライポイントの数々。作品リストに記載されているのは版画集の名前のようで、「声」というタイトルでは、旧型の受話器・犬とマッチ箱・リボルバー拳銃・声を聞く人の4枚が展示されていました。直線的な固い描線、デフォルメされた顔、寂しさを漂わせる画面で、ビュッフェらしい作品ばかりです。「日本への旅」「サントロペ」は、カラーリトグラフ。「日本への旅」は1981年制作で、6枚が展示されていました。表紙、芸者、富士山、東大寺、力士の外、東京タワーと首都高速道路を描いた現代の風景もあります。《東京の高速道路》という1980年制作の油絵も展示されていました。この外、《花と道化師》は、本展のチラシに記載されています。

「時代の証人画家」展に参加した作家の作品としては、ラウル・デュフィ《電気の精(10枚組のうち2点)》、藤田嗣治《少女》《ラ・フォンテーヌ頌》、パブロ・ピカソ《老いたる王》《フットボール》、フランシス・ベーコン《スフィンクス》、アルベルト・ジャコメッティ《鼻》(図版:本展チラシに記載)《ディエゴの肖像》、ジョルジュ・ルオーの版画などが展示されており、見ごたえがありました。

◆第2章 アンフォルメル美術

「アンフォルメル」の画家としては、サムフランシス《MAN BORN》《春》、ピエール・スーラージュ《絵画1969年5月26日》、堂本尚郎《絵画》を展示。具体美術協会の画家としては、フット・ペインティングの白髪一雄《無題》、元定定正《作品2》、田中敦子《作品》(図版:本展チラシに記載)《作品》《作品》、今井俊満《東方の光》始め4点を展示。なかでも白髪一雄《無題》は、身体を使って描いたという感じが、画面から伝わってきました。

◆第3章 シュルレアリスム運動

「シュルレアリスム」はその名の通り、写実主義を超えていると思われますが、「目前に広がる『現実』そのものにある『真の現実』を追求した」ということから本展では「レアリスム」に入れています。この視点は碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「顕神の夢-幻視の表現者」と共通したものを感じました。

クルト・セリグマン《メムノンと蝶》(図版:美術館ホーページに記載)の外、サルバドール・ダリ《ダリの太陽》、マックス・エルンスト《貝の花》《森》、ヴィクトル・ブローネル《誕生の球体》などが展示されており、岡崎市美術博物館のシュルレアリスムのコレクションを堪能することができました。

◆第4章 日本の様相

堀尾実「フォトコラージュ」の6点(うち、1点の図版は本展チラシに記載)の外、美術館所蔵の堀尾作品を4点展示。名古屋市美術館所蔵の作品では竹田大助《自在天》《弔鐘》の2点も展示しています。何れも初めてみる作品でした。この外、北川民次《平和な闘争》は1964年の東京オリンピックをテーマにした作品でした。

◆最後に

美術館のリニューアル・オープン後、初めて来た展覧会ですが、大いに楽しむことができました。特に、名古屋市美術館所蔵の作品は初めて見るものばかり。協力会の会員さんには「お勧めの展覧会」だと思います。

なお、名鉄バスを利用する場合、東岡崎と岡崎市美術博物館を結ぶ系統は、1時間に1本のバスしかありません。あらかじめ時刻表をご確認くださいますよう、お願い申し上げます。

Ron.

◆追加情報

〇本展は、「展示室内では写真撮影禁止」だったため、図版は掲載できません。ただ、美術館のホープページと本展チラシには図版が掲載されていますので、下記のURLで検索してください。

・岡崎市美術博物館「レアリスムの視線」ホームページのURL

URL:開催中の展覧会 「レアリスムの視線-戦後具象美術と抽象美術」 | 岡崎市美術博物館ホームページ (okazaki.lg.jp)

・本展チラシのURL

URL: réalisme_A4_fix (okazaki.lg.jp)

〇本展は、WEB割引(一般:1,200円→1,100円)があります。下記のURLで検索してください。

岡崎市美術博物館「レアリスムの視線」WEB割引ページのURL

URL:WEB割引 企画展「レアリスムの視線­―戦後具象美術と抽象美術」 | 岡崎市美術博物館ホームページ (okazaki.lg.jp)

読書ノート 「文春美術館」 「週刊文春」2024年2月15日号

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.02.08 投稿

「その他の世界61」猛獣画廊というピンチヒッター 執筆:木下直之

2月8日発売の「週刊文春」が、名古屋市美術館で開催中の「猛獣画廊壁画修復プロジェクト 修復完了報告展」の展覧会評を掲載していたのでお知らせします。

「週刊文春」の「文春美術館」は、「その他の世界」「東洋美術逍遥」「名画レントゲン」という3タイトルが毎週交代して、リレーする連載です。昨年8月には「東洋美術逍遥」が、愛知県美術館「幻の愛知県博物館」を取り上げていました。今回は、木下直之・静岡県立美術館館館長の執筆による展覧会評「その他の世界」が取り上げたものです。

