読書ノート 「文春美術館」 「週刊文春」2024年2月15日号

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.02.08 投稿

「その他の世界61」猛獣画廊というピンチヒッター 執筆:木下直之

2月8日発売の「週刊文春」が、名古屋市美術館で開催中の「猛獣画廊壁画修復プロジェクト 修復完了報告展」の展覧会評を掲載していたのでお知らせします。

「週刊文春」の「文春美術館」は、「その他の世界」「東洋美術逍遥」「名画レントゲン」という3タイトルが毎週交代して、リレーする連載です。昨年8月には「東洋美術逍遥」が、愛知県美術館「幻の愛知県博物館」を取り上げていました。今回は、木下直之・静岡県立美術館館館長の執筆による展覧会評「その他の世界」が取り上げたものです。

「猛獣画廊壁画」は、第二次世界大戦中の猛獣処分により主(あるじ)が不在となったカバ舎に、せめて絵だけでもと展示されたものです。「その他の世界61」は、わずか1ページという分量ですが、「猛獣画廊壁画」について分かりやすくまとめています。

現在の「週刊文春」には多くの読者がいるので、名古屋市美術館の「猛獣画廊壁画修復プロジェクト」が広く知られるのは、ありがたいばかりです。なお、展覧会の詳細につきましては、名古屋市美術館ホームページの下記URLをご覧ください。

特集 開館35周年事業 猛獣画廊壁画修復プロジェクト 修復完了報告展 | 展覧会 | 名古屋市美術館 (city.nagoya.jp)

「ガウディとサグラダ・ファミリア」展の鑑賞後には、「猛獣画廊壁画修復プロジェクト 修復完了報告展」もご覧くださいますよう、お願い申し上げます。

Ron.

展覧会見てある記「顕神の夢 ―幻視の表現者」碧南市藤井達吉現代美術館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.01.27 投稿

碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「顕神の夢 ―幻視の表現者― 村山槐多、関根正二から現代まで」(以下「本展」)を見てきました。

1月7日付中日新聞の記事によれば、岡本太郎美術館(川崎市)などと連携した全国巡回展の5カ所目(最終)で「霊性や神性、宗教観をテーマとした企画展」。前期(1/5~1/28)後期(1/30~2/25)で20点程度入れ替わるようで、展示室の写真(岡本太郎と横尾忠則の作品が見えます)も掲載されていました。

本展の入口は2階で、最後の展示「神・仏・魔を描く」は1階・展示室3です。会場入り口に「作品リスト」が置かれ、展示室にも作者の言葉などが掲示されており、鑑賞の助けになります。

◆「見神者たち」・「越境者たち」・「幻視の画家たち」・「神・仏・魔を描く」(2階・展示室1)

〇「見神者たち」

最初の展示は大本教の教祖(開祖)出口なおの《お筆先》と、もう一人の教祖(聖師)出口王仁三郎(おにさぶろう:開祖の女婿)の仏画《厳上観音》、書《おほもとすめおみかみ(大天主太神)》と茶碗《耀盌(ようわん)》です。出口なおは57歳の時に神がかりして「艮(うしとら)の金神(こんじん)」の命ずるまま「うしとらのこんじん」「のこらずのこんじん」等と自動筆記した20万枚を超える「お筆先」を残したとのことでした。いずれの展示品も現世の向こうからやってきた「何か」を表現しており、「顕神の夢」の冒頭にふさわしいと思います。岡本天明《三貴神像》は、見るからに神道の神の姿を描いたもの。金井南龍《妣(はは)の国》(本展チラシ裏07に図版、以下「裏07」と記載)は、昭和40年代の父と子どもたちが祈る姿だと思ったのですが、実はイザナギと子どものアマテラス、ツクヨミ、スサノオが、黄泉の国のイザナミを慕う姿でした。三輪洸旗《スサノヲ》《雷神》《太子と大師》《神馬》は、いずれも作者が見た「神の波動」を描いたものだと思われます。

