2023.10.31 投稿
今回は、「帝国ホテル・ライト館の謎」――天才建築家と日本人たち 山口由美 著(集英社新書0054G)について、「帝国ホテルは関東大震災の被害をどのように防いだのか」という観点に絞って書きました。
ライト館には、取り壊されるときまで、一度も本来の目的には使われなかった施設がある
一読して衝撃だったのはp.109の「帝国ホテル・ライト館には、取り壊されるときまで、一度も本来の目的には使われなかった施設がある。それが、地下のスイミングブールだ」という下りです。「この場所は、ワインなどを貯蔵する倉庫として使われていた」とのこと。「柱が折れて、壁にいくつもの亀裂が入った地下のスイミングブールは被害が大きかった」から「本来の目的に一度も使われることがなかった」(p.110)というのです。
確かにライト館は「無傷」ではありませんでしたが、被害は「概して軽微」で「震災後、罹災した大使館、新聞社、通信社などに客室を提供して」おり、「外観を見る限りでは、何の損傷もなく威風堂々とした姿をそのままにとどめていた」(p.111)ことから、ライトが自伝に書いた「大地震にあってもライト館は倒れなかった」という内容は、必ずしも事実に反するとは言い切れないと、著者は述べています。
それでも生き残ったライト館
著者は書き進めるなかで「生き残った、という意味で言えば、大丸徹三支配人をはじめとする帝国ホテルの従業員が、身を挺してライト館を火災から守ったことのほうが、評価されるべきかもしれない」(p.117)と、意見を述べています。
著者は、余震がやって来る直前、這うようにしてメインスイッチにたどり着き、これを切った電気技師の森田伝治について、「彼が、いち早く動力室から逃げ出していたならば、どんなにライトの耐震設計が優れていたとしても、ライト館はどうなっていたかわからない」(p.118)と、その勇気をたたえています。
更に「ライト館には、次々と周囲の火災が襲いかかった。『帝国ホテル百年史』によれば、類焼しそうになる危機が全部で四回あったという。そのたびに、従業員が壁や屋根によじ登り、あるいは、宿泊客も加わったバケツリレーで、降りかかる火の粉を防いだのである。道路一本隔てて隣接する愛国生命ビル(現在の日本生命ビル)に火がついたときには、接客係の生田富三郎ら数人の従業員がビルまで走り、消火にあたった。火を消し、窓を開じて帰ってきた彼らを帝国ホテルでは、歓呼の声と拍手で迎えたという」(p.118)とも書き「まずは、完全ではなかったとはいえ、耐震設計が考えられていたことが、あつただろう。だが、身を挺してライト館を守った人々の存在がなければ、激震に耐えた「天才の記念碑」は灰になっていたかもしれないのだ」(p.119)と締めくくっていました。
Ron.
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