遠いけれど、とても気になる青森(1/3)

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

青森県立美術館

青森県立美術館


 6月某日、以前から訪問したいと考えていた「青森県立美術館」に行きました。名古屋市美術館協力会の美術館ツアーの訪問先として、たびたび話題に上がるものの、交通の便をどうするかという点で、今のところ訪問が実現していない未踏美術館のひとつです。

 コレクションは、地元にゆかりのある版画家の棟方志功や、あいちトリエンナーレ2013の出品作家の奈良美智など。設計は、こちらもあいちトリエンナーレ2013で、名古屋市美術館で展示をしていた青木淳です。

事前に下調べをしましたが、やはり、現地に行くまで、見落としていたことが、いくつかありました。
(その1)
「青森県立美術館 建築ツアー」なるものがはじまる。
 2016年7月2日から9月24日までの土曜日、各回先着15名
 なんと来週末から。きっと参加希望者も多いことでしょう。
 秋ごろにもう一度、行きたいですね。
(その2)
 あおもり犬はほんとに大きい。
 高さが8.5mもあるのだから、あたりまえか。
 真下に行くと、表面の水分が垂れてきて、よだれみたい。
(その3)
「八角堂」は、メンテナンス中のため、当分の間、見学できない。
 シートをかぶった姿を遠くから眺めるだけ。
(その4)
「三内丸山遺跡」を見るための時間が足りない。
 空港からのバスの便が少ないため。これは、次回の楽しみにとって
 おきましょう。

 当日は、晴れていましたが、霧のような雨も降っていて広大な前庭の草が元気いっぱいでした。
名古屋から訪れるには、距離もあって、どなたにも向く訪問先とは思えませが、駅や空港の長い階段をダッシュできる体力のある方には、ぜひチャレンジしてほしい美術館です。
会員 杉山 博之

あおもり犬

あおもり犬

豊田市美術館 「デトロイト美術館展」 ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

豊田市美術館で開催されている「デトロイト美術館展」(以下「本展」)のミニツアーに参加しました。参加者は14名。正午頃からの雨にもかかわらず、美術館は若い家族連れや若い二人連れで賑わい、観覧券売り場には長蛇の列。
1階の企画展室入口付近で待ち合わせていると、笑顔の村田館長。「観覧者7万人達成セレモニーを準備中」とのことで、すぐに企画展示室へ。しばらくすると、企画展示室から拍手の音。時計は午後1時40分。企画展示室入口に「祝 観覧者7万人達成」の看板が出ました。翌日の新聞には女の子を真ん中にした若い家族三人と市長、館長の写真。「開幕から48日目での7万人達成は豊田市美の企画展で最も早く、会期中に8万人以上の来場を見込んでいる」とのことです。
なお、ミニツアーは午後2時から1階講堂で西崎学芸員による30分間のレクチャー。その後、自由観覧となりました。
◆デトロイト市と豊田市の関係
 デトロイト市と豊田市は「自動車産業の街」で姉妹都市提携を結んでおり、本展は姉妹都市提携55周年(2015.7月~2016.7月が55周年の期間)記念事業として開催されたと、西崎学芸員の解説。続いて「この中で、デトロイト美術館に行った人はいらっしゃいますか。」との質問があり、挙手は二人。「この質問で手が挙がったことは、ほとんど無かったのに」と驚く西崎学芸員でした。
◆本展の見どころ
 西崎学芸員からは、「本展の展示作品は52点と少ないが、19世紀半ばから20世紀半ばまで、ざっくりとではあるが①印象派、②ポスト印象派、③20世紀のドイツ絵画、④20世紀のフランス絵画と、様々な作品が鑑賞できる。①印象派では、印象派に影響を与えたクールベの作品や、当時の主流であるアカデミックな作品2点と対比することで、印象派の革新性が分かる。②ポスト印象派では画家ごとの独自性の追求ぶりを、③20世紀のドイツ絵画では印象派の影響や二つの世界大戦の影響を見てほしい。④20世紀のフランス絵画では、ピカソを6点展示。“バラ色の時代”以降のスタイルの変遷が分かる。」との解説がありました。
◆展示室にて
 展示室の中は混雑していますが、観客の流れから抜け、少し後ろから作品を見るようにすれば自分のペースで鑑賞できます。エコール・ド・パリのモディリアーニやスーチンもあり、うれしくなりました。また、出口にあるグッズ売り場のレジでも、観覧券売り場と同様に長蛇の列が出来ていました。
Ron.

