新聞を読む「ガウディとサグラダ・ファミリア展」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

7月8日(土)付日本経済新聞「文化」欄に、東京国立近代美術館で開催中の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」(以下「本展」)の記事が載っていました。名古屋市美術館も巡回先(会期は、2023.12.19~2024.3.10)なので、とても気になります。記事の内容だけでなく、ネットで見つけた情報もプラスしてブログを書いてみました。

◆7.8付け日本経済新聞「文化」欄の概要と感想

・「未完の聖堂」といわれてきたサグラダ・ファミリアの完成が近づいてきた

サグラダ・ファミリアについて、記事は〈ガウディ没後100年の2026年に完成する予定だった。新型コロナウイルスの感染拡大で遅れる見通しだが、21年に「マリアの塔」が完成するなど全体像が見えてきている〉と書き、「イエスの塔」を建設中の写真(2023年1月撮影)を掲載しています。外国の建物ですが、完成が待ち遠しいですね。

・本展では「逆さ吊り実験」の模型を展示

記事に掲載された写真は全部で3枚。2枚目の写真が「コロニア・グエル教会の模型と『逆さ吊り実験』の復元模型」というもの。「逆さ吊り実験って、何?」と思ったのですが、記事によれば、ガウディはこの実験でノウハウを蓄積して、サグラダ・ファミリアなどの建設に取り入れた、というのです。

記事によれば、〈上部に両端を留めた何十本ものヒモそれぞれに、屋根や天井に相当する重りをぶら下げる。重りに応じて、ヒモはU字(略)を描く。ひっくり返すと一本一本のヒモが教会の骨格を示す模型になる〉というのです。ヒモが描く曲線は「懸垂線(カテナリー:Catenary)」。名古屋市科学館のホームページ(注1)は「材質が持つ強さを最大限に引き出せるため建築や橋などに使われています」としていますが、記事は〈施工が難しく、ほとんど使用されてこなかった〉〈ガウディは理想的な形が出来上がるまで、ヒモや重りの位置の調整を繰り返し、10年も実験を続けたという〉と書いています。

本展の展示内容を発信するYouTube動画(注2)で「サグラダ・ファミリア聖堂、身廊部模型」を見ると、床から伸びた柱が上部で枝分かれして、更に上部でアーチを形成するという、軽やかで美しくスッキリした構造が見えます。「これが、逆さ吊り実験で見つけた構造なのか」と思いながら見ると、感動しますね。

注1:出典のURLは、次のとおり

名古屋市科学館 | 科学館を利用する | 展示ガイド | フロアマップ | 物理現象に見る数学 (city.nagoya.jp)

放物線(parabola)と懸垂線(Catenary)を比較した図もあるので、勉強になりました。

注2:URLは次のとおり。

(10) 【ガウディとサグラダ・ファミリア展】/IN MUSEUM/近代国立美術館 – YouTube

 展示室の中を動きながら、次々に展示品を撮影・紹介する動画です。音声は、バックグラウンド・ミュージックのみ。解説が必要な展示品は、展示品の横の「解説板」も撮影しますが、数秒しか映らないので、動画を止めないと解説文を読むのは困難です。

・本展ではサグラダ・ファミリア「降誕の正面」に設置されていた石こう像も展示

記事は、サグラダ・ファミリアの彫刻について、〈最初にスケッチを描き、次に針金や骸骨の模型で検討し、モデルを三面鏡の前に立たせてポーズをとらせる。写真を撮り、型を取って2分の1サイズの粘土像に移して石こうで固める。それを4分の1の粘土像にコピーして検討し、実物大の粘土像、石こう像を作る。実際に設置した時を想定して調整し、最終段階の石像に転換していく。(略)1978年から聖堂の彫刻を手掛ける外尾悦郎による「歌う天使たち」の石こう像は、実際に石像が完成するまで聖堂の「降誕の正面」に設置されていたものだ〉と書いています。

