「民藝 MINGEI 美は暮らしのなかにある」 ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

2024.10.12(土)17:00~18:30

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「民藝 MINGEI 美は暮らしのなかにある」(以下「本展」)の協力会向けギャラリートークに参加しました。参加者は43名。講師は、井口智子学芸課長(以下「井口さん」)。先ず、2階講堂で井口さんのレクチャーを聴き、その後は自由観覧。自由観覧には井口さんも参加されました。以下は、井口さんのレクチャーの要点、本展の感想・補足などです。

◆井口さんのレクチャーの要点(2階・講堂)17:00~17:50

 井口さんのレクチャーの内容を箇条書きにしました。

1 本展の巡回先

①大阪中之島美術館から始まり②いわき市立美術館、③東広島市立美術館、④世田谷美術館、⑤富山県美術館、⑥名古屋市美術館、⑦福岡市美術館の7館。市美は6館目。「民藝」の展示は、市美で初めて。

2 美術館で「民藝 MINGEI」を開催する意味

民藝運動を始めた柳宗悦(やなぎ・むねよし:英語ではSoetsu Yanagi、以下「柳」)が見た美にフォーカスしたい、という観点から「美術館で開催する」こととなった。

3 民藝運動が広がるまでのターニング・ポイント

(1)ロダンに浮世絵を贈り、そのお返しに彫刻3点を贈られた

柳は、学習院時代の仲間と雑誌「白樺」を創刊。西洋美術に興味を持ち、ロダンに手紙を送る。手紙だけでなく、ロダンが関心を寄せていた浮世絵を贈ったところ、ロダンからお返しとして《ロダン夫人》始め彫刻3点が贈られた。

(2)朝鮮の磁器に魅了された

柳が手許に置いていたロダンの彫刻を見るために、「白樺」の愛読者・浅川伯教(あさかわ・のりたか)が柳を訪問。柳は、浅川が持参した手土産《染付秋草文面取壺》に魅了された。

本展に《染付秋草文面取壺》の展示は無いが、第Ⅰ章の《白磁水滴》第Ⅱ章の《蝋石製薬煎》は朝鮮の物。

(3)木喰仏に出会った

柳は、朝鮮陶磁器を調査するために蒐集家を訪ねて山梨県まで出掛けた。その時、訪問先、の蔵の前に置かれた仏像に目が止まった。その仏像が「木喰上人が彫ったもの=木喰仏」と知った柳は、日本各地を調査して350体の木喰仏を見つけた。(現在、木喰仏は1000体が確認されている)

(4)地方の手仕事に出会った

木喰仏を訪ねて全国各地を調査する旅の中で、柳は地方の手仕事に出会った。

(5)京都の朝市で「下手物」を買い集めた

関東大震災に被災して京都に移住した柳は、朝市で「下手物」と呼ばれていた、無名の工人が作った工芸品を見つけ、買い集めた。朝市で第Ⅱ章に展示の唐津焼《緑釉指描文鉢》を買った時、鉢の値段よりも帰りのタクシー料金の方が高かったと、柳が書いている。また、第Ⅲ章で展示のバーナード・リーチが描いた絵《染付皿下絵 小屋(軽井沢)》の表装は、柳が朝市で買ってきた丹波布。

(6)「民藝」の創設

 無名の工人が作った工芸品にふさわしい、「下手物」に替わる呼び名として、民衆的工芸=「民藝」という言葉を作った。

(7)日本民藝美術館設立趣意書

 1926年に河井寛次郎、濱田庄司、柳宗悦、富本憲吉の4名連名で「日本民藝美術館設立趣意書」を発表。1936年には、東京・駒場に「日本民藝館」を開館した。

4 本展の構成と主な展示品

第Ⅰ章 1941生活展-柳宗悦によるライフスタイル提案

 1941年に日本民藝館の館内で「生活展」を開催。モデルルームのような展示だったが、本展ではこの「生活展」を再現。土瓶のように見えるのは、濱田庄司の《紅茶器》。椅子はイギリス製の《ラダーバックチェア》。燭台は熊代重延が制作したもの。支柱がらせん状で、蝋燭立てを溝に沿って回転する、蝋燭の高さを変えることが出来る。

第Ⅱ章 暮らしのなかの民藝-美しいデザイン

 本展では「衣」「食」「住」「沖縄」という仕分けで展示。

Ⅱ-1「衣」を装う

《波に鶴文夜着(よぎ)》は寝具で、元々は綿入だった(注:夜着は、掻巻(かいまき)とも言う。合わせ目を背中に向け、袖に両手を通して体に掛ける)。《刺子稽古着》は全面に刺子を施し、布を補強。装飾でもあった。《厚司(アットゥシ)》はアイヌの着物。樹皮からの繊維で織り、木綿の布を縫い付けている。《蓑文一ツ身浴衣》は、鳴海・有松絞の幼児用浴衣。

