「ザ ベスト セレクション」 ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor


名古屋市美術館で開催中の「ザ ベスト セレクション」(以下「本展」)のギャラリートークに参加しました。台風25号の進路によっては「中止」もあり得ましたが、台風は日本海を進み、当日は快晴。無事、開催されました。晴れ女(晴れ男?)さん、ありがとう。
担当は、保崎裕徳学芸係長(以下「保崎さん」)と角田美奈子学芸員(以下「角田さん」)。参加者は70人。参加人数は多いもののグループ分けはありません。会場がゆったりしており、ポータブルのワイヤレス拡声装置で隅々まで声が届くため、70人全員が一緒に動くこととなりました。壮観でしたね。
以下は、保崎さんによるギャラリートークの概要です。なお、(注)は私の補足。主な作品については作者名・作品名・制作年に加えて作品解説の「見出し」を記載しました。本展では「主要作品」と「知られざる傑作」に詳細で気の利いた解説が添えられています。解説本文は会場で見ていただくこととして、ここでは「見出し」だけを紹介します。

◆本展の概要など
◎名古屋市美術館の収蔵品は開館後30年間で6,278点に
名古屋市美術館は1988(昭和63)年4月22日に開館し、今年、開館30周年を迎えました。ただし、コレクションの収集は1983(昭和58)年から始めています。収集の結果、収蔵品の点数は2017(平成29)年度末の時点で6,278点となりました。収蔵品の点数は1998(平成10)年度末で2,106点、2008(平成20)年度末で4,332点ですから、10年間で2,000点ずつ増やした勘定になります。なお、厳しい財政事情のため2005(平成17)年頃から購入による収集が難しくなりました。最近の収集は、ほぼ寄贈によるものです。
「購入が難しい」と申しましたが、開館30周年を記念して団体・個人から寄付をいただき「夢・プレミアムアートコレクション」として藤田嗣治《ベルギーの婦人》を購入することができました。地下1階の常設展示室で公開していますので、お越しください。

◎「外せない作品」に「なかなか紹介されなかった作品」「知られざる傑作」を交えて展示
本展は開館30周年記念展なので「外せない作品」を展示することは当然ですが「なかなか紹介されなかった作品」「知られざる傑作」も交えて展示しました。
また、オーソドックスに「4つの収集方針」= ①エコール・ド・パリ、②メキシコ・ルネサンス、③郷土の美術、④現代の美術の順に、主に地元作家の作品を展示しています。

◆エコール・ド・パリ
(主な作品)
・マルク・シャガール《二重肖像》1924年
 二度目のパリで手にした穏やか日々、束の間の幸福を永遠に記録した傑作《二重肖像》。
・アメデオ・モディリアーニ《おさげ髪の少女》1918年頃
 おさげ髪の少女のモデルについて(本文より:日本人画家の平賀亀佑の妻、マリー?)
・キスリング《マルセル・シャンタルの肖像》1935年
 見よ、この眼力(めぢから)圧倒的な存在感!画家はモデルの魅力のとりことなった。
・モーリス・ユトリロ《ノルヴァン通り》1910年
あの場所は今?ユトリロが描いたパリ、ノルヴァン通り。
・ハイム・スーチン《農家の娘》1919年頃 → 代替品《鳥のいる静物》
(ギャラリートーク)
エコール・ド・パリは1927年にフランスに渡った地元作家・荻須高徳(おぎす・たかのり)に関係するコレクションです。荻須高徳と同時代のエコール・ド・パリの作家、シャガール、スーチン、モディリアーニ、キスリング、ユトリロなどの作品を展示しました。
キスリング《マルセル・シャンタルの肖像》は2001年に購入。エコール・ド・パリのタブローとしては、これが最後の購入品でした。藤田嗣治《ベルギーの婦人》はそれ以来、十数年ぶりに購入できた作品です。マルク・シャガール《二重肖像》は高すぎて購入できないため、中部電力株式会社が買い上げ、名古屋市に寄贈された作品です。
ハイム・スーチン《鳥のいる静物》は作品リストにはありません。リストには《農家の娘》が掲載されています。ランス美術館に貸し出されていたのですが、台風21号で関西空港が被害を受け、搬入が遅れています。10月下旬から11月初旬には展示できると思います。
アメデオ・モディリアーニ《おさげ髪の少女》は1986年に購入した作品。3億6千万円の価格は当時の日本の公立美術館で最高の購入金額でした。しかし、1989年に大阪市がモディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》を、1990年に愛知県美術館がグスタフ・クリムト《人生は闘いなり(黄金の騎士)》を購入するなど《おさげ髪の少女》を上回る高額な絵画の購入が相次ぎ、《おさげ髪の少女》の記録は抜かれました。(注:角田さんから「《黄金の騎士》は《おさげ髪の少女》より、うんとサイズが大きい(ので比べものにならない)」という声がかかりました)
モーリス・ユトリロ《ノルヴァン通り》は1992年に購入した高額作品です。(注:購入契約にあたり市議会の議決が必要な価格(八千万円)を超える収蔵品は《おさげ髪の少女》と《ノルヴァン通り》の2点のみです。《二重肖像》は高額作品ですが、寄贈なので市議会の議決は不要でした)

◆メキシコ・ルネサンス
(主な作品)
・岡本太郎《明日の神話》1968年
 《明日の神話》下絵の寄贈と修復 (本文:日系移民 小栗順三氏のメキシコの自宅)
・フリーダ・カーロ《死の仮面を被った少女》1938年
 人の心を打つ作品と人生 日本でフリーダの絵が見られるのは名古屋市美術館だけ。
・マリア・イスキエルド《旅人の肖像(アンリ・ド・シャティヨンの肖像)》1935年
 シュールとは夢ではない、それはもう一つの確かな表現なのだ。
・ダヴィッド・アルファ・シケイロス《奴隷》1961年
 獄中でほとばしる想像力。 シケイロスの熱いメッセージ
(注:「《奴隷》裏面のシケイロスによる文章(要約)」も掲示されています)
(ギャラリートーク)
岡本太郎《明日の神話》は高さ5.5メートル、長さ30メートルの巨大な壁画で、2008年からJR山手線渋谷駅と渋谷マークシティーの京王・井の頭線渋谷駅を結ぶ連絡通路に展示されています。これは1968年にメキシコ市のホテルに飾る壁画として依頼されたもので、岡本太郎は大阪万博の《太陽の塔》と並行して制作していました。
本展に展示しているものは、その下絵。メキシコ市のホテルのオーナーに岡本太郎を紹介した日系移民の小栗順三氏の自宅に保管されていたものです。1999年に「下絵がある」という情報提供があり、小栗順三氏の奥さんのふじ子氏(順三氏本人は既に死亡)と岡本太郎氏の幼女・岡本敏子氏の連名で名古屋市美術館に寄贈されたものです。個人の住居に保管されていたことから作品には亀裂や絵の具の剥落があり、寄贈を受けた後に修復を施しています。寄贈までの経緯については「アート・ペーパー」49号と50号に山田諭氏が、修復の経緯については「紀要」11号に角田美奈子氏が寄稿しています。
メキシコ・ルネサンスの展示にフリーダ・カーロは欠かせませんが、イスキエルドの作品も紹介したいと思い、展示しました。シケイロスは、作品の裏面に書かれたメッセージも紹介したかったので、特別な展示方法をしています。(注:表・裏の両面を見ることが出来るよう、通路の中央に台を置いて展示しています。作品の裏(メッセージが書かれている面)にはアクリルカバーがあるのに、表(絵が描かれた面)にカバーはありませんでした。なお、本展の展示作品には、全て保護カバーがありません。なので、照明などの映り込みを気にすることなく鑑賞できます)
メキシコでは1910年に革命が始まりました。戦争終結後の1920年当時、メキシコの民衆(メスティーソ)の80パーセントは文字が読めないという状況だったため「メキシコの歴史や将来ビジョンを示す」という目的で壁画運動が始まりました。多くの人がメッセージを受け取ることができるよう、大きな画面に分かりやすい絵画が描かれました。シケイロス、リベラ、オロスコの三人が代表的な作家です。

