「グランマ・モーゼス展」 協力会向け解説会

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館では「生誕160年記念 グランマ・モーゼス展―素敵な100年人生」(以下「本展」)を開催中です。先日、名古屋市美術館協力会向けの解説会が開催され、参加者は〇人でした。2階講堂で井口智子学芸課長(以下「井口さん」)の解説を聴き、展示室に移動して自由観覧後、解散となりました。

◆2階講堂

○解説(16:03~17:05)の概要

・はじめに

本展は大坂・あべのハルカス美術館から始まりました。大阪では緊急事態宣言が発出され、美術館も臨時休館となった時期がありました。名古屋では何事もなく、全期間を通して開催されることを願っています。

・本展の構成

 本展は4章で構成されています。第1章「アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス」は展示室の壁が藤色で塗られています。藤色は彼女が好きだった色です。第2章「仕事と幸せ」は黄色、ハッピー・カラーです。明るい色なので、来館者からは「屋外にいるような感じ」という感想を聞きました。第3章「季節ごとのお祝い」は緑色。第4章「美しき世界」はサーモン・ピンク、これも彼女が好きな色です。

 本展では、彼女の絵画だけでなく、アルバムや愛用品、手作りのキルトのほか映像も見ることができます。

・グランマ・モーゼス(アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス)は、どういう人?

彼女は1860年9月7日に、アメリカ・ニューヨーク州グリニッチ (Greenwich) で生れました。アメリカ東海岸、ニューヨークの北が彼女の「ゆかりの地」です。12歳の時家を出て、ウエスト・ケンブリッジ (West Cambridge) の家庭で、住み込みで働き、27歳でトーマス・サーモン・モーゼスと結婚。結婚後は、南部のウエストバージニア州に引越して、シェナンドア渓谷近くの農場主から農場と家畜を手に入れ新生活をスタート。10人の子どもを授かりますが、4人は死産、1人は生後間もなく死去。彼女が45歳の時に、ニューヨーク州・イーグル・ブリッジ (Eagle Bridge) に戻り、70歳を過ぎてから独学で絵を描きはじめました。彼女は美術教育を受けたわけではありません。グランマ・モーゼスは「モーゼスおばあさん」という愛称です。彼女は農業を営み、家族を育てるなかで絵を描いていました。地元のフージック・フォールズ (Hoosick Falls) のドラッグ・ストアに作品を置いていたところ、アマチュアのコレクターが店に来て彼女の作品を発見したことから、彼女の作家人生が始まりました。

・第1章の作品・資料の解説(注:数字は、本展の作品・資料番号)

1.《グランマ誕生の地》(1959):水車小屋、花、家などが描かれた、記憶の中にある場所、記憶の中にある思い出を描いています。

13.《グリニッチへの道》(1940):記憶の中にある、彼女の父親が所有していた農場の風景です。1940年には、既に第二次世界大戦(1939~45)が始まっていました。彼女の作品の多くは、第二次世界大戦後に広く紹介されます。彼女の絵は複製品として商品になり、家庭に届きました。アメリカの人々にとって、彼女の絵は、協力して支え合うこと、大地への感謝、誰の心の中にもある幸せを表現するものでした。彼女の絵は、郷愁を感じさせるだけでなく、幸せを呼び起こしてくれる力を持っています。

2.《冬のネボ山農場》(1943):結婚後、一家がニューヨーク州に戻ってから暮らした農場の風景です。「ネボ山」は旧約聖書に登場するモーゼ (Moses) にゆかりのある山の名前です。モーゼス (Moses) 一家は南部にいたときから、同じ綴りの「モーゼ」に因んで、自分たちの農場を「ネボ山農場」と呼んでいました。展示室では、白い雪のなかに描かれた白い建物をよく見てください。陰影法や遠近法にはこだわらず、遠景から近景までの全てにピントが合った絵です。

