印象派が描く女性たち ~ビュールレ・コレクションの傑作から~

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋地方気象台が「東海地方が梅雨明けしたとみられる」と発表した7月9日、名古屋市美術館・深谷副館長(以下「深谷さん」)の講演を聴くため中区大井町のイーブルなごや(e–able–Nagoya:正式名称は、名古屋市男女平等参画推進センター、名古屋市女性会館)まで足を運びました。会場の3階ホールは、ぱっと見満席。ポツリポツリと空席があるので「300人以上の入り」と見ました。入場無料とはいえ平日の午後としては盛況。以下は講演の概要です。

◆講演中の注意事項について
深谷さんが登場すると、開口一番「午後の一番眠い時間帯なので講演中に眠ってもかまいませんが、イビキはご遠慮ください」との注意事項。モネ展の解説会でアンケートを取ったところ「隣の人のイビキがうるさくて講演が理解できなかった」という苦情があったとか。会場全体が「クスッ」としたところで、本題に入りました。

◆「LIFE」誌に掲載されたE.G.ビュールレ氏の写真
講演の主題は7月28日から名古屋市美術館で開催される「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(以下「本展」)で展示される女性像を中心にした作品の解説です。
スクリーンに映された最初の画像は1954年にアメリカの雑誌「LIFE」が掲載したエミール・ゲオルク・ビュールレ氏の写真。コレクションが公開される前、自宅で5点のコレクションとともに写されたもので、本展では写真の5点全てが展示されるとのことでした。
スクリーンに向かって左下の作品はポール・セザンヌ《赤いチョッキの少年》、右下がアンドレ・ドラン《室内の情景(テーブル)》、右上はパブロ・ピカソ《花とレモンのある静物》、左上がフィンセント・ファン・ゴッホ《花咲くマロニエの枝》、奥の部屋はエドガー・ドガ《ピアノの前のカミュ夫人》で、「自分と一緒の写真を撮らせたのですからお気に入りの作品だったと思われます」との解説がありました。(注:「LIFE」「ビュールレ」等のキーワードを入れたら、Webで写真を見ることができました)

◆E.G.ビュールレ氏と彼のコレクションについて
ビュールレ氏と彼のコレクションについては、次のような解説がありました。
1890年 ドイツ生まれ。1909年 大学で文学、美術史を学ぶ。1924年からスイスの工作機械会社で20ミリ機関砲を製造。1936年 最初の作品4点の素描を購入。1956年 死去。1958年 E.G.ビュールレ財団が設立され、自宅のすぐ横の邸宅に美術館を開館。
ビュールレ氏が生涯で収集したコレクションは600点。バーンズ・コレクション(1994年(平成6年)に国立西洋美術館で開催した「バーンズ・コレクション展」の入場者は100万人を超え、最終日は入場に7~8時間待ち)の3,000点に比べると控えめの数字だが、全て一級品。どれも代表作ばかりで「質で勝負」のコレクション。ビュールレ・コレクションは印象派から始まるが、大学で美術史を学んだことから印象派以前の作品もコレクションに含まれる。
第二次世界大戦後の1948年には戦時中に収集した13点がナチスの略奪品と判明した。うち9点は元の所有者と話をして再度代金を支払い、自分の物にしたが、残り4点は元の持ち主に返却している。
ビュールレ美術館開館後の2008年には銃を持った強盗団に作品4点が盗まれるという事件が発生。盗まれたのは「LIFE」の写真に写っていた《赤いチョッキの少年》と《花咲くマロニエの枝》に加えて、エドガー・ドガ《リュドヴィック・ルピック伯爵とその娘たち》とクロード・モネ《ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑》。うち、モネとドガはその月のうちに回収されたが、残り2点は4年後の2012年にセルビアで回収された。本展では盗難に遭った4点すべてを展示。
なお、ビュールレ美術館は2015年に閉館。ビュールレ・コレクションは2020年に開館予定のチューリッヒ美術館新館(現在、建設中)の1フロアに展示される予定。

