展覧会見てある記 「マイセン動物園展」 岡崎市美術博物館

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7月28日(火)から30日(木)まで中日新聞・県内版に、岡崎市美術博物館で開催中の「マイセン動物園展」の紹介記事が連載されていたので、早速行ってきました。平日ながら、恩賜池に臨む駐車場は満車に近い状態。県内の新型コロナウイルス新規感染者が急増しているため「展覧会場は3密状態か?」と怖くなりました。しかし、よく見ると、ノルディック・ウォーキング用のスティックを持参するなど、運動目的の人が何人もいたので少し安心しました。

動物と神話の人物を組み合わせた作品が多数

「第1章 神話と寓話の中の動物」には、神話に出てくる神や天使、鳥、馬、ライオンなどを組み合わせた作品が並んでいます。白磁の滑らかな肌、頬の薄紅色、色鮮やかな衣服など、どこをとっても「どうやって作ったのだろう?」と思われる美しい作品の数々でした。作品リストの制作年には「1820-1920年頃」と書いてあります。原型製作者であるヨハン・ヨアヒム・ケンドラーの生没年は1706-1775年ですから、彼の原型を元に、後日制作したということでしょうね。

会場の最後「映像コーナー」で上映している動画によれば、ヨハン・ヨアヒム・ケンドラーは彫刻家。マイセン磁器の発明者ヨハン・フリードリッヒ・ベットガー(1682-1719)、絵付師のヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(1696-1775)と並び、マイセン磁器を牽引した人物です。マイセン磁器の特色は、石膏の原型で型取りした複数の部材を貼り合わせて複雑なフォルムを造形するところにあります。部品を石膏の型から取り出し余分な所を削って貼り合わせる手の動きを見て「展示されていた作品はどれも、長時間にわたる精緻な作業の結晶だ」と感じました。

繊細で豪華絢爛な器の数々

スノーボール貼花装飾蓋付昆虫鳥付透かし壺

「第2章 器に表された動物」の圧巻は《スノーボール貼花装飾蓋付昆虫鳥透かし壺》。展覧会のチラシの図版にも使われていますが、壺の全面に石膏原型で型取りした小さな花を貼り付けた上に、鳥や昆虫、カエル、蔦のような植物を貼り付け、しかも壺の下部には透かし彫りが施され、中に黄色い鳥が居るという、気の遠くなるような手間をかけて作られた壺です。

柔らかなフォルムの動物たち

二匹の猫

「第3章 アールヌーヴォーの動物」になると、動物の雰囲気が変わってきます。ヨハン・ヨアヒム・ケンドラーはバロック期の彫刻家ですが、第3章は「アールヌーヴォー」様式の作品。第1章、第2章の作品は、権勢を誇るためのものですが、第3章は身近に置いて楽しむもの。制作目的が全く違うのですね。《二匹の猫》は、可愛かったですよ。

常滑焼のような炻器(せっき)の動物も

「第4章 マックス・エッサーの動物」には《カワウソ》など、ベットガー炻器で制作した動物やマスクが並んでいます。炻器は釉薬をかけず高温で焼成した陶器で、日本の常滑焼や備前焼にあたるものです。土の風合いを生かした、素朴で味わいのある作品でした。

最後に

ノルディック・ウォーキングに向かう人の会話に耳を澄ますと「ウォーキングが終わったら、展覧会を見て帰りましょうか」という声が聞こえてきました。コロナ禍で不安の増す毎日ですが「マイセン動物園展」は一服の清涼剤になりました。会期終了予定は9月13日(日)です。

Ron.

