布の庭にあそぶ 庄司達展 解説会

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

5月15日日曜日、4月29日から名古屋市美術館にて開催されている「布の庭にあそぶ 庄司達展」の協力会会員向け解説会が行われました。当日は2時間ほど前に作家自身によるアーティスト・トークも開催され、大勢の観客が訪れており、その余韻残るなかで解説会が始まりました。

今回展示は2階の展示室から始まっています。まずは作品のマケット(模型)が並んでいるところから。今回作品が展示されているものもありますが、マケットのみで実際の作品はまだ制作されていないものもありました。

今回、2階の展示室は移動壁を一枚も出していないそうです。そのような使い方をしてみると、2階展示スペースが非常に明るく、インスタレーション作品向けであると実感されたとのこと。なるほど、かなり前ですが、トリエンナーレでインスタレーション作品が展示されたときも、非常に面白い展示になっていたなと思い出しました。

庄司さんの作品は、体を使って体感するものが多く、作品の中に人が入ることが、作品にとって非常に大切であるとのこと。後に展示室でそれを十分に実感しました。

簡単なレクチャを聞いたあとに展示室をゆっくり堪能。会員は、作品の間を抜けて移動したり、なかには作品のなかで寝転んだりしてこの時間を楽しんでいました。実際に布を触ってみることが出来る作品もあり、触ったり、作品の中に迷い込んだり、それぞれが思い思いの楽しみ方をして過ごしました。

「ゴッホ展」 会員向け解説会(B日程)

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開幕した「ゴッホ展 ― 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」(以下「本展」)の名古屋市美術館協力会・会員向け解説会(B日程)に参加しました。気温の変化が激しいためか、6人の欠席があり、参加者は30人。2階講堂で森本陽香学芸員(以下「森本さん」)の解説を聴き、その後、自由観覧・自由解散となりました。

◆2階講堂・森本さんの解説(16:30~17:20)の概要 

メモと記憶で書いていますので、不正確な点はご容赦ください。

・「ヘレーネ」とは?

 本展のサブタイトルは「響きあう魂 へレートフィンセント」。皆さんご存じの通り「フィンセント」はフィンセント・ファン・ゴッホのことですが、「ヘレーネ」は、ヘレーネ・クレラー=ミュラー(以下「ヘレーネ」)。彼女は、今回出展のクレラー=ミュラー美術館の基礎を築きました。今回、オランダ・アムステルダムのファン・ゴッホ美術館からも4点出展。ファン・ゴッホ美術館はファン・ゴッホ家のコレクションを元にしており、クレラー=ミュラー美術館はヘレーネが収集したコレクションを元にしています。いずれのコレクションも、重要性が高く、規模の大きいものです。

・ヘレーネが結婚するまで

 ヘレーネはドイツ人で1869年に、ドイツ中西部・エッセン郊外のホルストで生まれました。まじめで勉強熱心な少女で、父親は鉄鉱石と石炭を扱うミュラー社を設立し、海運業にも進出します。少女時代の名前はクレラー・ミュラー。「教師になりたい」と思っていましたが、19歳の時、アントン・クレラー(以下「アントン」)と結婚し、ヘレーネ・クレラー=ミュラーとなります。「クレラー=ミュラー」は、夫妻の名字を合わせたもので「二重名字」と呼ばれ、ヨーロッパでは良くあることです。

少女の頃、ヘレーネはレッシング、ゲーテ、シラーの著作を熱心に読みました。また、哲学者スピノザの汎神論に興味を示し、教会に対する疑いを抱きました。「宗教によって救われることはありえない」として、心のよりどころを他のものに追い求め、美術作品が心の支えとなりました。

 アントンはミュラー社の社員で、いわば「婿養子」です。会社の都合でヘレーネ夫妻はオランダに引っ越します。父親が死亡するとアントンはミュラー社の取締役となり、彼の商才で会社を成功させます。

・美術教師ブレマーとの出会い、ヘレーネの審美眼

 ヘレーネは、美術教師のヘンドリクス・ペトルス・ブレマー(以下「ブレマー」)と出会い、美術に対する興味を増します。裕福な家庭では、専門家を家庭教師とすることがあり、ヘレーネも1927年、38歳の頃からブレマーのレクチャーを受け始めます。ブレマーは主に図版を使って、美術教育をしましたが、可能な場合には本物の作品を使い、「作品の収集が一番の勉強」とも教えました。ヘレーネの審美眼は、ブレマーから教わったものです。ヘレーネが作品を収集するとき、ブレマーの助言は受けたものの、最後は自分で「これは良い」と思ったものをコレクションする、という姿勢を貫きました。

・所蔵作品の展示

 クレラー=ミュラー美術館本館の展示室は、ヘレーネが館長の頃と変わっていません。しかし、開館後、増築され、野外彫刻も充実しました。開館当時との大きな違いは、作品の展示の仕方です。ヘレーネは作品と作品の間隔を空け、目線の位置に合わせて展示しましたが、展示室の中に家具や椅子も置いています。現在、家具などは置いていません。なお、当時は、二段掛け、三段掛けで天井近くまで使い、壁一面に作品を並べる展示方法が一般的でした。一方、現代の美術館では、ホワイトキューブ(白くて四角い建物)の中に、横一列に間隔を空けて展示するのが一般的です。

