お知らせ

2024年3月19日

2024年協力会イベント情報

お知らせ

2024年春の旅行は、名古屋市美術館参与の深谷さんと行く、軽井沢への旅!藤田嗣治の絵画を中心に長野や軽井沢の美術館を巡ります。訪れる美術館は、長野県立美術館、軽井沢ニューアートミュージアム、千住博美術館、安東美術館です。会員のみなさんにはご案内をお送りしましたので、申し込み期間内に、ファックスまたは、このホームページ上のリンクから、お申込みください。

その他現在、下記のイベントの開催が予定されています。

1. 未完の始まりー未来のヴンダーカンマ―展 ミニツアー 豊田市美術館 令和6年3月30日土曜日

2. 絵画の道行き 吉本作次展 ギャラリートーク 名古屋市美術館 令和6年4月13日土曜日

3. 吉本作次さんを囲む会 名古屋市美術館 令和6年4月21日日曜日

参加を希望される会員の方は、お知らせを送付しますので、ファックスか電話でお申し込みください。ホームページからの申し込みも可能です。

参加の際は、咳エチケットなど、基本的な感染防止対策にご協力をお願いいたします。体調の優れない場合は、参加をご遠慮ください。

最新の情報につきましては随時ホームページにアップさせていただきますので、そちらをご確認ください。皆さま方にはご迷惑をおかけしますが、なにとぞご理解のほど、お願いいたします。

また、くれぐれも体調にはご留意ください。

事務局

「美術って、なに?」に関する新聞記事・TV番組のご紹介

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.10.09 投稿

名古屋市美術館で開催中の「美術って、なに?」(以下「本展」)について、新聞・TVが取り上げました。新聞記事は、9.29付中日新聞「Culture」欄(宮崎正嗣記者執筆)(以下、①)と9.30付日本経済新聞「文化」欄(宮川匡司客員編集委員執筆)(以下、②)。TV番組は10.1放送のNHK・Eテレ「日曜美術館・アートシーン」(以下、③)です。以下、その概要をご紹介します。

◆新聞・TVが取り上げた作品(〇数字は、取り上げた新聞記事・TV番組を表す)

《ポーズの途中に休憩するモデル》(2000)②(文章のみ)、③

②は〈謎の微笑を浮かべたはずのモデルが、休憩中に身を横たえてくつろぐ、しどけない姿を描いた絵は、名作のまとう聖性を解体して、あっと驚かされる〉と書き、③のナレーションでも〈疲れたモデルが休む姿〉と語ります。見慣れたモナ・リザには何か距離を感じますが、名画を抜け出て休むモナ・リザを見ると身近に感じますね。

《見返り美人 鏡面群像図》(2016)①

①は〈福田さんが正面や背後など六つの角度から鏡に映った姿を想像して描いた。当時の着物の柄や帯の結び方、髪形も調べて、角度ごとにデッサンを繰り返した〉と書いています。この記事で、オリジナル(左から3番目)以外の6体を様々に描くために払った努力を知り、作品を見る目が変わりました。

《死の仮面を被った少女(ポーズの途中に休憩するモデル》(2000)①

9/30に開催された協力会ギャラリートーク(以下「9/30トーク」)では「福田美蘭さんの作品は主に絵画、インスタレーションは珍しい」という解説がありました。

《帽子を被った男性から見た草上の二人》(1992)③(ナレーションなし)

9/30トークでは、この作品を含む4点が紹介されました。本展を鑑賞する時のキーワード「美術と向き合う新しい視点」がはっきりとわかる作品ですね。

《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》(1996)③

“Great Wave” という愛称で広く世界中に知られている作品ですが、何か変。③は「実は、裏返しです」と、種明かしをしてくれました。

《石庭》(2017)②(文章のみ)

②は〈禅寺の石庭の石が尖閣列島の島々に成り代わっている作品は、禅寺の枯山水のイメージに、さざ波を立てずにはおかない〉と書いています。確かに「時代をみる」(展示している「章」のタイトル)作品です。

《テュルリー公園の音楽会》(2000)③(ナレーションなし)

番組の最後に、画像だけ登場。本展の作品解説(福田美蘭自身が執筆)には、〈同名のマネの作品に(略)渋谷のスクランブル交差点の風景を重ねてみた〉と書いてあります。

《名所江戸百景 深川洲崎十万坪》(2022)②

②は〈画家は、この絵の猛禽類が狙っている左下の早桶(粗末な棺桶)の存在を教えられて、絵の印象がガラッと変わった。その驚きを作品にした。鷲が人間の死肉を狙う苛烈な画像から、画家が連想したのは、ロシアに侵略されたウクライナでの人々の埋葬の情景だった〉と書いています。「ウクライナでの人々の埋葬の情景」という下りは作品解説に無いないので、画家に取材して書いたのでしょうね。

《ゼレンスキー大統領》(2022)①、②(文章のみ)

