2023.05.14 14:00~15:00
碧南市藤井達吉現代美術館(以下「碧南市美」)で開催中の「碧い海の宝石箱」(以下「本展」)のミニツアーに参加しました。参加者は7人。碧南市美が開催するギャラリートークを他の入場者と一緒に聞く、というミニツアーでした。
ギャラリートークを担当されたのは3人。特任学芸員の大野さんと学芸員の大長さん、豆田さんです。大長さんが第1章、第2章、第3章part 1と第4章、大野さんが第3章part2、豆田さんが第5章を担当。本展の名称「碧い海の宝石箱」について、大長さんは「碧い海というのは、碧海郡(今の碧南市を含む、昔の行政区画の名前)を象徴しています。宝箱は地域の宝箱である碧南市美のことです」と解説され、「本展の出品は70作家・112件」と付け加えました。
◆ 第1章 藤井達吉がいた時代 大正~昭和初期の美術から
大長さんは先ず、毛利教武《手》(1919)について解説。「毛利教武はフュウザン会の作家。フュウザン会は大正元(1912)年に岸田劉生らが結成した芸術家集団。表現主義的作風を強調したが、活動期間は半年ほど。藤井達吉もフュウザン会に所属しています。そのため、第1章では木村荘八《樹の風景》(1913)、岸田劉生《童女飾髪之図》(1921)萬鉄五郎《冬の海》(1922)など、フュウザン会の作家の作品を6点出品。なお、萬鉄五郎は洋画家ですが《冬の海》は南画風の日本画です」との解説もありました。
バーナード・リーチについては「彼は横浜市で陶芸をしていましたが、藤井達吉が横浜市の上野桜木町に住んでいた頃に、達吉と知り合った」とのことでした。小茂田青樹《城》(大正後期)については「この頃には日本画でも新風が吹き、小茂田青樹の属した赤耀会などが結成されたが、赤耀会の活動期間は2年と短かった」と解説。小川芋銭《河童図》については「再興院展に出品」との解説がありました。
◆ 第2章 藤井達吉の精神
大長さんによれば「第2章では、藤井達吉と造形思想を共にする作家を紹介」とのことで、先ず、藤井達吉の姉・藤井篠(すず)《芍薬文鳥毛屏風》(1931)の解説がありました。「絵の具ではなく、鳥の羽毛を刺繍して制作した屏風」という解説を聞くと、参加者は作品に近寄って、羽毛が刺繍されていることを確かめていました。
香月泰男については「第二次世界大戦後、シベリアに抑留された経験を持つ作家。作品には宇宙に対する視線を感じる。《洗濯帰り》(1963)に描かれた三角形の窓には、藤井達吉《大和路》(1957)の三角形に切り取られた空との共通性を感じる」との解説があり、和田三造《花鳥図屏風》については「文展で最高賞を得た《南風》で知られる作家だが、装飾的な作品も手掛けている。大正後期の作品ではないか」と解説。地元作家である杉本健吉の作品についても紹介されました。
◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち
part1:地域の美術振興に足跡を残した作家たち
地元ゆかりの作家の作品を紹介する章です。加藤潮光《比島観音像》(1971)について、西尾市の三ヶ根山にある観音像の模型と下図などを展示しており、大長さんは、碧南市の出身などと解説していました。
なお、伊藤廉《柘榴・無花果》(1935)以降は大野さんにバトンタッチ(と記憶しています)。伊藤廉は「愛知県立芸術大学の創設に尽力、初代の美術学部長に就任」。久田治男《夢魔の晦(2)》(1979/2005)については「加藤潮光と同様に碧南市出身。1970~80年代の愛知の現代美術を代表する作家の一人」とのことでした。
◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち
part2:新たな表現を希求した作家たち
大野さんによれば「ジャンルを超えた作家たちの作品を紹介した章」とのこと。中村正義《(「男と女」シリーズより)》(1963)については、「日展のホープだったが、脱退。その後、黄色、赤色、緑色など、あまり絵に使わない原色や蛍光塗料などを使った作品を発表」と解説。星野眞吾《何処へ》(1980)については「中村正義と同じ『从会(ひとひとかい)』に所属。日本画の画材を使って、洋画風の表現をする作家。展示作品は『人拓』。作家の体で拓本を取ったもの」と解説していました。近藤文雄《婿の朝夢(イ)》《婿の朝夢(ロ)》(いずれも1979)については「『婿シリーズ』のペン画です。作家は、自分の描いた妖怪を漫画家の水木しげる盗作した、と自慢していた」と解説がありました。
