「久門剛史 らせんの練習」展を見て

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久門剛史展(豊田市美術館 6月21日まで)を見てきました。

新型肺炎の影響で、各地の美術館が臨時休館になり、展覧会自体も延期や中止になるなど、出かける機会が減っていたので、久しぶりのレポートです。

 今展は、作家にとって国内初の大規模個展になります。出身は京都、大学では彫刻を専攻しています。「久門剛史?」と、思った方は、あいちトリエンナーレ2016の豊橋会場の展示を思い出してください。大小のフレームに半透明の布を吊り下げた間仕切りと、スポットライトなどで構成された不思議な空間(インスタレーション)を体験したはずです。

 豊田市美術館の展示室には、空間が広い、天井が高い、自然光により明るさが変化するという特性があります。今回の展示作品は、それらの特性をうまく取り込んだ構成になっています。また、「カン、カン、カン」と遮断機の音を再生するサウンド作品では、スピーカーが観客を遮るように、通路の真ん中に設置されていて、まるで本物の踏切のようでした。

前回の「岡崎乾二郎 視覚のカイソウ」展では、とても長い作品名に驚きましたが、今回の作品名はシンプルかつ、直感的になっています。その他に、作品リストの中で「?」と思ったのが、素材の「サウンド」です。コンサートのリーフレットでは、作曲者、曲名、楽器の構成、演奏時間などの記載はありますが、「音」の記載を見かけないように思います。

 今回は、美術館に隣接する茶室「童子苑」にも作品があります。鑑賞できる期間と時間帯が展覧会と異なるので、見落とさないようにご注意ください。

杉山 博之

展覧会見てある記 「ストラスブール美術館展」

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今回の展覧会の名前は「豊橋市美術博物館開館40周年記念 ストラスブール美術館展 印象派からモダンアートへの眺望」(以下「本展」)という長いものです。フランス語表記 の展覧会名 “De I’impressionnisme à l’art moderne dans les collections des musées de Strasbourg” のとおり、本展には印象派からモダンアートまで、ストラスブール美術館の収蔵品から92点が出品されています。

◆第1室(第一企画展示室)

本展は四つの展示室に分かれており、観覧券売り場に一番近いのが第1室(第一企画展示室)で「1章 印象派とポスト印象派」のうち「印象派以前の風景画」「印象派の風景画」の作品を展示しています。なかでも重要な作品は台座付きで展示。この部屋ではカミーユ・ピサロ《小さな工場》、アルフレッド・シスレー《家のある風景》、クロード・モネ《ひなげしの咲く麦畑》の3点が「台座付き」でした。ただ、中日新聞・地方版の「ミュージアムだより」で学芸員が紹介していたのはカミーユ・コロー《オルレアン、窓から眺めたサント=パテルヌの鐘楼》です。レンガの茶色を基調にした風景画で、右下に猫がいました。この外、シャルル=フランソワ・ドービニー《風景》も良いと思いましたが、「ストラスブール美術館展」ですからストラスブールの画家を外してはいけませんね。馴染みのない画家でしたが、ロタール・フォン・ゼーバッハ《ラ・ドゥアンヌからストラスブールへの道、雨の効果》には、題名の通り雨の感じがよく出ていました。同じ画家の《冬の森》は枯葉の赤と白い空の対比が美しく、垂直の木々がアクセントになっています。説明板には「アルザスの印象派」と書いてありました。また、浮世絵を思わせる作品もあります。アンリ・リヴィエールのリトグラフで、《夜の海(「自然の諸相」連作より》、《オーステルリッツ河岸「パリ風景」連作より》の2点です。説明板には「浮世絵のコレクターでもあり『エッフェル塔三十六景』の連作を制作」と書いてありました。

◆第2室(第二企画展示室)

第2室(第二企画展示室)には「1章」のうち「筆触(タッチ)」の作品と「2章 近代絵画におけるモデルのかかわり」の一部を展示しています。台座付きの作品は、ポール・ゴーギャン《ドラクロワのエスキースのある静物》、ポール・シニャック《アンティーヴ、夕暮れ》、ピエール・ボナール《テーブルの上の果物》、ラウル・デュフィ《3つの積み藁のある風景》の4点でした。ウジェーヌ・カリエールの作品が4点も展示されているほか、モーリス・ドニ《内なる光》とシャルル・カモワン《タピスリー刺繍を制作するマティス夫人》にも目が止まりました。カリエールについては説明板に「幼少期をストラスブールで過ごした」と書いてあります。

