樋口絢女 ≪百花為誰開≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members
愛知県立芸術大学の卒業・修了制作展を見るため、「藤が丘」駅から「リニモ (Linimo)」(愛知高速交通株式会社の磁気浮上式鉄道路線)に乗り、最寄りの「芸大通」駅で降りた。「芸大通」駅から東側の丘陵を眺めると、愛・地球博記念公園の大観覧車が見える。その麓には有名な「ジブリパーク」がある。来月、春休みが始まると、「リニモ」も大混雑するのだろうなと思いながら、芸大への坂道を歩き始めた。

愛知県立芸術大学卒業・修了制作展にて (その1)

樋口絢女 ≪百花為誰開≫

色とりどりの花々が、金色の背景の中に浮かびあがるように描かれている。花々には蝶やとんぼ、バッタが集まり、それらを狙う蜘蛛もひっそりと張られた巣の真ん中で待ち構えている。朝顔が開いているところを見ると、穏やかな早朝の花畑の風景のようだ。

近づくにつれ、画面の所々に、こすれたような跡やモザイクのような模様があることに気がついた。

≪百花為誰開≫

画面の左から右へ、ゆっくりと移動しながら画面を見ると、流れたような跡やモザイクのような模様が、かくれんぼするかのように、あちこちに隠れている。題名を見ると≪百花為誰開≫とある。禅語にちなむ題名のようだが、単に花を題材とした古典的な作品というわけではなさそうだ。

≪百花為誰開≫(部分)

樋口によると、本作は古典絵画と現代的表現の技法を融合させて制作しているそうだ。テレビを見ていると、突然、社会的配慮により解像度を落としたモザイク映像に切り替わることがある。スマホの使用中に電波が届かなくなると、画面の更新が遅れ、色が流れた映像になることがある。そのような視覚体験を古典絵画の上で再現するという、樋口の発想には驚いた。

そのような制作の背景を聞くと、題名の≪百花為誰開≫に込めた作家の思いが気になる。「花は誰かのために咲くのではない。ただ無心に咲くのだ。」という意味の題名は、一時的な人気や流行に一喜一憂せず、自分の制作スタイルに自信を持ち、これからもなお一層、果敢に絵画に取り組む気概を込めた作家の独立宣言のように思われる。

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