 ①は〈ニュース映像がそのまま写し取られたかのよう。冷徹な目で現実を観察し、意味も感情も取り除いたかのように表現した印象派の画家マネを意識した〉と書いています。

《プーチン大統領の肖像》(2023)4点組 ①(文章のみ)、②、③

新聞・TVのいずれも取り上げています。本展では《プーチン大統領の肖像(カリアティード)》14点組も展示。「重要な作品」ということです。9/30トークでは「モディリアーニの肖像画に発想を得たもの」という解説がありました。②は〈感情をあらわにしないプーチンのわずかな表情の変化を注視して、彼はいったい何を考えているのか、と私たちは読み解こうとしている。モディリアーニについて考えるには、この人以外にモデルはいない〉という画家の言葉を書いています。

◆福田美蘭の作品は従来と何が違うのか

福田美蘭の絵画は従来と何が違うのか、ということについて、②は〈近代以降の絵画は、オリジナルな表現への情熱に突き動かされてきた。(略)これに対し福田は、固有の表現をまさぐるように追究する絵画に、30年以上前、自ら疑問符を投げかけた。(略)福田が新たな絵画制作への足掛かりとしたのは、複製図版などを通して多くの人が目にする古今東西の名画や名作、それにメディアが流す報道写真や映像である。その流布するイメージをベースに据え、新たな視点で描き直すことで、我々が見過ごしていたものの見方を、意表を突くように提示する〉と、書いています。

◆最後に

9/30トークに参加した皆さんからは、異口同音に「楽しかった。面白かった」という感想を聞きました。本展について、①は〈名画やニュース映像といった私たちが普段見慣れた「イメージ」を通し、美術と向き合う新しい視点に気づかせてくれる〉と書き、②は、本展から伝わるものについて〈美術作品を身近に感じてもらおうとする強い意志〉〈今を生きる画家の鋭敏な感覚〉と書いています。

9/30トークで本展の作品から「美術と向き合う新しい視点」「美術作品を身近に感じてもらおうとする強い意志」「画家の鋭敏な感覚」を強く感じたので、参加者から「楽しかった。面白かった」という感想が出てきたのだと、改めて思いました。

Ron.

読書ノート 『Casa BRUTUS』2023年11月号

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

   2023.10.06投稿

10月6日に『Casa BRUTUS』2023年11月号(株式会社マガジンハウス発行)が発売されました。

巻頭記事は「フランク・ロイド・ライトと日本」。この外にも、帝国ホテル、落水荘、グッゲンハイム美術館、山邑太左衛門邸(ヨドコウ迎賓館)、自由学園明日館などの記事を掲載しています。

また、豊田市美術館を皮切り(2023.10.21~12.24)に、パナソニック汐留美術館、青森県立美術館へ巡回する展覧会「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」や、ライトの愛弟子・遠藤新が設計した甲子園ホテルなどに関する記事もあります。

建築関係の雑誌なので、大判で、カラー図版も豊富です。

先ずは、情報提供まで。

なお、協力会では、11月12日(日)PM 2:00から、豊田市美術館「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」鑑賞のミニツアーを予定しています。

Ron.

「美術って、なに?」 ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

2023.09.30(土)17:00~18:30

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「福田美蘭 美術って、なに?」(以下「本展」)の協力会向けギャラリートークに参加しました。参加者は43名。講師は、森本陽香学芸員(以下「森本さん」)。展示室で、福田美蘭さんの作品を前にして、森本さんの解説を聞きながら鑑賞。とても楽しく、贅沢な一時を過ごすことができました。以下、森本さんの解説の要点と私の感想を書いてみます。

◆「名画 イメージのひろがり/視点をかえる」(1階)

 本展は、3つの章で構成。1階が「序章 福田美蘭のすがた」と「名画 イメージのひろがり/視点をかえる」、2階が「時代をみる」です。ギャラリートークの内容紹介は、「名画」から始めます。

〇《死の仮面を被った少女(フリーダ・カーロによる)》(2023)

森本さんは「市美の所蔵作品から着想を得て、本展のために制作したインスタレーション(注:空間展示)です」と紹介。原寸大の《死の仮面を被った少女》から赤く光るネオン管が伸び、ブリキのジョウロにつながっています。ジョウロを覗くと、フリーダ・カーロの自画像が見えます。参加者から「ネオン管は、血管ですか? それとも、へその緒?」と、質問が出ると「どのように解釈しても自由です」との答え。《死の仮面を被った少女》はパネルにアクリル絵の具で描いたもので、額縁まで克明に再現しており、遠目には「本物」です。「著作権の関係から《死の仮面を被った少女》とフリーダ・カーロの自画像は撮影不可ですが、ネオン管やジョウロは撮影できます」との説明もありました。

〇《説教(フランク・ステラによる)》(2023)

 これも市美の所蔵品から着想を得た作品。《説教》(1990)は横倒しで、ケーキの上。B1Fに展示されている状態ではよく見えないリング状の部分まで描かれているので、「すごい、こんな所までちゃんと描いている」と、感動する参加者が多数いました。でも、それに気が付いた人も「すごい」と思います。