「猛獣画廊壁画」は、第二次世界大戦中の猛獣処分により主(あるじ)が不在となったカバ舎に、せめて絵だけでもと展示されたものです。「その他の世界61」は、わずか1ページという分量ですが、「猛獣画廊壁画」について分かりやすくまとめています。

現在の「週刊文春」には多くの読者がいるので、名古屋市美術館の「猛獣画廊壁画修復プロジェクト」が広く知られるのは、ありがたいばかりです。なお、展覧会の詳細につきましては、名古屋市美術館ホームページの下記URLをご覧ください。

特集 開館35周年事業 猛獣画廊壁画修復プロジェクト 修復完了報告展 | 展覧会 | 名古屋市美術館 (city.nagoya.jp)

「ガウディとサグラダ・ファミリア」展の鑑賞後には、「猛獣画廊壁画修復プロジェクト 修復完了報告展」もご覧くださいますよう、お願い申し上げます。

Ron.

展覧会見てある記「顕神の夢 ―幻視の表現者」碧南市藤井達吉現代美術館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.01.27 投稿

碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「顕神の夢 ―幻視の表現者― 村山槐多、関根正二から現代まで」(以下「本展」)を見てきました。

1月7日付中日新聞の記事によれば、岡本太郎美術館(川崎市)などと連携した全国巡回展の5カ所目(最終)で「霊性や神性、宗教観をテーマとした企画展」。前期(1/5~1/28)後期(1/30~2/25)で20点程度入れ替わるようで、展示室の写真(岡本太郎と横尾忠則の作品が見えます)も掲載されていました。

本展の入口は2階で、最後の展示「神・仏・魔を描く」は1階・展示室3です。会場入り口に「作品リスト」が置かれ、展示室にも作者の言葉などが掲示されており、鑑賞の助けになります。

◆「見神者たち」・「越境者たち」・「幻視の画家たち」・「神・仏・魔を描く」(2階・展示室1)

〇「見神者たち」

最初の展示は大本教の教祖(開祖)出口なおの《お筆先》と、もう一人の教祖(聖師)出口王仁三郎(おにさぶろう:開祖の女婿)の仏画《厳上観音》、書《おほもとすめおみかみ(大天主太神)》と茶碗《耀盌(ようわん)》です。出口なおは57歳の時に神がかりして「艮(うしとら)の金神(こんじん)」の命ずるまま「うしとらのこんじん」「のこらずのこんじん」等と自動筆記した20万枚を超える「お筆先」を残したとのことでした。いずれの展示品も現世の向こうからやってきた「何か」を表現しており、「顕神の夢」の冒頭にふさわしいと思います。岡本天明《三貴神像》は、見るからに神道の神の姿を描いたもの。金井南龍《妣(はは)の国》(本展チラシ裏07に図版、以下「裏07」と記載)は、昭和40年代の父と子どもたちが祈る姿だと思ったのですが、実はイザナギと子どものアマテラス、ツクヨミ、スサノオが、黄泉の国のイザナミを慕う姿でした。三輪洸旗《スサノヲ》《雷神》《太子と大師》《神馬》は、いずれも作者が見た「神の波動」を描いたものだと思われます。

〇「越境者たち」

目を引いたのは、馬場まり子《海から見た風景Ⅳ(月は東に日は西に)》です。画面中央に山並みが横たわり、空には大きくて丸いものが二つ並んでいます。山並みに向かって人の影が長く伸びているので、太陽を背にして、東の風景を描いたと思われますが、不思議なことに月と日が二つとも浮かんでいます。この作品の横には、岡本太郎《具現》《千手》(裏03)と横尾忠則《水のある赤い風景》《如何に生きるか》の4点が並んでいます。《水のある赤い風景》は大火事を想起させ、《如何に生きるか》にはY字路とオーロラが描かれています。以上5点はいずれも「この世を越えた向こう側」を描いているようです。

本展のチケットに使われている、中園礼二《無題》も展示されています。展示室1の最後の方には、宮沢賢治の作品の複製画もあり、なかでも人間の姿をした電柱が歩く姿を描いた《無題(月夜のでんしんばしら)》は、とてもシュールで、思わず見入ってしまいました。

〇「幻視の画家たち」

本展の副題は「村山槐多、関根正二から現代まで」。そのうち村山槐多は、《裸婦》(前期のみ)と《バラと少女》の2点を展示していました。後期には《尿する禅僧》が展示されます。一方、関根正二は、《少年》(チラシ表紙)《自画像》《神の祈り》《三星》の4作品を展示。どういうわけか「幻視の画家たち」という表題をつけると、以上の作品は、いずれも「幻」を描いているように思えてしまいます。