◆ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル《アングル夫人の肖像》(1814頃)
これはフランス古典主義を代表する作品。19世紀フランス絵画の二大潮流は古典主義とロマン主義。古典主義のトップはアングルで、ロマン主義のトップがドラクロア。
アングルは画家の登竜門・ローマ賞を受賞しローマに派遣されることとなったが、ナポレオン戦争のためにローマへの派遣は4年延期された。アングルはローマに派遣された後24年間、現地にとどまって制作。この作品はアングル初期のもので、34歳の時にローマで制作している。アングルは1914年に結婚。新婚ほやほやの妻を描いたのがこの作品。
アングルがフランス統治下のイタリアでフランス役人を描いた《イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像》(1811)(本展で展示)を見ても分かるように、アングルは質感表現がうまく、ウール、シルク、コットンの違いを描き分けている。また、緻密な描写で筆跡を感じさせない滑らかな画面に仕上げている。
《アングル夫人の肖像》は《イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像》に比べ、顔の描写は精緻だが体の描写は大雑把。発表する気がないプライベートな作品だったのか、それとも未完成の作品だったのか、この作品の描写が大雑把な理由は不明。

◆アングルの作品は「どこか変」
本展の展示作品ではないがアングルの《グランド・オダリスク》は美しく均整の取れた女性のヌードだが、よく見ると胴体が長い。元になった素描では正しく人体デッサンをしているが、油絵では人体の比率を無視している。人体の比率を無視したのは「カーテンと胴体とで形成されたU字形の曲線を描きたかったからではないか」と私は思う。アングルは写実性よりも絵画的な美しさを優先するため、「よく見るとおかしい」作品をいくつも描いている。
これは後世のセザンヌと同じ考え方。《赤いチョッキの少年》も、よく見ると「右腕が長すぎる」と分かる。

◆アングルの肖像画について
アングルにとって肖像画は本意ではなかった。彼にとって大切なものは歴史画。歴史画は大画面に歴史的な場面を描いたものだが、注文が無いと描けないし、巨大すぎて注文は少ない。そのため、アングルは生活のために肖像画を数多く描いた。今になってみると、ロンドン・ナショナルギャラリー所蔵の《座るモワテシエ夫人》など肖像画に傑作が多い。ただ、《座るモワテシエ夫人》は胸から下の衣服の描写が平べったくて「よく見るとおかしい」。
アングルが奥さんを描いた肖像画にはデッサン(素描)も残っている。これが素晴らしい。ローマ時代、アングルはフランス人からの肖像画の注文が多かった。油絵は数カ月から数年をかけて制作しているが、素描は一日から半日という短時間で完成。しかし、これがうまい。デッサン力が素晴らしい。描き直しがない。線だけの描写だが作品に存在感がある。

◆エドガー・ドガ《ピアノの前のカミュ夫人》(1869)
ドガは印象派の画家だが精神的には古典派、アングルを神のように崇拝していた。ドガは人生の途中から視力を落としている。この作品に描かれた「カミュ夫人」は、ドガが治療を受けていた眼科医の夫人でピアノの先生。さっきまで演奏していたところに来客が来たため立ち上がったという瞬間を描いた、スナップ・ショット的作品。ドガはこの作品を1896年のサロン展に出品したが落選。落選理由は、右手がちゃんと描かれていないなど「細かい点まできちんと描いていない」ためだったと思われる。ドガは1870年のサロン展に《カミュ夫人》(ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵)を出品して、ようやく入選を果たした。

