読書ノート 「シャネルの真実」 山口昌子(しょうこ)著 新潮文庫 2008年4月1日 発行

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2022.07.08付中日新聞の「Cultre」欄に、豊田市美術館で開催中の「交歓するモダン」の記事が載っていました。記事の「コルセットが不要なドレスが出現」「大戦の影響で女性が主力になった」という言葉に刺激され、Little Black Dressについて「もう少し掘り下げたい」と思い、本書を手に取りました。

◆本書の成り立ちと内容

本書の著者は執筆当時、産経新聞パリ支局長。「あとがき」によると、産経新聞の大型企画「20世紀特派員」の枠組みで1997年6月2日から7月18まで「皆殺しの天使」(シャネルが、コルセットなどの服装面のみならず、19世紀的なものをすべて葬ったという意味)の題名で連載。加筆して「シャネルの真実」と改題し、2002年4月に人文書院から刊行。2008年に新潮文庫として刊行後、2016年から講談社+α文庫が刊行。私は新潮文庫を古本で購入しましたが、講談社+α文庫なら、新刊が買えます。

本書は、綿密な取材に基づいて、シャネルの生い立ちから晩年までを書いています。第3章で米国のモード誌『ハーバーズ・バザール』1916年11月号がシャネのドレスを取り上げたことに触れ、1917年に同誌が《シャネルを一枚も持っていない女性は、取り返しがつかないほど流行遅れである》と述べたことも書いていますが、ずばりLittle Black Dressについて記しているのは、第4章の「モードの革命 小さな黒い服とショルダーバッグ」(本書p.210~p.220)です。以下、その主な内容を記します。

◆1926年10月1日付『Vogue』米国版が、Little Black Dressを紹介

本書は「『Vogue』がシャネルのLittle Black Dressを“シャネル・フォード”と呼びイラスト付きで紹介」と書いています。ネットで、”Chanels original Little Black ‘Ford’ Dress”と表示された画像を発見しました。

●画像:”Chanels original Little black ‘Ford’ Dress”と表示された、長袖ドレスの写真とイラスト

URL: chanels-little-blackford-dress-1926.jpg (569×624) (glamourdaze.com)

Vogue は読者に「フォードの大衆車が同じ型だからといって、買うのをためらう人がいるだろうか」と問いかけ、シャネルのLittle black dressの品質と大衆性を、‘Ford’ Dressという言葉で表現したのです。

●画像:Little black dressには、袖の無いものもある

URL: z17702365IH,Coco-Chanel-i-jej-projekty.jpg (700×700) (im-g.pl)

◆Little black dressの革新性とは

本書は、Little black dressの革新性を「第一に(略)喪服のイメージしかなかった黒を単色でまとめた点である。(略)第二に、誰にでも着られるという大衆性だった。(略)それは同時に第三者のコピーが可能だ、という点にもつながる。その点でシャネルは20世紀が(略)大量生産、消費社会の到来であることをいちはやく見抜いていたことになる」と、書いています。本書が「コルセット不要」を「Little black dressの革新性」に入れていないのは「既に、ポール・ポワレのドレスがコルセット不要だったから」だと思います。

Little black dressが広く流行したのは、他者にコピーされたからです。本書は「シャネルは他のデザイナーたちと異なってコピーを恐れず、《私は自分のつくり出したアイデアが他人によって実現されたときのほうがうれしくさえある》とさえ断言している」と書いています。シャネルは「たとえ他人にコピーされても、自分の作品は売れる」と、自らの才能に自信を持っていたのですね。

◆シャネルとは対照的に、戦後フランスファッションの主役だったポール・ポワレは転落

豊田市美術館「交歓するモダン」では、「戦後フランスファッションの展開」の展示で一番目立つ場所にあったのは、ポール・ポワレ《デイ・ドレス「ブルトンヌ」》でした。1925年に開催された「アール・デコ展」でもポワレが主役。本書は「この時、ポワレがシャネル出品の黒のサテンや黒のジョーゼットのシンプルな作品を見て、「貧困主義」と皮肉ったことはよく知られている。しかし、この言葉は後世には結局、ポワレの敗北宣言として流布されることになる」と、書いています。「貧困主義」の意味するところは、よく分かりませんが「シンプルで装飾の少ない服は貧乏くさい」という指摘なら、ポワレは「時代のニーズを把握できなかった人物」ということになります。Little black dressが流行したのは、「大戦の影響で女性が主力になった」ことによりシンプルで着やすい服が求められたからだと、私は思います。ポワレは「アール・デコ展」の12年後、1937年に破産の憂き目を見て、1944年に極貧の中で死去。本書は「彼自身は最後まで、なぜ、自分がシャネルに敗北したのか、正確には理解できなかったかもしれない」と、書いています。

Ron.

コメントはまだありません

No comments yet.

RSS feed for comments on this post.

Sorry, the comment form is closed at this time.