生誕130年記念「北川民次 メキシコから日本へ」展 ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

2024.07.06(土)17:00~18:30

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の、生誕130年記念「北川民次 メキシコから日本へ」(以下「本展」)の協力会向けギャラリートークに参加しました。参加者は〇〇名。講師は、勝田琴絵学芸員(以下「勝田さん」)。企画展示室1、2に加え、地下1階の常設展示室3も使った大規模な回顧展です。勝田さんの解説を聞きながら本展を鑑賞し、とても楽しく、為になる一時を過ごすことができました。以下は、勝田さんの解説を聴いて私が知ったことや、本展の感想・補足などです。思い違いが混じっているかもしれませんが、その点はご容赦ください。

◆本展の概要(1階・展示ホール)

 参加者は1階のブリッジを渡り、大理石で囲まれた展示ホールに集合。勝田さんの解説で理解したのは、

① 本展は、約30年ぶりに開催される大規模な回顧展であるということです。前回の大規模な回顧展は、1996(平成8)年に愛知県美術館で開催された「北川民次展」。その前の1989(平成元)年にも、名古屋市美術館で「北川民次展」が開催されています。ギャラリートーク後に調べると、1989年は4月に北川民次が死去した年。同年には、名古屋市内の画廊でも追悼展が開催されました。

② 過去2回の回顧展と比較した場合の本展の特色は、一つには、副題を“メキシコから日本へ”としたことから分かるように、北川民次のメキシコでの経験を重視しメキシコで活躍した画家や写真家なども紹介していること。もう一つは、美術教育者としての北川民次や、壁画・絵本の制作にも注目していることです。

◆Ⅰ 民衆へのまなざし Painting Ordinary People(1階)

〇ニューヨークでの北川民次

Ⅰ章で先ず、勝田さんが解説したのは、ジョン・スローン《ヴィレッジ監獄の解体》(1929)と国吉康雄《帽子の女》(1920頃)、清水登之(とし)《建築現場(ワーガーデン)》(1923)です。

勝田さんの解説によって、先ず、アメリカに渡った北川民次はニューヨークに住み、昼は働き、夜は美術学校で学んでいたこと。ジョン・スローンは美術学校における北川民次の師で、北川民次はスローンから民衆をリアリステックに描く姿勢を学んだということが、次に、国吉康雄とは深い交流があり、清水登之は、北川民次と共にスローンに学んだ仲だった、ということが分かりました。ギャラリートークの冒頭で勝田さんが解説したとおり、本展は北川民次の作品だけでなく、彼の周辺の作家についても目を配っている、ということが分かりました。

〇キューバにも滞在

 《やしの木のある風景》(1921)については、1993年に発見された最初期の作品で、セザンヌの影響がみられる、ということが分かりました。

〇メキシコで制作した作品

 《トランクのある風景》(1923)からはメキシコで制作した作品を展示しています。《水浴》(1929)については、水浴は生きる象徴で、この作品はセザンヌの水浴図に刺激をうけた可能性がある、ということが分かりました。《トラルパム霊園のお祭り》(1930)については、いくつもの場面をひとつにした作品で、生と死が描かれている。メキシコの死生観では、死は生に変わる一過程。この作品が描かれた年に長女が生まれた、ということが、《子供を抱くメキシコの女(姉弟)》(1935)については、外国人から見たメキシコの風俗を描いたものだ、ということが分かりました。

〇日本に帰国

 1936年、北川民次は日本に帰国しています。《ランチェロの唄》(1938)については、ランチェロとは農園や牧場で働く人で、国家に踊らされる民衆を比喩的に描いた、ということが分かりました。《[出征兵士]》(1944)については、北川民次の本心が見え隠れする作品である、ということが分かりました。

◆Ⅱ 壁画と社会 Murals and Society(1階)

〇メキシコ壁画運動

Ⅱ章の最初に展示されているのは、写真家のティナ・モドッティが撮影した、メキシコ公教育省壁画の写真です。勝田さんによれば、北川民次はメキシコ壁画運動から大きな影響を受けたとのことです。北川民次がメキシコでどんな刺激を受けたのかについて理解を深めることができる展示だと思いました。

〇藤田嗣治との交流

 壁画運動の写真に続いて、藤田嗣治が中南米旅行中に描いた北川民次の肖像画2点を展示しています。勝田さんによれば、藤田はメキシコで北川民次との交流を深め、北川民次が1936年に帰国した時、二科会への出品や大画面の作品を描くよう勧めるなど、後ろ盾になったのが藤田、とのことです。藤田嗣治と知り合うことが、その後の北川民次の活動にとって大きな助けになった、ということが分かりました。

