「ガウディとサグラダ・ファミリア展」ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

2024.01.20(土) 17:00~18:30

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」(以下「本展」)の協力会向けギャラリートークに参加しました。参加者は49名。講師は、久保田舞美学芸員(以下「久保田さん」)。当日は来館者が多く、ギャラリートーク開始時は展示室に来館者が残っていたため、美術館2階講堂で久保田さんの解説を聴いた後、自由観覧・自由解散となりました。以下は、久保田さんの解説の要点と自由観覧の感想です。

◆久保田さんの解説の要点(17:00~17:35)

〇ガウディの生涯

アントニ・ガウディは1852年、スペインのカタルーニャ地方に生まれ、1926年に死去。1882年からサグラダ・ファミリア聖堂の建設に携わった。なお、アントニ・ガウディはカタルーニャ語で、スペイン語だとアントニオ・ガウディとなる。

〇世界遺産に登録されたガウディ建築

世界遺産には、バルセロナを中心に、グエル公園、カサ・ミラなど7つの建築物が登録されている。

〇本展の概要

本展の展示は2階から始まる。「1 ガウディとその時代」「2 ガウディの創造の源泉」が2階。「3 サグラダ・ファミリアの軌跡」「4 ガウディの遺伝子」が1階。

〇本展の見どころ

本展の見どころは、次の三つ

① アイデアの源泉

② サグラダ・ファミリア聖堂の建設のプロセス

③ サグラダ・ファミリア聖堂の豊かな世界

〇アイデアの源泉

ガウディは「独創的」と言われるが、「歴史」「自然」「幾何学」がアイデアの源泉となっている。

〇サグラダ・ファミリア聖堂の建設のプロセス

・サグラダ・ファミリア聖堂建設の前史

サグラダ・ファミリア聖堂の建設は、1866年に宗教書の出版と書店を経営するブカベーリャが、「聖ヨセフ信心会」を設立したことが発端。当時広がっていた社会不安は信仰心が薄れているためでは、と考えたブカベーリャは、聖家族(サグラダ・ファミリ)の家長・聖ヨセフに救いを求める「聖ヨセフ信心会」の本堂として「サグラダ・ファミリア聖堂」の建設を提案した。

・ガウディは二代目

サグラダ・ファミリア聖堂・初代の建築家はビリャール。ネオ・ゴシック様式のささやかな規模の聖堂を計画。しかし、意見の対立からビリャールは建築家を降り、ガウディが二代目の建築家に就任した。

・ガウディが構想したサグラダ・ファミリア聖堂

ガウディがサグラダ・ファミリア聖堂の建設に取り掛かった時、巨額の献金を得て、彼はバルセロナのシンボルとなる大きな聖堂を構想した。それは、建物の平面図は十字型で、東・西と南の三つの正面(ファサード)にイエスの物語を彫刻で描くというもの。東は「降誕の正面」でイエス誕生の物語を、西は「受難の正面」でイエス磔刑の物語を、南は「栄光の正面」でイエス復活の物語を描くという構想だった。

・サグラダ・ファミリア聖堂の建設計画

2026年にサグラダ・ファミリア聖堂の完成を目指していたが、新型コロナウイルスの感染拡大で建設工事が遅れ、計画を変更。現在は、聖堂のシンボルである「イエスの塔」の2026年完成を目指している。

〇本展の展示内容

1 ガウディとその時代

・ガウディ・ノート

若い頃に使っていたノート。建築論を書いていたことがわかる。

・クメーリャ革手袋店ショーケース、パリ万国博覧会のためのスケッチ

アウゼビ・グエル(ガウディのパトロン)がガウディを見出すきっかけとなったショーケース

2 ガウディの創造の源泉

・破砕タイル

曲面をタイルで覆うための工夫として、破砕タイルを使用した。

・コローニア・グエル教会堂、逆さ吊り実験

模型の下の床面が鏡になっているので、床からアーチが立ち上がっているように見える。

・ニューヨーク大ホテル計画案模型

回転放物線面(パラボラ形の塔)の建物だが、実現しなかった。

3 サグラダ・ファミリアの軌跡

・サグラダ・ファミリア聖堂のオリジナル模型

本展には、サグラダ・ファミリア聖堂のオリジナル模型も展示。スペイン内戦で破壊されたものを補修して使っている。茶色のところがオリジナルの部分で白いところが補修箇所。