 森本さんは「作家はステラと面識があり、序章に展示の《フランク・ステラと私》(2001)は、写真を拡大した作品です」と解説。「写真を拡大」といえば、ゲルハルト・リヒターの「フォトペインティング」が有名ですね。福田美蘭さんは大画面の絵画で存在感を出そうとしているので、《フランクステラと私》は「フォトペインティング」というより、「違う方向性の作品」だと感じました。

〇《開ける絵》(2000)

 遊び心満点の作品。二つ折りの状態で展示されていますが、額縁を持って開くと風景画が見えます。何人もの参加者が絵を開けることに挑戦。「戻すときは手を離さず、ゆっくり動かさないと壊れます。注意してください」と、森本さんから声をかけられていました。

〇《Portrait》(1995)

 「遊び心」といえば、天井の隅にはめ込んだ作品もあります。森本さんから「天井の隅を見て下さい」と言われて顔を上げると、女性がこちらを見ています。思わず笑ってしまいました。

〇《鑑賞石・山水画》(1999)

 森本さんは「小さな石を見て山水画を思い描くというのが、鑑賞石という遊びですが、作家は鑑賞石から着想を得た山水画を描いています」と解説。参加者は山水画を背に、鑑賞石を凝視。誰もが、「自分の山水画」を思い描こうと、夢中になっていました。

〇《侍女ドーニャ・マリア・アウグスティーナから見た王女マルガリータ、…(略)…、犬)》(1992)

 ベラスケスの名画《ラス・メニーナス》(1656)を、侍女ドーニャ・マリア・アウグスティーナの視点で描いた作品。題名には王女マルガリータと犬のほか、3人の名前が入っています。《ラス・メニーナス》に触発された作品と言えば、森山泰昌《侍女たちは夜に甦る》の連作がありますね。福田美蘭さんの独自性は「侍女の視点」で描いていることです。森本さんは「当時、コンピュータは今ほど性能が高くなかったため、福田美蘭さんはコンピュータなしで侍女が見た光景を描いています」と解説。まさに、旺盛な好奇心の為せるわざです。本展では、視点を変えて描いた作品を、上記の外に《幼児キリストから見た聖アンナと聖母》(1992)、《ゼフィロスから見たクロリスとフローラと三美神》(1992)、《帽子を被った男性から見た草上の二人》(1922)の3点、展示しています。参加者は、どの作品を見ても声を上げていました。

〇《うぶごえ(コンスタンティン・ブランクーシによる)》(2023)

 この作品も、市美の収蔵品から着想を得た作品です。森本さんからは「《うぶごえ》は、表面がツルツルのブロンズの彫刻なのでピカピカ光って、ブランクーシの制作意図がわかりにくい。福田美蘭さんの作品は光らないので、《うぶごえ》という作品についてよく分かる」という趣旨の解説がありました。

〇《ゴッホをもっとゴッホらしくするには》(2002)

 大原美術館所蔵の伝フィンセント・ファン・ゴッホ《アルピーユの道》(制作年不詳)と並べて展示されています。森本さんによれば「《アルピーユの道》は調査の結果、ゴッホの頃には使われていない素材が検出され、1920年代の制作ではないかとされている作品。福田美蘭さんは、ゴッホらしい作品を描こうと、ゴッホの筆触を研究して取り組み、額縁もカラーコピー等で再現している」とのことでした。

〇《ミレー“種をまく人”》(2002)

 森本さんは「高級複製画を購入し、福田美蘭さんが考える“種まきをするときの動作”に描き直した作品です。元の絵の痕跡も残しています」と解説。

〇《湖畔》(1993)

 森本さんによれば「黒田清輝の重要文化財《湖畔》(1897)を原寸大にカラーコピーしてパネルに貼りつけ、余白に風景を書き足した作品」。「何か違和感がある」と思ったら、背景が4倍になっているのですね。「コピーをパネルに貼り付けて名作を描き直す」という発想が、とても面白いと思います。

◆「時代をみる」(2階)

〇《松竹梅》(2017)

 本展のチラシに使われている作品です。個人的には「松・竹・梅のうな重と豆絞りの手ぬぐい」だと「東京」のイメージですが、森本さんが言うには、福田美蘭さんの抱く「名古屋」のイメージは「うなぎ」だったそうです。そういえば、市美の近くにもうなぎ屋さんがありますね。福田美蘭が食べた名古屋の「うなぎ」は、さぞ、おいしかったのでしょうね。

〇《高きやに 登りてみれば》(1995)

新古今和歌集、賀歌の巻頭にある「高き屋に 登りてりてみれば 煙(けぶり)たつ 民(たみ)のかまどは にぎはひにけり」という歌が題材。歌は、民の竈から煙が上がっていないのを仁徳天皇が見て、民の負担を減らすために税を免除。その結果、民の生活が楽になったと、帝の善政を称えています。森本さんの解説は「木版画のような世界を描いていますが、アメリカン・コミック風の爆撃を連想させる描写もあります。上空から落ちてくるものは、日本に流入してくる欧米文化を象徴しています」というものでした。

