名古屋市博物館 レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展 ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

名古屋市博物館で開催中のレオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展(以下、「本展」)鑑賞の名古屋市美術館協力会・ミニツアーに参加しました。参加者は19名。当日は横尾学芸員(以下「横尾さん」)の解説を聴いた後、自由観覧となりました。

◆横尾さんの解説(あらまし)
本展の主題
 本展は、未完成の大壁画「アンギアーリの戦い」を主題とした展覧会。主題の一つは《ターヴォラ・ドーリア》を手掛かりに、ダ・ヴィンチがどんな壁画を描こうとしたのかを探ること。もう一つは、ダ・ヴィンチが「アンギアーリの戦い」で成し遂げた絵画の革命。「ダ・ヴィンチ以前」と「以後」を比較して、その後の絵画に与えた影響を明らかにすることです。

第1章 歴史的背景「アンギアーリの戦い」とフィレンツェ共和国
 1500年頃、メディチ家がフィレンツェ共和国(以下、「フィレンツェ」)から追放され修道士のサヴォナローラが実権を握るが、サヴォナローラもローマ教皇から破門され、ピエロ・ソディリーニが国家主席となる。この時期、イタリアはローマ教皇領、ナポリ王国、ヴェネツィア共和国、ミラノ公国など幾つもの国に分かれており、フィレンツェは対外的な危機状況にあった。
 フィレンツェの書記官マキャヴェッリは外交に奔走するとともに、徴兵制を採用するなど「強いフィレンツェ」への立て直しを進めていた。そして「強い国をつくる」という思いを鼓舞するため、過去にフィレンツェが輝かしい勝利をあげた「アンギアーリの戦い」と「カッシーナの戦い」の壁画をシニョーリア宮殿大評議会広間(現在のヴェッキオ宮殿五百人大広間)に掲げようとした。

第2章 失われた傑作、二大巨匠の幻の競演
 「アンギアーリの戦い」の制作は当時50歳代のダ・ヴィンチに、「カッシーナの戦い」の制作は当時20歳代のミケランジェロに依頼された。しかし、ダ・ヴィンチは「アンギアーリの戦い」の彩色の途中で制作を中断し、ミラノに向かった。壁画はしばらくの間未完のまま放置され、多くの画家が模写をした。ミケランジェロは原寸大の下絵を描いた段階でローマ教皇に招聘されたため、壁画を描いていない。
 第2章で展示の《ターヴォラ・ドーリア》は「ドーリア家の板絵」という意味、16世紀前半の作品。ダ・ヴィンチの構想を伝える最良の模写で、軍旗争奪の場面を描いたもの。当時の戦争は「相手の軍旗をとったほうが勝ち」というもので、軍旗争奪は壁画の中心となる場面。
 絵を見ると人馬が渦のような動きをしており、馬のしっぽなどの細部にも渦がある。本展では立体復元模型も展示している。ダ・ヴィンチも粘土の模型を造って、構図を研究したようだ。
 一方、「カッシーナの戦い」の下絵には、フィレンツェ軍の兵士が水浴びをしているところを敵軍に襲われた場面が描かれている。いわば「変化球」だが、ミケランジェロは男性の裸体像を描きたかったようだ。裸体像は、システィーナ礼拝堂の祭壇画《最後の審判》にもつながる。

第3章 視覚革命「アンギアーリの戦い」によるバロック時代への遺産
 ダ・ヴィンチ以前の戦争画は、装飾的で華麗だが激しい戦闘の場面は描いていない。
 15世紀に戦われた「アンギアーリの戦い」の実態は、死者1名。当時は、傭兵同士の「力の見せ合い」が中心で、「のどかな戦争」であった。しかし、16世紀になると各国は殺し合いで領土を広げるようになる。ダ・ヴィンチが見たのも血なまぐさい戦争。ダ・ヴィンチは「アンギアーリの戦い」で、自分の見たリアルな戦争を描いた。ダ・ヴィンチ以降、バロック時代の戦争画ではこれがスタンダードとなる。「時代を変えた」というのが、ダ・ヴィンチの凄さ。

幕間 優美なるレオナルド
 戦争の絵ばかりだと暗くなるので、ダ・ヴィンチの美人画(模写)も展示しています。

質疑応答
 解説終了後、「2015年から2016年にかけて、東京富士美術館、京都文化博物館、宮城県美術館と巡回した展覧会と本展は同じ名前ですが、どういう関係ですか。」という質問がありました。
横尾学芸員の答えは、「同じものです。前回の巡回から1年ほど期間を空けて、再度、巡回を始めたのが本展。ただ、展示作品は大分ちがっています。なお、関係者は前回の図録を第1シーズン、今回の図録を完全版と呼んでいます。本展は「アンギアーリの戦い」に関する研究成果の発表という側面もあるので、是非、完全版の図録を買ってください。」と、いうものでした。

◆自由観覧
第1章
 会場の入口には、ミケランジェロ《ダヴィデの頭部(石膏模造)》が展示されています。間近で見るダヴィデの頭部には迫力があります。《シニョーリア広場におけるサヴォナローラの処刑》は火炙りの様子を描いたもの。失脚した権力者の末路は哀れなものです。《シニョーリア広場での「敬意の祝祭」》には、ミケランジェロ《ダヴィデ像》が描かれています。《ビュドナの戦い》は、横尾さんの解説どおり、装飾的ですが迫力には欠けていました。

第2章
 本展の目玉《ターヴォラ・ドーリア》(《アンギアーリの戦い》の軍旗争奪場面)では、白馬が2頭、茶色の馬が2頭、馬に乗っている人間が4人、地面で戦っている人間が3人いることまでは分かります。しかし、未完成の壁画をそのまま模写しているので彩色してない部分があり、細部は、よくわかりません。しかし、「未完成部分を想像力で補った」模写や東京富士美術館所蔵《ターヴォラ・ドーリア》の立体復元彫刻の展示もあるので、大丈夫。特に立体復元彫刻は、水平方向360度だけでなく真上からも見ることが出来るので、横尾さんの解説にあった「渦巻いている」様子がよくわかります。
 第2展示室に向かう途中の通路にはパネルによる「アンギアーリの戦い」の解説があり、ダ・ヴィンチの全体構想では右から順に、①フィレンツェの援軍がテヴェレ川に架かる橋に到着した場面、②軍旗争奪戦、③敗走するミラノ軍を描く予定だったようです。

第3章、幕間および同時開催の「天才 レオナルド」
 ピーテル・パウル・ルーベンスに帰属《アンギアーリの戦い》は、ダ・ヴィンチの作品をもとにした作品ですが、バロック時代らしく《ターヴォラ・ドーリア》よりもハイライトと暗部との明暗の差が大きく、ドラマチックな構図になっています。《キモンの戦い》のタピスリーも展示されていました。第3章に続いて、《レダと白鳥》等の美人画の外、はばたき飛行機などの展示もあります。

◆最後に
 横尾さんが「研究成果の発表という側面もある。」と話していたように文書資料の展示もあり、絵画を鑑賞するだけでなく「勉強もできる展覧会」でした。
 Ron.

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