TVアニメ「ムーミン谷のなかまたち」の感想など

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TVアニメ「ムーミン谷のなかまたち」が11月6日(土)午前10時30分からNHK・Eテレで始まり、第1回は「リトルミーがやってきた」でした。

◆ 第1回「リトルミーがやってきた」のあらすじ

冬眠中のムーミン一家に、お客様=ミムラ夫人が大勢の腕白な子どもたちとやって来ました。おかげで、一家は大迷惑。ミムラ夫人が「夏至まで滞在する」と言うので、春も来てないのに「夏至になった」と、必死になって見え透いたお芝居を打つ、という「クスッと笑える」お話でした。

最初に「クスッと笑った」のは、ムーミンパパが「パジャマ姿ではお客さんに失礼なので着替える」と言って、真っ裸になるシーン。「パジャマ姿は失礼」というのは現代人と同じ感覚ですが、結論は真逆でした。確かに、ムーミン一家は裸が正装ですからね。

訪問先に大迷惑をかけても全く気にしないミムラ夫人の天真爛漫さや、「冬眠中なので出て行って欲しい」とはっきり言えずに、直ぐバレる嘘でゴマかそうというムーミン一家の対応も面白かったですが、一番は何といっても、ずけずけとストレートに物を言い、頭の回転も速いリトルミーの言動でした。何事も丸く収めようというムーミン一家とは対照的の鋭い物言いで、ムーミントロールは言い負かされっぱなしです。このほか、規則を厳格に守るへムル族の消防士も登場します。

春が来て「春になれば、あの人がやって来る」と、リトルミーが語るシーンで第1回はおしまい。あの人とは、誰?トーベの小説「楽しいムーミン一家」だと、春になって姿を現すのはス〇〇キンでしたが……。第2回で、はっきりするでしょう。

◆ ムーミンコミックスとの関連

「ムーミンコミックス展」ミニツアーで、清家学芸員から「ムーミンに口はあるのですが、前からは見えません」という解説がありました。コミックスならムーミンの表情を「目・眉・身振り・手振り等で表現」することもできますが、アニメだと台詞に合わせて口が動かないと不自然です。どうするのかな?と思っていたら、横顔の頭と首の境目の所で、小さな口が動いていました。

「平和的な話」というのもコミックスと共通しています。「リトルミーがやってきた」でも、事態を平和的に解決していました。

◆ 日本製「ムーミン」アニメとの違い

以下は、ムーミン公式サイトのブログ記事「昭和から平成、令和へ。ムーミンアニメの歴史」2021.11.05(URL= https://www.moomin.co.jp/blogs/fourseasons/98912)によるものです。

上記の記事でショックだったのは、次の部分です。

〈1969年と1972年からの二期にわたってフジテレビ系で放送された『ムーミン』、通称「昭和ムーミン」「昭和アニメ」は原作とあまりにも違っていたため、現在では放映もソフト化も許可されていません。(略)キャラクターは歪曲されていて、本来とはかけ離れた設定になっており、ムーミンパパがムーミントロールを叩く場面があったり、ムーミン谷で戦争が勃発したり、非暴力を徹底している原作本の世界とは根本的に違ったものになっていたのだ。そして、ムーミントロールは体の色まで変えられてしまっていた。トーベはすぐに動いた。日本での放映を止めることはできないが、外国での放映をストップさせたのである〉(引用終り)

ブログの画像を見ると、ブログに書いてあるとおり、「昭和ムーミン」は、ムーミンの色を白から緑へ、スナフキンの楽器もハーミニカからギターへと、原作とは違っていました。

ただ、1990年からテレビ東京系で新たに始まった『楽しいムーミン一家』、通称「平成ムーミン」は、製作段階から原作者が関わり、英語版がyoutubeのMoomin Officialアカウントで公開されているとのことです。詳細は、上記URLをご覧ください。

Ron.