展覧会見てある記 「収蔵品展 贅沢な対話」 岡崎市美術博物館

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6月2日付・中日新聞に「芸術鑑賞 ゆとりの時間」と見出しが付いた「二週間ごとに担当学芸員が替わり、三部構成でそれぞれがテーマを設けて展示品を入れ替える。入場無料」という記事が載っていました。この記事を読んで以来「行きたい」と思っていた展覧会を、ようやく鑑賞。記事が出てから1か月ほど経っていたので展覧会は終盤。内容も「第3話 光は水のよう」になっていました。以下は、そのレポートです。

真っ暗な展示室のなかに、展示品が点在

手指の消毒を済ませて展示室を覗くと、そこは真っ暗な洞窟。水が滴(したた)るような音が、微かに響いています。遥か向こうには、手廻し蓄音機。展示室に入ると「右の壁に水が流れる動画が」と思ったら、抽象画でした。説明は一切ありません。長くて幅の広い廊下に、展示品は2点だけ。「贅沢な対話」の「贅沢」とは、このことなのですね。点数は少ないですが、手間ひまは、贅沢に掛けています。

廊下の突き当りを右に曲がると、何もない暗闇。恐る恐る進んで右に曲がると、大振りの片口が一つだけ展示されています。金継ぎ(陶磁器の破損部分を漆で接着し、金粉で装飾する修復法)が施されていました。

片口の展示ケースの背には大壁。大壁の裏に回り込むと、ほの暗い空間が広がっていました。その中央には平底の木舟とランプがポツンと置かれ、左の展示ケース内に作品が二つ。奥の壁に地図らしきもの、左の壁に土壁のような作品、この広い空間の展示品は「締めて6点」でした。

展示ケース内の手前側にある作品からは、豊田市美術館のコレクションで見た作品と同じような雰囲気が漂ってきます。一瞬、「アマビエか?」と、思いましたが「そんなはずはない」と、首を振りました。作品だけで「解説が一切ない」というのは、作品との「対話」を促すためには良い趣向だと、強く感じました。

最後の展示品は、奥の壁に見えていた「地図」。左右がギュッと圧縮された江戸から京都までの鳥観図で、左上に富士山、海を隔てて直ぐ右に京都があるという、極端なまでにデフォルメされたパノラマでした。

展示品を出たところに、作品カード

展示室内には一切の解説がありませんでしたが、展示室を出た所に展示品の作品カードが置かれ、自由に持ち帰ることが出来ます。鳥観図の作者は、葛飾北斎。木舟は洪水時に使う《上げ舟》。「アマビエか?」と思ったのは村瀬恭子《Cave of Emerald (Exit)》(2008)で、豊田市美術館で見たのは同じ作者の《Flowery Planet 2009》(2020)でした。なお、《上げ舟》の写真を撮ったら、木舟とランプだけでなく、展示ケース内に2作品、ケースのガラス面に1作品が写り込んでいました。右端に写っているのは、サム・フランシスの作品です。

上げ舟、吊りランプ

「光は水のよう」は、ガルシア・マルケスの短編にちなんだもの

展示室を出た所には「“光は水のよう”はガルシア・マルケスが92年に発表した短編集『十二の遍歴の物語』に収められた物語のひとつです。作中では、割れた電球から光の水が流れ出し、部屋に溜まった光の海に子どもたちが船を浮かべて航海するという幻想的なシーンが描かれています。『水』に関連した資料を、最小限の『光』を用いて展示しています。」という文章が掲げられていました。

「石の野外ミュージアム 恩賜苑」の鑑賞は断念

岡崎市美術博物館を出て、南を見ると池の向こうに四阿(あずまや)が三つほど見えます。池の近くまで降りると、池の名前は「恩賜池」、四阿は、石灯籠や手水鉢などを展示している「石の野外ミュージアム 恩賜苑」の付属物だと分かりました。「見てこようか」と思いましたが、恩賜池に掛かるコンクリート製の「八ッ橋」を渡ってこちらに来る高齢の夫婦の服装は、スポーツウエアです。こちらは、ハイキングができるような服装ではなく、しかも雨上がりで道が濡れていたので鑑賞は断念。次の機会に持ち越すことにしました。

恩賜池・八ッ橋

最後に

「収蔵品展 贅沢な対話」は、コロナ禍で「岩合光明写真展」が中止されたことに伴って開催された展覧会ですが、とても意欲的で、面白く楽しい企画でした。コロナ禍は数多くの災厄をもたらしましたが「贅沢な対話」を開催できたことは「数少ない幸運のひとつ」だと思います。会期は7月12日(日)まで。

7月25日(土)~9月13日(日)には「特別企画展 マイセン動物園展」が、開催予定です。

Ron.

