名古屋市美術館協力会  秋のツアー2023 大阪

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor

 2023.12.10開催 

今回参加したのは、2019(令和元)年12月1日以来、4年ぶりのツアーです。前回は奈良が目的地で4カ所を見学、今回は大阪が目的地で2カ所を見学。集合場所は2019年と同じ名古屋駅噴水前でしたが、何と、噴水がありません。リニア中央新幹線開業に向けた名古屋駅工事の関連で撤去されていました。4年という歳月の長さを感じます。これからの集合場所は「銀時計前」に変更ですね。なお、今回の参加者は32名。集合時刻の午前7時45分よりも前に全員が集合したので午前7時50分(予定の10分前)にバスは発車しました。

◆往路:渋滞知らずの新ルート

 従来、関西方面のツアーでは往路・復路とも渋滞がつきものでしたが、2019(平成31)年3月に新名神高速道路の新四日市JCT~亀山西JCTが開通した後は渋滞知らず。新名神高速道路を走るバスの車窓からは、鈴鹿山脈が間近に見えました。草津PAで休憩、瀬田東JCTから京滋バイパス経由で南に向かい、東大阪JCTから大阪都市高速、森之宮ICから一般道に入ってバスは藤田美術館へ向かい、車窓からは大阪城がくっきり見えました。

◆平成26(2014)年以来、9年ぶりの藤田美術館(10:30~12:30)

〇到着時にアナウンスされた注意事項

藤田美術館には午前10時30分(予定の40分前)に到着。添乗員の石井さん(以下「石井さん」)が入場手続きを済ませると、藤田美術館から次の5点についてアナウンスがありました。

①午前11時から予約不要のギャラリートークが始まるので、希望される方は展示室内でお待ちください、②展示品の解説パネルはありませんが、スマホで展示室入口のQRコードを読み取ると、展示品の解説を音声と文字で提供するアプリをインストールできます(注:実は、バス乗車時に渡された資料にQRコードがありました)、③エントランスのお茶室「あみじま茶屋」で、お茶と団子のセットを有料で提供しています、④展示室を出るとお庭(注:大阪市の「旧藤田邸庭園」)を見学できます、⑤展示室に再入場する時は「協力会ツアー参加者」とお告げください。

アナウンスは以上で終わり。石井さんが「12時30分に集合してください」と告げると、参加者はそれぞれの目的地=お茶屋・展示室・お庭を目指して行動を開始しました。

〇リニューアルした藤田美術館

私にとって、協力会のツアーで藤田美術館を訪れるのは、今回が2度目です。前回は2014年。当時の展示室は旧藤田邸の土蔵でした。藤田美術館は2017年に一時休館し、2022年にリニューアル・オープン。今回は、ガラス張りの白い建物が迎えてくれました。以前は冷暖房が無く「春・秋のみの開館」でしたが、リニューアル後は「年末年始を除き無休」。以前の建物の名残もあります。私が気付いたのは、展示室の入口・出口の、再利用された土蔵の鉄扉と土蔵の梁を再利用したエントランスの長椅子でした。すっかり様変わりしていましたね。

なお、リニューアルの詳細は、次のURLをご覧ください。 URL: https://webtaiyo.com/pickup/4615/

〇ギャラリートークの概要

今回、鑑賞した展示テーマは「妖」「護」「山」の三つ。学芸員さんの説明によると、展示室は可動壁で4つに仕切られ、毎月、各室が順番に展示替えをします。各室とも4カ月目に壁を閉じ、次回展示の準備に入ります。つまり「いつ来館しても、3つテーマの展示を鑑賞できる」とのことでした。

「妖」

 最初の解説は長澤蘆雪の三幅対。左幅は「白蔵主」(狐が化けた僧侶)中央が「幽霊」右幅「髑髏仔犬」(狐が化けていることを見破った仔犬と狐に喰われた白蔵主の髑髏)とのことでした。次は、鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)の《吉原通図(よしわらかよいず)》。絵巻最後の場面、同衾する男女の横に置かれた屏風に書かれた「鳥文斎栄之」の署名は作者の「隠し落款」との解説でした。三つ目は、菱川師宣の《大江山酒呑童子絵巻 下巻》。斬られた鬼の傷口から飛び散る血しぶきの描写は凄惨でした。四つ目は、《小野小町坐像》。謡曲『卒塔婆小町』に取材した作品なので、老いさらばえ、ぼろを纏った姿の小町にびっくり。最後は、船遊びの様子を描いた岡田半江(おかだはんこう)の《網島船遊画巻(あみじませんゆうがかん)》でした。

