写真は一瞬の芸術と言われています。写真家は被写体にカメラを向けて、偶然とも思えるシャッターチャンスに自らの感性とエネルギーを移入するものです。とりわけ、報道写真においては、写真家の想い以上に、観客を魅了するものがあります。
今、名古屋市美術館では『写真家 東松照明の全仕事』展が開かれています(6月12日まで)。500点以上の作品が展示されていますので、丹念に見るにはかなりの労力を要しますが、思わず足が止まる作品に出会いました。「プロテスト 東京・新宿」(1969年)です。写真は、1969年10月21日の国際反戦デーにおける新宿付近の模様を撮ったのでしょう。
前年1968年の国際反戦デーでは、反日共系全学連と警官隊が激しい衝突を繰り広げ、初めて騒乱罪が適用されました。東大・日大を頂点とする大学闘争、連合赤軍にみる新左翼の過激化と自滅などを70年安保事件と一括りするには余りにも重い事件が連続する時代でした。
東松氏の写真に見る、ゲバ棒を持つデモ隊、投石、機動隊、放水。これらの「アレ」「ブレ」と呼ばれる粒子の荒れ、ピントのずれを故意に用いたモノクロ写真は、かえって、敗北に終わる大学闘争や新左翼運動の衰退と終焉を予兆させるようです。報道写真から一線を画していた東松氏ですが、この70年安保を取材した一連の組写真は貴重な作品でしょう。
一方、他会場で、一瞬の凝視を反芻し、造形として醸成させた作品を見ました。麻生三郎展(6月12日まで愛知県美術館で開催中)で見た「死者」(1961年)という油彩画です。画面は麻生三郎特有の灰色と黒色がせめぎ合い、輪郭が判然としない中に、60年安保闘争の犠牲となった女学生らが描かれています。うっかりすると見逃します。
東松氏が70年安保を報道写真として客観的に、麻生三郎が60年安保を内在化し、それを油彩画で、時代も媒体も想いも違いますが、社会と人間の係わりを表現しています。団塊の世代にとっては、60年安保は憧憬に値する神話であり、70年安保は自らの政治的日常生活の延長であったわけです。両氏にとって、主流の作品ではないかも知れませんが、青春の蹉跌を両作品の中に見ました。
入倉則夫(会員)
コメントはまだありません
No comments yet.
RSS feed for comments on this post.
Sorry, the comment form is closed at this time.