頭上に赤い雲が浮かぶ、萬鉄五郎《雲のある自画像》(裏09)を始め、宮沢賢治の童話を描いた、高橋忠彌《水汲み》、ケンムンという謎のイキモノを描いた、藤山ハン《南島神獣―四つのパーツからなる光景》、胴体が蓑虫、羽が枯葉の巨大な蝶を描いた、三輪田俊助《風景》などは「幻視の画家」にふさわしい作品です。

〇「神・仏・魔を描く」

展示室1の最後に展示の橋本平八「猫A」ですが、作品リストでは「神・仏・魔を描く」に入っています。展示スペース等の都合で2階に展示されたと思われますが、他の作品となじんでいました。

◆「幻視の画家たち」・「内的光を求めて」・「神・仏・魔を描く」(2階・展示室2)

〇「幻視の画家たち」

展示室に入ると舟越直木のドローイングとブロンズ像が並んでいます。ブロンズ像には目鼻が無く、ドローイングは人間離れした女性を描いています。草むらを描いた芥川麟太郎《笹藪わたる》には、1945年の横浜空襲の時、母子で逃げた体験が反映されているようです。そう思って作品を見ると、作者の心情が見える気がします。

庄司朝美《21.8.18》(裏08)は透明なアクリル板に絵の具を塗り重ねては拭き取って制作したもの。描いた像が、絵の具の中から見え隠れするように思える不思議な作品で、この世の向こう側から描いたように感じます。矢島正明《給食当番》(裏04)は、原爆資料館で見た、原爆の熱戦を浴びて蒸発した人の黒い影だけが残された石の階段に触発された作品。廊下の黒い影は終戦の二週間後に死んだ妹とのことです。花沢忍《宇宙について》《夢》は、シャガールの幻想的な作品のようでした。

〇「内的光を求めて」

横尾龍彦《無題》(1/5~1/28のみ)、《枯木龍1吟》《龍との闘い》の3点は、タイトルと作品を見比べながら色々と観察したのですが「龍」の具体的な姿はつかめません。とはいえ、線の勢いや内なる光のようなものは感じることができました。

〇「神・仏・魔を描く」

真島直子の立体作品《妖精》とドローイング《妖精》は、モチーフに髑髏を使っているためか、作品リストでは「神・仏・魔を描く」に入っていました。石野守一《不安》(裏05)も同様に、展示室2で鑑賞することができました。

◆「内的光を求めて」・「神・仏・魔を描く」(2階・多目的室)

〇「内的光を求めて」

黒須信雄《八尺鏡(やたのかがみ)》、上田葉介《支えあう形》、橋本倫《光の壁龕Ⅱ》、石塚雅子《彼方》(以上は前期のみ)と藤白尊《複数の光源》《小さな渦巻》《未明》は、カラフルな現代アートでした。

〇「神・仏・魔を描く」

黒川弘毅のブロンズ像《EROS No.71》《EROS No.72》は、作品リストでは「神・仏・魔を描く」に入っています。

◆「神・仏・魔を描く」(1階・展示室3)

2階・多目的室を後にして1階・展示室3に向かうと、真っ黒な円空《十一面観音立像》が出迎えしてくれました。インパクトがあったのは、佐々木誠の木彫《久延毘古(くえびこ)》で、宝珠のついた竹の笠を被っている「案山子の神」。案山子なので、腰から下は四角柱でした。三宅一樹《スサノオ》は、台風で半倒壊した樹齢600年から彫り出したもの。《root1(上九沢八坂神社御神欅)》は洞(うろ)のある御神木のスケッチ。いずれも印象深いものでした。

秦テルヲ《阿修羅(自画像)》《恵まれしもの》《樹下菩薩像》の3点は、優しくて分かりやすい仏画です。牧島如鳩《魚籃観音図》は大漁祈願のために描いた油絵で、天女や菩薩ばかりかマリアや天使まで描かれている「国籍不明」の作品です。佐藤渓《大天主太神(おおもとすめおおみかみ)と二天使(にかみがみ)》(前期のみ)は、大天主太神の頭に角が生えていますが、大本教の影響が反映された作品とのことでした。

宗教画ではありませんが、本展は、炎を上げて燃えるロウソクを描いた高島野十郎《蝋燭》を2点展示しています。2018年開催の協力会・秋のツアーで福岡県立美術館を見学した時に初めてこの作品を知り、高い精神性を感じた思い出があります。若林奮の作品も同様に、宗教画ではありませんが精神性を感じます。

以上の外、藤井達吉の作品も、《炎》《佛殿図》《土星》《斑鳩の里》の4点を展示しています。また、1階・展示室4では、令和5年度コレクション展 4期「継色紙の世界」を同時開催中です。

◆最後に

本展チラシは「本展は、今までモダニズムの尺度により零(こぼ)れ落ち、十分に評価されなかった作品や、批評の機会を待つ現代の作品に光をあてる一方、すでに評価が定まった近代の作品を、新たな、いわば「霊性の尺度」でもって測りなおすことにより、それらがもつ豊かな力を再発見、再認識する試みです」と書いています。本展は、この言葉どおり、意欲的な展覧会で「一見の価値あり」だと思います。

本展については、先日、協力会から「2月17日(土)午後2時からミニツアー開催」というお知らせが届きました。後期展示の作品を見ることができるので、参加するつもりです。ミニツアーの前に、碧南駅前の大正館で食事会も予定されているようです。今から楽しみですね。

Ron.