〇《プーチン大統領の肖像》4点(2023)、《プーチン大統領の肖像(カリアティード)》14点(2023)

 この連作は、市美が所蔵しているモディリアーニの作品から着想を得たもの。モディリアーニの肖像画には瞳を描いていないものがありますが、プーチン大統領の肖像も1点には瞳がありません。また、先入観を持って見るからでしょうか、4点とも国民に向きあっていないような雰囲気が漂っていました。

〇《ゼレンスキー大統領》(2022)

 《プーチン大統領の肖像》を展示している区画には《ゼレンスキー大統領》も展示。作品からは、国民に呼びかけている大統領の気迫を感じました。

〇《中日新聞2023年7月11日》(2023)

 中日新聞に掲載された本展の広告から切り抜いた図版に、エディション・ナンバーと作家のサインが記入されています。福田美蘭さんは、作品解説に「新聞は数時間で消費。しかし、エディション・ナンバーを入れてサインすれば価値が出る。1996年以来、現在も新聞版画の制作を続けている」と書いています。

◆グッズ売り場(2階)

グッズ売り場では《中日新聞2023年7月11日》の解説にあった「新聞版画」も販売していました。当日は、中日新聞に掲載された《松竹梅》を作家が切り取り、エディション・ナンバーと直筆サインが入った台紙に貼ったものを販売。「数量限定・直筆サイン入り」なので、購入した参加者が何人もいました。

◆最後に

《ミレー“種をまく人”》を始め、「名画をコピーして書き直す」というのは、とても知的な遊びで、楽しみながら鑑賞できました。参加した人に聞くと、誰からも「楽しかった。面白かった」という感想が返ってきました。なお、本展の「作品解説」は全て、福田美蘭さんが執筆したものです。解説を読むと、作家と対話しているような気分になりますよ。

Ron

読書ノート 「帝国ホテル建築物語」 著者:植松三十里(うえまつ・みどり)

カテゴリ:未分類 投稿者:editor

 PHP文芸文庫 2023年1月24日 第1版第1刷

 2019年4月にPHP研究所から刊行された作品を加筆・修正した本です。帯には建築家・隈研吾氏の賛辞が太字で印刷され、「各紙誌書評で絶賛!」とも書かれています。プロローグとエピローグは、帝国ホテル中央玄関を明治村に移築する物語で、1章から8章までが本編です。いずれの内容も「事実は小説より奇なり」でした。

◆プロローグ

主要な人物は、建築家・博物館明治村館長の谷口吉郎(豊田市美術館を設計した谷口吉生の父)と名古屋鉄道株式会社・社長の土川元夫です。冒頭、土川からの長距離電話で、谷口が「明治村に帝国ホテルのライト館が移築される」という記事が夕刊に出ると知ります。昭和42年(1967)11月21日のことで、寝耳に水の話でした。プロローグは「60歳を過ぎた自分に、移築を全うする体力と気力と時間が残されているのか」と、谷口が苦悩する場面で終わります。「どうする谷口?!」という気持ちで一杯になり、エピローグまで一気に読んでしまいました。

◆1章~8章

主要な人物は、帝国ホテル支配人の林愛作、フランク・ロイド・ライト、ライトの助手・遠藤新の3人です。この3人に様々な人物が絡み合って、物語が展開します。

特に3章の、ライト館の壁や柱に多用されている黄色い煉瓦の大量生産に成功するまでの展開は、息を継ぐ暇もありませんでした。4章では、石材の選定が進まない中、ライトは郵便局の門柱に使われている大谷石に目を留めます。大蔵省臨時建築局の役人は「軽くて加工しやすい、でも安物ですよ」と言い、大倉組も「強度に問題がある」と難色を示しますがライトは意に介さず、大谷石を山ごと買い取ります。4章後半では、軟弱地盤で工事が難航。ライトと対立した石工が、ライトにノミを向けて構えるというトラブルも発生します。5章になり、愛作が覚悟を決め、ライトと二人で全員を前に演説して、ようやく現場がまとまります。

しかし、6章では大正8年(1919)12月27日に新館が全焼。再建費用が工事費に加算されます。7章では工事の遅れにより総工事費が膨らみ続ける中、大正11年(1922)4月16日に、本館が全焼。ライト館完成までホテルは休業と決定され、重役は全員辞職します。不運続きですね。

8章では、火事から10日後の4月26日、浦賀水道地震で被災。幸い、主要部分の奥がわずかに沈下しただけであったため、大正11年(1923)7月、部分完成の状態ながら帝国ホテルは営業再開。一方、ライトは同月22日に東京を離れます。大正12年(1923)9月1日、全館開業の大祝賀会が開かれた日に関東大震災で被災し、大混乱となります。地下の水泳プールは壁に大きな亀裂が生じ、柱が4本折れたものの、ライト館の主要部分は無事。翌2日にはアメリカ大使館、3日にはイギリス大使館が移り、新聞社も続々と入ります。その結果、帝国ホテルの美しさと、安全性、快適性は世界中に発信されました。

