名古屋市博物館で開催中の「大雅と蕪村 文人画の大成者」(以下、「本展」)鑑賞の協力会ミニツアーに参加しました。参加者は24名。1階展示説明室で横尾拓真学芸員(以下「横尾さん」)の解説を聴いた後、自由観覧・自由解散となりました。
◆横尾さんの解説(10:00~30)の要旨(注は、筆者の補足です)
・本展のポイント
本展ポイントは、①大雅と蕪村を比べながら鑑賞できる、②大雅・蕪村と尾張との関係が分かる、という2点です。蕪村の展覧会は開催されるものの、大雅と蕪村の作品を比べながら鑑賞できる機会はあまりありません。大雅・蕪村と尾張との関係については、重要なつながりがひとつあります。それは、国宝『十便十宜図』で、大雅と蕪村の合作です。川端康成が所蔵し、現在は公益財団法人川端康成記念会の所蔵です。『十便十宜図』は、中国の文人・李漁が自分の住いの「十便」(十の便利なところ)と「十宜」(十のよろしいところ)について詠んだ七言絶句の漢詩「十便十宜詩」を絵にしたもので、大雅49歳、蕪村56歳の時の作品です。尾張との関係は、この作品が鳴海宿の豪商・下郷学海(しもさとがっかい)が所蔵していたもので、彼が注文主だと考えられているという点です。本展では、「本当に下郷学海が注文したものなのか」という点を掘り下げました。その結果「下郷学海が注文した」と考えられます。
・本展の構成
プロローグ 文人画とは?
第1章 文人画の先駆者―彭城百川(さかきひゃくせん)
彭城百川は名古屋ゆかりの画家なので、第1章で紹介しています。
第2章 早熟の天才絵師―池大雅
池大雅は、文字どおり早熟の天才絵師で、20代から30代の作品を紹介しています。
第3章 芭蕉を慕う旅人―与謝蕪村
池大雅と違って、与謝蕪村は大器晩成型の画家で、若い頃といっても40代から50代の作品を紹介しています。
第4章 『十便十宜図』の誕生
長い前置きがあります。本なので、一度にお見せできるのは1ページだけです。他のページについては、お配りする『十便十宜図』をご覧いただくか、図録をご覧ください。(注:名古屋市博物館敷地内の北側通路にも、『十便十宜図』のパネル展示があります)
第5章 蕪村の俳諧―尾張俳壇と蕪村
与謝蕪村は名古屋の俳人と交流が深く、蕉風の同志として交流とともに、蕪村の「俳画」を紹介しています。
第6章 かがやく大雅 ほのめく蕪村――ふたりが描く理想の世界
池大雅と与謝蕪村の代表作を並べています。心ゆくまで楽しんでください。
第7章 尾張の文人画―丹羽嘉言
付けたりです。尾張の画家を紹介しています。
エピローグ 両雄並び立つ-歴史となった大雅と蕪村
・本展のみどころ
〇張月樵《大雅・蕪村肖像》(プロローグ)
名古屋の画家なので紹介します。三幅対の肖像画ですが、スクリーンに映しているのは、大雅と蕪村の肖像です。二人を描いた肖像画を元に、滑稽味を加えて描いたものです。
〇池大雅《前後赤壁図屏風》(第2章)
大雅27歳の時の作品で、彼の魅力が凝縮されています。山水画を「わび・さび」の世界ではなくデザイン的に描いたものです。同じような形の松を繰り返し描き、墨の濃淡で概念的な奥行きを出しています。樹木の葉も楕円形で、抽象的な表現です。楕円をいっぱい並べて、グラデーションをつけています。自然を写実的に描く、というより、形の面白さを表しています。中国で出版された、木版による文人画のお手本のスタイルを取り入れたと思われます。私(注:横尾さん)は琳派の影響があったのではないかと考えています。デザイン的な描き方なので、中国の文人画とは違うものです。
文人画には、詩・書・画の一致が求められました。大雅は書もうまく、《前後赤壁図屏風》に大きく書かれた「前赤壁」「後赤壁」という篆書は、墨のかすれも計算に入れて書いたもので、画一的にならないよう工夫しています。
〇与謝蕪村《倣銭貢山水画》(第3章)
蕪村51歳の時の作品で、中国の文人画を写し、お手本の絵と並び立つほどの出来になっています。文人画には決められたスタイルがあります。それは、細い線と点をうまく組み合わせて、山・岩・土の凹凸を表し、親しみやすい空間を描くというものです。
なお、作品名は「銭貢に倣った山水画」という意味で、明の蘇州の職業画家・銭貢の山水画に倣って描いたものです。自然の中で自由に暮らす様子を描いています。池大雅の絵は圧倒的にうまいですが、中国の文人画風のものは描きません。一方、与謝蕪村の若い頃の絵はぎこちないものです。中国の文人画を丁寧に模写して、それをしっかりと再現するように修練し、それを土台にしてその後の作品を描きました。
〇池大雅《漁楽図》(第6章)
大雅の代表作です。点描の雨嵐で、中国の文人画にもない表現です。明るく、伸び伸びと文人の理想を表現した大雅らしい作品です。
〇池大雅《蘭亭曲水・龍山勝会図屏風》(第6章)
大雅41歳の時の作品で、明るく、優しく、伸びやか、朗らかで、登場する文人たちも楽しそうです。
〇与謝蕪村《新緑杜鵑図》(第6章)
蕪村63歳以降のラフな表現の作品ですが、見る者の想像力を喚起します。余白をうまく使っており、モヤがかかった風景に合う、ぼんやりした表現です。中国風のかっちりとして緻密な表現を、意図的にラフなタッチに崩しています。詩的で情緒的な作品です。
〇与謝蕪村《奥の細道図巻》(第5章)
蕪村63歳の時の俳画です。一見すると、誰でも描けそうですが、なかなか描けない絵です。いくつかの線を省略していますが、足の向きなどはちゃんとわかります。
◆自由鑑賞
〇彭城百川《十二ケ月押絵貼屏風》(第1章)
会員のNさんたちに評判が良かったのが、八月の天橋立図でした。墨の濃淡が綺麗です。ただ、その場にいた誰も「押絵貼」の意味が分からず、スマホで「押絵」を検索したら羽子板の「押絵」の画像が出て来て途方に暮れました。家に帰って調べたら伊藤若冲《鶏図押絵貼屏風》の画像が出てきて「独立した図を貼る押絵貼屏風という形式をとり」という文章が出て「押絵貼屏風」の意味が分かりました。
〇彭城百川《梅図屏風》(第1章)
金屏風に墨で描いた、渋いけれど豪華な屏風です。墨で右隻の紅梅と左隻の白梅を描き分けているところに、会員のNさんたちは感心していました。
〇池大雅《前後赤壁図屏風》(第2章)
横尾さんが「見どころ」として解説された作品ですが、篆書も楷書も良かったですね。
〇与謝蕪村《晩秋飛鴉図屏風》(第3章)
濃い墨で描いた鴉と、薄い墨で描いた背景の対比にも、会員のNさんたちは感心していました。
〇横井金谷《蕪村筆奥細道図巻模本》(第5章)
横尾さんが「見どころ」として解説された蕪村《奥の細道図巻》のコピーが展示してあったので、「何故だろう」と思ったところ、解説に「原本である『奥の細道図巻』が、当時の名古屋にあったことの傍証となるのである」と書いてありました。そのために展示しているのですね。
「来てよかった」「来年の展示替えも見に来る」などの声も聞こえてきました。お勧めですよ。
Ron.