ボストン美術館の至宝展 ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

名古屋市美術館協力会主催のミニツアーで、名古屋ボストン美術館で開催中の「ボストン美術館の至宝展」(以下「本展」)に行ってきました。参加者は19名。午前9時45分に1階壁画前に集合。10時から5階・レクチャールームで山口由香学芸員の解説を聴いた後は自由観覧となりました。以下は、解説等の要約筆記です。(「注」は、私の補記)

◆山口学芸員の解説要旨
ボストン美術館として本展で伝えたいことは、英語の展覧会名 ”GREAT COLLECTORS : MASTERPIECES FROM THE MUSEUM OF FINE ARTS” が、はっきり示している。つまり、「Great collectors=偉大なる収集家のことを伝えたい」というのが、本展の狙い。

◎コレクション=collection とは
 コレクションとは「公的あるいは私的に収集する」こと。ただし、Amazonの倉庫にある商品は「コレクション」ではない。営利活動・経済活動によるものはコレクションから除かれる。コレクションとは単に「集めた」だけではなく人目にさらされることを前提としている。
「古代のコレクション」は、絶対的な権力者の愛玩品。権力を見せるためのもの。
「14世紀から19世紀以前までのコレクション」になると、美術品の収集が一般化され、君主や教会だけでなく一部の富豪もコレクションを持つようになる。
「19世紀以降のコレクション」になって、公共の美術館やギャラリーによる公共コレクションが始まる。

◎どうやってコレクションを増やすのか
コレクションンを充実させるには「購入」「寄贈」「寄付」という3つの方法がある。なお、「寄贈」「寄付」の違いであるが、「寄贈」は作品そのものを、まるっと美術館に渡すこと。「寄付」は、作品購入やコレクション拡大のための資金を美術館に渡すこと。
ボストン美術館は、公の機関から資金の援助を一切受けずに作品を収集してきた。そして、展示室内でスポンサーを招いたパーティを開催するなど、コレクターを大切にしている。
(注:つまり、ボストン美術館は、個人の寄贈や寄付によってコレクションを充実してきた。そして、ボストン美術館に「寄贈」「寄付」してくれた「偉大なコレクター」を称えるのが本展の趣旨、ということですね。なお、貴族制度のないアメリカでは、美術館に寄贈・寄付することは、市民から尊敬されるための重要な要素です。)

◎ボストン美術館には8つの部門がある
注:文字数が多すぎて、レクチャールームでは部門の名前をメモできませんでした。ネットで調べたところ、「古代」「ヨーロッパ」「アジア・オセアニア・アフリカ」「アメリカ」「現代」「版画・素描・写真」「「染織・衣装」「楽器」の8部門とのことです。

◎古代エジプト美術のコレクター・見どころ
ボストン美術館の古代エジプト美術は、カイロ美術館を除けば、世界最大のコレクション。「いつ・どこで・誰が」発掘したのかハッキリしており、コレクションの質が高い。
コレクターは、「ハーバード大学=ボストン美術館共同発掘隊」。盗掘から美術品を守るため、正規の発掘調査隊に対しては発掘品の半分を持ち帰ることが許可されていた。発掘は、1905年から40年間続き、現スーダン北部の「ヌビア」の発掘も実施。本展では、エジプトとヌビアの美術品を展示。
古代エジプト美術のイチオシは、《高官マアケルウの偽扉(ぎひ)》。実際に開けることが出来ない扉なので「偽扉(ぎひ)」と呼び、古代エジプト人の死生観を示す美術品。
古代エジプト人は、人間には5要素があると考えていた。それは、①イブ(肉体)、②シュート(影)、③レン(名前)、④バー(魂)、⑤カー(精神・生命力)の5つ。バーは夜ごと肉体から出入りする。カーは死後も不滅だが、カーを維持するためにはお供え物が必要。
偽扉は死後に出入りするための扉。偽扉にはカーの糧として、お供え物が描かれた。

