「辰野登恵子 ON PAPERS」ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「辰野登恵子 ON PARERS」(以下「本展」)の協力会ギャラリートークに参加しました。担当は清家三智学芸員(以下「清家さん」)。参加者は52人と多かったのですが、ポータブル拡声装置を使えば離れた参加者にも清家さんの声が届くので、全員が一緒に動きました。以下は、清家さんによるギャラリートークの要約筆記で、(注)は私の補足です。
なお、ギャラリートークに先立って、2階講堂で辰野登恵子(以下「辰野」)の略歴が紹介されました。

50名をこえた参加者

50名をこえた参加者


◆2階講堂にて
辰野は1950年、長野県岡谷市生まれ。3人姉弟の第2子で姉は2歳上、弟は5歳下です。辰野が子供の頃、通っていたお絵描き塾の先生が「風景を自由に描いて」と課題を出したところ、マティス風に真っ赤に塗った絵を描いて提出したというエピソードがあります。辰野は、幼い時から色づかいに「こだわり」のある人でした。
辰野は大学進学のため、高校2年生の時から週末や夏休みなどを利用して、美術系予備校の「すいどーばた美術学院」(東京都豊島区西池袋)に岡谷から通い始めました。また、高校時代は学校が開く時刻に登校して美術室で絵の勉強。授業終了後も学校が閉まる時刻まで美術室に居たそうです。努力の甲斐あって、辰野は東京芸術大学(以下「芸大」)の油絵科に現役合格します。当時の合格者は50名、女子は10名、うち現役合格は4名でした。
芸大入学後、1969年には学園紛争のため大学の授業がなくなります。そんな状況でも辰野は芸大に通い続け、版画教室で当時の教官の駒井哲郎、中林忠良の指導を受けています。油絵科の学生でしたが制作したのは写真製版によるシルクスクリーンの作品です。辰野はアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインなどのポップアートの影響を受け、映像を作品に生かそうとしていました。「映像を作品に生かす」には、油絵でカンバスに描くよりもシルクスクリーンで紙に刷る方が合っていたのです。
本展は、辰野の回顧展としては初めての展覧会です。2階にⅠからⅣ、1階にⅤ・Ⅵ・Ⅷ、地下1階にⅦを展示しています。それでは、2階の展示室に移動してください。

◆Ⅰ
Ⅰは主に大学・大学院6年間の作品で、ウォーホルやリキテンスタインの影響が見られます。大学・大学院時代の辰野は「絵の中に映像を取り込む」作品を制作しています。作品No.2《Self portrait》は自分の写真を写真製版してシルクスクリーンでカンバスに印刷したもので、作品No.3《無題》キャベツを写真製版して、いくつも印刷したものです。
シルクスクリーンは同じイメージを何度も使うことができるだけではなく、刷り方を変えることによって「100パーセン完璧なコピー」ではなくなり少しずつ異なったものができるところに、辰野は関心をもちました。
当時の辰野は芸大同級生の柴田敏雄さん、鎌谷伸一さんと3人で「コスモス・ファクトリー」という制作集団をつくり、写真は3人で共用、ステンシルも3人で共用して作品制作を行いました。作品No.10-1~10-4《無題》は大学院修了制作で、9点制作したうちの4点を展示しています。作品のモデルはマイケル・ダグラスの父親のカーク・ダグラスで、イエナ書店で売っていた洋物の雑誌に掲載されていた映画「チャンピオン」の写真をコピーしたものです。作品No.7《9つの長方形》は、その後の辰野作品の原点で「同じ形が、少しずつ印刷を変えながら反復する」というところに特色があります。

◆Ⅱ
本展に学芸員が書いた解説パネルの掲示はありません。解説パネルの代わりに、作家本人のことばを「切り文字」で壁に貼りました。Ⅱでは、辰野の言葉は「ノートの横線や、原稿用紙のます目や、網点や、そういう整然と並んでいるものを、じっと見ているのが大好きで、そういう不毛なところに、もし、何かを一点落としたら、全然違ったものに変身するでしょ。点ひとつで、新しい空間が出現する。」というものです。「整然とならんでいるもの」を「不毛なところ」というのは辰野独特の表現ですが、「整然とならんでいるもの」が作家の関わり方によって微妙な差が生じ立体感や奥行きが生まれるのが楽しい、という気持ちがよくわかります。
Ⅱで展示している作品は、いずれも辰野の実験です。実験する中で、辰野はグリッド(格子)の規則性を破るのを楽しんでいます。男性の皆さんにはわかりにくいかもしれませんが、辰野は「規則性を破るのを楽しさ」を「ストッキングが伝線する瞬間が好き」と表現しています。「伝線する瞬間が好き」とは規則性が揺らぐ瞬間が好きということであり、グリッドなどに対して、その規則性を破るような関わり方がしたいということです。
Ⅱに展示しているのはすべてシルクスクリーンの作品で、規則正しい反復に破綻が生じて出現した「新しい空間」を表現しています。

◆Ⅲ
Ⅲで展示しているのは「地下鉄のホームの壁のタイル」など、現実世界にある格子状のものから、タイルの厚みや奥行きなどの現実にある歪みを読み取ってデザインし、それに濃淡を加えて描いた作品です。それは「現実そっくり」に表現するのではなく、自分の感覚を加え、絵画という空間の中で何ができるかデフォルメする実験でした。絵画空間という架空の世界、イリュージョンを描いています。
Ⅲでは罫線が登場します。そして、「罫線」という一つのものを、①罫線そのものと②罫線で囲まれた領域という二つの視点で描いています。コクヨの罫紙をコピーして、シルクスクリーンで色を重ねました。塗り重ねる都度、版に目止め剤を塗って色を変えた作品もあります。
Ⅲの終わりに油彩画が登場します。作品No.59《WORK-78-P-14》はミニマリズムの絵画です。
(注:Ⅱは抽象的な図形の規則性を破った時に生ずる新しい空間を描いた作品であるのに対し、Ⅲでは壁のタイルや罫紙など現実世界にある要素が表現に作品に加わってきます、装飾的要素を最小限に切り詰めたものになっている、ということでしょうか)

