アルヴァ・アアルト展の評判など

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 少し前のことになりますが、11月21日付の日本経済新聞文化欄に窪田直子編集委員による「アルヴァ・アアルト展」の記事がありました。以下は記事の抜粋。見出しは「合理的で温かいデザイン」でした。

アルヴァ・アアルトは、国際性と地域性を微妙なバランスで結びつけた建築家だった。(略)「ヴィープリ市立図書館」の講堂内のうねる天井は音響を考えながら、木材をふんだんに使って窓の外の景色と一体化させている。「パイミオのサナトリウム」は、すべての部屋に陽光が差し込むように設計し、患者の治療に配慮した家具や照明器具をデザインした。(略)家具メーカー「アルテック」を設立。シリーズ化した椅子の手すりや足に曲げ木を採用し、金属パイプにはない温かみを出した。古くなったスツールなどを修理・再生する仕組みもある。芸術とテクノロジー、クラフツマン精神と工業製品の融合を目指す社名にふさわしい取り組みだ。(略)本展はアルヴァ・アアルト美術館とドイツのヴィトラ・デザイン・ミュージアムが企画し、欧州5カ国で開催された。図面を引き出し付きの木製棚に収め、気鋭の写真家が撮り下ろしたカラー写真や映像、実物の家具などで構成する洗練された展示も見どころ。25日まで葉山で開催後は愛知、東京、青森に巡回する。

悪くない評価ですね。神奈川県立美術館葉山で本展を見てきた人からは「椅子の展示もあって面白かったけれど、建築については協力会のギャラリートークで解説を聴いてみたい」という話を聞きました。確かに、展示室で作品を前にして担当の学芸員さんから解説を聴くと、作品に対する理解が深まりますね。
「アルヴァ・アアルト展」の協力会会員向けギャラリートークは12月9日(日)17:00から。名古屋市美術館2階講堂に集合です。図面や写真だけではつかみ切れないアアルト建築の魅力に触れることができると思いますよ。ご覧の協力会ブログサイトから申し込みできます。
ぜひ、お越しください。
Ron.

インターネットと図書館でアルヴァ・アアルトを調べる

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12月から名古屋市美術館で開催される「アルヴァ・アアルト展」。10月31日の公開講座「アルヴァ・アアルトの建築とデザイン」(イーブルなごや)で概要が分かり、更に知りたくなりました。先ず、ネット検索です。
◆ヴィープリ図書館の再オープン
インターネットに「ヴィープリ図書館」と入力して検索すると「アアルトがデザインしたヴィープリ(ヴィボルグ)図書館が再オープン! 」という2013年11月27日付けの記事が出てきました。内容は「フィンランド建築デザインの巨匠、アルヴァ・アアルトが手がけたものの中でも象徴的な建物といわれるヴィープリ図書館が、20年以上もの歳月をかけて修築され、先週土曜11月23日に再びオープンした。ヴィープリは旧フィンランドの街で、現在はロシアのヴィボルグに属する。(略)図書館の建設がスタートしたのは1927年で、完成したのは1935年。その頃ヴィープリは、まだフィンランド領だった。図書館は当時、国際的なモダン建築のアイコンとして注目され、戦前にアアルトが残したものとしては大変重要な建築物である。(略)1991年から修築・修繕を開始。1935年当時の図書館の姿に戻すための復元プロジェクトが開始してから約20年、ようやくお披露目となった。修築コストは、およそ800万ユーロ(約11億2000万円)といわれる。フィンランドとロシア両国の政府、また両国の財団や慈善団体からの援助を受けながら完成させた国際的かつ大規模な取り組みだった」というものです。なお、記事のURLはhttp://www.hokuwalk.com/Topic/page/page_id/022013112700015001/cat_id/3。