「護」

 展示品は、仏像、仏画及び仏具。最初は《四天王像》。東に《持国天》南に《増長天》西に《広目天》北に《多聞天》と、四方に仏像が並んでいます。学芸員さんは「鎌倉時代の作で《増長天》《広目天》は静、《持国天》《多聞天》は動。四天王が踏み付けている邪鬼の目は玉眼」と解説。よく見ると、邪鬼が可愛らしい存在に見えます。高野山に伝わった、鎌倉時代の金メッキの密教仏具のセットも、目を引きました。

「山」

 展示品は、山に関するもの。最初は、小川破笠(おがわはりつ)《仲麻呂観月掛板》。山は描かれていませんが「上に描かれた月の凸凹は金属の腐食によるもの、下に描かれた王維と阿倍仲麻呂が月を見ている姿。主題は『天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも』の歌」との解説がありました。《竹鶴蒔絵茶箱》も面白い展示品です。茶碗・茶入れ・茶杓・茶筅などをコンパクトに納める携帯用の箱です。「どのような組み合わせにするか考えるのが楽しみ」との解説でした。ギャラリートークの解説はありませんでしたが、大きく歪んだ明時代の鉢《祥瑞山水人物反鉢》は、白地に鮮やかな藍色の山水と人物が描かれた美しい磁器でした。なお、藤田美術館のホームページのURLはつぎのとおりです。

藤田美術館 | FUJITA MUSEUM藤田美術館 | FUJITA MUSEUM (fujita-museum.or.jp)

〇お庭(旧藤田邸庭園)

 前回は見学時間が短く、お庭を鑑賞する余裕はありませんでしたが、今回は見学時間は長かったのでお庭を鑑賞することが出来ました。展示室を抜けて、しばらく歩くと庭への出口があります。庭に出ると最初に見えるのが、高野山・高臺院から移築した塔で、その横を進むと、広場と散策路が広がります。大阪市の公園なので、道路から庭園に入ることもできるようです。当日は、秋を思わせる爽やかな天候だったので、藤田美術館来場者以外の人たちも公園を歩いていました。庭を散策して、晴れ晴れした気持ちになりました。藤田美術館のリニューアルにあわせて、茶室も新築されたそうです。なお、大阪市のホームページに掲載の旧藤田邸庭園のURLは、次のとおりです。 大阪市:旧藤田邸庭園 (…>大阪市指定文化財>大阪市指定文化財(指定年度別)) (osaka.lg.jp)

〇あみじま茶屋

 お庭の後の楽しみは、団子とお茶。2個を串刺した団子2本(餡と醤油)と、お茶は抹茶・番茶・煎茶の中から選べます。お値段は1セット500円。朝が早くて空腹だったので、有難かったですね。

◆昼食はホテルの12階、眼下に大阪城(12:55~13:30)

昼食会場は大阪城の南、KKDホテル大阪の12階聚楽園。眼下に大阪城を見ながら和食に舌鼓。ホテルの入口に置いてあった「大阪城天守閣」のパンフレットは「昭和の天守閣復興」と題して、次の文章を掲載しています。〈明治以降、大阪城は陸軍用地として使われた。その中にあって昭和6(1931)年、市民の熱意によって現在の天守閣が復興され(注1)、平成9(1997)年には国の登録有形文化財となった。大阪城一帯は第二次世界大戦の空襲によって損害をこうむったが(注2)、戦後は史跡公園として整備された。〉

注1:市民からの寄附金は150万円。天守閣建設に47万円、第4師団司令部(現:ミライザ大阪城)建設に80万円 、本丸・二の丸の公園整備に23万円を使ったとのことです。出典:大坂城 – Wikipedia

