モネ それからの100年 記念講演会 と 作家を囲む会

カテゴリ:作家を囲む会 投稿者:editor


5月20日(日)午後2時から名古屋市美術館で「モネ それからの100年 記念講演会」が開催され、「モネ それからの100年」展(以下「本展」)出品作家の松本陽子さん(以下、「松本さん」)が講演されました。また、当日の午後5時からは、松本さんを招待して、名古屋市美術館協力会主催の「作家を囲む会」が名古屋市美術館のスギウラ・コーヒーで開催されました。

◆松本さんの記念講演会=タイトルは「モネの色彩と光」
講演開始の午後2時、会場の名古屋市美術館2階講堂はほぼ満席。深谷副館長の紹介で「モネの色彩と光」をタイトルにした、松本さんの講演が始まりました。以下、一部順序を変えて要点をご紹介します。なお、「注」や(   )書きの文字は、私の補足です。

◎ニューヨーク近代美術館展示の睡蓮の壁画を見て、モネに対する見方が変わった
私は、1967年に訪米し、ニューヨーク近代美術館(以下、「MOMA」)に展示されているモネの睡蓮の壁画(以下、「MOMAの睡蓮」)を見て、モネに対する見方が変わった。モネ、マティス、セザンヌ、そして俵屋宗達の4人は美術の天才だと思う。

◎私のことについて
私は1936年の生まれで、5月22日に82歳になる。私の横にいるのは、山本みすずさん。画廊(注:東京・八丁堀ヒノギャラリー)の娘さんで、パソコンの操作をして下さいます。
スクリーンに投影したのは《光は荒野の中に輝いているⅡ》で、私の代表作。
私の画歴は58年。「どっかで見た絵は描かない。」ということで58年経ってしまったが、あと10年は描きたい。
私は、30数年間ピンクの絵を描いてきた。世界中でピンクの絵を描いている画家は一人もいない。ピンクがきれいな油絵の具は無い。アクリル絵の具にきれいなピンクがあったので、アクリル絵の具で作品を描いてきた。その後、肉体的な問題で、グリーンの油絵の具で絵を描くようになった。
2000年代までは床にカンバスを置き、その周りを動いて絵を描いていた。床にカンバスを置くと、腰を踏ん張って中腰の姿勢で絵を描かなければならない。最近は、それが肉体的に難しくなったので、イーゼルや壁にカンバスを立てかけて絵を描くようになった。緑や青はアクリル絵の具に良い色が無い、そのため、きれいな緑や青がある油絵の具による制作に戻った。
東京芸術大学在学中に、小磯良平先生から「君は僕みたいな絵を描くな。抽象画を描くようにしなさい」と言われ、今もその教えに従って絵を描いている。

◎モネの話
先日、国立西洋美術館(のプラド美術館展)でベラスケス展を見た後ミュージアムショップに寄ったら、お客は皆、モネの《ポプラ並木》と《睡蓮》のポストカードを買い求めていた。その光景を見て「なぜ、モネはこんなに愛されているのか」と、改めて思った。
また、本展を見て私は「こんなに国内に作品があるのか」と、日本国内にあるモネの作品の多さに驚いた。本展の展示作品では《柳》(1897-98頃)が好きだ。

◎MOMAの睡蓮について(その1)
講演の始めで言ったとおり、私は1967年から68年にかけてアメリカに行き、MOMAに展示されている高さ200㎝、横1276㎝のモネの睡蓮に衝撃を受けた。MOMAが睡蓮を収集した経緯については、名古屋市美術館副館長の深谷さんが本展の図録に詳しく書いているので、よく読んで下さい。(注:図録は定価2,400円で発売中)
MOMAの睡蓮は、白がきれい。モネは色彩に対する感覚が鋭い。絵を描くときは白と黒が魔物。白と黒で成功すれば、絵はうまく描ける。モネは白の使い方が上手だった。白を他の色と混ぜない、濁らせない。
モネのグレーにも引き寄せられる。モネのグレーは白と黒を混ぜた色ではない。透明感を持ったグレーで、絵の具の上に色をそっと置いている。モネは丸筆しか使っていない。塗るのではなく、タッチを重ねて色面を作っている。モネは丸筆を使い、縦のタッチが多い。画面から離れるとグレーだが、画面のそばに行くと(様々な色の)筆触が際立って見える。
モネの《睡蓮》は花を描いているように見えるが、そうではない。モネは自分のイメージに自然を合わせている。(注:目の前にある睡蓮を写生しているように見えるが、そうではない。目の前にある睡蓮のイメージを頭の中で再構成してカンバスに描いたという意味か?)
MOMAの睡蓮を見て、私は「アクリル絵の具を使って、水墨画のような形で絵を描く」と決心した。
モネを好いている人は多いが、モネは通俗的ではない。モネは人に媚びていない。セザンヌも通俗的ではない。ピカソは、少し通俗的なところがある。

◎MOMAの睡蓮について(その2)
(注:講演の後半で話された内容ですが、順序を変えてご紹介します)
図録に書かれた、MOMAの学芸員が館長に送った手紙を朗読します。(注:図録の14ページ)
(松本さんが朗読した内容)
その作品は純粋に美しく、またこれ以上ないほど私たちの目的に適(かな)っていると思います。何度も重ね塗りして、絵具を盛り上げ、その上で絵具を描き落としたような作品が何点もあるのですが、その作品はそれらと比べてより自由で、奔放な筆遣いで描かれています。
 (注:これは、ジヴェルニーのアトリエに残されたモネ晩年の大作について書いた手紙。なお、先日のギャラリートークの事前解説で深谷さんは「ポロックなどの抽象美術はアメリカ独自の表現として誕生したが、これを世界にアピールするためには、『突然変異ではなく、ヨーロッパ絵画の伝統とつながっている』という正統性が必要だった。モネにつなげることで、アメリカ抽象芸術の正統性を強調したのである」と、話していました。)

