映画『クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代』

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

豊田市美術館で開催中の「クリムト展」に並行して、伏見ミリオン座でドキュメント映画「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」(原題:KLIMT & SCHIELE EROS AND PSYCHE)が上映されています。

19世紀末から20世紀初頭にかけての「ウィーン黄金時代」に活躍した、画家、写真家、音楽家、作家、医学者の足跡をたどる映画で、最初のエピソードは1918年10月31日のスペイン風邪感染によるエゴン・シーレの死。その3日前に妻エーディトがスペイン風邪で死亡。シーレは、死の直前に妻をスケッチ。死の床のシーレを写真家マルタ・ファインが撮影、彫刻家アントン・ザンディヒがデスマスクを制作した、というものです。

クリムトについては、クールな男、ハンサムな変わり者と社会から見られていたこと、貧しかったが野心と努力で当代一の画家になったこと、精神的に素朴だったことが洗練された社交界の女性にとっては魅力であり、時に絵を描く以上のことを彼に求め、特にソニア・クニップスとは親密な関係だったこと、クリムトと社交界を結びつけたのは、作家、ジャーナリスト、芸術評論家のベルタ・ツッカーカンドルが主宰するサロンで、そのサロンには精神分析の創始者・ジークムント・フロイトも出入りしていたことなどが紹介されます。

クリムトの作品では、ウィーン美術史美術館の壁画を始め《ユディトⅠ》《ベートーヴェン・フリーズ》《ヌーダ・ヴェリタス》《接吻》などが紹介されました。

エゴン・シーレについては、クリムトの《接吻》を下敷きにした作品で「枢機卿と尼僧が接吻する姿」を描いたために非難を受けたこと、モデルを精神的、肉体的に限界まで追い込んで数秒のうちに完璧なデッサンに仕上げたことなどが紹介され、美術史家のジェーン・カリアが「シーレは女性のセクシュアリティを解放した」と解説していました。

クリムト・シーレ以外に建築家のオットー・ワーグナーや音楽家のシェーンベルク、作家のシュニッツラーなどが次から次に出てくるため、情報量が多すぎて映画の流れについていくのが大変でした。そのなかで衝撃的だったのが、①作家シュニッツラーは1000人以上の女性と関係を持ち、それを8000ページに及ぶ日記に記していたこと、②エミーリエ・フレーゲとの親密な関係はクリムトの浮気が原因で長く続かなかったこと、③音楽家シェーンベルクと親しくしていた画家リヒャルト・ゲルストルはシェーンベルクの妻と不倫関係になり、それがもとで自殺したこと、④当時のウィーンの中産階級の若者は下層階級の女性や娼婦と関係した後、中産階級の女性と結婚するのが普通であり、シーレも例外では無かったことです。

シュニッツラーの芝居のように、表向きは礼儀正しいが裏では裏切り、浮気、賭け事というダブルスタンダードなウィーンの黄金時代も、第一次世界大戦後の1918年11月12日にオーストリア=ハンガリー二重帝国が崩壊しオーストリア共和国が成立したことで幕が降ろされ、この年にクリムト(1918.2.6死去)オットー・ワーグナー(1918.4.11死去)、コロマン・モーザー(1918.10.18死去)、エゴン・シーレ(1908.10.31死去)といったウィーン分離派の巨匠たちも他界したことを紹介して、映画はエンディングに入っていきました。

19世紀末から20世紀初頭にかけてのウィーンの雰囲気を味わうことが出来たのは収穫です。また、映画ではフロイト理論のエロス(性本能・自己保存本能を含む生の本能)とタナトス(攻撃、自己破壊に向かう死の本能)の両面から、取り上げた人物の行動を分析していました。だから、原題に「EROS AND PSYCHE」という言葉が入っていたのでしょうね。

Ron.

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