ボギー的美術鑑賞法 その13

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5月19日(日)に恒例の「春のツアー」が行われます。近年は名古屋より西に行くことが多かったので、静岡にいくのは新鮮な感じです。4月28日(日)に下見がてら3館に行ってきたので、ネタバレにならない程度に感想を述べたいと思います。

浜松市美術館「没後70年 上村松園展」

 最初に行くのは浜松市美術館で「没後70年 上村松園展」です。前後期通じて約100点。8章構成で、明治、大正、昭和と時系列に展示されています。
ちなみに前期が4月27日(土)~5月19日(日)、後期が5月21日(火)~6月9日(日)で、私たちが行くのは前期の最終日です。名古屋市美術館でも以前に「上村松園展」がありましたので、その時の絵を探すのも一興でしょう。ちなみに「序の舞」は出ていませんが、大下絵は全期間展示です。

2番目に行く静岡近代美術館は個人コレクターの美術館です。閑静な住宅地にある隠れ家的な美術館。団体で行っていいのかな(苦笑)。ここは靴を脱いでスリッパに履き替えて見学します。季節的にブーツを履いている人は少ないと思いますが、脱いだ靴はビニール袋に入れて別の場所に置くので、脱ぎやすい靴の方が良いかもしれません。でも私は革靴にするかもしれません(笑)。

3番目に行くのは静岡市美術館の「小倉遊亀と院展の画家たち」。今回のツアーで間違いなく一番時間を使う場所でしょう。総数は149点ですが、前期と後期で総入れ替え状態です。4月29日(月)までが前期なので、私は慌てていきました。個人的には、速水御舟の〈洛北修学院村〉大正7年(1918)が印象に残っています。

季節は暖かいどころか、暑くなる気配ですが、せめて 当日は晴れて欲しいものです。 今から待ち遠しいです 。

自称 名古屋市美術館協力会切込隊長 ボギー鈴木

「北大路魯山人展」

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碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「没後60年 北大路魯山人 古典復興 現代陶芸をひらく」(以下「本展」)に行ってきました。平日の昼近くでしたが美術館の駐車場は、ほぼ満車。美術館の職員さんが誘導してくれたので、何とか駐車できました。

北大路魯山人(以下「魯山人」)だけでなく、中国・朝鮮の陶磁器、尾形乾山、長次郎、石黒宗麿、荒川豊蔵、金重陶陽(かなしげとうよう)、加藤土師萌(はじめ)(以上4名は人間国宝)、加藤唐九郎、川喜田半泥子(はんでいし)の外、現代美術のイサム・ノグチ、八木一夫の作品も展示されています。出品点数も多いので、展示室では「やきもの好き」のオーラを放ちながら熱心に見て回る高齢男性の姿が目立ちました。

◆展覧会の構成 本展は7章で構成。入口は2階でⅠ.中国陶磁、Ⅱ.朝鮮陶磁と唐津・萩、Ⅲ.織部・志野・黄瀬戸など、Ⅳ.色絵・染付などの日本陶磁、Ⅴ.書・漆・画、と続き、Ⅵ.信楽・萩・備前は1階・第3展示室と多目的室に、Ⅶ.現代陶磁は多目的室に展示していました。

◆Ⅰ.はじまりの中国陶磁ー色絵・染付・青磁(注:作品名の前の数字は作品番号) 中国陶磁と魯山人などの作品が比較できるよう工夫した展示なので、楽しく鑑賞できました。書から出発した魯山人らしく6《染付吹墨貴字向付》、16《染付福字皿》、26《染付詩文大花入》など文字を書いた作品は手慣れた感じです。また、白地に黒い魚を描いた石黒宗麿の21《白瓷黒絵双魚文盆》はオシャレな器で、目を惹きました。

◆Ⅱ.朝鮮半島のやきものへー朝鮮陶磁、そして唐津・萩 最初に三島手(朝鮮半島から伝わった技法。半乾きの素地に印を押して、へこんだ部分に化粧土を入れて模様を出す。身近では万古焼の土鍋などに使用)や刷毛目(化粧土を刷毛で塗る技法)の茶碗が並んでいました。唐津焼や萩焼も含めて、中国の華やかな色絵や染付とは違う「侘び、寂び」のやきものが勢ぞろいしています。