作品を囲んでの解説

作品を囲んでの解説

◆郷土の美術
◎東山動物園猛獣画廊壁画
・太田三郎《東山動物園猛獣画廊壁画 No.1》1948年
・水谷 清《東山動物園猛獣画廊壁画 No.2》1948年
・宮本三郎《東山動物園猛獣画廊壁画 No.3》1948年
(ギャラリートーク)
この3点は1997年に収蔵して以来、一度も展示したことがない作品です。傷みがひどいためこれまで展示を見送ってきました。本展では「貴重な作品だ」というメッセージを伝えるため、やむなく修復されていない状態で展示しています。
第2次世界大戦中、軍から猛獣を処分するよう指示が下され、東山動物園ではヒグマを毒殺、ライオンを絞殺しました。その後、射殺や食料不足、暖房不足などにより猛獣は激減。戦後、動物園を再開した時、動物30頭ほどという状態でした。(注:ゾウ2頭については、有名な「ぞう列車」のお話がありますね)
そのため、1948年中京新聞社が3人の画家に動物の生態を描いたジオラマの制作を依頼。旧カバ舎を「猛獣画廊」としてジオラマを展示することになりました。作品の解説には「猛獣畫廊」開きの式の模様を伝える紙面のコピーも掲げています。
東山動物園猛獣画廊壁画は、美術が社会の役に立った貴重な事例として展示しました。次に展示できるのが何時になるのかは分かりません。

◎郷土の日本画
(主な作品)
・渡辺幾春(わたなべ・いくはる)《若き女》1922年
 浮世絵好きの作者だからこそ描ける、センチメンタルなムード。
・喜多村麦子(きたむら・ばくし)《暮れ行く堀川》1929年
 あの場所は今? 喜多村麦子が描いた堀川。
・横山葩生(よこやま・はせい)《磯》1934年 (注:解説なし)
・大島哲以(おおしま・てつい)《終電車》1967年
 半獣半人たちの奇怪な行動。終電車は何処へ行く。
(ギャラリートーク)
 日本画の部屋は作品保護のために暗くせざるを得ません。暗い中でも作品が見やすくなるよう、照明にこだわりました。白いLEDを何本も使っています。
 大正時代の渡辺幾春、横山葩生は、いずれも帝展入選作です。喜多村麦子の《暮れ行く堀川》には木橋を描いたものと石橋を描いたものがあります。これまでは木橋を描いたものを展示することが多かったのですが、本展では石橋を描いたものを展示しています。昭和初期の制作ですが、大正前期の風景を描いたものです。洋画の部屋に展示している西村千太郎《納屋橋風景》は昭和初期の風景ですから、二つの作品の風景には15年の開きがあります。
 展示ケースには川合玉堂と戦後の前衛的な日本画・中村正義、星野真吾らの作品が同居しています。作品の傾向が全く異なるので、その間をカーテンで仕切りました。
 大島哲以は名古屋市生まれの日本画家です。金属の箔を貼った上から、体は人で頭が鳥の女たちと、体は人で頭が山羊の男たちを描いています。終電車の中なのに、七輪でカエルを焼く女がいて、煙が車内に充満しています。また、上からはアリナミンの瓶から錠剤が、コーラの瓶から液体がこぼれています。花鳥風月ではなく社会風刺を主題にした作品です。
 前衛的な作品の次には、前田青邨、平松礼二、田淵俊夫の作品を展示しました。
(注:中村正義や前田青邨、平松礼二、田淵俊夫の作品には「解説」がありません。「良く知られた作家や作品には、通常の展示と同様に解説はつけない」ということのようですね)

◎郷土の洋画
(主な作品)
・横井礼以(よこい・れいい)《蜜柑を持つK坊》1922年
 着物に前掛け姿のK坊 フランス流のモダン・スタイルで登場。
・西村千太郎《納屋橋風景》1930年
 まるで名古屋の「セーヌ河畔」。ハイカラな名古屋の一面を捉えた《納屋橋風景》。
・市野長之助《バザーの楽器店》1929年
 明治44年、栄にできた ショッピング・モール、「中央バザー」。
・宮脇晴(みやわき・はる)《夜の自画像》1919年
 この時、なんと17歳。名古屋市立工芸学校在学中の宮脇晴。
・遠山清《マノハラ水浴》1927年
 洋画で「仏画」を描く斬新な試み。描いたのは新明小学校の先生。
・富澤有為男(とみざわ・ういお)《姉》1928年
 帝展入選者にして芥川賞作家、富澤有為男の稀有な才能。
(ギャラリートーク)
 洋画の部屋では主に、脚光を浴びていない作家・作品を紹介します。
 宮脇晴は17歳の時の日記に「夜、自画像を描く」と書いているので17歳の時の作品だと思われます。なお、彼は翌年、帝展に初入選しています。
 これまで、郷土の美術では主に「愛美社」「サンサシオン」の作家を紹介しており、横井礼以や彼が創設した緑ケ丘中央洋画研究所で学んだ西村千太郎、市野長之介はあまり取り上げていません。横井礼以《蜜柑を持つK坊》はフォーヴィスム風。西村千太郎《納屋橋風景》は佐伯祐三風で大正モダンの雰囲気があります。《納屋橋風景》で、西村千太郎は「パリのように見せる」ために、あったはずのバルコニーを隠すなどの工夫を施しています。バルコニーの外にはどんな工夫をしているでしょうか。(注:質問に答えて「電線がない」との声がありました)その通りです。外には、市電の線路も隠しています。市野長之助が描いたショッピング・モール「中央バザー」は現在の名古屋三越の北側にありました。
 遠山清は、帝展入選を目指した同人「サンサシオン」加わっていた画家で、《マノハラ水浴》はテンペラで描いた仏画です。「他人と同じことをしていては目立たない」と思って描いたのでしょうか。
 富澤有為男《姉》は水彩画のように見えますが、油絵です。彼は東海中学校卒業時に「文学」を目指しましたが父親は反対。母親が出した妥協案が「絵画」でした。母親の従妹に洋画家の岡田三郎助がいたことから東京美術学校に通うことになったのですが、半年で退学。新愛知(中日新聞の前身の一つ)の記者となりましたが、その後、記者をやめて上京し、「文学」と「絵画」の二足の草鞋を履きます。「サンサシオン」の会員となって展覧会に出品。1929年から1930年までフランスに留学して絵画を学んだものの留学先のパリでは映画が大流行で「絵画は時代遅れ」と思ったため、帰国後は小説を執筆。ただ、第4回芥川賞(注:正式には「芥川龍之介賞」)を受賞した小説「地中海」の主人公は画家で舞台はパリと南フランス。留学経験は小説に生かされたようです。

