「モネ それからの100年」第2回ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor
まずは講堂でレクチャを聴く会員たち

まずは講堂でレクチャを聴く会員たち


名古屋市美術館協力会総会後に開催された「モネ それからの100年」(以下、「本展」)の第2回ギャラリートークに参加しました。担当は深谷克典副館長(以下「深谷さん」)、参加者は50人。展示室に多数の来館者が残っていたので、最初は講堂で深谷さんが展覧会の概要を説明。その後、ギャラリートークとなりました。
以下は、展覧会の概要説明とギャラリートークの内容を要点筆記したものですが、5月13日に開催された第1回ギャラリートークと重複する内容は省いていますので、ご了承ください。なお、表題と(注)は私が補記したものです。

◆本展の概要
◎オランジュリー美術館所蔵の「睡蓮の壁画」について
モネは1897~1898年頃から睡蓮を描くというアイデアを持っていたが、本格的に縦2メートルの壁画を描きはじめたのは1914年から。直前に妻アリス(注:1911年5月死去)、長男ジャン(注:1914年2月死去)の死去という不幸に見舞われたのが、壁画を作る契機になった。(注:1914年に大画面の絵画を描くためのアトリエを建て、壁画の制作を開始)
本展展示の睡蓮では1906年の《睡蓮》と1907年の《睡蓮の池》が、モネが睡蓮を描いたピークの頃の作品。1914-17年の《睡蓮の池》は、壁画を意識した下絵。(注:この2行は、概要説明の最後で深谷さんが話された内容です。)
オランジュリー美術館の「睡蓮の部屋」は1927年5月に開館したが、お客は少なかった。今の人気から考えると不思議だが、それは時代背景が理由。
モネは40歳(1880年)までは人気が無く、40歳を過ぎてから人気が出た。60歳(1900年)には国民的画家になったものの、70歳(1910年)になると人気は下降線をたどった。
パリでフォーヴィスム、キュビスムなどの前衛的美術が主流になると、モネは「過去の人」となった。そして、1926年頃には評価が下がっていた。

◎第1次世界大戦と第2次世界大戦が美術に与えた影響について
1914年から1918年まで続いた第1次世界大戦が終わると、それまで主流だった前衛芸術運動が止まり、1920年からは復古調の古典主義が主流となる。エコール・ド・パリは1920年代にパリで活躍した画家たちの総称だが、どの画家の作品も写実的・復古的なものだった。一方、1920年代のモネは大胆な表現に突き進んでおり、フランス全体の機運とは逆の方向だった。
モネのリバイバルは第2次世界大戦後、1940年代後半に始まる。ジャクソン・ポロック、デ・クーニング、マーク・ロスコなどの抽象表現主義の画家たちがモネの作品に注目し、ポロック達を支援していた評論家、学芸員、美術館館長もモネを見直すようになった。
第1次世界大戦後の1920年代に復古的なものが主流となったのは、戦争に対する反動。つまり、直前の時代の前衛運動がいけなかったのではないかという発想。前衛運動の前の古典的時代に戻るということで、復古的になった。
第2次大戦後は「復古的運動にもかかわらず戦争が起きた」ということで、復古調には戻らず抽象芸術に進み、モネが見直された。
マーク・ロスコ、デ・クーニングの作品は一見すると何を描いているのかわからない抽象的な絵画だが、全て精神的なものを描いている。到達点は抽象だが、出発点は自然であり、人間である。それで、彼らはモネを手掛かりにした。モネの《睡蓮》に「肉親に対する鎮魂の気持ち」を読み取ったのではないかと、私(深谷さん)は思っている。
デ・クーニング、マーク・ロスコのいずれも出発点は人間や自然であり、作家の祈りが作品に込められている。

◎第2次世界大戦後のアメリカ美術
1960年代にアンディ・ウォーホルが制作した《マリリン・モンロー》や《花》の連作は、当時、批評家から「現代風のモネ」と呼ばれた。
1942年にアンリ・マチスの次男=ピエール・マチスが経営していた画廊で開催された「亡命の芸術家たち」という展覧会に出品した14人のヨーロッパの芸術家たち、イヴ・タンギー、フェルナルド・レジェ、マルク・シャガール、アンドレ・ブルトン、マックス・エルンスト、オシップ・ザッキン、ピエト・モンドリアン、アンドレ・マッソンらは、アメリカの若手、中堅作家と交流して彼らに影響を与え、戦後アメリカ美術の発展を促した。
第2次世界大戦前、世界の美術の中心は言うまでもなくパリだったが、戦後の中心はニューヨークに移った。
本展2点の作品を展示しているモーリス・ルイスはニューヨーク近代美術館(The Museum of Modern Art, New York) の館長に「モダン・アートという名称の美術館ならば、印象派の作品コレクションを持つべきだ」という手紙を送っている。

