「ゴッホ展」 会員向け解説会(A日程)

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor
解説会に際し、会長さんからあいさつ

名古屋市美術館で開幕した「ゴッホ展 ― 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」(以下「本展」)の名古屋市美術館協力会・会員向け解説会(A日程)に参加しました。参加者は往復ハガキで申し込んだ50人。解説会の定員は90人で、申し込んだ全員が当選しています。2階講堂で深谷克典・名古屋市美術館参与(以下「深谷さん」)の解説を聴き、その後は自由観覧・自由解散となりました。

なお、本展では特別に、会員向け解説会を2回開催。次回(B日程)は、森本陽学芸員の解説。3月13日(日)16:30~18:30開催の予定です。こちらも、申し込んだ全員が当選しています。

◆2階講堂・深谷さんの解説(16:30~17:15)の概要   なお、(注)は、私の補足です。

・美術館に来る時の注意点

 本展の休館日は3月7日(月)・28日(月)の2回だけです。会期は2月23日から4月10日までの約一月半。会期がとても短いので、混雑を緩和するため、休館日を2回にとどめました。「月曜日は全部休み」と思っている方が多いので、ゆったり鑑賞するなら「3月7日・28日以外の月曜日」がお薦めです。

 本展は日時指定の予約制です。入場時刻は、最初が9時30分、次が10時30分と、1時間おきです。入場時刻が9時30分だと、9時30分から10時20分までが入場時間帯ですが、多くの人が9時30分よりも前から並ぶため、開館時刻には100人から150人の行列が出来て、入場に20分から30分かかります。10時ごろには行列がなくなるので「並ばずに見たい」という方は10時ごろにお出でください。他の時間帯でも11時ちょうど、12時ちょうど等「毎正時」だと「並ばずに見る」ことができると思います。

・ヘレーネ・クレラー=ミュラーとフィンセント・ファン・ゴッホの関係

 本展には「響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」というサブタイトルがついています。このサブタイトル、実は私が考えたものです。ヘレーネは、本展の出展作品のコレクターですが、ゴッホと直接の面識はありませんでした。彼女はドイツ人で、結婚してオランダに移ってから、人生に物足りなさを感じた時に出会ったのがゴッホの作品でした。本展に関係のある、もう一人の人物がH.P.ブレマーです。彼は、絵描き・美術評論家・コレクションのアドバイザーなど多くの肩書を持っています。早くからゴッホの真価を認め、ヘレーネに「是非コレクションすると良い」と勧めた人物です。

・クレラー=ミュラー美術館について

 ゴッホが亡くなったのは1890年。ヘレーネはゴッホの死後、1908年から20年間にわたって、270点のゴッホ作品を収集しました。本展には、その一部が出展されます。

 オランダの黄金時代は17世紀です。国が繫栄し、美術ではレンブラントやフェルメール等が活躍しました。しかし、その後は低迷が続きます。そして、19世紀になって登場したのが、ゴッホです。

 ヘレーネのコレクションを所蔵するクレラー=ミュラー美術館は、1938年に開館しました。ヘレーネは初代館長を務め、開館の翌年、1939年に亡くなりました。

 クレラー=ミュラー美術館は、広大な国立公園の中にあります。公園の中には何もありません。私は45年前の学生時代、アムステルダムからバスに乗り美術館に行ったことがあります。バス停から2時間余り歩き続けてようやく着きましたが、道中、周りはずっと森ばかりでした。

・出展作品の搬送と展示

 本展は、昨年9月から12月まで東京都美術館で開催されました。いつもなら、出展作品の搬送には作品を所蔵している美術館からクーリエが付き添って来ます。しかし、今回はコロナ禍による外国人の入国制限でクーリエが来日できないため、本展の関係者がオランダに出向いて作品を受け取って来ました。昨年9月のことで、私も同行しました。

 美術館のあるオッテルロー近くのホテルに宿泊し、クレラー=ミュラー美術館に行きました。国立公園の入口から、無料の貸自転車で美術館まで、5㎞の道を走ったのですが、止まろうと思ったら自転車のハンドルにブレーキ・レバーが見当たりません。焦りましたね。試行錯誤の末、自転車のペダルを後ろに戻したら、ようやく止まりました。ペダルを戻すと止まる仕組み(フット・ブレーキ)の自転車でした。

 出展作品は、ご覧のとおり「TURTLE」というロゴと亀のイラストが描かれた緑色の箱に、一点ずつ入れて搬送します。ロゴとイラストは「亀のように固い甲羅で守っています」という意味のようです。乗客の場合と違い、荷物は飛行機の出発の4時間から5時間前には空港に届けなければならないため、朝早く、暗いうちに美術館を出発しました。

 ご覧いただいているのは、名古屋市美術館での展示風景です。いつもならクレラー=ミュラー美術館のクーリエが日本のスタッフの横にいて、様々な指示を出します。しかし、今回、クーリエは来日していないため、パソコンでオランダと繋ぎ、画像を転送してクーリエの指示を仰ぎました。この日の展示作業は16時(オランダ時間:8時)から21時(オランダ時間:13時)まで行いました。

・ゴッホと彼の家族

 ご覧いただいているのは、ゴッホの弟テオです。ゴッホには2人の弟と3人の妹がいました。男の兄弟、ゴッホと弟2人はいずれも30代で死亡。男たちはみんな「若死に」でした。一方、妹3人は長生きです。

