「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」展 ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

名古屋市博物館(以下「市博」)で開催中の特別展「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」(以下「芳芳展」)の協力会ミニツアーが3月24日(日)に開催されました。当日、午後2時に市博1階の展示説明室に集合した参加者は22名。神谷浩・市博副館長(以下「神谷さん」)の解説を聴いた後、自由観覧となりました。

レクチャ風景

レクチャ風景

◆展示説明室における解説(14:00~15:20)の抜粋
神谷さんの解説は、とても楽しくて時間の経過を忘れるほどでした。限られた紙面に収まりきらないので、申し訳ございませんが解説の抜粋を書かせていただきます。
◎芳芳展の概要
特別展「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」という展覧会名は長いので、関係者の間では「芳芳展」と呼んでいます。芳芳展を開催する目的の第一は、市博の浮世絵コレクションを使って「幕末・明治に浮世絵がどういう変化を見せたか」を知ってもらうことです。一方、歌川国芳(以下「国芳」)は一番作品数が多い浮世絵師です。浮世絵師は歌麿、写楽、北斎、広重だけではない「国芳がいる」ということを知ってもらうのが第二の目的です。
芳芳展は5章構成です。「1章 ヒーローに挑む」は武者絵。国芳が最も得意としたものです。「2章 怪奇に挑む」は、怖い絵。幕末には、歌舞伎・講談・浮世絵などで怖いものが流行った時代です。なかでも血みどろ絵は、三島由紀夫が大好きだった作品です。「3章 人物に挑む」は美人画。歌麿とは違う国芳の美人画を楽しんでください。「4勝話題に挑む」は時事ネタ。浮世絵は、いつの時代でも人気者や時事ネタを描いてきました。「終章 「芳」ファミリー」はその他の作品です。
なお、芳芳展は全作品、撮影O.K.です。
◎1章 ヒーローに挑む
108人の豪傑を描いた《通俗水滸伝》は人気を博した国芳の代表作です。国芳《通俗水滸伝豪傑百八人之一人 花和尚魯知深初名魯達》は、木の幹を鉄棒でたたき切るほどの怪力の持ち主・花和尚を描いた作品で、入れ墨もすごいですね。武者絵は、もともと武者に扮した役者を描いた「役者絵」でした。役者絵ですから「役者本人を描かざるを得ない」という制約があります。それに対し、国芳は原典からイマジネーションを膨らませて自由に描きました。
国芳《大江山酒呑童子》は、勝川春亭《源頼光酒呑童子退治》のアイデアを借用していますが、単に借りるだけではなく「プラスアルファ」があります。この作品で国芳は、鬼に半ば変身した酒呑童子を描いているので、動画のように見えます。
魅力的な武者絵にするためには、①「どの場面を描いたか」に加えて、②「どのように描いたか」が大事です。この二つを備えた武者絵を描いた最初は、国芳の先輩・葛飾北斎です。曲亭馬琴とコンビを組んで数多くの「読本(よみほん)」を世に出しました。一方、国芳は読本ではなく一枚刷りの浮世絵にアイデアを盛り込みました。
国芳《八犬伝之内芳流閣》は三枚続のワイド画面です。役者絵の三枚続は、三枚セットだけでなく、贔屓の役者を描いた一枚だけを買っても大丈夫なように、登場人物を均等に描いています。しかし、この《八犬伝之内芳流閣》は三枚セットで鑑賞することを前提に描くことで「視覚の驚き」を出しています。
国芳の弟子・月岡芳年(以下「芳年」)の《東名所墨田川梅若之古事》(終章に展示)は、更に完成度を求めた三枚続です。梅若丸伝説の一場面で、人買いと力尽きた梅若丸、墨田川に映る朧月が緊張感のある構図で描かれています。
◎2章 怪奇に挑む
血みどろ絵は歌舞伎の一場面を描いたもので、鶴屋南北「東海道四谷怪談」からスタートしました。残虐シーンが強烈であるほど、前後のシーンが際立つのです。
落合芳幾(以下「芳幾」)と芳年の合作《英名二十八衆句》は2章の見どころですが、可哀そうな評価を受けている作品です。それは、芳幾・芳年とも「血を好む残虐な人間」だと誤解する人が多いからです。確かに《英名二十八衆句》の絵は芳幾・芳年ですが、《英名二十八衆句》は絵だけでなく俳句と一流文化人の文章がワンセットになった作品です。幕末は残虐趣味が世に満ち満ちていた時代で、絵師と文化人のグループで知恵を持ち寄り、時代受けする作品を世に出したということなのです。
