
名古屋市美術館(以下「市美」)で「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展(以下「本展」)が開催されています。1月24日(金)付・中日新聞「Culture欄」に本展の特集記事が掲載されていましたね。
さて、3週間ほど前になりますが、1月11日(土)に開催された協力会向けギャラリートークに参加しましたので、レポートします。ギャラリートークは、17:00から18:00まで開催され、参加者は〇〇名でした。講師は久保田舞美学芸員(以下「久保田さん」)。受付は2階講堂で、開始時刻の17:00に1階へ移動。展示室の中で久保田さんのギャラリートークを聴き、その後は自由観覧・自由解散でした。
以下は久保田さんのトークの概要を箇条書きにして、私の補足・感想を加えたものです。
◆久保田さんのトークの概要
1 エントランス・ホールでのトーク
・本展は30年ぶりの大回顧展です(補足:前回は1995年。静岡、東京、京都で開催)。
・ジャン=ミッシェル・フォロン(以下「フォロン」)は、もともと建築家志望。ブリュッセルの芸術学校で学んだ後、1960年に彼の描いた作品が米国の雑誌『ザ・ニューヨーカー』『タイム』などの表紙に掲載されて、広く名前が知られるようになります。その後、イタリア「オリベッティ社」のタイプライターのポスターを手がけました(補足:1970年に開催の、日本初となるフォロン展は、毎日新聞社とオリベッティ社の共催でした)
・フォロンはマルチアーティスト。本展では230点を紹介。本展の構成は、年代順ではなく、「空想旅行」という趣向で、テーマ別に章立てをしています。
・本展の巡回先は、①東京ステーションギャラリーから始まり②名古屋市美術館、③あべのハルカス美術館の3館です。
2 プロローグ 旅のはじまり(1階)
・本展のタイトル「空想旅行案内人」(AGENCE DE VOYAGES IMAGINAIRES)は、フォロンが使っていた名刺の肩書によるものです。最初に展示の《二重の視覚(千里眼)》は、眼鏡をかけて空想の旅に出発しようと、来場者を誘っている作品。(補足:コート姿でシルクハット、眼鏡の案内人は“リトル・ハット・マン=Little Hatted Man”とのこと)
・「プロローグ」には、コートを着た人物の頭部に、金属製のフックをコラージュした《無題》を始めとして、日常の物を顔に見立てた作品が多数展示されています。その中には、頭部がドリルの先端になった彫刻もあります。
(感想:以上の外、人の顔のように見える建物やドア、スイッチ、蛇口などを撮影した写真の数々にも目を引かれました。ゼンマイ式掛け時計に使うネジ巻きのハンドルのようなモチーフを描いた作品にも興味が湧きました)
3 第1章 あっち・こっち・どっち?(1階)
・この章では、思考を惑わせる沢山の矢印が登場。フォロンは、矢印だけでなく堅牢な都市のビルも描いています。
・フォロンはルネ・マグリットの《見せられた領域》という壁画に出会い、絵が世界を再発見させてくれることを知ります。
(感想:フォロンの作品にシュールな感じがするのは、ルネ・マグリットの影響を受けているからだと思いました。作品を理解するには、絵が問いかけて来る謎を解く必要があると感じましたね)
4 「第2章 なにが聴こえる?」(1階)
・この章では、現実の世界で起こっている出来事、戦争や環境破壊などのほか、宇宙についても描いています。
・白と黒のシンプルなドローイングを描いていたフォロンは、最初の妻であるコレット・ポルタルに触発されて美しい水彩画を描くようになります。シンプルで、マンガっぽい表現。
(感想:荒波に飲み込まれそうになる船を描いた《波》は、北斎《神奈川沖浪裏》を想起させる作品でした)
5 「第3章 なにを話そう?」(1階・2階)
第3章のトークは2階。主にポスターと「世界人権宣言」の解説でした。
・フォロンはオリベッティ社のためにタイプライターのポスター原画を描いただけでなく、アニメーションも制作。また、オリベッティ社の外、「死刑反対」「人種差別反対」、美術展、映画、音楽祭などのポスター原画も手がけました。
・「世界人権宣言」の挿絵は、人権宣言の内容をイメージで表現したものです。なお、「世界人権宣言」の日本語訳は谷川俊太郎が手がけています。
(感想:タイプライターのポスターについて、最初見た時は何も感じなかったのですが、自由観覧のときに間近で見たら、何と、タープライターのキーボードの部分にタイピングをしている人物がひしめいていました。びっくりです)
6 「エピローグ つぎはどこへ行こう?」(2階)
・この章には船の絵がいくつも出品されています。船と言えば、フォロン自身も“ブルー・シャドウ=Blue Shadow”と名付けた船にアトリエを作っていました。展示室の壁に映している映像作品「イメージの誕生(水彩画制作風景)」でも船を描いています。
・人の眼のような太陽が人物を見つめる《対話》は、フォロンの実体験を描いたものです。
(感想:フォロンが1970年開催の大阪万博で来日し、箱根・宮ノ下や東京から友人に送った《メイル・アート》(複製)は、封筒に「太陽」という文字の印鑑が朱肉でいくつも押されるなど、ユーモア溢れる作品でした。また、久保田さんが解説した《対話》を始めとする、最後の部屋に展示されている作品の数々は風景画というよりも、フォロンの心象風景を描いたものだと感じました。参加者の多くはいつまでも作品を眺めていましたね)
最後に
フォロンについては全く知りませんでしたが、1970年には来日していたのですね。不思議な作品が多く、その一つ一つに新鮮な発見がありました。お勧めです。
Ron

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