・クレラー=ミュラー美術館が所蔵するゴッホ作品など

 クレラー=ミュラー美術館が所蔵するゴッホ作品は油絵90点、素描180点。ヘレーネは1908年から1929年までの20年間、現在の日本円に換算して総額6億円を費やし、作品を収集しました。現在と違って、当時、ゴッホ作品の値段はそれほど高くありませんでした。

 ゴッホ作品を一番多く所蔵しているのはゴッホ美術館で、油絵200点、素描500点を所蔵しています。クレラー=ミュラー美術館の所蔵数は二番目。他には、オルセー美術館が油絵24点、版画15点を、メトロポリタン美術館が油絵19点、水彩・素描5点、版画4点を所蔵しています。

・本展の出展作品

 本展の出展作品は、ゴッホの素描20点、ゴッホの油絵32点(うち、4点がゴッホ美術館所蔵)、ゴッホ以外の油絵20点です。

 ご覧いただいているのは、走る機関車を描いた、ハブリエル《それは遠くからやってくる》(1887)で、ヘレーネが1907年に初めて収集した作品です。次の《森のはずれ》(1883)と《枯れた4本のひまわり》(1887)は、ヘレーネが1908年に初めて収集したゴッホの作品です。なお、《枯れた4本のヒマワリ》は本展に出展していません。

 オランダ時代の作品は《織機と職工》(1884)、《女の顔》(1884)、《じゃがいもを食べる人》(1885)。《じゃがいもを食べる人》は油絵と版画を描いていますが、本展に出展しているのは版画です。

 ゴッホは、画家としては10年間ぐらいしか活動していません。初期は基本に従って、下絵を描いてから油絵を仕上げていますが、後になるほど描くスピードが速くなり、2~3日で1点を仕上げています。パリ・アルル時代からは、下絵なしでキャンバスに向って描いています。

 パリ時代の作品は《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》(1886)と《レストランの内部》(1887)。《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》にはオランダ時代の名残がありますが、《レストランの内部》になると作風が大きく変わります。ゴッホは1886年に開かれた第8回印象派展でスーラの作品(注:たぶん、《グランド・ジャネット島の日曜日の午後》)を見て衝撃を受け、この作品を点描で描きました。

 これは脱線ですが、ゴッホが弟のテオ宛てに「パリのルーブル美術館に迎えに来い」と書いて送った手紙が残っています。「本当に、投函した手紙が翌日に届いていたのか?」と疑問を抱いていたのですが、調べると、当時、オランダで出した手紙は、翌日パリに配達されていました。以前、藤田嗣治展でフジタがユキに送った手紙を調査したところ、フジタは一日2、3通の手紙を書き、翌日にはユキに届いていました。

 《糸杉に囲まれた果樹園》は1888年4月に描いた作品です。その2か月後に描いたのが《種まく人》(1888)ですが、ゴッホはミレーを尊敬し、《種まく人》を元にした作品を何点も制作しています。

・《黄色い家》と「耳切り事件」

 《黄色い家》は1888年9月に描いた作品です。この家は2階が寝室で、1階は食堂とアトリエです。ゴッホは、この家を画家たちの共同生活の場にすることを夢見て、画家仲間を誘ったのですが誰も来ませんでした。ゴッホの弟・テオから頼まれ、テオの顔を立てるため、「黄色い家」にやってきたのがゴーギャン。同年10月下旬のことです。しかし、共同生活は2か月で破綻。12月23日に有名な「耳切り事件」が起き、ゴーギャンはパリに帰ります。

 「耳切り事件」は「ゴッホがゴーギャンの背後から剃刀を手に持って追いかけて来た。ゴーギャンが振り向いてゴッホを睨むと、ゴッホは引き返した」という話ですが、これは事件から10年ほど後にゴーギャンが自伝に書いたことを元にしています。しかし、これが少しあやしいのです。事件の数カ月後、ゴーギャンはフェルミ―ル・ベルナールに事件について語っています。フェルミ―ル・ベルナールは別の作家に手紙を書いていますが「ゴッホが剃刀を持って、ゴーギャンを追いかけた」ということは書いてありません。(注:ゴッホが自分の耳を切ったことは確かですが、「彼がゴーギャンを追いかけた」という部分は「盛った話」かもしれない、ということですね)

・本展の出展作品(つづき)

 《善きサマリア人》(1890)は、ドラクロア《善きサマリア人》(1849-50)の版画を模写したものです。《夜のプロヴァンスの田舎道》(1890年5月)は、1996年に名古屋市美術館で開催した「ゴッホ展」でも出展されました。ゴッホが亡くなる2か月前、サン・レミで描いた作品です。

 ゴッホは、アルルで多くの「ヒマワリ」を描いています。そして、サン・レミでは「糸杉」をたくさん描いています。ヒマワリは、生命・信仰の象徴ですが、糸杉は見るからに禍々しく、死の象徴とされています。十字架も糸杉を素材にして作られています。ゴッホの中に「死に向っていく意識があった」と言われています。

「生と死」を表すとき、太陽と月を同じ画面に描くことがあります。《夜のプロヴァンスの田舎道》には金星と月が描かれているとされますが、私は、画面の左側に描かれているのは「金星」ではなく、「太陽」ではないかと思っています。この作品は実際に見た風景ではなく、想像力を使って描いた作品です。