◆Ⅳ
辰野の言葉は「切り文字」です。シートに文字の形に切り込みを入れて壁に貼り付け、その後、文字以外の部分を剥がして作りました。パネルの掲示よりも手間がかかりますが「作品以外のものに物質感を持たせたくない」ので、パネルでなく「切り文字」を貼ることにしました。
Ⅲの最後の油彩の作品No.59《WORK-78-P-14》は名古屋で発表されたものです。辰野は1978年に名古屋の「ギャラリーたかぎ」で油彩の個展を開いています。この作品では、それまでの作品にあった規則性を離れ、フリーハンドでの絵画制作にチャレンジしています。
Ⅲまではグリッドや罫線など前提になる形があったのですが、Ⅳで油彩に戻ると表現の自由度が増して、色づかいや画面構成に気を配るようになります。また、油彩とシルクスクリーン、カンバスと紙、という違いを自分の手で確かめながら試行錯誤をしています。したがって「一つ一つ作品それぞれに意味がある」というよりも、すべて実験結果です。なお、辰野は「色づかいには自信がある」と言っています。一方で「デッサンは苦手」とも言っていますが。
作品No.68《WORK80-P-22》と作品No.69《無題》には、次に続くⅤの作品群の片鱗が見られます。このように作風が変わるきっかけに、辰野の結婚があったという見方もあります。辰野は理知的な性格ですが、結婚によって夫の「感性を素直に表現する」という考え方に影響を受けたのではないかというのです。一方で「自分がやりたいから作風が変わったのではないか」という見方もあります。
それでは1階に移動しましょう。

◆Ⅴ
Ⅴの展示空間は中央に柱があります。展示空間の真ん中に柱を置くような配置は避けるのが普通ですが、1階は大きい作品が多いので広い空間を確保するため、あえて柱を残しています。
辰野はⅤで作品の画面構成に試行錯誤をしています。Ⅳの作品のように色を上から下に垂らすだけなら、描く物体の形や画面構成を意識しなくてもよいのですが、「自由に描く」となったら「画面へのおさまりやすさ」も考える必要があります。辰野はⅤで、長方形の画面の中に菱(◇)型の物体を描いたり、右上から左下に対角線を描くなどの試行錯誤を繰り返しました。
画材も、いろいろと試しています。水彩や鉛筆はサラサラ描けますが色は弱い、油彩だと色は強いのですが絵の具が乾くのに時間がかかります。銅版画だとエッチングやドライポイントならシャープな線が描け、アクアチントなら色面を作ることができます。パステルだと物体や背景を「ぼかす」ことができます。

◆Ⅵ
Ⅵに掲げた辰野の言葉に「イメージは見えている世界からピックアップされてくるものもあれば、心の闇から生まれてくるものもあります。」という一節があります。この「見えている世界からピックアップされてくるもの」のひとつが「原稿用紙」です。Ⅵでは、①原稿用紙の枡目の枠と②枡目で囲まれた領域、という2種類のドローイングが登場します。チラシやポスターで使った画像の作品No.109《Oct-20-95》は原稿用紙の枠をピックアップした作品で、国立国際美術館コレクションの作品No.124《March-3-98》は、囲まれた領域をピックアップした作品です。
また、地と図形の関係、つまり「地の処理を変えることで、どのように図を目立たせることができるか」も試しています。たとえば、作品No.107《無題》では図の内部を黒くすることで図が浮き上がってきます。作品を見くらべてください。
Ⅵには「ザ 辰野登恵子」というべき作品が並んでいます。なかでも、大型の作品は上部の解放感が必要なので吹き抜けに集めました。市美所蔵の特別出品《WORK86-P-12》も大型で、しかも左右の空間が必要だったため、結果的に通路の正面という一番目立つところに展示することになってしまいました。

清家学芸員、ちょっと風邪気味でした

清家学芸員、ちょっと風邪気味でした


◆Ⅷ
辰野は2011年と2012年にフランスに渡り、パリの版画工房イデム(IDEM)でリトグラフを制作しています。イデムは石灰石の版を用いたフランスの伝統的な技法でリトグラフを制作する工房です。伝統的な技法による版画制作は辰野にとって初めての体験でした。制作を始めると、今までの版画制作の経験が使えないということが分かり、これまでの自分のやり方を一度捨てて、一から描いたイメージで版画を制作しました。
ご覧いただくとわかるように、Ⅷには今までとは違うイメージの作品が並びます。なかでも、作品No.215《望まれる領域》は最晩年の作品で、さらなる発展を考えていたことが感じられます。メインの赤いモチーフに青やピンクの背景を組み合わせた作品ですが、左下に異質なものが描かれています。
それでは、地下1階に移動します。

◆Ⅶ
Ⅶは信濃毎日新聞に連載された辻井喬(堤清二)のエッセイの挿絵として制作した作品です。紙面コピーをファイリングした資料も用意しています。作品は辰野の故郷の岡谷市で両親の介護をしているときに制作したものです。ご覧いただいているように、月やミモザの葉、連なる山など身の回りの景色や物から得たイメージを描いています。
(注:Ⅶで展示されている作品は新聞連載の挿絵ということもあってか、親しみやすいものでした。参加者からは「この作品なら、部屋に飾りたい」とか「Ⅶの画集が出たら、絶対買うのに」などの声がありました)

◆Q&A(地下1階・常設展示室3にて)
Q1 Ⅰの作品No.4《無題》に描かれているスリッパの中に、スリッパを剥がしたような跡があるのですが、作家はわざと剥がしたのですか。
A1 その通りです。最初はスリッパをコラージュしていたのですが、それを剥がしています。

Q2 Ⅶに展示してある作家の写真は学生時代に撮影されたものですか。
A2 その通りです。大学院の研究室で撮影されたものです。マギーブイヨンの缶が写りこんでいますね。雑然とした様子は「いかにも研究室」という感じです。
(注:灰皿とタバコの吸い殻も写っていましたね)

Q3 作品のタイトルに《無題》や整理番号のようなものが多いのですが、なぜでしょうか。
A3 そのようなタイトルをつけたのは、辰野が「見方を自由にしてほしい」と考えていたからです。「見る人がいろいろ違ったことを考えてくれるのが一番うれしい」ということですね。

Q4 展覧会のチラシやポスターの画像などは、巡回する美術館で統一しているのですか。
A4 美術館ごとに違う画像を使っています。市美では、辰野作品のイメージがよくわかるⅥの作品No.109《Oct-20-95》を使っています。油彩の作品を推す声もありましたが「オン ペーパーズという副題の展覧会で、カンバスの作品はまずいだろう」ということから、春らしくて明るい紙の作品を選びました。

◆最後に
ギャラリートークではレクチャーを聴くだけでなく自由に観覧する時間もあり、とても楽しく鑑賞することができて、あっという間に時間が過ぎてしました。また、Ⅶを鑑賞した後のQ&Aでは多くの質問が出され、Q4では展覧会の裏話を聴くこともできました。
参加者は皆、満足して市美を後にしました。清家さん、ありがとうございました。
                            Ron.