◆エドガー・ドガ《14歳の小さな踊り子》ブロンズ彫刻
1880-81年 ワックスによる原作、1932-36年 ブロンズによる鋳造
この彫刻、ワックスによるオリジナルはワシントン・ナショナルギャラリー所蔵。ブロンズの鋳造作品は数点制作されている。
ドガは後半生に彫刻を制作しているが、第6回の印象派展に《14歳の小さな踊り子》のオリジナルを一点のみ出品した。彼は絵を描くための材料として彫刻を制作したため、それを作品とは考えていなかった。何枚ものスケッチを元に制作した彫刻は様々な方向から自由に観察することができるので、絵を描くときに役立った。ドガは馬の彫刻も多数制作。彫刻だけでなく、写真も何点か撮影している。
印象派展にオリジナルの彫刻を出品した時、ワックスで制作した本体は本物のモスリンで作ったスカートや金色のベスト、本物のトゥシューズを身に着けていた。この試みに対する当時の評価は「彫刻の基本から外れる」として反対する意見とドガの意図に賛成する意見とに二分された。

◆ピエール=オーギュスト・ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》(1880)
 これは、とても有名な作品で「目にしたことがある」という人が多いと思う。
 イレーヌは、お金持ちの銀行家カーン・ダンヴェール氏の三人姉妹の長女で当時8歳。次女のエリザベスは6歳、三女のアリスは4歳だった。
 1870年に印象派の中心にいたルノワールだったが、この作品を制作した1880年には印象派から方向転換していた。その理由は「印象派の絵を描いても評価されない、売れない」というもので、1878~79年から方向転換を始めた。
 どのように方向転換したかと言えば、古典的なものに方向転換した。今日配ったチラシに「絵画史上、最強の美少女(センター)。」というキャッチ・コピーが書いてあります。このコピーは私が考えたものではありませんが、コピーが示すように「多くの人に受け入れてもらえる」方向に転換したということです。
 この作品のどこが古典的かというと、顔の部分の筆のタッチです。アングルの絵は筆跡を感じさせない描き方をしますが、印象派は筆跡を残します。これは、画家の個性を強く残すということです。イレーヌの顔を見ると滑らかで筆のタッチはありません。また、この絵はダンヴェール家の庭で描いており、バックは深い緑色です。数年前の作品ならば、光源が分かるような描き方をしていますが、この絵では光が良く回り、均一な光が当たっています。
また、顔から胸までは丹念に描かれていますが、手の辺りになると筆のタッチが分かります。伝統的な要素と新しい要素をうまく融合させた作品です。横顔を描いた肖像画は堅苦しくなりがちですが、この作品では柔らかな印象を受けます。かといって自由な感じもしない、うまくバランスが取れています。
 ダンヴェール家の三姉妹の肖像画、最初の予定では一人ずつ描くことになっていました。しかし、長女を1880年に描いただけで、次女・三女の肖像画は1881年になってから描かれました。しかも、一人ずつではなく二人一緒です。スクリーンに映したのは、その《ダンヴェール家のアリスとエリザベス》(サンパウロ美術館所蔵)で、向かって左が三女のアリス、右が次女のエリザベスです。

◆歴史に翻弄された作品《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》
 スクリーンに映しているのは、1963年にイレーヌが91歳で死亡した時フランスの死亡記事に掲載された8歳の時の写真と、三女のアリスが1898年にイギリス貴族と結婚した時写真です。4歳のアリスと大人のアリスを比べることは難しいですが、《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》は写真のイレーヌよりぽっちゃりしており可愛く描かれています。
 カーン・ダンヴェール家はユダヤ人の金持ちであったため、イレーヌの両親はナチスによるホロコーストの犠牲になり、次女のエリザベスも収容所で死亡しています。
 イレーヌは19歳の時にユダヤ人の銀行家と結婚し、男・女二人の子どもに恵まれますが6年で別居。その後、離婚しています。離婚後のイレーヌはイタリア人と再婚し、カトリックに改宗。女の子が一人生まれます。カトリックへの改宗はユダヤ人社会から非難を浴びたようです。
 《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》はイレーヌの最初の娘が相続しますがナチスの略奪に遭い、イレーヌの娘は収容所で死亡。第二次世界大戦後、イレーヌが作品の所有権を主張して取り戻しますが、直ぐビュールレに売却しました。
 カーン・ダンヴェールは《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》と《ダンヴェール家のアリスとエリザベス》の2点とも気に入らなかったらしく、《ダンヴェール家のアリスとエリザベス》は女中部屋に飾ってあったとのこと。《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》はイレーヌ本人も好きではなかったようで、良い場所には飾ってなかったと思われます。作品を取り戻しても直ぐにビュールレへ売り払ったのは、そのためかもしれません。