平成28年度総会およびギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

講堂にて、総会風景

講堂にて、総会風景


去る6月12日日曜日、名古屋市美術館協力会の平成28年度総会が行われました。参加した会員は35名と盛況となり、総会後の話合いも充実したものとなりました。会員みなさまには後日議事録をお送りいたします。
発言する役員

発言する役員


名古屋市美術館協力会 総会後、協力会会員向けに「藤田嗣治展」の後期出品作品22点を中心にしたギャラリートークが開催されました。総会終了後に講堂内の椅子の並び替えやプロジェクターの設置を行い、16時20分から17時まで深谷副館長のレクチャー。その後、展示室に移動して17時10分から、同じく深谷副館長のギャラリートークを聴きました。レクチャー参加は総会出席者34名プラスアルファ、ギャラリートーク参加は28名でした。

Ⅰ 深谷副館長のレクチャー
◆若い人は、藤田嗣治を知らない?
レクチャーは「会場を見ると年配者が多く、若い人が少ない。そのため、平日と土曜・日曜の入場者数が変わらないという予想外の現象が起きている。」という「泣き言」(本人談)で始まりました。「若い人は、藤田嗣治を知らないのではないか。」というのです。
「藤田には著作権の問題というネックがあった。君代未亡人には日本に対する強い思いがあり、特に藤田の死後は画集、本、展覧会のどれにも、ほとんど許可が下りないという状況が続いた。1986年に、東京の庭園美術館で回顧展が開催されたが、戦争画の出展は許可が下りず“タブー”とされた。2005年に出版された戦争画集も、未亡人の許可が下りず、藤田の作品ははいっていない。小栗康平監督によると、映画“FOUJITA”以前にも藤田嗣治を映画化する話はあったが、戦争当時の話に触れると未亡人の許可が下りないため見送られてきたという歴史がある。」と続き、締めくくりは、「ただ、2009年に未亡人が亡くなったことで、状況が変わってきた。今年、2016年には、名古屋市美の藤田嗣治展以外にも、9月17日から来年1月15日までDIC川村記念美術館で“レオナール・フジタとモデルたち”が開催(その後、巡回)され、9月10日から来年3月3日までは箱根のポーラ美術館で“ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ ― 境界線への視線”が開催される。」という話でした。
藤田関係の展覧会が続くことで、再評価が進むと良いですね。
◆第5章は意図的に作品を減らした
次に、展覧会の構成の説明がありました。そのなかで「国内の美術館の保有作品数が一番多いのは“第5章フランスとの再会”(1949-63)の時代の作品ですが、意図的に展示する作品数を減らしました。理由は、作風のマンネリ化です。第5章の作品は、第2章の頃の繰り返しでは、と思うのです。」という言葉に、少し衝撃を受けました。
「晩年は、マンネリ化していたのか。」と、考え込んだ次第です。
◆《婦人像》のモデル
第1章で展示している《婦人像》のモデルについて、「先日、林洋子さんが講演で話されたように、従来は最初の夫人の登美さんがモデルと言われてきたが、それより前に付き合っていた彼女がモデルではという説が出てきた。その根拠は、作品の右上にある“may 1909”というサイン。登美と出会ったのは1909年の夏休みといわれているので、5月に描いた絵のモデルは彼女ではないというわけです。しかし、サインをよく見ると自分の名前を”Foujita”と書いています。このサインは渡仏してからの表記で、日本でのサインは“Fujita”でした。そのため、このサインは渡仏後に書いたもので、may1909という日付は記憶間違いではないかという説もあります。つまり、モデルが誰かは、はっきりしないということです。」とのことでした。
◆藤田とルソー、写真家アジェ
第1章の《パリ風景》1918の解説では「藤田は、渡仏当初にキュビズムなどの流行の絵画を描いたが、流行の絵では頭角を現すことができないと考え、エジプトやギリシア、中世の宗教美術などのプリミティブな表現を取り入れた時期がある。この《パリ風景》には、アンリ・ルソーや写真家ウジェーヌ・アジェの影響がある。」という話でした。
今年の協力会秋のツアーは9月24日~25日の日程で、箱根方面を目指す予定です。ポーラ美術館で開催の“ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ ― 境界線への視線”も鑑賞予定。ルソー、フジタ、アジェの視線をとらえたパリを見ることが、今から楽しみです。
◆藤田の「戦争責任」
藤田の戦争責任については「記録が残っていないので、よくわからない。東京芸術大学に藤田の手紙、日記、写真などの資料が寄贈され、藤田展の準備のために見せてもらった。藤田は筆まめな人で、資料の量が膨大。読みやすい字で書かれており、今後、研究が進むと思う。しかし、残念ながら戦時中のものは残っていない。処分されたと思う。藤田は、友人にも送った手紙を処分するよう依頼している。処分依頼の手紙には“この手紙も処分してほしい”と書かれていたが、処分されずに残っている。“被害妄想”だったという話もある。」というところで閉館時刻を迎えたため、レクチャーは終了。展示室に移動することとなりました。
Ⅱ 展示室にて
◆日本画も勉強
第1章の《鶴》1918頃については、「藤田が、流行のものを追うのではなく独自のものを目指すようになったとき、日本の伝統である日本画についても学ぶようになった。《鶴》は、その頃に描かれたもの。」との解説。
◆裸婦を描くのは、モディリアーニの影響
《風景》1918の前では「藤田は1918年に、第一次世界大戦の戦火を逃れるためスーチン、モディリアーニとともに南仏のカーニュに疎開。そこでは、ルノアールに会って裸婦の素晴らしさに目覚め、モディリアーニの描く裸婦からも影響を受け、以降、裸婦を描くようになった。」との解説。
1連の裸婦像を前に