◆追加情報

碧南市藤井達吉現代美術館HP(本展チラシ、作品リスト及び主な作品を掲載)のURLは次のとおりです。

URL:顕神の夢 ―幻視の表現者― 村山槐多、関根正二から現代まで/碧南市 (hekinan.lg.jp)

「ガウディとサグラダ・ファミリア展」ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

2024.01.20(土) 17:00~18:30

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」(以下「本展」)の協力会向けギャラリートークに参加しました。参加者は49名。講師は、久保田舞美学芸員(以下「久保田さん」)。当日は来館者が多く、ギャラリートーク開始時は展示室に来館者が残っていたため、美術館2階講堂で久保田さんの解説を聴いた後、自由観覧・自由解散となりました。以下は、久保田さんの解説の要点と自由観覧の感想です。

◆久保田さんの解説の要点(17:00~17:35)

〇ガウディの生涯

アントニ・ガウディは1852年、スペインのカタルーニャ地方に生まれ、1926年に死去。1882年からサグラダ・ファミリア聖堂の建設に携わった。なお、アントニ・ガウディはカタルーニャ語で、スペイン語だとアントニオ・ガウディとなる。

〇世界遺産に登録されたガウディ建築

世界遺産には、バルセロナを中心に、グエル公園、カサ・ミラなど7つの建築物が登録されている。

〇本展の概要

本展の展示は2階から始まる。「1 ガウディとその時代」「2 ガウディの創造の源泉」が2階。「3 サグラダ・ファミリアの軌跡」「4 ガウディの遺伝子」が1階。

〇本展の見どころ

本展の見どころは、次の三つ

① アイデアの源泉

② サグラダ・ファミリア聖堂の建設のプロセス

③ サグラダ・ファミリア聖堂の豊かな世界

〇アイデアの源泉

ガウディは「独創的」と言われるが、「歴史」「自然」「幾何学」がアイデアの源泉となっている。

〇サグラダ・ファミリア聖堂の建設のプロセス

・サグラダ・ファミリア聖堂建設の前史

サグラダ・ファミリア聖堂の建設は、1866年に宗教書の出版と書店を経営するブカベーリャが、「聖ヨセフ信心会」を設立したことが発端。当時広がっていた社会不安は信仰心が薄れているためでは、と考えたブカベーリャは、聖家族(サグラダ・ファミリ)の家長・聖ヨセフに救いを求める「聖ヨセフ信心会」の本堂として「サグラダ・ファミリア聖堂」の建設を提案した。

・ガウディは二代目

サグラダ・ファミリア聖堂・初代の建築家はビリャール。ネオ・ゴシック様式のささやかな規模の聖堂を計画。しかし、意見の対立からビリャールは建築家を降り、ガウディが二代目の建築家に就任した。

・ガウディが構想したサグラダ・ファミリア聖堂

ガウディがサグラダ・ファミリア聖堂の建設に取り掛かった時、巨額の献金を得て、彼はバルセロナのシンボルとなる大きな聖堂を構想した。それは、建物の平面図は十字型で、東・西と南の三つの正面(ファサード)にイエスの物語を彫刻で描くというもの。東は「降誕の正面」でイエス誕生の物語を、西は「受難の正面」でイエス磔刑の物語を、南は「栄光の正面」でイエス復活の物語を描くという構想だった。

・サグラダ・ファミリア聖堂の建設計画

2026年にサグラダ・ファミリア聖堂の完成を目指していたが、新型コロナウイルスの感染拡大で建設工事が遅れ、計画を変更。現在は、聖堂のシンボルである「イエスの塔」の2026年完成を目指している。