3.《丘の上のネボ山農場》(1940:毛糸の刺繍):彼女は、絵を描く前は刺繍で風景を描いていました。刺繍は幼いころから習っていましたがリウマチが悪化したため刺繍を続けることが難しくなり、絵を描き始めました。

4.《ファイヤーボード(暖炉の覆い)》(1918):部屋の模様替えをするときに壁紙が足りなかったので、暖炉の覆いとして使っていた板に紙を貼って描いた絵です。彼女の絵の出発点は、生活を豊かにするために描いた、手芸のような絵です。

11.《フージック・フォールズ、ニューヨークⅡ》(1944:SOMPO美術館):フージック・フォールズのドラッグ・ストアで、彼女の作品がアマチュアのコレクター・カルドアの目にとまりました。カルドアの仲介で彼女が、画廊を経営するオットー・カリアーという人に出会ったことから、84歳の新人アーティストが誕生しました。

6.《守護天使》(1940以前:グリーティングカードを模写):1940年に開催された彼女の初めての個展『一農婦の描いたもの (WHAT A FARM WIFE PAINTED) 』に出品した作品です。本展では、お手本にしたグリーティングカードと並べて展示していますので、お手本をもとにして彼女がどのように自分の個性を出したのか、見比べてください。

18.《気球》(1957):オットー・カリアーの依頼で描いた作品です。描写は稚拙で素朴ですが、気球を見ている人の気持ちが伝わってきます。アメリカ人なら共感できる絵です。

15.《窓ごしに見たフージック谷》(1946):彼女が寝室から見た風景です。彼女は絵を描くとき「窓を想像して風景を切り取る」と言っていますが、この作品では窓だけでなくタッセル(カーテンの房飾り)も描いています。

19.《フォレスト・モーゼスの家》(1952):息子のフォレストとロイドが彼女のために建てた家です。彼女は、亡くなるまでの10年間、この家で息子のフォレスト夫妻や娘ウィノーナと暮らした後、フージック・フォールズのヘルス・センターに移り、101歳で亡くなりました。

M-3『私の人生 (My Life’s History) 』(1952):オットー・カリアーの勧めで出版した自伝で、ベストセラーになります。日本でも1983年に『モーゼスおばあさんの絵の世界-田園生活100年の自伝』として未来社が出版し、1992年には新刊が刊行されています。

・第2章の作品解説(注:数字は、本展の作品番号)

21.《干し草作り》(1945):人物だけでなく、動物も丁寧に描いています。

26.《洗濯物をとり込む》(1951):雨が降ってきて、洗濯物をとり込む情景ですが、のんびりしたムードの日常風景でもあります。

36.《村の結婚式》(1951):本展のメイン作品のひとつで、日本初公開です。新郎新婦と同じような服装の男女が何組も描かれているので「集団結婚式」のように見えてしまいます。モーゼスは自立心あふれる女性で、結婚後も共働きで「一つのチーム」のようでした。展示室入口ホールの壁に、この絵を引き伸ばして貼っているので、記念撮影ができます。

37.《農場の引っ越し》:本展のチラシに使った作品です。彼女が45歳の時、ニューヨーク州へ引越しする様子を描いています。

38.《そりを出す》(1960):何と、100歳の時の作品です。冬の景色ですが、暖かさがあります。

・第3章の作品・資料の解説(注:数字は、本展の作品・資料番号)

48.《シュガリング・オフ》(1955):サトウカエデの樹液を煮つめてメープルシロップを作る作業を描いた作品で、赤や緑などの色彩の使い方がうまく、手芸的な要素もあります。絵と同じようなポーズの人物を写した写真は、雑誌や新聞の切り抜きです。彼女はこういった写真を参考にして絵を描いていました。

30.《訪問者》(1959):彼女が99歳の時の作品で、パッチワーク・キルトのように描いています。

33.《キルティング・ビー》(1950):沢山の人が集まって、キルティングをしている絵です。キルティングだけでなく、メイプルシロップやアップル・バターなどの食べ物や人物のファッション、動物など様々なものに視点を向けて描いています。