◆アルヴァー・アールト図書館 … 修復保存物語(原文のまま、以下同じ)
また、アルヴァー・アールト図書館 … 修復保存物語」というページも見つかりました。
2001年4月5日に静岡県賀茂郡松崎町で開催された第2回 日本フィンランド デザイン シンポジウムの講演で、講師はエサ・ラークソン(建築家/ヘルシンキ工科大学 教授, アルヴァー・アールト アカデミー ディレクター)です。(なお、ヘルシンキ工科大学は2010年にヘルシンキ経済大学、ヘルシンキ美術大学と統合して「アアルト大学」になりました)以下は、講演記録の抜粋です。
 フィンランドでも最も有名な建築家、アルヴァ・アアルトは、数年の歳月を費やしてヴィープリの図書館本館を設計しました。彼は古典的な様式にならってその設計を進めていきました。しかしいつのまにか、アールトの設計様式は一変してしまいました。(略)1935年に落成したヴィープリ市の図書館は、当時の図書館としては、世界でも最も進歩的なデザインでした。この図書館は、アールトの代表作品の一つに数えられ、たちまちのうちに『ブリティッシュ・アーキテクチュラル・レビュー』誌とイタリアの『カサベラ』誌の表紙を飾りました。(略)第二次世界大戦中、この建物の役割とその歴史は劇的に変化しました。図書館が、ヴィープリに住むフィンランド人たちの手にあったのは、いわゆる冬戦争で1939年に旧ソ連がこの町に進攻してくるまでのわずか4年間でした。第二次世界大戦の第二段階(1941年-1944年)において町が再度フィンランドの手に戻ると、市民たちも町に戻り、ほとんど無傷のまま残っていた図書館も再開されました。しかし終戦とともに、ヴィープリ(ならびに、フィンランド東部のカレリア地方の大部分)は旧ソ連の支配下となり、自称フィンランド人の住民たちはフィンランドに逃れました。(略)戦後、図書館は荒れるにまかされ、天井板はたきぎとして使われ、館内には浮浪者が住みついていました。(略)図書館は長い年月を経てすっかり老朽化し、1991年に旧ソ連が崩壊した後は、フィンランドが管理する国際的改装計画の改装対象となりました。ファサードや屋根は徐々に本来の状態へと修復されていますが、ヴィープリ図書館が戦前の素晴らしい姿を取り戻すには、まだ多くの作業が必要です。

要点は、①ヴィープリの図書館は当初、新古典主義の様式で設計されていたが、落成した図書館はモダニズム様式の建築になっていたこと。②第二次世界大戦の結果、ヴィープリがロシア領になったこと。③戦後、図書館は荒れるにまかされたこと。④旧ソ連が崩壊後、フィンランドが乗り出して図書館の改修が進んだことの4つです。なお、講演のURLはhttp://www.gk-design.co.jp/jfda/symposium/2nd/esa_presen_jp.htmlです。

◆ヴィープリ図書館の現在の姿/アアルトが手がけた建築・デザイン
 現在のヴィープリ図書館の姿を下記のURLで閲覧することができます。

https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298511-d7376122-Reviews-Alvar_Aalto_Library-Vyborg_Vyborgsky_District_Leningrad_Oblast_Northwestern_Distr.html

 また、アアルトが手がけた建築・デザインは、下記のURLで閲覧できます。

https://www.alvaraalto.fi/en/works/

◆図書館で調べる
インターネット検索と並行して、近所の図書館で参考になる本を探しました。

◎「物語 フィンランドの歴史 中公新書2456」 中央公論社
 第二次世界大戦でフィンランドは「全領土の10分の1を失った」という記述のほか、アルヴァ・アアルト関係では以下の記述がありました。
(略)フィンランドを代表する建築家アルヴァル・アールトは、妻アイノとともに設計事務所を立ち上げ、多くの建築物やインテリア製品などを手がけた。(略)彼らはフィンランディア・ホール、ヘルシンキ工科大学、アカデミア書店といった建築物のデザインをしただけではなく、家具やガラス製品などを手がけたことでも知られる。
 カラフルなテキスタイルデザインで有名なマリメッコは、1951年に創業した企業で、服や布製品だけではなく、食器やインテリア製品なども販売している。また、1873年に創業したアラビアはシンプルで使いやすいデザインの食器を販売し、北欧デザインの名声を高めるのに貢献した。(略)

アルヴァ・アアルト、マリメッコ及びアラビアのいずれも、2017年に愛知県美術館で開催された「フィンランド・デザイン展」で紹介されていましたね。

◎「世界の建築家解剖図鑑」 株式会社 エクスナレッジ
20世紀の建築家の章で、14人の建築家の一人としてアルヴァ・アアルトを紹介。以下の記述がありました。
(略)1930年代半ば頃になると、木の使用頻度が増加していく。加えて戦後はレンガや銅板の使用も始まった。木や銅は、フィンランドで最も重要な資源である。レンガの使用は、戦後の物資不足が背景にあったのでやむを得ない一面もあるが、こうした材料の使用が積極的であったことは、例えば波のようにうねる木の壁や天井などからも十分に想像できる。そこには近代主義建築の新たな進路を示さんとする意思があり、鉄やコンクリートを使わずとも新しい表現ができること、しかもより人間らしく、その地域らしい表現が可能なことを示した。(略)