◎戦後アメリカ美術応援のテクニック
戦後アメリカ美術を応援していた評論家、学芸員、美術館館長は「応援のテクニック」として、「モネがルーツだ」という言い方をすることにより、「戦後アメリカ美術はヨーロッパの正統性を受け継ぐものだ」と強調した。
モネの《積みわら》について、有名な逸話がある。カンディンスキーはモスクワの美術館でモネの《積みわら》を見てびっくりした。何が描いてあるかわからなかったのだ。題名を見てようやく「積みわら」を描いた絵だと分かった。「積みわら」だと分かってみると、「何が描いてあるか分からないときのほうが美しかった」と感じた。これが、カンディンスキーが「何が描いてあるか分からない」抽象絵画を描くようになったきっかけだという逸話である。
私(深谷さん)は、この逸話はマユツバものだと思う。この逸話は、1913年にカンディンスキーが《小さな喜び》という作品を発表した時に書いた話。カンディンスキーがモネの《積みわら》を見てから十数年も経ったあとで書いた話なので、「自分のやっていることに対して正統性を持たせるために文章化した」のではないかと思う。
ニューヨーク近代美術館の館長だったアルフレッド・バーは、抽象表現の芸術家たちを持ち上げるときには、モネを持ち出し、カンディンスキーの話をする。歴史的な文脈の中でモネに言及する。モネは踏み台(注:抽象表現の芸術家たちを持ち上げるための踏み台)になっている。

◆1階展示作品のギャラリートーク
 30分ほどで展覧会の概要説明は終わり、1階展示室に移動後、17:40からギャラリートークが始まりました。
◎つまり、モネは印象派ではなく、あらゆる現代美術の生みの親ではないのか
展覧会入口にあるパネルの前で、深谷さんは「このようにインタビューで答えたアンドレ・マッソンはフランスのシュールレアリストで、1942年の『亡命の芸術家たち』という展覧会に出品した14人のヨーロッパの芸術家たちの一人。本展はモネの展覧会だが『モネを通して現代美術を見る。現代美術の再発見』をねらった展覧会でもある」と解説。
◎第1章 新しい絵画へ―立ち上がる色彩と筆触
・モネ《ヴィレの風景》と丸山直文《puddle in the wood2 5》について
《ヴィレの風景》はポプラ、セーヌ川、土手などを描いているが未完成の作品。隣の丸山直文の作品と共通点があるというと「こじつけではないか」という声もある。確かに、恣意的なところはある。
・モネ《サン=タドレスの断崖》について
《サン=タドレスの断崖》は、名古屋市美術館で今回も入れて4回開催したモネ展のうち3回に展示している作品。今朝放送されたNHKEテレ日曜美術館「もうひとつのモネ ~現代アーティストが語るモネの革新~」(以下、「Eテレ」)では、版画家の湯浅克俊さんが「モネはパレットで色を混ぜない、画面上で色が混ざって見える」と話していたが、実際には原色のままの絵の具を置いている例は少ない。この作品は「風景について、自分の感じた感覚を画面に残した」もの。
・ルイ・カーヌについて
ルイ・カーヌはモネに心酔し、敬愛した作家。
◎第2章 形なきものへの眼差し―光、大気、水 
この章の作品について深谷さんは「揺れ動くものを表現しようとした作品」と解説。
・マーク・ロスコについて
マーク・ロスコの作品は閉じられた静かな空間で心を落ち着けて鑑賞するのが望ましいので、他の作家の作品と混ぜたのでは「損をしている」のではないかと思う。
・ゲルハルト・リヒターについて
ゲルハルト・リヒターの作品は強くて引き立つ。平面なのに奥行がある。
・松本陽子《振動する風景的画面Ⅲ》について
松本さんはこの作品を「キャンバスを床に置き、絵の具で描いては拭いて消すという作業を繰り返しながら、1日で完成させた」と、話していた。
・「額縁あり」と「額縁なし」
Eテレでは、画家の児玉靖枝さんが「モネの作品はフレームに区切られた向こうの世界。ここと場つづきでありながら別の世界を描いているのが現代の絵画」と話したのを受けて、湯浅克俊さんが「額縁を外して、ホワイトキューブ(注:「白い立方体」。1929年に開館したニューヨーク近代美術館が導入。展示空間の代名詞)に置くと、違って見えるかも」と返していた。モネの絵は額縁に入っているが、この展示室でも現代美術は額縁が無いか、細いフレームが付いているだけの作品。確かに「額縁なし」だと、絵と世界の境が無い。
・ぼんやり感・空気感
第2章では、ぼんやり感・空気感がテーマ。
◎自由観覧(18:05~18:20)
Eテレ効果により、1階の展示では湯浅克俊《Quadrichromie》(2018:水性木版(4版4色)/和紙)に見入ってしまいました。