〇「越境者たち」

目を引いたのは、馬場まり子《海から見た風景Ⅳ(月は東に日は西に)》です。画面中央に山並みが横たわり、空には大きくて丸いものが二つ並んでいます。山並みに向かって人の影が長く伸びているので、太陽を背にして、東の風景を描いたと思われますが、不思議なことに月と日が二つとも浮かんでいます。この作品の横には、岡本太郎《具現》《千手》(裏03)と横尾忠則《水のある赤い風景》《如何に生きるか》の4点が並んでいます。《水のある赤い風景》は大火事を想起させ、《如何に生きるか》にはY字路とオーロラが描かれています。以上5点はいずれも「この世を越えた向こう側」を描いているようです。

本展のチケットに使われている、中園礼二《無題》も展示されています。展示室1の最後の方には、宮沢賢治の作品の複製画もあり、なかでも人間の姿をした電柱が歩く姿を描いた《無題(月夜のでんしんばしら)》は、とてもシュールで、思わず見入ってしまいました。

〇「幻視の画家たち」

本展の副題は「村山槐多、関根正二から現代まで」。そのうち村山槐多は、《裸婦》(前期のみ)と《バラと少女》の2点を展示していました。後期には《尿する禅僧》が展示されます。一方、関根正二は、《少年》(チラシ表紙)《自画像》《神の祈り》《三星》の4作品を展示。どういうわけか「幻視の画家たち」という表題をつけると、以上の作品は、いずれも「幻」を描いているように思えてしまいます。

頭上に赤い雲が浮かぶ、萬鉄五郎《雲のある自画像》(裏09)を始め、宮沢賢治の童話を描いた、高橋忠彌《水汲み》、ケンムンという謎のイキモノを描いた、藤山ハン《南島神獣―四つのパーツからなる光景》、胴体が蓑虫、羽が枯葉の巨大な蝶を描いた、三輪田俊助《風景》などは「幻視の画家」にふさわしい作品です。

〇「神・仏・魔を描く」

展示室1の最後に展示の橋本平八「猫A」ですが、作品リストでは「神・仏・魔を描く」に入っています。展示スペース等の都合で2階に展示されたと思われますが、他の作品となじんでいました。

◆「幻視の画家たち」・「内的光を求めて」・「神・仏・魔を描く」(2階・展示室2)

〇「幻視の画家たち」

展示室に入ると舟越直木のドローイングとブロンズ像が並んでいます。ブロンズ像には目鼻が無く、ドローイングは人間離れした女性を描いています。草むらを描いた芥川麟太郎《笹藪わたる》には、1945年の横浜空襲の時、母子で逃げた体験が反映されているようです。そう思って作品を見ると、作者の心情が見える気がします。

庄司朝美《21.8.18》(裏08)は透明なアクリル板に絵の具を塗り重ねては拭き取って制作したもの。描いた像が、絵の具の中から見え隠れするように思える不思議な作品で、この世の向こう側から描いたように感じます。矢島正明《給食当番》(裏04)は、原爆資料館で見た、原爆の熱戦を浴びて蒸発した人の黒い影だけが残された石の階段に触発された作品。廊下の黒い影は終戦の二週間後に死んだ妹とのことです。花沢忍《宇宙について》《夢》は、シャガールの幻想的な作品のようでした。

〇「内的光を求めて」

横尾龍彦《無題》(1/5~1/28のみ)、《枯木龍1吟》《龍との闘い》の3点は、タイトルと作品を見比べながら色々と観察したのですが「龍」の具体的な姿はつかめません。とはいえ、線の勢いや内なる光のようなものは感じることができました。

〇「神・仏・魔を描く」

真島直子の立体作品《妖精》とドローイング《妖精》は、モチーフに髑髏を使っているためか、作品リストでは「神・仏・魔を描く」に入っていました。石野守一《不安》(裏05)も同様に、展示室2で鑑賞することができました。

◆「内的光を求めて」・「神・仏・魔を描く」(2階・多目的室)

〇「内的光を求めて」

黒須信雄《八尺鏡(やたのかがみ)》、上田葉介《支えあう形》、橋本倫《光の壁龕Ⅱ》、石塚雅子《彼方》(以上は前期のみ)と藤白尊《複数の光源》《小さな渦巻》《未明》は、カラフルな現代アートでした。

