かつて、ミニマル・アートが世界のアートシーンを席巻した時代がありました。1960~70年代でしょうか。ニューヨーク発の画家、ラインハート、マ-チン、ライアン、マーデン、ステラそして桑山忠明さん達の平面作品が新しい潮流として紹介されました。1977年銀座小松アネックス3階にあった康画廊という洒落た画廊で開かれた「LESS IS MORE アメリカのミニマル絵画」展に鮮烈な印象が残っています。抽象絵画と一言で片づけることを拒否するような色彩やフォルムに乏しい素っ気ない作品群でした。それが却って新鮮に思えた記憶があります。翌1978年2月に、この康画廊で桑山忠明展が開かれています。リーフレットに作業服姿の若い桑山さんの写真が載っています。
今回、桑山さんのデビュー作から最近作までが、名古屋市美術館で「静けさのなかから:桑山忠明/村上友晴」と題して、全館に展示されています。会期初日4月24日に、桑山さんご自身によるギャラリートークがありましたので、その際のお話も含めて、近作の印象を述べたいと思います。
桑山さんの近作は、名古屋市美術館にこんなスペースがあったのかと訝るほどに、1階全フロアを仮設壁で三分して、3点の作品群が展示されています。金属による工業製品のような手仕事の痕跡がない無機質な作品群です。コンサートホールの壁面ようにも見えます。桑山さんは「自分は設計プランを作って、作品は工場で作ってもらうのです。私の意図するように仕上げてくれる工場を探すのが大変でね」とにこやかに話されました。この言葉はエンジニアを連想します。工業製品の製作手順は、概ね、構想を検討する、予備実験をする、具体的な設計図を描く、材質を決める、試作品で確認実験をする、量産用の加工設備を決める、性能を評価する、連続生産そして出荷検査をするといったシステマティックな過程を経ます。桑山さんのお話の一端から、このような手順を経て作品が完成するのではないかと想像しました。「仮に、作品自体が現存していなくても、設計図を残しておけば、後世の人が再現することができますね」と。まさに、エンジニア、ものづくりの考えです。誇張して言えば、正確な技術仕様を図面や文書で残すことで、桑山さんのアートは永遠に残るというわけです。
一方、桑山さんの作品展示は、単に壁に掛ければよいというわけにはいきません。場所の趣きが大事です。仮設であれ、展示空間の設営が「工業製品」をより存在感の高いアートに変容させます。照明をも含む空間構成は、桑山さんのスタジオでは試行できず、展示会場で初めて全体像が判明するという実験的、冒険的作業だそうです。桑山さんは「チャレンジですよ。スタジオでは、どんな風に見えるのかわからなくて。でも長年やっていますから...」と楽天的に話されました。このシステマティックな展示性・場所性と「工業製品」はアーチスト桑山忠明さんが、エンジニアの感覚もお持ちであることを彷彿させます。
多様な現代美術の世界の中で、すっくと立ち、研ぎ澄まされた純度の高い感性を提示する桑山さんに、永遠の青年、オポチュニスト(楽天家)の片鱗が窺えました。
(写真:川村記念美術館のためのプロジェクト、名古屋市美術館提供)
入倉 則夫(会員)
2010年
5月5日
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