最後までていねいに興味深い解説をしていただきありがとうございました

最後までていねいに興味深い解説をしていただきありがとうございました

「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」(以下「本展」)のギャラリートークに参加しました。担当は中村暁子学芸員(以下「中村さん」)。「建築家」の展覧会にも拘わらず(?)参加者は予想を上回って70人になりました。参加人数は多いのですが会場がゆったりしているため、先の「ベストコレクションのギャラリートーク」と同様に全員が一緒に動きました。以下は、中村さんによるギャラリートークの概要で、(注)は私の補足です。

◆エントランスにて
アルヴァ・アアルト(以下「アアルト」)はフィンランドの建築家。木・レンガといった自然の素材を活かしながら周囲の環境と調和した建物を設計しました。本展はドイツのヴィトラ(Vitra)・デザイン・ミュージアムが企画し、ドイツ、スペイン、デンマーク、フィンランド、フランスと欧州五カ国を巡回後、神奈川県立美術館葉山、名古屋市美術館、東京ステーションギャラリー、青森県立美術館の順で開催される国際巡回展です。(注:ヴィトラは、アアルトがデザインした椅子の生産・販売会社であるアルテック(Artek)を傘下に置くドイツの企業です)
アアルトは建築家ですが、家具、ガラス器、照明器具のデザインまで手掛けました。アアルトの本格的な回顧展は東京のセゾン美術館で開催されて以来、20年ぶりの開催です。
(注:以上のトークを聴いた後、1階展示室に移動しました)

◆1階展示室にて
◎初期に手掛けた教会建築
 皆さん方から見て左の展示は、アアルトが初期に設計した教会建築です。ムーラメの教会では家具を始め椅子のデザインまで手掛けています。この時にデザインした革の椅子を見ると脚はスチールパイプ製ですが、その形は「後の『曲げ木』につながるのでは」というのが私の個人的感想です。また、トイヴァッカの教会で設計した燭台は有機的曲線で構成されています。アアルトのデザインには曲線がよく使われていますね。トイヴァッカの教会ではステンドグラスや窓のデザインも手掛けています。

◎舞台装置や博覧会、新聞社のデザインも
 壁に映写しているのは善と悪をテーマにした「SOS」という演劇の舞台装置のスライドショーです。スライドショーの左は「トゥルク市700周年記念 第3回フィンランド博覧会」の広告塔と広告館の透視図です。社交的なアアルトは企業と連携して広告塔や広告館をデザインしました。トゥルク市はヘルシンキの前にフィンランドの首都だった街で、日本なら差し詰め「京都」です。トゥルン・サノマット新聞社のデザインを見ると、初期のアアルトは四角い建物を設計したことがわかります。

◎パイミオのサナトリウム
大きな画面の動画はドイツの写真家アルミン・リンケが撮影したもので、パイオミのサナトリウム周辺の風景です。上下するエレベーターの中から撮影しているのが面白いですね。動画の裏側にパイオミのサナトリウムの病室を再現しているのでご覧ください。壁、天井などは全て、優しい薄緑色を使っています。再現ルームで使用しているベッドなどの家具や照明器具はサナトリウムで使用されていたものです。全てをアアルトが、患者の立場に立ってデザインしました。洗面台は水音が静かになるよう、照明器具は患者がまぶしくないよう配慮しています。クローゼットの形が面白いですね。ベッドは「体格の大きなフィンランド人用にしては幅が狭いのでは」と感じます。アルミン・リンケはパイオミのサナトリウムも撮影しているので、ご覧ください。写真を見ると、実際の病室は再現ルームよりも広いですね。(注:再現ルームでは窓際の部分が省略されているようです)

◎ヴィープリの図書館
ヴィープリの図書館は現在、ロシア領に建っています。第2次世界大戦の結果、当時のソ連領に併合されました。講堂の天井の波形が特色で、これは音響効果を考えたものです。閲覧室の天井には数多くの天窓があるため、室内が明るくなっています。アアルトが描いた音響効果のスケッチも展示しているのでご覧ください。(注:スケッチを見ると、講演者の声が講堂の後ろの方まで届くように波形を配置していることがわかります)
アルミン・リンケの写真をご覧ください。図書館の閲覧室は2階建てで、中央の大きな階段が特色です。アルミン・リンケの写真は建物の細部を切り取るように撮影していて面白いのですが、建物の全体像は分かりにくいですね。ヴィープリの図書館の動画もあるので、ご覧ください。ただ、動画の調子は今一つです。動きがぎこちないのは我慢してください。
(注:展覧会図録p.81~83に掲載の「ヴィーボルク市立図書館(ヴィープリの図書館)の歴史」によれば、①1935年に完成した図書館は1990年代末には修復が必要な状態だった。②1991年に修復委員会が発足したものの資金不足で修復工事は進まず、2009年の段階では完成までに半世紀を要すると考えられていた。③2010年にタルヤ・ハロネン=フィンランド大統領とウラジーミル・プーチン=ロシア連邦首相が合意して650万ユーロの資金が準備され、2011年に図書館を閉鎖して修復工事を開始。④2013年11月23日に図書館再開、とのことです。ネットの記事には、最終的な修復工事費は800万ユーロ(最近の為替レート・1ユーロ=128円で換算して10億2400万円)と書いてありました。フィンランド・ロシア両国に「この図書館は歴史的建造物だ」という認識があったのでしょうね。なお、アルミン・リンケの撮影は2014年。図書館再開の翌年でした)

◎マイ・レア邸
次の写真は「マイ・レア邸」です。マイ・レアはアアルトのお友達で、松林の中に自宅を建てました。アアルトは松林との調和を考えて設計しており、階段室を木の柱で取り囲むなど、木をいっぱい使っています。階段の手すりの曲線も美しいですね。

◎ニューヨーク万国博覧会・フィンランド館
次のコーナーは「ニューヨーク万国博覧会・フィンランド館」(1939)です。フィンランド館の外観はホワイト・キューブ=白くて四角い建物ですが、内部はオーロラのように波打つ、高さ12メートルの壁面です。壁にフィンランドの写真を展示し、その下にフィンランドの産品を陳列しました。このコーナーで映写しているのは「スオミ・コーリング=フィンランドが呼んでいる」という映像作品でシベリウスが音楽を担当。フィンランド館で上映していました。