◎「名作椅子の由来図典」  株式会社 誠光堂親光社
 アルヴァ・アアルトについては、以下の評価をしています。
(略)「パイミオのサナトリウム」や「ヴィープリの図書館」など、自ら設計した建物で用いる椅子や家具のデザインも多数手掛け、椅子の歴史においてエポックとなる名作椅子を生み出した。木製椅子の構造面における技術開発、その技術を生かしたデザイン、素材はフィンランド産のバーチ(カバ)材を活用、さらには出来上がった椅子の販売といった4つの観点が押さえられていることにアアルトの功績の大きさと才能を感じる。

なお、この本では技術開発として「アアルトレッグ」(公開講座では「L-レッグ」)と呼ばれる挽き曲げ技法と成型合板によるカンチレバー(コの字型の脚)に、椅子の販売はアルテック社の設立に言及しています。

◎「世界の名作椅子 ベスト50」  株式会社 エクスナレッジ
 過去150年間の名作椅子を解説した本です。アルヴァ・アアルトがデザインした椅子はベスト50に3点が入っており、以下の表題をつけて、それぞれの椅子について解説しています。
・北欧の価値観とモダニズムを調和させるという実験  パイミオ・ラウンジチェア
・アールトの哲学が生きた、最小限の要素の組み合わせ スタッキングスツールNO.60
・大胆なカンティレバー構造が、重力を忘れさせる   アームチェア「NO.406」

10月31日の公開講座では、アームチェア「NO.406」の説明はありませんでしたが、建築物の内部を紹介する画像のなかにアームチェア「NO.406」が写っていました。

◆最後に
 以上は氷山の一角です。インターネットや図書館を使って、アルヴァ・アアルトに関する様々な情報を手に入れることができます。皆さんも、やってみませんか。
Ron.

アルヴァ・アアルトの建築とデザイン

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋市美術館協力会から届いたチラシで知った公開講座を聴くため、中区大井町のイーブルなごや(e–able–Nagoya:正式名称は、名古屋市男女平等参画推進センター、名古屋市女性会館)まで足を運びました。講座の内容は建築家・アルヴァ・アアルトの作品紹介で、講師は名古屋市美術館学芸員・中村暁子さん(以下「中村さん」)でした。公開講座が始まった時、会場の3階大研修室はぎっしりと埋まっており、「入場無料」とはいえ平日の午後としては盛況。以下は講座の内容を要約したもので、(注)は私の補足です。

◆名古屋市美術館の特別展「アルヴァ・アアルト ― もうひとつの自然」について
アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto)はフィンランドを代表する建築家・デザイナーです。自然と人間の関係を見つめ続けたヒューマニズムの建築家で、ドアの取っ手、家具、照明器具、ガラス器のデザインも手掛けています。また、特別展の会期は12月8日(土)から来年の2月3日(日)まで。観覧料は一般1,200円、高大生900円、中学生以下無料。300点近くの作品を紹介します。

