「印象派からその先へ」ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「印象派からその先へ―世界に誇る吉野石膏コレクション」(以下「本展」)の協力会ギャラリートークに参加しました。担当は森本陽香学芸員(以下「森本さん」)と深谷克典副館長(以下「深谷さん」)。参加者は67人。2階講堂で森本さんから吉野石膏コレクションについてのレクチャーを聴いた後、二つのグループに分かれて動きました。以下は、森本さん(1階)と深谷さん(2階)によるギャラリートークの要約筆記で、(注)は私の補足です。

◆吉野石膏コレクションについて(2階講堂:森本さん) 17:00~17:10

吉野石膏株式会社は「タイガーくん」でおなじみの住宅建材メーカーです。吉野石膏コレクションは吉野石膏美術振興財団(注:2008年設立。2011年から公益財団法人)が所有している日本画、洋画、西洋絵画合わせて420点のコレクションで、特に印象派の絵画が充実しています。コレクションの多くは、創業の地・山形県にある公益財団法人山形美術館(以下「山形美術館」)と天童市美術館に寄託しています。西洋美術品は約100点。そのほとんどは、山形美術館への寄託です。山形美術館には吉野石膏コレクション室があります。他の美術館に対する個々の作品の貸し出しはありましたが、まとまった形での国内巡回は今回が初めてです。

本展にはコローからミロまでの作品を出品しており、全3章の構成です。1章が印象派、2章がフォーヴィスム、キュビズム、抽象絵画、3章はエコール・ド・パリです。

1章と2章前半を1階に展示しており、森本がご案内します。2章後半と3章は2階に展示しており、深谷副館長がご案内します。それでは、二手に分かれ、それぞれ1階と2階の展示室に移動してください。

◆森本さんのギャラリートーク 17:10~17:45

◎1章:印象派、誕生 ~革新へと向かう絵画~

1章はバルビゾン派から始まります。印象派は戸外にキャンバスを持ち出したことで知られていますが、戸外にキャンバスを持ち出すことはバルビゾン派から始まりました。それまでの画家は、戸外でスケッチして、それをもとにアトリエで油絵を描いていました。

・ジャン=フランソワ・ミレー《バター作りの女》

ミレーは農民が働く姿を描いた画家です。「農民が働く姿」は、ミレー以前の時代には好まれなかった題材です。当時、地位が高い絵画は歴史上の出来事を題材にした「歴史画」でした。

牛乳を攪拌するとバターが出来ます。《バター作りの女》は、その作業を描いた作品です。画面右の背景に注目してください。戸口の向こうに納屋があり、納屋では女性が座って作業をしています。その納屋の小窓からは牧草地が見えます。このように奥へ奥へと題材がつながるのが、この作品の見せ所です。右下にミレーのサインがありますが、石に彫ったように描いています。バターを作っている女性の足元には猫もいます。

・ギュスターヴ・クールベ《ジョーの肖像、美しいアイルランド女性》

艶めかしい女性像です。評価が高かった作品でクールベは同じものを4点描いています。この作品は、そのうちの1点です。クールベは現実を描こうとした作家ですが、この作品がモデルの「ジョー」そっくりに描いたものどうかは定かでありません。というのは、ホイッスラー《白のシンフォニー》も同じモデルを描いた作品ですが、二つの作品を比べると、違う女性を描いたように見えるからです。

・アルフレッド・シスレー《モレのポプラ並木》

シスレーは、印象派の中ではもっともオーソドックスな作家です。本展には6点を出品していますが、どの時期の作品もあまり作風が変わらず、質の高さを保っています。6点のなかでも《モレのポプラ並木》は、最も印象派らしい作品です。ポプラの葉は「筆触分割」といって、絵の具の色を混ぜずに、キャンバス上に並べて配置しています。非常に質の高い、見ごたえのある作品で光が靡く(なびく)のが見えます。背景を描いてからポプラの葉を描くというのが普通の描き方ですが、シスレーは空と木の葉を同時に描いているので、水色と緑色がキャンバス上で混じっています。

