太田龍峰会長を偲んで

カテゴリ:協力会事務局 投稿者:editor

去る2月13日、協力会の太田龍峰会長が逝去されました。1週間ほど前に心筋梗塞で倒れられ、そのまま意識を回復することなく旅立ってしまわれました。あまりに突然のことで、ただただ茫然とするばかりです。
 太田さんは名古屋市美術館の副館長を2年間勤められ、その間私は学芸課長としてお仕えしました。最初お会いした時は、少し怖い方かなと思ったのですが、すぐに皆さんおなじみの笑顔を見せられ安堵したのを覚えています。ただ、その後市役所の方に伺ったところでは、若い頃はずいぶん厳しい面もお持ちだったようで、年齢を重ねられる中で穏やかになっていかれたことを知りました。私がお仕えした2年間は、厳しいお叱りを受けることもありませんでしたが、議会対応などで夜遅くまで、何度も本庁にご一緒したことが記憶に残っています。
記憶に残ると言えば、私は健康のためもあり、金山駅から美術館まで歩いて通っていた(現在も)のですが、途中でしばしば太田さんの姿をお見かけすることがありました。美術館まで一緒に話をしながら歩くこともあったのですが、その折、市役所に勤務されていた時は、金山から市役所まで歩いていたとお聞きして、さすがに驚いたことを覚えています。健脚もそうですが、それを続けていられたことに感服しました。
定年退職後に美術館の協力会にお入りになり、令和3年度からは会長として精力的に活動されておられました。このブログをお読みになっていらっしゃる方はよくご存知だと思いますが、美術展の紹介はもちろん、美術に関連する雑誌や新聞の記事の紹介、映画の感想など、本当に幅広く、かつ積極的に美術に触れておられ、またその文章の記述の詳細なことは驚くばかりでした。当館での講演会や解説会などでも、熱心にメモを取られながら聴き入る姿が今も目に焼き付いています。
あれほどお元気で精力的な太田さんが、こんなにあっという間に他界されてしまったことが、未だに信じられません。人の命のはかなさをつくづく思い知らされますが、はかないからこそ、今を大切に生きていかなければならないことを伝えてくださったのだと思います。心からのご冥福をお祈りいたします。 (名古屋市美術館参与・深谷克典)

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