◆アルヴァ・アアルトの生涯について
アルヴァ・アアルト(以下「アアルト」)は1898年、フィンランド(注:当時はロシア帝国支配下の「フィンランド大公国」)クオルタネ生まれ(注:今年は生誕120年)。父は測量技師です。測量技師はフィンランドでは大変に尊敬される職業でした。幼い頃、アアルトは父のオフィスの白い机の下で遊び、父を通じて自然の有機的な形に親しみました。絵が得意な子どもで、9歳の時に建築に興味を持ちました。アアルトが8歳の時に母が死亡し、父は母の妹と再婚しました。新しい母とアアルトとの仲は良好だったようです。
1916年にヘルシンキ大学(現在のアアルト大学)に進学し、建築学を学びます。大学に在学中、父が自動車を購入するとアアルトも自動車を購入して乗り回しています。自動車の外、蓄音機やカメラも購入しています。新し物好きの人でした。
アアルトは建築家の下でインターンシップをしているとき、頭の回転が速く人懐っこい性格のため「建築家よりも新聞記者に向いている」というアドバイスを受けましたが、建築家の道を進みました。
1923年にユヴァスキュラに建築事務所を開設。1924年には建築家のアイノ・マルシオと、知り合って半年で結婚しています。アアルトはアイノと結婚した理由を、「僕はアイノに多額の借金を背負っていたので、結婚する以外に選択肢がなかった」と友人に言っています。もちろん、これは照れ隠しの冗談です。新婚旅行は飛行機を使ってイタリアに出かけました。アアルトはイタリアで大量のスケッチを描いています。新婚旅行では湯水のようにお金を使い切って帰国しました。イタリア文化に触れたアアルトは「ユヴァスキュラを北のフィレンツェにしたい」と考えました。
1927年には建築事務所をトゥルクに移転しました。トゥルクは日本でいえば京都にあたる古都です。そして、1928年に行われたパイミオのサナトリウムの設計コンペで一等を獲得したことで、国際的な建築家への第一歩を踏み出しました。この時期、アアルトはグロピウスやコルビュジエ、レジェと親しくなっています。
1935年には、アアルト夫妻とニルス・グスタフ・ハール、マイレ・グリクセンの4人が共同して家具販売会社アルテック(注:Artekという名前の由来はartとtechnology)を設立しています。アルテックは現在も、アアルトがデザインした照明器具やパイミオ・チェアなどを販売しています。マイレ・グリクセンの夫ハッリ・グリクセンはマイレア邸(1939年竣工)の施主です。また、アアルトがデザインしたサヴォイ・ベース(Savoy Vase)などのガラス器はイッタラ社が販売を開始して現在も販売しています。
アアルトは1938年にアメリカに進出し、1939年竣工のニューヨーク万国博覧会フィンランド館を設計。フィンランド館の特徴はオーロラの壁(注:オーロラのように壁面がうねった木製の内壁)です。
第2次世界大戦後の1946年から1948年まで、アアルトはマサチューセッツ工科大学(以下「MIT」)の客員教授を務め、MITの学生寮も設計しました。アアルトは1948年に帰国し、翌年の1949年に妻アイノが死去しています。
第2次世界大戦後、アアルトはイタリアでインスピレーションを得た赤レンガを外壁にした建物を数多く設計していることから、この時期は「赤の時代」と呼ばれています。アアルトは1952年に建築家のエリッサ・マキニエと再婚し、同年に「夏の家」を設計しました。1955年からは一転して白い外壁の建物を数多く設計したので「白の時代」と呼ばれています。
アアルトが死去したのは1976年で、アアルトの事業は妻エリッサが引き継ぎました。
アアルトは、フィンランドのお札に肖像が印刷されるほどのフィンランドを代表する建築家です。(注:現在のフィンランドはユーロ紙幣を使用しており、アアルトの肖像が印刷された紙幣は使われていません)

◆アアルトの建築作品について
◎アアルト自邸(1936年竣工)
 初期の主な建築作品は、アアルト自邸(ムンキニエミに建てた自宅にスタジオを併設した建物)と、1927年設計・1935年竣工のヴィープリ図書館(注:現在はロシア連邦・レニングラード州・ヴィボルグ市)、1928年設計・1933年竣工のパイミオのサナトリウムです。
アアルト自邸の建設場所はヘルシンキ北西部の閑静な住宅地ムンキニエミです。ムンキニエミは1930年代まで手付かずの自然が残され、1940年代まで海が見えたとのことです。
アアルトは新古典主義に基づく建築作品から出発し、機能主義に基づく作風に変化していきました。ただ、アアルト自邸は機能主義とは違っています。その外観を見ると1階が白く塗った凸凹(デコボコ)のある壁で、2階が焦げ茶色の羽目板を縦に並べた外壁になっています。アトリエはバタフライ屋根(注:蝶が羽を上に広げたような形の、両端が高く中央部が低い屋根)で、陸屋根(注:ほぼ水平な屋根)とは違い人間的なぬくもりが感じられます。アアルトは自身を「ロマンティックな機能主義者」と呼んでいます。
 アアルト自邸は、通りに面した壁に窓が開いていません。そして、中庭から見ると窓が大きく開いています。建物の形はL字型で、家族が過ごす場所と仕事をする場所が分かれています。スクリーンに投影した写真は大きな窓のあるリビングルームの内部です。アアルトがデザインした家具や照明器具が写っていますね。リビングルームの続きにオフィスが配置され、オフィスの床はリビングルームより40cm深くなっています。リビングルームとオフィスの間は大きな引き戸で仕切られており、この引き戸は日本家屋の影響を受けたものです。オフィスの反対側にはキッチンとダイニングルームが配置され、ダイニングルームの椅子は新婚旅行先のイタリアで購入したアンティーク家具です。2階には寝室、子ども部屋、ゲストルームと暖炉を置いたホールが配置されています。アアルト自邸は機能性とともに、住む人の居心地のよさを追求した建築です。
(注:ネットで検索したところ「新古典主義」は18世紀後半にフランスで始まった、古代ギリシアや古代ローマの建築を理想とする建築様式で、代表例はフランスのエトワール凱旋門、英国の大英博物館など。また、「機能主義」は建築の機能と無関係な装飾や造形を排除した合理的な建築を目指す建築様式でした)