絵の技法としては「正面摺(しょうめんずり)」といって、絵の正面からバレンで擦るようにして光沢のある模様が浮かび上がらせる手法や赤い絵の具に膠を混ぜて「てかり」を出す手法などが使われています。
◎3章 人物に挑む
3章は、主に美人画です。鈴木晴信は男・女を同じ顔で描きました。歌麿の大首絵は、クローズ・アップで描くことにより表情や気持ちを表現しました。また、渓斎英泉(けいさいえいせん)が描く遊女は猫背で足は甲高、下顎が突き出ているという「くせのある」ものです。これに対し、国芳の美人画は「近所の普通のお姉さん」を描いたものです。国芳《江戸じまん名物くらべ こま込めのなす》は、歌麿の作品からモチーフを持ってきた作品ですが、歌麿の色っぽさ・艶っぽさを抜いた普通の人の仕草を描いています。
国芳《満月の月》では画面右の子どもが左足を上げています。足を上げる必要は無いのですが、子どもが足を上げた一瞬を描いたことで、スナップ写真のような、現実感にあふれる作品になっています。芳年《見立多以尽(みたてたいづくし) 洋行がしたい》では、女性が横文字の本や着物の下に赤地に黒の弁慶格子(ギンガムチェック)のシャツを着ています。これは当時流行した風俗を描いたものです。また、芳年《風俗三十二相 暗さう 明治年間細君の風俗》は色っぽく、江戸時代とは随分違ってきます。浮世絵は、その時代の世相・風俗を描いたものです。写真家・アラーキー(荒木 経惟=あらき のぶよし)は現代の浮世絵師といえるでしょう。
◎4章 話題に挑む
国芳は幕府の御禁制を逃れるために様々な仕掛けをしています。《亀喜妙々》は亀の顔が役者、甲羅が役者の紋という趣向で、「役者絵」の御禁制逃れをしています。《里すゞめねぐらの仮宿》は遊女屋の宣伝ですが、御禁制逃れのため、人物をすべて雀にしています。人物の顔よりも表情が豊かなのが面白いですね。
「一ツ家伝説」を描いた作品もあります。「一ツ家伝説」には二系統あり、一つは浅茅が原の一軒家に住む老婆の話です。この老婆は宿を借りた旅人に石を落として殺し、金を奪っていました。ある時、少年が宿を借りたので、いつものように石を落として殺したところ死んでいたのは実の娘。少年は浅草の観音様の化身で、老婆は悪行を悔いたという物語です。もう一つは、奥州安達ケ原に住む老婆の話です。こちらは、老婆が胎児の生き血を手に入れるため、宿を求めてきた身ごもった娘を殺害したところ、殺された娘は老婆の生き別れた実の娘だったという話です。
浅茅が原の「一ツ家伝説」は、国芳が奉納した絵馬を弟子の歌川芳盛が浮世絵にしています。また、絵馬が生人形のネタになったので、それを国芳が浮世絵にしたというものです。芳年は殺害場面を描かない「一ツ家伝説」《月百姿 弧家月》を描いています。
奥州安達ケ原の「一ツ家伝説」は芳年《奥州安達がはらひとつ家の図》。逆さ吊りになっている妊婦の下で老婆が包丁を研いでいる作品です。
◎終章 「芳」ファミリー
歌川芳藤《端午の節句》は「おもちゃ絵」で、切り抜いて端午の節句飾りを作るものです。展示室には組み立てた節句飾りも展示しています。芳幾《東京日々新聞 百十一号》は力士が火消しをしたという記事を錦絵にした新聞です。浮世絵はワイドショウのようなもので、ニュースを「見てきたように」描いています。
芳年《延命院日当話》は大奥のスキャンダルを描いた、浮世絵師、彫師、摺師の技術が最高の時の作品です。芳年の美人画は四条派の影響を受けており、芳年の弟子筋には水野年方、鏑木清方、伊東深水など、近代日本画の主流の人物が名を連ねています。
◎会場のキャプション等について
芳芳展ではキャプション(作品の説明)をよみやすくてわかりやすくするように、そして、「作品に何が描かれているか」だけでなく「なぜ、この作品を出品したのか」を書くよう努めました。
国芳の作品は遊び心満載です。お腹はいっぱいになりませんが、胸はいっぱいになると思います。
◆自由観覧(15:20~17:00)
当日は日曜日で人出が多く、少しずつしか進めませんでした。しかし、ノロノロと歩いて鑑賞したため、1時間40分かけて作品をじっくりと鑑賞することができました。結果オーライ、大満足です。
解説のなかで神谷さんは「ヨーロッパでは国芳と芳年は一続きのものと捉えている。明治のものを低くみるのはまずい。芳年は最後の浮世絵師で最初の近代日本画家」と話していましたが、芳年の出品は全く、神谷さんの言葉どおりのものでした。
見逃せない展覧会です。会期は4月7日(日)まで。