注2:空襲で壊滅した大阪砲兵工廠跡では、昭和30(1955)年から昭和34(1959)年にかけて工廠跡に埋もれた金属を狙う窃盗団と守衛・警察との攻防が起き、この事件をテーマに、開高健の小説『日本三文オペラ』(1959)、小松左京のSF小説『日本アパッチ族』(1964)、梁石日の小説『夜を賭けて』(1994)が書かれました。出典:大阪砲兵工廠 – Wikipedia

◆大阪中之島美術館の「テート美術館展」(14:00~15:20)

最後は大阪中之島美術館。5階で開催中の「テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ」(以下「本展」)を鑑賞しました。学芸員による解説は無いので、入場後は自由行動でした。

最初の展示は、アニッシュ・カプーア《イシーの光》(2003)。卵の殻の上下を取り外し、内側を鏡のようにした形状のオブジェで、前を通る人の像が凹面鏡の作用で逆さに写るのですが、作品に近づけないので鏡の効果がよく分かりません。「もう少し近づけたらよかったのに」と、残念がる参加者が多数いました。

本展の目玉はターナーですが、油絵は抽象画のように見えました。同行した清家さんは「講義のための図解」シリーズの透明な球における反射を描いた作品が面白かったと、感想を語っていました。

個人的には、本展チラシの表紙に使われているジョン・ブレッド《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》(1871)が、渥美半島の表浜から見る波が穏やかな時の太平洋のようで印象的でした。

 本展に展示された現代アートは楽しめるものが多く、参加者はオラファー・エリアソンの《黄色vs紫》(2003)《星くずの素粒子》(2014)、ジェームズ・タレル《レイマー・ブルー》(1969)などを楽しんでいました。

 URLは、次のとおり。テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ | 大阪中之島美術館 (nakka-art.jp)

◆最後に

藤田美術館で《窯変天目茶碗》を見ることは出来なかったものの、展示品はどれも見ごたえがあり、お庭の散策やあみじま茶屋で団子と抹茶を楽しめました。昼食で見た大阪城は「もうひとつの見学先」という存在。大阪中之島美術館は、「行って来ただけでも儲けもの」です。

天候に恵まれ、帰りの車中では清家さんのトークを聴くことも出来ました。往路・復路とも渋滞知らずで、名古屋着は予定よりも20分早い、18時20分。4年ぶりの開催で不安がありましたが、満足できるツアーとなりました。旅行を企画した松本さま、添乗員・ドライバーさま、参加された皆さま、ありがとうございました。

Ron.

名古屋市美術館協力会  秋の旅行2019 奈良

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor

 今年の秋の旅行は「日帰り」。目的地は奈良県。奈良市の大和文華館(やまとぶんかかん)と桜井市の喜多美術館(きたびじゅつかん)、聖林寺(しょうりんじ)、安倍文珠院(あべもんじゅいん)の4か所を見学しました。開催日の12月1日(日)は幸運にも、快晴で厳しい寒さもない絶好の旅行日和。紅葉が遅れたため、そのピークと重なり、集合場所の名古屋駅噴水前(銀時計の西)はバスツアーの客でごった返していました。ツアー参加者は、募集人員の30名を大幅に超えて48名。乗車定員いっぱいの参加者を乗せた大型バスは、予定通り午前8時に発車。「マニアックなツアー」(添乗員さんのお言葉)が始まりました。

◆大和文華館:「特別展 国宝彦根屏風と国宝松浦屏風 ―遊宴と雅会の美―」。

 今年3月に新名神高速道路の新四日市JCT~亀山西JCTが開通したおかげで、バスは渋滞に逢うこともなく快走。予定時刻の5分前に大和文華館の駐車場に到着しました。庭園の寒椿やサザンカの花、紅葉した木々などを眺めながら、しばらく歩き、玄関前で記念撮影。その後、ロビーで展覧会についての簡単なレクチャーを受けました。