◎中国美術のコレクター・見どころ
本展では、「宋」(注:北宋と南宋)を中心に、960~1300年の美術品を展示。
ボストン美術館では、日本美術に比べると中国美術の目覚めは遅く、周季常《施材貧者図(五百羅漢図のうち)》がコレクションの始め。
1894年にボストン美術館で展覧会が開催され、京都・大徳寺所蔵の五百羅漢図百幅のうち、44幅が展示された。当時、大徳寺は再建のために資金を必要としており、展示品の一部を売却。ボストン美術館が5幅、デルマン・ウォルト・ロスが5幅、その他の収集家が2幅購入。その後、デルマン・ウォルト・ロスが5幅をボストン美術館に寄贈したため、ボストン美術館の所蔵は10幅となり、うち2幅を本展で展示している。

◎日本美術のコレクター・見どころ
日本美術のコレクターといえば、フェノロサが有名。彼は「お雇い外国人」として来日。現在の東京大学で政治経済学を教える傍ら、日本各地を旅行して1000点以上の絵画からなるコレクションを集めた。外に、ビギローは工芸品を5500点、モースは陶器のコレクションを集めた。フェノロサは1896年にボストン美術館の日本美術部・初代部長に就任している。
本展の見どころは、英一蝶《涅槃図》。高さ286.8㎝、横168.5㎝の大作だが、これは絵の部分だけのサイズ。お軸・ケースを入れるともっと大きくなる。この作品は、170年ぶりに本格的な解体修理を受けて展示された。修理期間は1年以上かかった。1911年から現在に至るまで、展示は1回だけ。展示回数が少ない理由は「大きすぎて展示ケースが無い」こと。本展終了後にボストン美術館に戻るが、大きすぎて展示スペースがないのが悩み。なお、ボストン美術館のホームページで修理の様子を見ることが出来る。

◎フランス絵画のコレクター・見どころ
フランス絵画の有力コレクターは、ジョン・テイラー・スポルディング。彼の浮世絵コレクションは有名だが、収蔵された作品を見ることはできない。
スポルディングは、ドガ《腕を組んだバレエの踊り子》からヨーロッパ美術の収集を始めた。セザンヌの熱心なファンで、《卓上の果物と水差し》は彼のお気に入りだった。
晩年のスポルディングは、資産を売り払ってリッツ・カールトン・ホテルに5年間住んでいた。典型的な「お金持ち」で、ボストン市民のあこがれだった。
ロバート・トリート・ペイン2世は、量より質を重視したコレクター。《郵便配達人ジョセフ・ルーラン》(1888)は、ボストン美術館が収蔵した最初のゴッホ作品。ゴッホは同じモチーフの作品を何枚も描いているが、ボストン美術館が収蔵しているのは最初に描いたもの。本展では、郵便配達人の夫人を描いた《子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人》(1889)も展示。ゴッホは何枚も夫人の絵を描いているが、ボストン美術館が収蔵しているのは最後に描いたもの。
ルーラン夫妻は、南フランスのアルルに移住後のつらい時期のゴッホを支えた人物。ゴッホは、夫妻の家族の肖像も20種類以上残している。なお、本展展示の夫の肖像を描いた時期と妻の肖像を描いた時期の間に、有名な「耳切り事件」が起きている。

◎アメリカ絵画のコレクター・見どころ
 アメリカ絵画の有力コレクターは、マーサ・コッドマン・カロリック(1858-1948)&マキシム・カロリック(1893-1964)夫妻。マーサはボストンの大富豪の娘。夫のマキシムはモルドバ共和国に生まれ、ロシア・アメリカで活動したテノール歌手。妻70歳・夫34歳の時に結婚。夫は、妻の死後も30年間にわたってアメリカ絵画をコレクション。
 ボストン美術館への寄贈は3期に分かれ、第1期は1935年で18世紀アメリカ美術、第2期は1945年で19世紀アメリカ美術、第3期が1962年で19世紀アメリカの水彩画・素描。いずれも、ボストン美術館の学芸員と相談して、計画的に収集したもの。
 本展に展示の肖像画、コプリ《ジョン・エイモリ―夫人》(1763)と《ジョン・エイモリ―》(1768)は、マーサの先祖を描いた作品。コプリは、アメリカ独立前のアメリカ出身画家として、初めて世界的な評価を得た。

