読書ノート 「奪われたクリムト」など

カテゴリ:アート・ホット情報 投稿者:editor

 2019年5月8日付けの日本経済新聞に「クリムト展」と「ウィーン・モダン展」の展覧会評が掲載されていました。展覧会開催にあわせてクリムト関連の書籍や月刊誌が発行されており、近くドキュメント映画も公開されるようです。

〇「奪われたクリムト - マリアが『黄金のアデーレ』を取り戻すまで」(2019年4月1日発行) 著者:エリザベート・ザントマン 訳者:永井潤子・浜田和子 発行所:梨の木舎 定価2,200円+税  

クリムトの代表作《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》(1907)の制作、略奪から奪還までを書いた本です。著者がこの本を書き上げた頃、映画『黄金のアデーレ、名画の帰還』がドイツで封切られましたが、訳者は「映画に取り上げられていない部分が特に興味深いのです」と書いています。小さな本なので、一気に読んでしまいました。

・本の主役は

本の主役は《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》に描かれたアデーレ(1881~1925)と、彼女の姪(姉の子ども)で遺産相続人のマリア・アルトマン(1916~2011)です。

・《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》について

《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》は、アデーレがフェルディナント・ブロッホ=バウアーと結婚して4年経った1903年に、彼女の夫・フェルディナントがクリムトに注文したものです。著者は「クリムトが札つきの「女たらし」だといううわさの主で、多くのモデルと色恋沙汰のある人だということも、妻に魅了されていた夫にとっては妨げにならなかったようです」と書き、アデーレがクリムトのアトリエで「数年にわたって多くの時間を過ごし、そこで何百枚という素描や習作が制作されました。そのほかに何が起こったかは、想像するのみです。クリムトが選りに選ってこのミューズから接吻だけをうけたのかは、知る人ぞ知る、です」と、続けています。

その後、フェルディナントは《アデーレ・ブロッホ=バウアーⅡ》(1912)も注文しています。著者は「アデーレはクリムトが肖像画を2枚描いた唯一の女性です。間に5年間の間隔があるにしても、クリムトとアデーレとフェルディナントとの関係が特別に深く、何年にもわたって続いたという一つの証拠でしょう」と書き、クリムトが1918年に56歳という若さで亡くなったあと「アデーレはこの大事な人生のパートナーの喪失を大きな痛みと感じ、彼の作品は誰もが見えるところではなく、自分だけの部屋に掛け、彼女が尊敬した芸術家を思い出す記念の場所としました」と書いています。

アデーレは1925年に脳膜炎で亡くなります。43歳という若さでした。

・財産の没収

ブロッホ=バウアー家が悲劇に襲われたのは1938年です。オーストリアがドイツに併合され、ユダヤ人の財産はナチ当局に没収されました。警察は司法手続きなしで裕福なユダヤ人を逮捕し、逮捕を逃れるためには「自由意思で」財産を放棄することに同意せざるを得ませんでした。没収された《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》はモデルの名前を抹消され《黄金を背景にした淑女の肖像》と呼ばれました。

・財産を取り戻すまでの長い道のり

第二次世界大戦後の1946年に、いわゆる「無効法」が公布され「もし1938年3月13日の時点で、自然人または法人が所有していた財産と財産権が、ドイツ帝国が行った政治的、経済的な行為により剥奪された場合、その行為は法律的に無効である」と決められました。しかし、没収された絵画のありかがわかったとしても、現実に取り戻すのは困難でした。著者は「国外持ち出し制限の決定権を持っていたオーストリア当局は、かつての所有者に物々交換の提案をしたり、寄贈するように仕向けたりしました。これは、強要以外の何物でもありませんでした」と書いています。

潮目が変わったのは1998年です。著者は「1998年にはワシントンで略奪美術に関する画期的な会議が開かれ、「ワシントン声明」が出されました。44カ国が、公のコレクションの中のナチの略奪美術を探し出し、「公平で公正」な解決策を見出すことを自らに義務づけたのです。(略)同じ1998年には、2枚の絵が没収されるというスキャンダルが起こりました。この事件は、没収の舞台となったニューヨークだけではなく、世界中でのスキャンダルになりました。ウィーンのレオポルド美術館は、エゴン・シーレの『ヴァリー』を含む作品をニューヨークのモダン・アート美術館に貸し出しました。展覧会が終わったあとの1998年1月7日、2枚の絵は2人の遺産相続人の要求に基づいてニューヨークの検事によって没収され、レオポルド美術館には返却されませんでした。それは前代未聞のことでした」と書き「また、オーストリア人ジャーナリストのフベルトゥス・チェルニンが1998年に、ウィーンの日刊紙「デア・スタンダード」に、「美術品の略奪。着服された遺産」というタイトルの8回にわたるシリーズで、公共の美術館にかかっているユダヤ人のコレクションの絵や美術品をリストアップしました。偶然にもその記事を読んだマリア・アルトマンの友人が彼女に電話し、新聞にはクリムトのコレクションは盗まれたものだと書かれていると伝えました」と、続けています。  