◆現代の美術
(主な作品)
・河原温《カム・オン・マイハウス》1955年、《私生児の誕生》1955年
 時代の閉塞感が画面を歪める?!戦後の日本社会を鋭く見つめた、若き日の河原温。
・桑山忠明《無題》1965年
 アメリカ現代絵画の第一線で活躍する桑山忠明 大学時代は意外にも日本画専攻。
・荒川修作《35フィート×7フィート6インチ、126ポンド No.2》1967-68年
 10.7m×2.3m、47kg。タイトルの数字が意味するものは?
・赤瀬川原平《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》1963年
 旭丘高校美術科出身、前衛画家赤瀬川原平の渾身の力作 130倍に拡大模写した千円札。
・藤本由紀夫《TABLE MUSIC》1987年
 《TABLE MUSIC》の鑑賞方法
 ① この作品には触ることができます。やさしく触れてください。
 ② 巻ききらないよう注意しながら、お好みのネジを巻いてください。
 ③ 新しくできあがる音楽に耳を傾けてください。
(ギャラリートーク)
名古屋市美術館で現代美術の主要作家は郷土出身の河原温、荒川修作と桑山忠明です。また、荒川修作と旭丘高校美術科の同級生・赤瀬川原平の作品も収集しています。赤瀬川原平は尾辻克彦のペンネーム(注:本名は赤瀬川克彦)で執筆した「父が消えた」により芥川賞(注:1980年下半期の第84回芥川賞)を受賞しています。名古屋市美術館が作品を収蔵している作家のうち、何と2名が芥川賞を受賞しています。
河原温は「Todayシリーズ」が有名で、どの美術館も収蔵しています。なので、本展では河原温がニューヨークに渡る前の1955年に描いた「変形キャンバス」の《カム・オン・マイハウス》と《私生児の誕生》を展示しました。「変形キャンバス」の作品は、名古屋市美術館以外では東京国立近代美術館が《孕んだ女》を、大原美術館が《黒人兵》を所蔵しています。《カム・オン・マイハウス》の画面中央に逆さまになった女性が描かれています。よく見ると女性は右腕を伸ばしてビンをつかんでいるのですが、手の平は左手のもの。ビンの中身が上手く注げません。大原美術館所蔵の《黒人兵》と合わせてみると、戦後の社会問題に対して鋭い批判を投げかけていたことが分かります。
 荒川修作の作品は何回も展示しているので今回は解説しません。桑山忠明《無題》は「システミック・ペインティング展」出品作で、クールな抽象画。歴史的価値のある作品です。
藤本由紀夫は名古屋生まれの作家で《TABLE MUSIC》は常設展に2回ほど展示しています。18個のオルゴールを取り付けたテーブルです。(注:オルゴールは金属の円筒に取り付けられたピンが、長さの違う櫛状の金属版(櫛歯)を押し上げて弾くことにより曲の演奏を行う装置です。櫛歯の一本一本が一つの音階に対応しています)18個のオルゴールは、それぞれが一つの音程しか出せないように、他の櫛歯を折り曲げています。運よく18個のオルゴールが全て同調すれば「枯葉:英語”Autamn Leavs”、仏語 “Les Feuilles Mortes”」が演奏されますが、ほとんどの場合は別の曲になります。

◆最後に
 参加者からは「こんな作品があるなんて知らなかった」「名古屋市美術館のコレクションの質の良さを再認識した」「こんなに面白いなら、これからも定期的にベスト・セレクション展を開催してもいいのではないか」「東山動物園猛獣画廊壁画は素晴らしい。修復費用を夢・プレミアムアートコレクションで集めてはどうか」などの声が聞かれました。
 「常設展の延長だから」と、あまり期待していなかった人が多かったようですが、予想は大きく外れ「見ごたえのある展覧会」となりました。展示室を歩くと微かに《TABLE MUSIC》の演奏が聞こえるのも、心地良いバックグラウンド・ミュージックです。
 地下1階では「名品コレクションⅡ」が同時開催されています。今回のギャラリートークでは鑑賞できませんでしたが、「名品コレクションⅡ」では「エコール・ド・パリ」の女性像ばかり集めるなど面白い展示があります。「ザ ベスト セレクション」と「名品コレクションⅡ」は「二つでひとつ」。二つ合わせて鑑賞することをお勧めします。
 常設展示室3で開催中の「名古屋市庁舎竣工85年 建築意匠と時代精神」も「一見の価値あり」です。
Ron.