・サグラダ・ファミリア聖堂の塑像断片

これも、スペイン内戦で破壊された塑像の断片。

・サグラダ・ファミリア聖堂、身廊部模型

枝分かれする柱を見ると、森の中にいるような空気感がある。

・サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:歌う天使たち

外尾悦郎が制作。石像が設置されるまでの10年間、サグラダ・ファミリア聖堂に置かれていた石膏像。

最後 サグラダ・ファミリアの4K映像

2023今年5月にNHKが撮影したドローン撮影を含むサグラダ・ファミリアの動画(5分17秒)を上映。

◆自由鑑賞(17:35~18:30頃)

2 ガウディの創造の源泉

・ガウディが描いた図面

ガウディが卒業制作の大学講堂・断面図やガウディが製図したモンセラー修道院聖堂(設計はビリャール)を見た参加者は、誰もが「こんなに細い線をどうやって描いたの!?」とびっくり。久保田さんに聞いたところ「下書きは鉛筆のようで、図面はインクで描いたと思われますが、筆記具は不明」との回答でした。ギャラリートークに参加した皆さんは誰も、ガウディの製図の腕前を称賛していました。

・サグラダ・ファミリア仮設学校屋根:錐状面模型とVideo

興味をもって見たのは、「直線を平行移動させて作る曲面」によって作られたサグラダ・ファミリア仮設学校(サグラダ・ファミリアの建設現場で働く人々の子どもや地域の子どもが学ぶ学校)の屋根の構造模型とVideoです。安価な薄いレンガを積み重ねる工法で制作した曲面の屋根と壁で支える構造の建物で、低い建設コストでありながら広い空間の教室を実現しているのが素晴らしいと思いました。(下の写真は、本展展示のサグラダ・ファミリア聖堂全体模型の中にある、サグラダ・ファミリア仮設学校)

3 サグラダ・ファミリアの軌跡

・降誕の正面:歌う天使たち

ほぼ等身大の石膏像を間近に見るという、素晴らしい体験をしました。

◆最後に

ギャラリートークでは、小さな声ですが、参加者と意見交換することができたので、楽しく鑑賞することができました。

久保田さん、ありがとうございました。

Ron

「美術って、なに?」 ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

2023.09.30(土)17:00~18:30

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「福田美蘭 美術って、なに?」(以下「本展」)の協力会向けギャラリートークに参加しました。参加者は43名。講師は、森本陽香学芸員(以下「森本さん」)。展示室で、福田美蘭さんの作品を前にして、森本さんの解説を聞きながら鑑賞。とても楽しく、贅沢な一時を過ごすことができました。以下、森本さんの解説の要点と私の感想を書いてみます。

◆「名画 イメージのひろがり/視点をかえる」(1階)

 本展は、3つの章で構成。1階が「序章 福田美蘭のすがた」と「名画 イメージのひろがり/視点をかえる」、2階が「時代をみる」です。ギャラリートークの内容紹介は、「名画」から始めます。

〇《死の仮面を被った少女(フリーダ・カーロによる)》(2023)

森本さんは「市美の所蔵作品から着想を得て、本展のために制作したインスタレーション(注:空間展示)です」と紹介。原寸大の《死の仮面を被った少女》から赤く光るネオン管が伸び、ブリキのジョウロにつながっています。ジョウロを覗くと、フリーダ・カーロの自画像が見えます。参加者から「ネオン管は、血管ですか? それとも、へその緒?」と、質問が出ると「どのように解釈しても自由です」との答え。《死の仮面を被った少女》はパネルにアクリル絵の具で描いたもので、額縁まで克明に再現しており、遠目には「本物」です。「著作権の関係から《死の仮面を被った少女》とフリーダ・カーロの自画像は撮影不可ですが、ネオン管やジョウロは撮影できます」との説明もありました。