〇「神・仏・魔を描く」

黒川弘毅のブロンズ像《EROS No.71》《EROS No.72》は、作品リストでは「神・仏・魔を描く」に入っています。

◆「神・仏・魔を描く」(1階・展示室3)

2階・多目的室を後にして1階・展示室3に向かうと、真っ黒な円空《十一面観音立像》が出迎えしてくれました。インパクトがあったのは、佐々木誠の木彫《久延毘古(くえびこ)》で、宝珠のついた竹の笠を被っている「案山子の神」。案山子なので、腰から下は四角柱でした。三宅一樹《スサノオ》は、台風で半倒壊した樹齢600年から彫り出したもの。《root1(上九沢八坂神社御神欅)》は洞(うろ)のある御神木のスケッチ。いずれも印象深いものでした。

秦テルヲ《阿修羅(自画像)》《恵まれしもの》《樹下菩薩像》の3点は、優しくて分かりやすい仏画です。牧島如鳩《魚籃観音図》は大漁祈願のために描いた油絵で、天女や菩薩ばかりかマリアや天使まで描かれている「国籍不明」の作品です。佐藤渓《大天主太神(おおもとすめおおみかみ)と二天使(にかみがみ)》(前期のみ)は、大天主太神の頭に角が生えていますが、大本教の影響が反映された作品とのことでした。

宗教画ではありませんが、本展は、炎を上げて燃えるロウソクを描いた高島野十郎《蝋燭》を2点展示しています。2018年開催の協力会・秋のツアーで福岡県立美術館を見学した時に初めてこの作品を知り、高い精神性を感じた思い出があります。若林奮の作品も同様に、宗教画ではありませんが精神性を感じます。

以上の外、藤井達吉の作品も、《炎》《佛殿図》《土星》《斑鳩の里》の4点を展示しています。また、1階・展示室4では、令和5年度コレクション展 4期「継色紙の世界」を同時開催中です。

◆最後に

本展チラシは「本展は、今までモダニズムの尺度により零(こぼ)れ落ち、十分に評価されなかった作品や、批評の機会を待つ現代の作品に光をあてる一方、すでに評価が定まった近代の作品を、新たな、いわば「霊性の尺度」でもって測りなおすことにより、それらがもつ豊かな力を再発見、再認識する試みです」と書いています。本展は、この言葉どおり、意欲的な展覧会で「一見の価値あり」だと思います。

本展については、先日、協力会から「2月17日(土)午後2時からミニツアー開催」というお知らせが届きました。後期展示の作品を見ることができるので、参加するつもりです。ミニツアーの前に、碧南駅前の大正館で食事会も予定されているようです。今から楽しみですね。

Ron.

◆追加情報

碧南市藤井達吉現代美術館HP(本展チラシ、作品リスト及び主な作品を掲載)のURLは次のとおりです。

URL:顕神の夢 ―幻視の表現者― 村山槐多、関根正二から現代まで/碧南市 (hekinan.lg.jp)

展覧会見てある記 碧南市藤井達吉現代美術館「須田国太郎の芸術」  2023.11.25 投稿

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「須田国太郎の芸術 三つのまなざし 絵画・スペイン・能狂言」(以下「本展」)を見てきました。本展には「碧南市制75周年記念事業 開館15周年記念 生誕130年 没後60年を越えて」という長い副題もついています。

1階のエントランスホールでは、TVモニターで1932(昭和7)年に銀座・資生堂本店で開催された須田国太郎(以下「作家」)の第一回個展を再現した映像(資生堂制作)が上映され、作家が収集した「グリコのおまけ」を、4つのグループに分けて展示していました。(写真撮影可です。写真は「のりもの(飛行機・電車・車・船)」の展示)

本展の入口は2階で、第1章から第3章までを展示。第4章は1階・展示室4に展示、藤井達吉の作品は展示室3に展示されていました。個々の作品に関する解説は会場入り口で配布の「鑑賞ガイド」に書いてあるので、助かりました。

◆第1章 画業の歩み(2階・展示室1)