なお、モネの風景画には「人」がいないことが多いのですが、シスレーはどの景色を描いても「人」がいます。次は、モネです。

・クロード・モネ《サン=ジェルマンの森の中で》

名古屋には初めて出品される作品です。モネは「風景を描いたい」というより「色面を描きたい」という作家です。それが次の世代の「抽象絵画」へとつながっていきます。

・クロード・モネ《睡蓮》《テムズ河のチャリング・クロス橋》

2点とも、昨年の「モネ それからの100年」以来、1年ぶりの再会です。《テムズ河のチャリング・クロス橋》は煙だけですが「何を描いているか分からなくても成立する」作品です。

・カミーユ・ピサロ《モンフーコーの冬の池、雪の効果》

浮世絵の影響を受けた作品です。浮世絵ほど大胆ではありませんが、対角線の構図を試しています。ピサロは印象派の中では一番年長で、柔軟な人です。

・カミーユ・ピサロ《ロンドンのキューガーデン、大温室前の散歩道》

ピサロは、スーラ、シニャックたちの新印象派による点描技法を吸収しようとした作家です。とはいえ、この作品は純粋な点描ではなく、印象派と新印象派(点描)の中間です。 ・ピエール=オーギュスト・ルノワール《シュザンヌ・アダン嬢の肖像》

パステル画です。本展ではパステル画が見もので、4点を出品しています。パステル画はふわっとした、パウダリーな仕上げが魅力ですが、キャンバスへの定着力が弱く、輸送するときにパステルの粉が落ちるので扱いに細心の注意が必要です。

ところで、このお嬢さん、何歳ぐらいに見えますか。実は、10歳の時の姿を描いたものです。大人びた長髪で、日本なら中学生くらいに見えますね。ブリジストン美術館はシュザンヌ・アダン嬢のスケッチを所蔵しているので、日本には2点のシュザンヌがあります。以前にパステル画とスケッチの2点が並んだ展覧会がありました。

・ピエール=オーギュスト・ルノワール《庭で犬を膝にのせて読書する少女》

ルノワールらしい作品です。ルノワールは時期により作風をどんどん変えていった作家で、《箒を持つ女》は古典に回帰した時期の作品です。

・ポール・セザンヌ《マルセイユ湾、レスタック近郊のサンタンリ村を望む》

初期の、迷いながら描いていた時期の作品です。

・フィンセント・ファン・ゴッホ《雪原で薪を運ぶ人々》

ミレーの影響を受けて描きました。初期のゴッホとしては珍しい「太陽を描いた作品」です。

・エドガー・ドガ《踊り子たち(ピンクと緑)》

ルノワールとはパステルの使い方が違います。また、筋肉とチュチュ(注:スカート状の舞台衣装)とでは、パステルの使い方が違います。パステルで描いたのは「油絵の油が乾く時間のを待っていられなかったから」と、言われています。

◎2章:フォーヴから抽象へ ~モダン・アートの諸相~ 前半

・モーリス・ド・ヴラマンク

《セーヌ河の岸辺》《大きな花瓶の花》は激しく、《花瓶の花》はキュビスム風、《村はずれの橋》はセザンヌのような筆触と、作風の変化を4点の作品でたどることができます。 ・アンリ・マティス《緑と白のストライプのブラウスを着た読書する若い女》 古典に回帰した時期の作品です。マティスは太いストライプと唐草の組み合わせなど、模様の組み合わせをこの作品で楽しんでいます。

・ピエール・ボナール《靴下をはく若い女》 この作品でボナールは、色面を楽しんでいます。 ◆深谷さんのギャラリートーク 17:45~18:15

◎2章:フォーヴから抽象へ ~モダン・アートの諸相~ 後半

・アンリ・ルソー《工場のある町》 本展は1階に41点、2階に31点、計72点の作品を展示しています。2階のモダン・アートの展示はルソーから始まります。ルソーは独学で絵を学んだ作家ですが、ピカソなどの作家に影響を与えています。この作品でルソーが描いた「人物」は、遠近法を無視して、極端に小さく描かれています。これは、子どもと同じで、重要なものを大きく描いたためです。ルソーは精神的な大きさを表現するため、実際よりも人を小さく、風景を大きく描いたのです。