〇本展の展示内容

1 ガウディとその時代

・ガウディ・ノート

若い頃に使っていたノート。建築論を書いていたことがわかる。

・クメーリャ革手袋店ショーケース、パリ万国博覧会のためのスケッチ

アウゼビ・グエル(ガウディのパトロン)がガウディを見出すきっかけとなったショーケース

2 ガウディの創造の源泉

・破砕タイル

曲面をタイルで覆うための工夫として、破砕タイルを使用した。

・コローニア・グエル教会堂、逆さ吊り実験

模型の下の床面が鏡になっているので、床からアーチが立ち上がっているように見える。

・ニューヨーク大ホテル計画案模型

回転放物線面(パラボラ形の塔)の建物だが、実現しなかった。

3 サグラダ・ファミリアの軌跡

・サグラダ・ファミリア聖堂のオリジナル模型

本展には、サグラダ・ファミリア聖堂のオリジナル模型も展示。スペイン内戦で破壊されたものを補修して使っている。茶色のところがオリジナルの部分で白いところが補修箇所。

・サグラダ・ファミリア聖堂の塑像断片

これも、スペイン内戦で破壊された塑像の断片。

・サグラダ・ファミリア聖堂、身廊部模型

枝分かれする柱を見ると、森の中にいるような空気感がある。

・サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:歌う天使たち

外尾悦郎が制作。石像が設置されるまでの10年間、サグラダ・ファミリア聖堂に置かれていた石膏像。

最後 サグラダ・ファミリアの4K映像

2023今年5月にNHKが撮影したドローン撮影を含むサグラダ・ファミリアの動画(5分17秒)を上映。

◆自由鑑賞(17:35~18:30頃)

2 ガウディの創造の源泉

・ガウディが描いた図面

ガウディが卒業制作の大学講堂・断面図やガウディが製図したモンセラー修道院聖堂(設計はビリャール)を見た参加者は、誰もが「こんなに細い線をどうやって描いたの!?」とびっくり。久保田さんに聞いたところ「下書きは鉛筆のようで、図面はインクで描いたと思われますが、筆記具は不明」との回答でした。ギャラリートークに参加した皆さんは誰も、ガウディの製図の腕前を称賛していました。

・サグラダ・ファミリア仮設学校屋根:錐状面模型とVideo

興味をもって見たのは、「直線を平行移動させて作る曲面」によって作られたサグラダ・ファミリア仮設学校(サグラダ・ファミリアの建設現場で働く人々の子どもや地域の子どもが学ぶ学校)の屋根の構造模型とVideoです。安価な薄いレンガを積み重ねる工法で制作した曲面の屋根と壁で支える構造の建物で、低い建設コストでありながら広い空間の教室を実現しているのが素晴らしいと思いました。(下の写真は、本展展示のサグラダ・ファミリア聖堂全体模型の中にある、サグラダ・ファミリア仮設学校)

3 サグラダ・ファミリアの軌跡

・降誕の正面:歌う天使たち

ほぼ等身大の石膏像を間近に見るという、素晴らしい体験をしました。

◆最後に

ギャラリートークでは、小さな声ですが、参加者と意見交換することができたので、楽しく鑑賞することができました。

久保田さん、ありがとうございました。

Ron

名古屋市美術館協力会  秋のツアー2023 大阪

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor

 2023.12.10開催 

今回参加したのは、2019(令和元)年12月1日以来、4年ぶりのツアーです。前回は奈良が目的地で4カ所を見学、今回は大阪が目的地で2カ所を見学。集合場所は2019年と同じ名古屋駅噴水前でしたが、何と、噴水がありません。リニア中央新幹線開業に向けた名古屋駅工事の関連で撤去されていました。4年という歳月の長さを感じます。これからの集合場所は「銀時計前」に変更ですね。なお、今回の参加者は32名。集合時刻の午前7時45分よりも前に全員が集合したので午前7時50分(予定の10分前)にバスは発車しました。

◆往路:渋滞知らずの新ルート

 従来、関西方面のツアーでは往路・復路とも渋滞がつきものでしたが、2019(平成31)年3月に新名神高速道路の新四日市JCT~亀山西JCTが開通した後は渋滞知らず。新名神高速道路を走るバスの車窓からは、鈴鹿山脈が間近に見えました。草津PAで休憩、瀬田東JCTから京滋バイパス経由で南に向かい、東大阪JCTから大阪都市高速、森之宮ICから一般道に入ってバスは藤田美術館へ向かい、車窓からは大阪城がくっきり見えました。

◆平成26(2014)年以来、9年ぶりの藤田美術館(10:30~12:30)

〇到着時にアナウンスされた注意事項

藤田美術館には午前10時30分(予定の40分前)に到着。添乗員の石井さん(以下「石井さん」)が入場手続きを済ませると、藤田美術館から次の5点についてアナウンスがありました。

①午前11時から予約不要のギャラリートークが始まるので、希望される方は展示室内でお待ちください、②展示品の解説パネルはありませんが、スマホで展示室入口のQRコードを読み取ると、展示品の解説を音声と文字で提供するアプリをインストールできます(注:実は、バス乗車時に渡された資料にQRコードがありました)、③エントランスのお茶室「あみじま茶屋」で、お茶と団子のセットを有料で提供しています、④展示室を出るとお庭(注:大阪市の「旧藤田邸庭園」)を見学できます、⑤展示室に再入場する時は「協力会ツアー参加者」とお告げください。