〇《説教(フランク・ステラによる)》(2023)

 これも市美の所蔵品から着想を得た作品。《説教》(1990)は横倒しで、ケーキの上。B1Fに展示されている状態ではよく見えないリング状の部分まで描かれているので、「すごい、こんな所までちゃんと描いている」と、感動する参加者が多数いました。でも、それに気が付いた人も「すごい」と思います。

 森本さんは「作家はステラと面識があり、序章に展示の《フランク・ステラと私》(2001)は、写真を拡大した作品です」と解説。「写真を拡大」といえば、ゲルハルト・リヒターの「フォトペインティング」が有名ですね。福田美蘭さんは大画面の絵画で存在感を出そうとしているので、《フランクステラと私》は「フォトペインティング」というより、「違う方向性の作品」だと感じました。

〇《開ける絵》(2000)

 遊び心満点の作品。二つ折りの状態で展示されていますが、額縁を持って開くと風景画が見えます。何人もの参加者が絵を開けることに挑戦。「戻すときは手を離さず、ゆっくり動かさないと壊れます。注意してください」と、森本さんから声をかけられていました。

〇《Portrait》(1995)

 「遊び心」といえば、天井の隅にはめ込んだ作品もあります。森本さんから「天井の隅を見て下さい」と言われて顔を上げると、女性がこちらを見ています。思わず笑ってしまいました。

〇《鑑賞石・山水画》(1999)

 森本さんは「小さな石を見て山水画を思い描くというのが、鑑賞石という遊びですが、作家は鑑賞石から着想を得た山水画を描いています」と解説。参加者は山水画を背に、鑑賞石を凝視。誰もが、「自分の山水画」を思い描こうと、夢中になっていました。

〇《侍女ドーニャ・マリア・アウグスティーナから見た王女マルガリータ、…(略)…、犬)》(1992)

 ベラスケスの名画《ラス・メニーナス》(1656)を、侍女ドーニャ・マリア・アウグスティーナの視点で描いた作品。題名には王女マルガリータと犬のほか、3人の名前が入っています。《ラス・メニーナス》に触発された作品と言えば、森山泰昌《侍女たちは夜に甦る》の連作がありますね。福田美蘭さんの独自性は「侍女の視点」で描いていることです。森本さんは「当時、コンピュータは今ほど性能が高くなかったため、福田美蘭さんはコンピュータなしで侍女が見た光景を描いています」と解説。まさに、旺盛な好奇心の為せるわざです。本展では、視点を変えて描いた作品を、上記の外に《幼児キリストから見た聖アンナと聖母》(1992)、《ゼフィロスから見たクロリスとフローラと三美神》(1992)、《帽子を被った男性から見た草上の二人》(1922)の3点、展示しています。参加者は、どの作品を見ても声を上げていました。

〇《うぶごえ(コンスタンティン・ブランクーシによる)》(2023)

 この作品も、市美の収蔵品から着想を得た作品です。森本さんからは「《うぶごえ》は、表面がツルツルのブロンズの彫刻なのでピカピカ光って、ブランクーシの制作意図がわかりにくい。福田美蘭さんの作品は光らないので、《うぶごえ》という作品についてよく分かる」という趣旨の解説がありました。

〇《ゴッホをもっとゴッホらしくするには》(2002)

 大原美術館所蔵の伝フィンセント・ファン・ゴッホ《アルピーユの道》(制作年不詳)と並べて展示されています。森本さんによれば「《アルピーユの道》は調査の結果、ゴッホの頃には使われていない素材が検出され、1920年代の制作ではないかとされている作品。福田美蘭さんは、ゴッホらしい作品を描こうと、ゴッホの筆触を研究して取り組み、額縁もカラーコピー等で再現している」とのことでした。