◆肖像画の比較・アカデミズムと印象派との違い
 本展の展示作品ではありませんが、パリ社交界の花形を描いたルノワール《シャルパンティエ夫人と子供たち》(1878)を見ると、ルノワールは絵の注文主が望む方向へ少し美人に描くのが得意だったようです。
 ルノアールの画風ですが、1876年制作の《陽光を浴びる裸婦》では「木洩れ日」を表現。一方、古典時代のピーク1887年に制作した《大水浴》では輪郭線をはっきりと描き、人物が背景と分離していて固い表現になっています。
これも本展の展示作品ではありませんが、当時一番人気の画家カロリュス=デュランが描いた《ルイーズ・カーン・ダンヴェールの肖像》(1870)は、すごくうまいがよそよそしい作品で、アカデミズムと印象派の違いが良く分かります。

◆フランス映画「勝手にしやがれ」にも《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》が登場
 ヌーベル・バーグの代表作・ジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」にも《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》が登場します。ジーン・セバーグが演じるアメリカ娘・パトリシアがジャン=ポール・ベルモンド演じるミシェルに向かって「どちらがきれい」と聞くシーンに登場。《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》は本物ではなく部屋の壁に貼られたポスター。映画では「美の基準」として使われています。

◆ポール・セザンヌ《扇子を持つセザンヌ夫人の肖像》(1878-88)
 制作年が(1878-88)とされているのは1878年に描いて、10年後の1888年にかなりの部分に手を加えて制作したため。この作品は最初、アメリカ人著作家のガートルード・スタインが購入しました。彼女は、アメリカ人が山のようにパリへと渡った1920年代にパリでサロンを主宰した人物です。彼女はピカソとも交流があり、ピカソは1806年に《ガートルード・スタインの肖像》(メトロポリタン美術館所蔵)を描いています。

◆ポール・セザンヌ《赤いチョッキの少年》(1888-90)
 この作品はセザンヌの代表作だが、よく見ると右手と腰が長くておかしい。右手と腰が長いのは「よい構図」を作るための仕掛け。この作品のモデルはイタリア人の少年。この少年をモデルにした作品は外に3点あるが、4点を比べるとビュールレ・コレクションの《赤いチョッキの少年》の出来栄えが一番。
 講演会の終了時刻が迫って来たので、残りは本展の解説会でお話しします。

◆Q&A
Q1 カミーユ・コロー《読書する少女》(1845-50)はスライドが映されただけで解説は聞けなかったので、解説をお願いします。
A1 コローは風景画家だが、60代になってから人物画を描き始めた。コローの風景画には必ず点景として人物が出て来る。人物画は自分の楽しみのために描いたが、風景画の勉強のためでもあった。とはいえ《読書する少女》はいい作品。コローの風景画は手馴れすぎていて新鮮さに欠ける。人物画は手馴れていないので新鮮さがある。
この作品のモデルは風景画の点景を描くために雇った女性。スナップ・ショット的に見えるが、ちゃんとポーズをとらせてアトリエの中で描かれた作品。「面白そうだから、ポーズをとってみて」と声をかけて描いたのではないかと、私は勝手に想像している。

Q2 美術館で開催される展覧会では、作品にどこまで近づいてもいいのですか。
A2 本展では絵の前に柵があります。柵を乗り越えて近づかないでください。上半身を乗り出すことは可能ですが、手を出すと監視の女性から注意されるので気をつけて下さい。