◆第3室(特別展示室)

第3室(特別展示室)は第2室の、通路を挟んだ反対側にあります。入口でロートレック《ディヴァン・ジャポネのポスター》がお出迎え。マリー・ローランサン《マリー・ドルモアの肖像》も入口近くに展示されていました。この部屋では「2章」の続きと「3章 アヴァン=ギャルド」のうち「キュビスム」の3点を展示しています。台座付きの作品ありません。その理由は「ガラスケース内に展示されている作品が多い」ためでしょうか。ストラスブールの画家を探したところ、リュック・ヒューベリック《後ろを向いてたたずむ女性、開いた窓の前》、ポール・ウェルシュ《赤いベストの女性》、ロベール・エイツ《自画像》がありました。

◆第4室(第三企画展示室)

最後の第4室(第三企画展示室)には「3章 アヴァン=ギャルド」のうち「キュビスム」の残りと「抽象絵画」「シュルレアリスム」の作品を展示しています。台座付きの作品は、モーリス・ド・ヴラマンク《都市の風景》、ヴァシリー・カンディンスキー《冷たい隔たり》、ヴィクトール・ブラウナー《求婚者》の3点です。ヴィクトール・ブラウナーの作品は、他にも6点出品されています。説明板には「ストラスブール美術館では35点以上の作品を所蔵している」と書いてありました。ストラスブールの画家といえばジャン・アルプ。本展の出品は《オーベットのフレスコ画に基づくシルクスクリーン》の1点のみですが説明板には「ドイツ人の父とアルザス人の母(略)ストラスブール美術館には約60点の作品が所蔵されている」と書いてありました。

◆最後に

調べてみると、ストラスブールはフランス北東部アルザス地方の中心都市で、欧州議会の本部が置かれています。アルザス地方は昔からドイツとフランスが争奪戦を繰り広げた地域であり、17世紀にフランス王国の支配下になったものの1871年の普仏戦争後にプロイセンの一部となり第一次大戦後の1919年にフランスが奪還しています。公用語はフランス語ですがアルザス語(ドイツ語の方言)も使われるバイリンガルの地域です。

本展の会期は3月29日(日)まで。開館時間は午前9時~午後5時(入場は午後4時30分まで)です。

Ron.

「没後90年記念 岸田劉生展」ギャラリートーク

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名古屋市美術館で「没後90年記念 岸田劉生展」(以下「本展」)が開催されています。先日、名古屋市美術館協力会主催のギャラリートークに参加しました。担当は井口智子学芸課長(以下「井口さん」)。参加者は93人。2階講堂で簡単な説明を受けた後、展示室に移動してギャラリートークが始まりました。

◆2階講堂でのトーク

集まった参加者の前に井口さんが登場すると、着ていたのは協力会の会員さんからプレゼントされた手編みのケープ。麗子像の肩掛けに似た配色の素敵な品でした。「参加者が多いので、どこにいるか良く分かるように着てきました。近いうちに名古屋市美術館でも毛糸の肩掛けとおかっぱ頭のかつらを用意して、『成りきり麗子』が撮影できるコーナーを設けます」というお知らせもありました。

麗子ちゃん風ケープを羽織った井口学芸課長

また、井口さんが資料を入れていたのは、しりあがり寿が描いた「麗子ちゃんトートバッグ」。「主催者の御厚意でギャラリートーク終了までグッズ売り場が開いています。売り場では2種類の図録を販売しています。一つは《麗子微笑》を表紙にした図録。もう一つは《道路と土手と塀(切通之坂道)》を表紙にした東京会場・山口会場で販売していた図録です。違うのは表紙だけで中身は同じ。図録に収録された『岸田劉生活動記録(山田諭編)』は、数多くの資料を読み込んで編集した、価値の高いものです」というコメントがありました。(注:「岸田劉生活動記録」は劉生に密着取材して書いたような中身が濃いものでした。井口さんの「岸田劉生と名古屋 ― 劉生の《舞妓図》と杉本健吉」も図録に載っています。図録は税込2,500円。この外、毛糸の肩掛けは税込13,200円、トートバッグは税込1,100円です)

岸田劉生(以下「劉生」)については「17歳で絵を学び始めて、38歳で死亡。20年を駆け抜けた天才画家」と、紹介があり「本展は、山田諭・京都市美術館学芸課長が名古屋市美術館に勤務していた頃から企画していた展覧会である」ことも紹介されました。