◎アアルトのアートワーク
1階展示室出口の横に展示しているのはアアルトが制作したレリーフで、彼と親交のあった作家ジャン・アルプの影響を受けています。また、レリーフの前に展示しているのは形が自由に変わる衝立《フォールディングスクリーン 100》です。
(注:この解説を聴いた後、2階に移動しました。なお、1階と2階のエレベーターホールにはアアルトがデザインした《スツール60》を始めとする椅子が置かれており、椅子に座ることや写真撮影をすることができます)

◆2階展示室にて
◎アアルトがデザインした椅子《スツール60》
2階展示室はアアルトがデザインした椅子のコーナーで始まります。この中で代表的なものは3本脚の丸椅子《スツール60》です。《スツール60》は丸椅子のルーツで、「曲げ木」による「L-レッグ」という脚が特徴です。「L-レッグ」は一つの木材にスリットを入れ、そこに薄い板を挟んで曲げた脚です。
また、《スツール60》の隣に展示している椅子の脚は「L-レッグ」開発以前のもので、二つの木材を「組み継ぎ」で直角に接合しています。なお、「L-レッグ」は特許を取っています。
《スツール60》は座面と脚をネジで接合しているので簡単に分解できます。座面と脚、ネジを分けて梱包し、購入者が自分で組み立てるという販売方式を取りました。今では、コム・デ・ギャルソン等とコラボした《スツール60》も生産・販売しています。
アアルトは、自分がデザインした椅子の製造・販売会社アルテックを、友人とともに4人で立ち上げました。アルテック社はアルテック・ギャラリーを設けてフェルナン・レジェとアレクサンダー・カルダーの展覧会やポール・ゴーギャンの展覧会などを開催し、作家とのネットワークを作りました。展覧会の招待状も展示しています。正面の壁は《スツール60》を作っている様子と「曲げ木」を作っている様子を撮影した写真です。(注:このコーナーでは《スツール60》の製造工程を撮影した動画も見ることができます)

◎アアルトがデザインした椅子《アームチェア41 パイミオ》
 《アームチェア41 パイミオ》は「パイミオチェア」とも呼ばれる椅子で、パイミオのサナトリウムのためにデザインしたものです。この椅子の背もたれは、結核患者が楽に呼吸できる角度になっています。また、椅子の座面は合板製で、曲線を上手く使っています。

◎アアルトがデザインした椅子《リクライニングチェア 39》
 このリクライニングチェアの脚は「カンチレバー」(cantilever=片持ち梁)という構造で、U字型の脚です。前方の部材だけで重さを支えているので弾力性があります。後ろに支えるものがないので「大丈夫か」とも思いますが、ちゃんと計算して作っているので、安心して座ることにしましょう。

◎アアルトがデザインした照明器具
 壁際に並んでいるのは、アアルトがデザインした照明器具です。照明器具を吊るしている板をご覧ください。最初に持ち込まれた板は厚さが15センチもあり、とても重かったので別の板を用意して展示しました。

素敵な照明器具のもとで

素敵な照明器具のもとで


◎アアルトがデザインしたガラス器
 ここに展示されているのは《サヴォイベースの型》で、フィンランドの湖の曲線をイメージした花瓶を作るための型です。溶けたガラスに息を吹き込んで膨らませ、この型に入れて成型したのです。現在、イッタラ(iittala)でサヴォイベースを販売しています。
 隣に展示しているのは、アアルトの最初の妻アイノ・アアルトがデザインしたタンブラーです。アイノに先立たれたアアルトは、エリッサと結婚しました。

◎アアルトが設計した建物の模型、図面、写真と建築部材
 この写真は「アアルトの夏の家」で、エリッサと一緒に過ごした別荘です。「実験住宅」という名のように様々なタイルやレンガをモザイクのように組み合わせて使用し、部材がフィンランドの気候に耐えるかどうかを実験しました。建築部材が並んだ棚には「L-レッグ」、「Y-レッグ(2つのL-レッグを組み合わせたもの)」、「ドアハンドル」「棒状のタイル」「赤いレンガ」など、アアルトがデザインした建築部材を展示しています。
「サウナッツァロのタウンホール」では、議会ホール天井の梁の模型をご覧ください。「マルチビーム・バタフライ・トラス」という構造で、放射状に配置された沢山(たくさん)の梁で屋根を支えています。
(注:このほか、「ヴォクセンニスカの三つ十字の教会」「国民年金局」「フィンランディア・ホール」「スニラ・パルプ工場と住宅地区」「文化の家」などについて解説がありました。なお、建築模型の展示台には図面を収納した引き出しがあり、自由に閲覧することができました)

建築模型をのぞきながら

建築模型をのぞきながら


◆影の主役はアルミン・リンケ
本展は「ゆったりとした配置のおしゃれな展示」が印象的で、特に2階の椅子と照明器具の展示空間は気持ちよかったですね。また、アルミン・リンケが撮影した大画面の写真が数多く展示されており、建物の雰囲気を味わうことができました。確かに中村さんが指摘したように「建物の全体は分かりにくい」ものの、「建物の細部を切り取るように撮影」していて臨場感があります。表向きは「アルヴァ・アアルト展」ですが、影の主役はアルミン・リンケでした。

◆最後に
ギャラリートークが終わっても、参加者はなかなか美術館を後にしません。2階出口のショップで《スツール60》などのグッズを眺めている人が多かったのです。販売員が帰ってしまい、グッズ購入はできないのですが可愛い品物が沢山あって見飽きません。また、2階のロビー西側にはパイミオチェアなど数種類のアームチェアに座ることができるコーナーもあり、歩き疲れた参加者が交代で休んでいました。なお、「板張りのパイミオチェアよりも、ふかふかのアームチェアのほうが体は楽だ」というのが、大方の参加者の感想でした。
Ron.

わかりやすく解説してくださった中村学芸員、ありがとうございました!

わかりやすく解説してくださった中村学芸員、ありがとうございました!