◆最後に
 ビュールレ・コレクションとアングル、《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》の解説に力がこもったため他の作品の解説時間が短くなりましたが、当初危ぶまれた「講演中にイビキをかく人」はおらず、1時間半を楽しく過ごすことができました。7月28日からの「至上の印象派展」が楽しみです。
 深谷さんは8月5日(日)午後5時から開催予定の協力会会員向けの「ギャラリートーク」でも解説して下さいますので、こちらについても期待しています。

◆追伸:「至上の印象派展」関係の主なURL
 Web上で検索できる「至上の印象派展」関係の主なURLは下記のとおりです。
◎名古屋市美術館 ビュールレ展

http://www.art-museum.city.nagoya.jp/buhrle

◎ビュールレ展の公式サイト

http://www.buehrle2018.jp/

◎九州国立博物館 ビュールレ展

https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s51.html

 
上記のうち、九州国立博物館のサイトには「出品目録」に加えて「作家名・生没年一覧」や「エミール・ゲオルク・ビュールレの生涯とビュールレ・コレクション」のpdfファイルも掲載されているので参考になります。
Ron.

展覧会みてある記 「博物館イキ!」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 名古屋博物館で開催中(6/10まで)の「博物館イキ!」(以下、「本展」)を見てきました。チラシには「博物館行き。一般的には古びて使われなくなった物に対する言葉のようです。ですが、実は博物館に来た物たちは、とてもイキイキとしています。」という文章。「イキ!」は、「博物館行き」と「イキイキ」を掛けた言葉のようですね。国指定重要文化財3点、名古屋市指定文化財2点、重要美術品2点を始めとする名古屋市博物館収蔵品が展示されていました。
◆森川コレクション
 会場に入ると、茶人の森川如春庵(本名、勘一郎)から寄贈された「森川コレクション」のうち、国指定重要文化財・本阿弥光悦作《黒楽茶碗 銘「時雨」》(チラシに図版)の展示があり、外にも元時代の伝任月山筆《稲之図》、狩野常信筆《稲之図模本》(江戸時代の模写)や茶道具、短冊などが展示されていました。
◆国指定重要文化財・市指定文化財・重要美術品は
 《黒楽茶碗 銘「時雨」》以外の国指定重要文化財は、鎌倉時代後期の古瀬戸《魚波文瓶子》と鎌倉時代の《太刀 銘「行平作」》。市指定文化財は、大須二子山古墳下層出土の《杯身(つきみ)》と「よみがえれ文化財」の寄附金で平成25年に修復された《伊勢参宮図屏風》。重要美術品は、瑞穂区師長町出土の《鳥形紐付脚付短頸壺》と千載和歌集の断簡である藤原俊成《日野切》でした。いずれも「お宝」です。
◆ほかに目を惹いたものは
《黒楽茶碗 銘「時雨」》と並んで円空作《十一面観音菩薩像》が展示されています。全22テーマ中、目を惹いたものは富田重助家資料(東朋テクノロジー株式会社の前身・紅葉屋の当主・富田重助家の江戸時代から明治時代までの帳簿など)の外、横井庄一生活資料(太平洋戦争終結後28年目にグアム島で発見された残留日本兵・横井庄一さんのジャングル生活を支えた衣服や背負袋、食糧貯蔵籠など)、「名古屋東照宮祭礼図巻」を読む(森玉僊画《東照宮祭礼図巻》など)、伊勢湾台風資料(当時の写真など)。「よみがえれ文化財」のテーマでは、寄附金で修復された銀箔の屏風・中林竹洞《草花図屏風》のお披露目がありました。
◆最後に
 展示室を1室だけ使った小規模な展覧会ですが、まとまった形で名古屋市博物館の収蔵品を見ることができます。
名古屋市博物館の帰り、山田餅本店に寄り道して、こしあんの柏餅(白い餅)と、つぶあんの柏餅(ピンク色の餅)を買って帰りました。絶品でしたね。
Ron.