◆Eテレの放送内容から
 Eテレでは湯浅克俊さんの版画制作について、以下の通り手順を紹介していました。
①デジタルカメラで身近な素材を撮影、②写真のプリントを版木に転写、③伝統的な技法で版木を彫る、④使う色は、黄・赤・青・黒の4色、⑤色ごとに彫った版木に色をのせて印刷、⑥最初は黄色、黄色が乾く前に赤を重ね、赤が乾く前に青を重ね、青が乾く前に黒を重ねて完成。「完成するまで、どうなるか分からない」とのことでした。
 手順が紹介されると、美術家の小野耕石さんが「細かい線を彫るの、飽きないですか」と質問。湯浅さんは「飽きてますね。飽きない工夫をしながら制作してます。」と回答。
 湯浅さんは、続いて「モネは時間を描きたかったんじゃないかな。睡蓮は、実際にはゆらゆら動いている。しかし、絵画は描き終わった途端に止まる。モネの睡蓮は描き終わったあともゆらゆら揺れるように見える」と、話すと児玉さんが受けて「はっきりと図を結ぶ、その手前のゆらぎの状態で止まっている」と話し、小野さんは「児玉さんの作品、死ぬ瞬間に見える映像のような感じがする」と返しました。児玉さんは「『白(びゃく)』という副題。雪によって視界が閉ざされるように、絵の具で塞いで物理的に見えないようにして、逆に見たくなるようにした。霧でぼやけさせる。必要以上に描かない」と回答。
「深韻(しんいん)」制作のためにデジタルカメラで取材する児玉さんの姿が紹介され「光の当たり具合で見えていたものが変わる。狙わずして出会ったものに美しいと感じる。作品はこの世界を自分自身がどう捉えているか、鑑賞者と自分自身を繋ぐもの」など、児玉さんの言葉が紹介されました。

◆2階展示作品のギャラリートーク
◎第3章 モネへのオマージュ―さまざまな「引用」のかたち
・ルイ・カーヌ《睡蓮》について
ルイ・カーヌは《睡蓮》も描いている。展示しているのは紫色と緑色の2色で描いた9枚の連作。作家が指示したように並べて展示した。
・平松礼二《夏の気流(モネの池)》について
平松礼二はオランジュリー美術館の《睡蓮の壁画》に衝撃を受け、日本画の様式で睡蓮を描いている。今年の11月4日までジヴェルニー美術館で展覧会を開催しているので、フランスに行く予定があれば、展覧会もご覧ください。
◎第4章 フレームを越えて―拡張するイメージと空間
・モネの《睡蓮》について
モネは睡蓮を描き始めたころ、水面に映った木や雲の影は描くものではないと考えていたが、やがて水面に映った影と睡蓮の実像を同等に描くようになり、画面に奥行きが出た。
◎自由観覧(18:37~19:00)
 ギャラリートーク終了後は、各自、自由観覧。Eテレ効果により、児玉靖枝さんの真っ白な作品と小野耕石さんのスクリーン・プリントの技法で制作した作品に見入る人が多数いました。参加者は少しずつ帰り始め、午後7時には全員が帰路に着きました。

◆NHKEテレ「もうひとつのモネ ~現代アーティストが語るモネの革新~」の再放送
 再放送は2018年6月17日(日)午後8時~8時45分
【ゲスト】画家…児玉靖枝(1961年生まれ)、版画家…湯浅克俊(1978年生まれ)、
美術家…小野耕石(1979年生まれ)
【司会】 小野正嗣 (今回、高橋美鈴アナウンサーは出演せず)
URL=http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2018-06-10/31/29456/1902764/
Ron.

モネが現代アートに与えた影響について、語ってくれた深谷副館長

モネが現代アートに与えた影響について、語ってくれた深谷副館長

「モネ それからの100年」 ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor


名古屋市美術館で開催中の「モネ それからの100年」(以下、「本展」)のギャラリートークに参加しました。担当は深谷克典副館長(以下「深谷さん」)と保崎裕徳学芸係長(以下「保崎さん」)、参加者は80人。参加人数が多かったので、先ず、講堂で深谷さんが展覧会の概要を説明。ギャラリートークは、1階から始めるグループと2階から始めるグループに分かれて開始。1階の担当は深谷さん、2階の担当は保崎さんでした。
以下は、概要説明とギャラリートークの内容を要点筆記したものです。

◆本展の概要について(深谷さん)
◎名古屋市美術館で開催するモネ展は、30年間で4回
本展は名古屋市美術館で開催する4回目のモネ展。第1回は1994年で、内容は回顧展。第2回は2002年で「睡蓮の世界」=睡蓮を描いた作品だけの展覧会。第3回は2008年で、マルモッタン美術館所蔵の《印象 日の出》中心にした展覧会。第4回が本展で、「それからの100年」をテーマにした展覧会。
印象派のコレクションを持たない美術館で、30年の間に4回のモネ展を開催するというのは珍しいケース。なお、4回の展覧会は、全て私が担当しました。

◎「それからの100年」というテーマについて
「それから」とは、モネがオランジュリー美術館所蔵の「睡蓮の壁画」を描いた1914年頃を指す。本展のテーマは「睡蓮の壁画が描かれてからほぼ100年経ち、モネの作品が後世の作家にどのような影響を及ぼしているか」を示そうというもの。
本展は89点の作品を展示しているが、モネは26点で、残り63点は現代美術。現代美術のうち、スティーグリッツとスタイケンの写真は19世紀の終わりから20世紀初めのものだが、大半は1950年代以降のもの。
昨日、閉館後に51名の参加で「名画の夕べ」というイベントを開催したところ、1名の参加者から「モネが26点では、モネ展ではない。」という意見があった。チラシ等には「モネと、彼に影響を受けた現代の作家たちとを比較検討」という断りが入っているが、「全部がモネの作品」だと思って来場する人が出るのは止むを得ないと思う。ただ、残り50名の参加者からは「モネ展ではない。」という声は聞かれず、一安心した。