◆第一章 「第二の誕生」まで 1907-1913

劉生について井口さんは「1891年に東京銀座で生まれ、1900年代には独学で水彩画を描き始める。1907年制作の水彩画を見ると、才能があったことが分かる。転機は1911年。彼は、当時発行された雑誌「白樺」が紹介したゴッホやマチスの作品に影響を受けた。作品を真似るだけでなく、興味を持った要素を取り入れて自分のものとして積み上げていった。物を見る目の鋭さが、彼の能力」と解説。この外、作品番号(以下「No」)14《自画像》については「自分を主観的に見た、ゴッホやマチス風の作品」、No17《築地居留地風景》・No18《築地居留地風景》については「表現主義的な画風」と、コメントがありました。

作品の数が多いので、水彩画、外光派の油絵、当時流行のポスト印象派風の作品と、岸田劉生の作風が目まぐるしく変化していく様子がよく分かりました。

◆第二章 「近代的傾向…離れ」から「クラシックの感化」まで 1913-1915

井口さんは「劉生は流行を追うのではなく、古典に逆行。友人の顔や自画像を数多く描いた。彼の描写は、だんだん細かくなっていくとともに写実的になっていく」と、解説。この外、No21《B.L.の肖像(バーナードリーチ像)》・No24《裸婦》を紹介。No40《黒き帽子の自画像》(注:1階エントランスの画像の右側の作品)については「帽子はお気に入りのもの。パレットを手にしており、画家としての自分を描いている。自分の道を見つけていった」と、コメントがあり、「美しさを見いだす能力が高かった」と劉生を評した、武者小路実篤の言葉も紹介。

また、第二章の最後のほうに展示されているNo52《高須光治君之肖像》については「デューラーやファン・エイクの影響を受けて、初期のものと比べると写実的になり、肌の状態を生々しく描いている」と、コメントがありました。

第二章には「これでもか」というほど、数多くの自画像が並んでいます。壮観というだけでなく、作風が変わっていく様子がよく分かります。次から次に自画像を見ていると、劉生の熱気が伝わってくるようでした。

◆第三章 「写実の神秘」を超えて 1915-1918

第三章の前半は主に風景画、後半は主に静物画です。風景画については「劉生が代々木に引っ越した頃は開発が進んでいる時代。彼は外に出て、自然に人間が手を入れている風景を写生。No56《代々木付近(代々木付近の赤土風景)》を見ると、重要文化財の《道路と土手と塀(切通之坂道)》に描かれた二本の黒い影が電柱だったのが分かる。No61《冬枯れの道路(原宿付近写生)》は名古屋展のみの出品。こってり描いているところと、ざっと描いているところを描き分けている」と、コメントがありました。

No65《古屋君の肖像(草持てる男の肖像)》については「着物の形、肌の様子など、写実性の高い作品」と、コメントがあり、静物画のNo69《林檎三個》については麗子が「父 劉生」のなかで「この絵は病と斗う父が、自分の一家三人を林檎に託して描いたときいている」と書いていることと「茶色の机は劉生のお気に入りだった」ことが紹介されました。更に、No70《初夏の小路》については「二科展で最高賞の二科賞を受賞し、賞金100円を受け取った」こと、No75《川幡正光氏之像》については「デューラーの絵を基にしているが、アルファベットの代わりに右に漢字を書いている」こと、No78《静物(手を描き入れし静物》は「二科展で落選。手が描かれており、悪趣味といわれた。現在、手は塗りつぶされている。塗りつぶしたのは劉生ではないが、塗りつぶした人物が誰かは分かっていない」こと、などが紹介されました。

第三章には、井口さんが紹介した以外にも数多くの静物画を展示しています。No73《静物(赤き林檎二個とビンと茶碗と湯呑)》やNo77《静物(白き花瓶と台皿と林檎四個)》などの作品を指して、ある会員が「ジョルジョ・モランディの静物画みたい」と感想を呟きました。モランディの作品は2011年に名古屋ボストン美術館で開催された「恋する静物」展で見ただけですが、「確かに、そんな感じがする」と、私も思います。