「至上の印象派」ギャラリートーク(後編)

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

ギャラリートークの様子

ギャラリートークの様子


◆2階展示室における深谷副館長の解説
◎第1章 肖像画
本展の壁の色、章立てはビュールレ財団からの指示に従っています。2021年に公開予定のビュールレ・コレクションも本展の章立てをなぞるようです。第1章の壁の色は赤で、最初の作品はアンリ・フォンタン=ラトゥール《パレットを持つ自画像》。年代順に並べるなら、ハルス《男の肖像》が最初の作品になるはずなのですが、そうではありません。なぜか、それはビュールレ財団からの指示に従ったからです。指示は「左右対称が重要。年代順にはこだわらない」というものでした。
アングルの作品が並んでいます。《イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像》は細部まで克明に描かれていますが隣の《アングル夫人の肖像》は質感表現が十分ではありません。未完成のような絵ですが、それが、むしろ《アングル夫人の肖像》を生き生きとした作品にしています。

◎第2章 ヨーロッパの都市
第2章と第3章の壁の色は濃い緑色。ヨーロッパの都市、ヴェニス、ロンドンとパリの風景を描いた作品です。室内の真ん中の2点、カナレット《カナル・グランデ、ヴェネツィア》と《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア》はビュールレ美術館の写真と同じように並んでいます。
グランドツアーは貴族の子弟が行った、長期間をかけてヨーロッパの名所旧跡を回り見分を広めた大旅行で、その記念品・お土産として克明かつ緻密に描かれた風景画が描かれました。

◎第3章 19世紀のフランス絵画
第3章には1870年代のマネの作品が3点並んでいます。マネは印象派展には参加しませんでしたが、印象画風のテーマ・タッチに変わっていくのが分かります。

◎自由観覧 18:10頃~30
第4章の壁の色は薄い緑色。
縦長のマネ《ベルヴュの庭の隅》と横長のモネ《ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑》《ジヴェルニーのモネの庭》の3作が並んでいるのを見ると、一瞬、「同じ作者の作品か」と感じました。よく見ると、何か違っています。しかし、違いをうまく指摘するのは難しい。……

◆1階展示室における深谷副館長の解説
◎第5章 印象派の人物-ドガとルノワール
 第5章も壁の色は薄い緑色。
ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》を見てください。顔は滑らかで筆跡がありません。一方、衣装には筆跡が残っています。
この絵はダンヴェール家の庭=屋外で描いたにしては光が均一に回っています。この絵では、ルノワールの作品によくある「木洩れ日表現」はしていません。光が良く回っており、古典的な表現がされています。

◎ドガ《14歳の小さな踊り子》
この彫刻、オリジナルはワックス=蝋。ワシントン・ナショナルギャラリーが所蔵しています。展示しているのはブロンズ像で、10点ほど制作されたうちの1点です。
オリジナルの彫刻は、1881年、第6回の印象派展に出品されました。出品時、ワックスで制作した本体は胴衣、スカート、トゥシューズ、ソックスを身に着けていました。この試みに対し、当時の評価は二分。「彫刻の基本から外れる」として反対する意見とドガの意図に賛成する意見に分かれました。

◎第6章 ポール・セザンヌ / 第7章 フィンセント・ファン・ゴッホ
第6章と第7章の壁の色は黄土色。
セザンヌとゴッホはそれぞれ、一人に1章が配分されています。これは、ビュールレ・コレクションがこの二人を大切にしていることの現れです。各章とも6点の作品だけで、それぞれの作家の変化が分かるようになっています。

◎セザンヌ《赤いチョッキの少年》
国立新美術館で好きな作品のアンケートを取ったところ、第1位はルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》、第2位はカナレット《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア》で《赤いチョッキの少年》がベスト10にも入っていないのは意外でした。
作品をよく見ると、右腕は白を塗り重ねて前に出てくる感じです。一方、左腕は暗く奥まって見えます。立体感がよく出ています。

◎ゴッホ《日没を背に種まく人》
本日、午後2時からの特別講演会で大原美術館・高階館長が「ゴッホの《日没を背に種まく人》はミレーの宗教的主題を引き継ぐ「聖なるもの」を描いた作品で、黄色い太陽は光背を表す」と話されましたが、私もゴッホの作品は宗教絵画だったと思っています。彼の作品は信仰告白につながっています。

◎第10章 新たなる絵画の地平
第9章と第10章の壁の色は白。第10章はモネ《睡蓮の池、緑の反映》だけを展示しています。大作であること、その後の絵画につながる作品であることから最後に置かれています。

◎自由観覧 18:40頃~19:00
セザンヌの作品の前で、ある参加者が「昔、セザンヌのどこが良いのか分からなかったけれど、最近、セザンヌはすごい、と思うようになってきた」と話しているのを聞いて、深谷副館長が「よかったですね」と声をかけてくれました。
ルノワールの絵にはサービス精神があるので万人向きですが、セザンヌの絵は求道者のようで、玄人受けはしますが初心者にはとっつきにくいですね。《扇子を持つセザンヌ夫人の肖像》も存在感はあるのですが「もう少し美人に描いてあげたら」と同情します。ただ、セザンヌ本人は「万人受け」することを微塵も考えていなかったことは確かです。
ゴッホ《アニエールのセーヌ川にかかる橋》の前で、ある参加者が「汽車の動き、川面の青がきれいで、紅一点の女性が画面を引き締めていますね」と感想を漏らしていました。私もこの感想に同調、作品を眺め直しました。仲間内の鑑賞会なので、あまり気兼ねせずにおしゃべりできるのもギャラリートークの魅力です。

深谷副館長

深谷副館長


 
◆最後に
 ギャラリートークを終えて名古屋市美術館を後にする参加者は、どなたも笑顔でした。また、「どの作品も質が高くて、満足しました」という声も聞かれました。参加者数が多いので解説の声が届かなかったらどうしようかと心配しましたが、ポータブル・アンプのおかげで参加者が多くても参加者の隅々にまで声が届き、杞憂に終わりました。
2時間もの長時間にわたりギャラリートークに協力していただいた深谷副館長はじめ名古屋市美術館のスタッフの皆さま、ありがとうございました。
本展で気がかりなのは猛暑。熱中症の予防はもちろんですが、外気の気温と美術館展示室内の室温との差が大きいので「寒さ対策」もお忘れなく。
Ron

「至上の印象派」ギャラリートーク(前編)

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor
展示会場で話をきく会員たち

展示会場で話をきく会員たち


名古屋美術館で開催中の「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(以下、「本展」)の名古屋市美術館協力会員向けギャラリートークに参加しました。担当は深谷副館長。応募が90人を超えたため美術館2階講堂で展覧会の概要を解説。展示室におけるギャラリートークは主要な作品に絞るという方式になりました。当日、名古屋市の最高気温は39.9度。「危険な暑さ」のため屋外での活動や日中の外出を控えたためか欠席者があり、講堂に集まったのは81人。減ったとはいえ、人気の高さを感じました。
レクチャーの始めに深谷副館長から「連日、大勢のお客が来館していますが40度超えの気温で来館者の行動に変化があります。いつもなら午後2時から3時が来館者のピークですが、本展は開館前から行列が出来て午前中が来館者のピーク。午後になると来館者が減っていきます」という話がありました。連日の猛暑は、こんなところにも影響しているのですね。
以下は講堂における展覧会の概要解説と展示室のギャラリートークを要約したものです。