 糸杉はベックリン《死の島》(1880)に描かれ、ダ・ヴィンチ《受胎告知》(1472-5)にも描かれています。《死の島》の糸杉は「死の象徴」ですが、《受胎告知》の糸杉は「生命の誕生を告げる樹木」です。つまり、糸杉は「生のイメージ」と「死のイメージ」の二つの象徴です。私はゴッホが「生と死の間を揺れ動いていたのではないか」と思います。ゴッホは1889年から1890年までの間、繰り返し糸杉を描きました。

・ゴッホ以外の出展作品

 本展にはルノワール《カフェにて》(1877)、モンドリアン《グリッドのあるコンポジション5》(1919)など、良い作品がいっぱい出展されています。ヘレーネは、ゴッホ以外の作家についても質の高いコレクションを作り上げていました。

◆自由観覧(17:15~18:30)の概要

・オランダ時代の作品など(1階)

 最初の部屋に展示されているのは《ヘレーネ・クレラー=ミュラーの肖像》と《H.P.ブレマーの肖像》。出展された作品に関係の深い二人に敬意を表するために展示しているのでしょう。

 次の部屋に入り左に曲がると、オランダ時代の暗い色調の油絵が並んでいます。油絵の次は、ゴッホ時代の素描。深谷さんは「ヘレーネが収集したゴッホ作品は、油絵90点、素描180点」と解説していましたが、出展された素描を見て「ヘレーネがゴッホの素描を高く評価していた」と感じました。深谷さんも「ゴッホの素描はうまい」と話しています。ゴッホが素描に力を注いていたことが分かりました。

 作品を鑑賞していると、参加者から「油絵の額縁と素描の額縁、作品の種類別に同じデザインの額縁を使っている」という声が上がりました。深谷さんは「おっしゃる通りです」と回答。「クレラー=ミュラー美術館開館時の写真を見ると、当時からこの額縁を使っている」という説明が続きました。

・ゴッホ以外の作品(1階)

 点描の作品が5点並んでいました。見覚えのある作品があったので家に帰って調べると、少なくともスーラ《ポール=アンベッサンの日曜日》(1888)、シニャック《ポルトリューの灯台、作品183》(1888)、アンリ・ヴァン・ド・ヴェルド《黄昏》(1889)は、2014年に愛知県美術館で開催された「点描の画家たち」(以下「点描の画家たち」)に出展されていました。そういえば「点描の画家たち」もクレラー=ミュラー美術館の所蔵品からの出展でしたね。

 ゴッホ以外の作品の最後は、《グリッドのあるコンポジション5》とバート・ファン・デル・レック《種まく人》(1921)です。2021年に豊田市美術館で開催された「モンドリアン展」(以下「モンドリアン展」)の最後の部屋に出展されていた作品の数々を思い出しました。当時最先端だった抽象画も収集していたことに、ヘレーネの「目の付け所の良さ」を感じます。なお、「点描の画家たち」でも最後の章にはモンドリアンの作品を出展していました。

・クレラー=ミュラー夫妻が購入したファン・ゴッホ作品(1階)

 1階の最後は、壁一面を使った「クレラー=ミュラー夫妻が購入したファン・ゴッホ作品」の一覧表です。購入年、作品名だけでなく、現在の円に換算した金額も示されているので「開運!なんでも鑑定団」を見ているような気がしました。興味深かったのは、本展の目玉《夜のプロヴァンスの田舎町》の購入価格が10,000ギルダー(925万円余)で、17,500ギルダー(1619万円余)で購入した《善きサマリア人》よりも安かったということです。それから、1928年には131点の素描を「まとめ買い」していました。クレラー=ミュラー美術館が所蔵しているゴッホの素描は180点ですから「素描の約七割はこの年に購入したもの」ということになります。

・ゴッホ美術館の所蔵品(2階)

 2階に移動して、最初に目に入るのはゴッホ美術館の所蔵品4点です。なかでも《黄色い家》は、別格扱いでした。

・パリ時代の作品(2階)

 最初に展示されている《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》は、「モンドリアン展」で見たハーグ派の作風で描いた初期モンドリアンの作品を思わせる暗い色調の絵でした。この作品以外は、印象派の影響を受けた色鮮やかな絵ばかりなので、パリでゴッホの作風に大きな変化が起きたことがよく分かります。

・アルル時代の作品(2階)

 《夕暮れの刈り込まれた柳》(1888)は、1階に展示されていた素描《刈り込んだ柳のある道》(1881)と同じような樹形の柳を描いた作品です。「モンドリアン展」でも、同じような樹形の柳を描いた作品が数点あったことを思い出しました。《種をまく人》は「日暮れ時に種を蒔いている」ことが良くわかる作品です。ただ、まだ明るく、しかも鴉が何羽も周りにいるので「種を蒔いても、鴉が次から次へと食べてしまうのではないか」と要らぬ心配をしてしまいました。

・サン=レミとオーヴェル=シュル=オワーズ(2階)

 《夕暮れの松の木》(1889)は、何故か日本的な感じのする作品でした。ただ、そのように感じる理由については、良く分かりません。本展の目玉《夜のプロヴァンスの道》は、最後に一点だけの特別席に鎮座。沢山の人が作品を取り囲んで見ることができるよう、絵の周りに広い空間を確保していました。

・「点描の画家たち」で見たゴッホ作品

 2階にも、見覚えのある作品がありました。家に帰って調べると、少なくとも《レストランの内部》、《種まく人》、《麦束のある月の出の風景》(1889)は「点描の画家たち」に出展されていました。なかでも《種まく人》は、ポスターかチラシに使われていた記憶があります。

解説くださった深谷参与、マスク姿でありがとうございました!