名古屋市博物館 「ムーミンコミックス展」 ミニツアー

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名古屋市博物館で開催中の「ムーミンコミックス展」(以下、「本展」)の協力会ミニツアーに参加しました。参加者は7名。1階の展示説明室で清家三智学芸員(以下「清家さん」)の解説を聴いた後、自由観覧・自由解散となりました。なお、清家さんは、本年4月に名古屋市美術館から名古屋市博物館に異動。本展は、彼女が異動後最初に担当する展覧会とのことでした。

◆清家さんの解説(10:00~35)の要旨(注は、筆者の補足です)

・これまでに日本で開催された、ムーミン関連の展覧会

2014年はムーミンの作者トーベ・ヤンソン(1914~2001)の生誕100周年にあたることから、2つの展覧会が開催されました。一つは「MOOMIN! ムーミン展」で、全国9カ所に巡回。もう一つは「生誕100周年 トーベ・ヤンソン展~ムーミンと生きる~」です。この展覧会は彼女の全仕事を紹介するもので、ヘルシンキ・アテネウム国立美術館で開催された後、全国5カ所を巡回しました。

2019年秋から2021年秋にかけて全国を巡回したのは、フィンランドと日本の国交100周年を記念した「ムーミン展 “Moomin The art and The story”」。名古屋では松坂屋美術館で開催され、小説、雑誌の挿絵、絵本、一コマ漫画、舞台、日本との交流、浮世絵の影響などムーミンの魅力を紹介しました。

・本展について

本展は「ムーミンコミックス」にフォーカスした展覧会です。2020年秋に「松屋銀座」から巡回が始まり、名古屋市博物館は7館目。残りの巡回先は4館。次の会場は「横浜そごう」。最後の会場「東京富士美術館」の会期終了は2022年8月になります。

・「ムーミン」の誕生など

スクリーンに映したのはトーベと彼女の下の弟ラルス・ヤンソン(1926~2000)の写真です(注:本展チラシの裏面に掲載)。二人の左に写っている彫刻は父親の作品。撮影したのは上の弟(注:ペル・ウーロフ・ヤンソン=写真家、1920~2019)です。

ムーミンは、トーベがスウェーデン語で書いた小説(注:「小さなトロールと大きな洪水」1945年出版)に初めて登場します。なお、フィンランドの公用語は二つ、フィンランド語とスウェーデン語です。フィンランドはスウェーデンに支配されていたため(注:13世紀から600年間。その後、100年間はロシアが支配。独立はロシア帝国崩壊後の1917年)、スウェーデン語も公用語になっていますが、少数派です(注:現在は、国民の5.5%)。トーベの父親ヴィクトル・ヤンソン(1886~1958)は、スウェーデン語系フィンランド人の彫刻家。母親シグネハマルテルステン・ヤンソン(1882~1970)はスウェーデン人。家族はスウェーデン語で会話し、トーベはスウェーデン語で小説を書きました。

トーベが書いたムーミンの小説は、フィンランドではなかなか受け入れられませんでした。理由は二つあります。一つは言葉の壁です。フィンランドではスウェーデン語は少数派なので、読者が広がりません。もう一つは「想像上の動物が主人公」だったからです。フィンランド人が好むのは、活劇や恋愛小説。「想像上の動物の話」は、受け入れられなかったのです。

トーベはムーミンを普及するため舞台化(注:1947年に初のムーミン劇「ムーミン谷の彗星」を初演)や絵本化(注:1952年に初の絵本「それからどうなるの」をスウェーデン語とフィンランド語で出版)に取り組み、フィンランドのスウェーデン語紙に「ムーミンコミックス」を掲載しました(注:1947年に「ムーミントロールと世界の終り」の連載開始)。しかし、ムーミンパパの発言が批判されるなど、フィンランド国内では受け入れられない状況が続きます。

・英国「イヴニング・ニューズ」紙に「ムーミンコミックス」を連載

1950年に小説「楽しいムーミン一家」が英語に翻訳(注:”FINN FAMILY MOOMINTROL”) されると外国で評価され始め、ムーミン人気はフィンランドに逆輸入されます。

英国でムーミンの人気が高まったことから、世界最大の夕刊紙「イヴニング・ニューズ」を発行している英国・ロンドンのイヴニング・ニューズ社からトーベに「ムーミンコミックス」連載の話が舞い込みます。しかし、スウェーデン語を英語に翻訳するのは大変な仕事で、英語力が高い人材が必要になります。トーベの下の弟ラルス・ヤンソンは子どものころから英語の小説に親しんでいました。彼は、ムーミン谷の世界観もよく理解していました。そのため、トーベはラルスを共同制作者として、イヴニング・ニューズ社と契約。トーベが、あらすじ・作画・セリフを考え、ラルスが英語に翻訳するという役割分担でした。