◎モダン・アートの原点はセザンヌからモネへ
かつては「モダン・アートの原点はセザンヌ」という考えが一般的で、モネをモダン・アートの原点に置く人は少なかった。しかし、最近「セザンヌもモダン・アートに影響を与えているが、モネはそれ以上に大きな影響を与えているのではないか。」という考えの人が増えている。
 美術館の展示室に作品が並んでいるのを見ると、事前に思い描いたイメージとは違っていることがある。本展の展示も事前のイメージとは違っていた。それは「いい方」への変化だった。つまり、展示室の作品を見て「モネと現代美術はシンクロしている、つながっている。」という思いを強くした。本展に来場した大半の人も、感覚的に「つながっている」と感じてくれたのではないかと思う。
 モネが好きな人はたくさんいる。本展で、現代アートにアレルギーを持つ人が少なくなると、うれしい。

◎「睡蓮の部屋」オープン時、モネは「過去の人」だった
モネは1926年12月に死去。その半年後の1927年5月にオランジュリー美術館の「睡蓮の部屋」がオープン。しかし、1910~20年代「モネは過去の人」という評価で、オープン時の「睡蓮の部屋」は閑古鳥が鳴いていた。
それが、1940年代後半から1950年代になって、アメリカ現代美術の作家を中心に「モネは先駆的な活動をしているのではないか。」と、モネの作品全体に対する評価が上がり、現代に至っている。
なお、オランジュリー美術館の「睡蓮の部屋」は楕円形の部屋二つで構成されており、睡蓮の大壁画22枚が展示されている。

◎晩年のモネと抽象画
本展に展示の《バラの小道の家》(1925)はモネの絶筆(最後の作品)だが、タイトルがなければほとんど抽象画。モネ晩年の10年間は、白内障のため視力が低下。画商のデュラン・リュエルは「今のモネは、ほとんど目が見えないのでは。」という言葉を残しているが、モネがどこまで見えていたのかは、よくわからない。
ただ、睡蓮の池と太鼓橋を描いた1899年の作品と1919年の作品を比べると、1919年の作品はほとんど抽象画。(注:いずれの作品も、本展では展示していない)
ヨーロッパの美術の歴史をたどると、1910年代はモンドリアン、ピカソ、カンディンスキーなどの前衛美術や抽象画が勢いを持っていたが、第一次世界大戦後の1910年代終わりから1920年代にかけては流行が古典的なものに戻り、エコール・ド・パリなどが勢いを持った。
1910年代のモンドリアン、ピカソ、カンディンスキーなどの抽象画と比べたら「睡蓮の部屋」は、少しもおかしくない。しかし、モネが「睡蓮の部屋」を描いた1920年代は、復古的風潮が主流であったため、理解されなくても不思議ではなかった。

◎睡蓮を描くまでの、モネの遍歴
本展に展示の《サン=シメオン農園前の道》(1864)は、ノルマンディーの風景を描いたもの。モネは1840年にパリで生まれたが、5歳の時にノルマンディーに移る。若い頃のモネは、コロー、テオドール=ルソーなどのバルビゾン派の作品をお手本にして絵を描いていた。
ノルマンディーの風景を描いた《ヴァランジュヴィルの風景》は日本美術の影響を受けた作品で、葛飾北斎《富嶽三十六景 東海道程ヶ谷》(1831-34)(注:本展では展示していない)と構図が似ている。北斎の絵の左下に逆三角形の部分があるが、モネの絵の海面も同じように逆三角形。ただし、実際の海岸線はモネの絵と違って、湾曲していない。湾曲した海岸線はモネの創作と思われる。実は、北斎の逆三角形の部分も創作らしい。
1880年代の終わりから、積みわら、ルーアン大聖堂、チャリング・クロス橋などの連作が始まる。睡蓮の連作が始まったのは1906年。最初は、睡蓮だけを描いていたが、だんだんと水面に映っているものも描きはじめ、睡蓮の実体と水面に映っている空や木々の影を等価で描くようになる。ジヴェルニーの睡蓮の庭の写真を見ると、水面に映っている空や木々の影の存在が強い。睡蓮と水面は一体のものに見える。
1914年から、モネは「睡蓮の壁画」のための下絵を描きはじめる。「睡蓮の壁画」の本画に使われた下絵は少ないが、本展に展示の《睡蓮、水草の反映》(1914-17)は本画に使われている。

◎第2次世界大戦後のアメリカ美術とモネ
モネの睡蓮は、制作当時なかなか評価してもらえなかったが、第2次世界大戦後のアメリカで、ポロック、デ・クーニング、マーク・ロスコといった作家がモネの晩年を見直すようになる。
これには、アメリカの戦略的側面もある。ポロックなどの抽象美術はアメリカ独自の表現として誕生したが、これを世界にアピールするためには「突然変異ではなく、ヨーロッパ絵画の伝統とつながっている。」という正統性が必要だった。モネにつなげることで、アメリカ抽象芸術の正統性を強調したのである。
このような流れを踏まえると、本展では是非ともポロックの作品を展示したいと思ったが、保険金が高すぎて断念した。モネの睡蓮は「身体性」と「中心が無い表現」がポロックの作品と共通している。
スライドで写しているのは、アメリカで開催された「亡命の芸術家たち」という展覧会に出品したヨーロッパの画家たち。第2次世界大戦中、戦火を逃れてシャガールやモンドリアンなどがアメリカに亡命した。彼らの存在はアメリカの作家に影響を与え、戦後の抽象表現主義の誕生につながった。