〇《ミレー“種をまく人”》(2002)

 森本さんは「高級複製画を購入し、福田美蘭さんが考える“種まきをするときの動作”に描き直した作品です。元の絵の痕跡も残しています」と解説。

〇《湖畔》(1993)

 森本さんによれば「黒田清輝の重要文化財《湖畔》(1897)を原寸大にカラーコピーしてパネルに貼りつけ、余白に風景を書き足した作品」。「何か違和感がある」と思ったら、背景が4倍になっているのですね。「コピーをパネルに貼り付けて名作を描き直す」という発想が、とても面白いと思います。

◆「時代をみる」(2階)

〇《松竹梅》(2017)

 本展のチラシに使われている作品です。個人的には「松・竹・梅のうな重と豆絞りの手ぬぐい」だと「東京」のイメージですが、森本さんが言うには、福田美蘭さんの抱く「名古屋」のイメージは「うなぎ」だったそうです。そういえば、市美の近くにもうなぎ屋さんがありますね。福田美蘭が食べた名古屋の「うなぎ」は、さぞ、おいしかったのでしょうね。

〇《高きやに 登りてみれば》(1995)

新古今和歌集、賀歌の巻頭にある「高き屋に 登りてりてみれば 煙(けぶり)たつ 民(たみ)のかまどは にぎはひにけり」という歌が題材。歌は、民の竈から煙が上がっていないのを仁徳天皇が見て、民の負担を減らすために税を免除。その結果、民の生活が楽になったと、帝の善政を称えています。森本さんの解説は「木版画のような世界を描いていますが、アメリカン・コミック風の爆撃を連想させる描写もあります。上空から落ちてくるものは、日本に流入してくる欧米文化を象徴しています」というものでした。

〇《プーチン大統領の肖像》4点(2023)、《プーチン大統領の肖像(カリアティード)》14点(2023)

 この連作は、市美が所蔵しているモディリアーニの作品から着想を得たもの。モディリアーニの肖像画には瞳を描いていないものがありますが、プーチン大統領の肖像も1点には瞳がありません。また、先入観を持って見るからでしょうか、4点とも国民に向きあっていないような雰囲気が漂っていました。

〇《ゼレンスキー大統領》(2022)

 《プーチン大統領の肖像》を展示している区画には《ゼレンスキー大統領》も展示。作品からは、国民に呼びかけている大統領の気迫を感じました。

〇《中日新聞2023年7月11日》(2023)

 中日新聞に掲載された本展の広告から切り抜いた図版に、エディション・ナンバーと作家のサインが記入されています。福田美蘭さんは、作品解説に「新聞は数時間で消費。しかし、エディション・ナンバーを入れてサインすれば価値が出る。1996年以来、現在も新聞版画の制作を続けている」と書いています。

◆グッズ売り場(2階)

グッズ売り場では《中日新聞2023年7月11日》の解説にあった「新聞版画」も販売していました。当日は、中日新聞に掲載された《松竹梅》を作家が切り取り、エディション・ナンバーと直筆サインが入った台紙に貼ったものを販売。「数量限定・直筆サイン入り」なので、購入した参加者が何人もいました。

◆最後に

《ミレー“種をまく人”》を始め、「名画をコピーして書き直す」というのは、とても知的な遊びで、楽しみながら鑑賞できました。参加した人に聞くと、誰からも「楽しかった。面白かった」という感想が返ってきました。なお、本展の「作品解説」は全て、福田美蘭さんが執筆したものです。解説を読むと、作家と対話しているような気分になりますよ。

Ron

展覧会見てある記「マリー・ローランサンとモード」

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

2023.06.30 投稿

名古屋市美術館で開幕したばかりの「マリー・ローランサンとモード」(以下「本展」)。2023.06.25(日)17:00~18:30に開催された協力会向け解説会(以下「解説会」)に参加しましたので、その概要とともに、本展の感想などを<補足>として書き足しました。