なお、3枚目の写真は「外尾悦郎「サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:歌う天使たち」(作家蔵)でした。

◆NHK・Eテレが本展の関連番組を放送

NHK(本展主催団体)の本展関連番組の放送予定は下記のとおり。URLは(注3)です。

・日曜美術館「“神の建築家” アントニ・ガウディ ~サグラダ・ファミリアへの軌跡~(仮)」

NHK・Eテレ 7.23(日)AM9:00~9:45

・NHKアカデミア 外尾悦郎 

NHK・Eテレ 前編:7.26(水)PM10:00~10:30  後編:8.2(水)PM10:00~10:30

注3:「ガウディとサグラダ・ファミリア展」関連番組・イベントの紹介  |NHK_PR|NHKオンライン

このページでは、NHKが2023年5月に撮影した、ドローン撮影を含むサグラダ・ファミリアの動画(5分17秒)も視聴できます。とても綺麗ですよ。

◆上記のほか、下記のブログも面白かったですよ

・工学的思考(左脳)がしびれる!「ガウディとサグラダ・ファミリア展」

工学的思考(左脳)がしびれる!「ガウディとサグラダ・ファミリア展」@東京国立近代美術館、図録もすごい | BUNGA NET

 投稿者は理系の人と思われます。なので「逆さ吊り実験」の模型は言うに及ばず、「双曲放物線面:Hyperbolic Paraboloid」「回転放物面:Hyperboloid of Revolution」「コノイド曲面:Conoid Surface」の模型のいずれも撮影・発信。しかも、解説を添えています。

 なお、上記の「コノイド曲線模型」は「サグラダ・ファミリア幼稚園屋根」の動画とワンセットになっているようです。幼稚園の屋根は、蒲鉾(半円)を並べたような屋根を変形させたもの。違いは、①屋根は、蒲鉾が並ぶのではなく、サインカーブに沿って滑らかに上下する。②建物のこちら側と反対側で、サインカーブを半周期ずらす。つまり、こちら側が上がる時は、向こう側は下がり、こちら側が下がり始めると、向こう側は上がる、という具合です。

魔訶不思議な曲面ですが、屋根を支えるのは全て直線の棒なので、工事監督が適切な指示をすれば、難工事になることはないと思われます。それにしても、見飽きない模型です。

・直線がつくる曲面

名古屋市科学館 | 科学館を利用する | 展示ガイド | キーワード検索 | 「そ」ではじまるキーワード |キーワード【双曲放物面】 | 直線がつくる曲面 (city.nagoya.jp)

 本展で展示している「双曲放物線面」と「回転放物面」の模型と同じものを展示・解説しています。解説があるので、本展の展示物(模型)を理解する際に助かりました。

Ron.

「マリー・ローランサンとモード」第3章の「バイアスカット」について

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 先日開催された「マリー・ローランサンとモード」の協力会向け解説会で解説された勝田学芸員から「バイアスカット」という言葉が出てきました。その場で質問すればよかったのですが、気後れして質問を回避。以下は、「バイアスカット」について、ネット等で調べた内容です。ただし、正確さは保証の限りではありません。

1 マドレーヌ・ヴィオネについて

マドレーヌ・ヴィオネ (Madeleine Vionnet:1876 – 1975)は、シャネルと同様、第一次世界大戦後に活躍したデザイナー。マドレーヌ・ヴィオネは立体裁断の技法を追求し、バイアスカットやサーキュラーカットなど、新しいパターンの衣服を提案。彼女の衣服は、のちのデザイナーたちに強い影響を与えたとのことです。

出典:『世界服飾史のすべてがわかる本』能澤慧子 監修 発行所 株式会社ナツメ社 2012.03.12初版発行

2 バイアスカット (Bias Cut) について

1920年代に確立されていった、洋裁での生地の使い方のひとつ。生地の縦と横の地の目に対して斜め方向を利用したカッティングのこと。伸縮性が生まれると同時に動きが出せるので、フィット感があり、きれいなドレープを形作ることができる、とのことです。

