読書ノート「やきものの里めぐり」著者 永峰美佳 発行所 JTBパブリック 発行 2014.5.1

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

本書は、近所の図書館で借りてきた「窯場めぐり」のガイドブックです。主要な窯場の紹介に加え、やきものの原料・技法、やきものと窯場の歴史などの簡潔な解説もあったのでエッセンスをご紹介します。

◆ やきものと窯場の歴史

本書で私が注目したのは、以下の3点です。

1 柳宗悦の民藝運動により、無名の工人による民衆的工芸品の中に真の美が見出された

2 北大路魯山人が料亭で使った食器や自ら制作した食器のスタイルが、現代にも大きな影響を与えている

3 昭和5年(1930)に荒川豊蔵が美濃で志野の陶片を発見し、桃山茶陶の復興ブームが巻き起った

上記「1」に関して、10月5日から名古屋市美術館で「民藝 MINGEI」(以下「本展」)が開催されます。上記「3」に関して、協力会秋のツアー2024の見学先の一つは岐阜県現代陶芸美術館「生誕130年 荒川豊蔵展」です。いずれも「やきものを見直す大きな出来事」に関する展覧会なので、楽しみです。

◆ チラシに写真が掲載されているやきものと窯場の紹介

・有田焼【ありたやき】[佐賀県有田町] 

「白くて硬い磁器を日本で最初に焼いた窯場」と紹介。また「白い磁器の登場で、庶民の食卓に並んでいた木椀が磁器に代わり、生活を大きく変えた」とも書いています。磁器の登場は画期的だったのですね。なお、本展のチラシ(以下「チラシ」)に《染付羊歯文湯呑》(江戸時代)の写真を掲載(チラシp.2、以下同じ)。

・小鹿田焼【おんたやき】[大分県日田市] 

「飛び鉋(かんな)、打ち刷毛目など、ロクロを生かした文様。昔ながらの手仕事を今に伝える珠玉の窯場」と紹介。また「昭和6年(1931)に民藝運動の父。柳宗悦が訪れ、『日田の皿山』という文章とともに世に紹介して以来、『小鹿田焼』の名は全国に知られていきます」と続きます。チラシに写真はありませんが、本展の公式サイト(以下「公式サイト」)の動画が、窯場の様子を紹介しています。

 「飛び鉋」「刷毛目」は、褐色の素地を白く見せるために、白い土を水で溶いて掛ける装飾です。本書は、白い化粧土を使った主な装飾技法を、以下のとおり記しています。

粉引    全体に白化粧を施し、要所に見える素地の土との対比を楽しむ

刷毛目   隙間を残しながら、刷毛で白化粧土を勢いよく塗ります

三島    「印花」という判を押し当て、表面に凹凸をつけ、化粧土を埋めます

描き落とし 表面の化粧土を削り、下の素地の色との対比で文様をつくります

飛び鉋   ロクロの回転を利用し、鉋を当てて削り文様を生み出します

化粧絵付け 白化粧で表面を整えて、下絵付けや上絵付けを施します

・牛ノ戸焼【うしのとやき】[鳥取県鳥取市]

「緑釉と黒釉の掛け分けで知られる民藝の器」と紹介。「柳宗悦の薫陶を受けた医師・吉田璋也の指導で息を吹き返し、現在に至ります。伝統を引き継ぐ窯に因州中井窯も挙げられます」と続きます。チラシに《緑黒釉掛分皿》(1931頃)の写真を掲載(p.4)。

・丹波焼【たんばやき】[兵庫県篠山市] 

「茶色い焼き締めの肌に熔け掛かる鮮緑色の釉。『赤』『黒』『白』と色で呼ばれた器たち」と紹介。「民藝の創始者・柳宗悦にとって古丹波は特別な存在であり、美術商で丹波焼の蒐集家。中西幸一と交流を深めました」と続きます。チラシに写真はありませんが、公式サイトの動画が、窯場の様子を紹介しています。

・瀬戸焼【せとやき】[愛知県瀬戸市] 

「陶器も磁器も、あらゆるやきものを焼く旺盛な窯場。いつしか全国の食卓の器の代名詞に」と紹介。チラシに《呉須鉄絵撫子文石皿》(江戸時代)の写真を掲載(p.1)。この石皿については『もっと知りたい 柳宗悦と民藝運動』(監修 杉山享司 2021年10月5日初版発行 株式会社東京美術)が「台所や煮物屋の店先で使われていたもの。陶画の模様の美しさに柳は心打たれた」と解説しています。