・ジョルジュ・ブラック《洋梨のある静物(テーブル)》 キュビスムは1910年代が頂点で、この作品を描いた1918年は古典的な表現で描くことに戻ってきた時期です。この作品では「額」に注目してください。17世紀スペインの額を使っています。古いスペインの額を手に入れて、作品を収めたのです。ただ、大半の絵画では、それを買い取った人が額を選んで入れます。オリジナルの額が残っていることは、少ないのです。

・ジョアン・ミロ《シウラナ村》 初期の珍しい作品です。ミロは1920年にパリに出ますが、この作品はそれ以前のもの。フォーヴィスムやセザンヌをお手本にして描いています。

・パブロ・ピカソ  本展では、ピカソの作品を3点出品しています。《フォンテーヌブローの風景》は珍しいパステル画で、新古典主義の時期の作品です。パステル画は定着性が弱く、粉が落ちやすいので平らにして運びます。そのため、運搬時に占有する荷台面積が広くなるので、どうしても値段が張ってしまいます。《女の肖像(マリー=テレーズ・ワルテル)》はピカソの愛人を描いた作品です。キャンバスをいくつかの面に分割して色を塗り分け、その上からマリー=テレーズの肖像を描いています。

・ワシリー・カンディンスキー《結びつける緑》《適度なヴァリエーション》 本展の出品作中、様式が一番新しいのはカンディンスキーです。《結びつける緑》はワイマールかデッサウのバウハウスで描いたもの、《適度なヴァリエーション》はフランスに亡命後で亡くなる3年前に描いたものです。カンディンスキーの作品は、もとになる具象的なものがあって、それを抽象化して描いています。画集を見るとわかるのですが、彼の作品には船がよく出てきます。

・ジョルジュ・ルオー 2章最後の作品はルオーです。彼は「フォーヴの一員」と言われていますが、精神的なものが強く、表現主義に近い作品です。

◎3章:エコール・ド・パリ ~前衛と伝統のはざまで~

・モーリス・ユトリロ《モンマルトルのミュレ通り》 この作品は、名古屋市美術館所蔵の《ノルヴァン通り》で描いた場所の反対側から見たものです。実は、ミュレ通りからサクレクール寺院は見えません。見えないはずのサクレクール寺院を描いたのです。その理由は、画面構成のためです。

・モイーズ・キスリング《背中を向けた裸婦》 この作品は、アングル《ヴァルパソンの浴女》を連想させますが、直接にはマン・レイの写真《アングルのヴァイオリン》をもとにしています。この作品、影がおかしいのです。画面の左斜めから光が当たっているので、本来なら女性の左側に影が出ることはありません。左側の影は、女性の顔を際立たせるために描いています。

・キース・ヴァン・ドンゲン《座る子供》 これは、画商の子どもをモデルにして描いた作品です。その画商・デルスニスは1920年代にフランス絵画を日本に売り込んだ人物で、筑波大学の先生の研究によって2018年9月に、この事実が判明しました。ドンゲンと藤田嗣治は仲が良かったため、藤田が画商に「売ってこい」と言って、当時の日本に売り込んだのです。

・マルク・シャガール《逆さ世界のヴァイオリン弾き》 この作品は、2017年から2018年にかけて名古屋市美術館で開催した「シャガール展」に出品しています。また、《モンマルトルの恋人たち》と《サント=シャベル》は1989年に同館で開催した「シャガール展」に出品しています。《夢》の制作年は1939-44年です。1939年はシャガールがヨーロッパにいた時期です。その後、米国に亡命。1944年にウイルス性の病気で妻のベラが急死しました。妻の死から立ち直り、ヨーロッパから持ってきた作品を描き変えたのが1944年です。右下には、シャガールの故郷ヴィテブスクの風景が描かれています。 私の解説は以上です。しばらくの間、自由にご観覧ください。