解説会の講師は、勝田琴絵学芸員(以下「勝田さん」)。今回の解説会は、4年ぶりにギャラリートーク(講堂ではなく、展示室で行う解説)となりました。久しぶりの「目の前に作品がある」解説会なので、参加者はもちろんのこと、勝田さんも気分が高まったようで、予定の1時間を越え、1時間半近くの解説会となりました。

◆本展の成り立ち等について(エントランスホールにて)

勝田さんによれば、本展は企画会社が持ち込んだもの。マリー・ローランサンの作品については、名古屋市美術館の深谷参与が担当。シャネルのドレスなど「モード」に関しては他の企画者が担当という分業制で、展覧会全体の構成については名古屋市美術館が中心になって担当、とのことでした。

◆Ⅰ レザネ・フォルのパリ (Paris of Les Années folles)

勝田さんによれば、第1章では「狂騒の時代=レザネ・フォル : Les Années folles」と呼ばれた1920年代のマリー・ローランサン(以下「ローランサン」)とガブリエル・シャネル(以下「シャネル」)の活躍を示す作品、写真などを展示。当時、社交界の女性たちや前衛画家を庇護する女性たちのステイタスは、①ローランサンに肖像画を描いてもらうこと、②シャネルの服を着て、マン・レイに写真を撮ってもらうこと、の二つだったそうです。

〇《わたしの肖像》(1924)(注:特に説明の無い作品は、ローランサンが描いたもの。以下、同じ)

ローランサンが自信をもって描いた自画像。彼女は短髪で、モダンガールのような装い、との解説でした。

〇《マドモアゼル・シャネルの肖像》(1923)

シャネルがローランサンに依頼した肖像画。しかし、シャネルは気に入らず、ローランサンに描き直しを要求。シャネルは女性の社会進出を推し進めていたので、このように装飾的な肖像画は不満だったと思われます。一方、ローランサンは描き直しを拒否。シャネルを「田舎者」と見下していたのでしょう。シャネルも対抗して作品の買い取りを拒否。物別れとなり、現在、オランジェリー美術館が作品を所蔵している、との解説でした。

<補足>

 この作品は、特製の枠に囲まれています。ローランサンが描いたシャネル、本展の主役二人に関係する作品ですから、特別扱いも納得。「本展を象徴する作品」という感じがします。

シャネルについて知るため、YouTubeの「シャネル ファッション・デザイナーへの道」という動画(以下「YouTube」 URLは、下記(*)に記載) を見ると、シャネルがネクタイを締め、男物のシャツと乗馬ズボンをはいた姿を撮影した写真が出てきました。* URL : https://www.youtube.com/watch?v=Z49X-pjFR64

『もっと知りたい シャネルと20世紀モード』 朝倉三枝 著 発行所 株式会社東京美術 2022.10.25発行(以下『シャネルと20世紀モード』)p.7にも、同じ写真が載っています。シャネルを象徴する写真ですね。

YouTubeでは、シャネルを主人公にした映画の「シャネルが男用の乗馬姿に着替える」という場面も紹介。シャネルは、当時の女性の装飾過剰なファッションを嫌い、機能的な男性の服装が気に入っていたようですね。YouTubeは更に、上流社会の社交場であった競馬場にシャネルが男物のコートを着て行った時の写真も紹介しています。肖像画も男性的な服装なら、シャネルからOKが出たかもしれませんが、当時の常識を外れた肖像画では、ローランサンの方が描くことを拒否したでしょう。(写真撮影の年代は不明ですが、肖像画の制作と年代が離れているのは確か。なので、的外れの想像になるかも)

〇《テティエンヌ・ド・ボーモン伯爵夫人の空想的肖像画》(1928)