・ヘレーネが収集した作品

 ヘレーネが収集した第一号の作品は、パウル・ヨセフ・コンスタンティン・ハブリエル《それは遠くからやって来る》(1887)です。作者は、オランダの印象派と言われるハーグ派の画家。フランスとオランダとでは、光が違います。オランダは、グレイがかった灰色の光が多いのです。コレクション第一号なので、堅実な作品を選んでいます。

 また、最初期に集めたゴッホの作品は《森のはずれ》(1883)です。彼がハーグ派やバルビゾン派にあこがれていた頃の作品で、後期のゴッホらしい作品とは趣が異なります。《レモンの籠・瓶》(1885)は、アルル時代の作品です。1909年に購入したもので、レモンが「じゃがいも」のように見えますが、力強い、生命力のある作品です。ゴッホはこの作品で、色彩の使い方、補色の対比を研究しています。激しい色使いではありませんが、黄色いモチーフに赤い輪郭線を描くことで画面を引き締めています。補色関係というと、青と黄色の対比がイメージされますが、この作品ではレモンの黄色とテーブルクロスの黄色という類似色の使い方についても研究しています。ヘレーネは、この作品気に入り、手元に置いて、この作品に対する思いを手紙に残しています。ヘレーネの手紙〈ゴッホが描いたレモンを理解しようとするとき、私は頭の中で数個のレモンをゴッホのレモンの隣に並べてみます。そして、現実のレモンと、ゴッホのレモンがどれほど異なっているかを感じるのです〉(1909.03.26)

この手紙の内容を解釈すると、この作品は「果物としてのレモン」ではなく、「レモンの持っている存在感」を現わしている。現実以上のものを表現していることが大きい、ということだと思います。ヘレーネは「その作品に精神性のようなものを感じられるか」を収集の判断基準にしていました。

・収集した作品の保管場所

収集した作品が増えると自宅では収まらず、ハーグにあったミュラー社の隣のビルを作品の保管場所にしました。1階ホールの写真を見ると、キャビネットの上にも作品が並んでいます。真ん中に写っているのは、今回出展の素描《コーヒーを飲む老人》(1882)です。オランダ時代の油彩を保管している部屋の写真を見ると、二段掛け、三段掛けは当たり前で、作品が壁一面に並んでいます。当初、保管場所は「鑑賞の場」ではありませんでした。収蔵作品を一般に公開するのは1913年以降のことです。

ゴッホの作品を一般公開した当時、ゴッホを常設展示する場所はありませんでした。ヘレーネが一般公開したコレクションは「ゴッホの作品をまとめて見ることができる場所」として重宝されました。

・「展示方法」に対するヘレーネのこだわり

写真をご覧ください。6点の作品を3点ずつ二段掛けで並べています。上段、下段とも中央が縦長の作品、両脇が横長の作品です。上段の左右はどんな作品か判別できませんが、中央は今回出展の《夕暮れの松の木》(1889)、下段中央は《夜のプロヴァンスの田舎道》(1890)です。下段、向かって右は今回出展の《麦束のある月の出の風景》(1889)、向かって左は日の出を描いた作品です。縦長の樹木の絵2点を中央に置き、下段は左右に日の出と月の出を対比して配置するなど、ヘレーネは「どんなふうに見せるか」という点にもこだわりを持っていました。

・クレラー=ミュラー美術館の建設

クレラー=ミュラー美術館はオランダの東南部、オッテルローの町はずれの広大な農地の中にあります。ヘレーネが「美術館は自然豊かなところにあるのが望ましい」と考えたからです。

美術館建設の最初の案は宮殿のようなものでした。しかし、ヘレーネは却下。「シンプルで機能的なものがよい」というヘレーネの考えに基づいてアンリ・ヴァン・ド・ヴェルドが設計したシンプルな案を採用して建設が始まったのですが、1921年に会社が財政危機に陥り、全ての事業がストップしてしまいました。

 アンリ・ヴァン・ド・ヴェルドはベルギー出身の、アール・ヌーボー調の建物を設計した建築家です。美術館を設計したのは彼の晩年に当たります。彼が設計した美術館は装飾が少なく、シンプルなものです。また、彼は絵も描き、今回出展の《黄昏》(1889)は、点描による彼の作品です。

 財政破綻の危機に陥ると、多くの場合「コレクションを売却して危機を乗り越える」ということになりますが、ヘレーネはコレクションを売却せず、クレラー=ミュラー財団に移管して作品を守りました。それだけでなく、コレクションの価値を国にアピールし、文部大臣と交渉。その結果、オランダ政府が美術館建設を認めたのですが、1929年に世界恐慌が起きます。紆余曲折を経て、1930年代に、国がクレラー=ミュラー財団のコレクションを元にした美術館の建設を決定。1938年になってクレラー=ミュラー美術館が開館し、ヘレーネは初代館長に就任します。