◆最後に

 本展を鑑賞するため、午後2時30分に並んだことがあります。その時の待ち時間は5分ほどでした。ただ、展示室に入ると「すし詰め」とは言いませんが、①最前列に並んで、人の流れに逆らわず、ゆったりと作品を鑑賞するか、②並んでいる人の後ろに立って、人と人の隙間から覗くようにして作品を鑑賞し、自分のペースで移動するか、二者択一の判断を迫られるほどの「混み具合」でした。その時は、時間の余裕がなかったので止む無く、②を選択しましたが、じっくりと鑑賞できなかったのは、少し残念でした。

 これに対し、今回の自由鑑賞は「50人の貸し切り」ですから、じっくりと、しかも自分のペースで鑑賞しました。「贅沢な時間」を満喫することができたので、大満足です。

 解説会が始まる前、スクリーンに動画が映されていたので、家に帰り〈「ゴッホ展」展覧会公式サイト〉にアクセスして「スペシャル」を選択すると、〈「ゴッホ展がよく分かる!」こどもも大人も楽しめるジュニアガイド〉という動画を見ることができました。確かに「こどもも大人も楽しめる」ガイドです。

◆蛇足ながら

協力会の活動が再開したのは、2021.02.07に開催の「写真の都」物語-名古屋写真運動史の「会員向け解説会」でした。ようやく、一年が経過。これからも協力会の活動が続くことを願ってやみません。

Ron

「現代美術のポジション 2021-2022」 会員向け解説会

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「現代美術のポジション 2021-2022」(以下「本展」)の協力会・会員向け解説会に参加しました。2階講堂で森本陽香学芸員(以下「森本さん」)から、本展の概要を聴き、その後は2つのグループに分かれてギャラリートーク・自由観覧・自由解散となりました。森本さんが担当するグループは1階の展示から、もう一つのグループは2階の展示から見ることになりました。私が参加したのは後者で、担当は久保田舞美(くぼた・まみ)学芸員(以下「久保田さん」)です。ギャラリートークの冒頭で、「今年の4月に学校を卒業し、市美に採用されたばかりの新人です」と自己紹介がありました。

◆2階講堂・森本さんの解説(16:00~16:10)の概要

 「現代美術のポジション」は1994年に始まり、前回開催は2016年、本展は6回目の開催となります。本展では、名古屋市や愛知県を拠点として活動している作家、名古屋市や愛知県で学び巣立っていった9名の作家を紹介します。ジャンルは偏らないようにしました。男女比をみると、奇数なので同数は無理ですが、男性5名、女性4名。期せずして、ほぼ半分。女性のうち母親が2名というのも、時代を反映しています。これも、自然とそういう形になったものです。年齢は、全員が20代後半から30代後半の若い作家で、ステップアップに期待できる人たちです。美術系大学の講師も、複数いらっしゃいます。

◆久保田さんのギャラリートーク(16:10~17:15)の概要

(注)久保田さんが担当するグループのギャラリートークは2階から始まりましたが、以下の文章は、展示の順番に従って、1階の作品解説から書かせていただきました。なお、(mm)は久保田さんのギャラリートークの概要、(Ron)は私の「つぶやき」です。

1階

◆木村充伯(きむら みつのり)1983~

(mm)エントランスにいるのはミーアキャットの彫刻、木村充伯の《Wonderful Man》です。ミーアキャットの毛皮は、チェーンソーで木材の表面を毛羽立たせたものです。皆さん、ミーアキャットはたくさんいるのに、作品名は単数、おかしいと思いませんか。実は、Man はミーアキャットではなく、ミーアキャットたちが見ている「不思議な人物」。つまり、皆さん方のひとりひとりを指しています。展示室に展示されている彫刻は《大丈夫、あなたを見ている人がいる》です。ヒョウ、キリン、ペンギンとネコの4点が出品されています。

(Ron) 《Wonderful Man》も《大丈夫、あなたを見ている人がいる》も、参加者の中では「カワイイ!」という声が飛び交っていました。

◆多田圭佑(ただ けいすけ)1986~

(mm)木の板やタイル、チェーン、ビスを組み合わせた作品に見えますが、実は、木の板やタイル、チェーンなどは、型にアクリル絵具を流し込んで固めた作品です。型から取り出したアクリル絵具の塊に着色し、本物そっくりに仕上げました。なお、作家は、テーマパーク(ディズニーランド)でセットを制作しています。

(Ron) 「アクリル絵具で作った」と聞いて、参加者の中から「鎖はどうやって作ったの? 信じられない!」という声が出ていました。タイルと木の板、チェーンの組み合わせというだけでも、作品として十分成立しますが、更に手の込んだ仕掛けをしていると知って、びっくりです。

◆鈴木孝幸(すずき たかゆき)1982~

(mm)作家は愛知県新城市を拠点にしています。映像作品は地震を体験した人の話を編集したもので、机の上に並んでいるのは、河原から採取した石などです。コールタールで黒く塗ってある部分は、地中に埋もれていたところです。モルタル(セメント、水、砂を混ぜて固めた素材)にコールタールを塗った板と鉄板を組み合わせた作品は《heaping earth-627 中国の地図》です。モルタルの板は地盤、鉄板は断層を表しています。

(Ron) 《heaping earth-627 中国の地図》をみて、参加者の間から「どうやって並べたのだろう?作家の意図通りにモルタルの板や鉄板を並べるのは、とても難しい」というひそひそ話が聞こえてきました。