「ザ ベスト セレクション」 ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor


名古屋市美術館で開催中の「ザ ベスト セレクション」(以下「本展」)のギャラリートークに参加しました。台風25号の進路によっては「中止」もあり得ましたが、台風は日本海を進み、当日は快晴。無事、開催されました。晴れ女(晴れ男?)さん、ありがとう。
担当は、保崎裕徳学芸係長(以下「保崎さん」)と角田美奈子学芸員(以下「角田さん」)。参加者は70人。参加人数は多いもののグループ分けはありません。会場がゆったりしており、ポータブルのワイヤレス拡声装置で隅々まで声が届くため、70人全員が一緒に動くこととなりました。壮観でしたね。
以下は、保崎さんによるギャラリートークの概要です。なお、(注)は私の補足。主な作品については作者名・作品名・制作年に加えて作品解説の「見出し」を記載しました。本展では「主要作品」と「知られざる傑作」に詳細で気の利いた解説が添えられています。解説本文は会場で見ていただくこととして、ここでは「見出し」だけを紹介します。

◆本展の概要など
◎名古屋市美術館の収蔵品は開館後30年間で6,278点に
名古屋市美術館は1988(昭和63)年4月22日に開館し、今年、開館30周年を迎えました。ただし、コレクションの収集は1983(昭和58)年から始めています。収集の結果、収蔵品の点数は2017(平成29)年度末の時点で6,278点となりました。収蔵品の点数は1998(平成10)年度末で2,106点、2008(平成20)年度末で4,332点ですから、10年間で2,000点ずつ増やした勘定になります。なお、厳しい財政事情のため2005(平成17)年頃から購入による収集が難しくなりました。最近の収集は、ほぼ寄贈によるものです。
「購入が難しい」と申しましたが、開館30周年を記念して団体・個人から寄付をいただき「夢・プレミアムアートコレクション」として藤田嗣治《ベルギーの婦人》を購入することができました。地下1階の常設展示室で公開していますので、お越しください。

◎「外せない作品」に「なかなか紹介されなかった作品」「知られざる傑作」を交えて展示
本展は開館30周年記念展なので「外せない作品」を展示することは当然ですが「なかなか紹介されなかった作品」「知られざる傑作」も交えて展示しました。
また、オーソドックスに「4つの収集方針」= ①エコール・ド・パリ、②メキシコ・ルネサンス、③郷土の美術、④現代の美術の順に、主に地元作家の作品を展示しています。

◆エコール・ド・パリ
(主な作品)
・マルク・シャガール《二重肖像》1924年
 二度目のパリで手にした穏やか日々、束の間の幸福を永遠に記録した傑作《二重肖像》。
・アメデオ・モディリアーニ《おさげ髪の少女》1918年頃
 おさげ髪の少女のモデルについて(本文より:日本人画家の平賀亀佑の妻、マリー?)
・キスリング《マルセル・シャンタルの肖像》1935年
 見よ、この眼力(めぢから)圧倒的な存在感!画家はモデルの魅力のとりことなった。
・モーリス・ユトリロ《ノルヴァン通り》1910年
あの場所は今?ユトリロが描いたパリ、ノルヴァン通り。
・ハイム・スーチン《農家の娘》1919年頃 → 代替品《鳥のいる静物》
(ギャラリートーク)
エコール・ド・パリは1927年にフランスに渡った地元作家・荻須高徳(おぎす・たかのり)に関係するコレクションです。荻須高徳と同時代のエコール・ド・パリの作家、シャガール、スーチン、モディリアーニ、キスリング、ユトリロなどの作品を展示しました。
キスリング《マルセル・シャンタルの肖像》は2001年に購入。エコール・ド・パリのタブローとしては、これが最後の購入品でした。藤田嗣治《ベルギーの婦人》はそれ以来、十数年ぶりに購入できた作品です。マルク・シャガール《二重肖像》は高すぎて購入できないため、中部電力株式会社が買い上げ、名古屋市に寄贈された作品です。
ハイム・スーチン《鳥のいる静物》は作品リストにはありません。リストには《農家の娘》が掲載されています。ランス美術館に貸し出されていたのですが、台風21号で関西空港が被害を受け、搬入が遅れています。10月下旬から11月初旬には展示できると思います。
アメデオ・モディリアーニ《おさげ髪の少女》は1986年に購入した作品。3億6千万円の価格は当時の日本の公立美術館で最高の購入金額でした。しかし、1989年に大阪市がモディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》を、1990年に愛知県美術館がグスタフ・クリムト《人生は闘いなり(黄金の騎士)》を購入するなど《おさげ髪の少女》を上回る高額な絵画の購入が相次ぎ、《おさげ髪の少女》の記録は抜かれました。(注:角田さんから「《黄金の騎士》は《おさげ髪の少女》より、うんとサイズが大きい(ので比べものにならない)」という声がかかりました)
モーリス・ユトリロ《ノルヴァン通り》は1992年に購入した高額作品です。(注:購入契約にあたり市議会の議決が必要な価格(八千万円)を超える収蔵品は《おさげ髪の少女》と《ノルヴァン通り》の2点のみです。《二重肖像》は高額作品ですが、寄贈なので市議会の議決は不要でした)

◆メキシコ・ルネサンス
(主な作品)
・岡本太郎《明日の神話》1968年
 《明日の神話》下絵の寄贈と修復 (本文:日系移民 小栗順三氏のメキシコの自宅)
・フリーダ・カーロ《死の仮面を被った少女》1938年
 人の心を打つ作品と人生 日本でフリーダの絵が見られるのは名古屋市美術館だけ。
・マリア・イスキエルド《旅人の肖像(アンリ・ド・シャティヨンの肖像)》1935年
 シュールとは夢ではない、それはもう一つの確かな表現なのだ。
・ダヴィッド・アルファ・シケイロス《奴隷》1961年
 獄中でほとばしる想像力。 シケイロスの熱いメッセージ
(注:「《奴隷》裏面のシケイロスによる文章(要約)」も掲示されています)
(ギャラリートーク)
岡本太郎《明日の神話》は高さ5.5メートル、長さ30メートルの巨大な壁画で、2008年からJR山手線渋谷駅と渋谷マークシティーの京王・井の頭線渋谷駅を結ぶ連絡通路に展示されています。これは1968年にメキシコ市のホテルに飾る壁画として依頼されたもので、岡本太郎は大阪万博の《太陽の塔》と並行して制作していました。
本展に展示しているものは、その下絵。メキシコ市のホテルのオーナーに岡本太郎を紹介した日系移民の小栗順三氏の自宅に保管されていたものです。1999年に「下絵がある」という情報提供があり、小栗順三氏の奥さんのふじ子氏(順三氏本人は既に死亡)と岡本太郎氏の幼女・岡本敏子氏の連名で名古屋市美術館に寄贈されたものです。個人の住居に保管されていたことから作品には亀裂や絵の具の剥落があり、寄贈を受けた後に修復を施しています。寄贈までの経緯については「アート・ペーパー」49号と50号に山田諭氏が、修復の経緯については「紀要」11号に角田美奈子氏が寄稿しています。
メキシコ・ルネサンスの展示にフリーダ・カーロは欠かせませんが、イスキエルドの作品も紹介したいと思い、展示しました。シケイロスは、作品の裏面に書かれたメッセージも紹介したかったので、特別な展示方法をしています。(注:表・裏の両面を見ることが出来るよう、通路の中央に台を置いて展示しています。作品の裏(メッセージが書かれている面)にはアクリルカバーがあるのに、表(絵が描かれた面)にカバーはありませんでした。なお、本展の展示作品には、全て保護カバーがありません。なので、照明などの映り込みを気にすることなく鑑賞できます)
メキシコでは1910年に革命が始まりました。戦争終結後の1920年当時、メキシコの民衆(メスティーソ)の80パーセントは文字が読めないという状況だったため「メキシコの歴史や将来ビジョンを示す」という目的で壁画運動が始まりました。多くの人がメッセージを受け取ることができるよう、大きな画面に分かりやすい絵画が描かれました。シケイロス、リベラ、オロスコの三人が代表的な作家です。