◆エピローグ

新たに登場する人物は、犬丸徹三・帝国ホテル社長です。昭和42年(1967)11月29日、犬丸は谷口に、帝国ホテルは外壁から内壁、柱、天井、床に至るまで、ひとつの塊なのだと話します。谷口は、帝国ホテルの移設では煉瓦やテラコッタは焼き直し、大谷石も新品の調達が必要だと理解。しかし、それは「復元」であり、明治村の目指す「移築保存」にはならないと悩みます。

翌11月30日、谷口は名鉄の土川社長に、ライトの感性と職人たちの技、建物そのものでなくとも様式を残せばよい、と提案。土川も同意し、帝国ホテル中央玄関の移築が始まりました。

昭和43年(1968)1月12日から搬送が始まり、運ばれた部材は大型トラック40台分、400トン。しかし、国からの助成金は当初の話の10分の1、一千万円でした。帝国ホテル中央玄関外観が完成し、公開に至ったのは昭和51年(1976)。更に内装工事を行い、内部まで公開したのは昭和60年(1985)10月。受け入れが決まってから18年もの歳月が経っていました。

ライト館建設の当初の予算額は130万円ですが、総工費は最終的に900万円を超えました。一方、明治村への移設は3億円余の見込みでしたが、17年間の総工費は約11億円に達しました。

◆最後に

 他の解説書でも帝国ホテルの建設に関する情報は得られますが、本書は「物語」なので頭の中で人物が動き出し、楽しみながら知識を吸収することが出来ました。下記のURLも必見です。

・PHPオンライン 衆知   2023年02月22日 公開   https://shuchi.php.co.jp/article/10132

Ron.

◆帝国ホテル中央玄関に関するWeb記事(補足1)

・明治村の帝国ホテル中央玄関

下記のURLに、写真と説明が掲載されています。

 帝国ホテル中央玄関 | 博物館明治村 (meijimura.com) 又は

https://www.meijimura.com/sight/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E7%8E%84%E9%96%A2/」

・スダレ煉瓦とテラコッタ

3章に書かれたスダレ煉瓦とテラコッタですが、INAX ライブミュージアム  「建築陶器のはじまり館」について、というWeb記事があります(URLは下記のとおり)。

https://livingculture.lixil.com/ilm/facility/terracotta/terracotta_about/

◆帝国ホテル以外に、日本でライトが設計した建物のWeb記事(補足2)

・林愛作自邸

4章初めに、ライトが愛作に自宅の新築を勧める場面が、7章の初めには「ライトが日本の大工たちにてきぱきと指示を出して、あれよという間にできた」という文章があります。Web記事によると、旧・林愛作自邸の建物と敷地は、現在、住友不動産が所有。「立ち入り禁止」とのことです(URLは右記のとおり)。 http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52147673.html

・自由学園明日館

6章に、建設に至るまでのエピソードが、8章の最後に「遠藤新が講堂を世に送り出した」という文章があります。自由学園明日館のホームページには、大正11年(1922) に中央棟、西教室棟が竣工、大正14年(1925) には東教室棟が完成、昭和2年(1927) に講堂が完成し、その年に初等部も設立されました、と書かれています(URLは下記のとおり)。

自由学園明日館の歴史  https://jiyu.jp/history/

 このほか、【美の巨人たち】フランク・ロイド・ライト「自由学園明日館」、というWeb記事もあります(URLは右記のとおり)。 https://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin_old/backnumber/131123/index.html

・ヨドコウ迎賓館(旧山邑太郎左衛門邸)

 7章の初めに「芦屋の山邑太郎左衛門という灘の造り酒屋のために、別邸の設計をしたが、まだ着工に至っていない」という文章があります。ヨドコウ迎賓館のホームページには、大正7年(1918)基本設計終了、大正12年(1923)着工、大正13年(1924)上棟、竣工と書いてあります(URLは右記のとおり)。 https://www.yodoko-geihinkan.jp/about/history/

 このほか、フランク・ロイド・ライト『ヨドコウ迎賓館』×内田有紀、というWeb記事もあります(URLは右記のとおり)。 https://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/?trgt=20210918

展覧会見てある記 瀬戸市美術館「瀬戸染付開発の嫡流」ほか

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.09.08 投稿

瀬戸市美術館(以下「瀬戸市美」)で開催中の「瀬戸染付開発の嫡流-大松家と古狭間家を中心に-」(以下「本展」)と瀬戸蔵ミュージアムで開催中の「白雲陶器② 瀬戸ノベルティへの展開」を見てきましたので、展覧会の概要や感想などを投稿します。

◆瀬戸市美術館「瀬戸染付開発の嫡流-大松家と古狭間家を中心に-」

本展のチラシに「磁祖加藤民吉没後200年プレ事業」と書いてあるので、来年度に大規模な展覧会が開催されると思われます(加藤民吉没後200年に当たるのは2024年)。