アナウンスは以上で終わり。石井さんが「12時30分に集合してください」と告げると、参加者はそれぞれの目的地=お茶屋・展示室・お庭を目指して行動を開始しました。

〇リニューアルした藤田美術館

私にとって、協力会のツアーで藤田美術館を訪れるのは、今回が2度目です。前回は2014年。当時の展示室は旧藤田邸の土蔵でした。藤田美術館は2017年に一時休館し、2022年にリニューアル・オープン。今回は、ガラス張りの白い建物が迎えてくれました。以前は冷暖房が無く「春・秋のみの開館」でしたが、リニューアル後は「年末年始を除き無休」。以前の建物の名残もあります。私が気付いたのは、展示室の入口・出口の、再利用された土蔵の鉄扉と土蔵の梁を再利用したエントランスの長椅子でした。すっかり様変わりしていましたね。

なお、リニューアルの詳細は、次のURLをご覧ください。 URL: https://webtaiyo.com/pickup/4615/

〇ギャラリートークの概要

今回、鑑賞した展示テーマは「妖」「護」「山」の三つ。学芸員さんの説明によると、展示室は可動壁で4つに仕切られ、毎月、各室が順番に展示替えをします。各室とも4カ月目に壁を閉じ、次回展示の準備に入ります。つまり「いつ来館しても、3つテーマの展示を鑑賞できる」とのことでした。

「妖」

 最初の解説は長澤蘆雪の三幅対。左幅は「白蔵主」(狐が化けた僧侶)中央が「幽霊」右幅「髑髏仔犬」(狐が化けていることを見破った仔犬と狐に喰われた白蔵主の髑髏)とのことでした。次は、鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)の《吉原通図(よしわらかよいず)》。絵巻最後の場面、同衾する男女の横に置かれた屏風に書かれた「鳥文斎栄之」の署名は作者の「隠し落款」との解説でした。三つ目は、菱川師宣の《大江山酒呑童子絵巻 下巻》。斬られた鬼の傷口から飛び散る血しぶきの描写は凄惨でした。四つ目は、《小野小町坐像》。謡曲『卒塔婆小町』に取材した作品なので、老いさらばえ、ぼろを纏った姿の小町にびっくり。最後は、船遊びの様子を描いた岡田半江(おかだはんこう)の《網島船遊画巻(あみじませんゆうがかん)》でした。

「護」

 展示品は、仏像、仏画及び仏具。最初は《四天王像》。東に《持国天》南に《増長天》西に《広目天》北に《多聞天》と、四方に仏像が並んでいます。学芸員さんは「鎌倉時代の作で《増長天》《広目天》は静、《持国天》《多聞天》は動。四天王が踏み付けている邪鬼の目は玉眼」と解説。よく見ると、邪鬼が可愛らしい存在に見えます。高野山に伝わった、鎌倉時代の金メッキの密教仏具のセットも、目を引きました。

「山」

 展示品は、山に関するもの。最初は、小川破笠(おがわはりつ)《仲麻呂観月掛板》。山は描かれていませんが「上に描かれた月の凸凹は金属の腐食によるもの、下に描かれた王維と阿倍仲麻呂が月を見ている姿。主題は『天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも』の歌」との解説がありました。《竹鶴蒔絵茶箱》も面白い展示品です。茶碗・茶入れ・茶杓・茶筅などをコンパクトに納める携帯用の箱です。「どのような組み合わせにするか考えるのが楽しみ」との解説でした。ギャラリートークの解説はありませんでしたが、大きく歪んだ明時代の鉢《祥瑞山水人物反鉢》は、白地に鮮やかな藍色の山水と人物が描かれた美しい磁器でした。なお、藤田美術館のホームページのURLはつぎのとおりです。

藤田美術館 | FUJITA MUSEUM藤田美術館 | FUJITA MUSEUM (fujita-museum.or.jp)

〇お庭(旧藤田邸庭園)

 前回は見学時間が短く、お庭を鑑賞する余裕はありませんでしたが、今回は見学時間は長かったのでお庭を鑑賞することが出来ました。展示室を抜けて、しばらく歩くと庭への出口があります。庭に出ると最初に見えるのが、高野山・高臺院から移築した塔で、その横を進むと、広場と散策路が広がります。大阪市の公園なので、道路から庭園に入ることもできるようです。当日は、秋を思わせる爽やかな天候だったので、藤田美術館来場者以外の人たちも公園を歩いていました。庭を散策して、晴れ晴れした気持ちになりました。藤田美術館のリニューアルにあわせて、茶室も新築されたそうです。なお、大阪市のホームページに掲載の旧藤田邸庭園のURLは、次のとおりです。 大阪市:旧藤田邸庭園 (…>大阪市指定文化財>大阪市指定文化財(指定年度別)) (osaka.lg.jp)