◆水野里奈(みずの りな)1989~

(mm)油彩画は、中東の細密画、水墨画などを組み合わせた装飾性豊かな作品です。このうち、《青い宮殿》は、高橋コレクションの所蔵です。一方、細密ドローイング6点は、油彩画とは直接関係しません。よく見ると、フレームにも図柄を描いていますね。でも、《細密ドローイング2021.5》のフレームだけは、何も描いてません。

(Ron) 油彩画は、絵の中に絵が描かれている、とても緻密できれいな作品でした。参加者からは「この作者の作品は“あいちトリエンナーレ2013”の長者町会場でも見た。とても、なつかしい!」という声が上がりました。

◆横野明日香(よこの あすか)1987~

(mm)最初は、《curve》など、山肌の曲線を美しく表現し、その場に立っているかのように感じられる風景画を描いていました。最近は《百合とかすみ草》など、花を描いた大きな作品を制作しています。

(Ron) 花を描いた作品は大きなものばかりで、《百合とかすみ草》は2枚のパネルを使った大作です。「大きすぎて、普通の家だと飾る場所がない」と思ったのですが、作家が2階の「アーティストの日常」に出品している「灯台」のシリーズは、小さなものばかり。これなら、小さな家にも飾れます。

◆川角岳大(かわすみ がくだい)1992~

(mm)愛知県出身の作家さんで、現在は埼玉県を拠点に活躍しています。犬が大好きで、ご本人は柴犬を飼っています。《rear dog》は、犬を後ろから見た作品。飼い主でないと気がつかない視線で描いたものです。なお、《front  dog》と《rear dog》は、高橋コレクションの所蔵です。《He has gone》は、自転車に乗っているところを描いた作品ですが、自転車と手・足だけが描かれています。乗っている人の目線で描いたのでしょう。

(Ron) 犬を飼っている参加者は《rear dog》を見て「変なアングルだけど、確かにこんな風に見える時がある」と、面白がっていました。《He has gone》も「自転車で段差を跳び越すときに体が受けている感覚は、このようなものかな」と、思わせる作品です。

2階

◆本山ゆかり(もとやま ゆかり)1992~

(mm)「画用紙」のシリーズは、デジタルペイントツールで描いたドローイングの中から、気に入った線を選んで、透明アクリル板の裏側から絵具で描いた作品です。裏から描くので表面がツルツルで、普通の絵とは違った感じになります。裏から描くとき、黒い線が先だったり、白い部分を先に描いたりと、臨機応変に描いています。「Ghost in the Cloth」は、複数の布を縫い合わせて、その裏に綿を置き、ミシンを使って透明な糸でナイフや薔薇を線描したものです。作家は「絵画とは何か」を問い直しながら、作品を制作しています。

(Ron) 「画用紙」シリーズの(二つの皿を持つ人)は、ぱっと見た感じでは「落書き」ですが、しばらくの間眺めていると、単純化された顔と二本の腕、二つの皿が見えて来ました。(草原と日の出)は、上から三番目の太い横線の真ん中から、小さな太陽が顔を出しているように見えます。

◆寺脇扶美(てらわき ふみ)1980~

(mm)「Crystalシリーズ」は、鉱物を写生して、その図像から線を抽出し、線をデジタル化して凸版を作り、凸版で麻紙にエンボス加工を施してから、岩絵の具で彩色する、という手法で描いた作品です。「autuniteシリーズ」はウラン鉱石をモチーフに、「diamondシリーズ」はダイヤモンドをモチーフに、「Crystalシリーズ」と同手法で描いたものです。「red + whiteシリーズ」は絵絹の裏から彩色した作品です。「抱っこの光景」などの作品は、絵絹に描いた絵を裏返したものです。

(Ron) 「red + whiteシリーズ」の表面はピンク色ですが、裏から見ると鮮やかな紅色です。絵絹は礬水(どうさ)引き(膠と明礬を溶かした水を紙や絹の表面に塗ってにじみ止めをすること)をしているので、絵の具を塗った面を裏から見るとピンクに見える、という説明がありました。《抱っこの光景》は、赤ちゃんを抱いた母親を、後ろから描いた作品です。しかし、裏返しているので母親の姿は、よく見えません。久保田さんの説明では「はっきり見えなくても、抱っこの光景は確かに存在していると、作家は思っている」とのことでした。

◆水野勝規(みずの かつのり)1982~

(mm) 作家は、三重県生まれ。2018年に市美で開催した「モネ それからの100年」にも映像作品を出品しています。《snow garden》は古い規格のビデオ作品ですが、《sync code》や《monotone》は4Kビデオなので、画像が鮮明です。

(Ron) 《monotone》は鮮明で綺麗な作品ですが、上映時間が24分と長いので、最初から最後までを通して鑑賞することはできませんでした。最後の方、満月を背景に花火が打ち上げられるシーンで、火の粉が弧を描き、月の前を落ちて行った後、暫くして、同じように弧を描きながら月の前を通り過ぎて行く煙の軌跡がクッキリと見え「4Kだと、こんな風に見えるのか」と、感動しました。

◆アーティストの日常

 本展の最後に、出品作家の身の回りの物を展示する「アーティストの日常」が企画されています。時間が限られていたため、説明があったのは水野里奈さんの「刺繍」だけでしたが、一見の価値はあります。

◆最後に

 その前に立つと心が引き込まれ、雑念が取り払われていくような気持ちになる作品が幾つもありました。脳の疲れが減っていく感覚です。まさに、mindfulnessの実践だと感じました。

Ron.