作品を囲んでの解説

作品を囲んでの解説

◆郷土の美術
◎東山動物園猛獣画廊壁画
・太田三郎《東山動物園猛獣画廊壁画 No.1》1948年
・水谷 清《東山動物園猛獣画廊壁画 No.2》1948年
・宮本三郎《東山動物園猛獣画廊壁画 No.3》1948年
(ギャラリートーク)
この3点は1997年に収蔵して以来、一度も展示したことがない作品です。傷みがひどいためこれまで展示を見送ってきました。本展では「貴重な作品だ」というメッセージを伝えるため、やむなく修復されていない状態で展示しています。
第2次世界大戦中、軍から猛獣を処分するよう指示が下され、東山動物園ではヒグマを毒殺、ライオンを絞殺しました。その後、射殺や食料不足、暖房不足などにより猛獣は激減。戦後、動物園を再開した時、動物30頭ほどという状態でした。(注:ゾウ2頭については、有名な「ぞう列車」のお話がありますね)
そのため、1948年中京新聞社が3人の画家に動物の生態を描いたジオラマの制作を依頼。旧カバ舎を「猛獣画廊」としてジオラマを展示することになりました。作品の解説には「猛獣畫廊」開きの式の模様を伝える紙面のコピーも掲げています。
東山動物園猛獣画廊壁画は、美術が社会の役に立った貴重な事例として展示しました。次に展示できるのが何時になるのかは分かりません。

◎郷土の日本画
(主な作品)
・渡辺幾春(わたなべ・いくはる)《若き女》1922年
 浮世絵好きの作者だからこそ描ける、センチメンタルなムード。
・喜多村麦子(きたむら・ばくし)《暮れ行く堀川》1929年
 あの場所は今? 喜多村麦子が描いた堀川。
・横山葩生(よこやま・はせい)《磯》1934年 (注:解説なし)
・大島哲以(おおしま・てつい)《終電車》1967年
 半獣半人たちの奇怪な行動。終電車は何処へ行く。
(ギャラリートーク)
 日本画の部屋は作品保護のために暗くせざるを得ません。暗い中でも作品が見やすくなるよう、照明にこだわりました。白いLEDを何本も使っています。
 大正時代の渡辺幾春、横山葩生は、いずれも帝展入選作です。喜多村麦子の《暮れ行く堀川》には木橋を描いたものと石橋を描いたものがあります。これまでは木橋を描いたものを展示することが多かったのですが、本展では石橋を描いたものを展示しています。昭和初期の制作ですが、大正前期の風景を描いたものです。洋画の部屋に展示している西村千太郎《納屋橋風景》は昭和初期の風景ですから、二つの作品の風景には15年の開きがあります。
 展示ケースには川合玉堂と戦後の前衛的な日本画・中村正義、星野真吾らの作品が同居しています。作品の傾向が全く異なるので、その間をカーテンで仕切りました。
 大島哲以は名古屋市生まれの日本画家です。金属の箔を貼った上から、体は人で頭が鳥の女たちと、体は人で頭が山羊の男たちを描いています。終電車の中なのに、七輪でカエルを焼く女がいて、煙が車内に充満しています。また、上からはアリナミンの瓶から錠剤が、コーラの瓶から液体がこぼれています。花鳥風月ではなく社会風刺を主題にした作品です。
 前衛的な作品の次には、前田青邨、平松礼二、田淵俊夫の作品を展示しました。
(注:中村正義や前田青邨、平松礼二、田淵俊夫の作品には「解説」がありません。「良く知られた作家や作品には、通常の展示と同様に解説はつけない」ということのようですね)