〇あみじま茶屋

 お庭の後の楽しみは、団子とお茶。2個を串刺した団子2本(餡と醤油)と、お茶は抹茶・番茶・煎茶の中から選べます。お値段は1セット500円。朝が早くて空腹だったので、有難かったですね。

◆昼食はホテルの12階、眼下に大阪城(12:55~13:30)

昼食会場は大阪城の南、KKDホテル大阪の12階聚楽園。眼下に大阪城を見ながら和食に舌鼓。ホテルの入口に置いてあった「大阪城天守閣」のパンフレットは「昭和の天守閣復興」と題して、次の文章を掲載しています。〈明治以降、大阪城は陸軍用地として使われた。その中にあって昭和6(1931)年、市民の熱意によって現在の天守閣が復興され(注1)、平成9(1997)年には国の登録有形文化財となった。大阪城一帯は第二次世界大戦の空襲によって損害をこうむったが(注2)、戦後は史跡公園として整備された。〉

注1:市民からの寄附金は150万円。天守閣建設に47万円、第4師団司令部(現:ミライザ大阪城)建設に80万円 、本丸・二の丸の公園整備に23万円を使ったとのことです。出典:大坂城 – Wikipedia

注2:空襲で壊滅した大阪砲兵工廠跡では、昭和30(1955)年から昭和34(1959)年にかけて工廠跡に埋もれた金属を狙う窃盗団と守衛・警察との攻防が起き、この事件をテーマに、開高健の小説『日本三文オペラ』(1959)、小松左京のSF小説『日本アパッチ族』(1964)、梁石日の小説『夜を賭けて』(1994)が書かれました。出典:大阪砲兵工廠 – Wikipedia

◆大阪中之島美術館の「テート美術館展」(14:00~15:20)

最後は大阪中之島美術館。5階で開催中の「テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ」(以下「本展」)を鑑賞しました。学芸員による解説は無いので、入場後は自由行動でした。

最初の展示は、アニッシュ・カプーア《イシーの光》(2003)。卵の殻の上下を取り外し、内側を鏡のようにした形状のオブジェで、前を通る人の像が凹面鏡の作用で逆さに写るのですが、作品に近づけないので鏡の効果がよく分かりません。「もう少し近づけたらよかったのに」と、残念がる参加者が多数いました。

本展の目玉はターナーですが、油絵は抽象画のように見えました。同行した清家さんは「講義のための図解」シリーズの透明な球における反射を描いた作品が面白かったと、感想を語っていました。

個人的には、本展チラシの表紙に使われているジョン・ブレッド《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》(1871)が、渥美半島の表浜から見る波が穏やかな時の太平洋のようで印象的でした。

 本展に展示された現代アートは楽しめるものが多く、参加者はオラファー・エリアソンの《黄色vs紫》(2003)《星くずの素粒子》(2014)、ジェームズ・タレル《レイマー・ブルー》(1969)などを楽しんでいました。

 URLは、次のとおり。テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ | 大阪中之島美術館 (nakka-art.jp)

◆最後に

藤田美術館で《窯変天目茶碗》を見ることは出来なかったものの、展示品はどれも見ごたえがあり、お庭の散策やあみじま茶屋で団子と抹茶を楽しめました。昼食で見た大阪城は「もうひとつの見学先」という存在。大阪中之島美術館は、「行って来ただけでも儲けもの」です。

天候に恵まれ、帰りの車中では清家さんのトークを聴くことも出来ました。往路・復路とも渋滞知らずで、名古屋着は予定よりも20分早い、18時20分。4年ぶりの開催で不安がありましたが、満足できるツアーとなりました。旅行を企画した松本さま、添乗員・ドライバーさま、参加された皆さま、ありがとうございました。

Ron.

展覧会見てある記 碧南市藤井達吉現代美術館「須田国太郎の芸術」  2023.11.25 投稿

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「須田国太郎の芸術 三つのまなざし 絵画・スペイン・能狂言」(以下「本展」)を見てきました。本展には「碧南市制75周年記念事業 開館15周年記念 生誕130年 没後60年を越えて」という長い副題もついています。

1階のエントランスホールでは、TVモニターで1932(昭和7)年に銀座・資生堂本店で開催された須田国太郎(以下「作家」)の第一回個展を再現した映像(資生堂制作)が上映され、作家が収集した「グリコのおまけ」を、4つのグループに分けて展示していました。(写真撮影可です。写真は「のりもの(飛行機・電車・車・船)」の展示)

本展の入口は2階で、第1章から第3章までを展示。第4章は1階・展示室4に展示、藤井達吉の作品は展示室3に展示されていました。個々の作品に関する解説は会場入り口で配布の「鑑賞ガイド」に書いてあるので、助かりました。