1988年の時点でマリア・アルトマンは82歳。ここから、奪われた絵画を取り戻すための長い闘いが始まります。最終決定が下されたのは2006年1月でした。

・《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》の落札者について

著者は、この本の最終章で《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》を落札した、ロナルド・S・ローダーについて、5年間の間、裁判を積極的に支援したことを紹介するとともに「ローダーは、14歳の時から美術品を集めていました。その彼は美術商のゼルゲ・ザバルスキーとともにニューヨークに美術館を建てる計画を立てていましたが、2001年に20世紀初期のドイツとオーストリアの美術のための美術館、名前もドイツ語による「ノイエ・ガレリー」(新美術館)をオープンしました。(略)アデーレの肖像画は、シーレやココシュカといった時代の昔馴染みの画家たちの絵やウィーン工房の作品に囲まれて、まさにアデーレの絵にふさわしい場所に展示されています。他のクリムトの4点の絵が、記録的な高額で匿名の人に買われ、個人の所有となっているのに対し、ロナルド・S・ローダーは、『黄金の淑女』を世界最高の値段で買い、再び一般公開することにしたのでした。ローダーがこの美術館にアデーレの肖像画を展示することを約束したので、マリア・アルトマンもそれを理由に彼にこの絵を売ったのでした」と書いています。

・最後に

 紹介記事にすると無味乾燥な表現になってしまいますが、サスペンスを読んでいるような面白さのある本です。なお、「クリムト展」に出品の《アッターゼー湖畔のカンマー城Ⅲ》は、フェルディナント・ブロッホ=バウアーが所有していた作品のひとつです。

〇「一個人 2019年6月号」 特集 世紀末美術入門

 特集では「世紀末美術の誕生」から始まり、クリムト、シーレ、ココシュカ、ミュシャなどについて簡潔な解説が書かれているので、19世紀末の絵画についてサクッと理解することができます。また、「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ - 線の魔術」展の紹介記事によれば、2020年4月25日~6月28日の会期で名古屋市美術館に巡回するようですね。

〇「芸術新潮 2019年6月号」 特集 時を超えるクリムト

 クリムトの画業だけでなく「クリムト展」「ウィーン・モダン展」の解説もあります。展覧会の予備知識を仕入れるには便利な雑誌です。「奪われたクリムト」の書評も載っていました。

「一個人」「芸術新潮」ともに、アルマ・マーラー=ヴェルフェルという女性の記事にページを割いています。また、「奪われたクリムト」にも「未婚だったアデーレ・バウアーが、女性に人気のあるグスタフ・クリムトと恐らく1899年頃に出会った時、これほど異質な世界がぶつかり合ったことはなかったと言えるでしょう。アデーレは少女で、か細く、貧血気味に優美で、保守的な良家の出で、裕福で、教養があり、同時に極端に神経質でした。それに対してクリムトは体が大きく、がっしりとしていて、貧困の中で育ち、社会の悲惨を見ていて、今は著名な芸術家になり、社会的慣習にはいっさい頓着せず、仕事と油絵具の匂いを放っていました。恐らく2人はアルマ・シントラーを通して知り合ったのでしょう。アルマはアデーレの生意気な友人で、のちに作曲家のグスタフ・マーラーと結婚し、彼の亡き後は建築家のヴァルター・グロピウスと、その後作家のフランツ・ヴェルフェルと結婚した人で、いつまでも男性にとって魅力が褪せることが無かった人でした。17歳のアルマとはるか年長のクリムトの関係が極端に走らなかったのは、彼女の義父である画家のカール・モルが介入したためであったということです。しかしながら、アルマはのちに女友だちに、もう本当の接吻を知っていると言っていたそうです。アルマの日記には、クリムトがすぐに彼女に関心をもたなくなったことに失望したと書かれています」という記述がありました。

〇ドキュメンタリー映画「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」 (伏見ミリオン座で、2019年7月27日公開予定)  

ネット上の公式ページ・予告編に流れる「上流階級の女性たちは、時に絵を描く以上のことを求めました」というナレーションが、とても気になります。

Ron.

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