瀬戸市美の1階ホールのTVモニターでは、加藤民吉の修業を紹介する動画を上映。画面には民吉が修業した肥前の国佐々皿山(さざさらやま、現在の長崎県佐々町)の風景や窯場跡などが映っていました。

・展示室1

本展の題名「瀬戸染付開発の嫡流」の「染付」とは白地に青一色で絵を描いた磁器のことです。1階の展示室1・展示室2で展示していました。展示室1では、主に江戸時代の作品(ただし、2点は明治時代)を展示。入口近くの加藤民吉《染付祥瑞捻文向付》(江戸時代後期)は、青色が鮮やかな作品でした。加藤民吉(二代)《染付桐鳳凰唐草文香炉》〈岡崎市指定文化財)天保6年(1835)は素地が白く、青が引き立つ作品です。製造技術が向上したということでしょうね。加藤忠治《染付山水図植木鉢》〈重要有形民俗文化財〉(江戸時代後期)も素地が白くて、青色が冴える作品でした。加藤源吉《染付松竹梅図神酒徳利》〈重要有形民俗文化財〉万延元年(1860)は、松竹梅の図柄がきれいです。(展示室1は、撮影禁止です)

・展示室2

明治時代の作品が並んでいます。川本桝吉(初代)《染付草花図花瓶(一対)》(明治時代前期)は、草花の図柄が細部まで描かれ、とてもきれいでした。明治時代の作品には伊万里焼のような金彩を施した、川本桝吉(初代)《上絵金彩上野図花瓶》(明治時代前期)もありました。

(参考)愛知の地場産業 瀬戸染付焼について

瀬戸染付焼については、うまく説明できませんので、下記のURLをご覧ください。動画もあります。

https://www.pref.aichi.jp/sangyoshinko/jibasangyo/industry/seto-sometsukeyaki.html

◆瀬戸蔵ミュージアムの展示

・磁祖「民吉物語」(2階)

2階で「民吉物語」というマンガを展示していました。諸説ある資料を基にして、わかりやすく民吉の一生をまとめていたので、そのあらすじをご紹介します。

なお、要約により、以下の章立ては「民吉物語」とは違っていますので、ご注意ください。

① 江戸時代後期の瀬戸

 昔から陶器のまちとして栄えてきた瀬戸だったが、九州の有田で磁器の生産がはじまると、愛媛県(砥部焼)、京都(清水焼)、石川県(九谷焼)にも磁器が広がり、瀬戸焼の需要は以前ほどではなくなっていた。

② 民吉生誕、生まれる

 そんな中、瀬戸の窯元・大松窯の吉左衛門の家に、安永元年(1772)、民吉が次男として誕生。

③ 吉左衛門・民吉の父子は、熱田へ

瀬戸では長男だけが窯を継ぐ決まりだったため長男が窯を継ぐと、享和元年(1801)、吉左衛門は民吉の家族とともに、瀬戸を出て名古屋の熱田に行き、新田開発に取り組んだ。

④ 南京焼(磁器)との出会い

 新田開発の様子を見回っていた尾張藩熱田奉行の津金文左衛門は、なれない手つきで農作業をする民吉家族に気づいた。民吉一家が瀬戸出身で陶器づくりをしていたと知った文左衛門は、南京焼(磁器のこと)について書かれた中国の本を持っていたことから、民吉たちにつくり方を研究させることにした。

⑤ 南京焼は完成したが

 民吉は、南京焼を研究していた文左衛門のもとで、父の吉左衛門と試作を重ね、ついに南京焼が完成。しかし、民吉たちの南京焼は有田焼に及ぶ品質ではなかった。

⑥ 瀬戸の未来を託されて

 磁器の技法を学ぶため民吉は、瀬戸村の庄屋・加藤唐左衛門や文左衛門の息子・庄七らの支援を受けて、本場・九州へ行くことになった。菱野村(今の瀬戸市新田町)出身で、子どものころ瀬戸の窯元で働いていたこともある天中和尚が、肥後の国・天草(今の熊本県天草市)の東向寺にいることがわかり、民吉は文化元年(1804)2月22日、九州へ出発した。

⑦ 九州に到着した民吉は、天草で修業

 天草の天中和尚を訪ねた民吉は、3月27日、和尚の紹介により、天草の磁器・高浜焼の窯元上田源作のもとで働くことになった。民吉は、瀬戸村の出身だと正直に身分を明かし、修業させてもらった。

⑧ 民吉は、肥前・佐々皿山の福本仁左衛門の窯で修業

 働くうち、「肥前の有田焼を学びたい」と強く思うようになった民吉は、修業先をあちこち探し、有田焼の地に近い、肥前の国・佐々皿山(今の長崎県佐々町)の福本仁左衛門の窯に行き着き、文化元年(1804)12月28日から修業が始まった。

⑨ 民吉は福本仁左衛門の信頼を得て、磁器製法をマスター

 民吉の情熱やまじめな人柄と働きぶり、その腕前に、当主の仁左衛門は大いに感心し、佐々皿山の窯を継がせたいと考えた。ある日、仁左衛門は民吉に窯を任せて、2カ月間伊勢参りの旅に出かけた。留守を任された民吉は、磁器製法を職人たちからより詳しく教わり、2カ月ですべての技術をマスターした。

