「生誕110年片岡球子」展 ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

真剣に学芸員の話に聞き入る会員たち

真剣に学芸員の話に聞き入る会員たち


今回の参加者は34名。愛知県美術館学芸員の中野悠さんによるギャラリートークを聴き、最後に彼女への拍手で終了。ほとんどの参加者は引き返して、じっくりと見直していました。
◆画業に専念したのは、50歳から
 年譜を読むと、球子は21歳で女子美術学校を卒業。大岡尋常高等小学校(現:横浜市立大岡小学校)で29年間教鞭を執った後、50歳で女子美術大学の専任講師となり、ようやく画業に専念。愛知県立芸術大学日本画科の主任教授になったのが61歳。68歳で定年退官して客員教授に就任。1989年に文化勲章受章。100歳を超えても愛知県立芸術大学に通い続け、2008年に103歳で逝去。人生の後半で花開き、亡くなるまでエネルギッシュな画家だったのですね。
◆宿題の回答まで描き込んでいる「学ぶ子等」
 「第1章」では、院展に2度目の入賞を果たした「学ぶ子等」に目が止まります。教室の机で宿題を解く女の子と隣で刺繍をする女の子を描いた作品ですが、宿題には「昭和八年七月一日算術科練習問題 六ノ五 川井晶子」の文字が、机にも「六ノ五 川井晶子」「六ノ五 木下淑子」の文字がハッキリと読めます。分数と小数の混じった計算や文章題など練習問題と回答も克明に描かれ、思わず「熱心な教師だったのだろうな」と声が出ました。
◆晩年まで描き続けた富士山
 「第2章」は各地の風景画を展示していますが、圧倒的に多いのは富士山の絵。これを見て、写真が趣味の参加者は「本当に富士山は難しい。雲ひとつない晴天の富士山は面白くない。雲でもあれば写真が締まるが、うまい具合に雲は出ない。」と話してくれました。難しいが故に、何度も挑むことになったのでしょうね。
◆大胆なデフォルメの<面構>シリーズ
 「第3章」は<面構>シリーズ。「ゲテモノ」と紙一重の大胆なデフォルメと力強い描写に圧倒されます。
なお、愛知芸文センター情報誌「AAC 2015/vol.84」は、京都・等持院の足利尊氏木像の写真、作品のもととなったスケッチ、≪面構 足利尊氏≫の三つを並べて掲載しており、これを見ると、木像ではわずかな垂れ目だったのが作品では極端な垂れ目になるなど、画家による制作の過程がよくわかります。ぜひ、ご覧あれ。
◆70代から亡くなる年まで、「裸婦」に挑戦
 「第4章」は「裸婦」のシリーズ。最初の作品となる「ポーズ1」は、なんと78歳の時の作品。2003年に亡くなるまで裸婦を描き続けていたことに脱帽します。
◆本展の見どころは、スケッチブックと渡欧関係資料
 中野学芸員は「画家が残したスケッチブックと昭和37(1962)年に渡欧したときのメモは、ぜひ見て欲しい。」と話され、最後に「7月5日のNHK日曜美術館は片岡球子展の特集だが、どんな取り上げ方をするのか不安。」と付け加えていました。
           Ron.
熱心に解説してくださった、中野悠(はるか)学芸員

熱心に解説してくださった、中野悠(はるか)学芸員