私は、スランプに陥って絵が描けない時代、MOMAの睡蓮を見て私は「油絵の具の伝統には付いて行けない。日本人には水墨画が合っている」と考え、アクリル水彩絵の具に救われた。

◎積みわらの連作がモネの転機
モネの連作には、ポプラ並木、積みわら、ルーアン大聖堂などがあるが、一番は睡蓮。積みわらの連作は「こんなに面白くないモチーフは無い」と思っていたが「積みわらの色彩が睡蓮を生み出した」と思う。モネは積みわらで発明・発見したような色彩を(睡蓮で?)使っている。積みわらには、(モネが)自分で自分を驚かせた色彩が潜んでいる。(その色彩が)睡蓮の大作につながった。
私は《傘をさす女》や《ポプラ並木》が好きで、積みわらは好きではなかった。しかし、今、積みわらは(モネが)作家として面白い色彩の発明・発見をした作品だと思う。
色彩と光ということでは、積みわらがいちばん光を、その季節による変化、時間経過による変化、外気による変化をとらえているような気がする。
積みわらは、空と大地を意識して描いているが、睡蓮になると描かれているのは水面と睡蓮のみ。空が無いのが、睡蓮の特色。

◎白と黒は魔物
モネのグレーは、ブルーがかったグレー。白が一番よく表れている。白の上に白を塗り重ねている。
絵は、白と黒で失敗する。明るいところは白、影は黒と考えている人が多いが、それが絵を面白く無くする原因。モネは油絵をよく知っていたので、白をうまく使っている。《アルジャントゥイユのカササギ》の絵は、白の変化が、白の上に白を重ねるのがうまい。「白と他の色がまじりあって濁る」ということが無いのがすごい。白は透明感の無くなる色だが、モネは白で透明感を出すのがすごい。
また、線で物を描こうとしないのが偉い。モネは色面で物を描くのがうまい。横山大観も若い頃は朦朧体で始まったが、晩年は線で形を描いた。
モネは頭の中にイメージ・理想を描き、それを、自然を、自分に引き寄せるのがうまい。自然をわしづかみにして、自然に挑みかかった。
モネの絵は、そばに行ってみると筆のタッチだけ。引いてみると、それが色面・色の塊になって見えてくる。とにかく、白が強い。
2009年に《陰鬱な荒野》(東京ステーションギャラリー蔵)を制作して国立新美術館に出品した時、モネが脳裏に刻まれていると感じた。
白には神経を使うが、効果は高い。白はモネが、黒はマネがうまく使った。マネは人物のバックなどの色面に黒を使った。それが新しい。
私は仕事に行き詰まると、佐倉市のDIC川村記念美術館か上野の国立西洋美術館に行ってモネを見る。1972年にオランジュリー美術館に行ってモネの睡蓮の部屋に入った時には、絵が自分に迫ってくるように感じた。3、4年前にオランジュリー美術館に行ったときは、空間が変わっていた。明るすぎると感じた。

◎モネの《睡蓮》、セザンヌの《大水浴図》、マティスの《ダンス》
現代の絵画の一つの頂点はモネの睡蓮の壁画とセザンヌの《大水浴図》、マティスの《ダンス》。この3つが頂点だと思う。マティス《ダンス》のグリーンとブルーはモネの白を受け継いでいる。3人の巨匠の作品は、どれもブルー、白、黒がうまい。
モネは柳と睡蓮で、自然への恐れに対して、自然を光、大気などを媒介として作品を描いている。自然に対する取り組み方が違う。自然を脚色している。
セザンヌは自然を練り直している。セザンヌは自然に恐れをなして練り直す。セザンヌは自然に対してベールをかけた作品。
モネは、水、光、大気、空間、季節など、変化していくものを媒介にした、そういうものをテーマにした作品を描いた。
モネは色彩(が素晴らしい)。(それに対し、)現代アートは色彩を蔑ろ(ないがしろ)にしているような気がする。色彩に対する取り組みがオズオズしていて、臆病。色彩を前に出さない。色彩をバチッと出してくる現代美術が見たい。色彩に対して貪欲に、作品に色彩を出して欲しい。

◎私の制作、今までとこれから
私は、アクリル絵の具で作品を描くときは、午前9時から午後4時までかけて一日で1点描いていた。2017年の《振動する風景的画面》では描き込んだため、完成までに2カ月かかった。この時は、新しい光が自分の前に出てきたような気がした。
モネも積みわらの色彩を描き上げたとき「これが新しい自分なんだ。これで自分は生きられるんだ」という経験があったという。それが、ジヴェルニーの睡蓮、水面、日本の橋を30年間描き続けるきっかけ。
モネは「印象派のモネ」だが、印象派からこれほど離れた作家も珍しい。モネは「モネ以外の何物でもない」という印象を強くした。
私は、あと10点くらい大きな作品を描きたい。もう一歩、理想に近づきたい。より高みから描けるようになったら、それが筆を置くとき。それまでは丸筆で頑張りたい。「絵は塗るものじゃない、描くものだ。丸筆を使いなさい」と、小学校5年生の時に絵画教室の先生から言われたことを、私は今も守っている。

◆講演後のQ&A
Q:本展の出品作品2点のタイトルは、どちらも《振動する風景的画面》。同じタイトルにした理由は何ですか。
A:《振動する風景的画面》は、私の好きなタイトル。「松本さんの絵は、毎日違って見える。揺れ動いているように見える。」と、言ってくれるコレクターがいる。「風景的画面」、それが私の自然。作家は自然に学ぶしかない。深く考えないで、素直に見てほしい。