・ゴッホ作品の評価向上に対するヘレーネの貢献

 1930年代になると生前に比べて、ゴッホの評価はかなり上がりました。収集家の力で、作品の評価が上がったのです。ゴッホの死後、展覧会を開いて徐々に評価が上がり、多額の資金を使った収集によって、ゴッホ作品に世間の関心が集まりました。ヘレーネ以外にもコレクターがいました。また、ファン・ゴッホンの遺族の努力で書簡集が発行されたこともあり、1930年代にはゴッホの評価が確立したのです。

・主なゴッホ作品について

《悲しむ老人(「永遠の門にて」)》(1890)

このモチーフは、オランダ時代にゴッホがリトグラフで制作したものです。当時、このような姿勢は、よく制作されたモチーフです。この作品はサン・レミ時代に、リトグラフを油彩でコピーしたものです。補色関係の黄色と青の対比が目を引きます。かつて制作したリトグラフと同じモチーフを描いたのは、当時、精神疾患でつらい生活をしていたためです。

 この作品は、夫のアントンが結婚25年の記念として、ヘレーネにプレゼントしたものです。アンリ・ファンタン=ラトゥールの女性像《エヴァ・カリマキ=カタルジの肖像》(1881)と一緒に贈られました。ヘレーネは、アントン宛の手紙(1913.5.17)に〈大きくて、高価な真珠のネックレスをもらったとしても、これほど喜ぶことはなかったでしょう〉と書いています。なお、今回出展作の中に、アンリ・ファンタン=ラトゥール《静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ》(1966)があります。ヘレーネはファン・ゴッホと同じくらい、この作家を評価していました。

《種まく人》(1888)

 ヘレーネは、サン・レミ時代の作品から収集を始め、その後、他の時代の作品も収集するようになります。《種まく人》はアルル時代の作品で、今回の目玉の一つです。ミレーの絵を元にして、色彩豊かに、大きなサイズで現代風に描いたものです。この作品では「太陽」が大きな意味を持っています。ゴッホは、パリ・アルル時代から「教会」のイメージを太陽に置き換えています。オランダ時代にも教会を描いていましたが、パリ・アルル時代から、太陽(自然)を教会(宗教)に置き換えることを意図しています。ヘレーネがどこまで理解していたかは分かりませんが、自分の考えとの親和性を感じていたと思います。

《夜のプロヴァンスの田舎道》(1890)

 ゴーギャンの影響を受け、目の前の景色を見たまま描くのではなく、記憶を再構成して描いています。ベックリン《死の島》に糸杉が描かれているように、糸杉は「死」のイメージを持っています。また、糸杉は南フランスに特徴的なもので、オランダを代表する樹木は柳です。オリーブの樹も南フランスを代表するものです。糸杉はエネルギッシュで、力強いものでもあります。この作品は、世界中で好まれています。

《黄色い家》(1888)

 テオの妻ヨーが尽力して守ったコレクションを所蔵するファン・ゴッホ美術館から出展されました。描かれているのはゴーギャンと共同生活をするために借りた家です。ゴッホとその弟テオも素晴らしいですが、彼らの死後に奔走したヘレーネとヨーの功績も素晴らしいと思います。これまで、さまざまに語られたゴッホの作品ですが、新しい切り口は残っています。

◆最後に

 森本さんは「フィンセント」だけでなく、「ヘレーネ」についても時間を割いて解説してくださいました。クレラー=ミュラー美術館の設計者が点描の画家だったことや、美術館の建設に立ちはだかった様々な障害など、興味深い話をいくつも聞くことができました。森本さん、

ありがとうございました。

Ron

「ゴッホ展」 会員向け解説会(A日程)

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor
解説会に際し、会長さんからあいさつ

名古屋市美術館で開幕した「ゴッホ展 ― 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」(以下「本展」)の名古屋市美術館協力会・会員向け解説会(A日程)に参加しました。参加者は往復ハガキで申し込んだ50人。解説会の定員は90人で、申し込んだ全員が当選しています。2階講堂で深谷克典・名古屋市美術館参与(以下「深谷さん」)の解説を聴き、その後は自由観覧・自由解散となりました。

なお、本展では特別に、会員向け解説会を2回開催。次回(B日程)は、森本陽学芸員の解説。3月13日(日)16:30~18:30開催の予定です。こちらも、申し込んだ全員が当選しています。

◆2階講堂・深谷さんの解説(16:30~17:15)の概要   なお、(注)は、私の補足です。

・美術館に来る時の注意点

 本展の休館日は3月7日(月)・28日(月)の2回だけです。会期は2月23日から4月10日までの約一月半。会期がとても短いので、混雑を緩和するため、休館日を2回にとどめました。「月曜日は全部休み」と思っている方が多いので、ゆったり鑑賞するなら「3月7日・28日以外の月曜日」がお薦めです。

 本展は日時指定の予約制です。入場時刻は、最初が9時30分、次が10時30分と、1時間おきです。入場時刻が9時30分だと、9時30分から10時20分までが入場時間帯ですが、多くの人が9時30分よりも前から並ぶため、開館時刻には100人から150人の行列が出来て、入場に20分から30分かかります。10時ごろには行列がなくなるので「並ばずに見たい」という方は10時ごろにお出でください。他の時間帯でも11時ちょうど、12時ちょうど等「毎正時」だと「並ばずに見る」ことができると思います。

