6月2日付・中日新聞に「芸術鑑賞 ゆとりの時間」と見出しが付いた「二週間ごとに担当学芸員が替わり、三部構成でそれぞれがテーマを設けて展示品を入れ替える。入場無料」という記事が載っていました。この記事を読んで以来「行きたい」と思っていた展覧会を、ようやく鑑賞。記事が出てから1か月ほど経っていたので展覧会は終盤。内容も「第3話 光は水のよう」になっていました。以下は、そのレポートです。
真っ暗な展示室のなかに、展示品が点在
手指の消毒を済ませて展示室を覗くと、そこは真っ暗な洞窟。水が滴(したた)るような音が、微かに響いています。遥か向こうには、手廻し蓄音機。展示室に入ると「右の壁に水が流れる動画が」と思ったら、抽象画でした。説明は一切ありません。長くて幅の広い廊下に、展示品は2点だけ。「贅沢な対話」の「贅沢」とは、このことなのですね。点数は少ないですが、手間ひまは、贅沢に掛けています。
廊下の突き当りを右に曲がると、何もない暗闇。恐る恐る進んで右に曲がると、大振りの片口が一つだけ展示されています。金継ぎ(陶磁器の破損部分を漆で接着し、金粉で装飾する修復法)が施されていました。
片口の展示ケースの背には大壁。大壁の裏に回り込むと、ほの暗い空間が広がっていました。その中央には平底の木舟とランプがポツンと置かれ、左の展示ケース内に作品が二つ。奥の壁に地図らしきもの、左の壁に土壁のような作品、この広い空間の展示品は「締めて6点」でした。
展示ケース内の手前側にある作品からは、豊田市美術館のコレクションで見た作品と同じような雰囲気が漂ってきます。一瞬、「アマビエか?」と、思いましたが「そんなはずはない」と、首を振りました。作品だけで「解説が一切ない」というのは、作品との「対話」を促すためには良い趣向だと、強く感じました。
最後の展示品は、奥の壁に見えていた「地図」。左右がギュッと圧縮された江戸から京都までの鳥観図で、左上に富士山、海を隔てて直ぐ右に京都があるという、極端なまでにデフォルメされたパノラマでした。
展示品を出たところに、作品カード
展示室内には一切の解説がありませんでしたが、展示室を出た所に展示品の作品カードが置かれ、自由に持ち帰ることが出来ます。鳥観図の作者は、葛飾北斎。木舟は洪水時に使う《上げ舟》。「アマビエか?」と思ったのは村瀬恭子《Cave of Emerald (Exit)》(2008)で、豊田市美術館で見たのは同じ作者の《Flowery Planet 2009》(2020)でした。なお、《上げ舟》の写真を撮ったら、木舟とランプだけでなく、展示ケース内に2作品、ケースのガラス面に1作品が写り込んでいました。右端に写っているのは、サム・フランシスの作品です。
「光は水のよう」は、ガルシア・マルケスの短編にちなんだもの
展示室を出た所には「“光は水のよう”はガルシア・マルケスが92年に発表した短編集『十二の遍歴の物語』に収められた物語のひとつです。作中では、割れた電球から光の水が流れ出し、部屋に溜まった光の海に子どもたちが船を浮かべて航海するという幻想的なシーンが描かれています。『水』に関連した資料を、最小限の『光』を用いて展示しています。」という文章が掲げられていました。
「石の野外ミュージアム 恩賜苑」の鑑賞は断念
岡崎市美術博物館を出て、南を見ると池の向こうに四阿(あずまや)が三つほど見えます。池の近くまで降りると、池の名前は「恩賜池」、四阿は、石灯籠や手水鉢などを展示している「石の野外ミュージアム 恩賜苑」の付属物だと分かりました。「見てこようか」と思いましたが、恩賜池に掛かるコンクリート製の「八ッ橋」を渡ってこちらに来る高齢の夫婦の服装は、スポーツウエアです。こちらは、ハイキングができるような服装ではなく、しかも雨上がりで道が濡れていたので鑑賞は断念。次の機会に持ち越すことにしました。
最後に
「収蔵品展 贅沢な対話」は、コロナ禍で「岩合光明写真展」が中止されたことに伴って開催された展覧会ですが、とても意欲的で、面白く楽しい企画でした。コロナ禍は数多くの災厄をもたらしましたが「贅沢な対話」を開催できたことは「数少ない幸運のひとつ」だと思います。会期は7月12日(日)まで。
7月25日(土)~9月13日(日)には「特別企画展 マイセン動物園展」が、開催予定です。
Ron.
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