◎郷土の洋画
(主な作品)
・横井礼以(よこい・れいい)《蜜柑を持つK坊》1922年
 着物に前掛け姿のK坊 フランス流のモダン・スタイルで登場。
・西村千太郎《納屋橋風景》1930年
 まるで名古屋の「セーヌ河畔」。ハイカラな名古屋の一面を捉えた《納屋橋風景》。
・市野長之助《バザーの楽器店》1929年
 明治44年、栄にできた ショッピング・モール、「中央バザー」。
・宮脇晴(みやわき・はる)《夜の自画像》1919年
 この時、なんと17歳。名古屋市立工芸学校在学中の宮脇晴。
・遠山清《マノハラ水浴》1927年
 洋画で「仏画」を描く斬新な試み。描いたのは新明小学校の先生。
・富澤有為男(とみざわ・ういお)《姉》1928年
 帝展入選者にして芥川賞作家、富澤有為男の稀有な才能。
(ギャラリートーク)
 洋画の部屋では主に、脚光を浴びていない作家・作品を紹介します。
 宮脇晴は17歳の時の日記に「夜、自画像を描く」と書いているので17歳の時の作品だと思われます。なお、彼は翌年、帝展に初入選しています。
 これまで、郷土の美術では主に「愛美社」「サンサシオン」の作家を紹介しており、横井礼以や彼が創設した緑ケ丘中央洋画研究所で学んだ西村千太郎、市野長之介はあまり取り上げていません。横井礼以《蜜柑を持つK坊》はフォーヴィスム風。西村千太郎《納屋橋風景》は佐伯祐三風で大正モダンの雰囲気があります。《納屋橋風景》で、西村千太郎は「パリのように見せる」ために、あったはずのバルコニーを隠すなどの工夫を施しています。バルコニーの外にはどんな工夫をしているでしょうか。(注:質問に答えて「電線がない」との声がありました)その通りです。外には、市電の線路も隠しています。市野長之助が描いたショッピング・モール「中央バザー」は現在の名古屋三越の北側にありました。
 遠山清は、帝展入選を目指した同人「サンサシオン」加わっていた画家で、《マノハラ水浴》はテンペラで描いた仏画です。「他人と同じことをしていては目立たない」と思って描いたのでしょうか。
 富澤有為男《姉》は水彩画のように見えますが、油絵です。彼は東海中学校卒業時に「文学」を目指しましたが父親は反対。母親が出した妥協案が「絵画」でした。母親の従妹に洋画家の岡田三郎助がいたことから東京美術学校に通うことになったのですが、半年で退学。新愛知(中日新聞の前身の一つ)の記者となりましたが、その後、記者をやめて上京し、「文学」と「絵画」の二足の草鞋を履きます。「サンサシオン」の会員となって展覧会に出品。1929年から1930年までフランスに留学して絵画を学んだものの留学先のパリでは映画が大流行で「絵画は時代遅れ」と思ったため、帰国後は小説を執筆。ただ、第4回芥川賞(注:正式には「芥川龍之介賞」)を受賞した小説「地中海」の主人公は画家で舞台はパリと南フランス。留学経験は小説に生かされたようです。

◆現代の美術
(主な作品)
・河原温《カム・オン・マイハウス》1955年、《私生児の誕生》1955年
 時代の閉塞感が画面を歪める?!戦後の日本社会を鋭く見つめた、若き日の河原温。
・桑山忠明《無題》1965年
 アメリカ現代絵画の第一線で活躍する桑山忠明 大学時代は意外にも日本画専攻。
・荒川修作《35フィート×7フィート6インチ、126ポンド No.2》1967-68年
 10.7m×2.3m、47kg。タイトルの数字が意味するものは?
・赤瀬川原平《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》1963年
 旭丘高校美術科出身、前衛画家赤瀬川原平の渾身の力作 130倍に拡大模写した千円札。
・藤本由紀夫《TABLE MUSIC》1987年
 《TABLE MUSIC》の鑑賞方法
 ① この作品には触ることができます。やさしく触れてください。
 ② 巻ききらないよう注意しながら、お好みのネジを巻いてください。
 ③ 新しくできあがる音楽に耳を傾けてください。
(ギャラリートーク)
名古屋市美術館で現代美術の主要作家は郷土出身の河原温、荒川修作と桑山忠明です。また、荒川修作と旭丘高校美術科の同級生・赤瀬川原平の作品も収集しています。赤瀬川原平は尾辻克彦のペンネーム(注:本名は赤瀬川克彦)で執筆した「父が消えた」により芥川賞(注:1980年下半期の第84回芥川賞)を受賞しています。名古屋市美術館が作品を収蔵している作家のうち、何と2名が芥川賞を受賞しています。
河原温は「Todayシリーズ」が有名で、どの美術館も収蔵しています。なので、本展では河原温がニューヨークに渡る前の1955年に描いた「変形キャンバス」の《カム・オン・マイハウス》と《私生児の誕生》を展示しました。「変形キャンバス」の作品は、名古屋市美術館以外では東京国立近代美術館が《孕んだ女》を、大原美術館が《黒人兵》を所蔵しています。《カム・オン・マイハウス》の画面中央に逆さまになった女性が描かれています。よく見ると女性は右腕を伸ばしてビンをつかんでいるのですが、手の平は左手のもの。ビンの中身が上手く注げません。大原美術館所蔵の《黒人兵》と合わせてみると、戦後の社会問題に対して鋭い批判を投げかけていたことが分かります。
 荒川修作の作品は何回も展示しているので今回は解説しません。桑山忠明《無題》は「システミック・ペインティング展」出品作で、クールな抽象画。歴史的価値のある作品です。
藤本由紀夫は名古屋生まれの作家で《TABLE MUSIC》は常設展に2回ほど展示しています。18個のオルゴールを取り付けたテーブルです。(注:オルゴールは金属の円筒に取り付けられたピンが、長さの違う櫛状の金属版(櫛歯)を押し上げて弾くことにより曲の演奏を行う装置です。櫛歯の一本一本が一つの音階に対応しています)18個のオルゴールは、それぞれが一つの音程しか出せないように、他の櫛歯を折り曲げています。運よく18個のオルゴールが全て同調すれば「枯葉:英語”Autamn Leavs”、仏語 “Les Feuilles Mortes”」が演奏されますが、ほとんどの場合は別の曲になります。

◆最後に
 参加者からは「こんな作品があるなんて知らなかった」「名古屋市美術館のコレクションの質の良さを再認識した」「こんなに面白いなら、これからも定期的にベスト・セレクション展を開催してもいいのではないか」「東山動物園猛獣画廊壁画は素晴らしい。修復費用を夢・プレミアムアートコレクションで集めてはどうか」などの声が聞かれました。
 「常設展の延長だから」と、あまり期待していなかった人が多かったようですが、予想は大きく外れ「見ごたえのある展覧会」となりました。展示室を歩くと微かに《TABLE MUSIC》の演奏が聞こえるのも、心地良いバックグラウンド・ミュージックです。
 地下1階では「名品コレクションⅡ」が同時開催されています。今回のギャラリートークでは鑑賞できませんでしたが、「名品コレクションⅡ」では「エコール・ド・パリ」の女性像ばかり集めるなど面白い展示があります。「ザ ベスト セレクション」と「名品コレクションⅡ」は「二つでひとつ」。二つ合わせて鑑賞することをお勧めします。
 常設展示室3で開催中の「名古屋市庁舎竣工85年 建築意匠と時代精神」も「一見の価値あり」です。
Ron.