・ヘレーネ・クレラー=ミュラーとフィンセント・ファン・ゴッホの関係

 本展には「響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」というサブタイトルがついています。このサブタイトル、実は私が考えたものです。ヘレーネは、本展の出展作品のコレクターですが、ゴッホと直接の面識はありませんでした。彼女はドイツ人で、結婚してオランダに移ってから、人生に物足りなさを感じた時に出会ったのがゴッホの作品でした。本展に関係のある、もう一人の人物がH.P.ブレマーです。彼は、絵描き・美術評論家・コレクションのアドバイザーなど多くの肩書を持っています。早くからゴッホの真価を認め、ヘレーネに「是非コレクションすると良い」と勧めた人物です。

・クレラー=ミュラー美術館について

 ゴッホが亡くなったのは1890年。ヘレーネはゴッホの死後、1908年から20年間にわたって、270点のゴッホ作品を収集しました。本展には、その一部が出展されます。

 オランダの黄金時代は17世紀です。国が繫栄し、美術ではレンブラントやフェルメール等が活躍しました。しかし、その後は低迷が続きます。そして、19世紀になって登場したのが、ゴッホです。

 ヘレーネのコレクションを所蔵するクレラー=ミュラー美術館は、1938年に開館しました。ヘレーネは初代館長を務め、開館の翌年、1939年に亡くなりました。

 クレラー=ミュラー美術館は、広大な国立公園の中にあります。公園の中には何もありません。私は45年前の学生時代、アムステルダムからバスに乗り美術館に行ったことがあります。バス停から2時間余り歩き続けてようやく着きましたが、道中、周りはずっと森ばかりでした。

・出展作品の搬送と展示

 本展は、昨年9月から12月まで東京都美術館で開催されました。いつもなら、出展作品の搬送には作品を所蔵している美術館からクーリエが付き添って来ます。しかし、今回はコロナ禍による外国人の入国制限でクーリエが来日できないため、本展の関係者がオランダに出向いて作品を受け取って来ました。昨年9月のことで、私も同行しました。

 美術館のあるオッテルロー近くのホテルに宿泊し、クレラー=ミュラー美術館に行きました。国立公園の入口から、無料の貸自転車で美術館まで、5㎞の道を走ったのですが、止まろうと思ったら自転車のハンドルにブレーキ・レバーが見当たりません。焦りましたね。試行錯誤の末、自転車のペダルを後ろに戻したら、ようやく止まりました。ペダルを戻すと止まる仕組み(フット・ブレーキ)の自転車でした。

 出展作品は、ご覧のとおり「TURTLE」というロゴと亀のイラストが描かれた緑色の箱に、一点ずつ入れて搬送します。ロゴとイラストは「亀のように固い甲羅で守っています」という意味のようです。乗客の場合と違い、荷物は飛行機の出発の4時間から5時間前には空港に届けなければならないため、朝早く、暗いうちに美術館を出発しました。

 ご覧いただいているのは、名古屋市美術館での展示風景です。いつもならクレラー=ミュラー美術館のクーリエが日本のスタッフの横にいて、様々な指示を出します。しかし、今回、クーリエは来日していないため、パソコンでオランダと繋ぎ、画像を転送してクーリエの指示を仰ぎました。この日の展示作業は16時(オランダ時間:8時)から21時(オランダ時間:13時)まで行いました。

・ゴッホと彼の家族

 ご覧いただいているのは、ゴッホの弟テオです。ゴッホには2人の弟と3人の妹がいました。男の兄弟、ゴッホと弟2人はいずれも30代で死亡。男たちはみんな「若死に」でした。一方、妹3人は長生きです。

・クレラー=ミュラー美術館が所蔵するゴッホ作品など

 クレラー=ミュラー美術館が所蔵するゴッホ作品は油絵90点、素描180点。ヘレーネは1908年から1929年までの20年間、現在の日本円に換算して総額6億円を費やし、作品を収集しました。現在と違って、当時、ゴッホ作品の値段はそれほど高くありませんでした。

 ゴッホ作品を一番多く所蔵しているのはゴッホ美術館で、油絵200点、素描500点を所蔵しています。クレラー=ミュラー美術館の所蔵数は二番目。他には、オルセー美術館が油絵24点、版画15点を、メトロポリタン美術館が油絵19点、水彩・素描5点、版画4点を所蔵しています。

・本展の出展作品

 本展の出展作品は、ゴッホの素描20点、ゴッホの油絵32点(うち、4点がゴッホ美術館所蔵)、ゴッホ以外の油絵20点です。

 ご覧いただいているのは、走る機関車を描いた、ハブリエル《それは遠くからやってくる》(1887)で、ヘレーネが1907年に初めて収集した作品です。次の《森のはずれ》(1883)と《枯れた4本のひまわり》(1887)は、ヘレーネが1908年に初めて収集したゴッホの作品です。なお、《枯れた4本のヒマワリ》は本展に出展していません。

 オランダ時代の作品は《織機と職工》(1884)、《女の顔》(1884)、《じゃがいもを食べる人》(1885)。《じゃがいもを食べる人》は油絵と版画を描いていますが、本展に出展しているのは版画です。