<展覧会の概要=講堂における深谷副館長の解説>
◆エミール.ゲオルク.ビュールレ氏と彼のコレクションについて
TV等の広報でご存知の方も多いと思いますが、本展はスイス・チューリッヒの個人コレクター=エミール・ゲオルク・ビュールレ氏(以下「ビュールレ」)のコレクションを展示しています。
ビュールレはドイツ人ですが、妻の父親が工作機械の会社を経営しており、その後を引き継ぎました。スイスの会社を買収し、機関砲等の兵器製造で巨万の富を築いて美術品の収集に振り向けました。来館者から「そのような人物のコレクションを展示することに問題はないのか」という質問がありました。しかし、作品に罪はないのでコレクターとは切り離して展覧会を企画しています。
ビュールレは大学で文学、美術史を学んでおり、単なる愛好家ではありません。彼は1936年・46歳の時からコレクションを始め、66歳で死去するまでの20年間に600点を収集しました。本日、午後2時からの特別講演会で大原美術館・高階館長が「優れたコレクションに必要な3条件は、タイミング・鑑識眼・資金」と話されましたが、ビュールレ・コレクションの「タイミング」は収集した時期が第二次世界大戦をはさんでいたことです。戦争の際には多くの美術品が動くので作品が集まりました。
ビュールレは若い頃から美術館に出入りし、学生の時、ベルリンの美術館で印象派の作品に出会っています。
1948年には戦時中に収集した13点がナチスの略奪品と判明。うち9点は元の所有者と話をして再度代金を支払い買い取りましたが、残り4点は元の持ち主に返しています。ナチスの略奪品には、いまだに行方の分からないものが多数あります。国外の美術館、特にアメリカの美術館に作品を貸し出すのを嫌がるコレクターがいます。来歴が良く分からない作品が「略奪品」だと分かると「差し押さえ」になるおそれがあるからです。
ビュールレは1956年、心臓病で死去。遺言はありませんでした。ビュールレ美術館は自宅の隣の家を改築して美術館としてオープンしたものです。1958年から2015年まで開館し、現在は閉鎖しています。スクリーンに映しているのは展示室を撮影した写真です。正面の壁に掛かっているのは本展展示のカナレット《カナル・グランデ、ヴェネツィア》と《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア》。まさに個人の邸宅に作品を展示していました。
スクリーンに映したのは、現在建設中のチューリッヒ美術館新館の完成予想図。新館の完成は2020年。ビュールレ・コレクションは新館の1フロア・約1,000平方メートルに展示。名古屋市美術館の常設展ぐらいの規模です。
なお、「ビュールレ・コレクションは600点」といいましたが、一部は売却され、ビュールレのファミリーが保有している作品もあるため財団に移管したのは200点ほどです。

講堂でレクチャを聴く会員一同

講堂でレクチャを聴く会員一同

◆本展の展示内容
◎第1章
本展は10のセクションで構成。第1章は肖像画。ビュールレ・コレクションの中核は印象派ですが、第1章は肖像画の歴史的な流れを印象派以前にまで遡って示したものです。ビュールレは美術史を学んでおり美術史を踏まえています。本展では印象派がどういう文脈の中で生まれ来たのか、印象派がその後にどんな影響を与えたのかを見てほしいと思います。
本展展示のフランス・ハルス《男の肖像》とアングル《イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像》を比べると、ハルスの方が新しく感じます。ハルスの描写は印象派につながるものだと思います。
印象派は絵画の革新を行ったといわれますが、印象派の作家たちに「新古典派に反旗を翻す」という意図はありませんでした。サロンの審査ではねられたから自分たちの展覧会を開いたということです。
第1章の最後にドガ《ピアノの前のカミュ夫人》を展示しています。スクリーンに映したのはアメリカの雑誌「LIFE」が1954年にビュールレ・コレクションを紹介した時の写真です。ビュールレの本宅で撮影したもので前列に並ぶ作品は別の場所から持ってきました。椅子に腰かけるビュールレの後方にドガ《ピアノの前のカミュ夫人》が写っています。ドガの肖像画はビュールレ邸の訪問客を最初にお迎えするために飾られていた作品でした。

◎ドガの彫刻《14歳の小さな踊り子》
ドガは後半生に彫刻を制作しています。彼は動いている人や馬の瞬間の姿を描いているので絵を描くときの参考にするため、色々な方向から自由に観察できる彫刻を作りました。ただし、展覧会に彫刻を出品したのは一回だけ。ドガの彫刻に関してはギャラリートークでお話しします。

◎ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》
 これは、とても有名な作品で「目にしたことがある」という人が多いと思います。この作品を制作した1880年はルノワールの転換期でした。1870年からの10年間は作品が売れないため、画家としての方向性に疑問を感じていました。今までのやり方を続けるのか、アカデミックな方向に移ったほうがいいのか迷い始めた頃です。
この作品の描写は1870年代に比べるとアカデミックなものです。アカデミックな描写と印象派の描写のバランスが取れているのが好かれる理由でしょう。イレーヌは銀行家カーン・ダンヴェール氏の三人姉妹の長女で当時8歳。次女のエリザベスは6歳、三女のアリスは4歳。次女と三女の二人を描いた肖像画はサンパウロ美術館が所蔵しています。イレーヌの絵と妹たちの絵を比べるとイレーヌは大人びた感じで二人の妹たちは子どもらしさを前面に出していますね。
 イレーヌの肖像は、ほぼ真横から描いた作品。ルノワールの肖像画は4分の3、スリー・クォーターの方向から描いた作品が圧倒的に多く真横の肖像は少ない。どうして真横に近いにポーズをとらせたのか良く分かっていません。真横に近いポーズが、多くの人をこの絵に惹き付ける理由でしょう。
スクリーンに映したのはイレーヌが8歳の時の写真です。イレーヌの死亡記事に掲載されたものです。8歳の時の写真といいましたが、写真の説明には「イレーヌの肖像と同じ時代に、同じポーズ・髪型、同じ衣装で撮影した写真」とあるだけです。イレーヌ本人を撮ったという確証はありません。ただ、1880年当時、イレーヌの肖像画の存在は現在ほど知られていないはずなので、別人をイレーヌと「同じポーズ・髪型、同じ衣装」で撮るということは考えられません。ですからイレーヌを撮ったのだと思いますが、確証はないのです。
イレーヌの肖像画は1881年にサロンに出品され評判は良かったのですが、家族には気に入られませんでした。使用人の部屋に飾られていたということですから、ダンヴェール家を訪問した人はイレーヌの肖像画を見ていないと思います。
スクリーンに映したのはルノワールが1879年のサロンに出品した《シャルパンティエ夫人と子どもたち》です。夫人の写真と絵を比べると本物よりも少し美人に描いています。2割増しくらいですね。2013年に愛知県美術館で開催された「プーシキン美術館展」に出品された《ジャンヌ・サマリーの肖像》も本人の写真と比べると、ご覧のとおりです。
イレーヌの肖像画が家族に気に入られなかった理由は何か。スクリーンに映したのは、カロリス・デュランの描いたダンヴェール夫人=イレーヌの母の肖像画です。カロリス・デュランはアカデミズムの有名な画家でした。イレーヌの父親もアカデミズムの画家レオン・ゴナに肖像画を描かせています。
当時、ルノワールはまだ駆け出しでした。ルノワールに肖像画を描かせたのは、イレーヌの母の友人の美術評論家から頼まれたからです。当時の人々にとって、ルノワールの絵は前衛的でアカデミックな古典的作品では無いことから気に入らなかったと思われます。今から見るとアカデミックな肖像画は冷たくて固いという印象を受けますが、それは時代による感性の違いというものです。

