新聞、雑誌の記事に引かれ、愛知県美術館で開催中の「ミロ展 日本を夢みて」(英文表記は “Joan Miró and
Japan”、以下「本展」)に足を伸ばしました。以下、簡単なレポートをお届けします。
◆第1章 日本好きのミロ
展覧会名が示すように最初の展示は日本の作品、「ちりめん絵」です。素材は和紙ですが、しわを寄せているので、着物などに使う縮緬のように見える浮世絵でした。ミロの作品は《アンリク・クリストフル・リカルの肖像》(1917年冬-初春)。隈取をしたような男性の肖像画です。背景に浮世絵をコラージュしており、撮影・投稿OK。男性が着ているのは、紐の結び目を紐のループに引っ掛けて止める方式(チャイナボタン)の、中国風の服でした。ただし、襟は立て襟(チャイナカラー)ではなく、折り襟。隣にはコラージュした絵と同じ図柄で色違いの「ちりめん絵」を展示。「作者不詳」という説明が付いているので、コラージュした絵も高価なものではなかったのでしょう。
◆第2章 画家ミロの歩み
軟体動物のような作品のオンパレードです。一宮市三岸節子記念美術館で開催された「貝殻旅行」で見た、三岸好太郎の《乳首》や《オーケストラ》(いずれも1933年)も同じような雰囲気がありました。三岸好太郎の年譜には〈1932年12月 フランス前衛絵画の動向を紹介した「巴里・東京新興美術展」(東京府美術館)を見て大きな刺激を受ける〉と書いてあります。本展では「巴里東京新興美術展覧会目録」(名古屋市美術館保管)を展示。展覧会に出品された《焼けた森の中の人物たちによる構成》(1931年3月)も見ることができます。この作品は『週刊文春』4月14日号「文春美術館」でも取り上げていました。
◆第3章 描くことと書くこと
撮影・投稿OKの作品が2点ありました。《絵画(カタツムリ、女、花、星)》(1934年)と《ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子》(1945年5月26日)です。第二次世界大戦でドイツがソ連軍に対する降伏文書に調印したのは1945年5月8日(モスクワ時間は午前0時を過ぎていたので5月9日)。後者は、欧州における第二次世界大戦が終結した直後に完成。戦争の影響を受けているのでしょうか。
◆第4章 日本を夢みて
大津絵や埴輪の展示が印象的でした。ミロは日本の素朴なものに引かれていた、と分かりました。
◆第5章 二度の来日
1966年のミロ展と、大阪万国博覧会の前年に来日した時の関連資料や作品を展示しています。面白かったのは《祝毎日》(1966年10月4日)。「書道」の作品で「ミロ Miró」とカタカナでも署名しています。
◆第6章 ミロのなかの日本
《絵画》(1966年11月4日)《絵画》(1973年頃)など、現代書道のような作品が並んでいます。
◆補章 ミロのアトリエから
最初に目に飛び込んだのは、アトリエの写真。前掛や刷毛、たわし、こけし等の資料を展示しています。
◆最後に
ミロが日本を愛していたことが分かる展示品にほっこりしました。また、福岡市美術館を始め日本の美術館からの出品が多く「ミロが日本に愛されている」ということも強く感じました。
協力会から「6月4日に本展のミニツアーを開催」という通知が届きました。レクチャーを聴いた後に自由観覧・解散とのことです。ミニツアーでは、もう少し深く鑑賞できそうなので、期待しています。
Ron.