4月23日、東松照明展が始まった。
東松氏の写真をまとめてみるのは2006年の「愛知曼陀羅」(愛知県美術館)以来なのでとても楽しみにしていた。今回の展覧会は回顧展ということもあり、1960年代のドキュメンタリーなものから最近のオブジェ風なものまで540点余の作品で会場内があふれかえっていた。
その展覧会初日、中区役所ホールで記念鼎談「”写真事始”ふたたび」が催された。演壇には、赤いベストに赤いキャップをかぶった中平卓馬氏(写真家)、黒いジャケットの倉石信乃氏(明治大学理工学部准教授、写真史)、今展を担当した名古屋市美術館の竹葉丈学芸員の姿が見られたが、東松氏本人は年初からの体調不良のため来名せず、スクリーンに大きく映し出されたポートレートと電話での参加となった。
竹葉学芸員の進行で初期から順に主だった作品の時代背景やエピソードが語られる中、特に興味をひかれたのが「言葉」と「言葉」を足すと「文章」になるが、「写真」と「写真」を足しても文脈は表れず、かえって匿名化するという東松氏の見解だった。時代やテーマの異なる写真を組み合わせることで、個々の写真のメッセージ性を抽象化し、全体の共通点を浮かび上がらせることを意図した見せ方を考えているようだ。強いて例えるなら、甘いものと辛い物を一緒に食べると、どんな味がするか?実験するようなものだろうか。
そういえば、展覧会場の2階の展示室で軽いめまいのような感覚があったが、これが原因だったのかも。
休憩をはさみながら1時間半の鼎談の最後に「写真表現は沈黙しない」と力強く語られた東松氏の快復を心から祈りたい。
23日はジム・ダイン展(名古屋ボストン美術館)の初日でもあり、翌日の本人講演会まで超過密な週末だった。
杉山 博之
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