 レクチャーの概要は、彦根屏風と松浦屏風は華麗に着飾った人々が遊びを楽しむ様子を描いた「遊楽図」の傑作で、遊楽図は16世紀後から描かれるようになったもの。初めは野外の遊びを描いたものだったが、1620年ごろから部屋の中や庭を描くようになり、なかでも人物だけをクローズアップしたのが彦根屏風と松浦屏風。彦根屏風は繊細な描写が特徴で、松浦屏風は大きなサイズ(注:高さ155.6cm)と描かれた衣装が布地を貼り付けたように平面的に描かれていることが特徴。どちらも「ニックネーム」で、彦根屏風は彦根藩・井伊家の所有であったことから、松浦屏風は平戸藩・松浦家の所有であったことから着いた名前。遊楽図は浮世絵のルーツであり、江戸後期には遊楽図のリバイバルがあった、というものでした。

 展示は狩野孝信《北野社頭遊楽図屏風》から始まります。画面の右には朝顔などを描いた金屏風を背に弁当や酒に舌鼓をうったり、扇を手に舞い踊る人々の様子が、中央には幕を張り巡らせたなかで鯛をさばいたり、椀を運んだりしている裏方の姿が、左にはお堂の前で大勢の人々が舞い踊る姿が描かれています。

 目を惹いたのが《輪舞図屏風》でした。大勢のひとが輪になって、手をつないでいます。手をつないでフォークダンスを踊ろうとしているわけではないのでしょうが、思わずクスッと笑ってしまいました。

 彦根屏風は教科書などで見たことがありますが、思ったよりも小ぶり(94cm×271cm)で、描線の細さにびっくりしました。江戸後期の作品には彦根屏風をお手本にしたものが多く、彦根屏風の影響力を強く感じました。松浦屏風では、着物の柄を楽しむことができました。

 展示室はひとつだけで出品数も多くはないのですが、あっという間に集合時刻となってしまいました。

◆大和路を南へ

 昼食会場は奈良パークホテル。48人の団体が入ると貸し切り状態で、壮観でした。昼食後は、三笠山向かって東進。しばらく行くと、左に復元された遣唐使船と朱雀門が見えます。奈良市役所の前を過ぎ、JR奈良線・大和路線の高架をくぐり、近鉄奈良駅を過ぎると奈良公園です。奈良公園の鹿を見ていると、登大路園地(のぼりおおじえんち)の交差点で右折して南進。名古屋から来たと思われる観光バスと何度もすれ違います。バスガイドさんによれば、観光バスの目的地は奈良公園とのことでした。

天理市を過ぎると「三輪そうめん」の看板・のぼりが目立つようになります。右手に大きな鳥居が見えたらガイドさんが「大神神社(おおみわじんじゃ)です。祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)。三輪山がご神体です」という説明してくれました。家に帰って調べると「三輪山は、標高(467m)に比して勾配がきつく体調不良を起こす事例が多いので、登拝にあたっては装備や体調管理には充分ご注意ください」という大神神社の注意書きがありました。

大神神社を過ぎたので「いよいよ喜多美術館に到着か」と思いましたが、バスは更に南進。運転手さんによれば「喜多美術館周辺は道幅が細く大型バスが走行できないので、遠回りするしかない」とのことでした。やっとのことで、大型バス用の駐車場に到着しましたが、駐車しているのはダンプカーばかり。「本当に美術館があるの?」と、不安になってきました。

◆喜多美術館

 駐車場近くに小さな看板があり、「鳥居を抜けて進んでください」と書いてあります。鳥居を抜け、車一台がやっと通れる幅の道を上っていくと前方に二つ目の鳥居。右には白い建物が見えます。「あれが喜多美術館だろう」と見当をつけて歩いていくと、そのとおりでした。

 喜多美術館では「当館は、創設者の喜多才治郎氏が収集した西洋近・現代美術のコレクションを展示している。本館南西の新館では阪上眞澄展を開催。現代美術は必ずしも視覚をよろこばせるものではない。感じ取ることが大切。疑問に思ったことがあれば、自分で答えを出してください」とレクチャーを受けました。