◆自由観覧  18:15~18:30  参加者は、1階・2階の作品を自由に見て回り、皆さん満足して三々五々と名古屋市美術館を後にしました。 深谷さんに聞いたところでは、山形美術館の吉野石膏コレクション室に展示されている作品は20点から30点で、72点もの作品をまとめて鑑賞できるのは、今回が初の機会とのことでした。 最後になりましたが、森本さん、深谷さん、ギャラリートークありがとうございました。                             Ron.

展覧会見てある記 「印象派からその先へ」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋市美術館(以下「市美」)で「印象派からその先へ ― 世界に誇る吉野石膏コレクション」(以下「本展」)が開幕しました。展覧会のチラシには、こんなことが書いてあります。

(略)石膏建材メーカーとして知られる吉野石膏株式会社は、1970年代から本格的に絵画の収集を開始し、2008年には吉野石膏美術振興財団を設立。(略)そうして形成された西洋近代美術のコレクションは、質量ともに日本における歴代のコレクションに勝るとも劣らぬ内容を誇っています。現在、その多くは創業の地、山形県の山形美術館に寄託され、市民に親しまれています。本展ではバルビゾン派から印象派を経て、その先のフォーヴィスムやキュビズム、さらにエコール・ド・パリまで、大きく揺れ動く近代美術の歴史を72点の作品によってご紹介します。とりわけピサロ、モネ、シャガールの三人は、各作家の様式の変遷を把握できるほどに充実しており、見応え十分です。(略)中部地方では初めて。知られざる珠玉の名品を、どうぞこの機会にご堪能ください。

 「でも、大したことないんじゃないの」と、少し馬鹿にして市美に出かけたのですが、結果は良い方に大ハズレ。「へへー、おみそれいたしました」と、なりました。本展を舐めていたことを大いに反省しています。「見応え十分」というだけでなく、コレクターの感性によるのでしょうか、「見ていて気持ちが良い」のです。 「印象派」だけでなく、「その先」の展示も充実しています。また、わかりやすくて簡潔な「子供向け解説」は大人でも十分、読み応えがあります。本展は、見逃せません。

◆1章:印象派、誕生 ~革新へと向かう絵画~ ◎エントランスホールでモネ《睡蓮》と《サン=ジェルマンの森の中で》が出迎え  市美1階の橋を渡って企画展示室のエントランスホールに入ると、正面の壁に拡大されたモネ《睡蓮》と《サン=ジェルマンの森の中で》が並んでいます。「ピサロ、モネ、シャガールの三人」のうち、先ず、モネが出迎えてくれました。展示は、バルビゾン派からクールベ、マネ、ブーダンと続き、印象派はシスレーから始まります。作品は年代順に並んでいますが、《モレのポプラ並木》の前で思わず足が止まってしまいました。  続くのはモネ。なかでも《サン=ジェルマンの森の中で》は不思議な作品です。見ていると、絵の中に引き込まれそうになります。映画「となりのトトロ」に出てきた“秘密の抜け穴”を思い出しました。《睡蓮》と《テムズ河のチャリング・クロス橋》は、「モネ それからの100年」以来1年ぶりの再会。去年の展覧会を思い出します。

◎特等席はルノワール、ドガ、ゴッホ  1章では、ルノワール《シュザンヌ・アダン嬢の肖像》とドガ《踊り子たち(ピンクと緑)》が水色の壁、ゴッホ《静物、白い花瓶のバラ》が茶色の板の特等席に展示されていました。ルノワールとドガが特等席なのは納得できますが、ゴッホの静物画が特等席なのは何故でしょうか?重要な作品だとは思うのですが……。