展覧会みてある記「画家一族150年の系譜 ブリューゲル展」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

豊田市美術館で開催中(7/16まで)の「画家一族150年の系譜 ブリューゲル展」(以下「本展」)を鑑賞。平日の午前中にもかかわらず、駐車場は7割ほど埋まっていました。土・日だと満車になることがあるかもしれません。会場内では男女の二人連れと女性のグループが目立ちます。「大人が見る展覧会」という雰囲気です。
◆本展に登場する「画家一族」とは
「出品作品リスト」の表紙に印刷の「ブリューゲル一族の系譜」によると、ブリューゲル一族のうち本展出展作家は、父(ピーテル・ブリューゲル1世:1525/30-1569、以下、「ピーテル1」)、息子2人、孫2人、孫娘の夫、曾孫3人の計9人。なお、孫から曾孫までは全てピーテル1の次男(ヤン・ブリューゲル1世:1568-1625、以下、「ヤン1」)の子孫。ブリューゲル一族の作品には「父・子・孫・曾孫」の区別が分かる説明板が付いていますが、9人もいるので「ブリューゲル一族の系譜」も併せて見ることをお勧めします。
ちなみに、「芸術新潮」2017年12月号が42ページ掲載のマンガでブリューゲル一族の物語を紹介しています。あらすじは、「ピーテル1が40代の若さでこの世から去った時、二人の息子はまだ幼くて、祖母に絵を教わりながら成長。長男のピーテル・ブリューゲル2世(1564-1637/38、以下、「ピーテル2」)は職人を雇い父のコピー作品の量産に励んだものの、薄利で火の車。家を売って借金を返しました。一方、ヤン1は独自路線を開発して「花のブリューゲル」と呼ばれ、親友は、かのルーベンス(1577-1640)。共同制作もしました。ヤン1の絵は高価でその上大人気、おかげさまで裕福です。」というものでした。
父が活躍したのは16世紀の中頃、子が活躍したのは16世紀から17世紀にかけて、孫と曾孫が活躍したのは17世紀。17世紀には、ネーデルラント北部でレンブラント(1606-1669)やフェルメール(1632-1675)が、スペインでベラスケス(1599-1660)が活躍しています。
◆展覧会の構成
展覧会はテーマ別。「1 宗教と道徳」「2 自然へのまなざし」「3 冬の風景と城砦」「4 旅の風景と物語」「5 寓意と神話」「6 静物画の隆盛」「7 農民たちの踊り」の7章で構成され、ブリューゲル一族だけでなく同時代の画家の作品も展示されています。
◆第1章 宗教と道徳
この章では、主にピーテル1と同時代作家の作品を展示。ピーテル1が下絵を描いた銅版画が5点ありますが、どれも線描が細かく、拡大鏡が欲しくなります。拡大鏡なしで銅版画を見ていたら、目がショボショボしてきました。ブリューゲルの作品を下敷きにした《バベルの塔》もあります。
◆第2章 自然へのまなざし
主に風景画を展示。ピーテル1の作品は《種をまく人のたとえがある風景》だけで、ヤン1とその息子(ヤン・ブリューゲル2世、以下、「ヤン2」)の作品が中心。ヤン2《風景の中の聖母子と天使》は、風景もさることながら、花がきれいでした。
小さな画面(12.7×15cmなど)に風景を細密に描いている作品が多いので、ここでも拡大鏡が欲しくなります。
◆第3章 冬の風景と城砦
ピーテル2《鳥罠》など、「いかにもブリューゲル」という冬景色を描いた作品が展示されています。
◆第4章 旅の風景と物語
 ピーテル1の下絵による銅版画が3点。ピーテル1の作品をコピーしたヤン1の素描やヤン1の女婿ダーフィット・テニールス2世の作品も展示されています。
◆第5章 寓話と神話
ヤン1、バルトロメオ・カヴァロッツィ《花輪に囲まれた聖家族》は、聖家族よりも花の方が目立つという作品。ヤン1《地上の楽園》は色彩が鮮やかで、400年前のものとは思えません。ルーベンス工房の作品《豊穣の角をもつ三人のニンフ》が展示されているのは、ルーベンスがヤン1の親友だったからでしょうね。
◆第6章 静物画の隆盛
大理石に描かれたヤン・ファン・ケッセル1世(曾孫)《蝶、カブトムシ、コウモリの習作》と《蝶、コウモリ、カマキリの習作》は、本物と見間違うくらいの細密描写で、びっくりしました。本物と図版とでは、その迫力が全然違いますね。花の絵も素晴らしく、インスタ映えすると思います。(第6章と第7章は5月31日までの間に限り、写真撮影が可能!)
◆第7章 農民たちの踊り
この章はピーテル2が主役。特に、チラシや観覧券のデザインに使用されているピーテル2《野外での婚礼の踊り》は特等席に展示されています。
◆コッドピース(codpiece)のこと
ピーテル2《野外での婚礼の踊り》を見ていたら、「まあ、何、これ!」という声。隣の女性グループが、踊っている3人の男性のズボンの前に張り付けられた布切れを見て、発したものでした。いまどき、こんな格好のズボンを穿いた男性はいないですからね。
帰宅後ネットで調べると、14世紀から16世紀にかけて両足を覆う衣服は、現在のズボンとは違い、左右のパーツは後ろを縫い合わせただけで前は開いたまま。左右のパーツとは別の布切れ(コッドピース(codpiece)=股袋)で前を覆うという構造だったそうです。
現代のズボンの前開き構造は、パーツの裁断・縫製に手間がかかりますが、機能的です。偉大なる発明だったということでしょうね。
◆常設展もお勧め
常設展には、藤田嗣治《美しいスペイン女》が展示されています。現在休館中の愛知県美術館のコレクションも展示されているので見逃せませんよ。
                            Ron.