◎オフィス・スタジオ(1955年竣工)
 公共事業の仕事が増えたため、アアルトは1955年にアアルト自邸から徒歩10分の所に新しいオフィス・スタジオを建設しました。急斜面に建てた4階建・L字型の建物です。外壁は凸凹(デコボコ)のレンガで、建物の中にはスタジオ、食堂、製図室が配置されています。スタジオはミーティング等にも使います。中庭には扇型の円形劇場が設置されています。アアルトはオールボーの美術館(注:デンマークのオールボーにあるノースユトランド美術館:1958-72)にも円形劇場を設置しています。
 私(注:中村さん)は2017年にオフィス・スタジオを訪れたのですが、かつて多くのスタッフが働いていたことを想像させるようなスタジオでした。高い天井のスタジオでは少し前までミーティングが行われていたようで、アアルトがデザインした各種の椅子が置かれていました。また、アアルトがデザインした照明器具も吊り下げられていました。1976年にアアルトが死去した後は、妻のエリッサが事業を引き継ぎました。アアルト自邸は、1998年からアルヴァ・アアルト財団が管理しています。

◎パイミオのサナトリウム(1933年竣工)
 パイオミのサナトリウムは、1928年に行われた設計コンペでアアルトの設計が最優秀となった建物です。サナトリウムは結核患者の療養所です。アアルトは、照明がまぶしくないようにする、水回りの音を吸収する、穏やかに過ごせる色彩を採用するなど、患者の心地よさに配慮した建物を設計しました。
 パイオミのサナトリウムの外観は白い壁のモダニズム建築(注:装飾を排除した機能主義の建築)ですが、内部は人にやさしい空間です。サナトリウムの内壁の色は薄いグリーンで、階段の踏み板は黄色、手すりは青。肘掛け椅子には患者が休息できるようにアアルトがデザインしたパイミオ・チェアが使われています。アルヴァ・アアルト展では展示室のなかにパイミオのサナトリウム内部を再現します。

◎マイレア邸(1936年竣工)
 マイレア邸は、アアルト夫妻の友人でアルテックの共同経営者であるマイレ・グリクセンと彼女の夫ハッリ・グリクセンの邸宅です。松林の中に建てられました。マイレ・グリクセンは画家・美術品収集家で、彼女が収集した作品の作家はピカソ、アルプ、コールダーなどです。
 設計当初、収集した美術品は独立したギャラリーに展示するという計画でしたが、最終的には生活空間のなかに飾ることになりました。
 マイレア邸で目を惹くのは、木を多用した広々とした部屋です。フィンランドは木材産業が盛んで、木は人に優しい素材です。部屋には大きな窓から明るい光が差し込みます。階段の踏み板には多くの木材が使われています。また、階段の両側は竹林のように、たくさんの木の柱で覆われています。

◎ニューヨーク万国博覧会フィンランド館(1939年竣工)
 アメリカでは、1938年にMoMA(ニューヨーク近代美術館)でアアルトの個展が開催されました。1939年に竣工したニューヨーク万国博覧会フィンランド館は、外観はホワイトキューブ(注:白い立方体。MoMAが導入した様式で、展示空間の代名詞。白い立方体の箱に大きなガラス窓がついた建築であり、モダニズム建築の到達点)ですが、内部は、オーロラに見立てた12メートルの高さの曲線的な壁で構成されています。上部にはフィンランドの風景を撮影した大きなパネルが掲げられ、下の方にはフィンランドの製品が展示されました。また、会場最後の壁には「スオミ・コーリング=フィンランドが呼んでいる」という題名の映像作品が上映されました。アルヴァ・アアルト展ではフィンランド館の写真を展示します。