民吉はそれから約1年間懸命に働き、文化4年(1807)1月7日、仁左衛門の娘婿になることもなく、惜しまれながら福本家を去った。

⑩ 有田で上絵付を学ぼうとしたが、失敗

 民吉の心残りは錦手(上絵付のこと。磁器に模様を描いてもう一度800度位で焼き付ける方法)の技法を学んでいないことだった。民吉は「天草出身」と身分を偽り、有田で上絵付の技法を教えてもらおうとしたが、失敗。上絵付は学べなかったが、代わりに透かし彫りと丸窯のつくり方を身につけた。

⑪ 民吉は、天草で上絵付を身につける

 瀬戸へ帰る決心をした民吉は、最初に世話になった天草の上田源作のもとへあいさつに行った。上絵付の技法を知りたくて、天草の名を利用したことを正直に話し、謝る民吉。その姿に心打たれた源作は、上絵付の技法を教えてくれた。民吉はついに目的をとげ、文化4年(1807)5月13日、瀬戸へ行きたいという天草のやきもの職人一人を連れて天草を出発した。

⑫ 瀬戸に帰還し、磁器製法を広める

 文化4年(1807)6月18日、民吉は3年4カ月の修行の旅を終えて瀬戸に戻った。

 その後、民吉は猿投山から長石を掘り出し、瀬戸で豊富にとれる蛙目粘土(がいろめねんど)と調合することで、磁器にふさわしい土をつくりだすことに成功。磁器を焼くのに必要な丸窯を、瀬戸の各所につくり、仲間たちを指導して磁器製法を広めた。

⑬ よみがえる「陶磁器のまち」瀬戸

 民吉を始め、たくさんの人びとの努力が実り、瀬戸はかつての栄光を取り戻した。尾張藩は、この瀬戸焼を藩の統制品とするために「御蔵会所(おくらかいしょ、今の瀬戸蔵がある場所にあった)」をつくり、御用焼物として専売にした。藩が流通させたことで、江戸・大坂・京都を中心に各地で売れた陶磁器は、九州の有田焼をこえて「三国一」とたたえられた。

九州からもどって17年、民吉は文政7年(1824)に逝去した。享年53歳であった。      (完)

・有田の名工・副島勇七の悲劇

 「民吉物語」の【技術スパイは重罪だった!?】には〈民吉が九州に行く少し前、副島勇七という磁器職人が有田を脱出して瀬戸へ逃げてきた。しかし、藩から派遣された役人に捕まって連れ戻され、殺されて首をさらされるという悲惨な死に方をした。〉という記述があります。これは有田焼の技法流出防止のために起きた悲劇ですが、副島勇七が捕まった場所については、次のとおり、説が分かれています。

①「尾張(愛知県)の瀬戸で捕まった」という説は、次の資料に書かれており、

・有田町歴史民俗資料館報 No.22 (2014年)

https://www.town.arita.lg.jp/site_files/file/2014/site/rekishi/download/sarayama/sarayama-0022.pdf

②「伊予(愛媛県)の砥部で捕まった」という説は、次の資料に書かれています。

・広報いまり No.425  1989年7月    https://www.city.imari.saga.jp/secure/9269/No.425(H1-7).pdf

 ・砥部焼の発展      https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/45/view/5775

 いずれが正しいのか、それとも上記以外の場所で捕まったのか、私には分かりませんでした。

・「白雲陶器② 瀬戸ノベルティへの展開」(2階)

解説によれば、「白雲陶器は戦前、瀬戸にあった商工省陶磁器試験所が開発。低い温度で焼成できて、軽く白い素材。戦後、ノベルティに広く使われた」とのことでした。

戦前に製作の人形の形をした容器を始め、2020年に岡崎市美術博物館で開催された「マイセン動物園展」で見たような、《果物かごを持つ婦人》(1965年頃)や《シャムネコ》(1970年代)、人形の顔のような花瓶《ヘッドヴェイス》(1963年)など、様々なノベルティが展示されており、楽しく鑑賞できました。

3階の「瀬戸焼の歩み」でも、瀬戸ノベルティを見ることができます。

なお、「白雲陶器」につきましては、下記のURLをご覧ください。

・中部センター バーチャルミュージアム    https://unit.aist.go.jp/chubu/vm/sub2/sub2_02.html

◆最後に

 家に帰って使っている食器を見たら、飯茶碗、小皿、小鉢、そば猪口など、その多くが「染付」でした。

 また、瀬戸市美では、10/7~11/26の会期で「瀬戸ノベルティの至高 -Made in MARUYAMA-」という展覧会を開催するようですね。

Ron.