「グランマ・モーゼス展」 協力会向け解説会

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館では「生誕160年記念 グランマ・モーゼス展―素敵な100年人生」(以下「本展」)を開催中です。先日、名古屋市美術館協力会向けの解説会が開催され、参加者は〇人でした。2階講堂で井口智子学芸課長(以下「井口さん」)の解説を聴き、展示室に移動して自由観覧後、解散となりました。

◆2階講堂

○解説(16:03~17:05)の概要

・はじめに

本展は大坂・あべのハルカス美術館から始まりました。大阪では緊急事態宣言が発出され、美術館も臨時休館となった時期がありました。名古屋では何事もなく、全期間を通して開催されることを願っています。

・本展の構成

 本展は4章で構成されています。第1章「アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス」は展示室の壁が藤色で塗られています。藤色は彼女が好きだった色です。第2章「仕事と幸せ」は黄色、ハッピー・カラーです。明るい色なので、来館者からは「屋外にいるような感じ」という感想を聞きました。第3章「季節ごとのお祝い」は緑色。第4章「美しき世界」はサーモン・ピンク、これも彼女が好きな色です。

 本展では、彼女の絵画だけでなく、アルバムや愛用品、手作りのキルトのほか映像も見ることができます。

・グランマ・モーゼス(アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス)は、どういう人?

彼女は1860年9月7日に、アメリカ・ニューヨーク州グリニッチ (Greenwich) で生れました。アメリカ東海岸、ニューヨークの北が彼女の「ゆかりの地」です。12歳の時家を出て、ウエスト・ケンブリッジ (West Cambridge) の家庭で、住み込みで働き、27歳でトーマス・サーモン・モーゼスと結婚。結婚後は、南部のウエストバージニア州に引越して、シェナンドア渓谷近くの農場主から農場と家畜を手に入れ新生活をスタート。10人の子どもを授かりますが、4人は死産、1人は生後間もなく死去。彼女が45歳の時に、ニューヨーク州・イーグル・ブリッジ (Eagle Bridge) に戻り、70歳を過ぎてから独学で絵を描きはじめました。彼女は美術教育を受けたわけではありません。グランマ・モーゼスは「モーゼスおばあさん」という愛称です。彼女は農業を営み、家族を育てるなかで絵を描いていました。地元のフージック・フォールズ (Hoosick Falls) のドラッグ・ストアに作品を置いていたところ、アマチュアのコレクターが店に来て彼女の作品を発見したことから、彼女の作家人生が始まりました。

・第1章の作品・資料の解説(注:数字は、本展の作品・資料番号)

1.《グランマ誕生の地》(1959):水車小屋、花、家などが描かれた、記憶の中にある場所、記憶の中にある思い出を描いています。

13.《グリニッチへの道》(1940):記憶の中にある、彼女の父親が所有していた農場の風景です。1940年には、既に第二次世界大戦(1939~45)が始まっていました。彼女の作品の多くは、第二次世界大戦後に広く紹介されます。彼女の絵は複製品として商品になり、家庭に届きました。アメリカの人々にとって、彼女の絵は、協力して支え合うこと、大地への感謝、誰の心の中にもある幸せを表現するものでした。彼女の絵は、郷愁を感じさせるだけでなく、幸せを呼び起こしてくれる力を持っています。

2.《冬のネボ山農場》(1943):結婚後、一家がニューヨーク州に戻ってから暮らした農場の風景です。「ネボ山」は旧約聖書に登場するモーゼ (Moses) にゆかりのある山の名前です。モーゼス (Moses) 一家は南部にいたときから、同じ綴りの「モーゼ」に因んで、自分たちの農場を「ネボ山農場」と呼んでいました。展示室では、白い雪のなかに描かれた白い建物をよく見てください。陰影法や遠近法にはこだわらず、遠景から近景までの全てにピントが合った絵です。

3.《丘の上のネボ山農場》(1940:毛糸の刺繍):彼女は、絵を描く前は刺繍で風景を描いていました。刺繍は幼いころから習っていましたがリウマチが悪化したため刺繍を続けることが難しくなり、絵を描き始めました。

4.《ファイヤーボード(暖炉の覆い)》(1918):部屋の模様替えをするときに壁紙が足りなかったので、暖炉の覆いとして使っていた板に紙を貼って描いた絵です。彼女の絵の出発点は、生活を豊かにするために描いた、手芸のような絵です。

11.《フージック・フォールズ、ニューヨークⅡ》(1944:SOMPO美術館):フージック・フォールズのドラッグ・ストアで、彼女の作品がアマチュアのコレクター・カルドアの目にとまりました。カルドアの仲介で彼女が、画廊を経営するオットー・カリアーという人に出会ったことから、84歳の新人アーティストが誕生しました。

6.《守護天使》(1940以前:グリーティングカードを模写):1940年に開催された彼女の初めての個展『一農婦の描いたもの (WHAT A FARM WIFE PAINTED) 』に出品した作品です。本展では、お手本にしたグリーティングカードと並べて展示していますので、お手本をもとにして彼女がどのように自分の個性を出したのか、見比べてください。

18.《気球》(1957):オットー・カリアーの依頼で描いた作品です。描写は稚拙で素朴ですが、気球を見ている人の気持ちが伝わってきます。アメリカ人なら共感できる絵です。