1連の裸婦像を前に


◆掛け軸を額装に
 初公開となる《77歳の父の肖像》1930ですが「よく見てください、これは絹に描いたものでもともとは掛け軸だったものを額装に直しています。《マドレーヌ・ルクーの肖像》1933も掛け軸を額装になおしたものです。」という解説を聞き、参加者からは「なんてもったいないことをしたの。」と、驚きの声が出ていました。
 どちらも、ランス美術館所蔵。掛け軸をやめたのは、技術的な理由からでしょうか。
◆子どもの絵
 第5章の時代、藤田は「少し不機嫌な口を尖らせたキューピーさん」のような子どもの絵を数多く描いていますが、今回の藤田嗣治展、子どもの絵は《校庭》1956、《小さな主婦》1956など僅かです。
参加者からは「子どもの絵が一番好きなのに、少なくて残念。」という声もあれば、「あの顔は嫌いだから、ちょうどいい。」など、賛否入り混じった声が飛び交いました。
◆ドローイングに見る、藤田の技量
 第5章のドローイングは、前期、後期で大幅な入れ替えがあります。深谷副館長によれば「紙は光にデリケートな素材なので、3館を巡回する作品は半期しか展示できない。ドローイングが多いのは、藤田の技量を見てほしいから。藤田は、いわば職人で、その描く技量は素晴らしい。」とのことでした。まさに「お言葉どおり」ですね。
◆最後に
 閉館後、しかも少人数による鑑賞なので周囲に気兼ねすることなくおしゃべりできて、とても楽しい時間が過ごせました。深谷副館長始め名古屋市美の皆さまに感謝します。     Ron.