Q:2017年制作の《振動する風景的画面》は2カ月間描いて、どこで「やめる」という決断をしたのですか。
A:山本さんに励まされて描き続けた。「ここなんだ!」というのは、感覚的なもの。ある日、突然に終わりがやってくる。
ピンクの絵をアクリル絵の具で描いていたときは、強引に中断した。アクリル絵の具で制作しているときは、描き始めたら休めない。

Q:モネの場合、「描きすぎて失敗した」という話はありますか。
A:モネは、しつこい人で粘着質だったと思う。しかし、晩年の睡蓮は思い切りがいい。あそこで人が変わったのではないか。スーとした感覚の人に変わっていった。

◆作家を囲む会
 午後5時から、松本さん、山本さん、名古屋市美術館の関係者を招待して、会員20人の参加で作家を囲む会を開催。軽食とお酒、ソフトドリンクをテーブル並べ、午後7時まで歓談しました。途中、サプライズ企画として、松本さんの誕生日をささやかなバースデー・ケーキと「ハッピー・バースデー」の合唱で祝いました。お開きの前に松本さんから「来年10月から、東京・八丁堀のヒノギャラリー(東京都中央区入船2-4-3 マスダビル1階)で個展を開催する。白い作品に挑戦したい。」というお話がありました。

松本陽子さん、バースデーケーキと

松本陽子さん、バースデーケーキと


お酒とお料理に会員たちもゴキゲンです

お酒とお料理に会員たちもゴキゲンです



松本さんの図録をひろげて…

松本さんの図録をひろげて…

間近で見る松本さんは、82歳とはとても思えないエネルギッシュな方で、目力(めぢから)の強さにも圧倒されました。この精神力・体力があるからこそ、あれだけの大作が描けるのだと納得しました。                                   
Ron.

ボストン美術館の至宝展 ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

名古屋市美術館協力会主催のミニツアーで、名古屋ボストン美術館で開催中の「ボストン美術館の至宝展」(以下「本展」)に行ってきました。参加者は19名。午前9時45分に1階壁画前に集合。10時から5階・レクチャールームで山口由香学芸員の解説を聴いた後は自由観覧となりました。以下は、解説等の要約筆記です。(「注」は、私の補記)

◆山口学芸員の解説要旨
ボストン美術館として本展で伝えたいことは、英語の展覧会名 ”GREAT COLLECTORS : MASTERPIECES FROM THE MUSEUM OF FINE ARTS” が、はっきり示している。つまり、「Great collectors=偉大なる収集家のことを伝えたい」というのが、本展の狙い。

◎コレクション=collection とは
 コレクションとは「公的あるいは私的に収集する」こと。ただし、Amazonの倉庫にある商品は「コレクション」ではない。営利活動・経済活動によるものはコレクションから除かれる。コレクションとは単に「集めた」だけではなく人目にさらされることを前提としている。
「古代のコレクション」は、絶対的な権力者の愛玩品。権力を見せるためのもの。
「14世紀から19世紀以前までのコレクション」になると、美術品の収集が一般化され、君主や教会だけでなく一部の富豪もコレクションを持つようになる。
「19世紀以降のコレクション」になって、公共の美術館やギャラリーによる公共コレクションが始まる。

◎どうやってコレクションを増やすのか
コレクションンを充実させるには「購入」「寄贈」「寄付」という3つの方法がある。なお、「寄贈」「寄付」の違いであるが、「寄贈」は作品そのものを、まるっと美術館に渡すこと。「寄付」は、作品購入やコレクション拡大のための資金を美術館に渡すこと。
ボストン美術館は、公の機関から資金の援助を一切受けずに作品を収集してきた。そして、展示室内でスポンサーを招いたパーティを開催するなど、コレクターを大切にしている。
(注:つまり、ボストン美術館は、個人の寄贈や寄付によってコレクションを充実してきた。そして、ボストン美術館に「寄贈」「寄付」してくれた「偉大なコレクター」を称えるのが本展の趣旨、ということですね。なお、貴族制度のないアメリカでは、美術館に寄贈・寄付することは、市民から尊敬されるための重要な要素です。)

◎ボストン美術館には8つの部門がある
注:文字数が多すぎて、レクチャールームでは部門の名前をメモできませんでした。ネットで調べたところ、「古代」「ヨーロッパ」「アジア・オセアニア・アフリカ」「アメリカ」「現代」「版画・素描・写真」「「染織・衣装」「楽器」の8部門とのことです。

◎古代エジプト美術のコレクター・見どころ
ボストン美術館の古代エジプト美術は、カイロ美術館を除けば、世界最大のコレクション。「いつ・どこで・誰が」発掘したのかハッキリしており、コレクションの質が高い。
コレクターは、「ハーバード大学=ボストン美術館共同発掘隊」。盗掘から美術品を守るため、正規の発掘調査隊に対しては発掘品の半分を持ち帰ることが許可されていた。発掘は、1905年から40年間続き、現スーダン北部の「ヌビア」の発掘も実施。本展では、エジプトとヌビアの美術品を展示。
古代エジプト美術のイチオシは、《高官マアケルウの偽扉(ぎひ)》。実際に開けることが出来ない扉なので「偽扉(ぎひ)」と呼び、古代エジプト人の死生観を示す美術品。
古代エジプト人は、人間には5要素があると考えていた。それは、①イブ(肉体)、②シュート(影)、③レン(名前)、④バー(魂)、⑤カー(精神・生命力)の5つ。バーは夜ごと肉体から出入りする。カーは死後も不滅だが、カーを維持するためにはお供え物が必要。
偽扉は死後に出入りするための扉。偽扉にはカーの糧として、お供え物が描かれた。