◎パステル画を堪能 コレクターの好みなのか、本展ではパステル画が目立ちました。水色の特等席の2作品だけでなく、メアリー・カサット《マリー=ルイーズ・デュラン=リュエルの肖像》、ピカソ《フォンテーヌブローの風景》がパステル画です。鮮やかな中間色のふわっとした感じがいいですね。癒されます。

◆2章:フォーブから抽象へ ~モダン・アートの諸相~  2章で強烈な印象を受けたのはヴラマンク。《セーヌ河の岸辺》は「どこがセーヌ河?」という感じの赤と緑のコントラストが目に飛び込んでくる作品。しばらく眺めていて「左上の白っぽいところがセーヌ河?」とわかりました。でも、このめちゃくちゃな色使いは癖になりますね。静物画が2点並んで、最後の《村はずれの橋》は正に「万緑叢中紅一点」。ワンポイントの赤が効いています。 マティス《緑と白のストライプのブラウスを着た読書する若い女》はストライプが印象的な作品。「子ども向け解説」を読みながら鑑賞することをお勧めします。

◎2章は、アンリ・ルソーから2階に展示 2階は抽象画が中心。カンディンスキーの作品は「音楽」を感じさせます。また、ルソー《工場のある風景》も、ここで見ると抽象画のような感じがします。

◆3章:エコール・ド・パリ ~前衛と伝統のはざまで~ ◎ユトリロとマリー・ローランサン 3章はユトリロとローランサンから始まります。ヴラマンクと違って、ドキドキせず、安心してみることのできる作品が並びます。この中では、群像を描いたローランサン《五人の奏者》がいいですね。

◎これは「小さなシャガール展」です  本展の最後を飾るのは、吹き抜けの上の広い空間に展示されたシャガールの作品です。数えると、シャガールだけで10点。そのうち3点に「子ども向け解説」が付いていました。シャガールは学芸員さんの「お気に入りの作家」なのでしょうか?それとも、「子どもを引き付ける作家」なのでしょうか?いずれにせよ、吹き抜けの手すり近くから、L字型の壁に並ぶシャガールを眺めるのは壮観です。

◆最後に  名古屋市美術館協力会では4月14日(日)午後5時から、会員向けに「印象派からその先へ ― 世界に誇る吉野石膏コレクション」のギャラリートークを開催します。詳しくは、名古屋市美術館協力会のホームページをご覧くださいね。                             Ron.

「人騒がせな名画たち」

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

 かなり評判になっている本なのでもう読まれたひとも多いだろう。筆者は西洋美術史家「木村泰司(きむら たいじ)」氏。「目からウロコ」と表題の前に小さくある。画家は変人が多いから、それほど目からウロコはなかったが、それでも聞いたこともない話はいろいろあり、興味深く読んだ。なかでも、昨年市美であった「ビュールレ・コレクション」展に出ていたルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」のイレーヌ(1872-1963)の話には感動した。深谷副館長の講演では、「イレーヌの両親はこの肖像画が気に入らなかった。イレーヌはユダヤ系銀行家で貴族のダンベール家に生まれ、同じような出自のユダヤ人と結婚した。しかし、離婚してユダヤ教からカトリックに改宗してイタリア人と再婚した。1963年にイレーヌが死んだとき、その死は新聞で大きく報道された」ということだった。時間もなかったのかも知れないが、それ以上詳しいイレーヌの人生についての言及はなかったと思う。しかし、いくら有名な絵でも、なんで絵のモデルが死んだくらいでそんなに話題になったのか、何かモヤモヤしたものが残っていた。それがこの本を読んで腑に落ち、すっきりとした。イレーヌはフランスでは有名な、悲劇のヒロインだったのだ。美しい金持ちの女性の幸せな人生は面白くもないし、決して共感は呼ばない。章題は「小説より奇なモデルの少女の壮絶人生!」。

