若冲と蕪村、秋のツアー箱根2016を振り返ってみる

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

澤田瞳子著「若冲」のブログ原稿を書いて、名古屋市美術館協力会秋のツアー(2016.09.24~25)で岡田美術館の「生誕300年を祝う 若冲と蕪村 - 江戸時代の画家たち」展(以下「展覧会」)を見ていた、と思い出しました。ただ、展覧会では極彩色の《孔雀鳳凰図》(岡田美術館蔵、東京都美術館「若冲展」に出品)の記憶だけが鮮明で、若冲の水墨画や蕪村の作品の記憶は靄に包まれています。5年ぶりに図録を開くと、静嘉堂文庫美術館長の河野元昭氏(以下「河野氏」)、岡田美術館館長の小林忠氏(以下「小林氏」)と同館副館長の寺元晴一郎氏(以下「寺元氏」)の鼎談が掲載されているではありませんか。以下は、鼎談の抜き書きです。

なお、若冲と蕪村は、どちらも1716年生まれなので、2016年は生誕300年にあたります。ただし、若冲の没年は1800年(85歳)。一方、蕪村は1783年(68歳)。蕪村は、天明の大火よりも前に死去しています。

○ 若冲の評判と蕪村の評判

鼎談の冒頭で、小林氏が「ちょっと前までは蕪村のほうが有名でしたよね」と水を向けると、河野氏が「この展覧会も(略)すこし前なら「蕪村と若冲」と、蕪村のほうが先に出て来たんじゃないかなあと思います」と受けていました。小林氏が「美術市場でも、ちょっと前までは蕪村のほうが上でした?」と聞くと、寺元氏が「上でしたね」と答えています。澤田瞳子が「若冲」で蕪村を無視しなかった理由が分かります。

○ 若冲の水墨画

小林氏が「若冲は、墨絵に対する評価をいただけると嬉しいですね」と話すと、寺元氏が「《動植綵絵》でこういう風な極彩色の、緊張感を崩さない描き方をする人が、水墨になってくると肩の力を抜いてユーモアたっぷりで、その両面を感じますよね。逆に言ったら、同じ人が描いたのかとつい思っちゃうんですよね。墨になってくると」と返していました。確かに、晩年の《三十六歌仙図屏風》(1779)は、ユーモアたっぷりです。

○ 与謝蕪村という画家の魅力

小林氏が「蕪村について、どういう印象をおもちですか」と聞くと、河野氏が「蕪村というと必ず池大雅(1723~76)ということになりますね。当時の文人画の双璧です。トップツーですよね。それで昔から蕪村好きと大雅好きがいて、よく論争のようなものがあったんです」と答えていました。澤田瞳子「若冲」の中で「蕪村は大雅を嫌っている」と書いたのも「蕪村好きと大雅好きとの論争」が反映されているのでしょうか。

河野氏は更に「蕪村でよく知られているのは、三大横物と呼ばれる「富岳列松図」(重要文化財、愛知県美術館蔵(木村定三コレクション))、「峨嵋露頂図巻」(重要文化財、個人蔵)、「夜色楼台図」(国宝、個人蔵)でしょう。みんな微光感覚の傑作ですよ。微妙な光に満ちている絵だと思うんです。大雅の陽光も本当に素晴らしいと思います。だけれども、私自身がちょっとウエットな人間でしょ。だからやっぱりどうしても、蕪村の方に惹かれちゃうんですよ」と続けています。なお、名古屋市博物館「大雅と蕪村」のチラシには「富岳列松図」の展示期間は2021.12.14~2022.01.16、「夜色楼台図」の展示期間は2022.01.18~01.30と書いてあります。

○ 大雅と蕪村

大雅と蕪村について、河野氏は「田能村竹山(1777~1835)に「正譎論(せいけつろん)」という有名な比較論があって、「大雅は正にして譎ならず、蕪村は譎にして正ならず」と述べている。竹田の有名な画論『山中人饒舌』に書いてあるんだけど」と話すと、小林氏が「儒学者の荻生徂徠(1666~1728)がおもしろいこと言ってるんだよね(略)「譎」はね、奇襲戦法だって言うんだよね。(略)いろんな方面からアタックする。(略)竹田が何を言おうとしたのか。決して非難しているわけじゃないんだよね。大雅のほうはまっとうな南宗画に迫ろうとしているけど、蕪村は奇襲戦法で、奇襲の一つにはその俳画もあるって」と補足していました。

○ 若冲と蕪村の墨絵には、区別がつかないほど似ているものがある

若冲と蕪村の交流について、寺元氏は「若冲も最初の頃は中国の水墨じゃないですけど、そういうものを描いてますよね。で、蕪村もそうですよね。(略)でも合作みたいなものとか、交流というものはぜんぜん見られないんですね」と話します。小林氏は、2015年にサントリー美術館で開催された「若冲と蕪村」展について「墨絵など区別つかないような印象をずいぶん受けましたね。若者たちは若冲を見たいってんで、キャプションを見ては若冲だから見てる。蕪村だとほとんど通過しちゃった。そういう光景を見ましたけど、非常によく似ている。辻惟雄さんも内覧会の挨拶では『私が見ても区別がつかないような墨絵がある』なんてね。やっぱり同時代的な、同じ年、同じ土地で活躍した二人には似たような点が探せますね」としていました。寺元氏も「絵具だとか顔料だとか、道具屋さんに出入りするわけですよね。ですからどこかで会ったり、ご挨拶したりということぐらいは、あってもおかしくないような気がします」と、二人の交流を完全には否定しませんでした。澤田瞳子が「若冲」で蕪村と若冲が出会う場面を書いたのも納得です。何としても二人の交流を書きたかったんですね。

    Ron.

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