◎セイナッツァロの役場(1949年設計、1952年竣工)
 セイナッツァロの村役場からアアルトに依頼された都市計画のうち、村役場だけが実現しました。スクリーンに投影した写真のとおり、赤いレンガの外壁の建物が「シエナのカンポ広場」と呼ばれる広場を囲んでいます。アアルトの建築では「中庭」を大切にしていますね。次の写真ですが、大きな窓の下にあるのは暖房器具です。フィンランドの気候は厳しいので寒さへの配慮が欠かせません。今度の写真は屋根を支える構造です。写真の支柱はマルチ・ビーム・バタフライ・トラスと呼ばれます。水平に伸びた梁(はり)から屋根裏に向かって放射状に、扇の骨のように支柱が伸びて屋根の垂木(たるき)を支えています。

◎夏の家(1953年竣工)
 夏の家は実験住宅です。外側だけ白く塗った壁の奥に、中庭を囲むようにして赤いレンガの外壁の家が建っています。中庭に面したレンガの外壁と中庭の床のレンガは、素材がフィンランドの自然にどう耐えられるかを実験するため、異なった素材がパッチワークのように組み込まれています。夏の家の中庭からは湖が見えます。夏の家は、アアルトと二番目の妻・エリッサが共同して設計しました。

◎フィンランディアホール(1961年設計、1971年竣工、1975年会議室増築)
 フィンランディアホールはヘルシンキの中心部にある緑化公園に建設される一連の建物の一部で、用途はコンサートホールです。フィンランディアホールは「白の時代」の建物で、外壁は白い大理石で出来ており、ロビーには自由に入ることができます。

◆アアルトがデザインした家具について
◎スツール60(1933年)
現在は定番中の定番である「丸椅子」の元祖は今から85年前にアアルトがデザインした「スツール60」です。素材は白樺(バーチ材)です。椅子の脚は白樺の無垢材に切れ込みを入れ、その切れ込みに薄い木の板と接着剤を挟み、機械で熱と圧力を加えて曲げてから脚の表面を削って仕上げたもので、L-レッグといいます。(注:薄い板を挟んだ無垢材を90度に曲げるという技法は特許を取得しています)
スツール60で画期的なのは、注文者に完成品ではなく部品で送り、注文者が自分で組み立てて完成する「フラット・パック」という販売方法です。荷物がかさばらず、経費の節減にもなります。また、スツール60はスタッキング、つまり上へ上へと積み重ねることを可能にした最初の家具です。
フィンランドでは、どの家庭にもアアルトがデザインした家具が一つあると言われています。アアルトがデザインした家具の販売会社アルテックは、コム・デ・ギャルソン等ともコラボしています。
アルヴァ・アアルト展では、たくさんのスツールを展示します。

◎パイミオ・チェア(1932年)
 パイミオのサナトリウムで使っているパイオミ・チェアは、結核患者が楽に呼吸できる形状の肘掛け椅子です。椅子の座面と背もたれは一体になっており一枚の積層合板を成型したものです。背もたれには強度を高めるため、切れ目が入っています。また、椅子の脚は18枚の薄いブナ材の板で出来た成型合板です。パイミオ・チェアはフィンランド人の体格に合わせて作っているので日本人には大きいかもしれません。

◆2017年2月のフィンランド旅行について
 私(注:中村さん)は2017年2月にフィンランドを訪れ、アアルトの建築作品を見て来たので、その時の話をします。
〇アアルトのスタジオ
 アアルトのスタジオは天井が高く、大きな窓から光が差し込む開放的な空間が印象的でした。また、私が訪れた時のツアー客は日本人3人だけだったので、スタジオのガイドは日本語。ガイドさんは、フィンランドの大学で日本語を学んだとのことでした。
〇アアルト自邸
 アアルト自邸を訪れると、ピアノの上に最初の妻アイノ・アアルトの写真が飾られていました。アイノ・アアルトは仕事と家庭のどちらも大切にした人で、アルヴァ・アアルトとのコラボレーションで仕事をしました。アアルトは、エリッサと再婚した後もアイノの写真を飾っていたのです。
 テーブルの上には、花瓶のサヴォイ・ベースが置かれていました。サヴォイ・ベースはフィンランドの湖をイメージしており、「サヴォイ」というレストランのためにデザインしたものです。サヴォイ・ベースは今でも買うことができます。
〇アカデミア書店(1969年竣工)
 アカデミア書店は、アアルトが設計した書店で、彼がデザインした机と椅子が置かれていました。ドアノブもアアルトがデザインしたものでした。書店の片隅に「カフェ・アアルト」があります。このカフェにも、アアルトがデザインしたランプ「ゴールデン・ベル」が吊るされていました。ブルーベリーのタルトがおいしかったですね。