モネ、それからの100年

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:blogmember

4月25日から7月1日まで名古屋市美術館で開催中の「モネ、それからの100年」(以下「本展」)に行ってきました。

◆名古屋市美術館・第4回目のモネ展、切り口は「現代美術の生みの親」
会場に入ると大きなパネルに「つまり、モネは印象派ではなくあらゆる現代美術の生みの親ではないのか アンドレ・マッソン 1975年のインタヴュー」という文字。正面にはモネ《ヴィレの風景》(1886)と丸山直文《puddle in the woods 5》(2010)が並んでいます。
パッと見は2枚の抽象画ですが、しばらく目を凝らしていると、どちらも木々に囲まれた水辺の風景だと分かりました。「2010年の現代美術は、1886年の印象派の絵に触発されて描かれたのだよ。」と、語りかけてくる展示です。
キュレーターの意図が分かり、印象派の絵画と現代美術が共鳴して、頭の中で何かがはじけたような気持ちになりました。
名古屋市美術館・第4回目のモネ展は、「モネと現代美術の作品に、キュレーターの意図も響き合って、二度も三度も楽しめる展覧会」でした。

◆睡蓮のマークがついた「子ども向け?」の作品解説が秀逸
本展で目を惹くのは睡蓮のマークがついた作品解説です。「中学生以下無料」の展覧会ですから、「子ども向け?」に書き下ろした解説でしょうか。これが、いいんですよ。
例えば、モネ《海辺の船》(1881)の解説、タイトルは「砂浜の色に注目!」。確かに、モネは赤、青、緑、黄など様々な色の絵の具を使っていますね。
デ・クーニング《水》(1970)では「絵の具のかすれに注目!」、ルイ・カーヌ《彩られた空気》(2008)では「色の影に注目!」など、「余計なお世話」ではなく、鑑賞の勘所を教えてくれる有難い解説です。