◆第1章 画業の歩み(2階・展示室1)

初期から絶筆までの代表的な作品30点を展示しています。なかでも目を引いたのが、エル・グレコが描いたような作品でした。タイトルを見たら《複写 グレコ「復活」》(1921)。鑑賞ガイドによれば作家は、京都帝国大学及び大学院で美学・美術史を学び、その芸術理論の実証確認のため渡欧して、スペイン・マドリードを拠点に調査・研究につとめ、ブラド美術館で模写に励んだようです。

鑑賞ガイドは、電柱の間から見える京都・八坂の塔を描いた《法観寺塔婆》(1932)についても触れ「画家としての契機となった初の個展(1932)の出品作です」と解説。印象的な作品です。第1章の最後は、《めろんと西瓜(絶筆)》(1961)でした。

なお、鑑賞ガイドは触れていませんが、丸山公園の祇園枝垂桜を描いたと思われる《夜桜》(1941)は、春の公園にたたずんでいるような気持ちにさせる作品でした。

◆第2章 旅でのまなざし(2階・展示室2)

鑑賞ガイドは、渡欧中に作家が撮影した写真と、それに関係する油彩画に加え、帰国後に旅をして描いた油彩画を展示と解説。確かに、写真主体の展示のように思えました。往路に立ち寄ったと思われる、インドのタージ・マハルの写真(1919)を始め、作家が撮影した数多くの写真に見入ってしまいました。

写真・絵画だけでなく、作家が愛用したカメラ、トランク、絵具箱、イーゼルなどの用具も展示しています。出品リストには、カメラは手持ち撮影用のNo.3オートグラフィック・コダックスペシャル(1915頃)と三脚に載せて撮影するレヒテック・プリマ―(1920頃)と書いてありましたが、コダックスペシャルは見逃してしまいました。残念なことをしました。

◆第3章 幽玄へのまなざし(2階・展示室2/多目的室A)

第3章は、全て能楽を題とした作品です。第3章の解説文には、作家は1910年「第三高等学校に入学した頃から、金剛流シテ方の高岡鵜三郎に師事して謡曲を始めた」とあり、作家が能舞台で地謡をつとめている写真も展示されていました。

鑑賞ガイドが取り上げていたのは、20歳の頃の素描《能画帳「尾崎正作翁三十三回忌追善能」》(1913)と油絵で描いた能画《大原御幸(おおはらごこう)》(1942)・《野宮(ののみや)》(1945)。鑑賞ガイドは、《大原御幸》について「無常観が最もよく表現された作品」と、《野宮》については「演者が六道(注:地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界)に輪廻する迷いの場面を描いた作品」としています。《大原御幸》は「平家物語」に、《野宮》は「源氏物語」に関連したものだという覚えはあったのですが、あらすじは覚束ないまま。家に帰って調べると《大原御幸》は、出家して大原・寂光院に住む建礼門院を後白河法皇が訪問。二人は語り合ったのちに分かれるというあらすじ、《野宮》は嵯峨野の野宮旧跡にやって来た旅の僧の前に里の女が現われ、六条御息所の物語を語り始めるというあらすじでした。

◆第4章 真理へのまなざし(1階・展示室4)

最後の「まなざし」では、油彩画だけでなく水墨画や若い頃の同人誌や著作物も展示しています。

なかでも、本展のチラシに使用されている《鵜》(1952)は、真っ黒な鵜と明るい背景のコントラストが印象的な作品です。鑑賞ガイドは水墨画の《老松》(1951)について「勢いのある運筆で、一気呵成に描き上げた迫力ある作品」と、《ある建築家の肖像》(1956)については「アントニオ・ガウディを題材にした作品です。スペインに訪れ再度研究に没頭したいという須田の願いが伝わってくるようです」と書いています。《ある建築家の肖像》は画面右にガウディらしき顔と ”A.GAVDI” という文字が描かれています。白い絵の具で塔のようなものが描かれていますが、形は定かではありません。作家の記憶の中にあるサグラダ・ファミリアでしょうか?作家がスペインに滞在していた1920年代の初め頃のサグラダ・ファミリアは地下聖堂と後陣ぐらいしか完成してなかったと思いますが、訪欧後に完成した建物も含めて描いているのでしょうか?

◆最後に

本展の最後にガウディの肖像を見て、「サグラダ・ファミリアに4つ『福音史家の塔』が完成!というニュースにシンクロしている」と感じました。ニュースのURLは下記のとおりです。

ついに! サグラダ・ファミリア、4つの「福音史家の塔」が完成 – ネット「未完も魅力」「完成形が観たい」 | マイナビニュース (mynavi.jp)

12月19日から、名古屋市美術館で「ガウディとサグラダ・ファミリア展」が始まります。今から楽しみですね。

Ron.

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