Ⅱ-2「食」を彩る

 《染付羊歯文湯呑》有田の磁器は「日本民藝美術館設立趣意書」の表紙を飾った。《呉須鉄絵撫子文石皿》は瀬戸焼。柳は「日本民藝図鑑」で次のように書いている。「路傍に咲いた二輪の撫子を描いたものにすぎぬが(略)美を狙いそれに囚われる吾々の心の不自由さと、何か違うものがあった為ではないであろうか。さしたる絵心もなく、こんなに描けるということは、大した事だと云ってよい」展示室で石皿の下に敷いているのは「大井川葛布」。日本民藝館の内装にも大井川葛布が使われている。

 《いっちん行平(ゆきひら)》は、おかゆ用の土鍋。「いっちん」とは化粧土のこと。丸っこくて、可愛い姿をしている。《スリップウエア角皿》はイギリスの陶器。「スリップウエア」とは化粧土による装飾だが、忘れ去られた技法。バーナード・リーチと濱田庄司が蘇らせた。《網袋(鶏卵入れ)》は蛇・鼠の害を防ぐために朝鮮半島で使われていたもの。《茶碗籠》は広島県で使われていた水切り籠。

Ⅱ-3「住」を飾る

 《桐文行燈》《卍文行燈》は、中に明りをつけて展示。《燭台》《芯切鋏》は、実用的で美しい形をしている。

Ⅱ-topic 気候風土が育んだ暮らし-沖縄

 見どころは《芭蕉布島着物》《クバ団扇》《流水に桜河骨(こうほね)文紅型着物》《蝶小花文紅型着物》など

第Ⅲ章 ひろがる民藝―これまでとこれから

Ⅲ-1 『世界の民藝』-新たな民藝の世界

 『世界の民藝』は、週刊誌の連載をまとめたもので、芹沢銈介美術館が所蔵。ペルーの《人形》は素朴で温かみがある。メキシコの《入れ子土鍋》は良いアイデアの鍋だけれど、壊れやすいので数が減った。

Ⅲ-2 民藝の産地-作り手といま

 五つの産地と製品=小鹿田焼(大分県)・丹波布(兵庫県)・鳥越竹細工(岩手県)・八尾和紙(富山県)・倉敷ガラス(岡山県)を紹介。井口さんは丹波布を調査。

 柳が朝市で目にしたのが丹波布。生産地も分からないほど忘れられた存在だったが、染色研究家の上村六郎に頼んで調査し、1931年に『丹波布』を刊行。丹波市青垣町で織られていた、手紡ぎの絹と木綿を交織りした布で1954年に復興。現在は「丹波伝承館」で技術の伝承活動を行っている。

 井口さんが紹介したのはイライズム千尋(ちひろ)さん。糸を紡ぐ作業の動画を1階の展示室で見ることができる。糸の染織は草木染め。機織りは手機。製品は座布団、ポーチ、枕カバーなど。

 井口さんは、丹波布を制作している河津年子さんが書いた、次の言葉を紹介されました。

「そうじしたり/洗たくしたり/するように/布を織る/生活の中から/生まれる布/丹波布」

Ⅲ-topic Mixed MINGEI Style by MOGI

 東京・高円寺でセレクトショップ「MOGI Folk Art」を主宰するテリー・エリスさんと北村恵子さんが使っているものを展示している。巡回先ごとに関係の深いものを選んでおり、名古屋会場では瀬戸焼の石皿を展示。

 北村恵子さんは「品物を選ぶときに大きいものと小さいものがあった時は、大きいものを手に入れる」とアドバイス。「大きいものだと大事にするので、世界が広がる」「情報から入るのではなく、見た時の印象を大事にする」「自分が良いと思ったものを選ぶ」のだとか。

〇市美の催事PRなど

・講演会「民藝:伝統/産地と今をつなぐもの」 講師:濱田琢司(関西学院大学教授:祖父は濱田庄司)

11月2日(土)14:00~15:30(開場は13:30)

・地下1階 常設展示室3で「西方寺所蔵 棟方志功襖絵」を開催しています。31年ぶりの展示なので、是非、ご覧ください。

◆自由観覧 17:50~18:30

 参加者が目を留めたのはⅡ-1の《屋号入革羽織》。井口さんは「鹿革製でとても重い。火消しは革の頭巾、革羽織を着て、頭から水をかぶって火事場に向かった」と解説。Ⅱ-2の《湯釜》には「丸に一文字」の紋が付いた厚い木蓋。調べると「丸に一文字」の紋で有名なのは那須与一でした。また、《スリップウエア角皿》は予想以上に大きなものでした。Ⅲ-topicでは「OKINAWA」と刺繡の入ったスタジアムジャンパーが目を惹きました。

Ron

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