展覧会見てある記 豊田市美術館のコレクション展+α

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豊田市美術館(以下「豊田市美」)は、岡崎乾二郎展ミニツアー以来4か月ぶりの訪問。受付の人はマスクとフェイスガードを着けているだけでなく、“オカザえもん”みたいに終始無言。パネルに印刷した文字で、メッセージを伝えてくれます。年間パスポートを提示すると、「休館に伴う年間パスポートの有効期限延長について」というプリントを渡され、有効期限が2か月延長されていたことが分かりました。

今回、お目当ての展覧会は「開館25周年記念 コレクション展 VISION part1 光について/光をともして」と「常設展」「久門剛史 らせんの練習」「コレクション:電気の時代」の4つです。

◎1階・第8展示室「開館25周年記念 コレクション展 VISION part1 光について/光をともして」

 最初に見たのは、玄関を入って右の第8展示室。「開館25周年記念のコレクション展 VISON」 の第1回「光について/光をともして」です。チラシには「身近な街中や遠く宇宙の光と、わたしたちそれぞれの内なる光とが照応するような作品を紹介します」と書いてありました。

 展示の最初は、奈良美智《Dead Flower》(1984)。電球、ノコギリ、切られた花、”Fuck you”と書いたTシャツを着た少女を描いた刺激的な作品です。一方、同じ作者の《Dream Time》(1988)は穏やかな作品。入り口で配られていた小冊子を家に帰って読むと、《Dream Time》が豊田市美に収蔵される前に長らく展示されていた藤ヶ丘の喫茶店「木曜日」のオーナーによる「奈良さんの絵」が載っていました。この小冊子、「片手に展覧会を鑑賞」は、お勧めできませんが、家に帰ってからも余韻を楽しむことができるので必ずゲットしてください。

 村岡三郎《熔断-17,500mm×1,380℃》(1995)が展示室を横断するように横たわっています。タイトルどおり、17.5メートルの太い鉄棒を1,380℃のガスバーナーで熔断したレールを思わせる作品で、ベースとなる鉄板には熔けた鉄の塊がこびりついていました。「どうやって運んだのだろう」と心配になるほど重く、長い作品です。小冊子には、制作に立ち会った画廊主による「村岡さんの1995年の熔断のこと」が載っていました。

 横山奈美《LOVE》(2018)は、「ネオンサインか?」と思える作品。近寄ってみると”だまし絵“でした。でも、面白い。《LOVE-私のメモリーズ》という額装の鉛筆画35点?も、一緒に展示されています。

 マリオ・メルツ《明晰と不分明/不分明と明晰》(1988)は、透明なドームに色々なものがゴチャゴチャと付いている作品。原題は(Chiaro oscuro / oscuro Chiaro)。イタリア語のようです。小冊子には元豊田市美術館副館長による「マリオ・メルツの思い出」が載っていました。

◎1階・第6、第7展示室「常設展」小堀四郎、宮脇晴・綾子

 いつ来ても、この場所には小堀四郎と宮脇晴・綾子夫妻の作品が展示されています。現代美術ばかりを見て緊張気味だったので、気持ちを落着かせるには丁度よい時間と空間でした。

◎2~3階・第1~第4展示室「久門剛史 らせんの練習」

 3月24日付・杉山博之さんのブログや4月4日付中日新聞・生津千里記者の記事がありますので今回は割愛。ここでは、第1展示室の《Force》を見て、今回のコロナ禍の惨状を連想したことを記しておきます。

◎2階・第5展示室「コレクション:電気の時代」

 入ってすぐの壁に岸田劉生《代々木付近》(1915)。岸田劉生展でも見た作品ですが、ここでは「電柱=電気の時代の到来」との解説がありました。クリムト《オイゲニア・プリマフェージの肖像》(1913/14)やエゴン・シーレ《カール・グリュンヴァルトの肖像》(1917)も「電気の時代の画家」という紹介でした。そういえばエゴン・シーレの死因はスペイン風邪。企画時は意図しなかったでしょうが、約100年後にコロナ禍の中で彼の作品を鑑賞するということに、何かの縁を感じます。