◎贋作事件
スクリーンに映したのは1939年6月にスイスのルツェルンで開催されたオークションを撮影した写真です。オークションにかけられているのはゴッホ《坊主としての自画像》で現在はハーバード大学フォッグ美術館が所蔵しています。
当時、ナチスは略奪した美術品をスイスでオークションにかけ、戦費につぎ込んでいました。オークションにはヨーロッパだけでなく米国からも参加があり、ビュールレもオークションに出かけています。ビュールレは《坊主としての自画像》を買おうとしたのですが落札できませんでした。《坊主としての自画像》の代わりにビュールレが買ったのはゴッホの贋作でした。
スクリーンに映したのは《坊主としての自画像》とビュールレが買った作品です。ビュールレが買ったのはイギリス人の絵描きがゴッホの模写をした作品で、本物と間違えられないように背景に花が描いたものです。今、こうして二つを比べると「ビュールレが買った作品は怪しいのでは?」と思う人が多いと思います。
実は、ビュールレが「本物だ」と思ってしまったのには理由があります。スクリーンに映したのはクレラーミューラー美術館所蔵のゴッホ《郵便配達夫ジョゼフ・ルーランの肖像》です。ご覧のように背景に花が描かれています。ビュールレはこの絵の存在を知っていました。美術の知識があったことが災いして贋作を本物だと思ったのでした。

◎ナチスが開催した「退廃美術展」と「大美術展」
スクリーンに映したのはナチスが開催した「退廃芸術展」の写真です。ヒトラーには画家を目指していた時期があり、モダン・アートを目の敵にしていました。ポスト印象派や表現主義、ピカソなどのほかユダヤ人画家の作品も精神の退廃を招く「退廃芸術」としてドイツ国内の美術館から撤去。見せしめのために、撤去した作品を展示したのが「退廃芸術展」です。展覧会で「笑いもの」にしたのです。一方、ヒトラーが好んだのは古典主義的な芸術。「人間の健全な精神を養う」として「大ドイツ芸術展」を開催しました。

◎セザンヌ《赤いチョッキの少年》
2008年にビュールレ美術館では作品4点が盗まれるという事件が発生しました。盗まれたのはセザンヌ《赤いチョッキの少年》、ゴッホ《花咲くマロニエの枝》、ドガ《リュドヴィック・ルピック伯爵とその娘たち》とモネ《ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑》です。
このうち、セザンヌ《赤いチョッキの少年》はビュールレ・コレクションの中で一番有名で重要な作品です。セザンヌは同じモデルの作品を4点残していますが、ビュールレ・コレクションのものが一番の出来です。
《赤いチョッキの少年》の表現は、右腕が長くて左腕は短いなど不自然なところが様々あるのですが、絵画としては調和がとれています。スクリーンに映したのは試しに普通の人体のサイズに直してみたものです。ご覧の通り絵画としてのバランスは悪いのです。
私は、セザンヌはアングルをものすごく研究していたのではないかと推測しています。スクリーンに映したのはアングル《オダリスク》です。残されたデッサンでは人体を正確に描いていますが、完成した作品では、あえて胴体を伸ばして描いています。
左腕の袖をまくっているのもアングルを参考にしているのではないかと思います。スクリーンに映したアングル《ヴァルパンソンの浴女 》では左腕にシーツを巻き付けることで、右腕とのバランスをとっています。《赤いチョッキの少年》も同じですね。
ただ、《ヴァルパンソンの浴女 》のシーツは何のために巻き付けているのか不明な「謎のシーツ」です。肘から下をどう描いたらいいかわからないのでシーツをまいたのかもしれません。

◎ゴッホ《日没を背に種まく人》
スクリーンに映したのは歌川広重《名所江戸百景・亀戸梅家鋪》、ゴッホが油絵で模写したことで有名な絵です。《日没を背に種まく人》は、この絵の構図を取り入れています。

◎ピカソ《花とレモンのある静物》
これは1941年の制作で、ビュールレ・コレクションの中では一番新しい作品です。ピカソは第二次世界大戦中パリにとどまり、何枚も静物画を描いています。この作品は人間の五感を表したもので画面下に描かれた巻貝は「聴覚」の象徴です。巻貝を耳にあてると海の音が聞こえるといわれることから「聴覚」のシンボルとなっています。
日本人は風景や静物に「意味」を求めることはありませんが、ヨーロッパの画家は「意味」を持たない絵画を描くことができません。描いたものは、何かを象徴しているのです。

◎モネ《睡蓮の池、緑の反映》
本展は2階が入口になっています。その理由は、この作品が大きすぎて2階に持って行くことができないからです。最後に置く作品が1階にあるので入口が2階になりました。
マネはオランジュリー美術館に飾っている22枚の《睡蓮》の倍の数の作品を描いています。たくさん描いた作品の中から22枚を選んでオランジュリー美術館に展示しました。
オランジュリー美術館を飾らなかった《睡蓮》。そのうちの1枚がビュールレ・コレクションになりました。「モネ、それからの100年」のギャラリートークでも話したとおり《睡蓮》が注目されたのは第二次世界大戦後です。1番始めにモネのアトリエに残された《睡蓮》を購入したのは米国人のウォーター・プライスラー、ビュールレが購入したのは2番目です。先ず、2枚買ってチューリッヒ美術館に寄贈。もう1枚買って手元に残したのが本展の作品です。

<ギャラリートーク=展示室における解説>
講堂での解説は午後6時に終了。2階の展示室に移動して深谷副館長から主要作品の解説を聴いた後、各自、2階展示室の中を自由観覧することとなりました。
(つづく)

「モネ それからの100年」第2回ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor
まずは講堂でレクチャを聴く会員たち

