佐川美術館で開かれている田中一村展

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佐川美術館

佐川美術館


先日NHK日曜美術館でも紹介されたように、琵琶湖の畔の佐川美術館で「生誕110年 田中一村展」が開かれている。佐川美術館では7月14日から9月17日まで開催されている。佐川美術館は佐川急便が創立40周年を記念して1998年に開館した美術館。通常は平山郁夫と佐藤忠良と15代樂吉左衛門を展示する美術館だが、特別展も時折開かれている。
前回行ったのは、偶然佐藤忠良が亡くなってすぐだったから、2011年2月のことだった。所在地が守山市ということなので、東海道線守山駅からタクシーで行った。守山駅からもバスはあるが本数がとても少なく、タクシー代は\3,000.-以上だった。今回は京都にも寄るつもりで調べてみたら、湖西線の堅田駅に出てバスに乗るのが便利なことが分かった。地下鉄東西線の蹴上駅から山科駅で湖西線に乗り換えて堅田駅まで30分ほど。堅田駅前からバスに乗ると15分ほどで美術館に着いた。バスはだいたい一時間に一本で、湖西線に連絡している。気候が良いときは、堅田駅から琵琶湖大橋を渡って歩く人もいるようで距離は4 km強、タクシーだと\1,800.-程度。名古屋から一番速く簡単に行く方法は、新幹線で京都駅に出て、湖西線に乗り換えて堅田駅に出る行程で、名古屋駅から美術館まで1時間半程度だ。入館料は\1,000.-、特別展をやっていてもいなくとも同じ料金だ。
田中一村は、1996年に東京新宿にあった三越美術館で観て以来、とても好きな画家だ。奄美大島に観に行きたいと前々から思っているが、未だに行けていない。今回の展示作品は、一村の子供時代から奄美大島時代までを網羅していて、一村作品の軌跡がよく分かるようになっている。個人蔵の作品がかなり多いので、奄美大島の田中一村記念美術館に行っても観られないだろうと思う作品がかなりあった。その一方で、これぞ一村という作品はそれほど多くなかった。今回の目玉は「アダンの海辺」、アダンの実の向こうに砂浜と海が見える作品だ。22年前には気付かなかったが、砂浜の表現が超絶技巧で暫し見入ってしまった。ヤマボウシの白い花を一面に描いた大きな作品「白い花」も美しい。いつもは佐藤忠良の作品を並べてある展示室も使っているので、忠良作品は廊下などに展示されていた。

京博に行く時は良く調べてから

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 4月中頃「海北友松」展を観に、久々に京博に行った。大阪出張を早めに切り上げて閉館1時間前の5:00 p.m.頃京博に着いた。平日のためか思いの外空いていて、外国人の割合がかなり高かったような感じだった。海北友松(かいほくゆうしょう)は、「大きな龍で有名な友松」と云うくらいの知識だった。今回の大回顧展は、平成知新館をほとんど全て使って作品数が多く、しかも大作も小品もとても素晴らしいものだった。画も素晴らしかったのだが、友松の人生はもっと興味深く、信長・光秀・秀吉・景勝・家康・春日局等々が登場し、その解説に読み入ってしまった。もう少し早めに着くべきだったかも知れない。
 1895年竣工の本館は片山東熊の設計、平成知新館の完成に伴い明治古都館と呼ばれるようになった。時間もあまりなかったが、その明治古都館の方を見ると完全に閉鎖されていた。あとで調べたら、老朽化と耐震問題から大修理が必要で、取りあえず閉鎖しているらしい。そういえば、昨年初めて平成知新館を訪れたときも閉まっていた。まだ改修計画も決まっていないようで、いつまでかかるのかも分からない。そういうわけで、収蔵作品の展示(名品ギャラリー)は、平成知新館の一階の一部にあるだけ。特別展を開催している間は名品ギャラリーだけの鑑賞はできない。
 特別展の準備期間などは、博物館全体が休館となり、名品ギャラリーのみの開催時期は短い。特別展開催時は平日18:00、金曜土曜20:00の閉館。名品ギャラリーのみの開催時は平日17:00、金曜土曜は20:00までとなり、7月8月と9月最初の金曜土曜は21:00の閉館となる。開館時刻はいずれの場合も9:30だ。次の特別展である「国宝」展は、会期中に3回も展示替えがある。このようなわけで、京博に行くときは良く調べてから行く必要がある。東博のようにぶらっと寄って所蔵品を観てくるわけには行かないから。
会員 バガボン