解説してくださった神谷副館長、ありがとうございました

解説してくださった神谷副館長、ありがとうございました

Ron.

「imagine the crowd」 松本 千里

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

 先日、アートフェア東京の若手作家の特集コーナーで見かけた不思議な作品のレポートです。

松本千里 imagine the crowd

松本千里 imagine the crowd

 それは白色で、凹凸があり、立ち上る煙のようにも、足を広げた海星のようにも見えました。表面には光沢があり、細い糸が無数に絡みついていました。プラスチックなのか?、粘土なのか?。どうやら素材は「布」のようでした。側にいた作家に話を聞いたところ、専門は染織で、絞りの要領で布に糸をかけ、モコモコした立体(彫刻?)を制作しているそうです。染織の作品とすれば、着色前の未完成なのでしょうが、立体として、その存在感には十分なものがありました。

 作家仲間からは「色を付けたほうがいい」とアドバイスされるそうですが、なかなか着色に踏み切れないそうです。確かに、目の前の作品に色を付けるとしても、赤も緑も青も似合いそうにありません。むしろ、照明による陰影のみの方が作品をすっきりと印象的に見せていると思いました。もちろん、作品の見方は人それぞれで、色を付けたがる人もいるでしょうが、この作家にとって、今回はここが制作の手の止め時だったのでしょう。とても独特で、存在感のある作品を楽しませてもらいました。

アートフェア東京会場にて
(会期終了)

杉山 博之

ソフィ カル「限局性激痛」展

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

 原美術館で開催中の「限局性激痛」展をはじめ、都内で3つのソフィ カルの展示を見てきた。聞くところによると、最近の女性作家の展覧会は、どれも人気があるそうで、前日に行った「イケムラレイコ 土と星 Our Planet」展のギャラリートークも混んでいた。原美術館は展示室がこじんまりとしているので、心配しながら美術館の玄関をくぐった。

 案の定、館内はショップもカフェも、展示室も混雑しており、楽しみにしていた作品を見ながらのギャラリートークはなく、入口前の開けたところで概要の説明があった。状況からすれば致し方ないが、少々残念。
 今回の展示は、1999年から2000年にかけて原美術館で開催された同名の展覧会の再現展。展示室には時間の経過をたどるように作品が配置され、前半がカウントダウン、後半がカウントアップしながら失恋による作家の心情の変化を表現していた。