Ⅿ-26.《手作りのキルト》(1961以前):本展では、手作りのキルトも展示しています。

Ⅿ-13.《絵を描くための作業テーブル》(1773-1920):彼女は板に絵を描くことが多かったようです。

Ⅿ-27.『クリスマスのまえのばん (The Night Before Christmas) 』(1962刊):以下の3作品は、The Night Before Christmasの挿絵原画です。残念ながら、彼女は本が刊行される前に亡くなりました。60.《サンタクロースⅠ》(1960)、61.《サンタクロースを待ちながら》(1960)、62.《来年までさようなら》(1960)。

・第4章の作品解説(注:数字は、本展の作品番号)

77.《美しき世界》(1948):「どんな絵がいちばん好きですか?」とインタビューで聞かれた時、モーゼスは「きれいな絵」と答えています。

80.《虹》(1961):彼女の最後の作品です。

〇自由観覧(17:05~18:05)

 井口さんの解説を聴いた後、1階に移動。作品リストをもらい、各自、自由鑑賞となりました。展示室で作品を見て感じたことは、①「何を描いているか、すぐわかる」ということと、②「色彩がきれいだ」ということです。陰影法や遠近法にはこだわっていませんが、細い線で丹念に「色彩豊かで、きれいな絵」を描いています。井口さんが解説されていたように、「幸せを呼び起こしてくれる」絵ばかりでした。

・紅白の市松模様の家

第2章の最後の方に、外壁が紅白の市松模様の家を描いた作品が2点、並んでいました。ひとつは40.《古い格子縞の家、1860年》(1942)。もうひとつは41.《古い格子縞の家》(1944:SOMPO美術館)です。解説には「グランマ・モーゼスはすでに失われていたこの家を1941年から20年近くに渡り繰り返し描きました」と書いてあります。作品をチラッと見ただけでも描かれた建物に惹きつけられるのですから、彼女が繰り返し描くほど強く「格子縞の建物」が記憶に焼き付けられたのも、納得です。

・複製品の数々

 井口さんの解説に「彼女の絵は複製品となり、家庭に届きました」という一節があります。展示室2階の最後のコーナーには、彼女の絵を描いたティーポットやボールのほか、平皿、クッキー缶、スカーフ、ジグソーパズルなどが展示されています。赤や緑の色彩が鮮やかなので「さぞ、人気があったのだろうな」と思いました。

・アップル・バター

 第3章に、51.《アップル・バター作り》(1947)という作品がありました。解説には「リンゴとリンゴ果汁を火にかけてバター状になるまで煮詰める」と書いてあります。「リンゴ・ジャムみたいなものですか」と井口さんに尋ねたところ「ジャムよりも濃厚で、おいしいですよ」とのこと。解説会に参加した会員から「大阪会場ではアップル・バターを売っていた」という話があったのでグッズ売り場に行くと、アップル・バターが陳列されていました。商品説明によれば「長野産の完熟リンゴ1㎏を煮つめて、シナモンで仕上げたペースト」で、一瓶155g・1,300円(税込)とのこと。残念ながら店が閉まっていたので、購入は出来ませんでした。

 ネットで調べると「アップルバターの作り方。青空レストランで話題のりんごバター。-LIFE.net」というページがヒット。製法は「リンゴをくし形に切って、焦げ付かないように鍋で煮る」。本展解説との違いはリンゴ果汁を使うかどうかだけなので、ほぼ同じです。リンゴが出回れば、家庭でも作ることが出来そうですね。

〇最後に

・グランマ・モーゼスが生まれた1860年9月7日、日本の暦では万延元年7月22日

グランマ・モーゼスが生まれた1860年は日本の幕末。ネットで日本の暦を調べると1960年9月7日は万延元年7月22日に該当します。そして、1860年3月24日(安政7年3月3日)には「桜田門外の変」が起きていました。蛇足ですが、彼女が亡くなった1961年には、坂本九「上を向いて歩こうが」のレコードが発売され、大ヒット。彼女生きた100年の間、日本は激動のなかにあったことを再認識しました。