 展示室が狭く48人がまとまって動くことは難しいので、3班に分かれて鑑賞。阪上眞澄さんは書道の人で、キャンバスに墨や岩絵の具で描いた作品を展示していました。コレクションは、展示室1~3と図書室・研究室の4か所に展示。展示室3は「デュシャンとボイスの部屋」で、マルセル・デュシャンとヨーゼフ・ボイスのほかベッヒャーの写真などを展示していました。

 家に帰って調べると、我々が上ってきた道は天理市から桜井市を結ぶ全長約16km「山の辺の道」の一部。二つ目の鳥居を抜けて進むと第10代崇神(すじん)天皇の「磯城瑞籬宮跡伝承地(しきみずがきのみやあとでんしょうち)」があるようです。(桜井市のHP解説より。URLは下記のとおり) https://www.city.sakurai.lg.jp/kanko/rekishi/chiku/yamanobemakimukai/1396000677273.html

◆聖林寺

 喜多美術館を出発して15分ほどで聖林寺の駐車場に到着。坂道と石段を上がったところが聖林寺。秋の旅行最大の難所です。石段を登りきると北に、卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳(はしはかこふん=三輪山の西麓に広がる纒向古墳群(まきくむこふんぐん)のひとつ)が見えました。

 聖林寺では、2班に分かれて見学。本堂に安置しているのは元禄時代に造られた子安延命地蔵菩薩。大きな石を削って地蔵菩薩を造り、その後、本堂を建てたとのことで、地蔵様に向って右が掌善童子、左が掌悪童子、との解説でした。

 観音堂に安置しているのが、国宝十一面観音菩薩。廃仏毀釈の時、大神神社に附属して建てられた大御輪寺から聖林寺に移されたものです。岡倉天心・フェノロサ・ビゲローに発見され、当初は本堂に安置していたが、大正時代に観音堂を建設して移設。乾漆像で天平時代に渡来人がつくった、との解説でした。

◆安倍文珠院

 聖林寺を出発後10分余りで安倍文珠院の駐車場に到着。5分ほど歩き、客殿の大広間でお茶菓子と抹茶の接待を受け、法話を聴きました。法話は漫談のように愉快なもので笑ってばかりでした。法話によれば、安倍文珠院は645年に安倍氏の氏寺として創建。国宝の文殊菩薩像は快慶作で檜の寄木造。その他に善財童子像、優填王像、須菩提像、維摩居士像も国宝。また、安倍文珠院は、丹後切戸の智恩寺、奥州亀岡の大聖寺と合せて日本三大文珠霊場、とのことでした。法話の後は、本堂に移動して安置されている仏像を拝観。敷地内にある「特別史跡」文珠院西古墳の内部も見学しました。

◆帰路

 安倍文珠院の駐車場を出た時点で、当初計画から1時間遅れ。遅れた要因は、遠回りして喜多美術館に行かざるを得なかったことで30分。安倍文珠院の法話が長かったことで30分。以前のようなひどい渋滞には遭遇せず1時間遅れのまま、20時30分頃に名古屋駅到着。こんなこともあろうかと名阪関ドライブインで弁当を積み込んだので、ひもじい思いをすることはありませんでした。

◆最後に

天候に恵まれ、往復の車中で深谷副館長のトークを聴くことも出来ました。その上、「山の辺の道」を歩いたり、箸墓古墳を眺めたり、文珠院西古墳を見学するなど古代遺跡に触れることができ、満足できる旅行となりました。旅行を企画した松本さま、添乗員・ドライバー・ガイドの皆さま、そしてツアーに参加された皆さま、ありがとうございました。

Ron.

