ヒトラーvs.ピカソ 奪われた名画のゆくえ

カテゴリ:アート・ホット情報 投稿者:members

御園通沿いから本重通沿いの中区錦二丁目15-5に移転、新築した「伏見ミリオン座」でナチスドイツの絵画略奪をテーマにした映画「ヒトラーvs.ピカソ 奪われた名画のゆくえ」を上映しています。絵画略奪というテーマに興味を惹かれ、早速、見てきました。

映画は、冒頭で「60万点が奪われ、いまだに10万点が行方不明。文化の破壊の背景は、反ユダヤ主義によるホロコースト。所有していたユダヤ人は強制収容所に送られた」と、絵画略奪の全体像を示した後に、略奪の過程や奪還のエピソードを紹介していく、という構成です。情報量が多く、目まぐるしい展開でした。

映画によれば、ヒトラーの野望は故郷近くのオーストリア・リンツにルーブル美術館級の美術館を建設することと、ユダヤ人画商が支配するモダン・アート(印象派、表現主義、フォーヴィスム等)の排除でした。絵画略奪の元凶はヒトラーですが、映画はヒトラーの側近・ゲーリングの悪辣ぶりを「これでもか」というほど描いています。ゲーリングは貴族的生活にあこがれ、ステイタスシンボルとしての美術品収集と金(かね)に執着。略奪した美術品の多くを独り占めして、ヒトラーには一部しか渡していなかった、との解説でした。

映画では、略奪された美術品を奪還することの難しさも語られます。迫害を逃れて出国するために二束三文で美術品を手放した場合は「合法的な取引」となります。また、多くの所有者は強制収容所で死亡し、所有権の証明すら困難です。一方、美術館の所蔵品になっている場合は、公共の利益と元の所有者の権利を秤にかけるという、難しい判断が必要になります。ナチスの絵画略奪には多くの画商や美術史家などが協力しており、「一握りの悪人が弱い人々を利用していた」という解説は悲しいものでした。

この外に興味深かったのは、「退廃芸術」とされたモダン・アートのゆくえです。モダン・アートを集めた「退廃芸術展」は1937年から1941年までドイツ13都市を巡回後、ナチスドイツの資金を得るためにスイスのオークションを経由してアメリカに流れ、美術館や画商のもとに収集されたというのです。ゴッホ《坊主としての自画像》もアメリカ・マサチューセッツ州のハーバード大学フォッグ美術館の所蔵品となりました。

フランスの画商・ローゼンベルクのエピソードも興味深いものでした。ナチスの迫害を逃れるため、アメリカに亡命したローゼンベルクはMoMAと提携します。これが、モダン・アート市場の中心がパリからニューヨークに移った契機というのです。

なお、題名の「ピカソ」は、映画の最後に出てきます。「ゲルニカ」について語った言葉が紹介されますが、どんなことを語ったかは映画館でお確かめください。

Ron.

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