セルビアとその隣国の公用語など

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 先日開催された「あいちトリエンナーレ2019合同鑑賞会」の名古屋市美術館会場で、セルビア人作家・カタリーナ・ズィディエーラーの作品《Shaum》の解説を聞いていたら、最近読んだ本の一節を思い出しました。それは「フランス革命に端を発して、ヨーロッパで国民国家が主流になると、オスマン帝国からの分離運動が発生した。ところが言語や歴史から「国民」を分けることはバルカン半島では困難だった。(略)現在でもこの地域における第一外国語はドイツ語であり、共通言語でもあった。バルカン半島は、正教徒、カトリック、イスラム混住地域であり、言語地図も複雑であった。そのうち正教徒でありセルボ・クロアチア語を喋るセルビア人は、最有力人口ブロックであった。」(文春新書「第一次世界大戦はなぜ始まったのか」 別宮 暖朗 著 2014年7月20日発行 p.89)という所です。このうち「第一外国語はドイツ語であり、共通言語でもあった」という部分を読んで「本当?」と疑っていたのですが、作品の解説を聞き「書いてあったことは、嘘ではない」と信じることにしました。

◆セルビアの国名と公用語

Wikipediaで調べるとセルビアの国名と公用語は以下の通りです。文末に地図を添付しておきます。

◎セルビア共和国(セルビア・モンテネグロの解体により 2006年6月5日独立)  セルビア語では、Република Србија(キリル文字) Republika Srbija(ラテン文字) (Serbia は英語の表記。セルビア語では、Србија(キリル文字)又は、Srbija(ラテン文字) 公用語:セルビア語

◎ヴォイヴォディナ自治州(旧自治州設置 1945年9月1日、現行自治憲法施行 2010年1月1日 ) セルビア語では、Autonomna Pokrajina Vojvodina(ラテン文字) 公用語:セルビア語、ハンガリー語、スロバキア語、パンノニア・ルシン語、ルーマニア語、クロアチア語 (ヴォイヴォディナは多民族混住の地であり、26を超える少数民族が居住しています)

◎コソボ共和国(2008年2月17日独立宣言。セルビア、ロシア、中国などは独立を承認していません) アルバニア語では、Republika e Kosovës セルビア語では、Република Косово(キリル文字) 公用語:アルバニア語、セルビア語 独立に至る経緯:1995年にボスニア紛争が終了すると、セルビア共和国内のコソボ自治州で多数を占めるアルバニア人が武装闘争を開始。1998年、セルビアはコソボに大部隊を展開。1999年、NATO軍がユーゴスラビアへ空爆を行う。2000年、コソボからセルビア軍が撤退すると、NATO軍主体の部隊と国連暫定統治機構がコソボに駐留を始める。(この項の出典は、「プロの添乗員と行く クロアチア・スロベニア世界遺産と歴史の旅」武村洋子著 発行所 株式会社 彩図社 2015年8月11日発行 p.95~96)

◆セルビアの主な隣国と公用語

◎クロアチア共和国(1991年6月25日 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立) クロアチア語では、Republika Hrvatska(クロアチア語はラテン文字を使用) (Croatia は英語の表記。クロアチア語では、Hrvatska) 公用語:クロアチア語(セルビア語とほぼ同じ。両者を「セルボ・クロアチア語」と分類する場合もあります)

◎モンテネグロ(セルビア・モンテネグロの解体により 2006年6月5日独立) モンテネグロ語では、Црна Гора(キリル文字) Crna Gora(ラテン文字) (Montegegro はヴェネト語=イタリアのヴェネツィア等で話されている言語。Crna Gora、Montenegro のいずれも、意味は「黒い山」です) 公用語:モンテネグロ語(セルビア語の方言)、アルバニア語、セルビア語、ボスニア語、クロアチア語

◎ボスニア・ヘルツェゴビナ(1991年に内戦が始まり、1995年12月14日に3勢力妥協・内戦終結) ボスニア語・クロアチア語では、Bosna i Hercegovina セルビア語では、Босна и Херцеговина 公用語:ボスニア語、セルビア語、クロアチア語 ボスニア・ヘルツェゴビナは、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国で構成する連邦国家です。

・ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦 Federacija Bosne i Hercegovine(ボスニア語・クロアチア語)Федерација Босне и Херцеговине(セルビア語) 公用語:ボスニア語、クロアチア語、セルビア語 ボスニア・ヘルツェゴビナの主要3民族のうち、ボシュニャク人(イスラム教に改宗した南スラブ人)とクロア  チア人を主体とする共和国です。

・スルプスカ共和国 Република Српска(セルビア語) Српска は、ラテン文字では Srpska で「セルビア人」という意味。直訳すると「セルビア人共和国」です。 公用語:セルビア語、クロアチア語、ボスニア語 ボスニア・ヘルツェゴビナの主要3民族のうち、セルビア人を主体とする共和国です。

◆多言語・多民族混住世界での共存ということ

旧ユーゴスラビアを表現する「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」という言葉があります。この中で「4つの言語」は、スロヴェニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語。「5つの民族」は、スロヴェニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人です。しかし、セルビアとその隣国の公用語だけでもボスニア語、アルバニア語などが加わって4つではおさまらず、民族にはボシュニャク人やアルバニア人、ハンガリー人、ルーマニア人などが加わります。旧ユーゴスラビアは、日本人には想像できないほどの多言語・多民族混住の国家でした。

この文の最初で引用した「第一次世界大戦はなぜ始まったのか」には、「フランス革命に端を発して、ヨーロッパで国民国家が主流になると、オスマン帝国からの分離運動が発生した。言語や歴史から「国民」を分けることはバルカン半島では困難だった」という箇所があります。「国民国家」という考え方がバルカン半島における争いを生んだ、というのです。第一次世界大戦は、ボスニア・ヘルツェゴビナで起きたサラエボ事件が引き金になって、オーストリア・ハンガリー帝国がセルビアに侵攻したことで始まりましたし、1990年代になると旧ユーゴスラビアでは、「民族主義」を掲げたボスニア紛争やコソボ紛争が起きました。 20万人以上の犠牲者を出したボスニア紛争について、「戦火のサラエボ100年史『民族浄化』もう一つの真実」 著者 梅原季哉 発行所 朝日新聞出版 2015年8月25日発行)には「それまでチトーの強烈な指導力の下で抑えつけられていた、民族主義感情が頭をもたげ始め(p.115)」たことが、その伏線にあると書かれていました。

また、同書の著者は「終章」263ページから265ページにかけて、次のとおり意見を述べています。 民族の違いを理由に、敵味方の線を引き、敵対する者を排除しようという考え方は、確かに20世紀のボスニアで何度も繰り返された悲劇の原点だ。90年代の内戦ですっかり用語として定着してしまった「民族浄化」(エスニック・クレンジング)の動きはまさにその典型といえる。その背後では、ほかの民族を標的として憎悪や恐怖心をあおる民族主義思想を、集団幻想としてばらまき、その憎悪をもとに自分たちの権勢を築き上げようとした政治家たちの存在があった。(略)ボスニアの歴史、特にサラエボの人々が積み重ねてきた系譜の中では、そうした民族の違いよりも、人間性という普遍に目を向け、文化や宗教が異なる人々との共存をはかってきた寛容の伝統も受け継がれてきたのだ。そのことを軽視してはならない。(引用終わり)

 ここに書かれた「文化や宗教が異なる人々との共存をはかってきた寛容の伝統」というのは、セルビアから遠く離れた日本に住む、現在の我々にとっても大事なことだと思います。

Ron.

セルビア共和国とその隣国

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