本人の子どもの頃を想像して描いた大型の肖像画。隣には、この作品の前に座った夫人の写真も展示。ローランサンは、夫のボーモン伯爵が開催した夜会「ソワレ・ド・パリ」のポスターも描いた、との解説でした。

〇映像 マン・レイ《シャネルの服を着た社交界の女性たち》

マン・レイに写真を撮ってもらうことは、社交界の女性のステイタス。「今回は時間がないので、次の機会にじっくりご覧ください」との解説でした。

<補足>

 上映されているポートレイトは、1924年~1930年に撮影されたもの。100年近く前の写真なので、写っているのは知らない人ばかりですが、princess(王女)、duchess(公爵夫人)という肩書や本人の容姿、装身具から推察すると、身分の高い人やお金持ち、女優などと思われます。パールのロングネックレスを着けたシャネルもモデルになっています。次回は勝田さんのアドバイスに従って、じっくりと見たい映像です。

◆Ⅱ 越境するアート (Cross-border Art)

〇《牝鹿と二人の女性》(1923)/ 限定書籍『セルゲイ・ディアギレフ劇場「牝鹿」』1,2巻(1924)

勝田さんによれば、ローランサンは作曲家・プーランクの推薦で、セルゲイ・ディアギレフが率いるロシア・バレエのバレエ団=バレエ・リュスの「牝鹿」の衣装と舞台装置のデザインを手掛けたとのこと。バレエの振り付けは、舞踊家ニジンスキーの妹ニジンスカヤ。衣装については、ローランサンのデザイン画が分かりにくかったため作り直しが多く、制作現場は大混乱だった、との解説でした。

〇映像 NBAバレエ団「牝鹿」の日本公演(2009)

勝田さんによれば、ピンクの羽飾りの帽子を被り、ピンクの衣装を着た乙女たちが踊っているところに、美青年が来て乙女たちを誘うが、乙女たちは見向きもしない、というストーリーとのことです。

<補足>

 女性はひざ下丈のゆったりしたワンピース、男性はランニングシャツにショートパンツという姿。モダンダンスのように見えます。とはいえ、バレエは軽快で、思わず見入ってしまいました。

〇《アポリネールの娘》(1924)

 勝田さんによれば、アポリネールの死後に描かれた作品。「ローランサンとアポリネールとの間に娘がいたら」と空想して描いたそうです。

〇《優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踊》(1913)

勝田さんによれば、キュビスムの頃と円熟期の境の時期に描かれた、ローランサンの代表作の一つ。平面的な描写ですが、キュビスム的な手法の作品、とのことでした。

〇映像 「青列車」 ピカソとダンス「青列車」「三角帽子」(DVD)より(1993年12月収録)

勝田さんによれば、シャネルはバレエ・リュス「春の祭典」を資金援助。「青列車」もバレエ・リュスの作品で、幕はピカソ、衣装はシャネルが担当。更衣室から出てくる女性のテニス・チャンピオンはシャネルのワンピースと、イミテーションパールのイヤリングを身に着けている、とのことです。

<補足>

「青列車」の登場人物が身に着けているのは、当時のリゾート・ウエア。男女とも、水着はワンピース(ノースリーブで、下はシュートパンツ)。当時の藤田嗣治の水着写真も、ワンピースでしたね。

イミテーションパールですが、前出『シャネルと20世紀モード』のp.36は、シャネルは「高価な宝石がそれを身に着ける女性を豊かにするわけではない。……ジュエリーはあくまで装飾品であり、楽しみのひとつであるべきだ」という考えのもと、あえて本物と偽物のジュエリーをまとい、1924年頃、イミテーションを扱うコスチューム・ジュエリー部門を開設した、と書いています。積極的にイミテーションを販売したのですね。

バレエは、「牝鹿」と同様の軽快な動き。先に登場した女性のテニス・チャンピオンと後から登場する男性ゴルファーの掛け合いがユーモラスで、見飽きません。男性ゴルファーの服装は、ニッカーボッカーズでした。