◎本展に展示の現代アートについて
本展に展示のモーリス・ルイス《ワイン》(1958)は、色の感じや全体の雰囲気がモネの作品に似ている。福田美蘭の新作《睡蓮の池》(2018)については、保崎さんのギャラリートークを聞いて下さい。

◎7月から開催する「ビュールレ・コレクション」でも睡蓮が
本年7月28日から名古屋市美術館で開催する「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」では、高さ2m、横4.25mの《睡蓮の池、緑の反映》が展示される。スイスから出るのは初めての作品なので、是非、来場を。また、8月5日(日)午後2時から大原美術館館長・高階秀爾氏の講演が開催されるので、興味のある人は参加を。
(注:以下は補足)
高階秀爾氏の講演だけでなく、8月18日(日)及び9月15日(日)午後2時からは深谷副館長の作品解説会があります。事前申し込み制で、申込締め切りは7月22日(必着)。申込方法は、名古屋市電子申請又は往復はがき。往復はがきの場合は、郵便番号・住所・氏名・電話番号・聴講希望日(1つまで)・聴講人数(2名まで)を記入し、〒460-0008 名古屋市中区栄2‐17-25 名古屋市美術館「講演会/解説会」係まで 応募者多数の場合は抽選。詳細は名古屋市美術館HPで。

1階で深谷副館長の解説をきく会員

1階で深谷副館長の解説をきく会員


◆1階の展示について(深谷さん)
◎第1章 新しい絵画へ―立ち上がる色彩と筆触
・モネ《ヴィレの風景》など
展覧会の概要解説を聴いた後、1階展示室に移動すると、モネ《ヴィレの風景》(1883)と丸山直文《puddle in the wood2 5》(2010)の前に集合して、「立ちあがる色彩と筆触」という副題について、「モネは何を描くかというだけでなく、色彩それ自体の魅力や筆致を楽しんでいる。」などと解説を聴きました。
続いて、深谷さんから「二つの絵を比べて、どんな点が似ていると思いますか。」という質問。参加者が「どちらも、森の木々と水面を描いている。」「色の感じが似ている。」などと回答すると、深谷さんは「昨日の『名画の夕べ』では、『この二つの絵のどこに共通点があるのか具体的に説明して下さい。第一、丸山直文の絵は筆で描いたものではなく、絵の具を沁み込ませて描いていますよね。』という質問があり、答えに窮しました。」とのお話。「この二つの絵は、厳密に一対一で対応しているわけではなく、ゆるい対応です。本展には26人の作家の現代アートを展示していますが、モネの影響を受けていると表明している作家は半数。残りの作家はモネの影響について本人が言ったわけではなく、影響があるのではないかと推測しているにすぎません。」と、話は続きました。

・ジョアンミッチェル《湖》・《紫色の木》
ジョアンミッチェルはアメリカ出身の女性画家で、モネを敬愛し、モネの影響をはっきりと表明しています。《湖》(1954)はミシガン湖のイメージを描いたもの、《紫色の木》(1964)は、フランスにわたってからの作品。
なお、赤い壁に展示されているのはモネの作品。現代アートは白い壁に展示。

・モネの作品の変遷
最初の2点はバルビゾン派の影響を受けた作品。《サン=タドレスの断崖》(1867)は印象派の先駆的作品。典型的な印象派の活動があったのは1870年代で、1880年代になると印象派の作家たちはそれぞれの道を歩むようになる。7月28日から始まる「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」で展示されるルノワール《イレーヌ・カーン・ダヴェール嬢(可愛いイレーヌ)》(1880)は、古典的な絵画に回帰した作品。
モネも1880年代に方向転換をしている。1880年代は試行錯誤を続けていたが、1880年代の終わりから積みわらやチャリング・クロス橋などの連作を始めた。

・ルイ・カーヌ、岡﨑乾二郎、中西夏之
ルイ・カーヌはモネを敬愛した作家。本展では《彩られた空気》(2008)が話題になっている。金網の表面に絵の具を塗った作品で、展示室の白い壁に絵の具の影が映り、絵の具とその影が重なって見える美しい作品。
岡﨑乾二郎の作品(注:題名が長すぎて書ききれません)は2点が対になっており、左右の作品は同じようなモチーフを描いているが、色彩と形が少し違っており見比べると面白い。また、絵の具の「塗り残し」をうまく生かしている。
中西夏之《G/Z 夏至・橋の上 To May Ⅶ》(1992)と《G/Z 夏至・橋の上 3ZⅡ》(1992)については、深谷さんから「この絵については、第2章 形なきものの眼差し 光、大気、水 に展示する方が適切だと思われるが、なぜ第1章に展示しているのか、という質問があり、回答に窮した。確かに、第2章でもおかしくない。ただ、第1章・第2章の展示作品は厳密に分けているわけではなく、アバウトな要素もある。」との話がありました。