牧野義雄《チェルシー・エンバンクメント》(1909/10)は電気を使った青白い街灯が主役の作品。《ヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアム》(1912)にはオレンジ色のガス灯も描かれています。新美南吉の童話「おじいさんのランプ」を思い出しました。

ペーター・ベーレンスがデザインした電気暖房機や電気扇風機、電気湯沸器のコレクションも必見です。

◎最後に

 今回は「コレクション展の時でもないとお披露目されない作品が展示されているな」と、強く感じました。今見逃すと、しばらくの間、鑑賞できないかもしれませんよ。4つの展示、いずれの会期もコロナ禍の影響で9月22日まで延長しています。ただし、豊田市美は6月22日から一旦、休館。再開は7月18日とのことです。梅雨を避けて、7月以降に鑑賞する方が良いでしょう。

 なお、作品の一部は豊田市美のHP(https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/)で画像公開中。

Ron.

展覧会見てある記 豊橋市美術博物館「ゆったり、美術館散歩」

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豊橋市美術博物館(以下「美術館」)の訪問は二週間ぶり。今回の目的は、コレクション展「ゆったり、美術館散歩」(以下「本展」)。コロナ禍の影響により、企画展「山水に遊ぶ」を本展に変更して開催されました。受付で「豊橋市にお住まいですか?」と聞かれ「いいえ」と答えると「観覧料は400円です」。「豊橋市民なら?」と聞くと「70歳以上の方でしたら、200円です」と答えてくれました。

◎1階・第1展示室「日常にあるやすらぎ」で中村正義《空華》(1951)に再開

 本展は、私たちの身辺や日常を主題とする作品を集めた第1展示室「日常にあるやすらぎ」の外「日本の風景を旅する」「世界をめぐる・世界で見出す」「手のなかにある旅―和歌・東海道・地図―」の4つで構成されています。第1展示室の入口には高柳淳彦《半蔵御門の朝》(1934)。画面手前に、おかっぱ頭の女の子を乗せた手押し車を押す、下駄ばきで和服姿の女性。桜田濠(半蔵濠?)の奥には半蔵門。近くには英国大使館もある都会のど真ん中ですが、半蔵門周辺は当時から緑豊かな場所だったのですね。廣本季與夫《緑陰・世田谷農婦》(1949)は木陰で雑誌を読む野良着の女性と、藁束のうえで昼寝する女の子を描いた作品。「終戦直後の世田谷は田舎だった」と再認識しました。中村正義《空華》(1951)には「第7回日展無鑑査出品」との解説。2011年に名古屋市美術館(以下「市美」)で開催された「日本画壇の風雲児 中村正義 新たなる全貌」のチラシやポスターに使われた作品で、9年ぶりの出会いでした。三岸節子《室内》(1943)はマティス風のおしゃれな作品で、鬼頭鍋三郎の作品も《午後》(1935)が展示されていました。

◎第2展示室「日本の風景を旅する」

 入口には岸田劉生風の《田舎の道》(1919)。「作者の横堀角次郎は草土社の同人」という解説を読んで納得。田植え直後の水田を描いた鈴木睦美《吉良の里・初夏》(1985)は梅雨時の季節感たっぷりです。中村正義《斜陽》(1946)は第2回日展に初入選した作品。田原の町はずれを描いた細井文次郎《汐川》(1929)ですが、川に浮かんでいるのはいずれも帆掛け船。「当時は帆船が主流だった」と実感しました。

◎特別展示室「手のなかにある旅―和歌・東海道・地図―」

 特別展示室には和歌の写本や東海道の絵地図、屏風、地球図などが展示されています。歌川広重の《吉田》(1833頃)や《二川》(1833頃)等の浮世絵もあります。

◎第3展示室「世界をめぐる・世界で見出す」

 入口にはデュフィ風の坂口紀良《コートダジュールのテラス》(1997)。赤や黄色などの原色が目に飛びこみ、南欧リゾート地の日差しを感じます。「人」という文字で埋め尽くされた、松井守男《もう一つの自然》(1986)は面白い表現だと思いました。