〇《アンドレ・グルー夫人(ニコル・ポワレ)》(1913)・《アンドレ・グルー夫人(ニコル・ポワレ)》(1937)

 画面が楕円形の作品です。勝田さんによれば、楕円形の画面は寝室を飾るため、とのこと。装飾家アンドレ・グレーの夫人は、「モードの帝王」と呼ばれたポール・ポワレの妹・ニコル。ローランサンとニコルは生涯にわたって深い親交を結んだ、との解説でした。

〇アール・デコ展(現代産業装飾芸術国際博覧会)1925年のパネル

勝田さんによれば、名古屋展のために製作したパネル、とのこと。パネルには、ポール・ポワレが、衣服だけでなく室内装飾までも展示した三艘の遊覧船をセーヌ川を浮かべ、毎夜のように客を招いて豪華な夕食会を開催したが、結果は大赤字。1929年には、自分のメゾン(店)を畳むことになった、と書かれています。

<補足>

大きなパネルで、博覧会の会場地図だけでなく、セーヌ川に浮かぶ遊覧船や、遊覧船内の展示風景の写真も貼ってあります。製作は大変だったと思いますが「優れもの」のパネルです。

◆Ⅲ モダンガールの登場 (Rise of The Modern Girl)

第3章からの会場は2階に写ります。広い空間の中央に4体のドレス(ただし、うち1体は撮影禁止です)が置かれ、周囲の壁に作品や写真などが展示されていました。

〇シャネル《帽子》1910年代

勝田さんによれば、シャネルは帽子の制作・販売からファッションの仕事を始めた、とのことです。

<補足>

《帽子》の隣には、1900年代~1910年代の帽子のイラストが、次々と投影されていました。すぐにイラストが変わるので、文字がうまく読み取れませんが、辛うじて Paul Poilet(ポール・ポワレ)、Jeanne Lanvin(ジャンヌ・ランバン)、Gabrielle Cannel(ガブリエル・シャネル)という名前は読み取れました。名前の読み取りは難しいですが、このイラストも見逃せませんよ。展示室では、イラストの投影だけでなく、帽子を描いたローランサンの作品も展示しています。

〇ジャン・コクトー《ポワレが去り、シャネルが来る》(オリジナル:1928)アートプリント

 勝田さんによれば、ポール・ポワレが第一線を退き、シャネルが流行を牽引するようになったことを象徴するイラストなので展示した、とのことでした。

〇ポール・ポワレ《カフタン・コート「イスファハン」》(1908)

写真撮影スポットを示す印の正面に展示されているコート。勝田さんによれば、コートの向かい側の壁に展示の『ポール・ポワレのドレス』のイラストに、展示されているコートと同じものがある。材質は絹、模様は金糸で刺繍したもの、とのことでした。1920年代は「シャネル旋風」が巻き起こりますが、1930年代の流行はスカート丈が長くウエストを絞った、女性的なスタイルに回帰。バイアスカットの技法で縫製し、体の線に沿ったマドレーヌ・ヴィオネやジャンヌ・ランバンがデザインしたドレスが流行、との解説でした。

 <補足>

中央が《カフタン・コート「イスファハン」》。写真では分かりにくいですが、かなり薄手の生地。スカートのピンク色も鮮やか。100年以上前のものとは思えません。向かって右はシャネル《イブニング・ドレス》(1920-21)、左がジャンヌ・ランバン《ドレス》(1936)で、バイアスカットの技法で縫製しています。壁に展示されているのは、帽子をかぶった女性の肖像画です。(作品を撮っている女性もドレスの陰に写っています)

なお、「バイアスカット」について書くと長くなるので、別のブログ原稿に書くことにします。

また、「シャネル旋風」についての解説があったと思うのですが、帽子のイラストやローランサンの作品等に夢中で、聞き漏らしてしまいました。残念。

〇《シャネル N°5 の広告》(1936)