◎第2章 形なきものへの眼差し―光、大気、水 
・スティーグリッツとスタイケンの写真
第2章には19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて撮影された、スティーグリッツとスタイケンの写真が展示されています。深谷さんに聞いたら「横浜美術館からの提案で展示」とのこと。確かに、うち3点は横浜美術館の所蔵品です。第2次世界大戦後の作品ではありませんが、「光、大気、水」という副題にふさわしい展示でした。

・ゲルハルト・リヒター
深谷さんのお話では、個人的な好みを言うと、ゲルハルト・リヒターの2つの作品と岡﨑乾二郎の作品が本展の現代アートでは「イチオシ」とのことでした。なお、ゲルハルト・リヒターの2つの作品は金属板に描かれているため絵の具が完全には定着しておらず、作品を運搬する際は「平らにして運ぶ」よう気を付けているとのことです。

・モネの作品
第2章では、青色の壁にモネの作品を展示。青い壁の一番右に空白があるが、この空白部分には5月22日から作品(注:《雪中の家とコルサース山》(1895))が展示される。
チャリング・クロス橋はテムズ河にかかる鉄道橋で、霧のロンドン(実は石炭を燃料として使うことにより発生したスモッグ)がテーマ。モネは二十数点を連作した。

◎自由観覧のなかで
「睡蓮の壁画」について深谷さんから話がありました。「モネはオランジュリー美術館所蔵の22点以外にも睡蓮を描いている。22点以外の作品は長い間忘れ去られていたが、1940年代に巻かれたキャンバスの状態で保管されているのが発見され、その多くはアメリカのコレクターが買い取り、一部はヨーロッパのコレクターも買った。再発見された当時、睡蓮の評価は高くなかったので値段は低かった。その時に買い取られた作品のうち1点が巡り巡って、今、直島にある。」とのことでした。
また、6月10日(日)AM9:00からのNHK・Eテレ「日曜美術館」の本編で「モネ それからの100年」が紹介され、深谷さんも出演するとのことです。お見逃しなきよう。

2階で保崎学芸員の話をきく会員

2階で保崎学芸員の話をきく会員


◆2階の展示について(保崎さん)
◎第4章 フレームを越えて―拡張するイメージと空間
・モネ《睡蓮》のうち、1897-98年制作の作品2点
2階のギャラリートークは、第4章のうち、モネの作品が展示してある小部屋に集合してスタート。保崎さんによれば「モネ・睡蓮の連作の締めくくりは、オランジュリー美術館・「睡蓮の部屋」の壁画22枚。高さ2m、横6m又は高さ2m、横4.5mの作品。皆さんが向かっている壁には《睡蓮》というタイトルの作品が3点されているが、そのうち真ん中の作品は1906年制作、左右が1897-98年制作。3点を比べると、睡蓮を描きはじめた1897-98年制作の2点は、いずれも睡蓮の花・葉が大きい。クローズアップした画面で、水面の面積はそれほど広くない。2点を比べると、向かって左の作品の方が光を強く描いている。」とのことでした。

・モネ《睡蓮》のうち、1906年制作の作品
モネが睡蓮を描きはじめたのは1897年で、57歳の時。モネは86歳まで生きたので、人生の半分は睡蓮を描いていたことになる。モネがジヴェルニーに転居したのは1883年。最初は借家だったが、1890年に家と土地(注:9,200㎡)を買い取り、1893年には周辺の土地を購入し小さな池を作った。1897年には睡蓮の連作を始め、1901年に隣地を買い取り、池を拡張。(注:現在、モネの家の土地は2万㎡を越える)1902年から1908年までが睡蓮の連作のピーク。3点並ぶ《睡蓮》のうち真ん中の作品は、連作のピークである1906年に制作されたもの。水面が広く、画面の真ん中を水面が占めている。画面の外には太鼓橋、左にポプラ、右には柳が植えられている。

・モネ《睡蓮の池》
この小部屋の入口横に展示されている縦長の作品《睡蓮の池》(1907)は、ベスト・ポジションから夕陽が沈む睡蓮の池を描いた作品。屋外の自然光と水面の反射による一瞬の色彩を素早い筆致で描いている。画面の外に向かって絵の広がりを感じさせる描き方で、モネの特徴が一番よくわかる作品。風景なのに、縦長の画面に描いているのが面白い。水面に映る夕陽の反射が縦方向の流れを作っている。

・福田美蘭《睡蓮の池》
福田美蘭《睡蓮の池》(2018)は、高層ビルのレストランを描いた作品。テーブルを葉、キャンドルを花と、睡蓮に見立て、マネの大胆な筆致をまるまる真似ている。福田美蘭の作品はいつでもウイット(機知)に富んでいるが、この作品でもモネの屋外・自然光という組み合わせに対し、室内・人工光という組み合わせにするなど、モネの逆を行っている。外にも、モネの水面に対し高層ビルを、水面への(下への)映り込みに対し窓ガラスへの(上への)映り込みを配すことにより、モネの「睡蓮の池」を自分のスタイルで描き、モネへのオマージュとしている。