〇帰国後に描いた作品

 《タスコの祭》(1937)については、藤田の後援者であった平野政吉が所有していた作品だが、現在は静岡県立美術館の所蔵品、ということが、《メキシコ戦後の図》(1938)については、大砲が砲口を向けているのはメキシコの山・ポポカテペトルなのに、山の形が富士山に似ていたため“富士山に向けて大砲を撃とうとしている”と物議を醸した、ということが分かりました。

〇戦時下の北川民次

 ギャラリートークでは、戦時下の北川民次についても言及があり、以下のことが分かりました。

戦時下の北川民次は戦争記録画に手を染めず、戦後には反戦を強調していたとはいえ、北川民次と同じく、池袋モンパルナスのメンバーとされる画家で、滝口修造(評論家)と共に逮捕、拘禁された福沢一郎とは異なり、大っぴらに軍国主義を批判するような作家ではなかった。反戦の思いを表すにしても、暗示的に描くなど、慎重に対応したということでしょうね。

勝田さんは、帰国後間もない時期の北川民次は、船から富士山が見えた時の思いを“僕の芸術が恋ひ慕ってゐる日本の山だ!”と書いている、という話も披露してくれました。

◆Ⅲ 幻想と象徴 Fantasy and Symbolism(1階)

〇ルフィーノ・タマヨからの影響

Ⅲ章の最初に展示されているのは、ルフィーノ・タマヨ《苦悶する人》(1949)とマリア・イスキエルド《巡礼者たち》(1945)の2点。いずれの作品もシュルレアリスム的な主題を描いたものです。勝田さんの解説により、北川民次はタマヨからの影響を受けてシュルレアリスムの非現実的・暗示的な手法を使っていた、ということが分かりました。

〇暗示的な手法で制作した作品

暗示的な手法ということについて、《メキシコ静物》(1938)では、画面左に二つの裂けた木の幹、画面下には切断される途中の木の幹や包丁、鋏、銃が、画面右上には切断された頭部が描かれている。これは戦時下の雰囲気を表したもの、ということが、《岩山に茂る》(1940)では、紀元二千六百年奉祝美術展に出品。植物を描いたものだが、ねじれた人体がもがき苦しんでいるようにも見える。暗示的な手法なので、問題にはならなかった。また、当時は画材が手に入らなかったので、この作品は白粘土でキャンバスの地塗りをして、陶磁器の上絵付けに使う顔料を利用して描いた、ということが分かりました。

◆Ⅳ 都市と機械文明 The city and the Machine Age(2階)

〇フリーダ・カーロのアトリエ

Ⅳ章の最初は《赤い家とサボテン》(1936)です。勝田さんの解説により、作品はフリーダ・カーロのアトリエ兼住居を描いたものであり、遠近法を歪めて色々な方向から見た姿を一つの画面に収めている、ということが分かりました。

〇帰国後に描いた作品

《池袋風景》《落合風景》《都会風景》の3点はいずれも1937年制作です。参加者からは「池袋モンパルナスの時代の作品だ」という声が上がりました。勝田さんの解説により、池袋付近(注:現在の豊島区千早1丁目付近、その後、長崎2-25に転居)に住んでいた時期に制作した作品で、いずれも遠近法を無視して、色々な方向から見た姿を一つの画面に収めており、《落合風景》には人物も描かれている、ということが分かりました。

 《海王丸(舷側)》《海王丸(甲板)》《海王丸(通風筒)》(いずれも1939)については、大日本海洋少年団の嘱託画家として練習船・海王丸に乗船して約60日間の航海をした時の作品で、船だけでなく少年団の姿も描かれている、ということが、版画シリーズ《瀬戸十景》(1937)については「風景を描いた作品だが、労働者に焦点を当てている、ということが分かりました。

〇戦後に描いた作品

《瀬戸のまちかど》(1946)については、北川民次のお気に入りの風景だ、ということが、《砂の工場》(1959)については、フェルナン・レジェの影響を受け、太い輪郭線で機械や人物を平面的に描いた作品、ということが、《赤いオイルタンク》(1960)については、石炭窯から重油窯に移行する時期を象徴する“赤いオイルタンク”が目立つように描いた作品、ということが分かりました。

◆Ⅴ 美術教育と絵本の仕事 Work in Art Education and Picture Books(2階)

〇版画とメキシコ野外美術学校(メキシコ時代)

 Ⅴ章では再びメキシコ時代に戻り、メキシコの版画や美術教育、戦時中に制作した絵本の仕事をテーマ別にまとめ、年代順に展示しています。

 1番目のテーマはポサダなどの版画。北川民次もメキシコ時代に版画の技法を学んだ、ということが分かりました。ポサダの版画は、正にメキシコの伝統。「メキシコから日本へ」という副題に合致していると思います。