◆第四章 「東洋の美」への目覚め 1919-1921

第四章には、数多くの麗子像が展示されています。井口さんは「劉生は、麗子を通じて自分の描きたいものを追求した。それは、劉生と麗子の共同作業。彼は麗子だけでなく、近所に住むお松さんもモデルにした。お松さんは麗子より年上で、利発な田舎娘。麗子像の肩掛けは、元はお松さんのもの。劉生は、ほころびのある肩掛けを気に入って、麗子のために用意した肩掛けと取り換えた。お松さんも喜んでいた」と、コメント。この外、No90《麗子座像》(注:1階エントランスの画像の左側の作品)については「この時期から、劉生は水彩画を描くようになる。油絵はじっくり描くが、水彩画は素早く描くことが出来る」と、No111《麗子微笑》(注:名古屋展の図録の表紙)については「肩掛けの質感にリアリティーがある。程よい感じで微笑んでいる。どこか現実、どこか非現実。超現実の世界」と、No108《麗子洋装之図(青菓持テル)》については「水彩画で、バーナード・リーチとお別れするときに着ていた洋服を描いている」と、コメントがありました。《麗子微笑》については、更に「おかっぱ頭、着物、肩掛けなど現実にあるものを、現実を超えた美しさで描いている。敢えて、顔を横長にしたり、手を小さくしたり、アンバランスにして描いている」と、解説がありました。

1階展示室の出口付近のケース内に5歳の頃の麗子の写真が展示されていました。麗子像よりもかわいい顔をしています。そういえば、2019年9月29日(日)にNHK/Eテレで放映された日曜美術館「異端児駆け抜ける! 岸田劉生」では、《麗子微笑》について「丸い顔に鼻筋が通っているのは、仏像を思わせる。仏像のような微笑みは際どい。俗っぽくなるかどうかの瀬戸際」という画家の証言や「西洋の油絵に東洋の美を盛り込んだもの。異端児がたどり着いた極み」という学芸員の解説がありました。

◆第五章 「卑近美」と「写実の欠如」を巡って 1922-1926

井口さんは「1923年9月1日の関東大震災で、劉生の自宅が半壊。9月13日に名古屋の片野元彦が劉生を訪ねてきて、名古屋に移住することになる。劉生が名古屋に住んだのは半月ほど。その後、京都に引っ越したが、名古屋は劉生にゆかりがある土地」と話し、No113《二人麗子図》について「名古屋展のみの出品で、二人とも麗子という不思議な世界」と、No116《麗子微笑》・No117《麗子》については「グロテスク」と、No125《童女舞姿》については「名古屋展のみの出品」と、No135《少年肖像(村上巌氏十七歳)》については「能面のようで、日本画のようにのっぺりとした作品」と、コメントがありました。

第五章には、数多くの日本画を展示しています。井口さんから「劉生の日本画がこれほど集まる展覧会はない。No138《瓜之絵》は、日本画の冬瓜。京都時代の劉生は、あまり評価されていないが、力を蓄えていた時代」と、解説がありました。

第五章の日本画は、それまでの劉生と違い、肩の力が抜けたというか、ヘタウマというか、作風が大きく変わったことが分かります。

◆第六章 「新しい余の道」へ 1926-1929

井口さんから「孤立していた劉生のために、武者小路実篤が1927年に第1回大調和展を企画。劉生は《舞妓図》を出品(注:図録に、《舞妓図》について書いた井口さんの文章が載っています)。1929年には、南満州鉄道株式会社から招聘があり、再起をかけて満州に渡りますが、いい結果が出ず、帰国後、徳山で急逝します。No152《塘芽庵主人閑居之図》には、丸々と太った自分を描きこんでいます。太ったことも病気の原因かもしれません。彼は、癇癪もちでしたが、人間的な人でした。情の熱い人で、キリスト教を捨てたとしているが、人を超えた何かを信ずる人でした」という話があり、ギャラリートークは終わりました。

No160《満鉄総裁邸の庭》など、満州で制作した明るい色彩の作品を見ていると、徳山で急逝しなければ数多くの新たな作品が生まれていたように思え、残念でなりません。

◆最後に

本展を見終わって、監修した山田諭・京都市美術館学芸課長の意気込みを強く感じました。まさに「緻密な研究に裏付けられたすぐれた展示」という展覧会評(日経新聞2019.12.10文化欄)のとおりだと思います。見逃せない展覧会です。図録もお忘れなく。

Ron

2019年末のパリ旅行

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年末ルイ・ヴィトン財団の美術館を訪れるため駆け足で年末パリに行ってきました。

12月初めからフランスでは地下鉄のストライキでほとんどの地下鉄が運休しているため、パリ国立劇場主催のオペラやバレエが中止となりましたがなんとか観光も含めて旅を楽しんできました。