庄司達《白い布による空間 ’68-7 ミニ No.2》(2007)については「重力を可視化した作品」。野田哲也《Diary : Sept. 1st ’74》(1974)については「版画で、子どもの写真と子どもが描いた絵を重ねたもの」。八島正明《通学電車》(1977)については「真っ黒に塗った画面を細い針で削って白い線を描いた、根気の要る作品」との解説がありました。
〇 増築した「多目的室」
第3章part2は、今回増築した「多目的室」に続きます。大野さんの説明によれば、多目的室の奥(西側)壁際の上部は吹き抜けで、外光を取り入れることが出来るそうです。壁に寄って真上を見ると、天井付近に窓がありました。奥の壁は、左右とも曲面。大野さんによれば「奥の壁は、左右とつながっているように見えるので、部屋が広く感じます」とのことでした。増築された多目的室ですが、現代アートの展示には最適の部屋だと感じました。
◆ 第4章 近代の藤井達吉
第4章から1階に移動。第4章は全て、藤井達吉作品の展示です。再び大長さんが登場。1階奥の展示室4(藤井達吉記念室)入口横の壁に展示の 《蜻蛉図壁掛》(1912)について「図柄は刺繍したもの。トンボの眼は七宝、翅は竹の皮」との解説がありました。展示室の入り口近くに、三幅の掛け軸が展示されています。右から《日光(朝)》《日光(昼)》《日光(夜)》(いずれも1925)。大長さんは「院展に、三幅対として出品したのですが、いずれも落選だった」との解説。《立葵》(1928)については「花は、絵具に漆を混ぜて着色」と解説した後、「鈴木其一の作品に似ている」と感想を述べていました。
展示室4ですが、今回のリニューアルで、床より少し高い畳の間が出来ました。そこに、二曲一双の《大島風物図屏風》(1916)が展示されているので、楽な姿勢で鑑賞できます。屏風の図柄は、右隻が桜、左隻が椿。春と秋の風物を描いています。
ケース内に展示の図案集には葵が描かれていますが、大長さんから「この葵を元に、碧南市美西側の外壁にレリーフを設置しました」との宣伝がありました。
◆ 第5章 石川三碧コレクション 地域の文化・歴史のなかで育まれた宝物
第5章は、豆田さんの担当。展示しているのは、九重味醂の石川八郎右衛門当主から9年前に寄贈を受けた「石川三碧コレクション」の作品です。なお、石川三碧は、現当主の四代前の当主とのことでした。
豆田さんは、入口近くに展示されている三幅の掛け軸について解説。「文人画家・儒学者の富岡鉄斎が米寿を迎えた明治22(1923)年、鉄斎が三碧宅に宿泊した際に贈られたもので、三碧80歳、夫人70歳も祝っている」とのことでした。その外には、藤原定家の1212年3月9日と推定される「明月記断簡」の解説もありました。「これまで、本物は残っていないとされた日付の日記だったので専門家の鑑定を受けたところ、新発見の本物と鑑定された」とのことでした。作者不明の絵巻物「てこくま物語」(下)(1566)については「東京国立博物館所蔵の写しが知られていましたが、近年の研究により、これが親本であることが明らかにされた」そうです。また、「神戸女学院図書館が所蔵する『おかべのよー物語』が『てこくま物語』の上巻にあたる」とのことでした。
◆ 最後に
今回、展示室の外で見た作品が3点ありました。一つ目は、1階ロビーの壁に展示されていたのが桑山真《鋼鉄による作品 # 252》(1974)。碧南市美によれば「本展開催中の展示」とのこと。二つ目は、階段で2階に上がり切る手前に、右側壁面に展示されている山本富章《Double Rings》(2020)。本展終了後も、しばらくの間は展示されるようです。最後は、喫茶コーナーの天井から吊り下げられている新宮晋《光のこだま》(2008)。少なくとも今後数年間は、今の場所で見ることができるようです。
Ron.
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