「巨大アートビジネスの裏側」 誰がムンクの「叫び」を96億円で落札したのか

カテゴリ:アート・ホット情報 投稿者:editor

サブタイトルの「96億円」が気になって、この本を手にしました。「マネーがらみ」の話だけかと思ったら、美術鑑賞のヒントになる話もあります。なお、著者は「財界総理」といわれた石坂泰三の孫で、2005年から2014年までサザビーズジャパン代表取締役社長だった人です。
オークションでの駆け引き・買い手の正体
この本の冒頭は、2012年5月2日午後7時半過ぎに、ニューヨークのサザビーズ本社にあるオークションルームにムンクの「叫び」が登場し、1億700万ドル(手数料を加えると1億2千万ドル、1ドル=80円換算で約96億円)で落札されるまでの約12分20秒の緊張感に満ちた駆け引きの描写です。そして、守秘義務のため買手は未公表だが「メディアは著名なヘッジファンド・マネージャーのレオン・ブラックだと報じている。本人は否定も肯定もしていない。」と続きます。
ここで興味深かったのは、「ブラックはニューヨーク近代美術館(MoMA)やメトロポリタン美術館の理事でもある。勲章のない米国では、大使及び著名美術館、オペラ等の理事は最高の名誉だ。」という補足です。美術館のステイタスが高いことに感心しました。
コマーシャルという要素
もう一つ面白いのは、「叫び」が高額になった理由として、歴史的名画、希少性に加えて「コマーシャルな要素」を指摘していることです。著者によれば、コマーシャルとは歴史的名画であるとともに、万人受けし、華やかな作品であることを指します。絵ハガキから、空気で膨らませるパンチバッグまで、世界中でさまざまに商品化され、美術に興味のない人でも知っていることが高額になった理由の一つだというのです。確かに展覧会の宣伝でも決め手は、「コマーシャルな要素」をもった作品ですね。
海外の再評価で高騰した具体美術協会
日本の現代美術に関しては、1994年にニューヨークの倉庫でグルグル巻きになって放置されていた草間彌生のキャンバスを発見し、それを1995年に静岡県立美術館に2400万円で売却。その後、草間彌生に感謝されたという手柄話も面白いのですが、それ以上に興味を引いたのが、1954年に関西で結成され、1972年まで続いた具体美術協会の作家たちの作品の価格が急騰した話です。
「海外で「グタイ」と呼ばれる彼らの作品に火がついたのは2013年。きっかけは、ニューヨークを代表する MoMA、グッゲンハイム美術館での立て続けの展覧会で、ともに北米の美術館で初の本格的な具体展となった。これらの展覧会が話題となり、過小評価されていた日本の現代美術に光が当たり、白髪一雄の「激動する赤」(1969年)が2014年6月のサザビーズ・パリのオークションで、390万ユーロ(約5億4590万円)で落札されるまでになった。」というのです。
ここで注目すべきは「マーケティングの過程では、米国の美術館の学芸員の眼力、行動力、及びそれを支える理事の美術に対する理解、資金力に感心した。(略)シカゴの著名美術館が白髪作品を探しているという。早速アプローチすると、既に米国の画廊から4億~5億円でミュージアムピースを購入していたことが判明する。感心するのは、この美術館の著名学芸員が数年前まで白髪の存在も知らなかったものの、作品の持つ力に感銘を受け、理事から寄付の約束も取り付けて買いに至るその過程だ。日本の美術館だったら、このようなことはまず不可能だろう。」という一節です。一学芸員が、自分の眼力で数億円の作品を収集できるという現実にびっくりしました。
このほかにも、「価格体系を変えた中華圏の台頭」など、一般的な美術の解説書とは違う視点による、興味深い記事が並んでいます。                       Ron.

石坂泰章(いしざか やすあき:1956年 東京都生まれ (株)AKI ISHIZAKA 代表取締役社長)著 文春新書1079 (本体830円+税)