12月26日(木)早朝6時にシャルルドゴール空港到着。空港バスでPorte Maillotへ行く。そこからタクシーでSaint-Quenまで行き再度バスでCarrefour Pleyelまで行きホテル到着。少し休憩してからバスティーユへ向かう。途中から地下鉄が運休しているのでオペラを見るのをあきらめてホテルに引き返す。

12月27日(金)

再び地下鉄を使わずバスを乗り継いでバスティーユへ。ヨーロッパ写真美術館へ行く。

ヨーロッパ写真美術館

ベルリン生まれのドイツ人女性のUrsula Schulz-Dornburgのアゼルバイジャンの国境付近バス停での人の寂寞とした人間の心象風景を切り取ったかのような写真や国境付近の荒涼とした風景写真を見る。そしてイタリア人Tommaso Prottiのアマゾンのマラニョン州の空撮やそこに住む人たちの生活を取材し日常に入り込んで撮った写真を見る。どちらもモノクロ写真、白い壁によく映える。鑑賞後近くの店で昼食をとりヴィクトール・ユーゴー記念館、カルナヴァレ美術館へ行く。両方とでも2020年にリニューアルオープンのため閉館。ヴォージュ広場からパリ市庁舎へ。裏門で見学できるか尋ねたらできないとのこと。近くを散策してデパートへ。その後マレイプロテスタント教会、バロック様式で有名なサンポールルイ教会を訪問。6時ごろオペラハウスへ。劇場入り口に本日の公演バレエ「ライモンダ」ストライキのため中止の張り紙。あわててバス停へ。超満員のバスを乗り継いでホテルへ戻る。バス料金が満員のため払えず。

Tommaso Protti
Ursula Schulz-Dornburg

12月28日(土)

バスでシャンゼリゼへ。高級ブティック街を散策。グッチ、ヴィトンは入場制限のため店の外に行列ができている。デイオールは銀色の建物。よく目立つ。3時からシャンゼリゼ劇場でキーロフバレエ「白鳥の湖」をみる。出演者のステップの音がよく聞こえる前の席。ダンサーの息遣いも聞こえバレエが激しい運動であることを実感。チャイコフスキーの音楽は優雅でエレガント本当に素敵だ。

12月29日(日)

フォンダション・ルイ・ヴィトン
自由の炎

ブローニュの森近くのフォンダシオン・ルイ・ヴィトンをバスで乗り継いで訪問。10時開館一番乗り。アメリカ人の建築家のフランク・ゲーリーの作の建物。とにかく斬新でユニーク。ルーブル美術館もそうだけどフランス人というのはこのような近未来的な建物を好むのかもしれない。展覧会はフランスの女性建築家シャルロット・ペリアンの作品を紹介。レジエ、ピカソ、。イサムノグチの作品も展示されている。それから彼女がユネスコホールに作った茶室やフランスのサヴォア県アークのリゾート地建設の建物をジオラマとヴィデオで展示、説明するなど時間を忘れるほどのおもしろさ。一人の女性のライフワークを館内いっぱいに見事に表現、すばらしいの一言。彼女、コルビュジェとも親交があり。館外の緩やかな川が流れている場所に設置された山小屋風住居はコルビュジェの作品と見まがうほど似ている。12時ごろにヴィトンからパリ市立近代美術館に向かう。デュフィの「電気の妖精」で有名な美術館。途中バスを下ろされる。そのバスの運転手が報道機関の人にインタビューされていた。50分待ちなのでパリ市立美術館まで凱旋門を通り1時間ほど歩く。パリ市立近代美術館ではラファイエット財団が所有する現代美術品の展示とアンス・アルテュングの抽象絵画の二つの展示会。見終わった後に若い女性にインタビューされる。見た感想や展示方法の仕方、照明のよしあし等を質問される。昨年の3月にもボストンの公園を歩いていたらアンケート調査されたが暇な人にみられるのかなあ。その後歩いてアルマ橋にある「自由の炎」の彫刻を見学してからホテルへ帰る。次の日パリを出発し12月31日は上海の人民広場近くのホテルに一泊してから日本に帰る。

パリ市立近代美術館

今回パリの市内バスの運転手が町の人たちのよき相談相手のような場面に何度も出くわした。パリの運転手さんはほんとに親切だった。これも地下鉄のストライキのおかげで解ったこと。今回カルチェ財団の美術館を訪れる予定だったがとにかくバスが途中で運休になるなど行きは確保できるが午後運休になる場合もあり交通状況がよめないのであきらめた。次回訪れることにしよう。

会員 谷口信一