スペイン・アンダルシア地方を描いた三岸節子《グアディスの家》(1988)は、赤と白が印象的な作品。今年、市美の常設展で見た《雷がくる》(1979)を思い出しました。市美関連といえば荒川修作《図式のX線》(1969)や桑山忠明《無題》(1968)も展示されています。

◎2階の常設展も

 以前、ブログで紹介した2階の常設展は、第2常設展示室「芳年と、同時代の浮世絵師たち―東海道名所風景―」も含め全て、会期は本展と同様に7月12日まで。こちらは入場無料なので「ゆったり、美術館散歩」とあわせて鑑賞することをお勧めします。見逃す手はないですよ。

◎最後に

 東海地方は梅雨入り、外出が億劫になる季節になりました。美術館のコレクションをゆったりと鑑賞するのは、精神衛生にも良いことだと思います。豊橋市美術博物館では長らく休業していた「ネオ こすたりか ミュージアムカフェ」も再開し、大勢の人がソフトクリームやコーヒー、昼食などを楽しんでいました。

Ron.

「久門剛史 らせんの練習」展を見て

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久門剛史展(豊田市美術館 6月21日まで)を見てきました。

新型肺炎の影響で、各地の美術館が臨時休館になり、展覧会自体も延期や中止になるなど、出かける機会が減っていたので、久しぶりのレポートです。

 今展は、作家にとって国内初の大規模個展になります。出身は京都、大学では彫刻を専攻しています。「久門剛史?」と、思った方は、あいちトリエンナーレ2016の豊橋会場の展示を思い出してください。大小のフレームに半透明の布を吊り下げた間仕切りと、スポットライトなどで構成された不思議な空間(インスタレーション)を体験したはずです。

 豊田市美術館の展示室には、空間が広い、天井が高い、自然光により明るさが変化するという特性があります。今回の展示作品は、それらの特性をうまく取り込んだ構成になっています。また、「カン、カン、カン」と遮断機の音を再生するサウンド作品では、スピーカーが観客を遮るように、通路の真ん中に設置されていて、まるで本物の踏切のようでした。

前回の「岡崎乾二郎 視覚のカイソウ」展では、とても長い作品名に驚きましたが、今回の作品名はシンプルかつ、直感的になっています。その他に、作品リストの中で「?」と思ったのが、素材の「サウンド」です。コンサートのリーフレットでは、作曲者、曲名、楽器の構成、演奏時間などの記載はありますが、「音」の記載を見かけないように思います。

 今回は、美術館に隣接する茶室「童子苑」にも作品があります。鑑賞できる期間と時間帯が展覧会と異なるので、見落とさないようにご注意ください。

杉山 博之

展覧会見てある記 「ストラスブール美術館展」

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今回の展覧会の名前は「豊橋市美術博物館開館40周年記念 ストラスブール美術館展 印象派からモダンアートへの眺望」(以下「本展」)という長いものです。フランス語表記 の展覧会名 “De I’impressionnisme à l’art moderne dans les collections des musées de Strasbourg” のとおり、本展には印象派からモダンアートまで、ストラスブール美術館の収蔵品から92点が出品されています。

◆第1室(第一企画展示室)