◎中国美術のコレクター・見どころ
本展では、「宋」(注:北宋と南宋)を中心に、960~1300年の美術品を展示。
ボストン美術館では、日本美術に比べると中国美術の目覚めは遅く、周季常《施材貧者図(五百羅漢図のうち)》がコレクションの始め。
1894年にボストン美術館で展覧会が開催され、京都・大徳寺所蔵の五百羅漢図百幅のうち、44幅が展示された。当時、大徳寺は再建のために資金を必要としており、展示品の一部を売却。ボストン美術館が5幅、デルマン・ウォルト・ロスが5幅、その他の収集家が2幅購入。その後、デルマン・ウォルト・ロスが5幅をボストン美術館に寄贈したため、ボストン美術館の所蔵は10幅となり、うち2幅を本展で展示している。

◎日本美術のコレクター・見どころ
日本美術のコレクターといえば、フェノロサが有名。彼は「お雇い外国人」として来日。現在の東京大学で政治経済学を教える傍ら、日本各地を旅行して1000点以上の絵画からなるコレクションを集めた。外に、ビギローは工芸品を5500点、モースは陶器のコレクションを集めた。フェノロサは1896年にボストン美術館の日本美術部・初代部長に就任している。
本展の見どころは、英一蝶《涅槃図》。高さ286.8㎝、横168.5㎝の大作だが、これは絵の部分だけのサイズ。お軸・ケースを入れるともっと大きくなる。この作品は、170年ぶりに本格的な解体修理を受けて展示された。修理期間は1年以上かかった。1911年から現在に至るまで、展示は1回だけ。展示回数が少ない理由は「大きすぎて展示ケースが無い」こと。本展終了後にボストン美術館に戻るが、大きすぎて展示スペースがないのが悩み。なお、ボストン美術館のホームページで修理の様子を見ることが出来る。

◎フランス絵画のコレクター・見どころ
フランス絵画の有力コレクターは、ジョン・テイラー・スポルディング。彼の浮世絵コレクションは有名だが、収蔵された作品を見ることはできない。
スポルディングは、ドガ《腕を組んだバレエの踊り子》からヨーロッパ美術の収集を始めた。セザンヌの熱心なファンで、《卓上の果物と水差し》は彼のお気に入りだった。
晩年のスポルディングは、資産を売り払ってリッツ・カールトン・ホテルに5年間住んでいた。典型的な「お金持ち」で、ボストン市民のあこがれだった。
ロバート・トリート・ペイン2世は、量より質を重視したコレクター。《郵便配達人ジョセフ・ルーラン》(1888)は、ボストン美術館が収蔵した最初のゴッホ作品。ゴッホは同じモチーフの作品を何枚も描いているが、ボストン美術館が収蔵しているのは最初に描いたもの。本展では、郵便配達人の夫人を描いた《子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人》(1889)も展示。ゴッホは何枚も夫人の絵を描いているが、ボストン美術館が収蔵しているのは最後に描いたもの。
ルーラン夫妻は、南フランスのアルルに移住後のつらい時期のゴッホを支えた人物。ゴッホは、夫妻の家族の肖像も20種類以上残している。なお、本展展示の夫の肖像を描いた時期と妻の肖像を描いた時期の間に、有名な「耳切り事件」が起きている。

◎アメリカ絵画のコレクター・見どころ
 アメリカ絵画の有力コレクターは、マーサ・コッドマン・カロリック(1858-1948)&マキシム・カロリック(1893-1964)夫妻。マーサはボストンの大富豪の娘。夫のマキシムはモルドバ共和国に生まれ、ロシア・アメリカで活動したテノール歌手。妻70歳・夫34歳の時に結婚。夫は、妻の死後も30年間にわたってアメリカ絵画をコレクション。
 ボストン美術館への寄贈は3期に分かれ、第1期は1935年で18世紀アメリカ美術、第2期は1945年で19世紀アメリカ美術、第3期が1962年で19世紀アメリカの水彩画・素描。いずれも、ボストン美術館の学芸員と相談して、計画的に収集したもの。
 本展に展示の肖像画、コプリ《ジョン・エイモリ―夫人》(1763)と《ジョン・エイモリ―》(1768)は、マーサの先祖を描いた作品。コプリは、アメリカ独立前のアメリカ出身画家として、初めて世界的な評価を得た。

◎版画・写真のコレクターと見どころ
版画・写真の有力コレクターは、ウィリアム・レーン(1914-1995)&ソンドラ・ベイカー・レーン(1938-  )夫妻。1990年に、ウィリアム・H・レーン財団を設立し、夫・ウィリアムが亡くなった後に2回、ボストン美術館にコレクションを寄贈している。
見どころは、画家・写真家のチャールズ・シーラーの作品。レーン夫人が2500点以上の写真を購入してボストン美術館に寄贈。本展では絵画《ニューイングランドに不釣り合いなもの》(1953)と写真《白い納屋、壁、ペンシルベニア州バックス郡》(1915頃)を展示。

◎現代美術は1971年にできた新しい部門
現代美術部門は1995年以降の作品なら何でも収集。スライドは「村上隆展」の光景。スライドの人物は上司の吉田俊英・名古屋ボストン美術館特別顧問(注:前豊田市美術館長)。
見どころは、ケヒンデ・ワイリー《ジョン・初代バイロン男爵》(2013)。ウィリアム・ドブソン《ジョン・初代バイロン男爵》をもとに描いた作品。ドブソンの絵には従僕の黒人少年が描かれているが、ワイリーは黒人を主人公に置き換えて描いた。
ワイリーは「オバマ大統領を描いた肖像画が2018年2月12日にスミソニアン博物館・国立肖像画美術館でお披露目された。」ことで、アメリカで話題に。ボストン美術館では、話題提供のために、ワイリーの《ジョン・初代バイロン男爵》を現代美術部門で展示しようとしたが、現物は名古屋ボストン美術館で展示されていたため本家・ボストン美術館では展示できず、現地ではとても残念がっていた。

◆自由観覧
山口学芸員から「本展では自分の好みを探り、好きな作品をひとつ、好きな分野をひとつ見つけてください。また、7月24日(火)から10月8日(祝)までのハピネス展もよろしく。」という言葉を受け、各自、自由に観覧しました。