 勝田さんによれば、皆さんご存じのとおり、シャネル・ブランドで1921年に発売した香水。シンプルなデザインのボトルは斬新で、大いに売れた、とのことでした。

<補足>

「シャネルの5番」について、『シャネルの真実』 山口昌子 著 新潮文庫(以下『シャネルの真実』)は、 p.221 に<シャネルの名を不朽のものにすると同時に、莫大な財政的成功をもたらし、経済的にも自立した20世紀の解放された女性の代表の地位を与える結果となった>と書いています。大成功だったのですね。

◆エピローグ:蘇るモード (Fashion Reborn )

〇カール・ラガーフェルド《ピンクのツィードのスリーピース・スーツ》(2011)

 勝田さんによれば、シャネルのデザイナー=カール・ラガーフェルドは、2011年にローランサンのピンク色に発想を得た、ツィードのシャネル・スールを発表。このことにより、ローランサンとシャネルは和解に至った、とのことでした。

<補足>

女性参加者の多くは、ピンク色のシャネル・スーツを見て、大統領夫人のジャクリーヌ・ケネディを想起したようです。このことについて、前出の『シャネルと20世紀モード』p.69は、<夫人のスーツは、シャネルの1961年秋冬コレクションで発表されたモデルで、パリの本店から送られて来た素材を使い仕立てられていた。ジャクリーヌのスーツは2003年に、当時のままアメリカ国立公文書館に寄贈されたが、家族の意向で100年間、公にせず保管されることとなっている>と書いています。

〇映像 カール・ラガーフェルド《2011年春夏 オートクチュール コレクションより》(2011)

 勝田さんから「この映像で本展の解説会は終了です。展示室を閉めるまで、もう少し時間がありますので、自由に、ご鑑賞ください」という挨拶があり、解説会は終了。自由解散となりました。

<補足>

最後の映像も、見ごたえ十分です。解説会の締めくくりとなる展示なので、大勢の会員が立ち見をしていました。女性会員は、カール・ラガーフェルドをよくご存じでしたが、恥ずかしながら私は “Karl Who ?” という状態。日本語のYouTubeを探して、「シャネルを復活させたドイツ人デザイナー」「サングラスとポニーテールが目印」という人物像を知ることが出来ました。視聴したYouTubeは、下記のとおりです。

【カール・ラガーフェルド】モード界を牽引してきた帝王 ★40枚の写真で振り返るレジェンドの軌跡

URL: https://www.youtube.com/watch?v=JVLkXy-80zI&t=782s

実は、前出『シャネルの真実』p.279 -281 でも、カール・ラガーフェルドについて書いていました。

また、本展公式ホームページによれば、『シャネルの真実』の著者・山口昌子さんによる本展の特別解説会「ココ・シャネルの真実」が7月29日(土)14:00から名古屋市美術館2階講堂で開催されるようです。当日は先着順、30分前に開場し定員(180名)になり次第締め切りとのことですから、どうしても講演を聴きたいという方は早めに並ぶことをお勧めします。

<参考> 2022年6月 豊田市美術館 交歓するモダン

 2022年6月に、豊田市美術館「交歓するモダン」に行きました。その時、ポール・ポワレ、ジャンヌ・ランバン、マドレーヌ・ヴィオネ、ガブリエル・シャネルの展示作品を撮影。ブログに掲載しましたので、興味のある方は下記のURL で検索してください。

URL: 6月 « 2022 « 名古屋市美術館協力会ブログ (members-artmuse-city-758.info)

Ron

マリー・ローランサンとモード展ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

                                     令和5年6月25日開催

 令和5年度の名古屋市美術館協力会総会のあと、午後5時から、協力会の会員限定のギャラリートークが開催されました。担当学芸員による解説を聞きながら、展示室内でゆっくり絵画を鑑賞でき、会員たちも満足の様子でした。

ローランサンの絵画の色調に合わせたピンクの壁など、展示も工夫されていて、見ごたえもあり、ローランサンやシャネルの活躍したころのフランスにタイム・トリップできますよ。