◎第3章 モネへのオマージュ―さまざまな「引用」のかたち
第3章は、全て現代アート。モネを再評価して、継承した作品が並ぶ。抽象表現やポップ・アートはモネと同じ視点に立った作品。例えば、アンディ・ウォーホル《花》(1970)は、雑誌に載っていた花の絵をコピーし、様々な色でシルクスクリーンのプリントをした作品。「複製がオリジナルを越えた」もの。

◆お開き
 ギャラリートーク終了後は、各自、自由観覧。参加者は、三々五々と美術館を後にして、午後7時には全員が帰路に着きました。
Ron.

真島直子 地ごく楽

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor


 3月10日土曜日、日中は少し暖かいのですがまだ朝晩は冷えるなか、名古屋市美術館での『真島直子 地ごく楽』展のギャラリートークが開催されました。37名がトークに参加し、担当学芸員角田美奈子さんの解説に熱心に聞き入り、真島さんの色美しくも少しグロテスクな印象も否めない、なんとも興味深い作品を鑑賞。しかし見終わった際には、参加者はすがすがしい思いに包まれました。
 白い大きなキャンバスに鉛筆の黒のみで細かなドローイングをびっしり書き込んだ作品や、木工用ボンドで様々な色の布や紐を固めて作られた立体作品など。点数は決して多いわけではありませんが、1つ1つの作品が強いインパクトを放っていて、作品を観る一人ひとりに何か訴えているようでした。
 そして忘れてはならないのは、2階展示の最後の方、いわば展覧会クライマックスの位置に、名古屋市美術館協力会で美術館の開館25周年を記念して購入、寄付した真島さんの作品が飾られています。協力会の会員みなさま、ありがとうございました。またこのような素晴らしい作品を寄付できるよう、がんばりましょう。

解説を聞きながら

解説を聞きながら


 さらに、今回は地下の常設展示室に名古屋のシュルレアリズムと題して、名古屋で活躍した作家さんのシュルレアリズム絵画が紹介されています。名古屋市美術館所蔵の作品が展示されているのですが、こちらもとても力強い作品が多く、名古屋画壇もこんな素晴らしい作家さんたちを輩出していたんだ!と驚きました。真島直子さんの父親である眞島建三さんの作品も展示されています。真島直子さんの展覧会にいらっしゃったなら必見です(その他、北脇昇さん、吉川三伸さん、三岸好太郎さんなど)
お話してくださった角田美奈子学芸員、ありがとうございました!

お話してくださった角田美奈子学芸員、ありがとうございました!


協力会

シャガール展 ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「シャガール展」(以下「本展」)のギャラリートークに参加しました。担当は深谷克典副館長(以下「深谷さん」)、参加者は58人。以下、深谷さんのトークを要約しました。

まずはエントランスホールでの解説

まずはエントランスホールでの解説


◆エントランスホールで展覧会の概要を解説。こぼれ話も披露
名古屋市美術館で開催するシャガール展は、本展が2回目。前回開催は、開館2年目の1990年。前回はシャガールの回顧展で、ロシアのトレチャコフ美術館・ロシア美術館の所蔵品を中心に、個人蔵も併せて150点を展示。本展の展示作品は173点、うち陶器・彫刻が62点。シャガールが制作した陶器・彫刻は300点だが、売り物では無かったので、大半をシャガールの遺族が所有。そのため、シャガールの陶器・彫刻が多数展示される機会は稀。3年前に愛知県美術館で開催されたシャガール展では十数点の立体作品を展示。ヨーロッパでも47点を展示したのが最高。本展の62点という立体作品数は世界一。
エントランス正面に掲げている大きな写真は1924年の撮影。シャガール本人と妻のベラ、娘のイデが写っている。シャガールは、写真撮影の前年に革命後のソ連からドイツ経由でフランスに戻っている。この頃が作家としても家庭的にも一番充実していた時期。
写真では壁に《誕生日》が写っている。なお、本展で展示の《誕生日》(1923)は、オリジナルの《誕生日》(1911)をシャガール本人がコピーしたもの。写真には有名な《私と村》も写っている。この作品もオリジナルは1911年制作、1923~24年にシャガール本人がコピー。
何故、自分の作品をコピーしたのか。それは、シャガールが20代から30代前半にかけて描いた絵が全て、彼の手元から失われたから。1911年から1914年にかけて描いた作品は、ドイツで個展を開催した後、画商が勝手に売却。1914年から1921年にかけて描いた作品は、トレチャコフ美術館・ロシア美術館の所蔵品となった。そのため、フランスに戻ってから、オリジナルの作品をシャガール本人がコピーして自分の手元に置いた。