◎「モネ それからの100年」に関連する作品も
 フランス絵画では、モネの作品を4点展示しています。この4点を市美の「モネ それからの100年」(以下、「モネ展」)と強引に関連付けるとすれば、どうなるでしょうか。
先ず、エドワース家から寄贈された2点ですが、名古屋初お目見えでヒナゲシの赤が鮮やかな《くぼ地のヒナゲシ畑、ジヴェルニー近郊》(1885)は、モネ展の《ジヴェルニーの草原》(1890)と似たモチーフではないでしょうか。また、海とヨット、城、遠くの山脈と広い空を描いた《アンティーブ、午後の効果》(1888)は、「海岸の風景」という点でエトルタ海岸を描いた《アヴァルの門》(1886)と無理やり関連付けてみましょう。
 次に、サミュエル・デッカー・ブッシュ寄贈の《ルーアン大聖堂、正面》(1894)は、「積みわらの連作」と「ロンドンの連作」とに挟まれた連作のうちの1点と、位置付けることが出来ます。
 最後に、エドワード・ジャクソン・ホームズ寄贈の《睡蓮》(1905)は、1909年にパリで開催された睡蓮の展覧会後に購入された作品です。モネ展の《睡蓮》(1906)と制作年が近く、ギャラリートークで保崎学芸係長が解説してくれた名古屋市美術館2階、第4章の「睡蓮の部屋」に展示されていてもおかしくない作品です。
 以上のように、ほぼ同時期開催の2つの展覧会でモネの作品を見比べることが出来るという機会は、なかなかありません。今回は、またとないチャンスです。
 また、モネ展と直接の関係はありませんが、《グレーの上のカラー・リリー》と《赤い木、黄色い空》を本展で展示している画家のジョージア・オキーフ(1887-1986)は、モネ展で写真を展示している画商・写真家のアルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)と1924年に結婚しています。
                            Ron.

「モネ それからの100年」 ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor


名古屋市美術館で開催中の「モネ それからの100年」(以下、「本展」)のギャラリートークに参加しました。担当は深谷克典副館長(以下「深谷さん」)と保崎裕徳学芸係長(以下「保崎さん」)、参加者は80人。参加人数が多かったので、先ず、講堂で深谷さんが展覧会の概要を説明。ギャラリートークは、1階から始めるグループと2階から始めるグループに分かれて開始。1階の担当は深谷さん、2階の担当は保崎さんでした。
以下は、概要説明とギャラリートークの内容を要点筆記したものです。

◆本展の概要について(深谷さん)
◎名古屋市美術館で開催するモネ展は、30年間で4回
本展は名古屋市美術館で開催する4回目のモネ展。第1回は1994年で、内容は回顧展。第2回は2002年で「睡蓮の世界」=睡蓮を描いた作品だけの展覧会。第3回は2008年で、マルモッタン美術館所蔵の《印象 日の出》中心にした展覧会。第4回が本展で、「それからの100年」をテーマにした展覧会。
印象派のコレクションを持たない美術館で、30年の間に4回のモネ展を開催するというのは珍しいケース。なお、4回の展覧会は、全て私が担当しました。

◎「それからの100年」というテーマについて
「それから」とは、モネがオランジュリー美術館所蔵の「睡蓮の壁画」を描いた1914年頃を指す。本展のテーマは「睡蓮の壁画が描かれてからほぼ100年経ち、モネの作品が後世の作家にどのような影響を及ぼしているか」を示そうというもの。
本展は89点の作品を展示しているが、モネは26点で、残り63点は現代美術。現代美術のうち、スティーグリッツとスタイケンの写真は19世紀の終わりから20世紀初めのものだが、大半は1950年代以降のもの。
昨日、閉館後に51名の参加で「名画の夕べ」というイベントを開催したところ、1名の参加者から「モネが26点では、モネ展ではない。」という意見があった。チラシ等には「モネと、彼に影響を受けた現代の作家たちとを比較検討」という断りが入っているが、「全部がモネの作品」だと思って来場する人が出るのは止むを得ないと思う。ただ、残り50名の参加者からは「モネ展ではない。」という声は聞かれず、一安心した。

◎モダン・アートの原点はセザンヌからモネへ
かつては「モダン・アートの原点はセザンヌ」という考えが一般的で、モネをモダン・アートの原点に置く人は少なかった。しかし、最近「セザンヌもモダン・アートに影響を与えているが、モネはそれ以上に大きな影響を与えているのではないか。」という考えの人が増えている。
 美術館の展示室に作品が並んでいるのを見ると、事前に思い描いたイメージとは違っていることがある。本展の展示も事前のイメージとは違っていた。それは「いい方」への変化だった。つまり、展示室の作品を見て「モネと現代美術はシンクロしている、つながっている。」という思いを強くした。本展に来場した大半の人も、感覚的に「つながっている」と感じてくれたのではないかと思う。
 モネが好きな人はたくさんいる。本展で、現代アートにアレルギーを持つ人が少なくなると、うれしい。

◎「睡蓮の部屋」オープン時、モネは「過去の人」だった
モネは1926年12月に死去。その半年後の1927年5月にオランジュリー美術館の「睡蓮の部屋」がオープン。しかし、1910~20年代「モネは過去の人」という評価で、オープン時の「睡蓮の部屋」は閑古鳥が鳴いていた。
それが、1940年代後半から1950年代になって、アメリカ現代美術の作家を中心に「モネは先駆的な活動をしているのではないか。」と、モネの作品全体に対する評価が上がり、現代に至っている。
なお、オランジュリー美術館の「睡蓮の部屋」は楕円形の部屋二つで構成されており、睡蓮の大壁画22枚が展示されている。