出典のURL

https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%88

3 立体裁断 (Draping) について

洋裁での制作過程のひとつ。トルソー(人台)に布を当てて、立体的に型紙(パターン)を作ること。マドレーヌ・ヴィオネは、1/2の縮小サイズのトルソーを用いた立体裁断で、バイアスカットを生かしたドレスを作っている、とのことです。

出典のURL

https://artscape.jp/artword/index.php/%E7%AB%8B%E4%BD%93%E8%A3%81%E6%96%AD

4 山崎豊子が描写した「立体裁断」(『女の勲章』より)

 マドレーヌ・ヴィオネが追求した「立体裁断」の技法ですが、山崎豊子が1961年に発表した小説『女の勲章』に、その様子を描写した箇所があります。それは、主人公の大庭式子(服飾デザイナー・聖和服飾学院長)が、ドレスの型紙を手に入れる交渉をするため、フランスの著名なデザイナー・ランベール(モデルはクリスチャン・ディオール:Christian Dior、1905 – 1957)を訪ね、「立体裁断」の実技を見学する場面。作業の様子が目に浮かぶ文章なので、以下に引用します。

 ランベールは(略)仮縫室の前へ来ると(略)仮縫室にいるマヌカンの体に、トワール(実物の布地で服をつくる前に木綿や麻で作る実物見本)を巻きつけ、マヌカンの体の上で大胆に鋏とピンを使ってドレープの多いブラウスの形を作り出した。まるで頭の中にある布地の彫刻を創るような奔放さで、人間の体の上で自由自在に布地を操り、自分のイメージに合うシルエットになると、トワールを解いて、それを製図用紙の上へ平らに広げて、トワールから型紙を創り出した。細かく鉛筆を動かしながらランベールは、式子の方へ強い語調で話しかけた。

「優れた服は、尺度(メジャー)とコンパスでひかれた型紙を基にして、いきなり美しい布地を裁断し、縫製するのではありません、最初に服の形をデッサンし、デザイン画が出来上がると、それをトワールにして十分、シルエットの検討をするのです。このトワールによる検討は、美しい色や材質に惑わされず、シルエットそのものの検討が出来るから、これでシルエットの基礎を決め、それから流行の色や柄を取り上げることです、どんなに目新しい色や柄を駆使しても、美しいシルエットが出ていなければ、それは良く出来た衣装の白粉(おしろい)の役を果たすだけで、ほんとうに完成された服ではありません。私は美しいシルエットを出すために、一着の服を作り上げるのにも、何度もトワールで服のシルエットを検討し、納得してから初めて、それを製図用紙の上に写すのです、だから私の型紙は紙の上に、尺(さし)とコンパスで安易に引かれた平面製図ではなく、トワールから割り出された立体製図なのです」(略)

新潮文庫『女の勲章』下巻 p.189-191

<補足>

 1961年に京マチ子主演の映画『女の勲章』が制作され、最近では、2017年に松嶋菜々子主演のテレビドラマが放送されました。(1962年、1976年にもテレビドラマの放送があります)

5 FASHION PRESS  『ディオール「バー」ジャケットの歴史』

これは、ネット上に掲載された記事で、クリスチャン・ディオールが新しいドレスのデザイン画を描いてから、ドレスを制作し、ファッションショーで発表するまでを記録した動画を収録しています。動画では、『女の勲章』の描写のとおり、ディオール本人がマヌカンの体にトワールを巻きつけ、自分のイメージに合ったシルエットになるまでトワールに手を加える、という様子を見ることが出来ます。

YouTubeのURLなど

URL: ディオール「バー」ジャケットの歴史、ニュールック誕生から最新作まで進化するメゾンのアイコン – ファッションプレス (fashion-press.net)

収録している動画の題名:The world of Monsieur Dior in his own words

Ron.