 原美術館の後、ペロタン東京とギャラリー小柳に行った。最後に行ったギャラリー小柳の展示が一風変わっていて印象的だった。展示室の壁面には、文字を刺繍した布(フェルト)で前面をふさいだ木製の箱が並んでいた。写真や映像が見当たらず戸惑っていると、他の観客が布をめくるようにしていたので、ギャラリースタッフに聞いてみたら、セルフサービスということだった。

 高価なものなのでドキドキしながら、布をめくってみると、布の後ろにはテキストに対応した写真が貼られており、見比べながらセルフサービスで鑑賞した。普段、美術館では作品に手を触れないので、とても新鮮な鑑賞体験だった。

原美術館 2019年3月28日まで

杉山 博之

展覧会見てある記 「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」展

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋市博物館で開催中の特別展「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」に行ってきました。敷地に入り玄関に続く連絡通路を歩いていると、二人連れがパネルを指さしています。耳を澄ますと「血染めの絵がいっぱい出てくるんだよ」と話す声が聞こえて来ました。
展覧会は五つの章に分かれ、「1章 ヒーローに挑む」には三枚揃の大画面の作品が多く、見ごたえがあります。また、国芳の酒呑童子を武者絵の先達・勝川春亭と比較したり、10年前の国芳との比較(源頼政鵺退治)や弟子との比較(合戦図)など、展示に工夫が凝らされています。
「2章 怪奇に挑む」のメインは「血みどろ絵」《英名二十八句衆》ですが、血が苦手な人のために迂回路が用意されています。
「3章 人物に挑む」には美人絵が並びます。浮世絵ながら、芳年の《風俗三十二相 暗さう》には近代日本画の雰囲気がありました。
「4章 話題に挑む」では猫やスズメ、だまし絵、大津絵などの戯画が楽しめます。また、国芳と芳年の《一ツ家老婆》が並んでおり、芳年が師から学ぶだけでなく更に工夫を加えたことが分かりました。
「終章 「芳」ファミリー」に展示されていた《月百姿》は「集大成」にふさわしいもので、《延命院日当話》は「なまめかしい絵」でした。
◆2019年3月6日付の日本経済新聞に展覧会評が掲載されています
3月6日の日本経済新聞・文化面に窪川直子・編集委員の展覧会評が載っていました。見出しは「殺伐とした幕末 斬新な発想」。以下は記事の抜粋です。

幕末に活躍した歌川国芳(1797~1861)は展覧会が相次ぐ人気浮世絵師で、弟子の月岡芳年(1837~92年)も近年熱い注目を集める。名古屋市博物館の「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」展はそんな2人の画業再評価の流れに位置づけられる。(略)武者絵を劇的に演出しようと、国芳は血がほとばしるような場面も描いたという。これをさらに追及したのが芳年で、兄弟子の落合芳幾と共作した連作「英名二十八衆句」の全図の展示は見どころの一つだ。血や生首が飛ぶ「血みどろ絵」には目を背けたくなるものもある。しかし、当時の技術を総動員し、鮮血や血の手形を表現した辺りに、日本に流入してまもない西洋絵画を参照した国芳の進取の気性を見て取れる。殺伐とした幕末という時代を映し、講談や歌舞伎でも血なまぐさい場面が好まれた。残酷さを強調したのは、世相に敏感な師匠の影響ともいえる。出品作の大半は国文学者の尾崎久弥、医学者の高木繁が、幕末明治の浮世絵が「末期の浮世絵」と見なされた時代にせっせと蒐集したものだ。(略)「末期」をもり立てた絵師だけでなく、収集家の気骨もすがすがしい。(略)(注:記事には「尾崎は国芳がよりどり十銭で売られているのを残念がり」という一節もありました。)

◆協力会ミニツアーのお知らせ
 3月24日(日)に「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」展の鑑賞ミニツアーが開催されます。集合は午後2時。名古屋市博物館副館長 神谷浩氏の解説の後、自由観覧となります。詳細は、協力会ホームページをご覧ください。
         Ron.