◆アアルトのデザインについて
 アアルトの建築作品は「細部まで配慮した全体」を完成させること、暮らしを心地よくすることをメインに設計されています。フィンランドの気候は厳しいので、建物のなかで快適に暮らすことが出来るよう配慮したデザイン、人の幸福を作り出すことのできるデザインです。

◆フィンランドについて
 フィンランドは、中部国際空港からフィンエア一本で行くことができます。「シャイで初対面の人にはもじもじする、サウナを愛する」というフィンランド人の気質は、日本人と共通性があります。フィンランドの首都ヘルシンキは、楽しく、過ごしやすく、心地よい街です。

◆名古屋市美術館のコレクションの楽しみ方について
 名古屋市美術館に来たら常設展も楽しんでください。美術作品は一度の出会いでも強い印象を受けます。一方、何度も出会うことが出来る作品は、その度に違って見えます。何度も見てください。お気に入りの作品を見つけてください。展示された順番通りでなく、気になる作品や好きな作品から見るという見方もあります。解説を読むことも大事ですが「先ず作品を見る。解説は補足的に」という見方もあります。
 ぜひ、名古屋市美術館にお越しください。

◆Q&A
Q1 フィンランドに旅行した時、フィンランド航空の旅客機のなかですてきなガラスコップが出されました。フィンランドの空港で売っていたので、すぐ買い求め、大事に使っていたのですが一つ割れてしまいました。同じコップ、どうしたら買えますか。
A1 アアルトがデザインしたガラス器はイッタラという会社で売っています。インターネットで注文することもできます。(注:Amazonを検索すると、花瓶のアアルト・ベース(サヴォイ・ベース)、アイノ・アアルトのタンブラーとハイボールがヒットしました)

Q2 アルヴァ・アアルト展に展示された椅子に座ることはできますか。
A2 展示室に展示した作品には座れません。そのかわり、アアルトがデザインした椅子に座ることが出来るスペースを考えたいと思っています。(注:2017年4月7日から5月28日まで愛知県美術館で開催された「フィンランド・デザイン展」では展示室を出たところに、アアルトがデザインしたスツール60の外、エーロ・アールニオがデザインした動物型の椅子やボールチェアが置かれ、自由に座ることが出来ました。やはり、家具は座れるほうが良いですね)

◆追記(フィンランドの歴史)
 上記のフィンランド・デザイン展で「フィンランドの歴史」が掲示されていました。以下は、その抜き書きです。フィンランド領だったヴィープリがロシア領のヴィボルグになったのは「第2次世界大戦で連合軍に敗北したためである」ということが分かります。
1159~1809 スウェーデン支配下
1809~1917 ロシア支配下
1809 第2次ロシア・スウェーデン戦争でロシアが勝利。フィンランド州がロシアに併合されフィンランド公国となる
1914 第1次世界大戦勃発(~1918)
1917 ロシア革命勃発。ロシア帝国崩壊
1917~  独立
1917 12月6日フィンランド独立
1919 フィンランド共和国 公用語 フィンランド語、スウェーデン語
1939 第2次世界大戦勃発。ソ連侵攻
(注:1940年3月12日にモスクワ講和条約。カレリア地方をソ連に割譲)
1941 イギリスがフィンランドに宣戦布告
(注:1941年ドイツがフィンランド領内からソ連に攻撃開始。ソ連がフィンランド領内のドイツ軍に対し空爆を行ったため、フィンラドは止む無くソ連に対し宣戦布告した)
1944 1940年の国境線の回復や巨額の賠償金支払いを条件に連合軍との休戦協定調印
1945 トーベ・ヤンセンがムーミンシリーズ第1作「小さなトロールと大きな洪水」刊行
フィンランドは大国ロシアと国境を接しているため、第2次世界大戦では中立を望んでいてもソ連と過酷な戦争をせざるを得なかったのですね。

◆最後に
 昨年の「フィンランド・デザイン展」でアアルトがデザインした家具を見ました。しかし、建築家アルヴァ・アアルトの偉大さについては今回の公開講座で初めて知り、朧気ながらもアアルトが友人に恵まれ、名声を得て、経済的にも豊かだったことが分かりました。しかし、初めて聞くことばかりで上手くメモが取れなかったため、拙い要約になってしまいました。すみません。
Ron.
参考文献 「北欧フィンランド 巨匠たちのデザイン」2015年 株式会社 パイ インターナショナル