展覧会見てある記「マリー・ローランサンとモード」

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

2023.06.30 投稿

名古屋市美術館で開幕したばかりの「マリー・ローランサンとモード」(以下「本展」)。2023.06.25(日)17:00~18:30に開催された協力会向け解説会(以下「解説会」)に参加しましたので、その概要とともに、本展の感想などを<補足>として書き足しました。

解説会の講師は、勝田琴絵学芸員(以下「勝田さん」)。今回の解説会は、4年ぶりにギャラリートーク(講堂ではなく、展示室で行う解説)となりました。久しぶりの「目の前に作品がある」解説会なので、参加者はもちろんのこと、勝田さんも気分が高まったようで、予定の1時間を越え、1時間半近くの解説会となりました。

◆本展の成り立ち等について(エントランスホールにて)

勝田さんによれば、本展は企画会社が持ち込んだもの。マリー・ローランサンの作品については、名古屋市美術館の深谷参与が担当。シャネルのドレスなど「モード」に関しては他の企画者が担当という分業制で、展覧会全体の構成については名古屋市美術館が中心になって担当、とのことでした。

◆Ⅰ レザネ・フォルのパリ (Paris of Les Années folles)

勝田さんによれば、第1章では「狂騒の時代=レザネ・フォル : Les Années folles」と呼ばれた1920年代のマリー・ローランサン(以下「ローランサン」)とガブリエル・シャネル(以下「シャネル」)の活躍を示す作品、写真などを展示。当時、社交界の女性たちや前衛画家を庇護する女性たちのステイタスは、①ローランサンに肖像画を描いてもらうこと、②シャネルの服を着て、マン・レイに写真を撮ってもらうこと、の二つだったそうです。

〇《わたしの肖像》(1924)(注:特に説明の無い作品は、ローランサンが描いたもの。以下、同じ)

ローランサンが自信をもって描いた自画像。彼女は短髪で、モダンガールのような装い、との解説でした。

〇《マドモアゼル・シャネルの肖像》(1923)

シャネルがローランサンに依頼した肖像画。しかし、シャネルは気に入らず、ローランサンに描き直しを要求。シャネルは女性の社会進出を推し進めていたので、このように装飾的な肖像画は不満だったと思われます。一方、ローランサンは描き直しを拒否。シャネルを「田舎者」と見下していたのでしょう。シャネルも対抗して作品の買い取りを拒否。物別れとなり、現在、オランジェリー美術館が作品を所蔵している、との解説でした。

<補足>

 この作品は、特製の枠に囲まれています。ローランサンが描いたシャネル、本展の主役二人に関係する作品ですから、特別扱いも納得。「本展を象徴する作品」という感じがします。

シャネルについて知るため、YouTubeの「シャネル ファッション・デザイナーへの道」という動画(以下「YouTube」 URLは、下記(*)に記載) を見ると、シャネルがネクタイを締め、男物のシャツと乗馬ズボンをはいた姿を撮影した写真が出てきました。* URL : https://www.youtube.com/watch?v=Z49X-pjFR64

『もっと知りたい シャネルと20世紀モード』 朝倉三枝 著 発行所 株式会社東京美術 2022.10.25発行(以下『シャネルと20世紀モード』)p.7にも、同じ写真が載っています。シャネルを象徴する写真ですね。

YouTubeでは、シャネルを主人公にした映画の「シャネルが男用の乗馬姿に着替える」という場面も紹介。シャネルは、当時の女性の装飾過剰なファッションを嫌い、機能的な男性の服装が気に入っていたようですね。YouTubeは更に、上流社会の社交場であった競馬場にシャネルが男物のコートを着て行った時の写真も紹介しています。肖像画も男性的な服装なら、シャネルからOKが出たかもしれませんが、当時の常識を外れた肖像画では、ローランサンの方が描くことを拒否したでしょう。(写真撮影の年代は不明ですが、肖像画の制作と年代が離れているのは確か。なので、的外れの想像になるかも)