まずは講堂でレクチャを聴く会員たち


名古屋市美術館協力会総会後に開催された「モネ それからの100年」(以下、「本展」)の第2回ギャラリートークに参加しました。担当は深谷克典副館長(以下「深谷さん」)、参加者は50人。展示室に多数の来館者が残っていたので、最初は講堂で深谷さんが展覧会の概要を説明。その後、ギャラリートークとなりました。
以下は、展覧会の概要説明とギャラリートークの内容を要点筆記したものですが、5月13日に開催された第1回ギャラリートークと重複する内容は省いていますので、ご了承ください。なお、表題と(注)は私が補記したものです。

◆本展の概要
◎オランジュリー美術館所蔵の「睡蓮の壁画」について
モネは1897~1898年頃から睡蓮を描くというアイデアを持っていたが、本格的に縦2メートルの壁画を描きはじめたのは1914年から。直前に妻アリス(注:1911年5月死去)、長男ジャン(注:1914年2月死去)の死去という不幸に見舞われたのが、壁画を作る契機になった。(注:1914年に大画面の絵画を描くためのアトリエを建て、壁画の制作を開始)
本展展示の睡蓮では1906年の《睡蓮》と1907年の《睡蓮の池》が、モネが睡蓮を描いたピークの頃の作品。1914-17年の《睡蓮の池》は、壁画を意識した下絵。(注:この2行は、概要説明の最後で深谷さんが話された内容です。)
オランジュリー美術館の「睡蓮の部屋」は1927年5月に開館したが、お客は少なかった。今の人気から考えると不思議だが、それは時代背景が理由。
モネは40歳(1880年)までは人気が無く、40歳を過ぎてから人気が出た。60歳(1900年)には国民的画家になったものの、70歳(1910年)になると人気は下降線をたどった。
パリでフォーヴィスム、キュビスムなどの前衛的美術が主流になると、モネは「過去の人」となった。そして、1926年頃には評価が下がっていた。

◎第1次世界大戦と第2次世界大戦が美術に与えた影響について
1914年から1918年まで続いた第1次世界大戦が終わると、それまで主流だった前衛芸術運動が止まり、1920年からは復古調の古典主義が主流となる。エコール・ド・パリは1920年代にパリで活躍した画家たちの総称だが、どの画家の作品も写実的・復古的なものだった。一方、1920年代のモネは大胆な表現に突き進んでおり、フランス全体の機運とは逆の方向だった。
モネのリバイバルは第2次世界大戦後、1940年代後半に始まる。ジャクソン・ポロック、デ・クーニング、マーク・ロスコなどの抽象表現主義の画家たちがモネの作品に注目し、ポロック達を支援していた評論家、学芸員、美術館館長もモネを見直すようになった。
第1次世界大戦後の1920年代に復古的なものが主流となったのは、戦争に対する反動。つまり、直前の時代の前衛運動がいけなかったのではないかという発想。前衛運動の前の古典的時代に戻るということで、復古的になった。
第2次大戦後は「復古的運動にもかかわらず戦争が起きた」ということで、復古調には戻らず抽象芸術に進み、モネが見直された。
マーク・ロスコ、デ・クーニングの作品は一見すると何を描いているのかわからない抽象的な絵画だが、全て精神的なものを描いている。到達点は抽象だが、出発点は自然であり、人間である。それで、彼らはモネを手掛かりにした。モネの《睡蓮》に「肉親に対する鎮魂の気持ち」を読み取ったのではないかと、私(深谷さん)は思っている。
デ・クーニング、マーク・ロスコのいずれも出発点は人間や自然であり、作家の祈りが作品に込められている。

◎第2次世界大戦後のアメリカ美術
1960年代にアンディ・ウォーホルが制作した《マリリン・モンロー》や《花》の連作は、当時、批評家から「現代風のモネ」と呼ばれた。
1942年にアンリ・マチスの次男=ピエール・マチスが経営していた画廊で開催された「亡命の芸術家たち」という展覧会に出品した14人のヨーロッパの芸術家たち、イヴ・タンギー、フェルナルド・レジェ、マルク・シャガール、アンドレ・ブルトン、マックス・エルンスト、オシップ・ザッキン、ピエト・モンドリアン、アンドレ・マッソンらは、アメリカの若手、中堅作家と交流して彼らに影響を与え、戦後アメリカ美術の発展を促した。
第2次世界大戦前、世界の美術の中心は言うまでもなくパリだったが、戦後の中心はニューヨークに移った。
本展2点の作品を展示しているモーリス・ルイスはニューヨーク近代美術館(The Museum of Modern Art, New York) の館長に「モダン・アートという名称の美術館ならば、印象派の作品コレクションを持つべきだ」という手紙を送っている。

◎戦後アメリカ美術応援のテクニック
戦後アメリカ美術を応援していた評論家、学芸員、美術館館長は「応援のテクニック」として、「モネがルーツだ」という言い方をすることにより、「戦後アメリカ美術はヨーロッパの正統性を受け継ぐものだ」と強調した。
モネの《積みわら》について、有名な逸話がある。カンディンスキーはモスクワの美術館でモネの《積みわら》を見てびっくりした。何が描いてあるかわからなかったのだ。題名を見てようやく「積みわら」を描いた絵だと分かった。「積みわら」だと分かってみると、「何が描いてあるか分からないときのほうが美しかった」と感じた。これが、カンディンスキーが「何が描いてあるか分からない」抽象絵画を描くようになったきっかけだという逸話である。
私(深谷さん)は、この逸話はマユツバものだと思う。この逸話は、1913年にカンディンスキーが《小さな喜び》という作品を発表した時に書いた話。カンディンスキーがモネの《積みわら》を見てから十数年も経ったあとで書いた話なので、「自分のやっていることに対して正統性を持たせるために文章化した」のではないかと思う。
ニューヨーク近代美術館の館長だったアルフレッド・バーは、抽象表現の芸術家たちを持ち上げるときには、モネを持ち出し、カンディンスキーの話をする。歴史的な文脈の中でモネに言及する。モネは踏み台(注:抽象表現の芸術家たちを持ち上げるための踏み台)になっている。