◆ その他のやきものと窯場の紹介

・唐津焼【からつやき】[佐賀県唐津市] 

「釉薬、筆描きの文様、量産のスタイル。日本のやきものに打ち立てた数々の金字塔」と紹介。「文禄・慶長の役で渡来した朝鮮半島の陶工たちにより新しい技術がもたらされ、すぐに最盛期を迎えます」と続きます。

・薩摩焼【さつまやき】[鹿児島県鹿児島市ほか] 

「気品漂う『白もん』、味わい深い『黒もん』。朝鮮半島への郷愁を感じさせる器たち」と紹介。「文禄・慶長の役の際に、島津義弘が朝鮮半島から連れ帰った80名の陶工が、藩内の各地でやきものを焼き始めたことに由来します」と続きます。

・壺屋焼・読谷山焼【つぼややき・よみたんざんやき】[沖縄県那覇市・読谷村]

「釉を掛けた『上焼』、焼き締めの『荒焼』など、色も形も独特な発展を遂げた『やちむん』」と紹介。なお、沖縄では「やきもの」を「やちむん」と呼びます。民藝運動との関係については「昭和の初めに民藝運動の父・柳宗悦らが壺屋焼を全国に紹介し、昭和60年(1985)に名工・金城次郎が人間国宝に認定されて、一躍脚光を浴びました」と紹介しています。

・京焼【きょうやき】[京都府京都市] 

「茶の湯文化とともに発展した優美なデザイン。仁清、乾山、本米など優れた名工を輩出」と紹介。民藝運動を担い、奔放で濃厚な創作を展開した河井寛次郎の住宅を一般公開した「河井寛次郎記念館」が、東山区五条坂鐘鋳町にあり、近所に江戸後期から八代・清水(きよみず)六兵衛まで250年以上続く老舗の「六兵衛窯」もあります。『名匠と名品の陶芸史』(著者 黒田草臣 講談社選書メチエ 2006.6.10発行)によれば、河井は後援者の援助を受けて、鐘鋳町の五代・清水六兵衛の持ち窯と土地を購入した、とのことです。

・信楽焼【しがらきやき】[滋賀県信楽町] 

「浮き出した長石粒、粗い土肌に熔け掛かる自然釉。野趣あふれる素朴な表情が人の心を惹きつける」と紹介。「信楽には、やきものを求めて逗留した文化人ゆかりの料理店や宿が今も残っており、『魚仙』には北大路魯山人がしばし訪れ、老舗旅館『小川亭』は岡本太郎が常宿としていた」と続きます。

・美濃焼【みのやき】[岐阜県多治見市ほか] 

「桃山文化を担い、花開いたやきものルネサンス。和食器の60%(注)を生産する『陶の都』」と紹介。「焼き上がりを急冷することで深みのある黒を引き出した『瀬戸黒』。白い長石釉をかけた『志野』。灰釉を改良した黄色い釉薬の『黄瀬戸』。緑釉と鉄絵を組み合わせた『織部』。日本で初めて筆描き文様を施したこれらの器は『桃山陶』と呼ばれ、日本のやきものにルネサンスを花開かせました」と続きます。

注:2021年の生産額は、1位・岐阜県54%、2位・長崎県12%、3位・佐賀県11%です(下記にURL)。

 陶磁器(食器)の生産額の都道府県ランキング(令和3年) | 地域の入れ物 (region-case.com)

・益子焼【ましこやき】[栃木県益子町] 

「『用の美』民藝を象徴するやきもの。つくり手の合理性、器の素朴さ、使いやすさが揃う」と紹介。「益子焼は江戸時代末期に始まり、主に土鍋や擂鉢(すりばち)などの日用雑器を製作し、関東一円に流通するまでになります。転機が訪れたのは、大正13年(1924)のこと。柳宗悦とともに民藝運動の中心を担った陶芸家・濱田庄司が移住し、民藝運動の理念『用の美』に基づいた作品を制作します」と続きます。「『つかもと』は益子最大の窯元で、JR信越本線・横川駅『峠の釜めし』の羽釜の容器『釜っ子』を焼く窯としても、馴染み深いのではないでしょうか」との紹介もあります。

◆最後に

 本展では陶磁器以外にも、染織品や木漆工品など、多数の民芸品が出品されるそうです。

                            Ron.

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