展覧会見てある記 豊田市美術館「吹けば風」ほか

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.08.29 投稿

豊田市美術館(以下「豊田市美」)で開催中の「吹けば風」「コレクション企画 枠と波」及び「コレクション展」を見てきました。豊田市美に着くと、美術担当と思われる先生に引率された、制服姿の中学生がロビーに溢れていました。人数が多く、学校行事と思われます。中学生以下は無料なので、学校は企画しやすかったのでしょう。学芸員やボランティアと思われる方々も一緒です。美術館の側も張り切っているように見えました。美術の授業で現代アートを鑑賞する機会は、多くないと思われます。「豊田市美は、この子たちの夏休みの思い出になったかな?」と考えながら、しばらくの間、その姿を眺めていました。

◆「吹けば風 Incoming Breeze」展示室1

 展示室1~5では4人の作家による企画「吹けば風」を開催中。階段を上って展示室1に入ると、床の4分の3程を占める巨大な斜面。係の人から鑑賞上の注意点を伝えられました。「斜面には、立ち入らないでください。動画の撮影はご遠慮ください。壁の作品には手を触れないでください」の三点です。「壁に作品があるの?」と疑いながら奥に進むと、壁の左上から右下にかけて「どくんどくん と」という文字が並び、右上からは「育って 育って」という文字。途中から「腐って 腐って」に変わります。人の気配がしたので振り返ると、男性が「立ち入り禁止」の斜面に入り、登り始めましたではありませんか。係の人に「斜面を登っている人がいるんですが……」と告げたところ、「あの方は作家さんです。今からパフォーマンスがあるので、ゆっくりご覧ください」という返事。見ている人間は二人だけ。「中学生も見たのかな?」と考えながら、パフォーマンスを眺めました。作品リストに目を遣ると、作家名は関川航平。タイトルは “A Summer Long”。素材・技法の欄には「23.4度の傾き、ドローイング、パフォーマンス」と書かれています。パフォーマンスは、「吹けば風」の作品だったのです。

◆「吹けば風」展示室2~3

川角岳大《Summer》(2021)

展示室1内の階段を上がり、展示室2に入ると絵画が3点。作品リストによれば、向かって右の壁の作品は川角岳大《Summer》(2021)、夏山を背景にして白い鳥が飛ぶ、爽やかな絵でした。川角岳大の出品作品は全部で23点。展示室2・展示室3の出入口や展示室4につながる廊下の突き当りまで、展示できそうなあらゆる場所に展示されていました。

 展示室2の出入り口北側の壁には、天井近くまで使って2枚の作品を上下に展示。上の絵は《イシダイ》(2023)、下の絵は《手銛》(2023)。2点を組み合わせると、手銛でイシダイを突き刺した絵が完成するという仕掛けです。

 展示室2と展示室3をつなぐ廊下東側の壁には《下りの蛇》(2021)・《上りの蛇》(2021)、《Street Light》(2022)などを、展示室3には《黒い犬》(2023)、《カラス》(2023)などを展示。分かりやすい作品なので、現代アートといっても中学生たちが面食らうようなことはなかったでしょうね。

《黒い犬》(2023)
《カラス》(2023)

◆「吹けば風」展示室4

 展示室4は、3つの区画に澤田華の映像作品を展示。最初の区画の作品は、ゾンビ映画に日常風景を撮影した動画を重ねて投影したもの。映画鑑賞中に雑念が湧き上がってくるような感覚を覚える作品でした。

 次の区画では、床に様々な物が散らかっている中を、足元に気をつけながら歩く体験ができました。最後の区画の作品は大型のモニターを使ったもので、大型のスマホを見ているような気持になりました。

◆「吹けば風」展示室5

 2階の展示室5は、船川翔司のインスタレーション。「お天気」をテーマにしているようで、室内で風が吹いていました。《双子の歌》は、展示室内に二つの大型モニターを向かい合わせに置き、同じ動画を流すものです。

◆「コレクション展」展示室6・7

展示室6・7は、通常、小堀四郎、宮脇晴・綾子の作品ばかりですが、今回は、草間彌生、グスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、ルネ・マグリットなど、豊田市美でおなじみコレクションが勢ぞろいしていました。

三木富雄の「耳の彫刻」《EAR》(1905)

◆「コレクション企画 枠と波」展示室8

入ってすぐのところにあるのが、三木富雄の「耳の彫刻」《EAR》(1905)。名古屋市美術館「コレクションの20世紀」でも見ましたが、今回は高さ170cmと、インパクトのある作品でした。

 ヨーゼフ・ボイスの作品は、2021年開催の「ボイス+パレルモ」で展示されていた、丸めたフェルトを7本並べた《ブライトエレメント》(1985)の外、お馴染みの《ジョッキー帽》(1983、85)などを展示していました。

 狗巻賢二の作品では、直交する平行線を様々に組み合わせたものを数多く出品していました。

 また、展示の最後には安藤正子さんの先生の作品、櫃田伸也《通り過ぎた風景(山々)》(1999)がありました。

◆最後に

 「吹けば風」には“くせの強い”作品が並んでいましたが、豊田市美全体では様々な作品を鑑賞することができました。中学生の皆さんも満足されたのでは、と思います。

Ron.