◎晩年のモネと抽象画
本展に展示の《バラの小道の家》(1925)はモネの絶筆(最後の作品)だが、タイトルがなければほとんど抽象画。モネ晩年の10年間は、白内障のため視力が低下。画商のデュラン・リュエルは「今のモネは、ほとんど目が見えないのでは。」という言葉を残しているが、モネがどこまで見えていたのかは、よくわからない。
ただ、睡蓮の池と太鼓橋を描いた1899年の作品と1919年の作品を比べると、1919年の作品はほとんど抽象画。(注:いずれの作品も、本展では展示していない)
ヨーロッパの美術の歴史をたどると、1910年代はモンドリアン、ピカソ、カンディンスキーなどの前衛美術や抽象画が勢いを持っていたが、第一次世界大戦後の1910年代終わりから1920年代にかけては流行が古典的なものに戻り、エコール・ド・パリなどが勢いを持った。
1910年代のモンドリアン、ピカソ、カンディンスキーなどの抽象画と比べたら「睡蓮の部屋」は、少しもおかしくない。しかし、モネが「睡蓮の部屋」を描いた1920年代は、復古的風潮が主流であったため、理解されなくても不思議ではなかった。

◎睡蓮を描くまでの、モネの遍歴
本展に展示の《サン=シメオン農園前の道》(1864)は、ノルマンディーの風景を描いたもの。モネは1840年にパリで生まれたが、5歳の時にノルマンディーに移る。若い頃のモネは、コロー、テオドール=ルソーなどのバルビゾン派の作品をお手本にして絵を描いていた。
ノルマンディーの風景を描いた《ヴァランジュヴィルの風景》は日本美術の影響を受けた作品で、葛飾北斎《富嶽三十六景 東海道程ヶ谷》(1831-34)(注:本展では展示していない)と構図が似ている。北斎の絵の左下に逆三角形の部分があるが、モネの絵の海面も同じように逆三角形。ただし、実際の海岸線はモネの絵と違って、湾曲していない。湾曲した海岸線はモネの創作と思われる。実は、北斎の逆三角形の部分も創作らしい。
1880年代の終わりから、積みわら、ルーアン大聖堂、チャリング・クロス橋などの連作が始まる。睡蓮の連作が始まったのは1906年。最初は、睡蓮だけを描いていたが、だんだんと水面に映っているものも描きはじめ、睡蓮の実体と水面に映っている空や木々の影を等価で描くようになる。ジヴェルニーの睡蓮の庭の写真を見ると、水面に映っている空や木々の影の存在が強い。睡蓮と水面は一体のものに見える。
1914年から、モネは「睡蓮の壁画」のための下絵を描きはじめる。「睡蓮の壁画」の本画に使われた下絵は少ないが、本展に展示の《睡蓮、水草の反映》(1914-17)は本画に使われている。

◎第2次世界大戦後のアメリカ美術とモネ
モネの睡蓮は、制作当時なかなか評価してもらえなかったが、第2次世界大戦後のアメリカで、ポロック、デ・クーニング、マーク・ロスコといった作家がモネの晩年を見直すようになる。
これには、アメリカの戦略的側面もある。ポロックなどの抽象美術はアメリカ独自の表現として誕生したが、これを世界にアピールするためには「突然変異ではなく、ヨーロッパ絵画の伝統とつながっている。」という正統性が必要だった。モネにつなげることで、アメリカ抽象芸術の正統性を強調したのである。
このような流れを踏まえると、本展では是非ともポロックの作品を展示したいと思ったが、保険金が高すぎて断念した。モネの睡蓮は「身体性」と「中心が無い表現」がポロックの作品と共通している。
スライドで写しているのは、アメリカで開催された「亡命の芸術家たち」という展覧会に出品したヨーロッパの画家たち。第2次世界大戦中、戦火を逃れてシャガールやモンドリアンなどがアメリカに亡命した。彼らの存在はアメリカの作家に影響を与え、戦後の抽象表現主義の誕生につながった。

◎本展に展示の現代アートについて
本展に展示のモーリス・ルイス《ワイン》(1958)は、色の感じや全体の雰囲気がモネの作品に似ている。福田美蘭の新作《睡蓮の池》(2018)については、保崎さんのギャラリートークを聞いて下さい。

◎7月から開催する「ビュールレ・コレクション」でも睡蓮が
本年7月28日から名古屋市美術館で開催する「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」では、高さ2m、横4.25mの《睡蓮の池、緑の反映》が展示される。スイスから出るのは初めての作品なので、是非、来場を。また、8月5日(日)午後2時から大原美術館館長・高階秀爾氏の講演が開催されるので、興味のある人は参加を。
(注:以下は補足)
高階秀爾氏の講演だけでなく、8月18日(日)及び9月15日(日)午後2時からは深谷副館長の作品解説会があります。事前申し込み制で、申込締め切りは7月22日(必着)。申込方法は、名古屋市電子申請又は往復はがき。往復はがきの場合は、郵便番号・住所・氏名・電話番号・聴講希望日(1つまで)・聴講人数(2名まで)を記入し、〒460-0008 名古屋市中区栄2‐17-25 名古屋市美術館「講演会/解説会」係まで 応募者多数の場合は抽選。詳細は名古屋市美術館HPで。