 ゴッホは、画家としては10年間ぐらいしか活動していません。初期は基本に従って、下絵を描いてから油絵を仕上げていますが、後になるほど描くスピードが速くなり、2~3日で1点を仕上げています。パリ・アルル時代からは、下絵なしでキャンバスに向って描いています。

 パリ時代の作品は《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》(1886)と《レストランの内部》(1887)。《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》にはオランダ時代の名残がありますが、《レストランの内部》になると作風が大きく変わります。ゴッホは1886年に開かれた第8回印象派展でスーラの作品(注:たぶん、《グランド・ジャネット島の日曜日の午後》)を見て衝撃を受け、この作品を点描で描きました。

 これは脱線ですが、ゴッホが弟のテオ宛てに「パリのルーブル美術館に迎えに来い」と書いて送った手紙が残っています。「本当に、投函した手紙が翌日に届いていたのか?」と疑問を抱いていたのですが、調べると、当時、オランダで出した手紙は、翌日パリに配達されていました。以前、藤田嗣治展でフジタがユキに送った手紙を調査したところ、フジタは一日2、3通の手紙を書き、翌日にはユキに届いていました。

 《糸杉に囲まれた果樹園》は1888年4月に描いた作品です。その2か月後に描いたのが《種まく人》(1888)ですが、ゴッホはミレーを尊敬し、《種まく人》を元にした作品を何点も制作しています。

・《黄色い家》と「耳切り事件」

 《黄色い家》は1888年9月に描いた作品です。この家は2階が寝室で、1階は食堂とアトリエです。ゴッホは、この家を画家たちの共同生活の場にすることを夢見て、画家仲間を誘ったのですが誰も来ませんでした。ゴッホの弟・テオから頼まれ、テオの顔を立てるため、「黄色い家」にやってきたのがゴーギャン。同年10月下旬のことです。しかし、共同生活は2か月で破綻。12月23日に有名な「耳切り事件」が起き、ゴーギャンはパリに帰ります。

 「耳切り事件」は「ゴッホがゴーギャンの背後から剃刀を手に持って追いかけて来た。ゴーギャンが振り向いてゴッホを睨むと、ゴッホは引き返した」という話ですが、これは事件から10年ほど後にゴーギャンが自伝に書いたことを元にしています。しかし、これが少しあやしいのです。事件の数カ月後、ゴーギャンはフェルミ―ル・ベルナールに事件について語っています。フェルミ―ル・ベルナールは別の作家に手紙を書いていますが「ゴッホが剃刀を持って、ゴーギャンを追いかけた」ということは書いてありません。(注:ゴッホが自分の耳を切ったことは確かですが、「彼がゴーギャンを追いかけた」という部分は「盛った話」かもしれない、ということですね)

・本展の出展作品(つづき)

 《善きサマリア人》(1890)は、ドラクロア《善きサマリア人》(1849-50)の版画を模写したものです。《夜のプロヴァンスの田舎道》(1890年5月)は、1996年に名古屋市美術館で開催した「ゴッホ展」でも出展されました。ゴッホが亡くなる2か月前、サン・レミで描いた作品です。

 ゴッホは、アルルで多くの「ヒマワリ」を描いています。そして、サン・レミでは「糸杉」をたくさん描いています。ヒマワリは、生命・信仰の象徴ですが、糸杉は見るからに禍々しく、死の象徴とされています。十字架も糸杉を素材にして作られています。ゴッホの中に「死に向っていく意識があった」と言われています。

「生と死」を表すとき、太陽と月を同じ画面に描くことがあります。《夜のプロヴァンスの田舎道》には金星と月が描かれているとされますが、私は、画面の左側に描かれているのは「金星」ではなく、「太陽」ではないかと思っています。この作品は実際に見た風景ではなく、想像力を使って描いた作品です。

 糸杉はベックリン《死の島》(1880)に描かれ、ダ・ヴィンチ《受胎告知》(1472-5)にも描かれています。《死の島》の糸杉は「死の象徴」ですが、《受胎告知》の糸杉は「生命の誕生を告げる樹木」です。つまり、糸杉は「生のイメージ」と「死のイメージ」の二つの象徴です。私はゴッホが「生と死の間を揺れ動いていたのではないか」と思います。ゴッホは1889年から1890年までの間、繰り返し糸杉を描きました。

・ゴッホ以外の出展作品

 本展にはルノワール《カフェにて》(1877)、モンドリアン《グリッドのあるコンポジション5》(1919)など、良い作品がいっぱい出展されています。ヘレーネは、ゴッホ以外の作家についても質の高いコレクションを作り上げていました。

◆自由観覧(17:15~18:30)の概要

・オランダ時代の作品など(1階)

 最初の部屋に展示されているのは《ヘレーネ・クレラー=ミュラーの肖像》と《H.P.ブレマーの肖像》。出展された作品に関係の深い二人に敬意を表するために展示しているのでしょう。