◆Ⅲ.桃山陶へのあこがれー織部・志野・黄瀬戸など 荒川豊蔵の120《志野筍絵茶碗「随縁」》だけが第1展示室でスポットライトを浴びており、他は全て第2展示室。第2展示室の入口には、荒川豊蔵が美濃で魯山人とともに古志野筍絵の陶片を発見した時の話を描いた資料《古窯発見端緒之図》が貼ってあります。また図録には、《志野筍絵茶碗「随縁」》について「この時に発見した陶片と徳川美術館所蔵の《志野筍絵茶碗》を範として制作した」という解説がありました。

第2展示室でスポットライトを浴びていたのは、魯山人の96《織部秋草文俎(まないた)鉢》と105《織部間道俎鉢》です。いずれも名古屋・八勝館所蔵で《織部間道俎鉢》は本展のチラシを飾っています。いずれも大振りで「こんな器に料理が盛られて出て来たら、インスタ映えするだろうな」と思いました。

この外に見ものだったのは、長次郎の黒楽茶碗と瀬戸黒の茶碗、魯山人・荒川豊蔵・川喜田半泥子の黒い茶碗が並んでいるコーナーと志野茶碗が並んでいるコーナーの二つです。なかでも黒茶碗は、どれもよく似ているのに、それぞれが微妙に違っているので見飽きません。茶道具のことはよくわかりませんが、確かに長次郎の126《黒楽茶碗》は一味違うと感じました。先入観に引っ張られていることは否めませんが……。

◆Ⅴ.書・漆・画 展示スペースの関係でしょうか、Ⅲの次はⅤでした。魯山人の書156《天上天下唯我独尊》の「天上」には良寛の書のような雰囲気があります。また、「我独」は元の漢字をどのように崩しているのか分かりませんでした。漆の器は豪華でしたね。

◆Ⅳ.名工との対話ー日本陶磁、色絵・染付など 2階の最後は尾形乾山と魯山人の作品です。尾形乾山は色絵も良かったですが、154《染付阿蘭陀写草花文角向付》の藍色が印象的でした。魯山人は、大振りの雲錦(うんきん)鉢が数点出品されており、華やかでした。 この外、川喜田半泥子の144《茶杓 銘「乾山」》もありました。

◆Ⅵ.枯淡の造形・土にかえるー信楽・伊賀・備前 ◎第3展示室 1階の第3展示室は、主に信楽と伊賀。展示室の入口近くには、大きく歪んだ魯山人の170《倣古伊賀水指》があります。伊賀焼の水指といえば、川喜田半泥子《伊賀水指 銘「慾袋」》が有名ですが、残念ながら千葉会場のみの出品でした。荒川豊蔵の106《黄瀬戸破竹花入》は「黄瀬戸」と言いながら、第3展示室にあります。下の方まで亀裂が入っているので、実用には「難あり」の花入れでした。魯山人の173《竹形花入》は、竹の花入れの「そっくりさん」でした。古信楽や加藤唐九郎の作品もあります。

◎多目的室 多目的室は備前。ただし、魯山人の182《伊部(いんべ)大平鉢》だけは第3展示室にあります。魯山人の外には、川喜田半泥子と金重陶窯の作品が出品されています。備前焼は「土の存在感」が前面に出ているやきものです。備前焼が展示されている一角は、他の展示室とは全く違う雰囲気の空間でした。

◆Ⅶ.現代陶芸をひらく イサム・ノグチと八木一夫の作品に加えて、サム・フランシスの墨絵202《魯山人の顔》が並んでいます。《魯山人の顔》は色紙に即興で描いたもののようですが、思わずクスッと笑ってしまいました。イサム・ノグチの作品は「陶磁器」ではなく、現代彫刻ですね。八木一夫のコーナーには現代美術だけではなく、古典に倣った201《花刷毛目茶盌》などの作品もありました。

◆最後に  美術館の帰りに碧南駅前の大正館で「展覧会の解説を読むと、魯山人は周りを振り回す大変な人。それなのに何故、お金持ちのパトロンが彼を援助してくれたんだろう」と話していたところに、旬彩弁当が出てきました。蓋を開けると、そこには織部の角鉢。「織部の器は料理を引き立てる」ことを確認しつつ味わいました。 なお、本展の会期ですが、前期は5月19日(日)まで、後期は5月21日(火)から6月9日(日)までです。          Ron.