◆章立ては四つ
 展示は4章。各章のタイトルは、Ⅰ.新しい絵画へ-立ちあがる色彩と筆触、Ⅱ.形なきものへの眼差し-光、大気、水、Ⅲ.モネへのオマージュ-さまざまな「引用」のかたち、Ⅳ.フレームを越えて-拡張するイメージと空間、です。
 Ⅱ.では、マーク・ロスコ《ボトル・グリーンと深い赤》(1958)・《赤の中の黒》(1958)やゲルハルト・リヒター《アブストラクト・ペインティング(CR845-5)》・《アブストラクト・ペインティング(CR845-8)》のように今までなら戸惑いを覚える作品でも、モネ《チャリング・クロス橋》(1899)・《テムズ川のチャリング・クロス橋》(1899)等を見た後では、「これもありだな」と受け入れることが出来たという、不思議な体験をしました。
 Ⅲ.は「積みわら」と「睡蓮」へのオマージュ。「睡蓮」は、Ⅳ.にも作品があります。なかでも福田美蘭《睡蓮の池》は夜の展望レストランを描いた作品なのですが、作品の前に佇んでいると、テーブルが睡蓮の葉に、都会の夜景が水面に見えくるのが不思議です。鈴木理策の写真《水鏡14、WM-77》・《水鏡14、WM-79》にも見入ってしまいました。

◆これって、「それからの100年」の例外?キュレーターの意図は?
 本展のチラシには、「それからの100年」という展覧会名について、次の文章が書かれています。
「モネが現在パリのオランジュリー美術館の壁画を飾っている睡蓮の大作に取りかかるのは、ちょうど100年ほど前のことです。画家が没した翌年の1927年にこの睡蓮の壁画が公開された時、人々の反応は今では考えられないほど冷淡なものでした。それから20年余、あまりに時代に先んじていたモネの斬新な絵画表現は次第に理解者を増やし、今ではマッソンの言葉通り、現代美術の出発点として位置付けられています。戦後アメリカの抽象表現主義の作家たちはいうに及ばず、21世紀の今を生きる作家たちにとっても、モネは尽きることのない創造の泉として生き続けているのです。」
 この文章のとおり、本展で展示されているモネ以外の作品は、ほとんどが第2次世界大戦後の制作。作家も20世紀の生まれです。ただし、例外が二人います。アメリカの写真家アルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)とエドワード・スタイケン(1879-1973)。作品の制作年も1892年から1933年。この期間は、モネが睡蓮の制作に取り組んでいた時期を含んでいる「同時代」であり、「それからの100年」には入りません。
 作品の解説にはスティーグリッツとスタイケンがモネの作品に関心を持っていたことが書いてあるので、二人にとってモネが「創造の泉」だったことはわかりました。スティーグリッツの写真には「大気」が、スタイケンの写真には「水」が写っており、「Ⅱ」のタイトルに合っています。また、歴史的な価値もある「いい写真」です。とはいえ、「それからの100年」に入らない、モネの生きた時代に重なる作家の作品をあえて展示したキュレーターの意図は何でしょうか?それを考えるのも本展の楽しみのひとつです。

◆「モネ、それからの100年」と「ボストン美術館の至宝展」のスタンプラリーも
 会場の1階から2階への階段を上がるとスタンプラリーの用紙が置いてあります。名古屋市美術館と名古屋ボストン美術館をめぐり、スタンプを押して応募すると抽選で各館20名にプレゼントが当たるとのこと。応募期間は5月24日(木)まで。
名古屋市美術館協力会(以下、「協力会」)会員向けの「ボストン美術館の至宝展」ミニツアー(5月20日(日)午前9時45分までに名古屋ボストン美術館へ集合)に参加すれば、ギリギリですが締め切りに間に合いますね。

◆最後に
 マンネリを打破するための「モネと現代美術を組み合わせる」という冒険、私の中では「成功」です。キュレーターさんに「あっぱれ」を差し上げます。
 モネも現代美術も見ごたえのある作品が展示されているので、お勧めです。

なお、5月13日(日)17時から協力会会員向けの「モネ、それからの100年」ギャラリートークが開催されますので、お知らせします。

Ron.

音のアーキテクチャ トンネルでピクニック 佐川美術館 ギャラリートークの様子 展示会場で話をきく会員たち 泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの 夢見たものは 展示室で解説を受ける会員たち プティパレ まずはエントランスホールでの解説