〇《テティエンヌ・ド・ボーモン伯爵夫人の空想的肖像画》(1928)

本人の子どもの頃を想像して描いた大型の肖像画。隣には、この作品の前に座った夫人の写真も展示。ローランサンは、夫のボーモン伯爵が開催した夜会「ソワレ・ド・パリ」のポスターも描いた、との解説でした。

〇映像 マン・レイ《シャネルの服を着た社交界の女性たち》

マン・レイに写真を撮ってもらうことは、社交界の女性のステイタス。「今回は時間がないので、次の機会にじっくりご覧ください」との解説でした。

<補足>

 上映されているポートレイトは、1924年~1930年に撮影されたもの。100年近く前の写真なので、写っているのは知らない人ばかりですが、princess(王女)、duchess(公爵夫人)という肩書や本人の容姿、装身具から推察すると、身分の高い人やお金持ち、女優などと思われます。パールのロングネックレスを着けたシャネルもモデルになっています。次回は勝田さんのアドバイスに従って、じっくりと見たい映像です。

◆Ⅱ 越境するアート (Cross-border Art)

〇《牝鹿と二人の女性》(1923)/ 限定書籍『セルゲイ・ディアギレフ劇場「牝鹿」』1,2巻(1924)

勝田さんによれば、ローランサンは作曲家・プーランクの推薦で、セルゲイ・ディアギレフが率いるロシア・バレエのバレエ団=バレエ・リュスの「牝鹿」の衣装と舞台装置のデザインを手掛けたとのこと。バレエの振り付けは、舞踊家ニジンスキーの妹ニジンスカヤ。衣装については、ローランサンのデザイン画が分かりにくかったため作り直しが多く、制作現場は大混乱だった、との解説でした。

〇映像 NBAバレエ団「牝鹿」の日本公演(2009)

勝田さんによれば、ピンクの羽飾りの帽子を被り、ピンクの衣装を着た乙女たちが踊っているところに、美青年が来て乙女たちを誘うが、乙女たちは見向きもしない、というストーリーとのことです。

<補足>

 女性はひざ下丈のゆったりしたワンピース、男性はランニングシャツにショートパンツという姿。モダンダンスのように見えます。とはいえ、バレエは軽快で、思わず見入ってしまいました。

〇《アポリネールの娘》(1924)

 勝田さんによれば、アポリネールの死後に描かれた作品。「ローランサンとアポリネールとの間に娘がいたら」と空想して描いたそうです。

〇《優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踊》(1913)

勝田さんによれば、キュビスムの頃と円熟期の境の時期に描かれた、ローランサンの代表作の一つ。平面的な描写ですが、キュビスム的な手法の作品、とのことでした。

〇映像 「青列車」 ピカソとダンス「青列車」「三角帽子」(DVD)より(1993年12月収録)

勝田さんによれば、シャネルはバレエ・リュス「春の祭典」を資金援助。「青列車」もバレエ・リュスの作品で、幕はピカソ、衣装はシャネルが担当。更衣室から出てくる女性のテニス・チャンピオンはシャネルのワンピースと、イミテーションパールのイヤリングを身に着けている、とのことです。

<補足>

「青列車」の登場人物が身に着けているのは、当時のリゾート・ウエア。男女とも、水着はワンピース(ノースリーブで、下はシュートパンツ)。当時の藤田嗣治の水着写真も、ワンピースでしたね。

イミテーションパールですが、前出『シャネルと20世紀モード』のp.36は、シャネルは「高価な宝石がそれを身に着ける女性を豊かにするわけではない。……ジュエリーはあくまで装飾品であり、楽しみのひとつであるべきだ」という考えのもと、あえて本物と偽物のジュエリーをまとい、1924年頃、イミテーションを扱うコスチューム・ジュエリー部門を開設した、と書いています。積極的にイミテーションを販売したのですね。