展覧会見てある記 「印象派からその先へ」

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名古屋市美術館(以下「市美」)で「印象派からその先へ ― 世界に誇る吉野石膏コレクション」(以下「本展」)が開幕しました。展覧会のチラシには、こんなことが書いてあります。

(略)石膏建材メーカーとして知られる吉野石膏株式会社は、1970年代から本格的に絵画の収集を開始し、2008年には吉野石膏美術振興財団を設立。(略)そうして形成された西洋近代美術のコレクションは、質量ともに日本における歴代のコレクションに勝るとも劣らぬ内容を誇っています。現在、その多くは創業の地、山形県の山形美術館に寄託され、市民に親しまれています。本展ではバルビゾン派から印象派を経て、その先のフォーヴィスムやキュビズム、さらにエコール・ド・パリまで、大きく揺れ動く近代美術の歴史を72点の作品によってご紹介します。とりわけピサロ、モネ、シャガールの三人は、各作家の様式の変遷を把握できるほどに充実しており、見応え十分です。(略)中部地方では初めて。知られざる珠玉の名品を、どうぞこの機会にご堪能ください。

 「でも、大したことないんじゃないの」と、少し馬鹿にして市美に出かけたのですが、結果は良い方に大ハズレ。「へへー、おみそれいたしました」と、なりました。本展を舐めていたことを大いに反省しています。「見応え十分」というだけでなく、コレクターの感性によるのでしょうか、「見ていて気持ちが良い」のです。 「印象派」だけでなく、「その先」の展示も充実しています。また、わかりやすくて簡潔な「子供向け解説」は大人でも十分、読み応えがあります。本展は、見逃せません。

◆1章:印象派、誕生 ~革新へと向かう絵画~ ◎エントランスホールでモネ《睡蓮》と《サン=ジェルマンの森の中で》が出迎え  市美1階の橋を渡って企画展示室のエントランスホールに入ると、正面の壁に拡大されたモネ《睡蓮》と《サン=ジェルマンの森の中で》が並んでいます。「ピサロ、モネ、シャガールの三人」のうち、先ず、モネが出迎えてくれました。展示は、バルビゾン派からクールベ、マネ、ブーダンと続き、印象派はシスレーから始まります。作品は年代順に並んでいますが、《モレのポプラ並木》の前で思わず足が止まってしまいました。  続くのはモネ。なかでも《サン=ジェルマンの森の中で》は不思議な作品です。見ていると、絵の中に引き込まれそうになります。映画「となりのトトロ」に出てきた“秘密の抜け穴”を思い出しました。《睡蓮》と《テムズ河のチャリング・クロス橋》は、「モネ それからの100年」以来1年ぶりの再会。去年の展覧会を思い出します。

◎特等席はルノワール、ドガ、ゴッホ  1章では、ルノワール《シュザンヌ・アダン嬢の肖像》とドガ《踊り子たち(ピンクと緑)》が水色の壁、ゴッホ《静物、白い花瓶のバラ》が茶色の板の特等席に展示されていました。ルノワールとドガが特等席なのは納得できますが、ゴッホの静物画が特等席なのは何故でしょうか?重要な作品だとは思うのですが……。

◎パステル画を堪能 コレクターの好みなのか、本展ではパステル画が目立ちました。水色の特等席の2作品だけでなく、メアリー・カサット《マリー=ルイーズ・デュラン=リュエルの肖像》、ピカソ《フォンテーヌブローの風景》がパステル画です。鮮やかな中間色のふわっとした感じがいいですね。癒されます。

◆2章:フォーブから抽象へ ~モダン・アートの諸相~  2章で強烈な印象を受けたのはヴラマンク。《セーヌ河の岸辺》は「どこがセーヌ河?」という感じの赤と緑のコントラストが目に飛び込んでくる作品。しばらく眺めていて「左上の白っぽいところがセーヌ河?」とわかりました。でも、このめちゃくちゃな色使いは癖になりますね。静物画が2点並んで、最後の《村はずれの橋》は正に「万緑叢中紅一点」。ワンポイントの赤が効いています。 マティス《緑と白のストライプのブラウスを着た読書する若い女》はストライプが印象的な作品。「子ども向け解説」を読みながら鑑賞することをお勧めします。

◎2章は、アンリ・ルソーから2階に展示 2階は抽象画が中心。カンディンスキーの作品は「音楽」を感じさせます。また、ルソー《工場のある風景》も、ここで見ると抽象画のような感じがします。

