投稿:2020年11月29日
新型コロナウイルスの感染拡大を警戒して「巣ごもりの日々」を再開しましたので、最近読んだ雑誌の記事と書籍について書かせていただきます。
◆「名画レントゲン」(8)秋田麻早子 (週刊文春2020年12月3日号)
「両サイドの法則」が安定を生む グスタフ・クリムト「オイゲニア・プリマフェージの肖像」
豊田市美術館のコレクション展「VISION」(12月13日まで開催)に出品の、花柄のドレスを着ている女性の肖像画について、著者は「この絵の場合、モデルが縦長の画に直立しているだけなので、画面下部に描きこみを「足す」ことで、主役を両サイドに繋いで固定し、下部が見た目の上で「重く」安定するようになっているのです」と、その構図を分析・解説しています。
ネットで画像を検索すると、確かに手首から下の背景には、画面の両サイドまで花が書き足されています。タイトルの「両サイドの法則」とは「画面の両サイドに何らかの形でつなげることでも、バランスがとれる」ということなのですね。
「オイゲニア・プリマフェージの肖像」は豊田市美術館で馴染みの作品ですが、次に行ったときはこの記事を参考に、じっくり鑑賞したいと思います。
◆中公新書 2569「古関裕而―流行作曲家と激動の昭和」刑部芳則 著(2019.11.25 初版発行)
NHKの連続テレビ小説「エール」は「古関メロディ祭り」で幕を閉じましたが、古関裕二は手塚治虫とも接点があったことを、この本で知りました。該当箇所を下記に引用します。
(前掲書 p.133~134)
戦争末期には日本初の長編アニメーションといわれる、子供向けの映画音楽を監修している。昭和20年4月に公開された松竹映画「桃太郎 海の神兵」である。映画に使われる歌の作詞はサトウハチローが行なっている。富士山の麓の村から出征した猿、犬、熊たちが、海軍陸戦隊落下傘部隊の隊長桃太郎のもとで訓練を受け、最後は「鬼ヶ島」への空挺作戦が展開されるという話である。(略)戦意高揚を図る部分もあるが、平和への夢や希望を持たせる雰囲気が随所に見られる。マンガの神様といわれる手塚治虫は、焼け野原となった大阪の映画館で封切り日に見ている。視聴した感想を「戦争物とは言いながら、実に平和な形式をとっている」、「天狗猿と手長猿と眼鏡猿が、三匹でコーラスをやるのがとても気に入った」と、日記に書いている。そして「おれは漫画映画をつくるぞ」と誓った。美しい古関の音楽は、手塚のアニメーションづくりに一役買ったのである。(引用終り)
Youtubeで『桃太郎 海の神兵』の動画を検索すると、映画のデジタル修復版の冒頭部を見ることができました。「海軍省後援」「昭和19年12月完成」「音楽監督 古關裕而」「作詩 サトウ・ハチロー」等の文字が並び、富士山麓の村を水兵姿の雉、猿、犬、熊が歩く牧歌的な場面が続きます。
Youtubeには、映画の冒頭以外のシーンも分割してアップされています。手塚治虫が「コーラスをやるのがとても気に入った」と評した「アイウエオの歌」を歌うシーンを始め平和なシーンが多いのですが、落下傘部隊が降下して、戦闘を行なうシーンは記録映画のようにリアルでした。
映画の外にも、手塚治虫と映画の脚本・演出を担当した瀬尾光世、映画評論家の荻昌弘の三人による座談会の映像もアップされています。座談会で、瀬尾光世は「海軍省から、平和な場面が多すぎると注意された」「海軍省から兵器の機密情報まで映画に写っている等のクレームを受け、その修正をするために映画の公開が遅れた」「『アイウエオの歌』は映画オリジナルではなく、南方の占領地の人々に日本語を教えるために、古関裕而とサトウ・ハチローのコンビが作ったもの」等と語っていました。
手塚治虫の誕生日は昭和3年11月3日なので、映画公開の昭和20年4月当時は16歳だったと思うのですが、既に「映画通」で、大人顔負けの映画評を書いていたのですね。
Ron.
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