バレエは、「牝鹿」と同様の軽快な動き。先に登場した女性のテニス・チャンピオンと後から登場する男性ゴルファーの掛け合いがユーモラスで、見飽きません。男性ゴルファーの服装は、ニッカーボッカーズでした。

〇《アンドレ・グルー夫人(ニコル・ポワレ)》(1913)・《アンドレ・グルー夫人(ニコル・ポワレ)》(1937)

 画面が楕円形の作品です。勝田さんによれば、楕円形の画面は寝室を飾るため、とのこと。装飾家アンドレ・グレーの夫人は、「モードの帝王」と呼ばれたポール・ポワレの妹・ニコル。ローランサンとニコルは生涯にわたって深い親交を結んだ、との解説でした。

〇アール・デコ展(現代産業装飾芸術国際博覧会)1925年のパネル

勝田さんによれば、名古屋展のために製作したパネル、とのこと。パネルには、ポール・ポワレが、衣服だけでなく室内装飾までも展示した三艘の遊覧船をセーヌ川を浮かべ、毎夜のように客を招いて豪華な夕食会を開催したが、結果は大赤字。1929年には、自分のメゾン(店)を畳むことになった、と書かれています。

<補足>

大きなパネルで、博覧会の会場地図だけでなく、セーヌ川に浮かぶ遊覧船や、遊覧船内の展示風景の写真も貼ってあります。製作は大変だったと思いますが「優れもの」のパネルです。

◆Ⅲ モダンガールの登場 (Rise of The Modern Girl)

第3章からの会場は2階に写ります。広い空間の中央に4体のドレス(ただし、うち1体は撮影禁止です)が置かれ、周囲の壁に作品や写真などが展示されていました。

〇シャネル《帽子》1910年代

勝田さんによれば、シャネルは帽子の制作・販売からファッションの仕事を始めた、とのことです。

<補足>

《帽子》の隣には、1900年代~1910年代の帽子のイラストが、次々と投影されていました。すぐにイラストが変わるので、文字がうまく読み取れませんが、辛うじて Paul Poilet(ポール・ポワレ)、Jeanne Lanvin(ジャンヌ・ランバン)、Gabrielle Cannel(ガブリエル・シャネル)という名前は読み取れました。名前の読み取りは難しいですが、このイラストも見逃せませんよ。展示室では、イラストの投影だけでなく、帽子を描いたローランサンの作品も展示しています。

〇ジャン・コクトー《ポワレが去り、シャネルが来る》(オリジナル:1928)アートプリント

 勝田さんによれば、ポール・ポワレが第一線を退き、シャネルが流行を牽引するようになったことを象徴するイラストなので展示した、とのことでした。

〇ポール・ポワレ《カフタン・コート「イスファハン」》(1908)

写真撮影スポットを示す印の正面に展示されているコート。勝田さんによれば、コートの向かい側の壁に展示の『ポール・ポワレのドレス』のイラストに、展示されているコートと同じものがある。材質は絹、模様は金糸で刺繍したもの、とのことでした。1920年代は「シャネル旋風」が巻き起こりますが、1930年代の流行はスカート丈が長くウエストを絞った、女性的なスタイルに回帰。バイアスカットの技法で縫製し、体の線に沿ったマドレーヌ・ヴィオネやジャンヌ・ランバンがデザインしたドレスが流行、との解説でした。

 <補足>

中央が《カフタン・コート「イスファハン」》。写真では分かりにくいですが、かなり薄手の生地。スカートのピンク色も鮮やか。100年以上前のものとは思えません。向かって右はシャネル《イブニング・ドレス》(1920-21)、左がジャンヌ・ランバン《ドレス》(1936)で、バイアスカットの技法で縫製しています。壁に展示されているのは、帽子をかぶった女性の肖像画です。(作品を撮っている女性もドレスの陰に写っています)