厄介なのは、イヴニング・ニューズ社との契約内容でした。「奴隷契約」とも言うべき厳しいもので、連載原稿は半年先の分まで用意しておくこと、王室批判、政治批判は駄目、理不尽な死を描写することも駄目など、制約が多く、印税の配分もトーベにとっては不利なものでした。

今なら、下書きも電子ファイルで瞬時に送信できますが、当時の通信手段は郵便。下書きのやり取りだけでも時間がかかるため、夕刊紙への連載は過酷なものとなりました。そのため、ラルスは、あらすじの構想も手助けし、キャラクター制作についても提案するようになりました。このようにして、1954年9月20日から1959年12月末までの約5年半の間、トーベとラルスの共同制作が続きました。

・「ムーミンコミックス」連載は、ラルス・ヤンソン単独で制作することになる

トーベは1959年末で「ムーミンコミックス」の連載を終了し、1960年の契約更新はしないと決心します。しかし、イヴニング・ニューズ社との契約には「トーベ・ヤンソン以外でも連載を継続できる」という条項がありました。母親のシグネに相談すると、彼女は「弟のラルスが一人で連載を継続するべきだ。ムーミンの世界観を引き継げるのはラルスだけだ」と答えました。母親のシグネは挿絵画家で切手原画のデザイナーでした。トーベもテンペラ、素描、挿絵、油絵となんでもO.K.です。しかし、母親や姉と違い、ラルスはこれまで絵の勉強をしてきませんでした。そこで、ラルスはシグネやトーベから「ムーミンコミックス」制作の指導を受け、1960年から1975年まで、ラルス単独で「ムーミンコミックス」を制作しました。ラルス単独で制作した期間に読者が増えています。ラルスは作画力も持ち合わせていたのです。

・本展の構成

本展は、大きく二つに分かれています。前半は「黄色」の壁で、トーベとラルス共同制作の作品。後半は「ブルー」の壁で、ラルス単独制作の作品です。

・トーベが描いた原画など

トーベが描いた「ムーミンコミックス」の下絵・原画は、トーベの許にはほとんど残っていませんでした。トーベの許には彼女のファンが多数押しかけ、子どものファンにはコミックスの原画をプレゼントしていたのです。展示しているキャラクターのスケッチや構想図は、トーベの遺族の手許にあったものです。

スクリーンに映したのは、キャラクターのスケッチです(注:本展チラシの裏面に掲載)。英語で書かれているので、イヴニング・ニューズ社との打ち合わせ用と思われます。ムーミンに口はあるのですが、前からは見えません。そのため、ムーミンの表情は、目・眉・身振り・手振り等で表現しなければなりません。口を描かないという制約はありますが、ムーミンは表情豊かです。

・ラルスが描いた原画など

ラルスが描いたコミックスの原稿は残っていました。ラルスの原稿が発表されるのは、日本初です。

なお、本展は、ラルスが設立したムーミンキャラクターズ社の特別協力を得ています。ムーミンキャラクターズ社は、ムーミンに登場するキャラクターの版権等を管理する会社で、現在はラルスの娘ソフィア・ヤンソンが会長を務めています。

以上で、清家さんの解説が終了。参加者は自由観覧となりました。

◆自由観覧

当日は、日曜日ということもあり子ども連れが目立ちましたが、若いカップルや高齢者の姿も多く、名古屋市博物館は、にぎやかでした。ムーミンといえば「子ども向けアニメ 」のイメージが強かったので、「大人向けムーミン」は新鮮でした。展示されていた「イヴニング・ニューズ」には、4つのコミックが印刷されています。日本のマンガ雑誌だと、人気の低いマンガは早々と連載打ち切りの羽目に陥ります。展示されたコミックスを見て、20年以上も連載が続いた訳が分かりました。「ムーミンコミックス」は、安心して読むことができるのです。

◆TVアニメ「ムーミン谷のなかまたち」

名古屋市博物館のホームページから本展の公式サイトを経由して「ムーミン公式サイト」に入ったところ、TVアニメの記事にたどり着きました。〈フィンランドとイギリスの共同制作によるフルCGアニメーション「ムーミン谷のなかまたち」(2019年4月にNHKのBS4Kで放送)が、2021年11月6日(土)午前10時30分からNHK・Eテレで放送開始決定〉というものです。午前中の放送なので「子ども向けアニメ」という位置づけになりますが、大人も楽しめると思います。

     Ron.