春旅は浜松、静岡へ

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor

今春のアートツアーは「没後70年 上村松園展」(浜松市美術館)、「荻須高徳・熊谷守一展」(静岡近代美術館)、「小倉遊亀と院展の画家たち展 滋賀県立近代美術館所蔵作品による」(静岡市美術館)を訪問した。
今回は、いつにも増して幸運に恵まれたと思う。ひとつめの幸運は、当日早朝の電車事故にもかかわらず、予定通り名古屋駅前を出発できたこと。ふたつめは、やはりお天気。浜松市美術館でわずかに降られたが、あとは晴天。行程のほとんどがバス車内および、展示室内とはいえ、雨天では気分が凹むから。

それでは、簡単に今回のツアーを振り返ってみよう。
まず、「上村松園展」。言わずと知れた美人画の大家で、2013年には名古屋市美術館でも大規模な個展が催されたので、ご記憶の方も多いだろう。会場には見覚えのある作品も多く、凛とした表情と黒色の着物姿が印象的な《花嫁》(奈良ホテル)にも再会できた。作品の他、きらびやかな打掛、様々な意匠のかんざしなどの装身具も展示されていた。カタログでは識別できない微妙な筆遣いや絵の具の凹凸を間近で見ることができ、遠出したかいがあったというもの。

お昼は懐石

耳寄り情報(その1)
滋賀県立近代美術館は現在、リニューアルのため長期休館中。そのため、同館のコレクションを中心とした展覧会が各地で開催されており、「小倉遊亀と院展の画家たち展」(静岡市美術館)もそのひとつ。その他に「山元春挙展 大明神と呼ばれた画家」(名都美術館)、「志村ふくみ展-滋賀県立近代美術館コレクションを中心に」(茨城県立美術館)、「NEW YORK ART SCENE ロスコ、ウォーホールから草間彌生、バスキアまで展 滋賀県立近代美術館コレクションを中心に」(鳥取県立博物館)が開催中。同時並行で4本の展覧会を構成できるコレクションの質と量に拍手。

次は「荻須高徳・熊谷守一展」。美術館は静かな住宅地の中に立地し、その外観はグレーで、サイコロのような立方体。展覧会の告知がなければ、モダンなデザインの個人宅と見間違うほど周辺の建物にマッチしていた。館内は程よい広さの展示室と、休憩コーナーがあり、皆で展示を見ていたら、館長ご自身が作品の説明をしてくれた。(コレクターならではの熱のこもったお話、ありがとうございました)

次に訪問したのが、「小倉遊亀と院展の画家たち展」。午前中に見た「上村松園展」では、雪の中の人物表現が印象的だったが、こちらでは夏を楽しむ涼しげな人物表現が印象的だった。帰りのバスの中でひとしきり話題に上がった作品が《姉妹》。左側のやんちゃそうな妹と、妹のほうにわずかに視線を向ける几帳面そうな姉が並んで座っている構図で、ふたりのしぐさと表情が微笑ましい。よく見ると、姉の眼の部分には金泥が使われており、妹に向ける彼女の表情(目力)を強めていた。

耳寄り情報(その2)
おすすめの静岡土産についても、新たな発見。
・バリ勝男クン (お奨めは、わさびマヨ味)
・世界一濃い静岡抹茶ジェラート (食べ過ぎると眠れない?)
・レモンケーク (他にも、こだわりの焼き菓子が多数)

今回も盛り沢山な展覧会を楽しむことができた。秋の企画は、まだ未定だが、楽しみに待ちたい。

(聞くところによると、新年度になり会員数が大きく増えているらしい。定員のあるツアーは、お早めに申込を。)

杉山 博之   

ボギー的美術鑑賞法 その12

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor

(ブログにアップするのが遅れたため、昨年の秋の旅行の関連投稿です。ごめんなさいby事務局)
 11月17日(土)、18日(日)に名古屋市美術館協力会の秋のツアーが開催されます。私も楽しみにしております。目玉の一つが、九州国立博物館(以下、九博)の「オークラコレクション展」ですが、日本美術の常で、展示期間が限られた作品があります。私が観たかった、「国宝 普賢菩薩騎象像」は10月2日~10月21日まで、前田青邨の「洞窟の頼朝」は10月2日~11月4日の展示で、協力会の旅行の時には観られません。そこで、10月13日~14日に佐賀、福岡に行ってきました。

 下見ではないですが、協力会の旅行で行く美術館、博物館について、あまりネタバレせずに私なりの感想書いていきたいと思います。なお、博多に宿泊した関係で、訪問順は協力会の旅行と異なります。

ボギー的美術館賞法 その13に続く

協力会の切り込み隊長 ボギー鈴木”