・グランマ・モーゼスが国民的画家になった背景(解説をうまく要約できませんでした。半分は私の解釈です)

18世紀から19世紀にかけてのアメリカでは、独学で絵を描くようになった人でも、上手ければ肖像画を描いて収入を得ることができました。しかし、写真の登場で肖像画家は消えます。それでも「趣味で絵を描く人」は残っていました。1930年代のアメリカでは「アメリカの美術」を探していたことから、「独学の画家」が描く素朴な美術が注目されるようになります。しかし、1940年代後半になると「独学の画家」では国際的な評価は得られないことから、前衛芸術や抽象芸術がアメリカ美術界の主流となっていきました。このように「独学の画家」たちが美術界から忘れられていく一方で、グランマ・モーゼスの人気は衰えませんでした。それは、①彼女の描く世界が大衆に共感されるものであったことと、②彼女が「70歳代のおばあさん・一農婦」であると表に出すことで、「女性」の成功者が名声を得ることを妨げてきた障害(社会の反発)を回避できたからです。

・モンドリアン展との関係を考える

2021.04.03付「日本経済新聞」に掲載された「モンドリアン展」の記事は、下記のように書いています。

〈モンドリアンは戦火が迫るパリを再び離れ、ロンドンを経て、40年に米国に移住する。多くの芸術家が米国に亡命していたが、雑誌「フォーチューン」は41年の特集「12人の亡命美術家」の冒頭にモンドリアンを取り上げた。新造形主義やタイポグラフィーや建築、工業デザインに広く影響していることを紹介している。第二次世界大戦後の米国では、米国独自の、新しい美術を確立する動きが生まれていた。そうした動きにモンドリアンの打ち立てた抽象絵画はよく合った。米国の美術家たちはモンドリアンを時に否定し、意識的に距離を置こうとしつつも、それを土台に新しい美術を模索していった。〉(引用終り)

つまり、モンドリアンは、1940年代後半からアメリカ美術界の主流になっていった美術家たち(マーク・ロスコ(1903-1970)、バーネット・ニューマン(1905-1970)、ウィレム・デ・クーニング(1904-1997)、ジャクソン・ポロック(1912-1956)などか?)に大きな影響を与えたというのです。

グランマ・モーゼス自身は、前衛芸術や抽象芸術とは縁のない世界を生きた画家ですが、彼女が「前衛芸術や抽象芸術がアメリカ美術界の主流となっていったアメリカの中でも人気が衰えなかった」という事実について考えるためには、彼女の作品の対極であるモンドリアンの抽象画や抽象表現主義について知ることも必要なのかな、と思いました。

・モンドリアン展・ミニツアーについて

7月25日の解説会で、協力会の人から「協力会主催のモンドリアン展ミニツアーを2021.08.29に開催する予定」という話を耳にしました。午前10時から学芸員さんの解説を聴いた後、展覧会を鑑賞するようです。決定すれば、協力会から「お知らせ」があると思います。楽しみですね。

Ron

ランス美術館コレクション展解説会

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

4月18日日曜日、朝から不安定なお天気のもと、名古屋市美術館協力会会員向けのランス美術館展解説会が開催されました。

参加した会員たちは、講堂に集まって、担当学芸員の勝田琴絵さんの解説を静かに傾聴しました。

ランス美術館は、コロー作品を多数所蔵しており、その数はルーブル美術館に次ぐものだとのこと。今回は、ランス美術館が大規模な改修を行うのに伴い、コローをはじめ多数の風景画の画家の傑作を見ることが出来るのだということです。