なお、「バイアスカット」について書くと長くなるので、別のブログ原稿に書くことにします。

また、「シャネル旋風」についての解説があったと思うのですが、帽子のイラストやローランサンの作品等に夢中で、聞き漏らしてしまいました。残念。

〇《シャネル N°5 の広告》(1936)

 勝田さんによれば、皆さんご存じのとおり、シャネル・ブランドで1921年に発売した香水。シンプルなデザインのボトルは斬新で、大いに売れた、とのことでした。

<補足>

「シャネルの5番」について、『シャネルの真実』 山口昌子 著 新潮文庫(以下『シャネルの真実』)は、 p.221 に<シャネルの名を不朽のものにすると同時に、莫大な財政的成功をもたらし、経済的にも自立した20世紀の解放された女性の代表の地位を与える結果となった>と書いています。大成功だったのですね。

◆エピローグ:蘇るモード (Fashion Reborn )

〇カール・ラガーフェルド《ピンクのツィードのスリーピース・スーツ》(2011)

 勝田さんによれば、シャネルのデザイナー=カール・ラガーフェルドは、2011年にローランサンのピンク色に発想を得た、ツィードのシャネル・スールを発表。このことにより、ローランサンとシャネルは和解に至った、とのことでした。

<補足>

女性参加者の多くは、ピンク色のシャネル・スーツを見て、大統領夫人のジャクリーヌ・ケネディを想起したようです。このことについて、前出の『シャネルと20世紀モード』p.69は、<夫人のスーツは、シャネルの1961年秋冬コレクションで発表されたモデルで、パリの本店から送られて来た素材を使い仕立てられていた。ジャクリーヌのスーツは2003年に、当時のままアメリカ国立公文書館に寄贈されたが、家族の意向で100年間、公にせず保管されることとなっている>と書いています。

〇映像 カール・ラガーフェルド《2011年春夏 オートクチュール コレクションより》(2011)

 勝田さんから「この映像で本展の解説会は終了です。展示室を閉めるまで、もう少し時間がありますので、自由に、ご鑑賞ください」という挨拶があり、解説会は終了。自由解散となりました。

<補足>

最後の映像も、見ごたえ十分です。解説会の締めくくりとなる展示なので、大勢の会員が立ち見をしていました。女性会員は、カール・ラガーフェルドをよくご存じでしたが、恥ずかしながら私は “Karl Who ?” という状態。日本語のYouTubeを探して、「シャネルを復活させたドイツ人デザイナー」「サングラスとポニーテールが目印」という人物像を知ることが出来ました。視聴したYouTubeは、下記のとおりです。

【カール・ラガーフェルド】モード界を牽引してきた帝王 ★40枚の写真で振り返るレジェンドの軌跡

URL: https://www.youtube.com/watch?v=JVLkXy-80zI&t=782s

実は、前出『シャネルの真実』p.279 -281 でも、カール・ラガーフェルドについて書いていました。

また、本展公式ホームページによれば、『シャネルの真実』の著者・山口昌子さんによる本展の特別解説会「ココ・シャネルの真実」が7月29日(土)14:00から名古屋市美術館2階講堂で開催されるようです。当日は先着順、30分前に開場し定員(180名)になり次第締め切りとのことですから、どうしても講演を聴きたいという方は早めに並ぶことをお勧めします。

<参考> 2022年6月 豊田市美術館 交歓するモダン

 2022年6月に、豊田市美術館「交歓するモダン」に行きました。その時、ポール・ポワレ、ジャンヌ・ランバン、マドレーヌ・ヴィオネ、ガブリエル・シャネルの展示作品を撮影。ブログに掲載しましたので、興味のある方は下記のURL で検索してください。

URL: 6月 « 2022 « 名古屋市美術館協力会ブログ (members-artmuse-city-758.info)

Ron