◎版画・写真のコレクターと見どころ
版画・写真の有力コレクターは、ウィリアム・レーン(1914-1995)&ソンドラ・ベイカー・レーン(1938-  )夫妻。1990年に、ウィリアム・H・レーン財団を設立し、夫・ウィリアムが亡くなった後に2回、ボストン美術館にコレクションを寄贈している。
見どころは、画家・写真家のチャールズ・シーラーの作品。レーン夫人が2500点以上の写真を購入してボストン美術館に寄贈。本展では絵画《ニューイングランドに不釣り合いなもの》(1953)と写真《白い納屋、壁、ペンシルベニア州バックス郡》(1915頃)を展示。

◎現代美術は1971年にできた新しい部門
現代美術部門は1995年以降の作品なら何でも収集。スライドは「村上隆展」の光景。スライドの人物は上司の吉田俊英・名古屋ボストン美術館特別顧問(注:前豊田市美術館長)。
見どころは、ケヒンデ・ワイリー《ジョン・初代バイロン男爵》(2013)。ウィリアム・ドブソン《ジョン・初代バイロン男爵》をもとに描いた作品。ドブソンの絵には従僕の黒人少年が描かれているが、ワイリーは黒人を主人公に置き換えて描いた。
ワイリーは「オバマ大統領を描いた肖像画が2018年2月12日にスミソニアン博物館・国立肖像画美術館でお披露目された。」ことで、アメリカで話題に。ボストン美術館では、話題提供のために、ワイリーの《ジョン・初代バイロン男爵》を現代美術部門で展示しようとしたが、現物は名古屋ボストン美術館で展示されていたため本家・ボストン美術館では展示できず、現地ではとても残念がっていた。

◆自由観覧
山口学芸員から「本展では自分の好みを探り、好きな作品をひとつ、好きな分野をひとつ見つけてください。また、7月24日(火)から10月8日(祝)までのハピネス展もよろしく。」という言葉を受け、各自、自由に観覧しました。

◎「モネ それからの100年」に関連する作品も
 フランス絵画では、モネの作品を4点展示しています。この4点を市美の「モネ それからの100年」(以下、「モネ展」)と強引に関連付けるとすれば、どうなるでしょうか。
先ず、エドワース家から寄贈された2点ですが、名古屋初お目見えでヒナゲシの赤が鮮やかな《くぼ地のヒナゲシ畑、ジヴェルニー近郊》(1885)は、モネ展の《ジヴェルニーの草原》(1890)と似たモチーフではないでしょうか。また、海とヨット、城、遠くの山脈と広い空を描いた《アンティーブ、午後の効果》(1888)は、「海岸の風景」という点でエトルタ海岸を描いた《アヴァルの門》(1886)と無理やり関連付けてみましょう。
 次に、サミュエル・デッカー・ブッシュ寄贈の《ルーアン大聖堂、正面》(1894)は、「積みわらの連作」と「ロンドンの連作」とに挟まれた連作のうちの1点と、位置付けることが出来ます。
 最後に、エドワード・ジャクソン・ホームズ寄贈の《睡蓮》(1905)は、1909年にパリで開催された睡蓮の展覧会後に購入された作品です。モネ展の《睡蓮》(1906)と制作年が近く、ギャラリートークで保崎学芸係長が解説してくれた名古屋市美術館2階、第4章の「睡蓮の部屋」に展示されていてもおかしくない作品です。
 以上のように、ほぼ同時期開催の2つの展覧会でモネの作品を見比べることが出来るという機会は、なかなかありません。今回は、またとないチャンスです。
 また、モネ展と直接の関係はありませんが、《グレーの上のカラー・リリー》と《赤い木、黄色い空》を本展で展示している画家のジョージア・オキーフ(1887-1986)は、モネ展で写真を展示している画商・写真家のアルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)と1924年に結婚しています。
                            Ron.

コメントはまだありません

No comments yet.

RSS feed for comments on this post.

Sorry, the comment form is closed at this time.