豊田市美術館「ゲルハルト・リヒター展」ミニツアー

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

豊田市美術館(以下「豊田市美」)で開催中の「ゲルハルト・リヒター展」(以下、「本展」)の協力会ミニツアーに参加しました。参加者は21名、豊田市美1階の講堂で豊田市美の鈴木俊晴学芸員(以下「鈴木さん」)の解説を聴いた後、自由観覧・自由解散となりました。

◆ 鈴木さんの解説(14:00~45)の概要

〇本展の入場者等について

ミニツアーの当日の昼頃、豊田市美の駐車場を見ると、ほぼ満車の状態。車の出入りがあるので、駐車場付近に渋滞はありませんでしたが、人出の多さにびっくり。観覧券売り場でも行列。話を聞くと、年間パスポートを求める人が多いので、行列が長くなりやすいそうです。コインロッカーも、空きが僅かという状態でした。「何が起きているの?」という感じです。

 講堂に入ってこられた鈴木さんは、開口一番「今日は、本展で最も入場者数が多い日になりそう」と話し「本展は、豊田市美で開催した外国人作家の現代美術展としては最多の入場者数になるのではないか」という言葉が続きました。私が思うには、東京と豊田の2会場だけで開催ということもあるのでしょうが、ゲルハルト・リヒター(以下「リヒター」)が、今一番注目されている作家だから、ということでしょう。

〇現代美術家になるまでのリヒター

鈴木さんの解説を、私なりに要約すると、以下のとおりです。

リヒターは1932年のドレスデンに生まれ。30歳近くまで東ドイツで暮らし、壁画作家として生計を立てていました。当時の東ドイツの壁画は、「健康的な生活」「労働は未来を創る」といったポジティブな未来像を国民に示す、プロパガンダのための芸術でした。プロの壁画家という仕事に対し、リヒターは「これが自分の本当の仕事では無いのでは?」と疑問を抱くようになっていきます。

一方、西ドイツでは1954年に、東ドイツとの国境に近いカッセルで、第1回ドクメンタが開催されます。第1回はナチ政権下で「退廃芸術」とされた作品の名誉回復を行い、1959年開催の第2回では最新の芸術作品を展示。当時はまだ東西の交流があったので、リヒターは第2回ドクメンタでポロックやフォンタナなどの現代美術を見て、衝撃を受けます。(注:芸術の世界でも冷戦の真っただ中、ということです。)

ベルリンの壁が建設される数カ月前の1961年、リヒターは西ドイツに出国、1962年にはデュッセルドルフの芸術アカデミーに入学します。(注:次の項目から現代美術家リヒターの経歴が始まります)

〇リヒターの足跡

 以下、鈴木さんは、主に展示室8に出品された作品を紹介しながら、リヒターの足跡をたどります。

1 《モーターボート》(1964) 〈フォト・ペインティング〉

新聞・雑誌・手許の写真をプロジェクターで投影して、絵筆で描いた作品。リヒターは壁画のプロなので、複数の人物を組み合わせてプロパガンダを描くことはお手のもの。しかし、リヒターは「プロパガンダの芸術」から逃れたかったので、「写真を元に、それを模写する」という方法をとることにより、作家の意図や絵に描かれたものの意味、絵画技法に縛られない作品を制作しました。(注:鈴木さんの解説そのままではなく、私なりに受け取ったものです。)

2 《グレイ》(1973)、《グレイ》(1973)、《グレイ》(1976)

グレイ一色の抽象的な表現を行うシリーズ。1960年代~80年代。

3 アブストラクト・ペインティング

抽象画の表面をアクリル板で削り取るシリーズ。アクリル板で削り取るだけでなく、ヘラで細かく削り取るなど、同じ作業を繰り返して制作。1990年代から。

4 《4900の色彩》(2007)

縦5枚、横5枚、計25枚の小片で1枚(25色)のパネルを制作し、196枚のパネルを組み合わせて作品とするもの。展示するたびに、196枚のパネルの組み合わせを変える(注:本展では、196枚のパネルを組み合わせて、4つの四角形を展示していた)。自己表現を介入させずに作品を制作。

5 《8枚のガラス》((2012)

 8枚のガラスを、微妙に角度を変えて並べた作品。作品の周りを巡ると、ガラス面に不思議な反射が現れる。

 鑑賞するとき、壁と壁の間に隙間があるので、壁面をみると別の時代に描かれた作品が隙間から見える。そのため、制作された年代が違う作品を同時に見ることができる瞬間がある。これも展示の工夫。

6 《ビルケナウ》(2014)

 アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で隠し撮りされた写真を元にして、2014年に着手。4枚のフォト・ペインティングを描いたが、それでは「何かを語った」ことにはならないため、塗りつぶしてアブストラクト・ペインティングの作品とした。塗りつぶされてはいるが、一番下の層には隠し撮りした写真が描かれている。リヒターは、大虐殺を直接描くことはしたくない。出来事を問いかけることは出来ないか考えて《ビルケナウ》に到達。作品は、アブストラクト・ペインティング、アブストラクト・ペインティングの写真パネル、隠し撮りされた写真の複製、灰色のガラスで構成。どれが本物で、どれがコピーか、区別出来ない。

Q&A

Q:《ビルケナウ》のアブストラクト・ペインティングの写真パネルは、技術的な問題で1枚のパネルには制作できなかったのですか、それとも、あえて4枚のパネルに分割したのですか?

A:あえて、4枚に分割したのだと思います。1枚のものを、あえて4枚に分割することによって相対化するという意図があります。宗教は意識していないと思われますが、分割線は「十字架」を表したものでしょう。

7 展示室1~3(2階・3階)の作品

《ビルケナウ》以後にリヒターが描いた作品はエネルギッシュでビビッドになります。リヒターは人気の作家ですが、今後10年は日本で展覧会の開催はないと思われるので、しっかり見ていってください。

鈴木さんの解説は以上で終了。当日は、15:30からも鈴木さんのスライド・トークが開催されるため、講堂の周りには行列ができていました。それだけではなく、観覧券売り場にも行列。閉館まで2時間余りしかありませんが、この時刻でも次々に入場者が集まって来ていました。

◆ 自由鑑賞

〇なぜ、本展に人が集まるのか?

自由鑑賞中、参加者の間で話題になったのは「なぜ、本展に人が集まるのか」ということでした。

最初の疑問の答えとしては「ナチ政権下に叔母さんが収容所で毒ガスの犠牲になる。東ドイツで社会主義リアリズムの手法を身に着けるが、壁画家としての生き方に疑問を持ち、デュッセルドルフに出て、現代美術家としてデビュー。作家として成功するも、東ドイツ出身であり、現代美術の大きなうねりからは少し遅れて世に出てきたという、ストーリー性のある作家だから、というのが腑に落ちる意見でした。《花》(1992)のように、美しい絵を描く実力のある作家だから、というのもうなずける意見です。

◆ 最後に

豊田市美が人で一杯になるのは、最近では、2020年2月16日開催の「視覚のカイソウ」ミニツアー以来のことではないでしょうか。この時は展示室8の前のロビーが人で一杯になり、お祭りのようでした。また、2020.3.12週刊文春の平松洋子「この味」は「これはどうしても見ないと、と決心して2月23日に豊田市美術館に駆け込んだ」、豊田市を訪れるのは2013年の「フランシス・ベーコン展」以来のことだが「期待を上回るすばらしさだった」と「視覚のカイソウ」の感激を綴っています。コロナ禍に巻き込まれる寸前の、三密回避やマスク生活とは無縁の、今となっては夢のような時代の思い出です。

Ron.

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