1階で深谷副館長の解説をきく会員

1階で深谷副館長の解説をきく会員


◆1階の展示について(深谷さん)
◎第1章 新しい絵画へ―立ち上がる色彩と筆触
・モネ《ヴィレの風景》など
展覧会の概要解説を聴いた後、1階展示室に移動すると、モネ《ヴィレの風景》(1883)と丸山直文《puddle in the wood2 5》(2010)の前に集合して、「立ちあがる色彩と筆触」という副題について、「モネは何を描くかというだけでなく、色彩それ自体の魅力や筆致を楽しんでいる。」などと解説を聴きました。
続いて、深谷さんから「二つの絵を比べて、どんな点が似ていると思いますか。」という質問。参加者が「どちらも、森の木々と水面を描いている。」「色の感じが似ている。」などと回答すると、深谷さんは「昨日の『名画の夕べ』では、『この二つの絵のどこに共通点があるのか具体的に説明して下さい。第一、丸山直文の絵は筆で描いたものではなく、絵の具を沁み込ませて描いていますよね。』という質問があり、答えに窮しました。」とのお話。「この二つの絵は、厳密に一対一で対応しているわけではなく、ゆるい対応です。本展には26人の作家の現代アートを展示していますが、モネの影響を受けていると表明している作家は半数。残りの作家はモネの影響について本人が言ったわけではなく、影響があるのではないかと推測しているにすぎません。」と、話は続きました。

・ジョアンミッチェル《湖》・《紫色の木》
ジョアンミッチェルはアメリカ出身の女性画家で、モネを敬愛し、モネの影響をはっきりと表明しています。《湖》(1954)はミシガン湖のイメージを描いたもの、《紫色の木》(1964)は、フランスにわたってからの作品。
なお、赤い壁に展示されているのはモネの作品。現代アートは白い壁に展示。

・モネの作品の変遷
最初の2点はバルビゾン派の影響を受けた作品。《サン=タドレスの断崖》(1867)は印象派の先駆的作品。典型的な印象派の活動があったのは1870年代で、1880年代になると印象派の作家たちはそれぞれの道を歩むようになる。7月28日から始まる「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」で展示されるルノワール《イレーヌ・カーン・ダヴェール嬢(可愛いイレーヌ)》(1880)は、古典的な絵画に回帰した作品。
モネも1880年代に方向転換をしている。1880年代は試行錯誤を続けていたが、1880年代の終わりから積みわらやチャリング・クロス橋などの連作を始めた。

・ルイ・カーヌ、岡﨑乾二郎、中西夏之
ルイ・カーヌはモネを敬愛した作家。本展では《彩られた空気》(2008)が話題になっている。金網の表面に絵の具を塗った作品で、展示室の白い壁に絵の具の影が映り、絵の具とその影が重なって見える美しい作品。
岡﨑乾二郎の作品(注:題名が長すぎて書ききれません)は2点が対になっており、左右の作品は同じようなモチーフを描いているが、色彩と形が少し違っており見比べると面白い。また、絵の具の「塗り残し」をうまく生かしている。
中西夏之《G/Z 夏至・橋の上 To May Ⅶ》(1992)と《G/Z 夏至・橋の上 3ZⅡ》(1992)については、深谷さんから「この絵については、第2章 形なきものの眼差し 光、大気、水 に展示する方が適切だと思われるが、なぜ第1章に展示しているのか、という質問があり、回答に窮した。確かに、第2章でもおかしくない。ただ、第1章・第2章の展示作品は厳密に分けているわけではなく、アバウトな要素もある。」との話がありました。

◎第2章 形なきものへの眼差し―光、大気、水 
・スティーグリッツとスタイケンの写真
第2章には19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて撮影された、スティーグリッツとスタイケンの写真が展示されています。深谷さんに聞いたら「横浜美術館からの提案で展示」とのこと。確かに、うち3点は横浜美術館の所蔵品です。第2次世界大戦後の作品ではありませんが、「光、大気、水」という副題にふさわしい展示でした。

・ゲルハルト・リヒター
深谷さんのお話では、個人的な好みを言うと、ゲルハルト・リヒターの2つの作品と岡﨑乾二郎の作品が本展の現代アートでは「イチオシ」とのことでした。なお、ゲルハルト・リヒターの2つの作品は金属板に描かれているため絵の具が完全には定着しておらず、作品を運搬する際は「平らにして運ぶ」よう気を付けているとのことです。

・モネの作品
第2章では、青色の壁にモネの作品を展示。青い壁の一番右に空白があるが、この空白部分には5月22日から作品(注:《雪中の家とコルサース山》(1895))が展示される。
チャリング・クロス橋はテムズ河にかかる鉄道橋で、霧のロンドン(実は石炭を燃料として使うことにより発生したスモッグ)がテーマ。モネは二十数点を連作した。

◎自由観覧のなかで
「睡蓮の壁画」について深谷さんから話がありました。「モネはオランジュリー美術館所蔵の22点以外にも睡蓮を描いている。22点以外の作品は長い間忘れ去られていたが、1940年代に巻かれたキャンバスの状態で保管されているのが発見され、その多くはアメリカのコレクターが買い取り、一部はヨーロッパのコレクターも買った。再発見された当時、睡蓮の評価は高くなかったので値段は低かった。その時に買い取られた作品のうち1点が巡り巡って、今、直島にある。」とのことでした。
また、6月10日(日)AM9:00からのNHK・Eテレ「日曜美術館」の本編で「モネ それからの100年」が紹介され、深谷さんも出演するとのことです。お見逃しなきよう。

2階で保崎学芸員の話をきく会員

2階で保崎学芸員の話をきく会員


◆2階の展示について(保崎さん)
◎第4章 フレームを越えて―拡張するイメージと空間
・モネ《睡蓮》のうち、1897-98年制作の作品2点
2階のギャラリートークは、第4章のうち、モネの作品が展示してある小部屋に集合してスタート。保崎さんによれば「モネ・睡蓮の連作の締めくくりは、オランジュリー美術館・「睡蓮の部屋」の壁画22枚。高さ2m、横6m又は高さ2m、横4.5mの作品。皆さんが向かっている壁には《睡蓮》というタイトルの作品が3点されているが、そのうち真ん中の作品は1906年制作、左右が1897-98年制作。3点を比べると、睡蓮を描きはじめた1897-98年制作の2点は、いずれも睡蓮の花・葉が大きい。クローズアップした画面で、水面の面積はそれほど広くない。2点を比べると、向かって左の作品の方が光を強く描いている。」とのことでした。