初期から絶筆までの代表的な作品30点を展示しています。なかでも目を引いたのが、エル・グレコが描いたような作品でした。タイトルを見たら《複写 グレコ「復活」》(1921)。鑑賞ガイドによれば作家は、京都帝国大学及び大学院で美学・美術史を学び、その芸術理論の実証確認のため渡欧して、スペイン・マドリードを拠点に調査・研究につとめ、ブラド美術館で模写に励んだようです。

鑑賞ガイドは、電柱の間から見える京都・八坂の塔を描いた《法観寺塔婆》(1932)についても触れ「画家としての契機となった初の個展(1932)の出品作です」と解説。印象的な作品です。第1章の最後は、《めろんと西瓜(絶筆)》(1961)でした。

なお、鑑賞ガイドは触れていませんが、丸山公園の祇園枝垂桜を描いたと思われる《夜桜》(1941)は、春の公園にたたずんでいるような気持ちにさせる作品でした。

◆第2章 旅でのまなざし(2階・展示室2)

鑑賞ガイドは、渡欧中に作家が撮影した写真と、それに関係する油彩画に加え、帰国後に旅をして描いた油彩画を展示と解説。確かに、写真主体の展示のように思えました。往路に立ち寄ったと思われる、インドのタージ・マハルの写真(1919)を始め、作家が撮影した数多くの写真に見入ってしまいました。

写真・絵画だけでなく、作家が愛用したカメラ、トランク、絵具箱、イーゼルなどの用具も展示しています。出品リストには、カメラは手持ち撮影用のNo.3オートグラフィック・コダックスペシャル(1915頃)と三脚に載せて撮影するレヒテック・プリマ―(1920頃)と書いてありましたが、コダックスペシャルは見逃してしまいました。残念なことをしました。

◆第3章 幽玄へのまなざし(2階・展示室2/多目的室A)

第3章は、全て能楽を題とした作品です。第3章の解説文には、作家は1910年「第三高等学校に入学した頃から、金剛流シテ方の高岡鵜三郎に師事して謡曲を始めた」とあり、作家が能舞台で地謡をつとめている写真も展示されていました。

鑑賞ガイドが取り上げていたのは、20歳の頃の素描《能画帳「尾崎正作翁三十三回忌追善能」》(1913)と油絵で描いた能画《大原御幸(おおはらごこう)》(1942)・《野宮(ののみや)》(1945)。鑑賞ガイドは、《大原御幸》について「無常観が最もよく表現された作品」と、《野宮》については「演者が六道(注:地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界)に輪廻する迷いの場面を描いた作品」としています。《大原御幸》は「平家物語」に、《野宮》は「源氏物語」に関連したものだという覚えはあったのですが、あらすじは覚束ないまま。家に帰って調べると《大原御幸》は、出家して大原・寂光院に住む建礼門院を後白河法皇が訪問。二人は語り合ったのちに分かれるというあらすじ、《野宮》は嵯峨野の野宮旧跡にやって来た旅の僧の前に里の女が現われ、六条御息所の物語を語り始めるというあらすじでした。

◆第4章 真理へのまなざし(1階・展示室4)

最後の「まなざし」では、油彩画だけでなく水墨画や若い頃の同人誌や著作物も展示しています。

なかでも、本展のチラシに使用されている《鵜》(1952)は、真っ黒な鵜と明るい背景のコントラストが印象的な作品です。鑑賞ガイドは水墨画の《老松》(1951)について「勢いのある運筆で、一気呵成に描き上げた迫力ある作品」と、《ある建築家の肖像》(1956)については「アントニオ・ガウディを題材にした作品です。スペインに訪れ再度研究に没頭したいという須田の願いが伝わってくるようです」と書いています。《ある建築家の肖像》は画面右にガウディらしき顔と ”A.GAVDI” という文字が描かれています。白い絵の具で塔のようなものが描かれていますが、形は定かではありません。作家の記憶の中にあるサグラダ・ファミリアでしょうか?作家がスペインに滞在していた1920年代の初め頃のサグラダ・ファミリアは地下聖堂と後陣ぐらいしか完成してなかったと思いますが、訪欧後に完成した建物も含めて描いているのでしょうか?