◆第1章 絵画から彫刻へ ~ 《誕生日》をめぐって
本展は、5章立て。テーマ別なので、展示作品の制作年代は入り乱れている。
第1章のテーマは「絵画から彫刻へ」。シャガールが立体作品の制作を始めたのは、米国への亡命(1941~1948)からフランスに戻った翌年の1949年。陶芸・彫刻のテーマ・モチーフは絵画で表現したものを、そのまま使用。
第1章に展示の彫刻《誕生日》(1968)も、絵画の《誕生日》と同じモチーフの作品。しかし、「絵画の焼き直し」ではなく、新たな表現になっている。絵画についても「後年のシャガールは代り映えせず、マンネリでは?」と思われるかもしれないが、晩年の作品は色彩が綺麗で、進化し深みが増している。「同じモチーフでも表現がこれほど違うのか。」という体験を楽しんでもらうのが、本展の趣旨

◆第2章 空間への意識 ~ アヴァンギャルドの影響
 絵画《座る赤い裸婦》(1909)はゴーギャンの影響がみられる作品。19010年頃のロシアではゴッホ・ゴーギャンの影響が強かった。シャガールはシチューキンやモロゾフの絵画コレクションを見ていたかもしれない。
 シャガールがパリに出てきた1911年頃、最先端の潮流はキュビスム。第2章ではキュビスムの影響を受けた作品を展示。パリに出て来てから半年から1年という短い期間で自分の様式に到達していることは注目に値する。

◆第3章 穿たれた形 ~ 陶器における探求
 陶器の作品は1949年から制作を開始。その彫刻は2年後から彫刻も始めた。立体作品の制作は、1950年代から1960年代初めに集中。陶器《把手のついた壺》(1953)は壺の一部が上に広がり、女性の顔が描かれている。形がユニーク。シャガールは、下絵を描いてから陶芸作品を制作している。《把手のついた壺》のための下絵を見ると、マグカップから立ち昇る湯気が髪の毛になり、そして女性の顔になったのではないかと、想像される。
 シャガールは自己流で陶器を制作。それが作品の魅力になっている。先生に付いて指導を受けていたら、ここまで自由な造形は無かった。「売り物」ではなく「自分の楽しみ」として制作していることが自由さにつながっている。

◆第4章 平面と立体の境界 ~ 聖なる主題
 第4章に展示のレリーフや絵画は、旧約聖書を主題にした宗教的なテーマの作品。
エコール・ド・パリの作家のほとんどはユダヤ人だが、宗教的なテーマを取り上げているのはシャガールだけではないかと思われる。
1910年代のフランスには、ユダヤ人に対する偏見が残っていた。そのため、シャガール以外の画家はユダヤ教をテーマにすることを回避したと思われる。シャガールがユダヤ教をテーマとした理由はよくわからないが、有力な画商にはユダヤ系が多いので、ユダヤ・コネクションに乗るために宗教的なテーマの作品を制作したのであろうか?
ユダヤ教をテーマにした作品を残すことにより、シャガールは独自の位置を占めている。

◆第4章 平面と立体の境界 ~ 素材とヴォリューム
 シャガールの彫刻は大理石以外にも、ヴァンスの石など様々な素材を使用。シャガールの彫刻は、①本人が下絵を描き、②下絵をもとに専門の石工が石を彫り、③本人が最終的な仕上げをする、という流れで制作している。陶器については、①本人が土を練って造形、②専門家が焼成、という流れ。また、版画は本人が彫っている。
 シャガールの発想は自由で、版画《野蛮人のように》で使ったブーツの版木を、《時の流れに〈逆さブーツのマントを着た男〉》では、上下を逆にして使っている。
絵画《アルルカン》は色鮮やかな作品だが、その下絵では色鮮やかな端切れをコラージュしている。本展では、赤や青など鮮やかな色彩を楽しんでほしい。

◆第5章 立体への志向
《二重の横顔》は羊の骨を拾って来て、片面に目、鼻を描き、もう一方の面に女性の上半身を描いた作品。シャガールは「素材に対して素直でなければならない。」と言っており、素材に寄り添うように作っている。新しいおもちゃを手に入れたような気持ちで作品を制作したのだろう。
 
◆自由鑑賞
 作品解説後の自由鑑賞では、絵画の《通りの魚》(1950)、《魚のある静物》(1969)について「二匹のニシンの横に描かれている物体は、ジャガイモなのか、パンなのか、ローストチキンなのか」ということが話題になりました。色や形はジャガイモみたいだけれど、ジャガイモにしてはサイズが大きすぎる等、議論百出。深谷さんに尋ねると「シャガール本人は何を描いたのか残していない。パンという説が有力だが、本人が何も言っていないので、決め手はない。」と解説。どうでもよい話題でその場が盛り上がりましたが、それもギャラリートークならではのことですね。
 彫刻の中には、少しこすっただけでも表面が削れてしまいそうな堆積岩を素材にしたものもあり、設置には気を使ったとのこと。また、柱状の彫刻は転倒防止の金具でしっかり固定されています。立体作品の展示は大変ですね。
 また、深谷さんから解説があった通り、晩年の作品は色彩が綺麗でした。
 会期は、来年の2月18日(日)まで。
Ron.

ギャラリートークは大盛況でした

ギャラリートークは大盛況でした

泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの 夢見たものは 展示室で解説を受ける会員たち プティパレ まずはエントランスホールでの解説 2017_ジャコメッティ_1 富山県立美術館にて