・モネ《睡蓮》のうち、1906年制作の作品
モネが睡蓮を描きはじめたのは1897年で、57歳の時。モネは86歳まで生きたので、人生の半分は睡蓮を描いていたことになる。モネがジヴェルニーに転居したのは1883年。最初は借家だったが、1890年に家と土地(注:9,200㎡)を買い取り、1893年には周辺の土地を購入し小さな池を作った。1897年には睡蓮の連作を始め、1901年に隣地を買い取り、池を拡張。(注:現在、モネの家の土地は2万㎡を越える)1902年から1908年までが睡蓮の連作のピーク。3点並ぶ《睡蓮》のうち真ん中の作品は、連作のピークである1906年に制作されたもの。水面が広く、画面の真ん中を水面が占めている。画面の外には太鼓橋、左にポプラ、右には柳が植えられている。

・モネ《睡蓮の池》
この小部屋の入口横に展示されている縦長の作品《睡蓮の池》(1907)は、ベスト・ポジションから夕陽が沈む睡蓮の池を描いた作品。屋外の自然光と水面の反射による一瞬の色彩を素早い筆致で描いている。画面の外に向かって絵の広がりを感じさせる描き方で、モネの特徴が一番よくわかる作品。風景なのに、縦長の画面に描いているのが面白い。水面に映る夕陽の反射が縦方向の流れを作っている。

・福田美蘭《睡蓮の池》
福田美蘭《睡蓮の池》(2018)は、高層ビルのレストランを描いた作品。テーブルを葉、キャンドルを花と、睡蓮に見立て、マネの大胆な筆致をまるまる真似ている。福田美蘭の作品はいつでもウイット(機知)に富んでいるが、この作品でもモネの屋外・自然光という組み合わせに対し、室内・人工光という組み合わせにするなど、モネの逆を行っている。外にも、モネの水面に対し高層ビルを、水面への(下への)映り込みに対し窓ガラスへの(上への)映り込みを配すことにより、モネの「睡蓮の池」を自分のスタイルで描き、モネへのオマージュとしている。

◎第3章 モネへのオマージュ―さまざまな「引用」のかたち
第3章は、全て現代アート。モネを再評価して、継承した作品が並ぶ。抽象表現やポップ・アートはモネと同じ視点に立った作品。例えば、アンディ・ウォーホル《花》(1970)は、雑誌に載っていた花の絵をコピーし、様々な色でシルクスクリーンのプリントをした作品。「複製がオリジナルを越えた」もの。

◆お開き
 ギャラリートーク終了後は、各自、自由観覧。参加者は、三々五々と美術館を後にして、午後7時には全員が帰路に着きました。
Ron.

展覧会みてある記 「博物館イキ!」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 名古屋博物館で開催中(6/10まで)の「博物館イキ!」(以下、「本展」)を見てきました。チラシには「博物館行き。一般的には古びて使われなくなった物に対する言葉のようです。ですが、実は博物館に来た物たちは、とてもイキイキとしています。」という文章。「イキ!」は、「博物館行き」と「イキイキ」を掛けた言葉のようですね。国指定重要文化財3点、名古屋市指定文化財2点、重要美術品2点を始めとする名古屋市博物館収蔵品が展示されていました。
◆森川コレクション
 会場に入ると、茶人の森川如春庵(本名、勘一郎)から寄贈された「森川コレクション」のうち、国指定重要文化財・本阿弥光悦作《黒楽茶碗 銘「時雨」》(チラシに図版)の展示があり、外にも元時代の伝任月山筆《稲之図》、狩野常信筆《稲之図模本》(江戸時代の模写)や茶道具、短冊などが展示されていました。
◆国指定重要文化財・市指定文化財・重要美術品は
 《黒楽茶碗 銘「時雨」》以外の国指定重要文化財は、鎌倉時代後期の古瀬戸《魚波文瓶子》と鎌倉時代の《太刀 銘「行平作」》。市指定文化財は、大須二子山古墳下層出土の《杯身(つきみ)》と「よみがえれ文化財」の寄附金で平成25年に修復された《伊勢参宮図屏風》。重要美術品は、瑞穂区師長町出土の《鳥形紐付脚付短頸壺》と千載和歌集の断簡である藤原俊成《日野切》でした。いずれも「お宝」です。
◆ほかに目を惹いたものは
《黒楽茶碗 銘「時雨」》と並んで円空作《十一面観音菩薩像》が展示されています。全22テーマ中、目を惹いたものは富田重助家資料(東朋テクノロジー株式会社の前身・紅葉屋の当主・富田重助家の江戸時代から明治時代までの帳簿など)の外、横井庄一生活資料(太平洋戦争終結後28年目にグアム島で発見された残留日本兵・横井庄一さんのジャングル生活を支えた衣服や背負袋、食糧貯蔵籠など)、「名古屋東照宮祭礼図巻」を読む(森玉僊画《東照宮祭礼図巻》など)、伊勢湾台風資料(当時の写真など)。「よみがえれ文化財」のテーマでは、寄附金で修復された銀箔の屏風・中林竹洞《草花図屏風》のお披露目がありました。
◆最後に
 展示室を1室だけ使った小規模な展覧会ですが、まとまった形で名古屋市博物館の収蔵品を見ることができます。
名古屋市博物館の帰り、山田餅本店に寄り道して、こしあんの柏餅(白い餅)と、つぶあんの柏餅(ピンク色の餅)を買って帰りました。絶品でしたね。
Ron.

音のアーキテクチャ トンネルでピクニック 佐川美術館 ギャラリートークの様子 展示会場で話をきく会員たち 泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの 夢見たものは 展示室で解説を受ける会員たち プティパレ まずはエントランスホールでの解説