本展は四つの展示室に分かれており、観覧券売り場に一番近いのが第1室(第一企画展示室)で「1章 印象派とポスト印象派」のうち「印象派以前の風景画」「印象派の風景画」の作品を展示しています。なかでも重要な作品は台座付きで展示。この部屋ではカミーユ・ピサロ《小さな工場》、アルフレッド・シスレー《家のある風景》、クロード・モネ《ひなげしの咲く麦畑》の3点が「台座付き」でした。ただ、中日新聞・地方版の「ミュージアムだより」で学芸員が紹介していたのはカミーユ・コロー《オルレアン、窓から眺めたサント=パテルヌの鐘楼》です。レンガの茶色を基調にした風景画で、右下に猫がいました。この外、シャルル=フランソワ・ドービニー《風景》も良いと思いましたが、「ストラスブール美術館展」ですからストラスブールの画家を外してはいけませんね。馴染みのない画家でしたが、ロタール・フォン・ゼーバッハ《ラ・ドゥアンヌからストラスブールへの道、雨の効果》には、題名の通り雨の感じがよく出ていました。同じ画家の《冬の森》は枯葉の赤と白い空の対比が美しく、垂直の木々がアクセントになっています。説明板には「アルザスの印象派」と書いてありました。また、浮世絵を思わせる作品もあります。アンリ・リヴィエールのリトグラフで、《夜の海(「自然の諸相」連作より》、《オーステルリッツ河岸「パリ風景」連作より》の2点です。説明板には「浮世絵のコレクターでもあり『エッフェル塔三十六景』の連作を制作」と書いてありました。

◆第2室(第二企画展示室)

第2室(第二企画展示室)には「1章」のうち「筆触(タッチ)」の作品と「2章 近代絵画におけるモデルのかかわり」の一部を展示しています。台座付きの作品は、ポール・ゴーギャン《ドラクロワのエスキースのある静物》、ポール・シニャック《アンティーヴ、夕暮れ》、ピエール・ボナール《テーブルの上の果物》、ラウル・デュフィ《3つの積み藁のある風景》の4点でした。ウジェーヌ・カリエールの作品が4点も展示されているほか、モーリス・ドニ《内なる光》とシャルル・カモワン《タピスリー刺繍を制作するマティス夫人》にも目が止まりました。カリエールについては説明板に「幼少期をストラスブールで過ごした」と書いてあります。

◆第3室(特別展示室)

第3室(特別展示室)は第2室の、通路を挟んだ反対側にあります。入口でロートレック《ディヴァン・ジャポネのポスター》がお出迎え。マリー・ローランサン《マリー・ドルモアの肖像》も入口近くに展示されていました。この部屋では「2章」の続きと「3章 アヴァン=ギャルド」のうち「キュビスム」の3点を展示しています。台座付きの作品ありません。その理由は「ガラスケース内に展示されている作品が多い」ためでしょうか。ストラスブールの画家を探したところ、リュック・ヒューベリック《後ろを向いてたたずむ女性、開いた窓の前》、ポール・ウェルシュ《赤いベストの女性》、ロベール・エイツ《自画像》がありました。

◆第4室(第三企画展示室)

最後の第4室(第三企画展示室)には「3章 アヴァン=ギャルド」のうち「キュビスム」の残りと「抽象絵画」「シュルレアリスム」の作品を展示しています。台座付きの作品は、モーリス・ド・ヴラマンク《都市の風景》、ヴァシリー・カンディンスキー《冷たい隔たり》、ヴィクトール・ブラウナー《求婚者》の3点です。ヴィクトール・ブラウナーの作品は、他にも6点出品されています。説明板には「ストラスブール美術館では35点以上の作品を所蔵している」と書いてありました。ストラスブールの画家といえばジャン・アルプ。本展の出品は《オーベットのフレスコ画に基づくシルクスクリーン》の1点のみですが説明板には「ドイツ人の父とアルザス人の母(略)ストラスブール美術館には約60点の作品が所蔵されている」と書いてありました。

◆最後に

調べてみると、ストラスブールはフランス北東部アルザス地方の中心都市で、欧州議会の本部が置かれています。アルザス地方は昔からドイツとフランスが争奪戦を繰り広げた地域であり、17世紀にフランス王国の支配下になったものの1871年の普仏戦争後にプロイセンの一部となり第一次大戦後の1919年にフランスが奪還しています。公用語はフランス語ですがアルザス語(ドイツ語の方言)も使われるバイリンガルの地域です。

本展の会期は3月29日(日)まで。開館時間は午前9時~午後5時(入場は午後4時30分まで)です。

Ron.

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