イレーヌの結婚相手は、ダンヴェール家と同じようなユダヤ系の名家、貴族で銀行家で大金持ち、12歳年上カモンド家のモイーズ・ド・カモンドだった。その当時1890年頃としては、あたり前で良い縁組みだっただろう。イレーヌは一男一女を産み名家に嫁いだ義務を果たした。しかし、一家の厩舎長であった、イタリア人のサンピエリ伯爵と恋に落ちてしまう。夫婦は別居しイレーヌは恋人と生活を始めた。世間体が悪いことから離婚できず、離婚成立までに6年の歳月を要した。イレーヌが晴れて再婚したのは1903年、ふたりの子供はモイーズが育てた。第一次世界大戦が始まると、長男ニッシムはパイロットとして従軍、戦死してしまう。第二次世界大戦では、長女ベアトリスがユダヤ人の夫とふたりの子供と共に、アウシュビッツで虐殺され、イレーヌの肖像絵はナチスに奪われてしまう。イレーヌはカトリックに改宗していて助かった。ベアトリスが相続していたカモンド家の遺産は、全てイレーヌのものとなった。イレーヌは莫大な財産を使いながら、91歳で亡くなるまでの余生を南フランスで過ごした。終戦後手元に戻ったルノワール作の肖像画、イレーヌは過去を思い出したくなかったのか、すぐに手放していた。

このような波瀾万丈の人生を送り、死んだ頃はルノワールのこの肖像画も有名になっていて、彼女の死は大々的に報じる価値があった。「ニッシム・ド・カモンド美術館」がパリ8区モンソー通りにある。1910年頃モイーズ・ド・カモンドが建てて住んでいた邸宅。戦死した息子の名をつけた美術館として、モイーズが蒐集した美術品を展示している。エトワール凱旋門の東北東1 km強のモンソー通り沿い、モンソー公園隣。

佐久閒洋一

ボストンの美術館巡り—ボストン美術館で名古屋市美術館所蔵作品に遭遇—

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

 3月23日から一週間ほどのあいだボストンに出かけました。ボストンではこの期間 オペラもクラシックコンサートもなかったのでただひたすら美術館そして名所、旧跡を 訪れる旅となりました。

ボストン美術館

 まずは収蔵点数50万点を誇る美の殿堂ボストン美術館です。ミュージアムショップでmfaというロゴマークを見て最初何なのか分かりませんでしたが、正式名称がMuseum of Fine Arts, Bostonということで納得。愛称がMFAです。最初驚いたのが入場料の高さ。25ドルです。でも冷静に考えれれば企画展が二つ含まれているので妥当な値段です。驚くことにその企画展の両方ともに自分と関係があり、こんなこともあるんだと驚いています。企画展の一つが「フリーダカーロ展」。

 名古屋市美術館にはメキシコ絵画が常設展示してあります。その中でも私のお気に入りがフリーダカーロの「少女と死の仮面」です。それがボストン美術館になんと展示されているではないですか。すぐさまキャプションを見る。Nagoya City Museumと書かれている。まさしくいつも見ているあの作品が飾ってある。名古屋市美術館が評価されたみたいで単純に嬉しい。その絵の前で立ちどまる人達をすこし観察してみた。50代の夫婦、母親と3歳ぐらいの幼児、40代ぐらいの男性二人、若いカップルなど、みな足を止めて話をしている。作品の小ささにも関わらず興味を引くようで皆その絵で立ちどまる人たちが多かったように思う。  