 2番目のテーマはメキシコ野外美術学校。資料の展示が多いですが、《老人》(1932)については、ただの老人ではなく、ガラガラヘビも捕まえる「蛇取り名人」ということと、北川民次は子どもから影響を受けていた。つまり、子どもの作品を手本として作品を描いていた、ということが分かりました。《ロバ》(1928)については、メキシコでは身近な存在だ、ということを理解しました。

〇戦時中の絵本制作

 3番目のテーマは北川民次が戦時中に制作した絵本。勝田さんの解説により、北川民次は、児童画に関心を持っていた栃木県真岡(もおか)町(現:真岡市)の久保貞次郎と知り合い、良心的な絵本制作を目指すことになる。当時の絵本は、絵も文もが画一的で印刷の質も悪かったため、絵と文にこだわった絵本の制作を目指した。『ジャングル』では、職人任せにせず北川民次自身が石版に描いた、ということが分かりました。

 ギャラリートーク後に調べると、石版(せきばん)印刷は、石版石という大理石に似た石を加工して、その表面に油性の画材で絵や文字を描き(描画)、化学反応を利用してインクが付く(=水を弾く)ところとインクを弾く(=水を受ける)ところを作る(製版)、水で版を湿らせてからインクをつけると、インクは油性の画材で絵や文字を描いたところにしか付かないので、付いたインクを紙に転写する(印刷)という印刷方法でした。北川民次がやったのは、上記の(描画)に当たります。

 勝田さんは「真岡市教育委員会所蔵の資料にも注目してください」と話されました。真岡市教育委員会所蔵の資料として展示しているのは、絵本『マハフノツボ』原画、絵本『ジャングル』下絵、絵本『うさぎのみみはなぜながい』の原画でした。絵本『ジャングル』だけ「原画」ではなく「下絵」となっているのは、下絵を元に本人が石版に直接描画したものが「原画」にあたるからでしょうね。

 また、勝田さんによれば、『ジャングル』の絵は北川民次ですが文は佐藤義美(よしみ:童謡作詞家・童話作家、代表作は『犬のおまわりさん』)。『うさぎのみみはなぜながい』は1942年に準備できていたが、出版は20年後の1962年になった、とのことです。

〇名古屋動物園児童美術学校

 最後は、1949年の夏、名古屋市東山動物園で開催された児童美術学校をテーマにした展示です。勝田さんの解説により、児童美術学校の目的は、子どもが上手な絵を描けるようになることではなく、美術を通して子どもの自由な精神を作ることだった。一部では賛同を得られたものの、管理型教育にそぐわないとして短期間で終わった、ということと、《画家の仲間たち》(1948)は、名古屋動物園児童美術学校を開校することになる同志たちを描いた作品だ、ということが分かりました。

◆エピローグ 再びメキシコへ Back in Mexico(地下1階 常設展示室3)

 ギャラリートークの最後は「エピローグ」。地下1階・常設展示室3に移動して勝田さんの解説を聴きました。

勝田さんの解説により、北川民次は1955年にメキシコを再訪して、二つの発見をした。一つはモザイク壁画の可能性で、メキシコではフレスコ技法の時代が去り、モザイク壁画が流行していることを知った。もう一つはメキシコ陶器に触れて、瀬戸の陶磁器産業の技術が世界に通用することを再発見したこと。そして、1959年、CBC会館(名古屋市)を皮切りに瀬戸市民会館、旧カゴメビル(名古屋市)、瀬戸市立図書館の壁画を完成したことが分かりました。

エピローグに展示されていた原画は、《名古屋CBC会館壁画原画》(1958)、《瀬戸市民会館陶壁画原画》(1959:現在は尾張瀬戸駅近くの瀬戸蔵に移設)、《名古屋旧カゴメビル壁画原画 TOMATO》(1962:2024.06.05付の中日新聞に記事があります)、《瀬戸市立図書館陶壁原画》(1970)です。

瀬戸市立図書館陶壁は建物の外壁に2面、内壁に1面あるのですが、そのうち内壁「勉学」を撮影した写真について、勝田さんは「“勉学”の前には棚が置かれていたので、棚を移動させないと写真が撮れません。撮影時には、図書館の方にも棚の移動を手伝っていただき、何とか写真を撮影できました」と、苦労話を語ってくださいました。

◆最後に

 ギャラリートークが終わったのは、午後6時25分。解散予定の6時30分ぎりぎりまで熱いトークが続きました。本展は、展示室の作品解説が分かりやすくて内容が充実しており、作品だけでなく資料も豊富です。力のこもった展覧会だということが、ひしひしと伝わってきました。メキシコ・ルネサンスに関する名古屋市美術館の所蔵品を活用していることにも目を引かれました。

 壁画のうち、名古屋CBC会館壁画の材質は大理石。陶磁タイルでも原画の色を再現するのは大変ですが、大理石だと色を再現するためには、随分と苦労されたのでしょうね。

Ron

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