 次の部屋に入り左に曲がると、オランダ時代の暗い色調の油絵が並んでいます。油絵の次は、ゴッホ時代の素描。深谷さんは「ヘレーネが収集したゴッホ作品は、油絵90点、素描180点」と解説していましたが、出展された素描を見て「ヘレーネがゴッホの素描を高く評価していた」と感じました。深谷さんも「ゴッホの素描はうまい」と話しています。ゴッホが素描に力を注いていたことが分かりました。

 作品を鑑賞していると、参加者から「油絵の額縁と素描の額縁、作品の種類別に同じデザインの額縁を使っている」という声が上がりました。深谷さんは「おっしゃる通りです」と回答。「クレラー=ミュラー美術館開館時の写真を見ると、当時からこの額縁を使っている」という説明が続きました。

・ゴッホ以外の作品(1階)

 点描の作品が5点並んでいました。見覚えのある作品があったので家に帰って調べると、少なくともスーラ《ポール=アンベッサンの日曜日》(1888)、シニャック《ポルトリューの灯台、作品183》(1888)、アンリ・ヴァン・ド・ヴェルド《黄昏》(1889)は、2014年に愛知県美術館で開催された「点描の画家たち」(以下「点描の画家たち」)に出展されていました。そういえば「点描の画家たち」もクレラー=ミュラー美術館の所蔵品からの出展でしたね。

 ゴッホ以外の作品の最後は、《グリッドのあるコンポジション5》とバート・ファン・デル・レック《種まく人》(1921)です。2021年に豊田市美術館で開催された「モンドリアン展」(以下「モンドリアン展」)の最後の部屋に出展されていた作品の数々を思い出しました。当時最先端だった抽象画も収集していたことに、ヘレーネの「目の付け所の良さ」を感じます。なお、「点描の画家たち」でも最後の章にはモンドリアンの作品を出展していました。

・クレラー=ミュラー夫妻が購入したファン・ゴッホ作品(1階)

 1階の最後は、壁一面を使った「クレラー=ミュラー夫妻が購入したファン・ゴッホ作品」の一覧表です。購入年、作品名だけでなく、現在の円に換算した金額も示されているので「開運!なんでも鑑定団」を見ているような気がしました。興味深かったのは、本展の目玉《夜のプロヴァンスの田舎町》の購入価格が10,000ギルダー(925万円余)で、17,500ギルダー(1619万円余)で購入した《善きサマリア人》よりも安かったということです。それから、1928年には131点の素描を「まとめ買い」していました。クレラー=ミュラー美術館が所蔵しているゴッホの素描は180点ですから「素描の約七割はこの年に購入したもの」ということになります。

・ゴッホ美術館の所蔵品(2階)

 2階に移動して、最初に目に入るのはゴッホ美術館の所蔵品4点です。なかでも《黄色い家》は、別格扱いでした。

・パリ時代の作品(2階)

 最初に展示されている《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》は、「モンドリアン展」で見たハーグ派の作風で描いた初期モンドリアンの作品を思わせる暗い色調の絵でした。この作品以外は、印象派の影響を受けた色鮮やかな絵ばかりなので、パリでゴッホの作風に大きな変化が起きたことがよく分かります。

・アルル時代の作品(2階)

 《夕暮れの刈り込まれた柳》(1888)は、1階に展示されていた素描《刈り込んだ柳のある道》(1881)と同じような樹形の柳を描いた作品です。「モンドリアン展」でも、同じような樹形の柳を描いた作品が数点あったことを思い出しました。《種をまく人》は「日暮れ時に種を蒔いている」ことが良くわかる作品です。ただ、まだ明るく、しかも鴉が何羽も周りにいるので「種を蒔いても、鴉が次から次へと食べてしまうのではないか」と要らぬ心配をしてしまいました。

・サン=レミとオーヴェル=シュル=オワーズ(2階)

 《夕暮れの松の木》(1889)は、何故か日本的な感じのする作品でした。ただ、そのように感じる理由については、良く分かりません。本展の目玉《夜のプロヴァンスの道》は、最後に一点だけの特別席に鎮座。沢山の人が作品を取り囲んで見ることができるよう、絵の周りに広い空間を確保していました。

・「点描の画家たち」で見たゴッホ作品

 2階にも、見覚えのある作品がありました。家に帰って調べると、少なくとも《レストランの内部》、《種まく人》、《麦束のある月の出の風景》(1889)は「点描の画家たち」に出展されていました。なかでも《種まく人》は、ポスターかチラシに使われていた記憶があります。

解説くださった深谷参与、マスク姿でありがとうございました!