◆3章:エコール・ド・パリ ~前衛と伝統のはざまで~ ◎ユトリロとマリー・ローランサン 3章はユトリロとローランサンから始まります。ヴラマンクと違って、ドキドキせず、安心してみることのできる作品が並びます。この中では、群像を描いたローランサン《五人の奏者》がいいですね。

◎これは「小さなシャガール展」です  本展の最後を飾るのは、吹き抜けの上の広い空間に展示されたシャガールの作品です。数えると、シャガールだけで10点。そのうち3点に「子ども向け解説」が付いていました。シャガールは学芸員さんの「お気に入りの作家」なのでしょうか?それとも、「子どもを引き付ける作家」なのでしょうか?いずれにせよ、吹き抜けの手すり近くから、L字型の壁に並ぶシャガールを眺めるのは壮観です。

◆最後に  名古屋市美術館協力会では4月14日(日)午後5時から、会員向けに「印象派からその先へ ― 世界に誇る吉野石膏コレクション」のギャラリートークを開催します。詳しくは、名古屋市美術館協力会のホームページをご覧くださいね。                             Ron.

「人騒がせな名画たち」

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 かなり評判になっている本なのでもう読まれたひとも多いだろう。筆者は西洋美術史家「木村泰司(きむら たいじ)」氏。「目からウロコ」と表題の前に小さくある。画家は変人が多いから、それほど目からウロコはなかったが、それでも聞いたこともない話はいろいろあり、興味深く読んだ。なかでも、昨年市美であった「ビュールレ・コレクション」展に出ていたルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」のイレーヌ(1872-1963)の話には感動した。深谷副館長の講演では、「イレーヌの両親はこの肖像画が気に入らなかった。イレーヌはユダヤ系銀行家で貴族のダンベール家に生まれ、同じような出自のユダヤ人と結婚した。しかし、離婚してユダヤ教からカトリックに改宗してイタリア人と再婚した。1963年にイレーヌが死んだとき、その死は新聞で大きく報道された」ということだった。時間もなかったのかも知れないが、それ以上詳しいイレーヌの人生についての言及はなかったと思う。しかし、いくら有名な絵でも、なんで絵のモデルが死んだくらいでそんなに話題になったのか、何かモヤモヤしたものが残っていた。それがこの本を読んで腑に落ち、すっきりとした。イレーヌはフランスでは有名な、悲劇のヒロインだったのだ。美しい金持ちの女性の幸せな人生は面白くもないし、決して共感は呼ばない。章題は「小説より奇なモデルの少女の壮絶人生!」。

イレーヌの結婚相手は、ダンヴェール家と同じようなユダヤ系の名家、貴族で銀行家で大金持ち、12歳年上カモンド家のモイーズ・ド・カモンドだった。その当時1890年頃としては、あたり前で良い縁組みだっただろう。イレーヌは一男一女を産み名家に嫁いだ義務を果たした。しかし、一家の厩舎長であった、イタリア人のサンピエリ伯爵と恋に落ちてしまう。夫婦は別居しイレーヌは恋人と生活を始めた。世間体が悪いことから離婚できず、離婚成立までに6年の歳月を要した。イレーヌが晴れて再婚したのは1903年、ふたりの子供はモイーズが育てた。第一次世界大戦が始まると、長男ニッシムはパイロットとして従軍、戦死してしまう。第二次世界大戦では、長女ベアトリスがユダヤ人の夫とふたりの子供と共に、アウシュビッツで虐殺され、イレーヌの肖像絵はナチスに奪われてしまう。イレーヌはカトリックに改宗していて助かった。ベアトリスが相続していたカモンド家の遺産は、全てイレーヌのものとなった。イレーヌは莫大な財産を使いながら、91歳で亡くなるまでの余生を南フランスで過ごした。終戦後手元に戻ったルノワール作の肖像画、イレーヌは過去を思い出したくなかったのか、すぐに手放していた。

このような波瀾万丈の人生を送り、死んだ頃はルノワールのこの肖像画も有名になっていて、彼女の死は大々的に報じる価値があった。「ニッシム・ド・カモンド美術館」がパリ8区モンソー通りにある。1910年頃モイーズ・ド・カモンドが建てて住んでいた邸宅。戦死した息子の名をつけた美術館として、モイーズが蒐集した美術品を展示している。エトワール凱旋門の東北東1 km強のモンソー通り沿い、モンソー公園隣。

佐久閒洋一