展覧会見てある記 コレクション展:絶対現在 ほか 豊田市美術館

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豊田市美術館では「ホー・ツーニェン 百鬼夜行」にあわせて、河原温「Todayシリーズ」を中心とした「コレクション展:絶対現在」を始めとする「コレクション展」も開催中。以下は、そのレポートです。

1F:展示室8「コレクション展:絶対現在」

展示室に入った正面にあるのは、ボリス・ミハイロフ《イエスタデイズ・サンドイッチ12》(1965-81)。二つのカラースライドを重ね合わせた作品のようです。「重ね合わせ」という行為で「時間」を表現しているのでしょうか。その向かいにある3点の作品は、下道基行《Torii》(2006-12)。かつて、日本人が住んでいた異国の地に建てられた「鳥居」を撮影したシリーズです。公園のベンチに再利用されている鳥居や海岸の草むらの中にポツンと立っている鳥居、墓地にある場違いな鳥居が写っていました。鳥居が立てられた時から現在までに過ぎ去った時間を感じることができます。ローマン・オルパカ《オルパカ1965/1-∞》は、数字を書き込んだ痕跡を示す作品。《ディテイル2601104-2626001》をよく見ると、2601104から2626001までの数字がぎっしりと書き込まれていました。

「コレクション展:絶対現在」の中心である河原温「Todayシリーズ」は、壁4面にわたって《MAY 1.1971》から《MAY 31.1971》まで31点が勢ぞろいするという、普段はできない大掛かりな展示です。見応えがありました。

杉本博司《カントン・パレス・オハイオ》(1980)は、劇場シリーズの一つ。2020.7.15付日本経済新聞「私の履歴書」に、ニューヨーク・イーストビレッジの映画館で撮影した時の話が書いてありました。《初めの七日間》(1990-2003)は、海景シリーズの7点。一番左の作品は霧に覆われていますが、一番右の作品は空と海がくっきりと分かれ、波もはっきり見えます。2020.7.19付「私の履歴書」には〈先祖が見ていた海は、今私が見ている海と、おそらく大きくは変わっていないのではないのかと思った〉と、書かれています。古代の海と現在の海のつながりを表現しているのですね。

李禹煥の《線より》(1977)と《線より》(1981)は、どちらも青い縦線が何本も描かれた作品。一つだけでも、時間の経過を表現していますが、二つを並べると時の隔たりも感じることができます。

ミケランジェロ・ピストレット《窃視者(M.ピストレットとV.ピサーニ》(1962,72)を離れたところから見たら、高松次郎《赤ん坊の影No.122》(1965)が写り込み「鏡の効果はすごい」と感心しました。

1F:展示室6・展示室7

普段は、主に小堀四郎の作品を展示している展示室6ですが、今回はクリムト、エゴンシーレ、ココシュカ及びアンソールの作品に加えて浅野弥衛、北川民次の作品も展示されています。展示室7は、いつもどおり宮脇晴(はる)、宮脇綾子の作品でした。

2F:展示室5

入口近くに、藤田嗣治の作品が3点並んでいます。真ん中は《美しいスペイン女》(1949)。いつ見ても、うっとりします。両脇は、第二次世界大戦中に描かれた《キャンボシャ平原》(1943)と《自画像》(1943)。《自画像》は「おかっぱ」ではなく、時局を反映して丸刈り。映画「FOUJITA」(2015)にも、複製が登場していました。

河原温の「Todayシリーズ」も2点。《June 30.1978》と《Oct 21.1981》がありました。

展示室の中央は工芸品。青色が鮮やかな河合寛次郎の陶器《碧釉扁壺》(1964)と鮑貝が美しい黒田辰秋の漆器《乾漆螺鈿捻稜水指》(1965)と《螺鈿牡丹紋筐》(1941-45頃)。いずれも印象的でした。ステンレス製の抽象彫刻=毛利武士郎《Mr.阿からのメッセージ 第3信》(1966)は、図面も展示しています。

展示ケースの中には、多数の日本画が展示されています。中でもミミズクと極細の月を描いた、前田青邨《二日月》(1946)の描線はきれいでした。ただ、二日目なら、月の右側がうっすらと見えるはずなのですが、この作品は月の左側が細く見えています。なぜなのでしょう。構図の関係ですか???

Ron.