ボストン美術館 名古屋市美術館の作品を鑑賞する人々

 もう一つの企画展〈Gender Bending FASHION〉の中でファッションデザイナーの山本耀司さんの作品が展示されていたことです。以前からアメリカで評判がいいことは知っていましたがこんなに評価が高いことに驚きました。皆さんもご存じだと思いますが耀司さんのブランドはワイズという名前です。私的なことで申し訳ありませんが、私は大学卒業後にアパレルメーカーのイッセイミヤケインターナショナルという名の三宅一生さんの服を販売する会社で働いていました。当時の会社の上司が野球好きでワイズとイッセイで野球をしようということになりました。現在あるかどうか分かりませんが、麻布球場という場所で仕事が終わってから照明をつけて野球をしました。私は入社2年目ぐらいだと思いますが、試合に打者で出させてもらいました。そのときに対戦した投手が耀司さんでした。サイドスローの球を投げられたんですが、結果がどうだったか今は全く覚えていません。試合もどっちが勝ったかさえ覚えていません。三宅デザイン事務所のデザイナーたちがチアリーダーさながらの応援を見て爆笑していたのを鮮明に覚えています。当時はアルマーニ等のイタリアファッションの勢いがある時代で耀司さんはまだ世界的にはそれほど知られている存在ではありませんでした。今から40年ほど前の話です。現在は高校で教師をしていますがイッセイやワイズの服はもう着ないと思いますが思い出もあり、いまだに捨てることができずに大切に取ってあります。  

 常設展ではゴーギャンの雑誌などでよく目にする「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」、ルノアールの「ブージバルのダンス」 モネの「日本娘」 セザンヌの「赤いひじ掛けイスのセザンヌ婦人」 を堪能。また哀愁ある印象的な絵のホッパーの「ブルックリンの部屋」など知られた画家の絵を鑑賞する。とにかくアメリカ美術、ヨーロッパ美術、日本や中国の美術、古代エジプトやギリシア、ローマ、エトルリアなどの美術とても一日でみられる規模ではなかった。 

イザベラ・スチュアート・ガードナー美術館

 つぎにイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館。レンゾ・ピアノが設計した新館から入場する。この美術館、大富豪イザベラが莫大な富に任せて館を建てそこに彼女の趣味で集めた絵画、調度品を生活に根差して展示してある美術館。絵にひとつひとつキャプションがついていない。説明書が各部屋においてあり鑑賞者はそれで誰の作品かを理解することになっている。どこかでみたような作品だなと思うとそれがレンブラントだったりする。 絵の作者を当てる楽しみも出てくる。マザッチオ、ボッティチェッリ、クラナッハ、 デューラー、サージェントが部屋の中にさりげなく飾ってある。ここの中庭は殊に有名でヨーロッパから資材を運んで作ったようだ。メトロポリタン美術館別館のクロイスターズに似ている。ここの有名なテッツィアーノ「エウロペの略奪」は貸し出し中であった。

Harvard Art Museum

 三番目はHarvard Art Museum ここはフォッグ美術館、Busch-Reisinger 美術館、Arthur M.Sackler美術館 を一つにまとめたもの。さすがにハーバード大学すべてに充実している。これが大学への寄贈でなりたっているのがすごい。ゴッホ、ピカソ、モネ、セザンヌ、フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、フランク・ステラ、マーク・ロスコ、白隠など。またこれが撮影OKで写真撮りまくりの世界にはまる。雪の田舎道を描いたモネの絵、魚を描いたモネの絵、花瓶に花があふれんばかりのルノアールの絵、農村の中の中央に白い家を描いたセザンヌの絵、特徴ある女性の絵を描いたロセッティなどあまり見る機会のない絵を鑑賞することができ大満足。

MIT博物館

 最後はMIT博物館。ここはここでまた面白い。ヨットのアメリカズカップで優勝するためにヨットをいかに設計すれば最小の動力でスピードをアップできるかというようなコーナー。そしてベアリング、ねじ、コイル、モーターなどを使った作品など意外と面白かった。またDrawing Designing Thinkingという企画展ではMITの150年に及ぶ歴史を主に建築中心にパネル展示してあり興味深った。

 アメリカ発祥の地であるボストンは結構見どころも多く名所、旧跡が比較的地区に集まっているので観光しやすい街です。アメリカ最古の公園ボストンコモン、独立宣言が読み上げられた旧州庁舎、植民地時代に独立のための集会場であったファニエル・ホール、独立戦争の英雄たちが眠るグラナリー墓地、高級住宅街のビーコン地区、ハーバード大学等を訪れた。今回はオペラがないのでひたすらボストン市内を歩き回りました。

谷口 信一

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