勝川 春章

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 勝川 春章(かつかわ しゅんしょう)を知っているだろうか、葛飾 北斎の師と言えば納得して貰えるだろう。享保11年(1726年)?~寛政4年(1793年)12月8日だから1760年生まれの北斎より30歳以上年上だ。北斎は安永7年(1778年)に春章の門下となり、理由は不明だが寛政6年(1794年)に勝川派を破門されている。北斎に比べると知名度はかなり低い。その春章が近年注目されるようになり、現在生誕290年記念として「出光美術館」と「太田記念美術館」で展覧会が開かれている。しかし、「1726年の生誕年は間違い」という研究が最近出されてもいる。いずれの展覧会も3月27日まで、出光は「生誕290年記念 勝川春章と肉筆美人画 ―<みやび>の女性像」、太田記念は「生誕290年記念 勝川春章 ―北斎誕生の系譜」で版画の展示だ。春章には多くの弟子がいて、後々の浮世絵に大きな影響を与えている

Un vagabond

勝川春章 美人鑑賞図

勝川春章 美人鑑賞図

2015年秋のツアーで

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 和歌山と堺の旅行はとても楽しい旅だった。いろいろなことがあったけど、こんなこともあった。それは堺市博物館のボランティア解説者の話。堺市の歴史の終わり近くに、フランシスコ・ザビエルが出てきて、ザビエルはポルトガル人との解説。終わってからザビエルはポルトガル人ではないと言ったところ「博物館のマニュアルにそう書いてあるから仕方ない」と居直ったような返事。あきれかえってその後堺市博物館に質問を送ったところ、下記のような答えが返ってきた。

当館ボランティアの解説につきまして、疑問を持たれた件でお答えいたします。
ザビエルの来歴につきましては、ご指摘どおりです。
なぜ、ボランティアがこのような解説をしたか、調べてみましたが、
おそらく、マニュアルの次の記載を誤解したのではないかと思います。
これは、鉄砲についての解説です
・真偽は不明ですが、『鉄炮記』によれば、種子島への鉄砲伝来は天文12年8月25日 (旧暦)(1543年9月23日)の出来事で、大隅国(鹿児島県)種子島西之浦湾に漂着した中国船に同乗していたポルトガル人(「牟良叔舎」(フランシスコ)、「喜利志多佗孟太」(キリシタダモッタ))の2人が鉄砲を所持しており、・・・
と記載しています。これを誤解して解説してしまったかと思います。
この件に関しましては、当館ボランティアに周知し、訂正するとともに、
引き続き研修してまいります。
このたびは、ご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした。
今後も堺市博物館に対するご意見、ご指導をお待ちしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

 名古屋市美にもボランティアさんが大勢いるが、こんな不遜な態度を取るひとはいないと思う。ちなみにフランシスコ・ザビエル(スペイン語の発音ではハビエルに近い)はこんなひとだった。ポルトガル王ジョアン3世に派遣されて日本に来たのだが、ピレネー山脈の西の方にあったナバラ王国の貴族のひとりの息子。現在でもパンプローナの近くにハビエル城(ザビエル城)は残っている。ナバラ王国はフランスに付いてスペインと戦って敗れ、フランシスコはパリに逃れてイグナチウス・デ・ロヨラと共にイエズス会を作ることになった。人種的にはバスク人だったからバスク人かあるいはナバラ人、ナバラは現在の国ではスペインに属しているからスペイン人か。ともかく、ポルトガル人とは言えない。そのボランティアさんの名誉のために付け加えれば、とても勉強していて熱心で気合いの入った解説、だからこそ自分は間違っていないと思い込むのだろう。
UN VAGABOND

2018ArtLabTokyoここにもアートラボ 石切り場 前室にて 音のアーキテクチャ トンネルでピクニック 佐川美術館 ギャラリートークの様子 展示会場で話をきく会員たち 泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの 夢見たものは 展示室で解説を受ける会員たち