◆最後に

 本展を鑑賞するため、午後2時30分に並んだことがあります。その時の待ち時間は5分ほどでした。ただ、展示室に入ると「すし詰め」とは言いませんが、①最前列に並んで、人の流れに逆らわず、ゆったりと作品を鑑賞するか、②並んでいる人の後ろに立って、人と人の隙間から覗くようにして作品を鑑賞し、自分のペースで移動するか、二者択一の判断を迫られるほどの「混み具合」でした。その時は、時間の余裕がなかったので止む無く、②を選択しましたが、じっくりと鑑賞できなかったのは、少し残念でした。

 これに対し、今回の自由鑑賞は「50人の貸し切り」ですから、じっくりと、しかも自分のペースで鑑賞しました。「贅沢な時間」を満喫することができたので、大満足です。

 解説会が始まる前、スクリーンに動画が映されていたので、家に帰り〈「ゴッホ展」展覧会公式サイト〉にアクセスして「スペシャル」を選択すると、〈「ゴッホ展がよく分かる!」こどもも大人も楽しめるジュニアガイド〉という動画を見ることができました。確かに「こどもも大人も楽しめる」ガイドです。

◆蛇足ながら

協力会の活動が再開したのは、2021.02.07に開催の「写真の都」物語-名古屋写真運動史の「会員向け解説会」でした。ようやく、一年が経過。これからも協力会の活動が続くことを願ってやみません。

Ron

「現代美術のポジション 2021-2022」 会員向け解説会

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「現代美術のポジション 2021-2022」(以下「本展」)の協力会・会員向け解説会に参加しました。2階講堂で森本陽香学芸員(以下「森本さん」)から、本展の概要を聴き、その後は2つのグループに分かれてギャラリートーク・自由観覧・自由解散となりました。森本さんが担当するグループは1階の展示から、もう一つのグループは2階の展示から見ることになりました。私が参加したのは後者で、担当は久保田舞美(くぼた・まみ)学芸員(以下「久保田さん」)です。ギャラリートークの冒頭で、「今年の4月に学校を卒業し、市美に採用されたばかりの新人です」と自己紹介がありました。

◆2階講堂・森本さんの解説(16:00~16:10)の概要

 「現代美術のポジション」は1994年に始まり、前回開催は2016年、本展は6回目の開催となります。本展では、名古屋市や愛知県を拠点として活動している作家、名古屋市や愛知県で学び巣立っていった9名の作家を紹介します。ジャンルは偏らないようにしました。男女比をみると、奇数なので同数は無理ですが、男性5名、女性4名。期せずして、ほぼ半分。女性のうち母親が2名というのも、時代を反映しています。これも、自然とそういう形になったものです。年齢は、全員が20代後半から30代後半の若い作家で、ステップアップに期待できる人たちです。美術系大学の講師も、複数いらっしゃいます。

◆久保田さんのギャラリートーク(16:10~17:15)の概要

(注)久保田さんが担当するグループのギャラリートークは2階から始まりましたが、以下の文章は、展示の順番に従って、1階の作品解説から書かせていただきました。なお、(mm)は久保田さんのギャラリートークの概要、(Ron)は私の「つぶやき」です。

1階

◆木村充伯(きむら みつのり)1983~

(mm)エントランスにいるのはミーアキャットの彫刻、木村充伯の《Wonderful Man》です。ミーアキャットの毛皮は、チェーンソーで木材の表面を毛羽立たせたものです。皆さん、ミーアキャットはたくさんいるのに、作品名は単数、おかしいと思いませんか。実は、Man はミーアキャットではなく、ミーアキャットたちが見ている「不思議な人物」。つまり、皆さん方のひとりひとりを指しています。展示室に展示されている彫刻は《大丈夫、あなたを見ている人がいる》です。ヒョウ、キリン、ペンギンとネコの4点が出品されています。

(Ron) 《Wonderful Man》も《大丈夫、あなたを見ている人がいる》も、参加者の中では「カワイイ!」という声が飛び交っていました。

◆多田圭佑(ただ けいすけ)1986~

(mm)木の板やタイル、チェーン、ビスを組み合わせた作品に見えますが、実は、木の板やタイル、チェーンなどは、型にアクリル絵具を流し込んで固めた作品です。型から取り出したアクリル絵具の塊に着色し、本物そっくりに仕上げました。なお、作家は、テーマパーク(ディズニーランド)でセットを制作しています。

(Ron) 「アクリル絵具で作った」と聞いて、参加者の中から「鎖はどうやって作ったの? 信じられない!」という声が出ていました。タイルと木の板、チェーンの組み合わせというだけでも、作品として十分成立しますが、更に手の込んだ仕掛けをしていると知って、びっくりです。

◆鈴木孝幸(すずき たかゆき)1982~

(mm)作家は愛知県新城市を拠点にしています。映像作品は地震を体験した人の話を編集したもので、机の上に並んでいるのは、河原から採取した石などです。コールタールで黒く塗ってある部分は、地中に埋もれていたところです。モルタル(セメント、水、砂を混ぜて固めた素材)にコールタールを塗った板と鉄板を組み合わせた作品は《heaping earth-627 中国の地図》です。モルタルの板は地盤、鉄板は断層を表しています。

(Ron) 《heaping earth-627 中国の地図》をみて、参加者の間から「どうやって並べたのだろう?作家の意図通りにモルタルの板や鉄板を並べるのは、とても難しい」というひそひそ話が聞こえてきました。

◆水野里奈(みずの りな)1989~

(mm)油彩画は、中東の細密画、水墨画などを組み合わせた装飾性豊かな作品です。このうち、《青い宮殿》は、高橋コレクションの所蔵です。一方、細密ドローイング6点は、油彩画とは直接関係しません。よく見ると、フレームにも図柄を描いていますね。でも、《細密ドローイング2021.5》のフレームだけは、何も描いてません。