15.《窓ごしに見たフージック谷》(1946):彼女が寝室から見た風景です。彼女は絵を描くとき「窓を想像して風景を切り取る」と言っていますが、この作品では窓だけでなくタッセル(カーテンの房飾り)も描いています。

19.《フォレスト・モーゼスの家》(1952):息子のフォレストとロイドが彼女のために建てた家です。彼女は、亡くなるまでの10年間、この家で息子のフォレスト夫妻や娘ウィノーナと暮らした後、フージック・フォールズのヘルス・センターに移り、101歳で亡くなりました。

M-3『私の人生 (My Life’s History) 』(1952):オットー・カリアーの勧めで出版した自伝で、ベストセラーになります。日本でも1983年に『モーゼスおばあさんの絵の世界-田園生活100年の自伝』として未来社が出版し、1992年には新刊が刊行されています。

・第2章の作品解説(注:数字は、本展の作品番号)

21.《干し草作り》(1945):人物だけでなく、動物も丁寧に描いています。

26.《洗濯物をとり込む》(1951):雨が降ってきて、洗濯物をとり込む情景ですが、のんびりしたムードの日常風景でもあります。

36.《村の結婚式》(1951):本展のメイン作品のひとつで、日本初公開です。新郎新婦と同じような服装の男女が何組も描かれているので「集団結婚式」のように見えてしまいます。モーゼスは自立心あふれる女性で、結婚後も共働きで「一つのチーム」のようでした。展示室入口ホールの壁に、この絵を引き伸ばして貼っているので、記念撮影ができます。

37.《農場の引っ越し》:本展のチラシに使った作品です。彼女が45歳の時、ニューヨーク州へ引越しする様子を描いています。

38.《そりを出す》(1960):何と、100歳の時の作品です。冬の景色ですが、暖かさがあります。

・第3章の作品・資料の解説(注:数字は、本展の作品・資料番号)

48.《シュガリング・オフ》(1955):サトウカエデの樹液を煮つめてメープルシロップを作る作業を描いた作品で、赤や緑などの色彩の使い方がうまく、手芸的な要素もあります。絵と同じようなポーズの人物を写した写真は、雑誌や新聞の切り抜きです。彼女はこういった写真を参考にして絵を描いていました。

30.《訪問者》(1959):彼女が99歳の時の作品で、パッチワーク・キルトのように描いています。

33.《キルティング・ビー》(1950):沢山の人が集まって、キルティングをしている絵です。キルティングだけでなく、メイプルシロップやアップル・バターなどの食べ物や人物のファッション、動物など様々なものに視点を向けて描いています。

Ⅿ-26.《手作りのキルト》(1961以前):本展では、手作りのキルトも展示しています。

Ⅿ-13.《絵を描くための作業テーブル》(1773-1920):彼女は板に絵を描くことが多かったようです。

Ⅿ-27.『クリスマスのまえのばん (The Night Before Christmas) 』(1962刊):以下の3作品は、The Night Before Christmasの挿絵原画です。残念ながら、彼女は本が刊行される前に亡くなりました。60.《サンタクロースⅠ》(1960)、61.《サンタクロースを待ちながら》(1960)、62.《来年までさようなら》(1960)。

・第4章の作品解説(注:数字は、本展の作品番号)

77.《美しき世界》(1948):「どんな絵がいちばん好きですか?」とインタビューで聞かれた時、モーゼスは「きれいな絵」と答えています。

80.《虹》(1961):彼女の最後の作品です。

〇自由観覧(17:05~18:05)

 井口さんの解説を聴いた後、1階に移動。作品リストをもらい、各自、自由鑑賞となりました。展示室で作品を見て感じたことは、①「何を描いているか、すぐわかる」ということと、②「色彩がきれいだ」ということです。陰影法や遠近法にはこだわっていませんが、細い線で丹念に「色彩豊かで、きれいな絵」を描いています。井口さんが解説されていたように、「幸せを呼び起こしてくれる」絵ばかりでした。

・紅白の市松模様の家

第2章の最後の方に、外壁が紅白の市松模様の家を描いた作品が2点、並んでいました。ひとつは40.《古い格子縞の家、1860年》(1942)。もうひとつは41.《古い格子縞の家》(1944:SOMPO美術館)です。解説には「グランマ・モーゼスはすでに失われていたこの家を1941年から20年近くに渡り繰り返し描きました」と書いてあります。作品をチラッと見ただけでも描かれた建物に惹きつけられるのですから、彼女が繰り返し描くほど強く「格子縞の建物」が記憶に焼き付けられたのも、納得です。

・複製品の数々

 井口さんの解説に「彼女の絵は複製品となり、家庭に届きました」という一節があります。展示室2階の最後のコーナーには、彼女の絵を描いたティーポットやボールのほか、平皿、クッキー缶、スカーフ、ジグソーパズルなどが展示されています。赤や緑の色彩が鮮やかなので「さぞ、人気があったのだろうな」と思いました。

・アップル・バター

 第3章に、51.《アップル・バター作り》(1947)という作品がありました。解説には「リンゴとリンゴ果汁を火にかけてバター状になるまで煮詰める」と書いてあります。「リンゴ・ジャムみたいなものですか」と井口さんに尋ねたところ「ジャムよりも濃厚で、おいしいですよ」とのこと。解説会に参加した会員から「大阪会場ではアップル・バターを売っていた」という話があったのでグッズ売り場に行くと、アップル・バターが陳列されていました。商品説明によれば「長野産の完熟リンゴ1㎏を煮つめて、シナモンで仕上げたペースト」で、一瓶155g・1,300円(税込)とのこと。残念ながら店が閉まっていたので、購入は出来ませんでした。