展覧会見てある記「名古屋市美術館 名品コレクション展Ⅱ」など

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋美術館の地下1階常設展示室1・2では「名品コレクション展Ⅱ」が、常設展示室3では「名古屋市庁舎竣工85年 建築意匠と時代精神」が開催されています。最終日は11月25日(日)。概要は以下のとおりです。

◆名品コレクション展Ⅱ 
◎エコール・ド・パリ
目玉は、新収蔵品・藤田嗣治《ベルギーの婦人》1934年制作 です。常設展のパンフレットによれば「1933年11月に日本に帰国した藤田。(略)《ベルギーの婦人》は、この時期の藤田が懇意にしていた、在日ベルギー大使館関係者の妻の肖像と思われる。(略)背後に散りばめられた霊芝、珊瑚、巻子などの吉祥文様との組み合わせが面白い。恐らくモデルの婦人を寿ぐ意味が込められているのだろう」とのことです。また、開館30周年を記念して団体・個人からの寄付金をもとに「夢・プレミアムアートコレクション」として購入した作品です。
看板娘のモディリアーニ《おさげ髪の少女》が「ザ ベスト コレクション」に出張しているため「淋しくなったのではないか」と危ぶんだ「エコール・ド・パリ」のコーナーですが《ベルギーの婦人》の初お目見えに加え、マリー・ローランサン《アポリネールの娘》を始めとする女性像が勢ぞろいしているので華やかな一角となっています。
また、《ベルギーの婦人》の隣には、同じく藤田嗣治《家族の肖像》と寄託作品《那覇》が展示され「藤田コーナー」ができていました。

◎現代の美術
「ザ ベスト コレクション」の「現代の美術」では河原温の「Todayシリーズ」ではなく、あえて「変形キャンバス」の《カム・オン・マイハイス》と《私生児の誕生》を展示していましたが、「名品コレクション展Ⅱ」では「Todayシリーズ」を1966年から1980年まで、毎年1作品ずつ15作品をずらりと並べており、壮観です。
寄託作品のサイモン・パターソン《大熊座》は、一見すると地下鉄路線図ですが、路線が「哲学者」あり、「イタリアの芸術家」あり。駅名も「プラトン」や「レオナルド」があり、英語を訳しながら路線をたどると面白い作品です。難を言えば「急いでいる人にはお勧めできない」ことですね。

◎メキシコ・ルネサンス
 渋い作品ですが、ティナ・モドッティの写真が6点展示されています。
「ザ ベスト コレクション」展示のティナ・モドッティの写真2点とマニュエル・アルバレス・ブラボの写真3点と合わせて鑑賞すると良いのではないでしょうか。

◎現代の美術
浅野弥衛の油絵と銅版画、杉本健吉の《名古屋城再建基金ポスター原画》と《新・水滸傳挿絵原画》の特集です。壁のほとんどが浅野弥衛の作品で埋まるというのは壮観です。
「ザ ベスト コレクション」で様々な作品を展示しているので、常設展では逆に、思い切ったことが出来るということでしょうか。

◆名古屋市庁舎竣工85年 建築意匠と時代精神
 名古屋市役所本庁舎は洋風建築の上に中華風の塔を配した「帝冠様式」の建築ですが、常設展のパンフレットによれば「帝冠様式」にも「塔を配したもの」「城郭を配したもの」の二つの様式があったようです。
先ず「塔を配したもの」として〇名古屋市庁舎(現:名古屋市役所本庁舎)、〇神奈川県庁本庁舎、〇東京市庁舎(実施されず)の外観図などが展示されています。
 また「城郭を配したもの」として〇大禮記念京都美術館(現:京都市美術館)、〇軍人会館(現:九段会館)、〇東京帝室博物館(現:東京国立博物館本館)の外観図などが展示されています。今回の展示にはありませんが、愛知県庁本庁舎や昨年度の「異郷のモダニズム展」で紹介された関東軍司令部庁舎(現:中国共産党吉林省委員会本館)は「城郭を配したもの」に分類されるのでしょうね。
解説が常設展のパンフレットしかないのは残念ですが、面白い展示です。
 
◆最後に
今期の常設展「名品コレクション展Ⅱ」は、同時開催の企画展「ザ ベスト コレクション」とのコラボ企画。常設展・企画展の二つを合わせて鑑賞するのがベストだということが分かりました。
Ron.

2018ArtLabTokyoここにもアートラボ 石切り場 前室にて 音のアーキテクチャ トンネルでピクニック 佐川美術館 ギャラリートークの様子 展示会場で話をきく会員たち 泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの 夢見たものは 展示室で解説を受ける会員たち