今回展示されている油彩画のほとんどが、地元の資産家アンリ・ヴァニエの遺贈や寄付によるもので、ヴァニエは、シャンパンで有名なポメリの経営に携わっていたと背景を説明してくれました。

時代背景としては、それまで王侯貴族が楽しんできた絵画芸術が、フランス革命を機に民衆により親しまれるものとなり、神話や宗教を題材としてものよりも自然をありのままに描く風景画が好まれるようになっていきます。絵具がアトリエの外でも使えるようになる技術的な進歩もあいまって、戸外で実際に自然を観察して風景を描くことがバルビゾン派や印象派への流れに繋がって行ったなど、説明を受けました。

解説会の後、実際に展示室でこれら風景画を観覧しました。解説のとおり、色使いや筆づかいが素晴らしい作品ばかりで、心がなごむ、夕べとなりました。

アートとめぐる はるの旅

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

 2020年は、美術館の建物の改修やコロナウイルス拡大の影響などで閉館していた名古屋市美術館ですが、2021年に入って展覧会を再開しています。

 この3月25日から始まった「アートとめぐるはるの旅」展は、当初昨年の夏休みに予定されていた展覧会ですが、今年になって、春の展覧会として開催されています。4月4日はあいにくの雨になってしましましたが、22名の会員が参加して協力会向けの解説会が行われました。

 午後4時に講堂に集合した参加者に、展覧会を企画してくださった森本陽香学芸員が、旅先案内人となって解説してくださいました。

 1つ目の作品は山田光春さんの「星の誕生」。この作品をはじめ、エヴァ・サロやカプーアの不思議な作品は旅の始まりが宇宙からだとイメージしているそうです。

 続いて旅は海の底へ、坂本夏子さんの「Octopus Restaurant」は不気味なレストランの様子を描いていますし、山田秋衛さんの作品は竜宮城を美しく描いています。

 その後も「死」をテーマにした作品を旅したり、風や時間、記憶を旅してまわったりして、最後の作品、庄司達さんの「Navigation Flight」へ。長い旅の後に飛行機に乗り、我が家へ帰る……つもりで作品の向こう側から振り返ってみると、楽しい仕掛けがされています。見にいらっしゃるみなさんは、ぜひ、これを楽しみにいらっしゃってください。

「カラヴァッジョ展」ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「カラヴァッジョ展」(以下「本展」)ですが、先日、名古屋市美術館協力会主催のギャラリートークがあったので参加しました。担当は保崎裕徳学芸係長(以下「保崎さん」)。参加者は95人。2階講堂でレクチャーを受講した後、展示室に移動してギャラリートークが始まりました。

◆2階講堂のレクチャー

レクチャーで保崎さんが強調していたのは「カラヴァッジョはイタリアの国民的画家」ということでした。ユーロに通貨が変わるまで流通していたイタリアの紙幣にカラヴァッジョの肖像が使われていたこと、同時代の画家から多くの追随者を生み出し合ことなど、カラヴァッジョの偉大さを紹介しています。本展については、カラヴァッジョの作品が8点、カラヴァッジョの作品と推測されるものが2点、残り30点は同時代および後世にカラヴァッジョの影響を受けた画家たちの作品とのことでした。保崎さんは「カラヴァッジョ以外の画家にも注目してください。日本では知られていませんが、イタリアでは高く評価されている画家も含まれています」と、強調します。レクチャーを聴きながら、ギャラリートークへの期待は高まるばかりでした。

◆ギャラリートーク:Ⅰ 1600年前後のローマにおけるカラヴァッジョと同時代の画家たち

◎カラヴァッジョ(?)の静物画

参加者が集合したのは《花瓶の花、果物および野菜》の前です。作家名は「ハートフォードの画家/ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(?)」。保崎さんは「作者は不明で、ハートフォードの画家とは仮の名前。若き日のカラヴァッジョが描いた作品ではないかと推測する研究者がいます」と解説。花や花瓶、果物、野菜などが、細かなところまで見たとおりに描かれており、高い描写力を身につけている画家の作品であることが分かります。