 ネットで調べると「アップルバターの作り方。青空レストランで話題のりんごバター。-LIFE.net」というページがヒット。製法は「リンゴをくし形に切って、焦げ付かないように鍋で煮る」。本展解説との違いはリンゴ果汁を使うかどうかだけなので、ほぼ同じです。リンゴが出回れば、家庭でも作ることが出来そうですね。

〇最後に

・グランマ・モーゼスが生まれた1860年9月7日、日本の暦では万延元年7月22日

グランマ・モーゼスが生まれた1860年は日本の幕末。ネットで日本の暦を調べると1960年9月7日は万延元年7月22日に該当します。そして、1860年3月24日(安政7年3月3日)には「桜田門外の変」が起きていました。蛇足ですが、彼女が亡くなった1961年には、坂本九「上を向いて歩こうが」のレコードが発売され、大ヒット。彼女生きた100年の間、日本は激動のなかにあったことを再認識しました。

・グランマ・モーゼスが国民的画家になった背景(解説をうまく要約できませんでした。半分は私の解釈です)

18世紀から19世紀にかけてのアメリカでは、独学で絵を描くようになった人でも、上手ければ肖像画を描いて収入を得ることができました。しかし、写真の登場で肖像画家は消えます。それでも「趣味で絵を描く人」は残っていました。1930年代のアメリカでは「アメリカの美術」を探していたことから、「独学の画家」が描く素朴な美術が注目されるようになります。しかし、1940年代後半になると「独学の画家」では国際的な評価は得られないことから、前衛芸術や抽象芸術がアメリカ美術界の主流となっていきました。このように「独学の画家」たちが美術界から忘れられていく一方で、グランマ・モーゼスの人気は衰えませんでした。それは、①彼女の描く世界が大衆に共感されるものであったことと、②彼女が「70歳代のおばあさん・一農婦」であると表に出すことで、「女性」の成功者が名声を得ることを妨げてきた障害(社会の反発)を回避できたからです。

・モンドリアン展との関係を考える

2021.04.03付「日本経済新聞」に掲載された「モンドリアン展」の記事は、下記のように書いています。

〈モンドリアンは戦火が迫るパリを再び離れ、ロンドンを経て、40年に米国に移住する。多くの芸術家が米国に亡命していたが、雑誌「フォーチューン」は41年の特集「12人の亡命美術家」の冒頭にモンドリアンを取り上げた。新造形主義やタイポグラフィーや建築、工業デザインに広く影響していることを紹介している。第二次世界大戦後の米国では、米国独自の、新しい美術を確立する動きが生まれていた。そうした動きにモンドリアンの打ち立てた抽象絵画はよく合った。米国の美術家たちはモンドリアンを時に否定し、意識的に距離を置こうとしつつも、それを土台に新しい美術を模索していった。〉(引用終り)

つまり、モンドリアンは、1940年代後半からアメリカ美術界の主流になっていった美術家たち(マーク・ロスコ(1903-1970)、バーネット・ニューマン(1905-1970)、ウィレム・デ・クーニング(1904-1997)、ジャクソン・ポロック(1912-1956)などか?)に大きな影響を与えたというのです。

グランマ・モーゼス自身は、前衛芸術や抽象芸術とは縁のない世界を生きた画家ですが、彼女が「前衛芸術や抽象芸術がアメリカ美術界の主流となっていったアメリカの中でも人気が衰えなかった」という事実について考えるためには、彼女の作品の対極であるモンドリアンの抽象画や抽象表現主義について知ることも必要なのかな、と思いました。

・モンドリアン展・ミニツアーについて

7月25日の解説会で、協力会の人から「協力会主催のモンドリアン展ミニツアーを2021.08.29に開催する予定」という話を耳にしました。午前10時から学芸員さんの解説を聴いた後、展覧会を鑑賞するようです。決定すれば、協力会から「お知らせ」があると思います。楽しみですね。

Ron

ランス美術館コレクション展解説会

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

4月18日日曜日、朝から不安定なお天気のもと、名古屋市美術館協力会会員向けのランス美術館展解説会が開催されました。

参加した会員たちは、講堂に集まって、担当学芸員の勝田琴絵さんの解説を静かに傾聴しました。

ランス美術館は、コロー作品を多数所蔵しており、その数はルーブル美術館に次ぐものだとのこと。今回は、ランス美術館が大規模な改修を行うのに伴い、コローをはじめ多数の風景画の画家の傑作を見ることが出来るのだということです。

今回展示されている油彩画のほとんどが、地元の資産家アンリ・ヴァニエの遺贈や寄付によるもので、ヴァニエは、シャンパンで有名なポメリの経営に携わっていたと背景を説明してくれました。

時代背景としては、それまで王侯貴族が楽しんできた絵画芸術が、フランス革命を機に民衆により親しまれるものとなり、神話や宗教を題材としてものよりも自然をありのままに描く風景画が好まれるようになっていきます。絵具がアトリエの外でも使えるようになる技術的な進歩もあいまって、戸外で実際に自然を観察して風景を描くことがバルビゾン派や印象派への流れに繋がって行ったなど、説明を受けました。

解説会の後、実際に展示室でこれら風景画を観覧しました。解説のとおり、色使いや筆づかいが素晴らしい作品ばかりで、心がなごむ、夕べとなりました。