◆1階展示作品のギャラリートーク
 30分ほどで展覧会の概要説明は終わり、1階展示室に移動後、17:40からギャラリートークが始まりました。
◎つまり、モネは印象派ではなく、あらゆる現代美術の生みの親ではないのか
展覧会入口にあるパネルの前で、深谷さんは「このようにインタビューで答えたアンドレ・マッソンはフランスのシュールレアリストで、1942年の『亡命の芸術家たち』という展覧会に出品した14人のヨーロッパの芸術家たちの一人。本展はモネの展覧会だが『モネを通して現代美術を見る。現代美術の再発見』をねらった展覧会でもある」と解説。
◎第1章 新しい絵画へ―立ち上がる色彩と筆触
・モネ《ヴィレの風景》と丸山直文《puddle in the wood2 5》について
《ヴィレの風景》はポプラ、セーヌ川、土手などを描いているが未完成の作品。隣の丸山直文の作品と共通点があるというと「こじつけではないか」という声もある。確かに、恣意的なところはある。
・モネ《サン=タドレスの断崖》について
《サン=タドレスの断崖》は、名古屋市美術館で今回も入れて4回開催したモネ展のうち3回に展示している作品。今朝放送されたNHKEテレ日曜美術館「もうひとつのモネ ~現代アーティストが語るモネの革新~」(以下、「Eテレ」)では、版画家の湯浅克俊さんが「モネはパレットで色を混ぜない、画面上で色が混ざって見える」と話していたが、実際には原色のままの絵の具を置いている例は少ない。この作品は「風景について、自分の感じた感覚を画面に残した」もの。
・ルイ・カーヌについて
ルイ・カーヌはモネに心酔し、敬愛した作家。
◎第2章 形なきものへの眼差し―光、大気、水 
この章の作品について深谷さんは「揺れ動くものを表現しようとした作品」と解説。
・マーク・ロスコについて
マーク・ロスコの作品は閉じられた静かな空間で心を落ち着けて鑑賞するのが望ましいので、他の作家の作品と混ぜたのでは「損をしている」のではないかと思う。
・ゲルハルト・リヒターについて
ゲルハルト・リヒターの作品は強くて引き立つ。平面なのに奥行がある。
・松本陽子《振動する風景的画面Ⅲ》について
松本さんはこの作品を「キャンバスを床に置き、絵の具で描いては拭いて消すという作業を繰り返しながら、1日で完成させた」と、話していた。
・「額縁あり」と「額縁なし」
Eテレでは、画家の児玉靖枝さんが「モネの作品はフレームに区切られた向こうの世界。ここと場つづきでありながら別の世界を描いているのが現代の絵画」と話したのを受けて、湯浅克俊さんが「額縁を外して、ホワイトキューブ(注:「白い立方体」。1929年に開館したニューヨーク近代美術館が導入。展示空間の代名詞)に置くと、違って見えるかも」と返していた。モネの絵は額縁に入っているが、この展示室でも現代美術は額縁が無いか、細いフレームが付いているだけの作品。確かに「額縁なし」だと、絵と世界の境が無い。
・ぼんやり感・空気感
第2章では、ぼんやり感・空気感がテーマ。
◎自由観覧(18:05~18:20)
Eテレ効果により、1階の展示では湯浅克俊《Quadrichromie》(2018:水性木版(4版4色)/和紙)に見入ってしまいました。

◆Eテレの放送内容から
 Eテレでは湯浅克俊さんの版画制作について、以下の通り手順を紹介していました。
①デジタルカメラで身近な素材を撮影、②写真のプリントを版木に転写、③伝統的な技法で版木を彫る、④使う色は、黄・赤・青・黒の4色、⑤色ごとに彫った版木に色をのせて印刷、⑥最初は黄色、黄色が乾く前に赤を重ね、赤が乾く前に青を重ね、青が乾く前に黒を重ねて完成。「完成するまで、どうなるか分からない」とのことでした。
 手順が紹介されると、美術家の小野耕石さんが「細かい線を彫るの、飽きないですか」と質問。湯浅さんは「飽きてますね。飽きない工夫をしながら制作してます。」と回答。
 湯浅さんは、続いて「モネは時間を描きたかったんじゃないかな。睡蓮は、実際にはゆらゆら動いている。しかし、絵画は描き終わった途端に止まる。モネの睡蓮は描き終わったあともゆらゆら揺れるように見える」と、話すと児玉さんが受けて「はっきりと図を結ぶ、その手前のゆらぎの状態で止まっている」と話し、小野さんは「児玉さんの作品、死ぬ瞬間に見える映像のような感じがする」と返しました。児玉さんは「『白(びゃく)』という副題。雪によって視界が閉ざされるように、絵の具で塞いで物理的に見えないようにして、逆に見たくなるようにした。霧でぼやけさせる。必要以上に描かない」と回答。
「深韻(しんいん)」制作のためにデジタルカメラで取材する児玉さんの姿が紹介され「光の当たり具合で見えていたものが変わる。狙わずして出会ったものに美しいと感じる。作品はこの世界を自分自身がどう捉えているか、鑑賞者と自分自身を繋ぐもの」など、児玉さんの言葉が紹介されました。

◆2階展示作品のギャラリートーク
◎第3章 モネへのオマージュ―さまざまな「引用」のかたち
・ルイ・カーヌ《睡蓮》について
ルイ・カーヌは《睡蓮》も描いている。展示しているのは紫色と緑色の2色で描いた9枚の連作。作家が指示したように並べて展示した。
・平松礼二《夏の気流(モネの池)》について
平松礼二はオランジュリー美術館の《睡蓮の壁画》に衝撃を受け、日本画の様式で睡蓮を描いている。今年の11月4日までジヴェルニー美術館で展覧会を開催しているので、フランスに行く予定があれば、展覧会もご覧ください。
◎第4章 フレームを越えて―拡張するイメージと空間
・モネの《睡蓮》について
モネは睡蓮を描き始めたころ、水面に映った木や雲の影は描くものではないと考えていたが、やがて水面に映った影と睡蓮の実像を同等に描くようになり、画面に奥行きが出た。
◎自由観覧(18:37~19:00)
 ギャラリートーク終了後は、各自、自由観覧。Eテレ効果により、児玉靖枝さんの真っ白な作品と小野耕石さんのスクリーン・プリントの技法で制作した作品に見入る人が多数いました。参加者は少しずつ帰り始め、午後7時には全員が帰路に着きました。

◆NHKEテレ「もうひとつのモネ ~現代アーティストが語るモネの革新~」の再放送
 再放送は2018年6月17日(日)午後8時~8時45分
【ゲスト】画家…児玉靖枝(1961年生まれ)、版画家…湯浅克俊(1978年生まれ)、
美術家…小野耕石(1979年生まれ)
【司会】 小野正嗣 (今回、高橋美鈴アナウンサーは出演せず)
URL=http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2018-06-10/31/29456/1902764/
Ron.

モネが現代アートに与えた影響について、語ってくれた深谷副館長

モネが現代アートに与えた影響について、語ってくれた深谷副館長

2018ArtLabTokyoここにもアートラボ 石切り場 前室にて 音のアーキテクチャ トンネルでピクニック 佐川美術館 ギャラリートークの様子 展示会場で話をきく会員たち 泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの 夢見たものは 展示室で解説を受ける会員たち