「至上の印象派」ギャラリートーク(後編)

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

ギャラリートークの様子

ギャラリートークの様子


◆2階展示室における深谷副館長の解説
◎第1章 肖像画
本展の壁の色、章立てはビュールレ財団からの指示に従っています。2021年に公開予定のビュールレ・コレクションも本展の章立てをなぞるようです。第1章の壁の色は赤で、最初の作品はアンリ・フォンタン=ラトゥール《パレットを持つ自画像》。年代順に並べるなら、ハルス《男の肖像》が最初の作品になるはずなのですが、そうではありません。なぜか、それはビュールレ財団からの指示に従ったからです。指示は「左右対称が重要。年代順にはこだわらない」というものでした。
アングルの作品が並んでいます。《イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像》は細部まで克明に描かれていますが隣の《アングル夫人の肖像》は質感表現が十分ではありません。未完成のような絵ですが、それが、むしろ《アングル夫人の肖像》を生き生きとした作品にしています。

◎第2章 ヨーロッパの都市
第2章と第3章の壁の色は濃い緑色。ヨーロッパの都市、ヴェニス、ロンドンとパリの風景を描いた作品です。室内の真ん中の2点、カナレット《カナル・グランデ、ヴェネツィア》と《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア》はビュールレ美術館の写真と同じように並んでいます。
グランドツアーは貴族の子弟が行った、長期間をかけてヨーロッパの名所旧跡を回り見分を広めた大旅行で、その記念品・お土産として克明かつ緻密に描かれた風景画が描かれました。

◎第3章 19世紀のフランス絵画
第3章には1870年代のマネの作品が3点並んでいます。マネは印象派展には参加しませんでしたが、印象画風のテーマ・タッチに変わっていくのが分かります。

◎自由観覧 18:10頃~30
第4章の壁の色は薄い緑色。
縦長のマネ《ベルヴュの庭の隅》と横長のモネ《ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑》《ジヴェルニーのモネの庭》の3作が並んでいるのを見ると、一瞬、「同じ作者の作品か」と感じました。よく見ると、何か違っています。しかし、違いをうまく指摘するのは難しい。……

◆1階展示室における深谷副館長の解説
◎第5章 印象派の人物-ドガとルノワール
 第5章も壁の色は薄い緑色。
ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》を見てください。顔は滑らかで筆跡がありません。一方、衣装には筆跡が残っています。
この絵はダンヴェール家の庭=屋外で描いたにしては光が均一に回っています。この絵では、ルノワールの作品によくある「木洩れ日表現」はしていません。光が良く回っており、古典的な表現がされています。

◎ドガ《14歳の小さな踊り子》
この彫刻、オリジナルはワックス=蝋。ワシントン・ナショナルギャラリーが所蔵しています。展示しているのはブロンズ像で、10点ほど制作されたうちの1点です。
オリジナルの彫刻は、1881年、第6回の印象派展に出品されました。出品時、ワックスで制作した本体は胴衣、スカート、トゥシューズ、ソックスを身に着けていました。この試みに対し、当時の評価は二分。「彫刻の基本から外れる」として反対する意見とドガの意図に賛成する意見に分かれました。

◎第6章 ポール・セザンヌ / 第7章 フィンセント・ファン・ゴッホ
第6章と第7章の壁の色は黄土色。
セザンヌとゴッホはそれぞれ、一人に1章が配分されています。これは、ビュールレ・コレクションがこの二人を大切にしていることの現れです。各章とも6点の作品だけで、それぞれの作家の変化が分かるようになっています。

◎セザンヌ《赤いチョッキの少年》
国立新美術館で好きな作品のアンケートを取ったところ、第1位はルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》、第2位はカナレット《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア》で《赤いチョッキの少年》がベスト10にも入っていないのは意外でした。
作品をよく見ると、右腕は白を塗り重ねて前に出てくる感じです。一方、左腕は暗く奥まって見えます。立体感がよく出ています。

◎ゴッホ《日没を背に種まく人》
本日、午後2時からの特別講演会で大原美術館・高階館長が「ゴッホの《日没を背に種まく人》はミレーの宗教的主題を引き継ぐ「聖なるもの」を描いた作品で、黄色い太陽は光背を表す」と話されましたが、私もゴッホの作品は宗教絵画だったと思っています。彼の作品は信仰告白につながっています。

◎第10章 新たなる絵画の地平
第9章と第10章の壁の色は白。第10章はモネ《睡蓮の池、緑の反映》だけを展示しています。大作であること、その後の絵画につながる作品であることから最後に置かれています。

◎自由観覧 18:40頃~19:00
セザンヌの作品の前で、ある参加者が「昔、セザンヌのどこが良いのか分からなかったけれど、最近、セザンヌはすごい、と思うようになってきた」と話しているのを聞いて、深谷副館長が「よかったですね」と声をかけてくれました。
ルノワールの絵にはサービス精神があるので万人向きですが、セザンヌの絵は求道者のようで、玄人受けはしますが初心者にはとっつきにくいですね。《扇子を持つセザンヌ夫人の肖像》も存在感はあるのですが「もう少し美人に描いてあげたら」と同情します。ただ、セザンヌ本人は「万人受け」することを微塵も考えていなかったことは確かです。
ゴッホ《アニエールのセーヌ川にかかる橋》の前で、ある参加者が「汽車の動き、川面の青がきれいで、紅一点の女性が画面を引き締めていますね」と感想を漏らしていました。私もこの感想に同調、作品を眺め直しました。仲間内の鑑賞会なので、あまり気兼ねせずにおしゃべりできるのもギャラリートークの魅力です。

深谷副館長

深谷副館長


 
◆最後に
 ギャラリートークを終えて名古屋市美術館を後にする参加者は、どなたも笑顔でした。また、「どの作品も質が高くて、満足しました」という声も聞かれました。参加者数が多いので解説の声が届かなかったらどうしようかと心配しましたが、ポータブル・アンプのおかげで参加者が多くても参加者の隅々にまで声が届き、杞憂に終わりました。
2時間もの長時間にわたりギャラリートークに協力していただいた深谷副館長はじめ名古屋市美術館のスタッフの皆さま、ありがとうございました。
本展で気がかりなのは猛暑。熱中症の予防はもちろんですが、外気の気温と美術館展示室内の室温との差が大きいので「寒さ対策」もお忘れなく。
Ron

会場にて「inferno」 解説してくださった特別主任学芸員の北川智昭さん、ありがとうございます 2018ArtLabTokyoここにもアートラボ 石切り場 前室にて 音のアーキテクチャ トンネルでピクニック 佐川美術館 ギャラリートークの様子 展示会場で話をきく会員たち 泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの