大塚信一 著 『長谷川利行の絵』と『中村正義の世界』

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

今年の梅雨明け後は、新型コロナ感染予防だけでなく熱中症対策も必要となり、再び巣ごもり生活に戻ってしまいました。そんな中で読んだ本を二冊、ご紹介します。

◆『長谷川利行の絵 芸術家と時代』 大塚信一著(作品社) 2020.5.25発行

 一冊目は8月9日付け中日新聞で知った本です。2018年に碧南市藤井達吉現代美術館などを巡回した「長谷川利行展」の監修者・原田光氏が書評を書いていたので、早速購入しました。

著者の大塚信一(おおつか・のぶかず)氏は岩波書店の元社長。長谷川利行(はせかわ・としゆき)の絵画だけでなく著作や展覧会評なども丹念に読み込んで、「芸術家」としての魅力の源泉を解き明かしています。荒っぽく要約すると、長谷川利行は①関東大震災の強烈な体験で「物を見る眼」を鍛えられ、②京都に戻った二年間の研鑽のなかで「子供のように、幼児の如く、知識や先入観に捉われることなく、ひたすら無心に、自由奔放に描く」(本書p.69)ことを体得し、③その芸術は正宗得三郎、有島生馬、そして熊谷守一に評価され、④吉井忠、麻生三郎などの若い画家の信頼を集め、⑤文筆活動においても「日本画を含めて世界の美術状況を把握した上で、日本洋画壇に対する根源的な批判を行った」(本書p.193)というものです。

2018年に協力会ミニツアーで、碧南市藤井達吉現代美術館で開催された「長谷川利行展」を鑑賞したときは『木葦集』や吉井忠、麻生三郎など若い画家の集合写真の展示を見ても、あまりピンとこなかったのですが「当時この本が出版されていたら、もう少し深く鑑賞できたのでは」と、残念に思いました。

最後に、この本で一番驚いたのは「あとがき」に書かれた「私は2017年8月に『反抗と祈りの日本画――中村正義の世界』(集英社ヴィジュアル新書)を上梓した。(略)病気がちの正義は、病床で壁に掛けられた長谷川利行の《安来節の女》を眺める度に、画家としての自戒の念を新たにしていたというエピソードを知って(略)書き始めたのが本書である」(本書p.227)という文章です。そのため、『反抗と祈りの日本画――中村正義の世界』も買う羽目になってしまいました。

◆『反抗と祈りの日本画――中村正義の世界』大塚信一著(集英社ヴィジュアル新書)2017.8.24発行

 この本で確かめると、上記の「あとがき」が言及した、病気見舞いとして画商から贈られた長谷川利行《安来節の女》について、中村正義は「……この作品は長く私の座右にあって私に良く話しかけた。絵を描くことを“商売”としていた私に、『絵かき屋さん』と、いつもこんなふうに話しかけるのだった。そして時には私を辱め、また時には、私を嘲笑しているかのように見えることもあった。日展をやめるようにすすめてくれた恩人も長谷川さんだったかもしれない」(本書p.20)と書いていました。

 木賃宿や簡易宿泊所を転々とする悲惨な放浪生活を送った長谷川利行が、旧態然とした画壇と格闘し、厖大な作品を制作するだけでなく友人や後輩を助けた中村正義を勇気づけたというのは不思議な取り合わせです。中村正義は長谷川利行が絵画に取り組む姿勢よく理解し、作品から感銘を受けたというのでしょうね。著者が『長谷川利行の絵 芸術家と時代』を書かざるを得なくなったのも、納得です。

 本書は第Ⅰ部で中村正義の生涯を記し、第Ⅱ部で作品を分析しています。特に力を入れているのが「舞妓」のシリーズ。なかでも《舞子(黒い舞妓)》については、2011年に名古屋市美術館で開催された『日本絵画の風雲児 中村正義 新たなる全貌展』(以下『中村正義展』)の図録から「日本文化の華として雛人形のように着飾った舞妓の隠された正体を暴いたのである」(山田諭「限りなく変貌を続ける絵画―中村正義の芸術について」)という文章を引用しています。この外、《舞妓》シリーズや《顔》シリーズについて、個々の作品を区別するため『中村正義展』に付された番号を使うなど、過去の展覧会の図録や先行の研究書を読み込んで、分かりやすく書いています。5月に豊橋市美術博物館の常設展で展示されていた《舞妓》や《女(赤い舞妓)》についても触れており、手に入れやすい「中村正義の解説書」です。『中村正義展』の図録は手元にないので、この本を買ってよかったと思いました。

    Ron.

「セトノベルティ」の盛衰

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岡崎市美術博物館の「マイセン動物園展」を見た後、「愛知県でも陶磁器の人形を製造・輸出していた」という記憶が蘇り、ネットで検索していたら「セトノベルティ 匠ネットワーク」というHPがヒットし、セトノベルティの特徴・歴史などを知ることができました。URL=https://www.setonovelty.jp/setonovelty.html

・セトノベルティの特徴

精巧な形状 / 繊細な絵付・装飾 / 多彩な製品ラインナップ / 小型から大型製品まで生産可能 / 多様な素材(陶器・白雲・半磁器・ボーンチャイナ・炻器・磁器など) / マットからクリアまで可能な仕上げ / 石膏型による成形 / 分業による生産体制(原型製作・石膏型製作・成形・絵付・焼成など)

・セトノベルティの歴史(抜粋)

明治時代   石膏型製法の研究や、陶彫技術の確立

          明治6(1873)年 ウィーンで開催された万国博覧会に出展

          招き猫・稲荷狐・福助・水入れ人形など

陶製の浮き金魚=ポン割で製作された最初のセトノベルティ 

大正時代   第一次世界大戦時にドイツ製に代わり瀬戸製ビスク人形がヒット

昭和時代   複雑な形状を有する瀬戸製ドレスデン人形が完成

          戦争の影響で1943年後半、セトノベルティの生産は一時途絶

18インチ(約45cm)の高さを持つ大形人形の製造も可能になる

           ヨーロッパのノベルティの模倣から独自の商品開発へ移行

1960年代には、瀬戸のノベルティメーカーは300社を超える

1980年代以降、円高、新素材の登場等、徐々に生産数が少なくなる

 上記の「特徴」に書かれた「石膏型による成形」は「マイセン動物園展」の動画で紹介されていた製法です。また、「歴史」に書かれた「ドレスデン人形」は、「マイセン動物園展」で出品されたような最高級品であるマイセン製白磁器の人形を指しているそうです。

 マイセン磁器は中国や日本の磁器を研究して製造されたものですが、セトノベルティは逆に、マイセンの人形を研究(模倣から独自の商品開発へ移行)して製造したものだったのですね。

◎展覧会で紹介された「セトノベルティ」の概要

展覧会について調べると、名古屋市の横山美術館で2018年8月4日~12月2日の日程で「企画展 愛されたセト・ノベルティ展」が開催され、兵庫県丹波篠山市の兵庫陶芸美術館でも2019年3月16日~6月2日の日程で「特別展 瀬戸ノベルティの魅力―世界に愛されたやきものたち」が開催されていたことが分かりました。

横山美術館のプレスリリース(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000005.000027559.html)には「セト・ノベルティは100年以上に渡って瀬戸で制作が続けられ、かつては輸出陶磁器の花形として多くの作品が海外に渡り世界中で愛されました。(略)しかし、1980年代以降の円高によって衰退を余儀なくされ、その技術が失われつつあるのが現状です」と、紹介されています。

兵庫県陶芸美術館のHP(https://www.mcart.jp/exhibition/e3004/)では、さらに詳しく「ノベルティが本格的に作られるようになったのは、大正時代のことです。大正3(1914)年に第一次世界大戦が起こり、当時ノベルティが人気を博していたアメリカでは、最大のノベルティ生産国であるドイツからの輸入が途絶えました。代わりに白羽の矢が立ったのが瀬戸で、石膏の型によって作られた輸出用ノベルティの生産が始まりました。その後は、欧米をはじめとした世界中に多数輸出され、戦後には最盛期を迎えました」と、紹介しています。

◎「ノベルティ・こども創造館」について

 さらに、セトノベルティを展示している施設を調べると、昭和後期までノベルティを製造していた民間の工場を改修して、平成15年8月に「ノベルティ・こども創造館」が開館していることが分かりました。「ノベルティ・こども創造館」のURLは、http://www.city.seto.aichi.jp/docs/2010111000080/ で、所在地は瀬戸市泉町74番地の1です。まだ、行ったことはありませんが、機会があれば訪ねてみたいですね。

Ron.