(Ron) 油彩画は、絵の中に絵が描かれている、とても緻密できれいな作品でした。参加者からは「この作者の作品は“あいちトリエンナーレ2013”の長者町会場でも見た。とても、なつかしい!」という声が上がりました。

◆横野明日香(よこの あすか)1987~

(mm)最初は、《curve》など、山肌の曲線を美しく表現し、その場に立っているかのように感じられる風景画を描いていました。最近は《百合とかすみ草》など、花を描いた大きな作品を制作しています。

(Ron) 花を描いた作品は大きなものばかりで、《百合とかすみ草》は2枚のパネルを使った大作です。「大きすぎて、普通の家だと飾る場所がない」と思ったのですが、作家が2階の「アーティストの日常」に出品している「灯台」のシリーズは、小さなものばかり。これなら、小さな家にも飾れます。

◆川角岳大(かわすみ がくだい)1992~

(mm)愛知県出身の作家さんで、現在は埼玉県を拠点に活躍しています。犬が大好きで、ご本人は柴犬を飼っています。《rear dog》は、犬を後ろから見た作品。飼い主でないと気がつかない視線で描いたものです。なお、《front  dog》と《rear dog》は、高橋コレクションの所蔵です。《He has gone》は、自転車に乗っているところを描いた作品ですが、自転車と手・足だけが描かれています。乗っている人の目線で描いたのでしょう。

(Ron) 犬を飼っている参加者は《rear dog》を見て「変なアングルだけど、確かにこんな風に見える時がある」と、面白がっていました。《He has gone》も「自転車で段差を跳び越すときに体が受けている感覚は、このようなものかな」と、思わせる作品です。

2階

◆本山ゆかり(もとやま ゆかり)1992~

(mm)「画用紙」のシリーズは、デジタルペイントツールで描いたドローイングの中から、気に入った線を選んで、透明アクリル板の裏側から絵具で描いた作品です。裏から描くので表面がツルツルで、普通の絵とは違った感じになります。裏から描くとき、黒い線が先だったり、白い部分を先に描いたりと、臨機応変に描いています。「Ghost in the Cloth」は、複数の布を縫い合わせて、その裏に綿を置き、ミシンを使って透明な糸でナイフや薔薇を線描したものです。作家は「絵画とは何か」を問い直しながら、作品を制作しています。

(Ron) 「画用紙」シリーズの(二つの皿を持つ人)は、ぱっと見た感じでは「落書き」ですが、しばらくの間眺めていると、単純化された顔と二本の腕、二つの皿が見えて来ました。(草原と日の出)は、上から三番目の太い横線の真ん中から、小さな太陽が顔を出しているように見えます。

◆寺脇扶美(てらわき ふみ)1980~

(mm)「Crystalシリーズ」は、鉱物を写生して、その図像から線を抽出し、線をデジタル化して凸版を作り、凸版で麻紙にエンボス加工を施してから、岩絵の具で彩色する、という手法で描いた作品です。「autuniteシリーズ」はウラン鉱石をモチーフに、「diamondシリーズ」はダイヤモンドをモチーフに、「Crystalシリーズ」と同手法で描いたものです。「red + whiteシリーズ」は絵絹の裏から彩色した作品です。「抱っこの光景」などの作品は、絵絹に描いた絵を裏返したものです。

(Ron) 「red + whiteシリーズ」の表面はピンク色ですが、裏から見ると鮮やかな紅色です。絵絹は礬水(どうさ)引き(膠と明礬を溶かした水を紙や絹の表面に塗ってにじみ止めをすること)をしているので、絵の具を塗った面を裏から見るとピンクに見える、という説明がありました。《抱っこの光景》は、赤ちゃんを抱いた母親を、後ろから描いた作品です。しかし、裏返しているので母親の姿は、よく見えません。久保田さんの説明では「はっきり見えなくても、抱っこの光景は確かに存在していると、作家は思っている」とのことでした。

◆水野勝規(みずの かつのり)1982~

(mm) 作家は、三重県生まれ。2018年に市美で開催した「モネ それからの100年」にも映像作品を出品しています。《snow garden》は古い規格のビデオ作品ですが、《sync code》や《monotone》は4Kビデオなので、画像が鮮明です。

(Ron) 《monotone》は鮮明で綺麗な作品ですが、上映時間が24分と長いので、最初から最後までを通して鑑賞することはできませんでした。最後の方、満月を背景に花火が打ち上げられるシーンで、火の粉が弧を描き、月の前を落ちて行った後、暫くして、同じように弧を描きながら月の前を通り過ぎて行く煙の軌跡がクッキリと見え「4Kだと、こんな風に見えるのか」と、感動しました。

◆アーティストの日常

 本展の最後に、出品作家の身の回りの物を展示する「アーティストの日常」が企画されています。時間が限られていたため、説明があったのは水野里奈さんの「刺繍」だけでしたが、一見の価値はあります。

◆最後に

 その前に立つと心が引き込まれ、雑念が取り払われていくような気持ちになる作品が幾つもありました。脳の疲れが減っていく感覚です。まさに、mindfulnessの実践だと感じました。

Ron.