読書ノート「東洋美術逍遥」(17)橋本麻里(週刊文春2021年6月17日号)

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◆ 国宝 聖林寺十一面観音菩薩立像

今回の「東洋美術逍遥」では、東京国立博物館で開催される特別展「国宝 聖林寺十一面観音 ―三輪山信仰のみほとけ」(6/22~9/12)に出品の十一面観音菩薩立像(以下「十一面観音」)を取り上げています。記事は桜井市の三輪山に対する信仰の起源から始まり「三輪山の麓に鎮座する大神神社(おおみわじんじゃ)は、山に鎮まる神霊を遥拝するのが第一義で、神体を祀る本殿を持たない。」と書き。十一面観音については「大神神社の神宮寺である大御輪寺(だいごりんじ)に祀られていたものが、明治初年の神仏分離令によって、聖林寺に移された」と書いています。ここまで読んで、令和元年12月1日に参加した協力会・秋のツアーを思い出しました。

◆ 協力会・秋のツアーでは

 秋のツアーでは、聖林寺・観音堂に安置されている十一面観音を拝観しました。聖林寺の解説では「廃仏毀釈の時、大神神社に附属して建てられた大御輪寺から聖林寺に移された。岡倉天心とフェノロサに発見され、当初は本堂に安置していたが、大正時代に観音堂を建設して移設。乾漆像で、天平時代に渡来人がつくった」とのことでした。

 聖林寺の建物は、坂道と石段を上がった所にあり、秋のツアー最大の難所でした。また、石段を登り切ると北に、卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳が見えたのが印象的でした。

◆ NHK総合「歴史秘話ヒストリア」でも

十一面観音については、2021年2月10日放送の「歴史秘話ヒストリア」でも「1300年 奇跡のリレー 国宝 聖林寺十一面観音」というタイトルで、廃仏毀釈を逃れて聖林寺に避難してきた話や、明治20年に岡倉天心の案内でフェノロサが聖林寺を訪れ、秘仏だった十一面観音がその姿を現した話、十一面観音に感動したフェノロサが、火事などの非常時に外に運び出せる可動式の厨子を聖林寺に寄進したという話などが、再現ドラマで放送されました。秋のツアーで聞いた話ではありますが、ドラマ仕立てで見ると、臨場感が違いました。

◆ 神と仏の緩やかな共存時代の美

 「東洋美術逍遥」のタイトルは「神と仏の緩やかな共存時代の美」です。記事は「日本古来の神祇信仰と、大陸からもたらされた仏教とが出会い、混淆していく現象を、神仏習合という。早い時期には、神々が仏教に帰依し、修業することを求めていると考え、そのための場として神社の境内などに神宮寺を建立、社僧が仏事をもって神に奉仕するようになった」と書いています。この「緩やかな共存」を断ち切ったのが「神仏分離令」を拡大解釈した「廃仏毀釈」です。

ネットで調べたところ、十一面観音は聖林寺に逃れることができましたが、廃仏毀釈によって大御輪寺の本堂は大直禰子神社の社殿に転用されたとのことです。NHK総合で放送中の「晴天を衝け」の中に水戸の天狗党が出てきますが、幕末から明治初めにかけての混乱の中では、様々な悲劇があったのですね。

 Ron.

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