<参考>

兵庫陶芸美術館のHPから

上段左 《二人のエンジェル》 1964年 丸山陶器株式会社 横山美術館所蔵

上段右 《マドモアゼル》 1996年 テーケー名古屋人形製陶株式会社 愛知県陶磁美術館所蔵(テーケー名古屋人形製陶株式会社寄贈)

中央 《葡萄を摘むエンジェル付き水差》(1対) 1957年以降 丸山陶器株式会社 横山美術館所蔵

下段左 《エンゲージ》 1995年頃  丸山陶器株式会社 横山美術館所蔵

下段右 《アン王女》 1991年 テーケー名古屋人形製陶株式会社 瀬戸蔵ミュージアム所蔵

展覧会見てある記 「マイセン動物園展」 岡崎市美術博物館

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7月28日(火)から30日(木)まで中日新聞・県内版に、岡崎市美術博物館で開催中の「マイセン動物園展」の紹介記事が連載されていたので、早速行ってきました。平日ながら、恩賜池に臨む駐車場は満車に近い状態。県内の新型コロナウイルス新規感染者が急増しているため「展覧会場は3密状態か?」と怖くなりました。しかし、よく見ると、ノルディック・ウォーキング用のスティックを持参するなど、運動目的の人が何人もいたので少し安心しました。

動物と神話の人物を組み合わせた作品が多数

「第1章 神話と寓話の中の動物」には、神話に出てくる神や天使、鳥、馬、ライオンなどを組み合わせた作品が並んでいます。白磁の滑らかな肌、頬の薄紅色、色鮮やかな衣服など、どこをとっても「どうやって作ったのだろう?」と思われる美しい作品の数々でした。作品リストの制作年には「1820-1920年頃」と書いてあります。原型製作者であるヨハン・ヨアヒム・ケンドラーの生没年は1706-1775年ですから、彼の原型を元に、後日制作したということでしょうね。

会場の最後「映像コーナー」で上映している動画によれば、ヨハン・ヨアヒム・ケンドラーは彫刻家。マイセン磁器の発明者ヨハン・フリードリッヒ・ベットガー(1682-1719)、絵付師のヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(1696-1775)と並び、マイセン磁器を牽引した人物です。マイセン磁器の特色は、石膏の原型で型取りした複数の部材を貼り合わせて複雑なフォルムを造形するところにあります。部品を石膏の型から取り出し余分な所を削って貼り合わせる手の動きを見て「展示されていた作品はどれも、長時間にわたる精緻な作業の結晶だ」と感じました。

繊細で豪華絢爛な器の数々

スノーボール貼花装飾蓋付昆虫鳥付透かし壺

「第2章 器に表された動物」の圧巻は《スノーボール貼花装飾蓋付昆虫鳥透かし壺》。展覧会のチラシの図版にも使われていますが、壺の全面に石膏原型で型取りした小さな花を貼り付けた上に、鳥や昆虫、カエル、蔦のような植物を貼り付け、しかも壺の下部には透かし彫りが施され、中に黄色い鳥が居るという、気の遠くなるような手間をかけて作られた壺です。

柔らかなフォルムの動物たち

二匹の猫

「第3章 アールヌーヴォーの動物」になると、動物の雰囲気が変わってきます。ヨハン・ヨアヒム・ケンドラーはバロック期の彫刻家ですが、第3章は「アールヌーヴォー」様式の作品。第1章、第2章の作品は、権勢を誇るためのものですが、第3章は身近に置いて楽しむもの。制作目的が全く違うのですね。《二匹の猫》は、可愛かったですよ。

常滑焼のような炻器(せっき)の動物も

「第4章 マックス・エッサーの動物」には《カワウソ》など、ベットガー炻器で制作した動物やマスクが並んでいます。炻器は釉薬をかけず高温で焼成した陶器で、日本の常滑焼や備前焼にあたるものです。土の風合いを生かした、素朴で味わいのある作品でした。

最後に

ノルディック・ウォーキングに向かう人の会話に耳を澄ますと「ウォーキングが終わったら、展覧会を見て帰りましょうか」という声が聞こえてきました。コロナ禍で不安の増す毎日ですが「マイセン動物園展」は一服の清涼剤になりました。会期終了予定は9月13日(日)です。

Ron.