◎《リュート弾き》と《メドゥーサの盾》

カラヴァッジョの作品は《リュート弾き》と《メドゥーサの盾》。《リュート弾き》について保崎さんは「カラヴァッジョと不仲の画家・バリオーネも、全てが実物さながらであると褒めていた」と、紹介しています。描かれたものが暗い背景の中から飛び出てくるように見える作品でした。《メドゥーサの盾》は「ショッキングな表現で、見る者を惹きつける作品」と紹介されましたが、まさにその通りです。

◎同時代の画家について

同時代の画家としては、グイド・レーニ《ルクレティア》、オラツィオ・ジェンティレスキ《聖母子》、トンマーゾ・サリーニ《羊に乗る子どもと婦人》について解説がありました。なかでもグイド・レーニは、《聖セバスチャンの殉教》(注:本展には出品なし)が「三島由紀夫の愛した作品」として知られているとのことでした。また、《聖トマスの不信》はカラヴァッジョの作品のコピーですが、この作品、分かっているだけで36点のコピーがあるそうです。いずれも初めて名前を聞くような画家の作品ばかりですが、保崎さんの言う通り、どれも見ごたえがあります。

ジョヴァンニ・バリオーネも同時代の画家

◆Ⅱ カラヴァッジョと17世紀のナポリ画壇

◎ナポリ時代のカラヴァッジョの作品 ― 《法悦のマグダラのマリア》など

カラヴァッジョは1606年に決闘で人を殺し、ナポリへ逃亡。「Ⅱ」では、逃亡時代のカラヴァッジョの作品とナポリで活躍した画家たちの作品を展示しています。カラヴァッジョの作品は4点。そのうち《法悦のマグダラのマリア》について、保崎さんからは「娼婦であった名残の美しさと、過去の罪に対する深い悔悟の念とを、いい塩梅に描いている」「左上の暗闇には茨の冠がかけられた十字架が見えること」などの解説がありました。

◎カラヴァッジョ様式の追随者たち

カラヴァッジョ様式の追随者の作品としては、バッティステッロ・カラッチョロ《キリストの洗礼》《子どもの顔あるいは幼い洗礼者聖ヨハネ》やジュゼッペ・デ・リベーラ《聖ヒエロニムス》《会則を受ける聖ブルーノ》のほか、《スザンナと長老》を描いた女性画家アルテミジア・ジェンティレスキについては、「カラヴァッジョの影響を受けた、冷酷なユディトの絵が有名」という解説もありました。検索すると確かに、勇ましい姿で男の体を押さえつけている《ホロフェルネスの首を斬るユーディット》がヒットしました。

◆Ⅲ カラヴァッジョ様式の拡がり

◎《ゴリアテの首を持つダヴィデ》《洗礼者聖ヨハネ》 保崎さんが力を入れて解説したのは《ゴリアテの首を持つダヴィデ》と《洗礼者聖ヨハネ》。《ゴリアテの首を持つダヴィデ》については「カラヴァッジョの作品のなかでも傑作」」「ゴリアテはカラヴァッジョの自画像」「ダヴィデとゴリアテの心の中を想像しながら鑑賞してください」という解説でした。

◆最後に

正直言ってカラヴァッジョは馴染みの薄い作家でしたが、展示室で出会った40点の作品は素晴らしいものばかりです。見飽きることがありませんでした。保崎さんはレクチャーで「イタリア美術の最高峰であるカラヴァッジョの展覧会を開催できるというのは、信じ難いほど素晴らしいことです」と話していましたが、まさにその通りでした。特に《ゴリアテの首を持つダヴィデ》の展示は、名古屋会場だけです。光に照らされた人物が暗闇から浮かび出る、鮮烈なイメージの数々を「見ない」、という選択肢は無いと思いますよ。                    

解説してくださった保崎学芸係長さん。ありがとうございました!

Ron.