◆最後に

本展の最後にガウディの肖像を見て、「サグラダ・ファミリアに4つ『福音史家の塔』が完成!というニュースにシンクロしている」と感じました。ニュースのURLは下記のとおりです。

ついに! サグラダ・ファミリア、4つの「福音史家の塔」が完成 – ネット「未完も魅力」「完成形が観たい」 | マイナビニュース (mynavi.jp)

12月19日から、名古屋市美術館で「ガウディとサグラダ・ファミリア展」が始まります。今から楽しみですね。

Ron.

読書ノート 2006年発行の『Casa BRUTUS』から

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

   2023.11.22投稿

ミニツアーの後もフランク・ロイド・ライトについて調べていたら、2006年11月10日発行の『Casa BRUTUS 特別編集』「新改訂 誰にでもわかる20世紀建築の3大巨匠+バウハウス」(以下「本書」)に、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと並んでフランク・ロイド・ライトの記事が載っていることを知り、Amazonで取り寄せました。今回は、その中からプライス・タワー、テキスタイル・ブロック・システムで建設した住宅及びマリン郡庁舎についてご紹介します。

◆プライス・タワー Price Tower 1956(本書p.142~143)

記事の見出しは「あのプライス・タワーに泊まれちゃいます」で、2003年にプライス・タワーが全21室のホテルに生まれ変わったという内容。ホテルの名称は、”Inn at Price Tower”。料金はスタンダードが145ドル、タワースィート(ロフト型)が245ドル(当時)。なお、タワー・スィート(ロフト型)というのは、室内階段で上の階と繋がっている部屋のことだと思われます。

同じ建物にはホテルに2年先立って開館した建築&現代美術ミュージアム”Price Tower Arts Center Gallery”もあり、ライトのレンダリングや図面、写真、テキスタイル、家具などを収蔵・展示とのことで、16階にはレストランがあるようです。

このほか「施主は石油パイプライン事業で巨万の財を成したハロルド・プライス。(略)施主はその最上階に当たる3フロアを自らの住処として暮らした。(略)プライス財団からビルを丸ごと寄付された形で公共のものとなった現在のプライス・タワー」とも書いており、再現された社長室の写真(写真下:豊田市美術館で開催中の「ライト展」の写真とは反対の方向から撮影したもの)も掲載されていました。

◆テキスタイル・ブロック・システムで建設した住宅  Millard House 1923 etc.(本書p.148~151)

 ユカタン半島のマヤ遺跡の写真と1920年代のロサンゼルスに建設されたミラード邸、ストーラー邸始め4邸の写真が掲載され「ライトが帝国ホテルで用いた素材は大谷石。(略)1個1個加工を施すコストと時間がかさんだことから、設計者の地位を解雇されるという憂き目を見ている。もっと安上がりに、もっと効率よく石細工を取り入れる方法を模索した末にライトが見出したのが、金型を使って大量生産できるテキスタイル・ブロックだった。(略)かねてから憧れていた原始アメリカ建築のモチーフを鋳込むことで、これを高価な石に代わる、カスタムメイドの仕上げ材となすことに成功したのだ」という文章が添えられています。

 豊田市美術館で開催中の「ライト展」第5章の「テキスタイル・ブロック・システムの創設」でも、ミラード邸、ストーラー邸を紹介しています。ミニツアーで見た時「帝国ホテルで使った大谷石の彫刻の大量生産モデルかな?」と思ったのですが、その通りでした。また、マヤ遺跡のモチーフを鋳込んだ、という指摘にも納得です。

◆マリン郡庁舎 Marin County Civic Cener 1962(本書p.132~133、p.158)

 豊田市美術館で開催中の「ライト展」には展示されていませんが、カリフォルニア州のマリン郡庁舎の写真と記事も面白いものでした。1957年設計で、ライトの死後、弟子たちによって完成されたものです。事務室だけでなく、図書館などの公共施設も含んだ巨大な建物で、「美の巨人たち」でも紹介がありましたね。

「美の巨人たち」のURLはこちらhttps://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin_old/backnumber/120526/index.html Ron