展覧会見てある記 「収蔵品展 贅沢な対話」 岡崎市美術博物館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

6月2日付・中日新聞に「芸術鑑賞 ゆとりの時間」と見出しが付いた「二週間ごとに担当学芸員が替わり、三部構成でそれぞれがテーマを設けて展示品を入れ替える。入場無料」という記事が載っていました。この記事を読んで以来「行きたい」と思っていた展覧会を、ようやく鑑賞。記事が出てから1か月ほど経っていたので展覧会は終盤。内容も「第3話 光は水のよう」になっていました。以下は、そのレポートです。

真っ暗な展示室のなかに、展示品が点在

手指の消毒を済ませて展示室を覗くと、そこは真っ暗な洞窟。水が滴(したた)るような音が、微かに響いています。遥か向こうには、手廻し蓄音機。展示室に入ると「右の壁に水が流れる動画が」と思ったら、抽象画でした。説明は一切ありません。長くて幅の広い廊下に、展示品は2点だけ。「贅沢な対話」の「贅沢」とは、このことなのですね。点数は少ないですが、手間ひまは、贅沢に掛けています。

廊下の突き当りを右に曲がると、何もない暗闇。恐る恐る進んで右に曲がると、大振りの片口が一つだけ展示されています。金継ぎ(陶磁器の破損部分を漆で接着し、金粉で装飾する修復法)が施されていました。

片口の展示ケースの背には大壁。大壁の裏に回り込むと、ほの暗い空間が広がっていました。その中央には平底の木舟とランプがポツンと置かれ、左の展示ケース内に作品が二つ。奥の壁に地図らしきもの、左の壁に土壁のような作品、この広い空間の展示品は「締めて6点」でした。

展示ケース内の手前側にある作品からは、豊田市美術館のコレクションで見た作品と同じような雰囲気が漂ってきます。一瞬、「アマビエか?」と、思いましたが「そんなはずはない」と、首を振りました。作品だけで「解説が一切ない」というのは、作品との「対話」を促すためには良い趣向だと、強く感じました。

最後の展示品は、奥の壁に見えていた「地図」。左右がギュッと圧縮された江戸から京都までの鳥観図で、左上に富士山、海を隔てて直ぐ右に京都があるという、極端なまでにデフォルメされたパノラマでした。

展示品を出たところに、作品カード

展示室内には一切の解説がありませんでしたが、展示室を出た所に展示品の作品カードが置かれ、自由に持ち帰ることが出来ます。鳥観図の作者は、葛飾北斎。木舟は洪水時に使う《上げ舟》。「アマビエか?」と思ったのは村瀬恭子《Cave of Emerald (Exit)》(2008)で、豊田市美術館で見たのは同じ作者の《Flowery Planet 2009》(2020)でした。なお、《上げ舟》の写真を撮ったら、木舟とランプだけでなく、展示ケース内に2作品、ケースのガラス面に1作品が写り込んでいました。右端に写っているのは、サム・フランシスの作品です。

上げ舟、吊りランプ

「光は水のよう」は、ガルシア・マルケスの短編にちなんだもの

展示室を出た所には「“光は水のよう”はガルシア・マルケスが92年に発表した短編集『十二の遍歴の物語』に収められた物語のひとつです。作中では、割れた電球から光の水が流れ出し、部屋に溜まった光の海に子どもたちが船を浮かべて航海するという幻想的なシーンが描かれています。『水』に関連した資料を、最小限の『光』を用いて展示しています。」という文章が掲げられていました。

「石の野外ミュージアム 恩賜苑」の鑑賞は断念

岡崎市美術博物館を出て、南を見ると池の向こうに四阿(あずまや)が三つほど見えます。池の近くまで降りると、池の名前は「恩賜池」、四阿は、石灯籠や手水鉢などを展示している「石の野外ミュージアム 恩賜苑」の付属物だと分かりました。「見てこようか」と思いましたが、恩賜池に掛かるコンクリート製の「八ッ橋」を渡ってこちらに来る高齢の夫婦の服装は、スポーツウエアです。こちらは、ハイキングができるような服装ではなく、しかも雨上がりで道が濡れていたので鑑賞は断念。次の機会に持ち越すことにしました。

恩賜池・八ッ橋

最後に

「収蔵品展 贅沢な対話」は、コロナ禍で「岩合光明写真展」が中止されたことに伴って開催された展覧会ですが、とても意欲的で、面白く楽しい企画でした。コロナ禍は数多くの災厄をもたらしましたが「贅沢な対話」を開催できたことは「数少ない幸運のひとつ」だと思います。会期は7月12日(日)まで。

7月25日(土)~9月13日(日)には「特別企画展 マイセン動物園展」が、開催予定です。

Ron.